エジプト旅行記3日目その3
2008年1月2日(水曜日)
この日のお昼は、「ハナ」という日本食のお店だった。
14時30分というランチタイムを大きく外れた時間のおかげ、他にお客の姿はなく、微妙に工事中のような雰囲気である。
お店の見た目に反して、ごはん、御味噌汁、焼きサバ、卵焼き、肉じゃが、バナナというランチメニューがやけに美味しかった。
その後、ホテルに直行するかどうか多数決が取られ、15時30分過ぎに「Jewellers-Souvenirs」のお店に立ち寄ることになった。
ハニーさんによれば、金製品はルクソールが一番だそうだ。
「PHILIPPE work shops」というそのお店はカイロにも支店を持ち、政府お墨付きのお店だという。
何個買おうがどれを買おうが一律1割引というその値段設定に微妙に不審を感じつつ、ツアーの方の勢いと熱気、そして誘惑に負けて、カルトゥーシュのペンダントトップを購入した。
このお店では、金製品のお値段は重さだけによって決まり、デザインや例えば名前をヒエログリフで彫ってもらうときの文字数などは全く影響しない。このお店だけでなく、後にカイロで立ち寄ったお店でも同じだったので、エジプト全体でそうなのかもしれない。
最初は、自分の名前を透かし彫りにしてもらおうと思っていた。しかし、透かすために土台が薄くなり、どうしても安っぽく見えてしまう。
透かし彫りが160米ドルで、カルトゥーシュの周りに模様の入ったものだと400米ドルだ。
お値段で2.5倍の開きがあったのでかなり迷い、結局、カルトゥーシュの周りに模様の入ったものを選んだ。
400米ドルの1割引で360米ドルだったので、ダメ元で「350にならない?」と聞いてみたら、値引きの代わりにスカラベのお守りをオマケしてくれた。
ところで、私の名前は「TOMOKO」なので、「O」が三つ入る。
そして、ヒエログリフのアルファベットには「O」が2種類ある。
お店のお姉さんに「どっちがいいと思う?」と聞くと「同じよ。」という答えが返って来た。どちらも「O」だと判っている。デザインとしてどうかと聞きたいのである。
しばらくやりとりしていたら、そばで聞いていたおじさんが「これでどうだ。」と見本を書いてくれ、デザインとしてMは凝った鷹のような鳥の絵になっているのでその前後の「O」はすっきりした方、「K」はデザインとして単純なのでその後ろの「O」は鳥に似た方に決まった。
裏側にも文字を入れることができる。
「ツタンカーメン」や「ネフェルティティ」などと比べ、デザインとして綺麗だったし、「愛された王妃」だし、何より午前中に見たお墓の印象が強かったので「ネフェルタリ」を選んだ。
ツアーメンバーの中には、カルトゥーシュのペンダントトップの裏側に、アンク(生命の象徴)とウジャト(悪を退けるホルスの目)とスカラベ(心臓を守るエジプトのお守り)の三つのお守りを彫ってもらった方もいらして、それもいいアイデアだわ、真似すればよかったわ、と思った。
16時30分過ぎにホテルに帰り着いた。
19時にルクソール神殿のライトアップに出かけることになり、つかの間の休憩である。
実は、メムノンの巨像の辺りから私の足は筋肉痛のために悲鳴を上げ続けていて、もう一歩も歩けませんと言いたいくらいだ。
ホテルのお部屋に付いたバルコニーからはナイル川を眺めることができる。
汗だくのTシャツだけ洗濯し、バルコニーの椅子に座ってぼんやりナイル川を眺める。
この時点で、キャリーケースにつけておいた鍵が失くなっていることに気がついたけれど、とりあえず、面倒なことは後回しである。
ぼーっとしつつ友人に年賀状代わりの絵はがきを書いたりしているうちに夜になり、19時、ルクソール神殿のライトアップに出かけた。
ルクソール神殿(入場料40エジプトポンド)は、その土台をアメンホテプ3世が建造し、その上に被せてラムセス2世が拡大している。
入口のオベリスクの後ろにはラムセス2世の像が6体あったけれど、今は3体しか残っていないという。
残っていないといえば、そもそもこのオベリスクも2本あり、1本はパリのコンコルド広場に持ち去られてしまっている。
ルクソール神殿の中庭は、ラムセス2世によって一般の人の祈りの場として建造された。
また、柱の一番上の部分のデザインは、パピルスをモチーフとしているものか、ロータスをモチーフとしているものか、どちらかになっている。この二つの植物がエジプトでどれだけ大切にされてきたかということが表れていると思う。
ことさらにライトアップされていたわけではないので随分暗い写真になってしまったけれど、ルクソール神殿の中には教会も造られている。
この絵は、1800年くらい前に描かれたというから驚く。
漆喰を塗ってその上にこの絵を描いたというキリスト教徒の人々も執念深いし、その教会の上にさらにモスクを築いたイスラム教徒の人々もなかなかの根性をしている。
そして、このモスクがつい2ヶ月前まで使われていたと聞いてクラクラしてしまう。
エジプトの人にとって、ルクソール神殿などの遺跡は本当に生活に近いところにあるのだなと思う。
今ひとつ記憶には残っていないものの、何故かメモ帳に図入りでハニーさんの説明を聞き取っているので多分感銘を受けたと思われる壁画がこれである。
この図は、上下エジプトが統一されたことを表しているという。
上の方の横線で地中海を表し、真ん中の縦線でナイル川を表し、一番下のところでビクトリア湖を表している。
その脇にはナイル川の神である「ハピ」が描かれている。この神様のお腹が出ているのは、その場所からナイル川が氾濫することを表しているという。
そして、パピルスとロータスが結ばれ、上下エジプト統一を象徴している。
一通りの説明を受けてからフリータイムになった。
とてもじゃないけれど時間が足りずに小走りで端から端まで巡る。
20時30分にはならない頃にホテルに帰り着いた。中庭で何やらダンスのショーが行われている。
「明日の朝に気球に乗りたい!」と騒いでいた結果を聞くべく添乗員さんを探したところ、4時出発と朝が早いこともあり他に希望者がいなかったので、料金が4万円くらいになるという。流石に「二人以上いれば2万円なんですが。」と言われると微妙なものがあったので、今回は諦めることにした。
ラムセス3世葬祭殿跡を空中から見たかったけれど、仕方がない。
昼食が遅かったこともあって、この日の夕食は各自自由にホテル内のビュッフェ・レストランで食べてくださいということになっていた。
レストランは22時30分まで開いていると。
シャワーを浴びて、21時30分過ぎにレストランに行ったら、どうしようかと思うくらいガランとしていた。
「ヌビア」というレストラン名からしてエジプト料理のビュッフェだろうと思っていたら、並んでいるのはステーキやシチュー、ライス、サラダといった洋食のメニューである。
ツアー全員での食事だとミネラルウォーターを頼んでもらえるけれど、お水を頼むのも何だか悔しいし、まだエジプトのビールを飲んでいなかったので、ステラ・ビールを頼んだ。500mlで25エジプトポンドだった。
私は「このガランとしたレストランがわびしすぎる」と思ったけれど、翌日にツアーの方にお聞きしたところでは、早い時間は逆にレストランでショーが行われていて大混雑だったらしい。
レストランの人も忙しくて飲み物の注文を取るどころではなく、お皿を下げて新しい席を作るので精一杯、追い立てられるように食べたとおっしゃっていた。
さて、どちらが良かったのか、迷うところである。
流石に500mlのビールは一人では持て余した。
夕食を終え、プールサイドに出て夜風に当たって酔いをさます。ライトアップされたプールが綺麗だし、ナイル川沿いのためか、涼しい風も吹いている。
ビールの酔いは結構まわっていて、部屋に戻り、連泊なのをいいことに部屋中ぐちゃぐちゃのまま23時前に就寝した。
*この日の服装
黒の半袖Tシャツ、赤チェックの長袖シャツ、カーキのカーゴパンツ
ライトアップを見に行くときは、Tシャツの代わりにピンクの長袖タートルネックシャツ
夕食のときは、ピンクの長袖タートルネックシャツにスカーフ、黒のパンツ
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