« 「B21 地球の歩き方 ブラジル 2008~2009 」を購入する | トップページ | 「るるぶ新楽楽箱根」を購入する »

2008.07.05

エジプト旅行記2日目その2

2008年1月1日(火曜日)


 この日の昼食は、ホテル・メナ・ハウス・オベロイのレストラン「ハン・ハリーリ」だった。
 今にして思えば、ここのランチが、エジプト旅行中、一番美味しいお食事だったような気がする。
 New YearのSpecial Menuだったから、ということもあるかも知れない。


メインディッシュ ランチのメニューは以下のとおりだ。


 前菜 鴨肉のパテ ブルーベリーソース添え
 スープ 野菜スープ
 メイン 子羊肉のローズマリーソース添え
 デザート フルーツポンチとバニラアイスクリーム
 コーヒー


 「機会はあるときに捕まえよう」と、飲み物にマンゴーフレッシュジュースを頼んだ。色々な方の旅行記などで大絶賛されていたし、ブログにコメントもいただいたし(茶柱さま、ありがとうございます!)、絶対に試してみようと思っていた。
 これが大正解だった。
 22エジプトポンドと決してお安くはないけれど、本当にねっとりして、マンゴーの実がそのまま入っているようでストローで吸うのも大変なくらいの濃いジュースだった。


 1時間近くかけた優雅なランチも終わり、一組のご夫婦が午後の観光はパスされるということでツアー人数が11人に減り、13時15分過ぎにメンフィス・サッカラ・ダハシュールに向かった。
 バスは1時間くらい、延々と余り変わり映えのしない景色の中を走る。
 睡眠時間4時間で暑い中を観光した後でランチをお腹いっぱいいただき、バスに揺られたら眠くなるに決まっている。眠い目をこすりながら、ガイドさんの詳しい説明を何とかメモする。


 例えば、エジプトの国土の95%は砂漠であること。
 2008年6月に500エジプトポンド札、1000エジプトポンド札ができること。(現在の最高額紙幣は200ポンド札)
 エジプトの小学校では、木や花についてほとんど教えていないこと。(これは、エジプトが石の文化の国である故だというのがハニーさんの分析だった。)
 デーツはビタミンが豊富に含まれていて、ラマダンの際によく食べられていること。
 エジプトの農村地帯の家は日干し煉瓦で建てられており、ほとんどの家事は家の外で行われていること。
 エジプトの農村地帯では朝早い涼しいうちに農作業を行い、昼間はカフェで麻雀をしたり水煙草を吸っている人が多いので、サボっているように見えてしまうこと。
 遺跡の盗掘は禁固22年の罪になること。


 階段ピラミッドが遠くに見える。最初に訪れたのはダハシュールの赤のピラミッドだった。
 この日の午後分として手元に残っているチケットの半券は、「Mit-Rahina」が30エジプトポンド、「Dahshur」が25エジプトポンド、「Imhotep&Saqqara」が50エジプトポンドだ。ただ、どのチケットがどこの入場料分だったのか、今ひとつはっきりしない。


 赤のピラミッドという呼び名は、剥がされてしまった花崗岩の化粧板が赤かったことから来ている。今見ても、特に赤いとも思えない。
 ハニーさんによると、クフ王のピラミッドやカフラー王のピラミッドよりもこの赤のピラミッドの方がずっと低い。しかし、傾斜角が小さく(43度くらい)、底辺が長く、周りに比べるものがないために大きく見えるそうだ。


屈折ピラミッド 赤のピラミッドをぐるっと回った先にあるビューポイントからは、屈折ピラミッドも遠くに見える。
 「遠くに見える」のは、この周辺では、軍事施設と油田以外の建設が政府によって禁止され、「砂漠の中にぽつんとピラミッドがそびえる」という景観を守ろうとしているからだ。
 かつ、遠くからしか見られなかったのは、この先の道が砂利道であるため、特別許可を得なければ進めないからである。


 屈折ピラミッドは、明らかに途中で建設方針が変わっていることが見て取れる。
 この変更の理由については、王様が死にそうになって工期を短くするためという説もあれば、造り始めたときの角度のままでは完成せず崩れてしまうことが判ったからだという説もある。


赤のピラミッド ビューポイントから赤のピラミッドまでは、私の握りこぶし2〜3個分くらいの大きさの石が一列に並べられていた。これはピラミッドから落ちてしまった石を並べてあるそうだ。


 赤のピラミッドの入場は、希望者のみだった。
 ハニーさんから「天井が低い通路をずっと一直線に下って行くので、クフ王のピラミッドよりも3倍きついです。」という説明があった上で、「入りたい人!」という募集があった。
 希望者は真っ先に元気よく手を挙げた私を含め5人だけだ。
 それでもガイドさんは「今回のツアーは元気な人が多い。」と言っていたそうだから、普段はよっぽど入場希望者がいないのだろう。
 「14時40分までに戻って来てください。」と言われて勇んで出発する。
 まず、ピラミッドの入り口までの階段で挫折しそうになった。入口が結構、高い位置にあるのだ。


 そして、腰をかがめなければ進めない高さの通路が本当に一直線に下っている。足元は板が敷かれて滑り止めもあるとはいえ、かなりキツイ。
 10mも下っていない辺りで、ご夫婦の奥様が「私は戻るわ。」とおっしゃってリタイアされる。
 1/3くらい下ったところで、「これはきっと帰りに上り切れないに違いない」という確信が浮かんできて座り込み、他の3人の方に「ギブアップするので、抜かして行ってください。」と言ってしまう。


 しばらく休みながらじーっと先に行く3人を見ていたらその坂道の底が見えた。これくらいの距離なら大丈夫だろうと一気に下る。
 ずっと腰をかがめた姿勢で足を運ぶのでかなり辛い。


 やっと底について狭い通路をくぐったら、天井の高い部屋に出たのでかなりほっとした。
 天井が低くなっている場所を2回くぐった次の部屋は、さらに天井が高く、何というかブロックで作ったおうち風に段々がついて三角屋根になっているような感じである。
 そして、その一番奥の部屋には、隅に木でやぐらのようなものが組まれている。先に下ったお三方はその上にいらっしゃるようだ。
 階段を上り、少し奥に進むと塀越しに少し掘り下げたようなスペースがある。岩がごろごろとしていたせいか、そのスペースは、私にはお棺のような用途で使われていたように見えた。


赤のピラミッド入口 「40分までに戻れない!」と、慌てて元来た道を戻る。
 結構、息が切れる。
 上の方に四角い明るい窓があり、そこから光が射し込んでいて「あそこまで上がればいいんだ」と判るのが有難い。がんばって上る。
 上りながら通路の木の滑り止めの本数を数えたら、140段だった。


 14時30分には入口まで戻れたものの、今度はそこから段差のバラバラな階段を下りるのが一苦労だった。
 既に、足は筋肉痛で悲鳴を上げている。お三方がそのまま元気に階段を下りて行くのを見送り、お水を飲み、石に座り込んで休憩する。
 そろそろと階段を下り、何とか指定時間までにバスに戻ることができた。


 次に、メンフィスの野外博物館に向かった。
 ちょうどメンフィスの村に差し掛かった14時45分ころ、アザーンの音が流れた。今日3回目のお祈りの時間を知らせているという。
 このメンフィスの村は「掘ればそこに遺跡がある」という場所で、政府は住民の移転を進めようとしているものの、なかなか応じてもらえていないらしい。


 メンフィスの野外博物館の白眉は、ラムセス2世の寝像(という言葉があるかどうかは判らないけれど)である。それが証拠に、この像だけは屋内に置かれている。
 石灰岩で作られたこの像は非常にもろく、運んだり立ち上げたりすることができなかったので、発見された場所の上に建物を作ってしまったそうだ。
 最初はうつぶせの状態だったというから、それを仰向けにするだけで相当に大変だっただろう。
 足だって折れてしまっている。


 このラムセス2世の像は大きいので、キャットウォークが設けられ、上から見られるようになっている。もちろん、置かれた場所と同じ高さからも見られる。私の身長よりも彼の体の厚みの方が大きい。
 そして、このラムセス2世の像がどれだけ本物に近いのかは判らないものの、かなりハンサムである。
 それも、現代でも「ハンサム」と言ってもらえるくらいのハンサムさだ。


判子を持つ手ネフェルタリ


 カルトゥーシュの中には必ず「王の名前」が刻まれており、それが、ヒエログリフ解読のキーになったという。
 ラムセス2世の像が左手に持っている判子にもカルトゥーシュがあり、名前が刻まれている。この「判子」を手に持っていてくれたおかげで、この像が「ラムセス2世」の像であると判ったそうだ。
 そして、このラムセス2世像の左足元には、ネフェルタリの姿が彫られている。こちらは、ラムセス2世自身のハンサムさに比べて、いかにも適当な彫りなのがアンバランスだ。


 エジプトでは、像は概ね2体1対で作られている。この寝ているラムセス2世の相棒は、少し前までカイロの中央駅前に立っていたそうだ。そちらは花崗岩で作られていたので立たせることも運ぶこともできたらしい。
 そのため、カイロ中央駅はラムセス2世駅とも呼ばれている。もっとも、今はその像は日本の援助で作られる博物館に納められるために移動されてしまったらしい。駅前に立つラムセス2世を見てみたかったので、ちょっと残念である。


世界第2のスフィンクス ラムセス2世像の他の展示品は、屋外に、かなり適当に置かれている。放置されているに近い。
 その中で気になったのは、もちろんスフィンクスだ。ここに置かれているアラバスター(大理石)製のスフィンクスは、エジプトで2番目に大きいスフィンクスだと説明されて驚いた。
 小さい。私と同じくらいの大きさだ。
 圧倒的にデカいスフィンクスを午前中に見ているので、その大きさの「普通さ」が変な感じである。しかも、あまりハンサムじゃないところも気の毒である。「小さいけど超絶ハンサム」だったら良かったのにと思う。


 そして、もう一つこの野外博物館で記憶に残っているのは、ミイラを作るための台だ。
 ひたすら大きな石で、側面には一面にヒエログリフや神様の絵が彫られている。上面を見た記憶がないから、多分、私の身長よりも高さがあったのだと思う。
 覚えているのはこれだけで、メモ帳にも何も残っていないのが我ながら謎だ。
 印象に残るモノであったことは確かなのに、その他の記憶がまるでない。


 今日最後の観光は、ジョセル王のお墓であり、世界最古のお墓だという階段ピラミッドだった。
 確かに、明らかに階段状になったピラミッドだ。意外なくらい、美しい姿である。これまで見た中では、カフラー王のピラミッドの次に美しいと思う。
 階段ピラミッドは一番古いピラミッドで、元々はマスタバという、四角い盛り土状のお墓として作っていたものだ。マスタバは、アラビア語でベンチという意味である。
 その後、宰相のイムホテップが、どんどん上に積み上げ、底辺も拡張し、今の姿に仕上げたらしい。


穴 階段ピラミッドには近づくことができない。周りに築かれて残されている付属物というか、ピラミッド・コンプレックスの一部から眺める形になる。
 階段ピラミッドの地下通路や抗は、元々はそれほど複雑な構造でもなかったらしい。改築が重ねられてとんでもない状況になってしまっている。
 入口だけは見下ろすことができた。ここで深さが40mあるという。


 また、階段ピラミッド前の広場ではヘップセット祭が行われていたという。
 これは、いうなれば「若返り祭」で、王様が走りを披露し、何かの基準をクリアすればその後も王様を続けることができたという。
 かなり非情なお祭りである。


ピラミッドテキストのピラミッド 階段ピラミッドの反対側には、ハニーさん曰く「一番重要なピラミッド」がすでに崩れかけて存在している。
 このピラミッドがなぜ重要なのかといえば、内部に「ピラミッド・テキスト」と呼ばれるヒエログリフが一面に掘り込まれているからだ。ぜひその「ピラミッド・テキスト」を拝んでみたいけれど、現在は入場することはできない。
 後で調べたら、これは、ウナス王という人のピラミッドだった。


 お天気がよければ、ビューポイントからギザのピラミッドが見えるそうだ。残念ながらこの日は砂ぼこりなのか、霞なのか、とにかく空気の透明度が高くなく、確認することはできなかった。
 ここから見える砂漠がサハラ砂漠である。落ち着いて見ると単なる砂地だけれど、何となくロマンを感じる。我ながら現金である。


 本日の観光はこれにて終了だ。
 一路、「この辺りは、じゅうたん学校という名前のじゅうたん屋が多い。」などという説明を受けながら、バスに揺られてギザに戻る。
 ハニーさん曰く、エジプトのじゅうたんはメンフィス周辺が名産地で、一番質の良いものが作られているという。立ち寄ることがなくて、ほっとしたような、じゅうたんを織っているところを見てみたかったような気もする。 


 バスの中で、明日の予定変更が知らされた。
 明後日に行く予定になっていたネフェルタリの墓が混雑しそうなので、明日と明後日の観光内容をそっくり入れ替えるという。


 16時30分くらいにホテルに到着した。
 カメラの電池を充電し、入浴し、友人達にエジプトから年賀状を送るための切手を購入すべく、夕食の時間より少し早めにロビーに降りた。
 ホテルに入っているお店だから信用できるわけではない、ホテルとホテル内のショップとは全く何の関係もないとハニーさんに言われてはいたけれど、まさか切手を定価で買えないとは思わなかった。
 1.5エジプトポンドの切手を20枚欲しいと言って、40エジプトポンドだと言われたときには耳を疑った。
 流石に小心者の私も「それ計算違うでしょ。」と指摘したら、「ホテルに支払うコミッション分が含まれているんだ。」と言われた。
 そこでスゴスゴと引き下がる私はやっぱり小心者である。


メインディッシュ 19時からの夕食は、宿泊しているホテル・ル・メリディアン・ピラミッド内の地中海料理のレストラン「メッド」だった。
 メニューは以下のとおりだ。


 前菜 チキンサラダ
 スープ トマトスープ
 メイン サーモンとペンネ
 デザート シシリアナ・アイスクリーム
 コーヒー


 メインディッシュはサーモンかビーフかを選べた。ほとんどの人がサーモンを選んでいたような気がする。
 そして、私は着替えはしたものの観光客スタイル(Tシャツに長袖シャツを羽織って、ズボン)で行ってしまい、このツアーはかなりドレスアップ率が高かったので、少し居心地の悪いことになった。


 夕食後、昼間はがしかけてしまった爪を消毒するために添乗員さんからマキロンをお借りし、ついでに、ルクソールで気球に乗ることは可能でしょうかと相談した。調べてみますと言っていただいて、部屋に戻る。
 その後、防寒を整えてプールサイドに出てみたところ、昨日の夜は夜でもうっすらと浮かんでいたピラミッドの姿がこの日は全く確認できず、写真を撮ることはできなかった。


 明日は、早朝の飛行機に乗ってルクソールに移動する。モーニングコールが2時30分である。
 1日、部屋に干しっぱなしにしていた洗濯物は、何とか乾いている。
 そういえば今日は1月1日であり、エジプト旅行2日目だ。しかし、今年に入ってもう何日もたったような気がするくらい、長い1日だった。
 明日に備え、21時に就寝した。


*この日の服装
 ピンクの半袖Tシャツ、赤のチェックの長袖シャツ、カーキのカーゴパンツ


 エジプト旅行記2日目その1<-  ->エジプト旅行記3日目その1

|

« 「B21 地球の歩き方 ブラジル 2008~2009 」を購入する | トップページ | 「るるぶ新楽楽箱根」を購入する »

旅行・地域」カテゴリの記事

*200712エジプトの始末」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: エジプト旅行記2日目その2:

« 「B21 地球の歩き方 ブラジル 2008~2009 」を購入する | トップページ | 「るるぶ新楽楽箱根」を購入する »