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2007.08.30

プレミアム10「プロが選ぶ! 世界遺産ベスト30」を見る(予定)

 NHK総合で毎週金曜日22時から放映されている「プレミアム10」という番組で、2007年8月31日に「プロが選ぶ! 世界遺産ベスト30」というテーマが取り上げられる。

 現在、世界に851ある世界遺産の中から、ツアーコンダクターなど「旅のプロ」が勧めるベスト30を紹介するという番組のようだ。
 NHKの公式Webサイト内、「プロが選ぶ! 世界遺産ベスト30」のページを見ると、「プロが選ぶ!」と銘打っているだけあって、かなりマイナーな世界遺産も紹介されるらしい。

 明日は、放送時間までに帰ってきて必ず見ようと思う。

2007年8月31日(金曜日)22時から
NHK総合 プレミアム10

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2007.08.29

「グアテマラの弟」を読む

 女優の片桐はいりが、グアテマラの女性と結婚し、グアテマラで暮らしている弟を訪ねて、グアテマラに旅行する。
 でも、旅行記というよりは、やっぱり「弟を訪ねた」旅の記録、と書いた方が何だかしっくり来るし、グアテマラにいる弟も含めた家族の記録、と書いた方がもっとしっくり来るようだ。
 
 この本、実は表紙がかなり好きだったりする。
 同じ著者の「私のマトカ」の表紙は北欧っぽいし、この「グアテマラの弟」はいかにもグアテマラ・レインボウといわれる織物を想像させる。

 この本を読んで、観光的なことを学んだのは唯一「ボルカン・デ・アグア(グアテマラ富士)を望むアンティグアの市場の横にある広場はお勧めのスポットである」ということである。
 もっとも、この富士山は、アンティグアの街の大抵のところから見ることができ、現在地と方向を知るのに非常に有効だそうだ。

 

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2007.08.24

「メガロマニア 第2回」を読む

 NHKスペシャル「失われた文明」の本が「インカ」「アンデス・ミイラ」「マヤ」と3冊出たと前にココログにも書いて、でも、それっきりなかなか読めないでいる。
 
 この3冊に紀行エッセイを寄せている作家の恩田陸が、NHK出版のサイトで「メガロマニア あるいは「覆わされた宝石」への旅」というタイトルで紀行エッセイを連載している。
 ふと気がついたら、その第2回が配信されていた。

 「・・・、マヤは太陽と星の文明なのだった。」という一文が素敵だ。

 第3回が待ち遠しい。

NHK出版の公式サイト内、メガロマニア−あるいは「覆わされた宝石」への旅−のページはこちら。

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2007.08.21

日光旅行記2日目

2007年6月11日(月曜日)


 7時に起床した。窓から外を見ると晴れているようでほっとする。
 8時から朝食である。8時30分にはチェックアウトして45分過ぎくらいに来る筈のバスに乗りたかったので、朝食前に荷造りを終えた。
 もっとも、荷造りといっても、この後華厳の滝を見に行くつもりで元々が最低限に抑えてあるから、ユニクロのリュックひとつだ。


 8時少し前に朝食に下りて行くと、お散歩に行っていたのか、外から何人かの方が帰ってきた。昨日の夕食は3組だったけれど、倍以上の方が宿泊していたようだ。
 熱々焼きたてのクロワッサンと、黒パン、バター、ジャム、チーズとベーコン入りのスクランブルエッグ、ツナと豆入りのマカロニサラダ、グリーンサラダにコーヒーというメニューだ。ふわふわのスクランブルエッグが美味しい。もちろん完食した。


ペンション木馬 8時30分にチェックアウトをお願いし、昨日の夕食でいただいた白ワイン代を含め、一泊二食付き9300円也を支払ってペンション木馬を後にした。
 バス停へ急ぐ。
 バス停に行く途中、金谷ホテルのベーカリー兼カフェを見かけ、こちらで朝食にしても良かったなと思う。昨日のランチもそうだし、金谷ホテルの経営するショップが日光市内のあちこちにあるようだ。


ロープウエイから バス停の道路を挟んだ向かい側は高校で、バスが到着する度に高校生がぞろぞろと降りてくる。
 それを眺めている内に、湯元温泉郷行きのバスが来た。このバスで明智平まで上り、そこからさらにロープウエイで上がった展望台から華厳の滝を眺める計画である。


 9時過ぎには第2いろは坂を上り切って明智平に到着し、往復710円のチケットを買って、「お客さんが来たら動かす」というロープウエイに乗り込む。
 月曜ということもあり、がらがらだ。
 乗り場のおじさんが「眺めはいいよ。ちょっと今は雲がね・・・。」と言うように、起きたときには雲一つなかった空は、逆に青空がかすかに覗く程度にまで雲が広がってしまっているのが心配だ。


明智平から それでも、ロープウエイが到着した展望台からの眺めは最高だった。
 中禅寺湖から流れ落ちる華厳の滝がバッチリ見える。
 湖の青と、山の緑と、滝の白さのコントラストが美しい。
 蛇足ながら、真ん中に写っている太い真っ直ぐな滝が華厳の滝で、右の方に少し斜めに落ちているのが白雲の滝である。


 ここを明智平と名付けたのは天海僧正である。天海僧正の正体は実は明智光秀で、日光で一番眺めのよいこの場所に「明智平」と名付けることで自分の名前を長く残そうとしたと伝えられているという話は眉唾物だと思うけれど、そう言いたくなる気持ちも判る。
 風は冷たいくらいで気持ちがいい。


 第2いろは坂は上り専用の坂である。中禅寺湖から明智平までの間だけは対面通行となっていて、中禅寺湖畔からも車で明智平まで来ることができる。
 ただ、中禅寺湖から日光駅に向かう路線バスは明智平は停まらない。朝のうちに明智平から華厳の滝を見ようと思い、中禅寺湖畔ではなく日光市内に泊まったのは正解だった。
 公共交通機関で旅するのも楽ではない。もちろん、それが面白くもある。
 次のバスが来る9時53分まで、中禅寺湖と華厳の滝の眺めを満喫した。


男体山 雲がどんどん広がってきて、男体山山頂はすっぽり雲で覆われてしまった。
 遠く、中禅寺湖に遊覧船が出ていくのが見える。
 男性ばかり20人くらいの団体や、年配のご夫婦、韓国からの家族連れなど、次々と人が上がってくる。平日の有り難さで混雑というところまでは行かない。


 ロープウエイ乗り場のお兄さんに、「ここから中禅寺湖畔までハイキングコースがあるよ。」と教えてもらった。「どれくらいかかりますか?」と聞いたら茶ノ木平まで1時間半、そこから中禅寺湖までがやはり1時間半だという。昔は茶ノ木平から中禅寺湖までロープウエイがあったけれど、今は動いていない。
 ちょっと惹かれたけれど、荷物一式を持っているし、昨日の雨で道がぬかるんでいるだろうし、初志貫徹で当初の予定通り行くことにして、ハイキングは断念した。


 明智平バス停まで行くと、先ほど上の展望台で見かけた一家がバスを待っていた。
 しかし、バスが来ない。
 まさか行っちゃったわけじゃないだろうな、ここでバスに乗り遅れたら全ての予定が狂うんだよな、午後の予定を中禅寺湖畔の散歩に切り替えようかしらと思っていたら、10分遅れでバスが上ってきた。
 見ると、修学旅行らしい何台かの観光バスの後ろについている。
 やはり、毎日いろは坂を上り下りしている地元のバスの運転手さんの技術に一日の長があるようで、遠目に見ても修学旅行観光バスの運転はよたよたしている。


華厳の滝 10時過ぎに中禅寺温泉に到着した。
 10時30分中禅寺温泉発のバスで日光駅まで戻るつもりなので時間がない。華厳の滝観瀑台に向けてダッシュする
 バスが遅れたこともあって、流石にエレベーターに乗る時間はない。ちなみに、エレベーターの開業は昭和5年である。
 やはり平日の特権で、上下二段になっている観瀑台にも人はまばらだった。
 滝の正面を占拠して写真をたくさん撮る。
 いっそのこと「鬱蒼とした」と言いたいくらいの緑の中を白く太く真っ直ぐに落ちる滝はやっぱり圧巻である。好みとしては、どちらかというと神聖な雰囲気を醸し出している那智の滝の方が好きだけれど、華厳の滝はひたすら「真っ直ぐ」な感じがいい。


落ち口滝壺


 そして、何しろ華厳の滝は、観瀑台からの距離が近い。滝の落ち口をのぞき込んだり、滝壺をのぞき込んだり(こちらは、エレベーターで下がればもっと迫力があったに違いない)、15分間たっぷり「華厳の滝 近景」を堪能した。


 中禅寺湖畔には一歩も近づかないまま、10時30分中禅寺温泉発のバスに乗り、東武日光駅に戻った。
 路線バスの運転手さんの手腕は第1いろは坂下りでも鮮やかで、ヘアピンカーブがぐーっっと迫り、バスの長い車体がぐるっと回転し、一瞬、道路からはみ出したんじゃないかと錯覚するくらいのギリギリのラインを回って、何ごともなかったかのように真っ直ぐに下る。
 その繰り返しだ。
 なまじのジェットコースターより怖い」と思いながら逆に怖くて目をそらすこともできず、大きなフロントガラスからカーブのたびにこの妙技を凝視した。
 坂を下りきってから、動画で録っておけば良かったと思いついた。


 バスは11時過ぎに東武日光駅に到着した。いい調子である。
 どうして日光2日目がこんなに慌ただしすぎるスケジュールにしたかというと、この後、11時22分発の日光市営バスに乗って間藤に向かい、そこからわたらせ渓谷鉄道に乗ろうという目論みのためである。
 この市営バスは一日に4本しか走っていないので、このバスの時刻を最優先にしてスケジュールを組んだ。


 ところが、この日光市営バスの乗り場が見当たらない。
 駅の観光案内所のお姉さんに聞いたら、「判りにくいところにあるんですよね。」と言いながら、わざわざ外に出てきてバス停の位置を教えてくれた。
 路線バスが少し早く11時過ぎに着いたので、お昼ごはんの駅弁やお茶のペットボトルを買い、家のお土産に生湯葉などを買い、やってきたマイクロバスに乗り込んだ。


 東武日光駅から、わたらせ渓谷鉄道の間藤駅まで、日光市営バスの乗客は私一人だった。
 このバスの終着は双愛病院で、てっきり「市民の足」的に使われているバスだと思っていたら、車内では日光や足尾銅山などの観光案内がテープで流れていた。もしかしたら、観光客が乗ることの方が多いのかも知れない。


 間藤駅で1100円也を支払ってバスを降りた。
 間藤駅はわたらせ渓谷鉄道の終着駅である。かつ、鉄道ファンの方の間では、宮脇俊三氏が国鉄完乗を果たした駅として知られているようだ。「時刻表2万キロ(宮脇俊三著)河出文庫」の一節が書かれた紙が張り出され、鉄道ファンの方々が書き込んでいるらしいノートが待合室に置かれている。
 また、この駅を見下ろす崖には、ときたま、ニホンカモシカが現れるらしい。


お弁当(中)


 しかし、12時を過ぎた。まずはお昼ごはんである。
 この駅には待合室にベンチもあるし、ホーム脇にもイスとテーブルが置いてある。
 作業着を着ている方も外のテーブルでお昼ごはんにしていたので、自分一人じゃないことに少し安心し、日光駅で買って来た「ゆば御膳」という駅弁(1050円)を広げる。
 薄味のきのこごはんや、ゆば、ますの焼いたものなど、定番のお弁当が美味しかった。ちょっとご飯の量が多いなと思いつつ完食する。


間藤駅 お弁当を食べているうちに、電車が入ってきた。
 間藤駅が少しだけ賑やかになる。
 一両編成の電車は小豆色で可愛らしい。運転手さんを含め乗っていた方のほとんどがここでごはんを食べ、乗ってきた電車でそのまま引き返すようだ。
 私が言うのも何だけど、マニアックである。


 運転手さんがお昼ごはんを食べ終わった頃を見計らって、声をかけた。
 途中の水沼駅で駅に隣接している温泉に入って日光旅行を締めくくる計画で、そのためには「途中下車ができる」切符を手に入れる必要がある。無人駅の間藤駅から乗るので、運転手さんに頼るしかない。
 その旨を申し出たら、「切符、持ってないのかぁ。」としばらく思案し、車内の機械を何やら操作して「精算済み証」を発行してくださった。
 「水沼で降りるときは俺がいるから、相老で降りるときに、前の電車の運転手にこうしろって言われたって言ってね。」ということだった。有り難い。


 そんな話をしていたせいか、地元の方らしい年配の女性が「この辺りだったら、庚申の湯もいいですよ。」と話しかけてくれた。この辺りで宿泊するなら「かじか荘」だという。
 後で調べたところによると、かじか荘は平成18年(2006年)にリニューアルした国民宿舎で、足尾銅山観光の基地となる通洞駅から送迎バスで15分ほどのところにある。


トロッコ電車 間藤駅発12時45分のわたらせ渓谷鉄道の乗客は、私を含めて4人だった。
 電車は、隣の足尾駅で、トロッコ列車の待ち合わせをするという。
 「降りても構わない。」と言ってもらえ、乗りそびれたトロッコ列車の、せめて写真だけでも撮影した。
 運転手さんが「ガラガラだよ。」と事前に教えてくれたとおり、本当にガラガラだった。少なくともトロッコ客車には一人の乗客もなかった。もっとも、観光客は一つ手前の通洞駅で降りてしまった可能性が高い。


 「かじか荘」を教えてくれたおばさまは、その後足尾銅山が最盛期を迎えていた頃の足尾の話などもしてくださり、私が一人で日光に旅行に来て、午前中に華厳の滝を見に行ってきたと言うと「凄いわねぇ。」とえらく感心してくださった。
 あまりにも感心されてしまい、ちょっと気恥ずかしい。
 せっかくお話が佳境に入ったところで「足尾市役所に行くのよ。」と、足尾駅の隣の通洞駅で降りられてしまったのがちょっと寂しかった。


電車と川 通洞駅から神戸駅までは、進行方向右側にわたらせ川が来る。リュックと上着を置き去りにして右側の座席に移動し、窓を開け、カメラを出して適当にシャッターを切る。我ながらやりたい放題だ。
 わたらせ渓谷鉄道のマニアらしい男性が「もうすぐ坂東太郎岩だ。」と教えてくださる。結構近い位置にあったので上手く撮れず残念だ。確かに大きな岩に「坂東太郎岩」と書かれている。
 運転手さんの解説によると、その昔、利根川から岩を運んできた天狗が、この場所であまりの岩の重さに挫折し、岩を置き去りにしてしまったそうだ。
 何とも締まらない天狗である。


わたらせ渓谷 神戸駅から先では、電車の左側にわたらせ川が来る。大量の中学生が乗り込んでくる寸前、運転手さんが目顔で「席を移れ。」と教えてくれたので、間一髪、左側の席に陣取った。
 この辺りからは川の流れも緩やかになる。
 神戸駅には電車の車両を利用したレストランがあって結構美味しいらしい。温泉とはかりにかけて温泉を選択し、私は水沼駅で途中下車した。
 運転手さんが降り際に再度「精算済み証を失くしちゃっだめだよ。」と注意してくれる。親切ないい運転手さんだった。大感謝である。


 水沼駅には「水沼温泉センター」が併設されている。本当にホームからすぐ、温泉センターの建物に入ることができる。
 入湯料500円を支払って温泉に向かう。見回した感じではタオルなどを売っている様子はなく、「重いかも」と思いつつ持ち歩いてきた甲斐があった。
 今月末から改装が予定されているためか、集客力の問題か、かっぱの湯という大きな露天風呂は週末だけの営業だった。残念である。
 でも、内湯にも小さな露天風呂が併設されている。 


女湯入口 最初の15分くらいは貸し切り状態だった。
 そのうち、何人か地元の年配の女性がいらした。「毎週来ている。」という方もいたし、「妹夫婦が来たから、星野富弘美術館に案内してその帰りに寄った。」という方もいる。
 週末ともなると、星野富弘美術館はもちろんのこと、この温泉センターも芋の子を洗うような状態になるそうだ。
 毎週来ている方は長湯がお好きで、2時間くらい入っていないと「お風呂に入った」という気がしないとおっしゃる。その間、旦那様はマッサージを受けているという。
 私は30分、足湯にしたり肩まで浸かったりを繰り返し、のぼせそうになったので上がった。


 お風呂から上がって、売店で物珍しさについ買った「塩味こんにゃくアイス」を食べる。
 露天風呂に行く途中の営業していないカフェスペースのようなところで勝手に机とイスを借りる。
 風が通って気持ちがよい。
 空は雲一つない晴天である。ついでに書くと、日光でもこの日は午後から晴れ上がったらしい。


 ぼーっとしていたら、電車が入ってくる気配がした。
 慌てて立ち上がり、ゴミを捨て、サンダルを鍵付きの下駄箱から取り出してつっかけてホームに走る。
 間一髪、予定していた電車に乗ることができた。
 14時57分だと思い込んでいた発車時刻が、実は14時51分発だったというオチである。


 ほっとして見回すと、この電車はやたらと混雑していて、立って乗っている人までいた。
 聞くともなく話を聞いていると、ツアーでいらした方々のようだ。足尾銅山観光をし、星野富弘美術館に行き、神戸駅のレストラン清流でごはんを食べ、わたらせ渓谷鉄道に乗って帰って来たのだろう。女性ばかりの集団はとても賑やかだ。
 水沼駅から大間々駅までの渓谷美もなかなかだ。混雑している電車がちょっとだけ恨めしい。
 温泉で会った女性によると、昨日の大間々近辺は雷混じりの大雨で、トロッコ列車は走らなかったくらいだそうだし、きっと川も増水で迫力を増していたのだろう。


 一両編成だったわたらせ渓谷鉄道は、大間々駅でドッキングして二両編成に変身した。
 大間々駅から桐生駅までは市街地を走る。乗っていた感じではここで特に乗降客が増えはしなかったから、あるいは、夕方のラッシュに向けた編成なのかも知れない。


相老 相老駅でわたらせ渓谷鉄道を降りる。
 「精算済み証」をどうやって説明しようかと迷っていたら、車掌さんが先に「水沼駅で乗った方ですね。」と言ってくださり、私は頷くだけで済んでしまった。間藤駅から乗った電車の運転手さんが、後ろから来る電車に連絡しておいてくださったらしい。本当に親切に大感謝である。
 二両編成のわたらせ渓谷鉄道が終点に向けて出発していくのを陸橋から見送り、私の日光旅行は終了だ。


 この後は、リュックを背負ったどう見ても「遊びの帰りです」という格好で学校帰りの高校生に囲まれ、東武線を乗り継ぎ乗り継ぎして自宅まで帰った。
 何とも締まらない旅の終わりだった。


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2007.08.19

熊野古道同窓会その2が開かれる

 昨日、新大久保の伝統韓国料理 伝統茶 韓サランで行われた、2006年のGWに行った熊野古道旅行のミニ同窓会その2に行って来た。
 女性3人のミニ同窓会である。
 私以外のお二人は、歌舞伎座の昼公演を一幕見して、シフォンケーキでお茶してからの参戦だったそうだ。私は、パルコ劇場でお芝居を見てから直行した。

 そういうわけで、このメンバーが揃うのは3回目なのだけれど、概ね、旅行の話よりもお芝居の話がメインになってくる。
 お昼に見たそれぞれのお芝居の話、狂言界の話、テレビでやっていたという紀伊國屋ホールがあめくみちこさんの「ほっとする場所」だという話、熱海のMOA美術館で行われた能(野外でかがり火をたいて行うらしい)の話、勘三郎の娘役が本当に可愛らしいという話などなど、日本伝統芸能に疎い私は聞いていてとても楽しい。

 お一人がこの夏に東北旅行をされていて、その写真を持ってきてくださっていた。4泊5日で東北一周という感じの旅行だ。毛越寺(これで「もうつうじ」と読むそうだ)の宿院をお勧めしていただいた。中尊寺から3kmのところにあるそうだ。国内旅行行きたい場所に追加しておこうと思う。
 朝5時に起きて蓮の花を見に中尊寺に行き、7時からのお勤めに間に合うように全力疾走で戻って汗だくで住職のお話をお聞きした話から、時刻表で**駅でバスを乗り換えると書いてあったのでそこでバスを降りて待っていたら、そこまで乗ってきたバスがこの駅で行き先を変えて乗り換えるのだと思っていたバスに変身していたなどの東北地方の公共交通機関がヤクザな話まで、場数が違うという感じである。

 香港でタクシーに乗っていたらメーターがもの凄い勢いで上がっていって、後部座席で「おかしいよね」と言い合っていてもドライバーは知らない振り、助手席にいた関西出身のお姉さんが「これ、高いんちゃう」と凄んだらメーターは上がらなくなったけど、途中で降ろされてしまった話、それは実は香港のタクシーの中にはペダルを踏むとメーターが上がるようになっている車もあるという話、中華料理レストランで日本語メニューと広東語メニューでは同じものでも値段が違っている話、などなど、やっぱり場数が違うという感じである。

 お土産もたくさんいただいてしまった。いつもいただくばかりで申し訳ないことである。

 それにしても、お二人とも、相変わらず多趣味で多芸だ。食べることが好きなだけとおっしゃるが、お二人ともお料理の腕も相当なものと見た。
 私ができるのは「**ができない話」ばかりなのが情けない。日頃の自分の怠惰な生活振りを思い返してしみじみと反省してしまった。

 でも、とても楽しかった。

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2007.08.12

日光旅行記1日目その2

2007年6月10日(日曜日)

二荒山神社へ 東照宮から二荒山神社に向かったのは16時近かった。やはり、2回の雨宿りが痛い。
 東照宮から二荒山神社に向かって広い真っ直ぐな砂利道が伸びていて、迷いようもない。
 この道も石灯籠が並び、石垣が見え、杉の木が並ぶ、とても歩いていて気持ちのよい場所だった。さらに鳥居をくぐって、二荒山神社の境内に入ったときは、あまりの清々しさに驚いた。
 この写真だと私が受けた印象がほとんど伝わらないのが残念だ。

二荒山神社" これまで東照宮の、ある意味ゴテゴテきらきらした建物をずっと見ていたからかも知れないし、雨のせいかも知れない。だだっ広い、小砂利が敷き詰めてあるだけの境内に本当に「清々しい」としかいいようのない空気が満ちていた。
 本殿が背負っている杉の森の上の方には霧がかかり、さらにその雰囲気を強める。
 拝殿まで上がることができ、この建物自体もがらんとしていて、驚くほど飾り気がない。時間があったらここでずーっとぼんやりしていたいと思わせる空間だ。

 境内には、三本杉や親子杉、夫婦杉などの杉の巨木・老木がある。
 正面の鳥居を出て道を下る途中に縁結びの木があった。もっとも、それが杉の木だったかどうかすら覚えていないくらいだから、私はきっと縁結びのご加護はいただけないだろう。
 夫婦杉らのご縁を望む人が多いらしく、二荒山神社のお守りには縁結びに関するものがたくさんあった。二人で一つずつ持つという可愛いお守りもある。考えてみるまでもなく渡す相手もいないので残念ながら購入は見送った。

神苑 二荒山神社では、神苑(別に拝観料200円が必要)に入って、二荒霊泉(できれば、二荒霊泉でたてたお抹茶)を頂きたいと思っていた。この後も行きたいところが色々あったし、入口から写真を撮っただけで断念する。この写真の奥に見えている鳥居のさらに奥に二荒霊泉がある筈だ。
 もう一つ残念だったのは、「ひとりたび1年生(たかぎなおこ著)」に書いてあった「二荒山神社で輪投げ」を見つけられず、チャレンジできなかったことだ。
 いつかリベンジしようと思う。

二つ堂 二荒山神社の表参道を下りたところの建物も拝観できそうだったので「いいですか?」とそこにいたおじさんに尋ねたら、「これから見るところだったのか? 早く早く。」とせき立てられた。
 拝観は16時30分までで、そろそろ閉める準備を始めるところだったらしい。
 中に入れてもらって見せていただいたのに、記憶に何一つ残っていないのが申し訳ない。
 この二つ堂が輪王寺の建物であり、常行堂と法華堂を渡り廊下でつないであり、比叡山延暦寺とここにしかない珍しい様式の建物だということは、後になって調べて初めて知った。

 先ほどのおじさんに「大猷院も4時半までしか入れないよ。急ぎな。」と教えてもらい、慌ててすぐそこに見えている家光廟大猷院にダッシュして、何とか入れてもらうことができた。
 これで、少なくとも共通拝観券は全て使ったことになる。

 家光廟大猷院は基調となっている色が黒なので、金をふんだんに使ってあっても日光東照宮のような「ド派手!」という印象はない。
 もっとも、夕方の拝観時間ぎりぎりに入場したので辺りには人影もなく、だから余計に「幽玄」という雰囲気が強まっていたのかも知れない。

二天門 仁王門を抜けると、水舎が右手にある。水舎の天井には竜の絵が描いてあるものの、薄くなってしまっていて「竜の絵だったのだろうな」という感じだ。勿体ない。
 その向かい側の階段を上ったところが二天門である。人が通る高さくらいまでは比較的普通の門で、その上は装飾過剰と言いたいくらいに何だか頭でっかちに見える。
 この門は、日光山内で最も大きな門だ。
 「大猷院」と書かれた額が飾られていて、これも後水尾天皇の筆だという。
 この写真は、夜叉門の手前まで行ったところで上から見た二天門である。

夜叉門 家光廟大猷院は階段の多いところで、そこからさらに上がって夜叉門に到達する。
 家康を慕い尊敬した家光が死後も家康公にお仕えすると遺言したことから、家光の墓所がここに作られ、家光廟大猷院は日光東照宮の方を向いているという。「上から見下ろしては失礼だ」という発想はこの頃にはなかったのかも知れないし、東照宮の奥の院よりは低いところにあるのかも知れない。
 この夜叉門を見ると、黒と金と赤(と緑)が基調になっていることがよく判る。

 夜叉門から奥に見えているのが唐門で、その奥に拝殿・本殿と続く。
 拝殿までは上がることができ、行くことのできない本殿まで見通すことができる。すのこで靴を脱いだ記憶があるから、拝殿に上がったことは確かだ。しかし、とてもとても有名らしい、狩野探幽らが描いた唐獅子(壁絵)すら見た記憶がない。天井にド派手な竜の絵がたくさんあったことが薄ぼんやりと思い出せるだけだ。
 我ながら教養と素養のなさが情けない。

外観 東照宮では拝殿や本殿は外から全体像を見ることもできなかったけれど、家光廟大猷院ではすぐそばまで近づいて見ることができる。
 拝殿から見たときに廊下のように見えた相の間とその奥の本殿は、外から見ると実はこういう風になっている。
 誰の意思だったのか、どこまで行っても、黒と金と赤を基調とした建物群である。

皇嘉門 どこまで行っても基調色は黒と金と赤なのかと思っていたら、家光のお墓のある奥の院の手前の門だけは、何故か白が多かった。
 皇嘉門という。
 日光東照宮では奥の院まで入れてもらえたし、家康のお墓のかなり近くまで行けた一方で、家光廟大猷院ではお寺の人でも滅多に奥の院には入れないという。
 何だか、家康よりも家光の方が重んじられているのかも知れない、という気分になる。

 拝殿のところのすのこに座りこんでいる男の人は、荷物も持っていないし、お寺の方とお話ししているし、観光客には見えない。一体何をしている人なのだろうと思っていた。
 最後の入場者である私が出たことを確認し、門を閉める係の人なのだ。
 でも、急かすようなことは全くせず、私が階段の途中で立ち止まって写真を撮っていると、少し離れたところでやっぱり立ち止まって待っていてくださる。
 まだ閉門時間前でもあったので、有り難くゆっくりと家光廟大猷院を独り占めして堪能し、17時ギリギリに門から出た。

 本日の宿であるペンションには18時頃に行くと連絡してあった。あと1時間くらいある。
 ガイドブックを眺めていたら、西参道からペンションに向かう途中に憾満ヶ淵と百地蔵があることに気づき、そちらに寄り道していくことにした。

 日光田母沢御用邸公園入口のところでバス道路を外れて路地に入る。この公園はすでに門が閉じられている。その先は普通の住宅街だ。
 不安になって、関先で四方山話をしていた方々に「憾満ヶ淵はこっちでいいですか?」と道を尋ねながら歩き、史跡探勝路に入ることができた。
 もっとも探勝路に入ってから後の方が、何だか寂しい土の道だし、暗くなってくるし、歩いている人はいないし、案内も全くなくて不安になった。ニッコウキスゲの咲いている公園のようなところを通りかかったときは得した気分になったものの、途中で浄光寺に入り込んでしまったし、迷子になっていないかどうか、かなり不安だった。

憾満ヶ淵 JR東日本の駅で配られているフリーペーパー「旅ばあ〜ん」の2007年5月号でも日光が特集され、そこで紹介されていた憾満ヶ淵は白い水しぶきが上がる美しい川の絶景だった。
 でも、雨上がりはいけない。水はこんなに茶色く濁ってしまっていて水音も荒く、水音がお経のように聞こえるか確認することもできない。
 この川は大谷川である。
 手前に見えている四阿のようなところには外国人カップルが陣取っていて、お邪魔するにはちょっと勇気が必要だったので大人しく通り過ぎる。

百地蔵 憾満ヶ淵からすぐのところに百地蔵があった。
 浄光寺を通る辺りからお地蔵様が道筋に時折並んでいたので、その辺りから全てを含めて百地蔵なのだと思う。
 お地蔵様の数を数えると、行きと帰りとで数が違っているという言い伝えがあることから化け地蔵とも言われている。私は足早に先を急いでしまい、数えることはしなかった。

 曇り空の日も傾いた時間に見るお地蔵様はちょっと薄気味悪い。
 赤い頭巾や前掛けが妙に赤く見えて、化け地蔵と言われるようになったのは、たくさんあって数え間違えることが多かったせいだけではないに違いないと思えた。

大日吊橋 百地蔵を通り過ぎた後も散々迷い、お散歩していたらしいご近所の方に「この道を行って国道に出られますか。」と尋ね、やっと大日吊橋という名のやたらと立派な吊り橋を渡ってバス道路に出ることができた。
 バス道路には出られたし、宿泊予定のペンションがこの近くにあることは判っている。近辺にはホテルやペンションがたくさんあるのに目指すペンション木馬が見当たらない。
 とうとう音を上げてペンションに電話して場所を尋ねたら、車でお迎えに来てくださるという。有難い。
 実際は車で迎えに来てもらうほどの距離でもなく、辿り着いてしまえば非常に判りやすいところにあって、ペンションのご主人にはお忙しい時間帯だろうに申し訳ないことをしてしまった。

ペンションの部屋 寒いからとお部屋に暖房を入れてくださっていた。
 「迷子になったかも」と思いつつ足早に歩いていた私は既に汗だくで、慌てて切らせてもらう。
 もうちょっと部屋(照明)が明るい方が有り難いけれど、まずまず快適である。
 今日は日曜日としては混んでいるんですよというお話だった。少し休んで18時30分から頂いた夕食には、4人連れの方が一組と、出張でいらしている感じの男性がお一人、私の3組が集まった。

 夕食の写真はご遠慮くださいということだったので、黒板に書かれたメニューをメモした。

前菜 精進ゆば・生湯葉と山芋とサーモンを重ねたもの・空豆の生ハム巻き
スープ エビしんじょ(多分、蕪が入っていたと思う。こしょうが効いている)
サラダ 生湯葉とグリーンサラダ
ステーキ 付け合わせは、野菜(カボチャ・ゴボウ・レンコン)の素揚げ
      ブロッコリー・ニンジンのスープ煮
      グリーンピースとマッシュポテトのソース添え
ごはん やしろますの炊き込みご飯
デザート 黒ごまのアイス(餡とクコの実添え)

 夕食を食べている間に日が暮れ、暗くなる前一瞬、青空が覗いた。今頃になって晴れるなんてと、ちょっと複雑な気分だ。
 このコースに白ワイン(500円)をつけていただいた。かなりゆっくりと供されて、もちろん完食する。とても美味しかった。

 このペンションではお部屋のお風呂とは別にアロマバスを用意してもらうことができる。
 せっかくなので21時からお願いした。聞いてみたら私の後に待っている人はいないということで、有り難くのんびりとアロマ&バブルバスを楽しむ。
 サウナの調子が悪くて使えませんと説明があった。元々私はサウナが大の苦手なので問題はない。
 キャンドルが灯され、アロマライトが置かれたバスルームを占拠して、ゆっくりと1日歩いた足腰を労った。

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2007.08.11

「失われた文明 インカ・マヤ・アステカ展」に行く

 国立科学博物館で2007年9月24日まで開催されている「失われた文明 インカ・マヤ・アステカ展」に行って来た。
 入場の待ち時間はなかったけれど、中はかなりの混雑だった。
 お盆期間でない時期に、午前中に行くのが良さそうである。
 混雑していたせいもあって2時間くらい会場を歩き回り、疲れてしまった。でも、楽しかった。

 場内は、マヤ、アステカ、インカの順に展示されている。
 ペルーは2004年に旅行した場所だし、グアテマラにはぜひ行きたいと思っているのだけれど、何故だか、私にはアステカ文明の部分が一番居心地が良かった。

 感想はこちら。

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2007.08.07

「タビリエ 立山 黒部 白馬」を購入する

 10月初旬に海外脱出しようという野望が早々に破れ、悔しいので国内でいいから旅行をしようと思い始めた。

 人混みが苦手な私は、実は「桜の季節」や「紅葉の季節」に旅をしたことがない。
 せっかく秋なのだから紅葉が楽しめるところがいいなと思い、とりあえず、立山・黒部アルペンルートに狙いを絞り、本屋さんで何冊かを見比べた末、またタビリエのシリーズを購入してしまった。

 前回の旅では、日光からわたらせ渓谷鉄道に回ったし、もしかして私は乗り物オタクなのではないかと疑いつつ、さて、計画を立ててみようと思う。

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2007.08.06

録画したプレミアム10「体感!トレッキング紀行〜直木賞作家が歩く世界の大自然」を見る

 2007年7月20日(金曜日)に22時からNHK総合で放映された、「プレミアム10」の「体感!トレッキング紀行〜直木賞作家が歩く世界の大自然」を録画しておいたのだけれど、2週間以上たった昨日、やっと見ることができた。

 角田光代はイタリアアルプス・ドロミテの岩山や滝壺を巡り、
 三浦しをんはインドネシア・バリ島 の信仰の山アグン山の頂上をめざし、
 村山由佳は馬と徒歩でモンゴルの大地を踏破して幻の湖を 探し求めていた。

 角田光代の「明日はアルプスを歩こう」という紀行エッセイを読んでいたので、彼女のパート(20分弱くらいにまとめられていた)が一番興味深かった。
 何が興味深かったかといえば、同じ「イタリアアルプス・ドロミテ」を歩いた体験を、かたやテレビ番組にし、かたや紀行エッセイにまとめられていたのだけれど、その2つが余りにも違う印象だったことだ。

 紀行エッセイは当然のことながら、角田光代が見聞きし、感じたことが中心で、テレビクルーもコーディネーターも含め登場人物も多い。
 でも、それがテレビ番組になってしまうと、彼女とガイドさんの2人でアルプスを歩いたかのような映像になり、「角田光代を見る視線」がナレーションで加わる。

 どちらがいい悪いではなく、これが編集というものなのだな、編集に対して著作権があるのは当然のことだな、と妙なことを考えてしまった。
 そして、私にはとてもじゃないけれどアルプスを歩く根性はないけれど、でももし同じトレッキングをして私が旅行記を書いたとしたら、きっと全く違うことを書くんだろうなという気もした。

 三浦しをんは、一転、ジャングルを歩く。アルプスには生き物の気配がなかったけれど、バリ島の森には生き物の気配が濃厚な感じがする。
 3人の中で、10分強と時間が一番短かったせいもあるのか、申し訳ないのだけれど、彼女のパートはあまり記憶に残っていない。
 でも、アグン山の登山道は、信仰のために登る道なので、みんな真っ直ぐに頂上を目指し、非常にきつい道筋だというのが印象的だった。
 その3000m級の山に挑み、2000m(だったと思う)の地点でリタイアするのは、登るのを止めることとトレッキングが終わることと、バリ島滞在と、全部が終わることだから泣けてきたんだろうな、という感じがした。

 村山由佳は、馬と徒歩で奥テレルジの湖を目指す。保護区の中にあるその湖は、レンジャー以外の人が行くことは滅多にない、モンゴル人でもほとんどの人は見たことがない場所にあるのだそうだ。

 この3人全員がそうだったのだけれど、みんなが荷物を持っているのが凄いなという気がした。旅番組だと、大抵、「どう考えてもそれだけの荷物じゃ町歩きもできないだろう」という軽装で出演者は歩いているのだけれど、村山由佳に至っては(それが荷物の全てかどうかは判らないのだけれど)かなり大きなリュックを背負って馬に乗り、歩いている。
 他の2人が日帰りコースをいくつか歩いたのに対し、彼女はゲルやテント泊をしながら移動していたからということもあるだろう。
 そう考えると、同じように自分の全荷物を背負っているのだろうモンゴル人ガイドの女性が、本当に街中を歩くような、村山由佳のリュックの1/5もないくらいの大きさの荷物しか持っていないのは何だか凄い、という気がした。

 到着した湖では、湖の向こうの山に日が落ちかかり、山の端が濃いピンク色に染まっていた。
 それを見て、「そうなのよ! モンゴルでは夕焼けがピンク色なのよ!」と2006年8月にモンゴルに旅行したときのことを思い出して、心の中で大きく頷いてしまった。

 楽しかった。
 恐らくこの番組は(確証は全くないけれど)、それぞれ1人分が一本の番組だったのを、「直木賞作家」という切り口でまとめたものではないだろうか。
 ダイジェスト版でない番組も見たかった。

2007年7月20日(金曜日)22時から
NHK総合 プレミアム10
「プレミアム10」の公式Webサイトはこちら。

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2007.08.05

「メガロマニア 第1回」を読む

 NHKスペシャル「失われた文明」の本が「インカ」「アンデス・ミイラ」「マヤ」と3冊出たことは前にココログにも書いて、自分でも購入して読みつつあるところだ。
 (余談だけれど、Amazonでは、表紙画像がないままリンクを貼っておいた場合、表紙画像がAmazonのサイトに登録されると、リンクを貼っているこちらのサイトでも表紙画像が表示されるようになるということが判明した。)

 この3冊に紀行エッセイを寄せている作家の恩田陸が、NHK出版のサイトで「メガロマニア あるいは「覆わされた宝石」への旅」というタイトルで紀行エッセイの連載を開始したことを知った。
 文章の他に、写真も恩田陸自身の撮影によるものだという。

 早速、第1回を読んだ。

 行き先は全然違うのだけれど、雰囲気はやっぱり「酩酊混乱紀行『恐怖の報酬』日記(恩田陸著)講談社」と似ている。
 あちらの行き先はイギリスとアイルランドで、今回は中南米で全く違うのだけれど、どちらも恩田陸にとっては「物語」を秘めている妄想を思う存分広げることができる場所なんだという期待に充ち満ちているところが似ているのだ。
 きっと、この先もピラミッドやインカの石組みを見る度に、どんどん広がっていった妄想が披露されるに違いない。
 とても楽しみだ。

 第2回の配信がいつになるのか、サイトに書いておいてくれればいいのにと思う。

NHK出版の公式サイト内、メガロマニア−あるいは「覆わされた宝石」への旅−のページはこちら。

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2007.08.04

日光旅行記1日目その1

2007年6月10日(日曜日)

 よく考えると久しぶりの「ツアーに一人参加」ではない形の一人旅だ。
 昨年の熊野古道ツアーで自主的に1泊延泊したのを一人旅に数えないと、10年以上ぶりかも知れない。我ながら、意外だ。

 自宅最寄り駅を8時30分過ぎに出発し、東武日光線の快速日光行きに乗り換えた。スペーシアとそれほど所要時間は変わらず指定席料金がかからないとあって、かなり混んでいる。何とか一人分の空席を見つけて座った。
 車中で今日の予定を考えようと思っていたけれど、眠気には勝てない。気がついたら今市だった。
 今市でかなりの人が乗ってくる。今日、浅草からスペーシアで来て乗り換えたというよりも、昨日から鬼怒川温泉に泊まっていて、今日は日光を観光してから帰ろうという感じの人々が多いように思う。
 満員の電車は、11時17分に東武日光駅に到着した。

 まず、駅構内のバス案内所に行き、2日間有効で中禅寺湖温泉まで乗り降り自由の東武バスのフリー切符を購入する。2000円だ。日光駅から中禅寺湖まで往復すれば元は取れる。
 世界遺産めぐり巡回バス(日光市内の二社一寺を巡るバス)の時間まで、駅前のお土産物屋さんを覗いた。

 「勝道上人像前」でバスを降り、チケット売場に向かう。
 ガイドブックを見ると、どこを見たいかによってどういう風にチケットを買えばお得かが変わってくるから研究するようにと書いてある。でも、電車の中で検討するはずが熟睡してしまったので、とりあえず2日間有効だという共通拝観券を1000円で購入した。

P6100173 輪王寺から順に拝観したいと思ってきょろきょろしても、一体どこから輪王寺が始まるのかサッパリ判らない。
 何となく人の流れに従って歩いていたら、「今から説明が始まります。」と呼び声がかかり、入ろうとしたら拝観券にハサミが入れられてやっとそこが輪王寺の三仏堂であることが判った。
 輪王寺というお寺の門があるとか、塀に囲われているという訳ではないらしい。

 三仏堂は、千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が揃って祀られていることからこう呼ばれている。三体は全て木造だ。
 このお三方が日光山のご本尊で、家内安全の御利益がある。
 また、このお堂自体も珍しい中壺つくり(と言っていたと思う)で、この三仏堂以外には比叡山延暦寺とあと1ヶ所(聞いたけど忘れてしまった)の3ヶ所が残っているのみという。

 説明を聞いて、千手観音には42本の手があって、胸前で合掌する2本の手を除いた40本の手がそれぞれ25の世界を救うという考えから1000本の手になるということを初めて知った。
 また、十二支それぞれの守り仏が決まっていて、その十二体全てが揃って祀られているのは珍しいという説明があった。「ご自分の干支の前でよくお参りしてください。」と案内され、有り難く阿弥陀如来に手を合わせる。

 この後、普通のお守りはいただいて1年たったらお返ししてお焚きあげしていただき、干支のお守りは一生お守りいただけるという説明兼セールストークがあり、「どうぞお買い求めください。」と言われた。
 まだ先もあるしと思って購入を見送る。実際のところ、こういた案内は日光山内で何度も聞くことになった。
 二社一寺を回った中では、三仏堂の守り仏を表す梵字がついたお守りが一番格好良かった。
 次回行くことがあったら、ぜひ買い求めようと思っている。

 三仏堂の奥に護摩堂(だと思う。いちいち「だと思う」付きで申し訳ない)があった。
 特定の日に写経の会が開かれている場所だ。私のここでのお目当てはお線香である。輪王寺で使用しているのと同じお線香や、杉の木だけを原料とするお線香などが売られている。
 また、お経の一節が書かれたお線香もあった。
 香りを比べて、甘くない清々しい感じの「輪王寺」という名前のお線香を買い求めた。

相輪橖 この建物の前に相輪橖もあって、写真に撮った。それなのに、何だかよく判らない塔だなと思っただけでよく見なかったのが我ながら情けない。
 情けないといえば、輪王寺にある逍遙園という日本庭園(こちらは、共通拝観券とは別に入場券が必要になる)にも行こうと思っていて、気がついたら輪王寺から出てしまっており、どこに入口があったのかさえ判らないままになってしまった。

 どうしてそんなに足早だったのかというと、12時30分を回ってお腹が空いていたからだ。
 輪王寺を出て東照宮に向かう途中、参道を少し外れたところに金谷ホテルが出しているレストランがあり、そこでお昼ご飯をいただいた。
 100年前のレシピを復活させたという100年カレーの「鴨」(1700円)を選ぶ。今いただいても全く遜色ないカレーで、鴨のお肉が柔らかくて美味しい。
 この支店は2007年4月に開店したそうで、ガイドブックに載っていない筈だと納得した。

御仮殿 レストランを出てぶらぶらしていたら、さっきは閉まっていた「御仮殿」が開いていた。「特別公開中」などという看板を見たら、それは中に入ってみたい。
 御仮殿は、本社を修理するときに、神霊を一時的に移しておく建物だ。通常は仮設して修理が終わると取り壊すけれど、東照宮はしょっちゅう修理しているので常設で置かれていたらしい。
 外見の地味さに反して、中は豪奢に派手な感じだった。こちらに神霊があるときは行事のすべてをここで行うということだから当たり前かも知れない。
 もちろん内部は撮影禁止だったので、入口の外から中を撮ってみる。雨が降り始めて暗かったのと、傘を持ってバランスが悪かったのとで、ぼけぼけな写真になってしまった。

 雨が降ったり止んだりしている中、五重塔を通り過ぎ、東照宮に向かう。
 何となく東照宮の絵はがきを購入し、表門で共通拝観券を切ってもらい、中に入ってア然としてしまった。
 ド派手すぎる!

 本当に赤ちゃんの頃に日光に連れて来て貰った写真がわが家に残っているだけで、物心ついてからこちら、私は日光に来たことがない。
 東照宮も「派手だ」という話こそ聞くものの、写真や映像でもそれほど熱心に見たことはなく、ほとんどイメージを持っていなかった。
 なので、この先さらに派手なモノが待っているとも知らず、表門を通り抜けたところで思わず立ち止まって絶句した。

三猿 そして、表門を入って左に行った左手に人だかりができていると思ったら、そこに「みざるいわざるきかざる」がいた。
 猿は馬を病気から守ると言われていたため、厩に猿の彫刻が飾られている。
 「みざるいわざるきかざる」だけが何故か有名だけれど、他にも、この厩には都合8枚の「猿」が飾られている。全8枚で猿の一生を表している。
 邪気のない子供の猿は身を守るために「みざるいわざるきかざる」で通しなさい、という教えのようである。

陽明門 陽明門である。
 500を超える彫刻が施され、一日見ていても飽きないところから「日暮らし門」とも言われているというのは余りにも有名な話だ。
 でも、私は3分くらいで飽きてしまった。

 あまりにも彫刻で埋め尽くされていて、何をどう見ればいいのかどれが彫刻でどれが装飾でどこが門なのか、判らなくなってくる。
 青の地に金の文字で「東照大権現」と書かれた額は、徳川家康の孫娘である和子が嫁いだ後水尾天皇の筆によるものである。日光に行くのだからと宮尾登美子の「東福門院和子の涙」を読んでいたので、縁のものの出現に何となく嬉しくなった。

 陽明門を入ってどこを見ればいいのかよく判らず、人の流れに沿って歩いていたら本社の入口に着いてしまい、そのまま上がることにした。
 小学校のような下駄箱が並んでいる。

 中に入ると畳の部屋が人でいっぱいになっており、巫女姿の女性から説明を受ける。
 拝殿は、江戸時代には大名以上の身分の人しか入れなかったそうだ。今が江戸時代だったら上がることもできない場所に膝を崩して座っているのは申し訳ない。
 天井の郷間は100あって、それぞれに違う姿の竜が描かれている。
 また、部屋のぐるりを三十六歌仙のカルタが飾っていて、歌はこれもまた後水尾天皇の筆である。
 隣の将軍の待合室との境にある扉は杉の一枚板で、竹と麒麟の絵を描いたのは狩野探幽である。

 そのまま、奥の何段か下がった石の間に移動し、次は男性の方の説明があった。
 石の間に入ったところでお祓いを受ける。江戸時代には御三家の方々しか入れなかった場所だ。正面の本殿への扉は閉ざされている。
 天井は鳳凰で、徳川家光の時代から塗り替えをしていない。そういう場所は少ないらしく、「よく見ておいてください。他とは違うでしょう。」と言われた。もちろん私にその違いは判らない。1平方センチを修復するのに2万円かかると聞いて、ひええと思ったくらいだ。
 本殿への扉の上には獏が描かれている。獏は鉄と銅を食べる動物で、平和な世の中にしか現れないと信じられていたそうだ。「夢を食べる」という今言われている伝説と何か関係があるのだろうか。

大雨 拝観を終えて外へ出ようとしたら、いきなりの大雨に阻まれた。
 この写真で、雨が白く糸を引いて、すぐそばにある陽明門が霞んでしまっているのが判るだろうか。本当にバケツをひっくり返したような大雨だった。
 下駄箱が並んでいる場所のすぐ脇に板の間に座り込み、お尻が冷えるなと思いながら先ほど購入した絵はがきを取り出し、友人に「雨宿り中」と便りを書く。

 2枚書き終わっても雨の勢いは弱まらず、拝殿の方に引き返して、匂い袋のお守りを買い求めた。通常のお守りが1年ごとにお焚きあげすることは輪王寺で説明を受けている。この拝殿でしか売っていないという匂い袋のお守りは、香りが消えるまで持っていていい。
 「どれくらい香っているんですか。」と尋ねたら、「持つお人によりますね。1年で香りがなくなるときもありますし、8年大丈夫だったという方もいます。」というお返事だった。願わくば長持ちしますようにと思う。

 30分以上も雨宿りして多少は雨足が弱くなってきたので、奥の院に向かった。
 奥の院に行きたいというよりも「眠り猫」を見たかった。眠り猫を見るためには共通拝観券の他に奥の院に行くチケットを購入する必要がある。
 520円払って眠り猫だけは悔しすぎる(もっとも、そういう方も結構いらっしゃるようだった)ので、その先に進むことにした。

眠り猫 眠り猫は小さかった。「この上」みたいな張り紙がしてあるのもむべなるかなという感じである。
 ちょうどそこにガイドさんと一緒の団体が来て、漏れ聞こえてきたところによると、この猫は一見眠っているように見えるけれど、耳を立て、すぐに飛びかかれる警戒態勢にあって、家康の眠りを守ろうとしているそうだ。そう言われてみれば、獣の眠りという感じである。
 また、名匠と言われる左甚五郎作の彫刻は東照宮にこれ一つだけで、そういう意味でも貴重な存在である。

 長い石畳の道と階段を辿り、奥の院に向かった。
 石畳と言うには整いすぎているこの道は、杉木立の中を抜け、人も少なく、雨さえ降っていなかったら清々しいとてもいい場所だと思う。
 雨が降っている今は、石段を流れ落ちてくる水が邪魔だ。
 拝殿のある一歩手前に自動販売機とベンチを並べた場所があり、再びしばしの雨宿りをした。びしょぬれの靴下も脱いでしまう。足元はアウトドア用のサンダルだから裸足でも大丈夫だ。

 修学旅行だと思われる小学生が次々と現れる。先生のチェックを受け、「この修学旅行は一生忘れない。」という名台詞を残し、元気よくまた去って行く。
 また、ここまで上がってくるカップルは何故か相合い傘が多かった。二人で1本しか傘を持っていないようだ。それならば、何もここまで上がってくることもあるまいに、願いをかなえてくれるという叶杉が目当てなのだろうか。

奥の院 奥の院の本当の一番奥に、徳川家康の棺が納められた宝塔がある。建立以来、一度も開けられたことがない。開けたら、天海僧正秘伝の何かが入っているのかも知れないし、災いが起こるという口伝があるのかも知れない。
 その向こうに写っているのが鋳抜門で、扉以外は一気に鋳造で作ったという。
 さらにその奥に写っているのが、拝殿だ。
 すでに修学旅行の小学生の姿はなく、何だか広くてがらんとしていて、雨に濡れて全体が黒光りしていて、不思議な感じの場所だった。

 

唐門の龍唐門のツツガ

 ゆっくり戻って、小降りになった雨の中、本社の正門である唐門を見上げる。
 この唐門は、今でもお祭りのときと国賓が来たときしか使われていない。
 柱に施された昇り龍と降り龍が有名らしい。私が気になったのは屋根の上の龍とツツガで、この左の写真が龍で、右の写真がツツガである。
 この「ツツガ」という響きは、絶対に何かの小説で読んだことがあるけれど、未だにそのタイトルが思い出せないでいる。

雨に濡れる珍獣 再びド派手な陽明門を仰ぎ、中でもさらに派手に見えた、何なのかよく判らない「雨に濡れる珍獣」をカメラにおさめる。
 東福門院和子が奉納した一本灯籠や、完璧な(完成した)ものは壊れるという発想からわざと上下逆にしたといわれる陽明門の柱、同じ発想からか、徳川の葵の紋を逆さにした釣灯籠などを確認する。
 徳川家康か天海僧正か、あるいは両者ともなのか、きっと用心深くて小心な人物だったに違いないと不遜なことを考える。

 陽明門を後にし、右手に逸れて鳴竜に会いに行く。
 陽明門からすぐの、三猿などと地続きの場所にあるのに、鳴竜を天井に擁する本地堂はお寺だそうだ。ややこしい。
 お寺の方が、縦6m横16mもある竜の頭の真下に当たる、その場所だけ畳を剥がした板の間で拍子木を鳴らすと、確かに「キ〜〜〜ン」というようなやけに可愛らしい、それこそ鈴が鳴るような声がした。それも、かなり息が長い。
 最初からこの「鳴き竜」を狙って作られたわけではなく、たまたま発見された現象だという。拍子木を鳴らした方に尋ねて呆れられてしまった。

 鳴竜のいる本地堂のご本尊の薬師如来は秘仏なので拝むことはできない。
 左右に十二神将が控え、やはり十二支に対応しているお守りは一生ものだ。
 私の干支を守ってくださるという、摩虎羅大将(読み方が判らない・・・)にお参りした。

想像上の象 雨もやみ、そろそろ人がまばらになり始めた東照宮を逆に戻る。
 空間に余裕ができた分、この帰り道で上神庫の上の方にいる、「想像上の象」を発見できた。実物を知らないで下絵を描いた割に、かなり本物に近い。

 この後は、二荒山神社に向かった。

 ->日光旅行記1日目その2

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2007.08.01

2007年6月度世界遺産学検定認定証BRONZEが届く

 今日、家に帰ったら、特定非営利活動法人世界遺産アカデミーから郵便が届いていた。
 開けてみると、世界遺産学検定認定証BRONZEと銘打たれたカード(銀行のカードとかプラスチックのショップカードのような感じのカード)が入っていた。

 無事に認定されていて、嬉しいというよりもほっとした。

 初級90問のうち、60問以上正解でブロンズ、80問以上正解でシルバーに認定されるのだけれど、私の得点は65点だった。ブロンズ認定もぎりぎりということだ。

 さて、次回試験は12月に予定されている。
 シルバーを目指して受験するかどうか、少し考えようと思う。
 その前に、総合旅行業務取扱管理者試験が待っている。

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