モンゴル旅行記7日目
2006年8月18日(金曜日)
前夜に「7時半朝食、9時出発」と言い渡され、7時頃に起き出した。この時間ではもう陽も昇っていてまぶしいくらいだ。
名残惜しく、ツーリストキャンプ内で咲いていたウメバチソウや、柵の外遠くに見えるヤクや、四阿の屋根に並んでいた(推定)雀の写真を撮って、キャンプ内をうろうろする。朝の冷たい空気が気持ちよい。
そういえば、ツァガンスムで霜が降りていたのは、最初に泊まった日の翌朝だけだった。
朝食を食べ始めた8時30分頃にはお腹はぺこぺこだった。
朝一番では青空も見えていた空は、何だかどんよりとした色になってきた。
ヤクがいた草原には、仔馬もいる馬の群れが遊牧民の少年に統率されて現れている。
昨夜添乗員さんから聞いたときには半信半疑だったけれど、荷物を積んでいる車のブレーキが利かないという話は本当らしい。
「貴重品をスーツケースなどに入れて荷物車に預けている人は、この車はどうなるか判らないので取り出しておいてください。」と言われる。そんなことをしていたのは私だけだったらしく、添乗員さんに荷物を降ろしてもらって一人で荷物を開く羽目になった。間抜けすぎだ。
このツーリストキャンプにこんなに人がいたのねというくらい大勢のスタッフが出てきてくれる。女の子たちはお揃いのスカイブルーのジャンパーを着ていて可愛い。乗馬コーチの男の子達の顔も見える。
みんなでツーリストキャンプ入口で記念撮影をした。すると、隣にいた乗馬コーチの男の子が何か言っている。ガイドさんが「虫がいるからじっとしていてくださいと言っています。」と言うので、大人しく彼らが髪から何やら取ってくれるのを待つ。
また何か言われて意味が判らなくてじっとしていると、またもガイドさんが「こっちを見てくださいと言っています。」と言う。虫なんて見たくないよと思いつつそちらに視線を向けたら、乗馬コーチの男の子が嬉しそうに笑って白髪を示した。
「いいんだよ、そんなもの発見しなくても! もう!」と拳を振り上げるマネをする。
彼らが何をしようとしているのか知っていただろうに「直訳」してくれていたガイドさんもガイドさんだ。
バスは10時30分くらいにツァガンスムのツーリストキャンプを出発した。
来るときはもう少し時間がかかったような気がするけれど、2時間くらいでカラコルムの街に戻った。そのまますぐ近くにあるツーリストキャンプで昼食だ。
このツーリストキャンプはかなり大きいようで、レストランゲルも立派だ。
昼食のメニューは、前菜にニンジンのサラダと大根のサラダ、ミネストローネ風のトマト味のスープ、ビーフカツレツ(衣はカツというよりも天ぷらの衣の卵を多くした感じ)にジャガイモとキュウリとライスが付け合わせについている。どちらかというと、西洋風というかツーリスト向けのアレンジが強いと言えると思う。
このツーリストキャンプのすぐそばに丘があり、そのてっぺんに巨大なオボーがモニュメントのように立っていた。ガイドさんが連れて行ってくれると言うので、ほとんど全員が登ったと思う。
5〜10分くらい結構急な坂を上る。昨日までの乗馬でボロボロになった私の足腰にはかなりきつい。またしても「お先にどうぞ。」と元気な方に道を譲り、ゆっくりと歩く。
登りきると、小さなオボーがいくつか立ち、丘の向こうには川が流れているのが見えた。ツァガンスムでの乗馬の際に渡った小川を除くと、モンゴルで川を見たのは初めてのような気がする。
丘の尾根づたいに少し歩き、巨大なオボーに到着した。このオボーの周りには、アジアの大きな地図が3枚タイル画のような感じで描かれている。
ガイドさんによると、モンゴル人が建てた三つの国の地図だそうだ。その三つの国の名も教えてもらったけれど、どうしても思い出せない。
突厥とモンゴル帝国とあと一つはどこだっただろう?
3枚の地図に囲まれたオボーは、てっぺんに旗も立ち、何というのか、完成したオボーだった。
周りに石など落ちていないし、落ちている石を投げようにも平べったい石をきっちり積み上げてあって投げる隙間がない。
そういえば、今までは誰かの後について回っていたので、オボーの周りを回るのにどちら向きに回るのか考えたことがなかった。ガイドさんに時計回りに回るのだと教えてもらった。
このオボーのすぐそばでは、テーブルを並べて露天のお土産物屋さんが開店していた。
そちらに目を向けると、カラコルムの街に雲の影が落ち、さらにその向こうにエルデニゾーの白い壁に仏塔が並んでいるところが見える。
ツアーの方がこの露天で買ったブレスレットが、華奢で繊細な感じでとても可愛かった。
ゆっくりお昼ごはんを食べて丘の上まで登ったら、あっという間に2時間以上がたっていた。
バスですぐのところにある、エルデニゾーに向かう。
エルデニゾーは16世紀に建てられた寺院で、かつてモンゴル帝国の首都だったハラホリンの宮殿で使われていた建材を流用して建てられている。
若い女の子の日本語ガイドさんがかなり流ちょうな日本語で様々な建築の様式や仏像や仏画の説明をしてくれた。さっぱり覚えていなくて申し訳ない。
エルデニゾーの内部について私が確実に言えることは、西門を入ってすぐ左手のお土産物屋さんはかなり広くて充実していてお手洗いも清潔だったことと、建物の外観は撮影自由だけれど内部を撮るには料金が必要なこと、大日如来や薬師如来などにモンゴル独特の「**の神様です。」という説明がついていたことくらいだ。しかも、この**の部分がどうしても思い出せない。
元々、宗教にも仏教にも詳しくない私は、「面白いデザインだ」とか「立派そうだ」「意味ありげだ」という感想しか出てこないし、そういう目で見ていたということは自分で撮った写真を眺めると一目瞭然だ。
例えばこの写真は、漢民族式建築によるゴルバン・ゾーのうちのどれかだということしか覚えていないし、この写真に至っては、多分、漢民族式建築のお寺のどれかの屋根にあったような気がするということしか覚えていない。
漢民族様式のお寺(左)があり、ゾボルガン塔を挟んで、チベット式建築のラブラン寺(右)がある。
ゾボルガン塔の手前にある塔に描かれている文様には意味があって、モンゴル国旗にも使われている。
天と地、男と女など対になるものの意味が含まれているという説明だったと思う。
ラブラン寺には大講堂があり、そこでは僧が今も勤行に励んでいる。私たちも、勤行が今終わったところで掃除中なので見学は少し待ってくださいと言われた。
その待ち時間にラブラン寺の大講堂の手前左右にあるお土産物屋さんに行く人が多かった。
私は休憩に外に出てきた少年僧の笑顔があまりにも可愛かったのでついこっそりと写真撮影してしまった。
ラブラン寺の大講堂の中はお寺と学校が合体したような感じだった。
隅っこに「一周回すと全てのお経をあげたことになる」らしい輪蔵(だと思うけれど、モンゴル仏教でもそういう名前かどうかは不明)があり、やけに軽々と回すことができた。
ご本尊がある辺りにはたくさんの仏像が並んでいたと思う。
エルデニゾー専属日本語ガイドさんの説明はここまでで、20分くらいのフリータイム、集合は入って来た門のところになった。
ここまでお寺に沿って端の方を歩いてきたので、私は真ん中近くを歩いて戻ることにした。衣装をつけて写真を撮るサービスをどこかでやっているらしく、3歳くらいの男の子がチンギス・ハンの扮装をしているのが可愛い。
西門についていたノッカーにもブルーの布がはためいていたし、恐らくエルデニゾーの敷地ほぼ中央にあったこの写真の物(意味や名前はよく判らない)にもブルーの布が結ばれていた。
チベット仏教では黄色が貴色だけれど、モンゴル仏教では青色が貴色だそうだ。そのブルーで飾られているのだから、何かの意味があると思う。知識がないのが残念である。
門を入ってすぐ左手にあったお土産物屋さんを覗き、お手洗いを借りた。
ツアーの方が前にエルデニゾーに来たときに、カラコルムの街で美味しいアイスクリームを食べたからまた食べたいとおっしゃる。エルデニゾー近くのお店で名前や場所はよく判らないらしい。そのときのドライバーさんが連れて行ってくれたそうだ。
これだけの情報で、見事に今回のドライバーさんは近くにあったお店に連れて行ってくれた。
そこはスーパーマーケットとよろずやを足して2で割ったような感じのお店で、アイスクリームはソフトクリームの形をして、無造作にケースに詰め込まれていた。包装はアイスクリームのてっぺんに直にシールが貼ってあるだけだ。
言い出しっぺの方を含め何人かがアイスクリームを買って食べていらっしゃった。私も一口いただいたらカチンコチンで、アイスクリームというよりもアイスクリンという感じで、さっぱりしていて美味しかった。
カラコルムの街を出発したのは16時30分くらいだった。
今日宿泊するブルドのバヤン・ゴビ・ツーリストキャンプは地球の歩き方にも載っている。今、見直してみたら確かに「ハラホリンから車で2時間弱」と書いてあった。しかし、そのときの私の頭には「カラコルム遺跡へのベース地に当たる」という文章しか残っておらず、すぐ到着すると思っていた。
そう思っていると道のりは長い。
バヤン・ゴビ・ツーリストキャンプには18時15分くらいに到着したから確かに2時間弱しかかかっていないのに、やけに長く感じてしまった。
ツーリストキャンプに到着してからゲルを割り振ってもらうまで時間がかかり、レストランゲルで待機した。
前にこのツーリストキャンプに宿泊したことがあるという方が「このツーリストキャンプは規模が大きい部分、あまり小回りが利かない。」と言っていらしたとおりのようだ。
ふと思いついて、地球の歩き方の地図を広げ、ドライバーさんに頼んでこれまでの宿泊地を書き込んでもらった。
20時頃からポテトサラダと、牛のシチュー(にんじんとビーツのサラダとライスが付け合わせについている)の夕食になった。
夕食のとき、最初に私たちのテーブルにこのシチューの皿が並べられ、でもすぐ下げられてしまった。
何故? と騒いでいると、ライスの盛りが倍になって再登場したので、「よっぽど大食いに見えたんだね。」「私たち、これじゃ少ないって顔したかな。」と大笑いになった。
このツーリストキャンプにもお土産物屋ゲルがあった。
夕食後、何人かで行ってみる。夕食の間に降り出した雨の中、レインポンチョを羽織って走る。結構な降りだ。モンゴルに来て初めての本格的な雨かもしれない。
石を使ったアクセサリーや、ゲルのミニチュア、草原を描いた水彩画などが売られている。私はここでTシャツを14400Tで購入した。ウランバートルのノミンデパート5階にデザインが同じで色違いのTシャツが売っていて、そちらの方が安かったけれど、まぁいいだろう。
お店にいた女性と彼女のお子さんだと思われる男の子達と記念撮影をする。
その後、同じゲルの方とシャワーを浴びに行った。
このツーリストキャンプのシャワーはスポーツクラブのような感じで個室になっていて、シャワーを浴びるスペースと着替えるスペースが別になっている。椅子も置いてあるし、お湯も十分に出る。確かこのシャワー室が三つあったと思う。
困ったのは帰りで、暗いし雨が降っているしゲルはたくさんあるしで、どこが自分のゲルだか判らなくなってしまい、いったんレストランゲルに行き「確かさっきはこの方向に帰った」などと確認してやっと自分のゲルに戻ることができた。
このトイレ&シャワー棟との往復にレインポンチョが大活躍した。傘よりも断然濡れずに済んで便利だ。「何故持ってきてしまったのだろう」と思っていたけれど、この数時間の活躍で持って来た甲斐もあったというものだ。
そういえば、これまではずっとゲルに備え付けられていたサンダルを履いていたけれど、このツーリストキャンプのゲルにはサンダルがなかった。「持ってきてね。」とお願いしたものの結局出発まで持ってきてもらえなかったので、持参したビーチサンダルもここでやっと日の目を見た。
ゲルの天井を叩く雨の音をやけに強く感じながら、眠りについた。
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