モンゴル旅行記5日目
2006年8月16日(水曜日)
ウランバートルの病院の診療時間や帰国便のスケジュールを考え、怪我をされた方と添乗員さんは早朝5時に、私たちの荷物をここまで運んできてくれた車で出発する予定だった。
ところが、4時に起き出して待ち構えているところに添乗員さんがやってきて、ドライバーさんが昨夜から近くの村に行ったまま帰って来ていないと言う。この時間まで帰って来ないということは、酔いつぶれているに違いない。私たちを運んでくれたバスのドライバーさんが連れ戻しに行き、出発は彼らが戻り次第ということになった。
もし、本当に酔いつぶれていてとても運転ができそうにないときは、奥カラコルムでホームステイをしているツアーから車とドライバーを借りてくる、ということだ。奥カラコルムまで行くとなると往復4時間近くかかってしまうという。
そんなのあり? と思ったし、それは顔に出てしまっていたらしい。
同じゲルの方に「無理して朝早く出発するよりも、ゆっくり休んで体力を回復してから出かけられるから、却って良かったね。」と言われ、確かにそのとおりだ、私がイライラしたり怒ったりするようなことじゃなかったと反省した。
お隣のゲルの前で始まったラジオ体操に混ぜてもらう。
乗馬で普段使わない筋肉を使っているので、ミシミシいう体にラジオ体操はなかなか気持ちが良い。久しぶりだし、しかも音楽がないとなると、ところどころ記憶が怪しいのはご愛敬だ。
8時30分頃から朝食だ。今朝は目玉焼きだ。
10時くらいには三々五々、四阿に乗馬のために人が集まり始めた。一方、車が帰ってくる気配がない。
添乗員さんが「ドライバーに出すべき指示はガイドからキャンプ長に伝えてもらい、キャンプ長からドライバーに言ってもらうよう手配したので、みなさんは乗馬の準備ができしだいガイドと出発してください。」と言う。このツーリストキャンプには今現在、日本語とモンゴル語の両方が判る人はガイドさんしかいないのだ。
「えー、みんなで見送ろうよ。」「大事をとった方がいいんじゃないですか。」「乗馬もいいけど、あそこに見える丘まで散歩したいなぁ。」などと口々に言われ、添乗員さんは苦笑いしている。
結局、馬の準備が整わなかったこともあり、乗馬出発は11時になった。
10時30分近くなってバスと荷物車が帰還し、すぐさま怪我をされた方と添乗員さんはウランバートルに向けて出発した。
出発の直前、モンゴル語の旅の指さし会話帳(市販の大きい詳しい版のもの)を2冊お持ちだった方が、1冊を添乗員さんに貸していた。私たちが、この本がウランバートルまでの道行きでとてもとても役立ったと知るのは翌日の夜遅くになってからだ。
添乗員さんは「早ければ明日の夜にここに戻ります。もしかしたら、明後日の夜にブルドで合流することになるかも知れません。」と言って出発した。
午前中の乗馬では、コーチの少年達のうちの一人の家にお邪魔することになった。彼の家はお父さんが亡くなって、コーチの少年が一家の大黒柱だ。
お母さんが、家の真ん中に置かれた缶になみなみと入っているアイラグ(馬乳酒)を振る舞ってくれる。また、一昨日ご馳走になった、バターのような生クリームのような乳製品もご馳走になる。
ゲルの中は、再び折り紙教室になった。一家は確か5人だけれど、いつの間にか子ども達が大勢集まってきて折り紙教室に参加している。
ゲルの外では、生まれたばかりの仔馬を見せて貰ったりもしていたらしい。見逃したのが残念だ。
この3回目の乗馬で、すでに私のお尻はかなりすりむけ、ヒリヒリしていた。見るのも恐ろしかったので帰国するまで見なかったけれど、この頃には真っ赤になっていたに違いない。
ツアーの中には、競技スポーツとしての自転車用パッドを持参されている方などもいて、やっぱり事前準備が肝心だと痛感した。
14時に牛とポテトを炒めたお昼ごはんを食べ、四阿でおしゃべりしたりしていたら、あっという間に午後の乗馬の時間になった。お天気が怪しくなっていて、ガイドさんから雨具の用意をするようにと指示がある。
チャップスをしているし、乗馬中に雨に降られたら迅速にレインウエアを着られるとも思えない。上下セパレートになったレインウエアのパンツの方は予め履き、上着(ポンチョ)を荷物に入れ、雨に降られたときのことを考えてカメラは持たないことにした。
まずツーリストキャンプの近くにあるオボーに向かった。
途中の草原は、眺めている分には小川の流れる普通の緑濃い草原だけれど、馬が歩くと地面が揺れる。湿地帯のようで、馬が歩くとそこから水がしみ出し、水の上に乗って浮かんでいる土が揺れる感じだ。何だか酔いそうである。
途中、水深30cmもないくらいの小川を渡るとき、ついでに馬たちに水も飲ませた。首をぐっと伸ばして水面に口をつけて飲むので、手綱を引っ張られ、うっかりしているとそのまま落ちそうだ。
オボーは丘の上にあり、かなり大きかった。中に入れるようになっている。
「この辺りでは一番大切なオボーです。」というガイドさんの案内に、みんなで3周回り、1周につき一つの石を積んで祈る。
ガイドさんに続いてオボーに入ったら、そこに馬の頭があって息を呑んだ。まだ新しい。まるで生きているかのようだ。茶色の毛並みも綺麗だし、目も濁っていない。不思議なことに蠅もたかっていない。
ガイドさんによると、全ての馬が死んだときにそうするわけではなく、家族のように特別にかわいがって大切にしていた馬が死んでしまったときに、こうしてオボーに納めるそうだ。
何だか厳粛な気持ちになった。
次の目的地であるオゴタイ・ハンの宮殿跡に到着した頃には、何だかぐったりしてしまっていた。
午前中に自覚したお尻の痛みがどんどん酷くなっていたことと、レインウエアのパンツを履いたために通気性が悪くて暑さを感じるようになっていたこと、あと昨夜からの寝不足が祟っていたらしい。
宮殿跡は、土を重ねて作ったような壁か塀のようなものがあって、その外壁部が2〜3mの高さで残っているだけだ。壁といっても厚みは3m近くある。
その壁の上の眺めのいい一角に座ってぼーっとしていると、風が吹き抜けて行って気持ちよかった。
宮殿跡でぼーっとしてかなり元気回復したけれど、お尻の痛みは回復しない。
帰り道も再び湿地帯を戻ったので、流石に馬を走らせることはできず、のんびり歩きだ。それをいいことに、お尻を鞍にぶつけなくて済むよう、何とか馬上で立てないかと鐙を踏ん張ってがんばっていたら、ガイドさんに「立ち乗りがしたいですか?」と聞かれてしまい、慌てて否定した。
向上心故の取り組みではないとも言えない。
しかも、がんばって無理して立っていたせいで、ツーリストキャンプに到着して馬から降りたら、足がプルプルと震えていた。ただ立っているだけなのに、全く私の意思とは関係なく、足全体がプルプルと震えているのがズボンの上からも判る。日頃の運動不足が身にしみる。
「大地にぺたっとつけていれば治る」と教えてもらい、しばらく足を投げ出して座っていた。何だか温かい感じがした。
ゲルに戻り、モンゴル紙幣の写真を撮ったりしていたら、すっかり温泉に遅れてしまった。
これは10000トゥグルグ紙幣で、チンギス・ハンの肖像が描かれている。
100トゥグルグ以下の紙幣に描かれているのはスフバートルの肖像だ。この二人が今のモンゴルの英雄で、だから二人ともスフバートル広場に銅像が建てられているのだろう。
そういえば、モンゴルでは1回もモンゴルの硬貨を使うことはなかったし、見かけることもなかったように思う。
温泉に入りに行く途中、乗馬コーチの少年達がキャンプの働き手に変身し、薪を作っているところに出会った。木を二人用のこぎりで適当な長さに切り、それを鉈で割っている。
ゲルに配られる分だけでは足りなかったり、湿って火がつきにくかったりすることもある。モンゴルのベテランの方に教えてもらい、私たちはここに薪集めに来ては少し余分にゲルに持って行き、ストーブの周りに広げて確保するついでに乾かしていた。
でも、薪作りをしているところに出会ったのは初めてだ。
温泉は後回しにして、ちょっとだけのこぎりを引かせてもらう。「お手伝いをした」と言いたいところだけれど、これははっきりと「仕事の邪魔をした」と言うべきだろう。
夕食は、ツォイワンと呼ばれる麺だった。「地球の歩き方」の説明によると、”「焼き肉ウドン」としたいが、現実は「油蒸焼き肉ウドン」といったところだろう。”ということだ。でも、この記述から受けるイメージほど脂っこくなかったと思う。小麦で作られた麺は太さ5〜8mmくらいで、長さはそんなに長くない。というよりも、切れてしまう。
周りの方に「とうとう本性を現して来ましたね。」と冷やかされつつ頼んだビールとこの焼き肉ウドンがとても合って美味しかった。
ツアーの方のお一人が、夕食前くらいから体調を崩されて、38度を超える熱を出してしまった。昨日のお医者様に診てもらったら「疲労でしょう」という診断だったという。
看護師さんお二人も様子を見てくださり、ご本人も体温計や非常食としてのお粥、お薬も使い慣れたものを持参されているということで、翌朝には回復されていた。本当によかった。ガイドさんもほっとしたことだろう。
食事のときに、ガイドさんから、この近くにオイルマッサージをする人がいるけれどいかがですか、という話があった。45分で15ドルだそうだ。
紆余曲折の末、お二人が挑戦された。
マッサージ師は大柄な女性で、彼女がベッドに片膝をついて力を込めてマッサージをしようとしたら、そのベッドの底が抜け、マッサージを受けていた方はそのままストンと落ちてしまったらしい。そんなマンガのようなことがあるなんてと思ったけれど、見ていた方が「本当にマンガみたいに落ちていた。」と証言していた。
オイルと蜂蜜を使ったマッサージはうっとりと快適だったそうだけれど、ベッドを壊すだけの力を込めていたせいか、翌日には「もみ返しが出たみたい。」とおっしゃっていた。
レストランゲルで食後ものんびりしていたら、ガイドさんから、一昨日ツァガンスムに来る途中で寄らせていただいたゲルのお父さんが作ったチェスの駒を一つ3ドルでいかがですか、という話があった。モンゴルバージョンのチェスの駒は五つあって、馬と羊とらくだの3種類ある。
そのときには、もうゲルに戻った方もいらしたので、きっとみんな欲しがるだろうから全員が揃ったところでジャンケンをしましょう、という話になった。
モンゴルでは、曇っていた方が朝焼けも夕焼けが綺麗な色に染まるように思う。この日も雲がピンクに染まってとても綺麗だった。
夕食後、このツーリストキャンプに、ガイドとドライバーと乗馬ガイド二人の5人で旅している日本人旅行者がいらした。デールを着ていたので最初は日本人だとは気がつかなかった彼らと、いつの間にか、レストランゲルで大写真撮影大会になった。
さらにその後、彼らのゲルに何人かでお邪魔して、飲み会に参加させてもらった。何故だかやけに乗馬コーチの男の子に気に入られてしまい、「こんなにモテるんだったら、モンゴルに移住しようかな」というくらい「モテる」気分を味わった。
私よりもさらに積極的に気に入られていたツアーの女の子は、お酒も強いらしく、指さし会話帳でコミュニケーションを取りつつクイクイいっている。「そろそろ帰ろうか。」という声に対して彼女が「どこに?」と答え、大笑いになった。
そんなこんなで、この日も就寝は0時近かった。
昼間から夕方にかけての曇り空が一転して星が瞬き、流れ星を三つ見られたのが嬉しい。
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