エジプト旅行記3日目その1
2008年1月2日(水曜日)
早朝の飛行機でルクソールに移動するため、2時に起床した。
というよりも、眠ろうとしたものの30分〜1時間おきに断続的に目が覚めていた。まだ時差ぼけなのかも知れない。
カメラの電池の充電は完了している。昨日の夕方、お風呂に入ったときに洗っておいたタオルと靴下はちょっと湿り気が残っている。
3時20分のホテル出発の前にボックスの朝食が配られた。ハムとチーズのバケットサンド、パウンドケーキ、オレンジジュース、ヨーグルト、水、バナナ、リンゴである。
ルクソールに到着したら温かい朝食が食べられますという説明があった。ジュースを飲み、パウンドケーキとバナナとリンゴはおやつ代わりにバッグに入れた。
空港までの道筋、意外なくらい活動している人が多くて驚いた。お店も開いているし、カフェの店先で水煙草を吸っているおじさんなども結構な数いる。
空港に4時45分くらいに到着し、そのまま流れ作業のように「急げ!」と言われて飛行機に乗り込んだ。5時発の飛行機に乗る予定だから急がなくては間に合わないのかと思ったら、ゲートに5時30分離陸予定と表示が出ていて混乱する。
結局、5時に動き出したエジプト航空131便は5時30分に離陸し、6時15分にルクソールに到着した。
この飛行機は足元がすーすーして寒かった。
着陸する直前、窓から真っ赤な日の出が見えてとても綺麗だった。写真を撮りそびれたのが惜しまれる。
カイロの空港では1エジプトポンド未満のトイレチップは許されなかったのに、ルクソール空港ではトイレチップがいらないのが嬉しい。これだけで、かなりルクソールの印象が良くなるのだから、我ながら現金である。
7時30分過ぎに本日の宿であるナイル・パレスに到着し、レストランに直行して朝食をいただいた。
目の前で焼いてくれるオムレツがあって嬉しい。しかし、こういうときに「これとこれとこれ」と具材を指定するのが面倒になって「ALL」で済ませてしまう自分はちょっと悲しい。
カルカデのジュース(右奥の濃い紫色のコップ)もあった。さっぱりとした味のジュースである。
8時30分にルクソール西岸観光に出発した。まずは王家の谷に向かう。
盗掘を恐れた王たちは、自分のお墓の場所を特定されないようにかなり慎重に場所を選んだという。結局はほとんどのお墓が盗掘の憂き目に遭ったけれど、その秘密保持は厳重だったらしい。
お墓の建造に当たった各国からの奴隷はみな墓の完成後に殺されてしまったそうだし、壁画を彫ったり描いたりしたエジプト人達は目隠しをされてお墓まで行き来していたという。
バスを降りたところにビジターセンターのような場所があり、そこから王家の谷の入口までは「タフタフ」と呼ばれる、ゴルフのカートを何台も連ねたような乗り物で行く。
王家の谷では、入場料70エジプトポンドで三つのお墓を見ることができる。ツタンカーメンのお墓だけは別料金で80エジプトポンドだ。
王家の谷では62のお墓が発見されている。その62番目が、ツタンカーメンのお墓である。
この62のお墓のうち公開されているお墓は20弱ある。ただし、開いているお墓は毎日のように変わっており、行ってみなければどのお墓が見学可能なのか判らない。
それにしても、暑い。
日射しがカイロとは全く違う。砂漠の暴力的な日射しである。
まずは、ツタンカーメンのお墓の前に集まり、ハニーさんの解説を聞いた。ピラミッドと同様に、ここでもガイドさんは中に入って説明することを許されていない。
王の名前は、生まれたときと王になったときの二つあるということを初めて知った。
ツタンカーメンのお墓は、ラムセス6世のお墓の近くにある。偶然、カルトゥーシュが描かれた岩が見つかり、発見されたそうだ。
ツタンカーメンはまだ若いうちに亡くなったのでお墓の準備もあまりできておらず、入口からまずたどり着くのが控えの間、その左奥に別の間があり、右手が玄室、玄室の右奥に宝物の間の4室しかない。このうち公開されているのは、控えの間と玄室の二部屋である。
こんなに小規模なお墓にも関わらず、詰め込まれていたお宝は約3500点もあり、全てを取り出すのに10年の月日がかかったという。副葬品の数々はカイロ博物館に大々的に展示されており、他の王の墓も盗掘されていなければどれだけのお宝が詰め込まれていたのか、想像を絶する量と質ときらびやかさだったことだろう。
2006年からツタンカーメンのミイラがお墓の中に安置され公開され始めた。ミイラの公開が始まった少し後からツタンカーメンのお墓の入場制限を始めるという話が出ていた。入場制限があって入れなかったらショックだとかなりどきどきしていたけれど、私が行った時点では入場制限は行われていなかったようだ。
ハニーさんにカメラを預け、9時30分とは思えない陽光の下、いよいよ入場である。
これを書いている半年もたった今になると、記憶はかなり薄れている。ほとんど覚えていない。
前室はかなり殺風景だった、ような気がする。
当時もらった説明書によると、玄室の壁面には、ミイラにされたツタンカーメンが儀式で復活し来世に迎えられる様子が描かれていたらしい。
私のメモによると、死後も目と耳と口が使えるようにするためにツタンカーメンの口に神官が何かをしている絵が描かれていたり、三途の川らしきものが描かれていたり、ツタンカーメンの口に長命になるようアンクを入れている絵が描かれていたり、太陽を呼び起こすヒヒの絵が描かれていたりしていたようだ。
流石にツタンカーメンのミイラの姿は記憶に残っている。
何しろ、後で見ることになるカイロ考古学博物館にあるミイラと比べ、何といっても若かったのだ。
そう思って見たせいかも知れないし、そもそも白い布がかけられていて、顔と手首から先と足首から先しか見えていない。
それでも、真っ黒で、特に顔の頬の辺りがつるつるつやつやふっくらしているように見える。
気持ち悪いとか気味悪いという感想はついぞ浮かばず、ひたすら綺麗だなと思って見つめていた。
そして、壁画で印象に残っているのは12匹のヒヒである。
ちょうど、ミイラの頭の方の壁面に描かれている。
12匹で夜の12時間を表している。
縦4列横3列のマス目の中にそれぞれヒヒの絵と名前なのかヒエログリフが描かれている。そのうち、左から2番目、上から3番目のヒヒだけは名前が削り取られてしまっているのが不思議だった。
ツタンカーメンのミイラが安置されている玄室は決して広くない。
ミイラが入っていたお棺の周りに、それぞれ1〜2mくらいの余裕があるくらいの広さだ。
このサイズの部屋の壁一面に絵が描かれていると、それだけで結構な圧迫感がある。そして、意外と赤い色が残っていて、もっともっとボロボロなんじゃないかと思っていたので驚いた。
さらに驚いたのは、ツアーの方々がさっさと出ていってしまうことだった。勿体ないよ! と叫びたくなる。
次にハニーさんが説明してくれたのは、ラムセス3世のお墓だった。ハニーさん曰く「今、開いているお墓の中では一番綺麗なお墓です。」ということである。
ツタンカーメンのお墓はかなり特徴的な造りになっていて、他のお墓は概ねラムセス3世のお墓のように縦に長い造りになっているそうだ。そして、その長い通路の壁面には、一番奥で眠る王の功績が描かれているという。
ラムセス3世のお墓の解説をしてもらった後、他にはラムセス1世のお墓がお勧めですという話があり、11時15分まで1時間強のフリータイムとなった。
ラムセス3世のお墓はかなり丁寧に見たつもりだったし、実際に30分以上長さ140mくらいのお墓をうろうろしたけれど、やはり、今ひとつ記憶が定かではない。
通路の両側は透明なカバーで一面が覆われ、時々、ほんの少しだけガラス越しでなく見られるよう穴が空いている。壁面のヒエログリフや絵などは、描かれているのではなく彫られた上に色が乗せられ、天井までびっしり埋め尽くされている。
その中で、真ん中の支点に王の顔が描かれた、罪を計る天秤がかなり平べったく描かれていたのが印象的だった。
お墓の通路は真っ直ぐではなく、途中で一度カギ型に通路が曲がっている。
蛇は通常は来世に行くのを邪魔する存在で、アンクを持った蛇だけは来世に向かう案内蛇であるという。邪魔をする蛇は王と同じ進行方向を向き、アンクを持った蛇は王の正面からやってきているように描かれているのが不思議だ。
「列柱の間」と称されている場所には段差があり、柱が建ち、薄暗いような気もして少し圧迫感があった。
「お墓の内部の写真だ。」と言われて購入したこの写真は、ラムセス3世と書いてあるからラムセス3世のお墓のどこかの写真の筈だ。実は、こんな絵が描かれていたという記憶が全くない。
そもそも、こんなにカラフルなお墓だったという記憶がない。全体的に、茶色い石の色というか壁の色のところに彫られていて、そこに色が乗せてあったという記憶である。
その場で書いていたメモの力を借りると、入口には正面を向いた雄牛の絵が両脇に描かれていたこと等もかろうじて思い出すことができる。
最初の通路では、壁の両脇と天井にヒエログリフが彫られて色を乗せられている。この通路の最後のところに小さな部屋があり、そこには、持ち込むことはできなかった大きな船の代わりに船の絵が描かれている。
王への捧げ物は実際にお墓に納めただけでなく、第2通路の両脇にあった小部屋の壁にも描かれたという。その小部屋のうちの一つの、しかもめちゃくちゃ見にくい場所に、このお墓が「竪琴弾きの墓」と称される元となった絵が描かれている。
第3通路の天秤の絵の辺りに、ヒエログリフに三つの点がたくさん打たれている文章があり、それは「おまえはこんないけないことをしたか。」という質問に一々「していません。」と答えていることを表しているという。死後の審判の場面ということだ。
ラムセス3世のお墓を堪能して出てみたら、集合時間まであと30分くらいしかなかった。
ハニーさんお勧めのラムセス1世のお墓に行ってみると、かなりの行列でしかも進んでいない。
うっかりガイドブックをバスに置いてきてしまい、選択する指標もない。
少しでも手がかりがあるところにしようと、ハニーさんからもらった説明の紙に載っていて、それほど混雑していなかったラムセス9世のお墓に向かった。
ラムセス9世のお墓でまず目に付いたのは、第1通路と第2通路の間にある、日本の家でいうと欄干のような天井近い場所にある絵だった。
太陽を表す赤い丸の中に、雄羊の頭を持つアトゥム神とホルス紙の神が描かれている。背景が白く塗られているため、かなり鮮やかに目立つ。
全体としてラムセス3世のお墓よりもすっきりして、余白が多い。生前の権勢が小さかった王なのかも知れない。
もう一つ素晴らしかったのが、第3通路の天井に描かれた天体図だ。
濃いブルーの地に黄色でくっきりと天体図が描かれている。時々、塗り忘れなのか未完成なのか白い線になっているのはご愛敬だ。直線が赤で描かれていたのは飾りだろうか。
ぽかんと口を開けて上を向き、しばしぼーっと眺めた。
ラムセス3世のお墓よりもはるかに規模が小さいものの、この天井画だけで十分にお釣りがくる。
私が集合場所に到着したときには、ほとんどの方が集まっていらした。
セティ1世のお墓が見たいとおっしゃっていたお嬢さんは、かなり遠くにあるそのお墓まで行ってみたら、今日は閉まっていたそうだ。残念なことである。
1エジプトポンドのトイレチップを払ってビジターセンターのお手洗いを借り、11時35分、バスはハトシェプスト女王葬祭殿に向かった。
今日も長い1日になりそうである。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 「母とヨーロッパへ行く」を読む(2025.01.12)
「*200712エジプトの始末」カテゴリの記事
- エジプト旅行記7・8日目(2008.08.18)
- エジプト旅行記の入口を作る(2008.08.18)
- エジプト旅行記7日目その1(2008.08.17)
- エジプト旅行記7・8日目(引っ越しました)(2008.01.07)
- エジプト旅行記7日目その1(引っ越しました)(2008.01.06)
コメント