録画した「NHK スペシャル 失われた文明 インカ・マヤ 第1週」を見る
先週の日曜日(2007年7月1日)から3週連続で放映されている、「NHK スペシャル 失われた文明 インカ・マヤ」という番組がある。
今日が第3週の放映日なので、その前にと思い、ビデオに録っておいた、第1週「アンデス ミイラと生きる」を見た。
これは、少なくともテレビ番組は放映された順に見た方が良かったかも。
やはり、タイトルは「アンデス・ミイラ」なのだけれど、インカ帝国がそれまで沿岸部の砂漠地帯にあったミイラ文化を受け入れ、アンデス山中に伝えていった、その役割と過程をひもといている。
インカ帝国が80もの言語の違う民族を50年の間に束ね、200人にも届かないスペイン人に破られた理由は「ミイラ」にあった、というとらえ方をしている。
乾燥した砂漠地帯では、そもそもは自然に死体はミイラとなっていたのだそうだ。
2500年くらい前から南米西岸部にはミイラ文化があったという。家の中に置かれて生前と同じように世話をしたり、死後の世界で飢えないようにとたくさんの食べ物とともにお墓に葬られたりしていたのだそうだ。
そのミイラ文化を取り入れたインカ帝国では、皇帝が亡くなるとミイラとし、生前に世話をしていた貴族達がそのままミイラの世話に当たり、皇帝が支配していた富もそのまま受け継いだのだという。
先代から相続ができない新皇帝は自らの権力と富を手に入れるために他部族を制圧するしかない。
そうして、短期間でインカ帝国が拡大していったのだという。
また、「死者に守られている」他部族のお墓を暴き、変わりにインカのミイラを据え、精神的な支えを取り上げることで制圧していったというのだから、何だか悪辣極まりないんじゃないかという気がする。
他部族にとっても、ミイラとなった人にとっても、その遺族にとっても、あんまりなやり方なのではないかと思ってしまった。
スペイン人がやってきたとき、インカ帝国はそもそも内乱が起きていたのだそうだ。
当時の皇帝が、ミイラの持つ財産を全て取り上げて皇帝のものにすると布告し、ミイラを守ってきた貴族達が反乱を起こしていたのだという。
スペイン人が僅かの人数でインカ帝国を滅ぼしたのは、この内乱につけこんだからでもあるらしい。
そう聞いて、何だか納得がゆくように思った。
第2週の「マチュピチュ 天空に続く道」よりも、こちらの方が興味深かったし面白かった。
やっぱり、第1週から見るべきだったかも知れない。
「失われた文明 インカ・マヤ・アステカ」の公式Webサイトでブログパーツが配信されていたので、日光華厳の滝に代えて飾ってみることにした。
昨日から開催されている、「インカ・マヤ・アステカ展」にもぜひ行ってみようと思っている。
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