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2008.07.25

エジプト旅行記4日目その2

2008年1月3日(木曜日)


 12時前くらいにルクソール博物館(入場料70エジプトポンド)に到着した。
 近代的というのか、スタイリッシュというのか、新しい博物館ということもあって「演出された」博物館という感じである。
 入口からすぐのところにあるアメンホテップの頭像も、アムン・ラー神の像もなかなかの迫力だ。ハニーさんの「カルナック神殿にいらっしゃった街の神様」というアムン・ラー神についての説明が楽しい。


 ツタンカーメンのお墓から出土したものはほとんどがカイロの国立考古学博物館に納められている一方で、牛頭を持つハトホル女神の像だけは、ここルクソール博物館に納められている。
 また、カルナック神殿にもあったツタンカーメンの作ったスフィンクスは二つあり、そのもう一つはこのルクソール博物館にいる。


 写真撮影禁止なのが残念だ。本当に意外なくらい「お宝の山」である。
 そのお宝を前にして、ハニーさんから色々と説明を受ける。


・エジプト中王国時代の書記官は「大臣」の地位に匹敵していたこと。
・ヒエログリフを使うのは王や神官などごく限られた人だけで、一般の人はヒエログリフを崩したデモティックという文字を使っていたこと。
・古代エジプトでかつらをつけていたのは、王、神官、大臣、書記官という地位の高い人だけだったこと。
・コム・オンボ神殿の主神がワニの頭であるように、人を食べちゃうような動物は、人に仇をなさないように神様として崇めてしまうという発想だったこと。
・古代エジプトの王の仕事は戦争だったこと。弓と矢はその象徴であること。
・ラムセス2世の像は花崗岩と御影石が一つの岩になったものから彫りだされていること。
 この石はとても珍しくて産出場所が不明であること。
・新王国時代の終わりには、お墓に太陽の船の絵を描くのも止めて、模型を作ってヒエログリフを書き込み、その呪文を唱えれば船が大きくなって人を乗せられるようになると考えられていたこと
・カルナック神殿を造る際に使われた定規などの道具が残っていること。


博物館でのスケッチ


・色の残っている木製の棺があり、どの棺の内側にもヒエログリフで食べ物の名前が書かれていること。
 その文字を読み上げるとそれらを食べられるようになると信じられていたこと。
・ツタンカーメンの父ではないかと言われているアクナアトンは、太陽神アトンの一神教を試みた王であること。
・アクナアトンは、他の王とは違って写実的な自分の像などを造らせており、病気で体型が変わっている様子もそのまま表現されていること。


 ここにも誰のものか判らない(これは私が判らなかっただけで学問的には判っているのかも知れない)ミイラが展示されていた。
 ことここに至って初めて私は「mummy」という単語が「お母さん」ではなく「ミイラ」という意味だと認識したのだから、我ながら恥ずかしい限りである。


 最近になってカルナック神殿で発見されたものは、少し奥まった部屋に集められていた。
 このお部屋だけはフリーで見てきてくださいと言われた。発掘の様子の写真も展示されており、発掘はひたすら人力で行われているらしいことが見て取れる。
 その他の発掘品などをぼんやり眺めていたら、あっという間にツアーの方はいなくなってしまい、慌てて戻ったら博物館入口のミュージアムショップのような小さなお店にみなさんが集まっていた。


 13時30分ころから、ホテル・メルキュールのレストラン「イタップ」のプールサイドでランチをいただいた。
 温度計は24度を指していて爽やかである。
 このホテルではまだクリスマス・イルミネーションが残っていた。不思議に思ってハニーさんに聞くと「エジプトのクリスマスは、カトリックなので、1月7日にお祝いするのです。」と言う。これもまたよく判らないままになってしまった謎の一つである。


タラプリン この日のランチのメニューはこんな感じだった。
  前菜 野菜スープ
  メイン 鱈のソテー
  デザート プリン
 ビタミンCを摂取しようとレモンジュース(20エジプトポンド)を頼んだら、これが粉末ジュースのような味で大失敗だった。


 鱈のお皿の左上に載っているガーゼのような布で包まれているものはライムである。
 このライムを絞っていただく。それでも、味にもう一押し欲しい。
 そんなことを何となくしゃべっていると、ツアーの方がポケットから魔法のように、お寿司などについているおしょうゆの袋をいくつも取り出され、テーブルの皆でお裾分けに預かって美味しくいただいた。


 日程表ではこの日の午後ははフリータイムなっていた。しかし、添乗員さんもガイドさんもフリータイムは実施したくないらしい。
 そういえば、「ルクソールで馬車に乗ったお客様が、馬が何かにつまずいて馬車から放り出されてしまったことがあったので、社内ではルクソールの馬車は危険ということになっています。」と添乗員さんも言っていた。
 パピルスを購入したいという方が何人かいらっしゃったこともあり、バスはそのままパピルスのお店(多分、店名は「AEGYPTUS PAPYRUS」だと思う)に向かった。


 まずは、パピルスの作り方について「日本語での」デモンストレーションを見る。この店内も撮影禁止だったのが残念だ。
 パピルスは植物なのでもちろん太陽光によって育つ。また、茎の切り口が三角形になっていてピラミッドに通じる。そんなことから「神聖なもの」とされている。
 「丈夫なので強く引っ張っても切れない。」「柔らかいので折り曲げても切れたりしない。」という説明を受けた後でツアーの方がチャレンジしたら、あっさりとこのパピルス(この場合は植物の方)が折れて切れてしまった。


 お店の方も若干慌てた風情を見せつつ、パピルス(植物)の皮を剥き、中味の方を薄く切る作業を続けた。
 ローラーをかけて水分を出し、さらにハンマーで叩いて水分を出す。
 糖分を抜くためにしばらく水につける。店内には生成り色のパピルスと茶色いパピルスがあり、てっきり作ってから長い時間がたったものが茶色くなるのだと思っていたら、そうではなく、ここで長く水につけると茶色いパピルスができあがるという話だった。


 水分と糖分を追い出してリボン状になったパピルス(植物)を格子状に並べ、プレス機で1時間くらい圧縮をかけると、ようやくパピルス(紙)が完成する。
 だから、本物のパピルスは光に透かすとタテヨコの線がはっきり見える。
 バナナの皮で作られたニセモノは、すぐに折れてしまうしこのタテヨコの線がないという。


 何人かの方が大きなパピルスの絵を購入しようと早速商談に入った。
 一緒にくっついて聞いていると、例えば、蓮の花は愛情の象徴であり、いちじくの木は家族を表している、死後の世界を描いた絵でアンクを持って秤の上に座っている人は死者の裁判官である、カレンダーのパピルスでは男の人は東西南北の方角を表し女の人は季節を表し、24本描かれた手は時間を表すなどということを教えてもらえて楽しい。


パピルス 店内をうろうろしていたらパピルスで作られたしおりがあった。お土産に15枚購入する。
 色々な絵柄があって迷いに迷い、ネフェルタリの絵とアンクの絵、イシス神の絵をそれぞれ5枚ずつ選んだ。10枚買うとオマケに1枚もらえるそうで、それはお店のおじさんがツタンカーメンを勝手に選んでくれた。


 しおりが置いてあった場所は、しおり売場ではなく、商品を梱包したりキャッシャーに渡す伝票を作ったりする場所だったらしい。そこにいるおじさん達はヒマだったらしく、突然日本語を教えて欲しいという話になった。
 1から10までの数字と、1000と100万を伝える。
 「No problem.」は日本語で何と言うんだと聞かれ、しばし考えてから「大丈夫」だと教えた。我ながら名訳だと思っている。おじさん達は覚えてくれただろうか。


 皆のお買い物が済んでホテルに戻ったのは15時30分くらいだった。
 ホテルのロビーには、バスの中で話のあった「ヒエログリフを刺繍したTシャツとポロシャツ」の見本が用意されていた。明日の夜までにハニーさんに注文書を渡しておけば、カイロのホテルに届けてくれるそうだ。
 「着てみてもいいですよ。」と言ってもらえたので、試着してサイズを確かめる。
 エジプトの人は大柄だけど首は細いそうで、全体のサイズだけで選ぶと日本人には首周りがきついかもしれないと言われた。


青いナイル 16時30分にホテルのロビーに再集合し、ホテルの船着き場からファルーカに乗り込んだ。
 ヌビア人(だと思われる)船長さんが操るファルーカは、すーっと滑るように進む。
 のんびり自己紹介をしたり、ハニーさんが振る舞ってくれたチョコレートを食べたりしながら川風に吹かれる。
 このチョコレートは中にデーツとアーモンドが入っていて、なかなか美味しい。ギザにあるお店で買ったものだという。後で何人かでお願いし、予め注文を取ってもらってカイロのホテルに届けてもらえることになった。職場のお土産はこれで決まりである。


ナイルの夕陽 そんなことをしている間にも、ナイル東岸を見れば青い空と青い水、ナイル西岸を見ると今にも陽が沈みそうに黄色い光がぱーっと空に広がっている。
 そして、陽が沈むと、今度は西の空にたなびいていた雲がゆっくりと赤く染まって行った。
 ナイルの夕景に浮かぶファルーカは、ピラミッドや王家の谷と並ぶ、「これぞエジプト」という景色の一つだと思う。


赤い空 ファルーカがホテルの船着き場に帰って来た頃、ナイル川対岸の空は、嘘のような真っ赤な色に染まっていた。
 ファルーカの出発時間は、その時期の日の入りに合わせるという話で、見事に青から黄色、ピンクから赤に変わる空と、青から太陽の色を移した黄色、そして黒く暗く沈むナイル川を堪能できた1時間だった。
 黒い半袖Tシャツに赤いチェックの長袖シャツ、黒い薄手のハーフコートでは川風は涼しすぎ、最後の頃にはスカーフも首もとに巻いたくらいだから、防寒対策が必要な1時間とも言える。


 エジプトから20通くらい年賀状を兼ねて友人に絵はがきを出すつもりでいた。意外と絵はがきを買う機会がなくて数が足りない。
 夕食前にホテルのブックショップで買おうと行ったら閉まっていたので、ホテルを出て並びにあったお土産物屋に向かった。
 たった20mの、エジプトの街初一人歩きである。


 店先で5枚選んだら10エジプトポンドと言われ、値切った末に8エジプトポンドになった。
 8エジプトポンドちょうどはなかったので10エジプトポンド札を出したら、「おつりがないからもう1枚選べ。」と言われる。
 何となく悔しくて「2枚増やしていいでしょ。」と強気に出て、結局、7枚を10エジプトポンドで購入した。
 これが得をしたのか損をしたのかとっさに計算できないまま気になっていた。今計算したところでは、5枚8エジプトポンドだと1枚1.6ポンド、7枚10エジプトポンドだと1枚約1.42エジプトポンドということで、後者の方がお得だと判って嬉しい。


 そんなことをしている間に集合時間になった。
 夕方涼しかったことと、夕食のときは着替える方が多いというこれまでの経験則からして、黒いタートルシャツに黒地に赤から白へのグラデーションが入った毛のショール、黒いパンツに黒いコートを羽織ることにする。足元のバレエシューズは、裸足で履くと少し当たるけれど、ストッキングを履けば大丈夫そうである。


 歩いてお隣のホテルに向かう。
 これが、後から添乗員さんに送ってもらった「旅日記」にホテルの名前もレストランの名前も書いておらず、一体どこで食べたのか未だに謎である。
 メニューはこんな感じで、これに白ワイン(48エジプトポンド)を頼んだ。


コーヒー前菜 トマトのクリームスープ
メイン ビーフ、チキン、フィッシュから選ぶ
    (チキンにしたら、塩胡椒の効いたソテーだった)
デザート アップルパイ、コーヒー


 このホテルもレストランも、名前は判らないながら、外観も内装も宿泊したナイル・パレスよりも立派かも知れないくらいの場所だった。
 そこで、ネスカフェのスティックと一緒にお湯を出されたときの衝撃はかなりのもので、あちこちのテーブルがざわついたのを覚えている。
 あまりのショックに、わざわざネスカフェのスティックが載せられたお皿を引き寄せて写真を撮ってしまった。


 20時頃ホテルの部屋に戻り、お洗濯をし、先ほど買った絵はがきで友人に年賀状を書き、明日の早起き(4時起床)と移動に供えて22時過ぎに就寝した。


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