伊勢志摩旅行記2日目その1
2008年2月25日(月曜日)
母と二人のそれほど急いでいない旅だし、目覚ましもかけていなかったら、7時過ぎに母に起こされた。
外の明るさに障子を開けると、海が蒼く光っていた。ただし、風は強そうで窓を開けると冷たい風が吹いている。
しかし、何にせよ、絶好の「お伊勢詣り」日和である。
8時前に朝食をいただきにレストランに行く。
和食か洋食を選べるようになっていて、二人とも洋食を頼んだ。
テーブルからも蒼い海が見えて気持ちがいい。
部屋に戻る前にホテルのお土産物のお店を覗く。えいやっという感じで母がブラックパールのペンダントトップを購入した。
9時前にチェックアウトし、少しお庭に出たりもして、9時15分の送迎バスで近鉄の賢島駅に向かった。
9時30分に特急がある。伊勢市駅までの所要時間は、特急が45分で普通電車が60分とそれほどの違いはないものの、普通電車の時間までだいぶかなりあったので、特急に乗った。
この辺りで、デジカメの時間をエジプト時間のままにしていたことに気づき、日本時間に戻した。全くもってマヌケである。
伊勢市駅で荷物をコインロッカーに預けてから、外宮に向かった。
出発前、伊勢神宮にお参りするときは、まず外宮さんからお参りするのが「本式」だと色々な人に教わった。
伊勢市駅からまっすぐ伸びる参道を10分もかからないくらいで、外宮、正式名称「豊受大神宮」の火除橋に到着する。外宮は、産業と衣食住の神様である豊受大御神をお祀りしている。
伊勢神宮では「神様から遠い方」を歩くことになっていて、外宮は左側通行である。手水舎も道の左側にある。
一の鳥居をくぐると、そこは駅前とは思えない静かな森の中の参道だった。
平日の10時30分過ぎに、これだけたくさんの人がいるとは少し意外である。
人数の割りに静かに感じられるのは、やはりみなが「お参り」をしに来ているからだろう。砂利を踏む音がうるさく感じられるくらいである。
そう考えると、お参りもする前から写真を撮りまくっている私が一番不遜かも知れない。
右手に、神様がいらっしゃるという「ご正宮」が見えてくる。
このご正宮の前は、木々に日光を遮られることなく明るい。「外宮さんは明るい」という印象はここから来たように思う。
この写真ではぎりぎり角度をつけているけれど、実際はこの鳥居の中を庇うような形で板垣が立てられている。
ガイドブックに教えられたとおり、お賽銭を入れ、二拝二拍手一拝でお参りする。これは伊勢神宮はどこでも共通である。
ガイドブックには、「ご正宮」では個人的・私的なお願いをするのではなく、もっと大きなことを願いなさいと書いてあった。
しかし、いざとなると「大きなこと」など、なかなか思い浮かばない。
思わず世界平和を願ってしまい、旅行後に職場の人にそう言ったら、大爆笑された。
今の「ご正宮」の奥に、平成25年から新しい「ご正宮」が移る、新御敷地が広がっている。
広がっているという表現になってしまうくらい広い。
ご正宮の奥はほとんど見ることはできない。その奥深さは新御敷地を見ることで感じることができる。
ご正宮にお参りした後、外宮さんの中にある三つの別宮にお参りする。
別宮の筆頭である多賀宮は、豊受大御神の荒御霊をお祀りしており、個人的なお願いはこちらでするとよいでしょうとガイドブックが言う。
荒御霊というのは何なのだろうという疑問はさておいて、急な階段を上がり、お参りする。
同じく外宮さんの中にある土宮と風宮には鳥居があるのに、多賀宮には鳥居がない。「荒御霊」といっても、元々はお一人の神様をお祀りしているからということなんだろうか。
こちらで何をお願いしたのかは、もちろん秘密である。
来た道を戻り、このお宮だけ建っている向きが違うという土宮にお参りし、次に風宮にお参りする。
外宮さんのそのさらに別宮にお参りする人はそれほど多くはないようだ。それでも、この写真のようにぽつりぽつりとお参りの方がいらっしゃる。お宮の前が全くの無人になることは滅多にない。
風宮は、元寇の際に内宮さんの風日祈宮とともに神風を吹かせたというし、伊勢湾台風の際には風宮だけが大木が倒れて屋根が折れたという。
また、「現状を打破したい」というときにお参りすると道が拓けると言われているそうだ。
そうと聞いたらお参りせねばと思う人が多いに違いない。
ご正宮の前にあるから「御池」という名がついたという池は、実は以前は外宮さんの中を流れていた川の名残だという。確かに細長い。
そこに、亀の形をしている一枚岩の橋がかかっている。
裏参道に向かう前に、お神札授与所で御朱印帳を購入し、外宮の御朱印をいただいた。
伊勢市駅ができた後、伊勢市駅から近い参道が表参道となり、元々の表参道は裏参道になったそうだ。
その手前にある御厩では、運がよければ白い神馬に出会えると言われてちょっと楽しみにしていた。私たちが通りかかったときには残念ながら空っぽだった。
母と私の外宮さん滞在時間は50分だった。
裏参道の北御門鳥居を出て、そのまま真っ直ぐ続く神路通を歩くとすぐ、外宮さんの外にある別宮である月夜見宮に到着した。
この神路通もなかなか風情のある道で、蔵のような建物があったり、家々の玄関にはしめ縄が飾られていたり、板塀にこんな札が下がっていたりする。
また、「この道は月夜見宮の神様が石垣の石を白馬に変えて夜な夜な外宮さんに通った道なので遠慮して道の真ん中は歩かないようにしましょう。」という説明書きもある。その説明書きに気がつくまで道の真ん中を歩いてしまい、申し訳ないことだった。
月夜見宮の写真の左手前に移っているのが、大楠の木である。
大きな立派な木で、お願いごとをするといいそうだ。
月夜見宮という名前からも想像されるように女性にゆかりのある神様が祀られている。そうと聞いて、丁寧にお参りした。
月夜見宮で気になったのは、お宮の左手にある大きな洞のある木とその洞の中にいたお稲荷さんだった。
御朱印をいただいたときにお聞きしたところ、そのお稲荷さんは地元の方がずっと古くから大切にしていたもので、元々洞ができていた木に雷が落ちて真っ黒焦げになってしまったそうだ。
その木にまた支えをして、今でもずっと大切にされているという。
何だかちょっといい話である。
月夜見宮から5分ほど歩いて伊勢市駅に戻り、コインロッカーから荷物を出して、12時過ぎのバスで内宮に向かった。
前に熊野古道でご一緒させていただいたお姉さんからは「5kmくらいだからぜひ歩いてね。」と言われていたけれど、荷物もあるし、母も一緒だし、バスに乗った。
やってきたバスは臨時バスのようで、乗客はほとんどが修学旅行生だった。
このバスが、内宮の月読宮辺りから全く進まなくなってしまった。
お腹もすいたよと思っていると、バスの運転手さんから「この渋滞は内宮の駐車場待ちの車による渋滞なので駐車場から出る車がないと動きません。もう歩ける距離なのでここで降りて歩いてください。」とアナウンスがあり、乗客のほとんどが猿田彦神社バス停で降りた。
確かに歩いた方が早い。
荷物を抱えて歩いていたら、今日の宿である神宮会館があった。
チェックインの時間には間があったけれど、フロントにお願いして荷物だけ預かっていただいた。有り難い。
身軽になって、お昼ごはんを食べにおはらい町に向かう。おはらい町は、神宮会館からすぐである。
おはらい町では「ひな祭り」のイベントをやっていて、あちこちにお雛様が飾られているのが楽しい。お店のショーウィンドウの中もひな祭りにちなんだ飾り付けになっている。
五十鈴川にかかった橋の上にまで並んでいるのは、赤福本店で赤福を買おう(食べよう)という人の列だ。その行列に恐れをなして、「うんうん、営業再開したのね。」と眺めるだけで通り過ぎ、手こね寿司で有名な「すし久」に向かった。
13時近いのに10組くらい並んでいる。待つこと10分くらいで入ることができた。
お店の中はあちこちに由緒ありげなお雛様が飾ってあった。
母は季節限定のひな膳(写真左)、私は名物だという手こね寿司(写真右)を頼んだ。
「名物に美味いものなし」と言うけれど、この手こね寿司は美味しかった。ほのかに甘みのあるお酢が効いたごはんに、かなり甘みを感じる漬けのかつおが乗っている。
母のひな膳も春らしく可愛らしい。ちょっとずつ交換して食べるのは昨日と同じである。
「このすし酢が」とか「海苔のみそ汁を家でも作ろう」とかしゃべりながら食べていたら、同時に入った同じ座卓の方々からすっかり遅れてしまった。
さて、これからいよいよ内宮にお参りである。
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