エジプト旅行記5日目その1
2008年1月4日(金曜日)
この日は、アスワンを少しだけ観光してからアブシンベルに向かう。
旅行もそろそろ終盤である。
4時に起床し、ホテルのレストランで朝食をいただき、5時30分にはバゲージダウンである。
鍵を失くしてしまったので、キャリーケースのファスナー同士をリボンで結び、それをガムテープでグルグル巻きにする。どこまで「鍵」の効果があるかは疑問だけれど、何もしないよりはいいだろう。
6時出発だ。少し早めに降りて、一昨日のビール代を清算する。フロントにはお釣りの用意がなかったらしく、お兄さんをどこかに走らせてしまった。
一昨日の夕食は、レストランに行かずにお部屋で持参のインスタント食品で済まされた方もいたらしい。「お部屋のミネラルウォーターを使ったから、もの凄く高いお夕食になっちゃったわ。」と笑っていらっしゃる。
ミニバーの請求書は次の日にボーイさんが持って来たそうで、しかも何故か帰り際、テレビの上にあったホテルの用意したお菓子を持ち去ったという。そのお菓子代は請求書には書いていなかったと笑っていらしたけれど、謎なボーイさんである。
空港では結構待ち時間があった。
ルクソールの空港は、セキュリティチェックを受けた後のお手洗いにチップのおばさんがいないのが気楽である。その代わり、トイレットペーパーは持参しないといけない。
ガイドのハニーさんは、カイロ大学で日本語を勉強して、同時に別の大学でエジプト古代史を勉強したそうだ。
しかも、日本に留学してさらに日本語を勉強したという。
途中で彼の携帯電話の着メロが鳴っていたので、「それはエジプトで流行っている曲ですか?」と聞いてみたら、「日本の友達が送ってくれた日本の音楽です。」という回答である。
しかし、ツアー一行は誰一人としてその曲を知らなかった。多分、最近の若手のバンドの曲なのだと思う。
8時くらいにアスワンに到着し、アブシンベル行きの飛行機までの時間を利用して観光に出かける。
エジプトでは、アスワンより南に街はなく、かつ、アスワンに一番近い街はアブシンベルだそうだ。
アスワンの街にはヌビア人が多く住んでいて、ハニーさN曰く「みんないい人」であるそうだ。
また、ヌビア語には文字がなく、とても難しい言語だという。
まず向かうのはアスワンハイダムである。
エジプトのダムはトンネル式なので、例えば黒部ダムのように水が落ちることはない。
アスワンハイダムの建設によって出現したナセル湖は東京−大阪間くらいの大きさがあり、一部はスーダン国内にも及んでいる。
また、ナセル湖にはワニが多く、その代わりナイル川からワニがいなくなってしまったらしい。
アスワンハイダムに発電所が作られた頃には、全エジプトで使う電気の60%を供給していたという。今でも全体の10%の電気を供給している現役の発電所だ。
アスワンハイダムに来るバスの中で「超望遠レンズでの撮影は禁止されている」という話があった。発電所を写真に撮るなという意味かと思っていたところ、ツアー一行の記念写真をここで撮っても特に問題はなさそうだった。
ナセル湖は、本当に意味なくデカい湖である。
湖というよりも、「地球のみずたまり」という雰囲気の方が強い。
「対岸」などというものは、見えそうな気配すらない。
結局、ナセル湖とアスワンハイダムとの違いというか区別が最後まで判らなかった。
とにかく、このナセル湖の水は、ミニ湖を通ってアスワンダムに注ぎ込み、最終的に80mの高低差があるというナイル川に注ぎ込まれて行く。
アスワンハイダムは、1970年にソ連の協力によって完成した。
ハニーさんがあっさりと「当時、ナセルとアメリカは仲が悪かったですから。」と説明しているのが何だか不思議な感じである。
この記念塔はその「協力の記念」に建てられたもので、5本の塔は手を表している。
この塔に上るエレベータも設置されているものの、上がるには事前に許可を得る必要がある。高いところ好きの私としては残念だけれど、そもそも、この何にもない塔に入るだけでもセキュリティチェックがあったくらいだ。どれだけ面倒臭い手続きが必要か、推して知るべしである。
次に向かったのは「切りかけのオベリスク」である。
まだ9時30分くらいだというのに、この強烈な日光と濃すぎる影は一体何なんだと思う。
「アスワン」は「花崗岩」という意味で、切りかけのオベリスクもその「花崗岩」の岩山の中にある。
この岩山に25エジプトポンドという入場料が見合っているかどうか、微妙なところだと思う。
「オベリスク」とは、ロシア語で「焼け串」という意味である。
カイロ周辺にはないことや、そのてっぺんの形がピラミッドと同じ四角錐になっていることなどから、オベリスクは新王国時代以降のもので、ピラミッドの代わりとして神に捧げられていたのではないかと考えられているという。
切りかけのオベリスクがあるからこそ、巨大なオベリスクがどう切り出されていたかが判ると言われればその通りだ。
しかし、ここまで切り出して最後に失敗した当時の人はきっとがっかりしたに違いない。2ヶ所に亀裂が入っていて、その亀裂を避けて真ん中の大丈夫だった部分だけを使えないか検討した跡があるそうだ。
途中まで切り出したオベリスクの両脇に、この場合は6ヶ所人間が入れるくらいの穴を開ける。その穴に木の楔を打ち込み、水をかけて楔を膨張させることで岩を割っていたそうだ。
この後どうやって運んだかといえば、ナイル川の氾濫を利用していたという。
また、この大きすぎるオベリスクをどうやって立てたかについては、貴族の墓の中にその様子を描いたレリーフが残っているという。
相変わらず稚拙な絵で申し訳ないけれど、イメージとしてはこんな感じで、この砂を抜くことによってオベリスクを台座に立たせることができる。
見学を終えて空港に向かう途中、道ばたにバスが停車した。
香水瓶をお土産にする方は、そこに詰めるサハラ砂漠の砂をここで持ち帰りませんかという。準備よく添乗員さんがビニルの袋を配ってくれる。
道路際まで砂は落ちてきていて、その場で袋に砂を詰めている人が多かった。
あまり砂集めに興味のなかった私は、2mくらいの結構急な砂の斜面を上ってみる。
「一面の砂漠」を期待して上ったら、残念ながらそこまでの広さはなく、すぐ向こうに鉄塔なども見えていた。
それでも、砂紋がくっきりと風によって描かれていて、上がった甲斐もあるというものである。
気がつくとツアーのほとんどの方が上がって来ていて、添乗員さんに後で「上まで上がる方はほとんどいらっしゃらないんですけれど。」と言われた。
先陣を切ってしまって申し訳ない。
10時30分、アスワンの空港に到着した。
アスワンの滞在時間は2時間だった。
ここで初めてセキュリティチェックに引っかかった。朝のルクソールの空港では全く問題なく通過したし、未だに何がいけなかったのか分からない。
アスワンの空港はルクソール空港からさらに進んで(?)いて、お手洗いの壁に「NO TIPS」と張り紙がある。お掃除の女性はいたけれど、その張り紙に気が大きくなり、チップを出さないまま無事にお手洗いを脱出できた。
その話をハニーさんにしたら、軽く「無視すればいいのに。」と言われた。なかなかそうもできない。
アスワンからルクソールへ行く飛行機が遅れていた。
ハニーさんが次の便への振替を狙ったけれどそ果たせず、遅れてやってくる飛行機に乗ることになり、待ち時間を利用して、さっき空港に送ってくれたバスを呼び戻して、そのまま香水瓶のお店に案内してもらえることになった。
香水瓶のお店よりも、フィラエ島のイシス神殿に行きたかったなぁと思う。
11時45分くらいに、「KYPHI PERFUMES」というお店に到着した。
香水瓶のお店で、香油も一緒に販売している。ハニーさん曰く、「香水瓶はアスワンが一番。」だそうだ。
まずは香水瓶づくりのデモを見せてもらう。材料はクリスタルの耐熱ガラスで、それを超強力そうなガスバーナーの火で成型する。最後に「パンッ」と凄い音がして、完成だ。
地下に移動し、お茶などいただきながら香油の説明を受けた。もちろん、日本語である。
話を聞いていて、「香水」と呼んではいるけれど、それは「香油」のことで、香油とアルコール等々を混ぜていわゆる「香水」が作られるということが判った。
フランス製の香水の原材料である「香油」はほとんどエジプトのものなんだと、説明してくれたおじさんは自慢気である。
ロータスやジャスミン、オレンジブロッサムなどの植物そのままのオイルの他に、「Secret of the Desert」や「Queen Cleopatra」などと名付けられたブレンド・オイルも売られている。
いずれも、30g30米ドルのところを20%引きにする、三つ買ったら一つオマケすると、商魂たくましい。
香水瓶は、300エジプトポンド以上のものについて10%引きにすると言う。
「ロータスのオイルはエジプトにしかない」という一言に負け、Lotus Flowerのオイル30gを24米ドルで購入した。
お店のお兄さんはしきりと「三つ買えば四つ目は無料だ。」と勧めてくる。しかし、オイルランプを使おうとしないかぎり、アロマオイル30gを消費するのは結構時間がかかる。それならどれくらい保つかと聞きたかったけれど、それを聞ける語学力もなく、保って1〜2年だろうという読みもあって、一つに留めた。
このお店を出たときには12時30分を回っていて、バスの中で、ケーキバーとポテトチップスが軽食代わりに配られた。
足りない。お腹が空いた。
珍しく手回しよく手荷物に入れてあったウィダー in ゼリーをこっそり飲んで、ケーキバーも食べて、ポテトチップスは食べると喉が渇くような気がしたのでとりあえず取っておく。
添乗員さんが「軽食を用意するって言っていたので、てっきり、サンドイッチか何かだと思ったんですよね・・・。」とボヤいていたのが可笑しかった。
アスワンの香水&香水瓶のお店でお買い物を楽しみすぎ、実は結構ギリギリの時間になっていたらしい。
配られたお菓子をぱくぱく食べているツアー一行を乗せたバスは、飛ばしに飛ばして空港に向かった。
13時過ぎに空港に到着し、13時20分には乗った飛行機が離陸したから、本当にギリギリである。
飛行機の右側の後ろ半分がガラガラだったのでもしかしたらと思っていたら、やはり、アスワンからアブシンベルに向かう飛行機の左側の窓からは、アブシンベル神殿を見ることができるそうだ。
右側の座席にいたため見られなかったのは残念だった。
今回は本当に「空の旅」の部分で恵まれていない。
14時半過ぎに、今日の宿であるセティ・アブシンベルに到着した。
ホテル内のレストラン「トシュカ」で、まずはランチである。
メニューは以下のとおり。
スープ パスタのスープ(と言われたけど、具は麦のような気がした)
パスタ スパゲティ・ナポリタン
メイン 牛肉のソテー野菜添え
デザート フルーツ
ランチのとき、添乗員さんとガイドのハニーさんと一緒のテーブルになった。お二人は見事に席になんか着いていない。
飛行機が遅れて今日のスケジュールが遅れていたし、今ホテルに到着したばかりで部屋割りやこの後のスケジュールの調整などのお仕事もあったのだろう。
「もしかして、今までもちゃんと食べられていないの?」とハニーさんに聞くと、「ごはんを食べないのはラマダンで慣れていますから。」と答えられた。
そういう問題ではないと思う。
ナポリタンは、「何故エジプトにまで来ていんちきイタリアン・・・。」と心の中で呟いてしまうお味だった。
フルーツで出てきたデーツはエジプトに来て初めてで、何だか嬉しい。厚めの皮を剥いて食べると、甘みが凝縮されている味がした。
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