エジプト旅行記4日目その1
2008年1月3日(木曜日)
気球に乗るなら4時起きだった。気球は断念したので、今日の出発は9時30分だ。
それでも、旅先ではやけに健康的に早寝でも遅寝でも早起きしてしまうのは何故なんだろう。
6時30分過ぎに目が覚めて外を見たらあまりにも空が綺麗だったので、慌てて着替えてプールサイドに降りた。
ナイルの朝である。
たくさんの気球が浮かんでいる。いいなぁと眺めていたら、同じように眺めていたヨーロッパ人らしいおじさんに「僕たちは明日気球に乗るんだ。」と自慢される。ちょっと悔しい。
早い時間には雲もあり、ナイルの水も空も薄青い色をしていた。
日が昇るにつれて、対岸の山は光り始め、雲は消え、空もナイルの水も濃い青に変わって行く。
その変化は見飽きることがない。
部屋に戻って洗濯をしたら、洗った水が真っ黒というか真っ茶色になって驚いた。
8時前に朝食を摂る。
昨日の夕食のときと同様、このレストランのウエイターさん達は、手を挙げてもなかなか気がついてくれない。しかし、ヨーロッパ人らしいおじさんおばさん達は精力的に隣のテーブルからお皿やナイフなどを分捕ってきて熱心に自分たちのテーブルを整えている。うん、ああでなくっちゃ、と気を取り直す。
ホテルを出発し、20分くらいで今日のメインイベントであるカルナック神殿(入場料50エジプトポンド)に到着した。
カルナック神殿の「カルナック」は日干し煉瓦の障壁という意味で、6500年前のものが残っているそうだ。
カルナック神殿の前には少し前まで家が建ち並んでいたそうだ。それをナイル川を挟んだちょうど反対側にあるハトシェプスト女王葬祭殿まで見通せるように全て壊して整地してしまったというから驚く。家を失った人々にはちゃんと安住の地があるのだろうか。
この写真で、左側から並ぶ木が切れた辺りの画面右端の山裾に見える、四角いものがハトシェプスト女王葬祭殿である。
ルクソール神殿の参道に並んでいたスフィンクスの頭は人で、ここカルナック神殿の参道に並んでいるスフィンクスの頭は羊である。
カルナック神殿はどんどん建て増しを繰り返した神殿であり、内部に行くほど古く、一番外側にある第一塔門は一番新しい。
第一塔門を入ったところが中庭で、一般の人はここでお祈りをした。
中庭の入口までスフィンクスが並んでいたところを、第一塔門を作ったときにスフィンクスも移動したという。
ここに無造作に置かれていた大理石のスフィンクスは、ツタンカーメン王が作らせたものである。スフィンクスの顔もツタンカーメンと似ていると言われているらしい。一生懸命思い出そうとしたものの、昨日見た真っ黒のミイラの顔を似ているかどうか、今ひとつ確信が持てなかった。
第2塔門は、建造途中で王が死んでしまったためにレリーフもなしで放り出された第1塔門と異なり、レリーフもあるし、彩色もされている。
彩色には自然のものが使われており、例えば赤い色はざくろ、黒い色は鉄さびを利用している。
また、この第2塔門には、1887年のナイル川氾濫の際の水位が刻まれている。
ハニーさんはこの話題満載の第2塔門はくぐらずにその手前を左に折れて、アメン神殿の外に出てしまった。
アメン神殿の外側にも、闘いの様子を描いたレリーフが深く彫り込まれていた。
誰のどことの闘いを描いたものかさっぱり判らないなりに、迫力に満ちあふれていたことは確かだ。
こういった大きなレリーフは、日干し煉瓦で作業台を作りつつ壁を作り上げ、今度は日干し煉瓦の作業台を少しずつ崩しながら、上の方からレリーフを作って行ったという。全体像が見えないまま作るとは、設計図も必要だろうし、かなり高度だと思う。
妙に歩きにくい砂地をどんどんアメン神殿から離れて歩いて行く。
ガイドのハニーさんの姿はすでに遠く、どこを目指しているのか聞くこともできない。
ハニーさんにやっと追いつけたのは、「これが一番キレイに残っているヒエログリフです。」という説明をしているときだった。確かに綺麗にくっきり残っているけれど、「どこで」一番なのかは聞きそびれた。カルナック神殿で一番だったのかも知れないし、エジプトで一番だったのかも知れない。
そうして、一番キレイなヒエログリフの横を通り過ぎて至ったのは、ビタッフ女神の神殿だった、と思う。
この辺りの書き方が曖昧になるのは、私のメモの字が汚すぎるせいと、この神殿について言及している本やサイトがほとんど見つからず、それっぽいと思えたところには「ムト神殿」と説明書きがあったからだ。
確かに、その神殿に入ったところの部屋には、頭部のない闇の神の像がポツンと置かれていた。
その姿は、明るいところにあってもかなり異様だ。
でも、ハニーさんが私たちに見せたかったのは闇の神の像ではなく、その隣にある鍵のかかった部屋にいらしたビタッフ女神の像の方だった。
ハニーさん曰く「美術館にあるべき像だ。」「同じ女神の像がカイロ考古学博物館にもあるけれど、こちらの方がずっと美しい。」「エジプトで一番美しい立像だ。」ということである。
フラッシュをたかれるとその後の闇が深くなってよく見えないから止めてくださいと、心の中でツアーの方々にお願いしつつ、最後の最後に、フラッシュをたかずに写真を撮ってみた。
かなりISOを上げてもやはりこれくらいが限界だ。
この神殿は高いところに上がることができ、そこからはカルナック神殿(正確にはアメン神殿というべきだろう)の全景を拝める。
正直かつ控えめに言って、莫迦みたいに巨大な建造物であり、眺めである。
第2塔門に戻り、中に入るとそこはセティ1世が作った計134本の大列柱室だった。
真ん中の2列の柱が高く、外側の柱が低くなっているのは、この差を利用して明かり取りに使っていたからだという。
この大列柱室の柱にはかなり彩色が残っており、中でも王の名は黄色で彩色し目立つようにしていたという。そこをさらに、ラムセス2世は、自分がセティ1世の名を消して自分の名を上書きしたものだから、未来の王に同じことをされないよう深く彫ったという。
ラムセス2世という人は、もの凄く自己顕示欲の強い王様だったようだ。
ところで、世界で一番高いオベリスクは、ここカルナック神殿にある、ハトシェプスト女王によって作られたオベリスクである。
上1/3ほどは金箔で飾られていたそうで、オベリスクには「金で作ろうと思ったのに神官に剥がされちゃってごめんなさい。」という意味のことが書いてあるらしい。
そもそもオベリスクはどんな目的で作られ、誰が最初に作ったのかはまだ判っていないそうだし、そんな謝罪の言葉を刻まなくてもと思う。
ハトシェプスト女王のオベリスクがある塔門を入ったところが至聖所で、王と神官のみが入ることを許された場所だ。
外に出ると、「聖なる池」がある。
至聖所で1日に3回お祈りをするたびに、ナイル川の水を引いているこの池の水で王と神官は身体を浄めたそうだ。
今はパイプでナイル川とつないであるそうだ。昔はどうやってナイルの水を引いていたのだろう。カルナック神殿近くまでナイル川が来ていたということだろうか。
神官は神殿に住んでいたとして、王はどこに住んでいて、お祈りの度に住まいから神殿までやって来たのだろう。
何かで読んだところによると、エジプトでは「死後の世界はずっと続く」と考えて神殿やお墓は石灰岩や花崗岩などの丈夫な石で作り、現世の住まいは「一瞬」と考えて日干し煉瓦等の適当な素材で作ったという。そのため、宮殿は崩れ去り、現在まで残っているのは「死後」のものばかりだという。
昔のエジプト人が刹那的だった証拠なのか、刹那的ではなかった証拠なのか、微妙なところのような気がする。
このスカラベの説明を受けてフリータイムとなった。
スカラベは幸福・幸運の神様だる。
ハニーさんが言うには、このスカラベの周りを反時計回りに5周回れば幸せになり、6周回ればお金持ちになり、10周回れば結婚でき、42周回れば離婚できるそうだ。
離婚するのが一番大変なのか・・・と思う。それはイスラム教徒ならではの発想だろうか。
添乗員さんが「一人で回ると恥ずかしいですから、この際、みなさんで5周回りましょう。」と音頭を取り、一同は粛々と5周回った。
ここまで大体1時間半をかけてハニーさんにガイドしてもらった後、30分間のフリータイムとなった。
至聖所に戻ると、そこからさらに奥に行けるようだ。そこは庭のようになっていて、窓から出るような感じで低い壁を乗り越えて降りることができた。
すると、ヒマそうなおじさん達が手招きして「ハトシェプスト」「ハトシェプスト」と言う。
言われるままに指さす方に進むと、顔を消されたレリーフと、群青色の石で作られた門というか入口のある部屋があった。
顔を消されちゃうのはハトシェプスト女王の専売特許だと信じているので、ここは私の中ではハトシェプスト女王祈りの間だったろうと思っているけれど、真偽は今もって不明である。
中に入ると、そこには色鮮やかなレリーフがあった。
暗くて天井の高い部屋で、中には2〜3人しか人がいない。
何だか不思議な雰囲気のある場所だ。
祈りの間の隣にはロープが張られた一角があった。
一人でうろうろしていたせいか、何故だかヒマそうおじさん達の一人に手招きされてその一角に入った。
恐らくはスカラベが彫られている場所だけ黒くなった、碑文のような石が置かれている。
おじさんに言われるまま、黒くなったところに左手を当て、次にその手を自分の心臓に当てることを2回繰り返す。さらに、おじさんに促されてお辞儀を2回した。これで儀式は完了のようだ。
何かのお呪いだと思うけれど、意味を聞けるほどの語学力がない。
未だに気になっている、エジプト旅行での謎の一つである。
そして、慌てて集合場所に走った。
11時30分、バスは渋滞するルクソールの街中を抜けてルクソール博物館に向かった。
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