« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »

2008.07.31

箱根までの足を確保する

 「夏に箱根に1泊2日で行って来ます」と職場の先輩らに話すと、みんな「2泊とか3泊とかしてゆっくりしてくればいいのに」と言う。
 箱根に2泊以上するという発想が全くカケラも思い浮かばなかったので驚いた。

 でも、考えてみれば、真夏に山の上に行ってのんびり涼んでくるというのもなかなか魅力的なプランである。

 今回は1泊の予定はそのままにして、予約してあった箱根の宿の宿泊料を旅行会社に支払いに行って来た。
 ついでに、行きのロマンスカーを予約し、現地では「遊覧船に乗りたい」「ロープウェーに乗りたい」「成川美術館に行きたい」という母のリクエストにお安く応えるため、「箱根フリーパス」を購入した。
 このフリーパスは、箱根までの小田急線往復運賃(ロマンスカーの特急料金は別に必要)と、箱根の登山電車やロープウェー、遊覧船などが乗り降り自由になり、新宿発着の場合2日間有効で5000円というなかなか優れものの切符である。
 しかも、色々な施設の割引も付いてくるのだ。

 さて、箱根湯本到着時刻も確定したことだし、お昼ご飯を食べるお店から始めて、ちょっと本格的に計画を詰めておこうと思う。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.07.26

エジプト旅行記5日目その1

2008年1月4日(金曜日)


 この日は、アスワンを少しだけ観光してからアブシンベルに向かう。
 旅行もそろそろ終盤である。


 4時に起床し、ホテルのレストランで朝食をいただき、5時30分にはバゲージダウンである。
 鍵を失くしてしまったので、キャリーケースのファスナー同士をリボンで結び、それをガムテープでグルグル巻きにする。どこまで「鍵」の効果があるかは疑問だけれど、何もしないよりはいいだろう。
 6時出発だ。少し早めに降りて、一昨日のビール代を清算する。フロントにはお釣りの用意がなかったらしく、お兄さんをどこかに走らせてしまった。


 一昨日の夕食は、レストランに行かずにお部屋で持参のインスタント食品で済まされた方もいたらしい。「お部屋のミネラルウォーターを使ったから、もの凄く高いお夕食になっちゃったわ。」と笑っていらっしゃる。
 ミニバーの請求書は次の日にボーイさんが持って来たそうで、しかも何故か帰り際、テレビの上にあったホテルの用意したお菓子を持ち去ったという。そのお菓子代は請求書には書いていなかったと笑っていらしたけれど、謎なボーイさんである。


 空港では結構待ち時間があった。
 ルクソールの空港は、セキュリティチェックを受けた後のお手洗いにチップのおばさんがいないのが気楽である。その代わり、トイレットペーパーは持参しないといけない。


 ガイドのハニーさんは、カイロ大学で日本語を勉強して、同時に別の大学でエジプト古代史を勉強したそうだ。
 しかも、日本に留学してさらに日本語を勉強したという。
 途中で彼の携帯電話の着メロが鳴っていたので、「それはエジプトで流行っている曲ですか?」と聞いてみたら、「日本の友達が送ってくれた日本の音楽です。」という回答である。
 しかし、ツアー一行は誰一人としてその曲を知らなかった。多分、最近の若手のバンドの曲なのだと思う。


 8時くらいにアスワンに到着し、アブシンベル行きの飛行機までの時間を利用して観光に出かける。
 エジプトでは、アスワンより南に街はなく、かつ、アスワンに一番近い街はアブシンベルだそうだ。
 アスワンの街にはヌビア人が多く住んでいて、ハニーさN曰く「みんないい人」であるそうだ。
 また、ヌビア語には文字がなく、とても難しい言語だという。


 まず向かうのはアスワンハイダムである。
 エジプトのダムはトンネル式なので、例えば黒部ダムのように水が落ちることはない。
 アスワンハイダムの建設によって出現したナセル湖は東京−大阪間くらいの大きさがあり、一部はスーダン国内にも及んでいる。
 また、ナセル湖にはワニが多く、その代わりナイル川からワニがいなくなってしまったらしい。


発電所 アスワンハイダムに発電所が作られた頃には、全エジプトで使う電気の60%を供給していたという。今でも全体の10%の電気を供給している現役の発電所だ。
 アスワンハイダムに来るバスの中で「超望遠レンズでの撮影は禁止されている」という話があった。発電所を写真に撮るなという意味かと思っていたところ、ツアー一行の記念写真をここで撮っても特に問題はなさそうだった。


 ナセル湖は、本当に意味なくデカい湖である。
 湖というよりも、「地球のみずたまり」という雰囲気の方が強い。
 「対岸」などというものは、見えそうな気配すらない。
 結局、ナセル湖とアスワンハイダムとの違いというか区別が最後まで判らなかった。
 とにかく、このナセル湖の水は、ミニ湖を通ってアスワンダムに注ぎ込み、最終的に80mの高低差があるというナイル川に注ぎ込まれて行く。


アスワンハイダム記念塔 アスワンハイダムは、1970年にソ連の協力によって完成した。
 ハニーさんがあっさりと「当時、ナセルとアメリカは仲が悪かったですから。」と説明しているのが何だか不思議な感じである。
 この記念塔はその「協力の記念」に建てられたもので、5本の塔は手を表している。
 この塔に上るエレベータも設置されているものの、上がるには事前に許可を得る必要がある。高いところ好きの私としては残念だけれど、そもそも、この何にもない塔に入るだけでもセキュリティチェックがあったくらいだ。どれだけ面倒臭い手続きが必要か、推して知るべしである。


石切場 次に向かったのは「切りかけのオベリスク」である。
 まだ9時30分くらいだというのに、この強烈な日光と濃すぎる影は一体何なんだと思う。
 「アスワン」は「花崗岩」という意味で、切りかけのオベリスクもその「花崗岩」の岩山の中にある。
 この岩山に25エジプトポンドという入場料が見合っているかどうか、微妙なところだと思う。


 「オベリスク」とは、ロシア語で「焼け串」という意味である。
 カイロ周辺にはないことや、そのてっぺんの形がピラミッドと同じ四角錐になっていることなどから、オベリスクは新王国時代以降のもので、ピラミッドの代わりとして神に捧げられていたのではないかと考えられているという。


 切りかけのオベリスクがあるからこそ、巨大なオベリスクがどう切り出されていたかが判ると言われればその通りだ。
 しかし、ここまで切り出して最後に失敗した当時の人はきっとがっかりしたに違いない。2ヶ所に亀裂が入っていて、その亀裂を避けて真ん中の大丈夫だった部分だけを使えないか検討した跡があるそうだ。
 途中まで切り出したオベリスクの両脇に、この場合は6ヶ所人間が入れるくらいの穴を開ける。その穴に木の楔を打ち込み、水をかけて楔を膨張させることで岩を割っていたそうだ。


Photo この後どうやって運んだかといえば、ナイル川の氾濫を利用していたという。
 また、この大きすぎるオベリスクをどうやって立てたかについては、貴族の墓の中にその様子を描いたレリーフが残っているという。
 相変わらず稚拙な絵で申し訳ないけれど、イメージとしてはこんな感じで、この砂を抜くことによってオベリスクを台座に立たせることができる。


 見学を終えて空港に向かう途中、道ばたにバスが停車した。
 香水瓶をお土産にする方は、そこに詰めるサハラ砂漠の砂をここで持ち帰りませんかという。準備よく添乗員さんがビニルの袋を配ってくれる。
 道路際まで砂は落ちてきていて、その場で袋に砂を詰めている人が多かった。
 あまり砂集めに興味のなかった私は、2mくらいの結構急な砂の斜面を上ってみる。


砂紋 「一面の砂漠」を期待して上ったら、残念ながらそこまでの広さはなく、すぐ向こうに鉄塔なども見えていた。
 それでも、砂紋がくっきりと風によって描かれていて、上がった甲斐もあるというものである。
 気がつくとツアーのほとんどの方が上がって来ていて、添乗員さんに後で「上まで上がる方はほとんどいらっしゃらないんですけれど。」と言われた。
 先陣を切ってしまって申し訳ない。


 10時30分、アスワンの空港に到着した。
 アスワンの滞在時間は2時間だった。
 ここで初めてセキュリティチェックに引っかかった。朝のルクソールの空港では全く問題なく通過したし、未だに何がいけなかったのか分からない。
 アスワンの空港はルクソール空港からさらに進んで(?)いて、お手洗いの壁に「NO TIPS」と張り紙がある。お掃除の女性はいたけれど、その張り紙に気が大きくなり、チップを出さないまま無事にお手洗いを脱出できた。
 その話をハニーさんにしたら、軽く「無視すればいいのに。」と言われた。なかなかそうもできない。


 アスワンからルクソールへ行く飛行機が遅れていた。
 ハニーさんが次の便への振替を狙ったけれどそ果たせず、遅れてやってくる飛行機に乗ることになり、待ち時間を利用して、さっき空港に送ってくれたバスを呼び戻して、そのまま香水瓶のお店に案内してもらえることになった。
 香水瓶のお店よりも、フィラエ島のイシス神殿に行きたかったなぁと思う。


香水瓶づくり 11時45分くらいに、「KYPHI PERFUMES」というお店に到着した。
 香水瓶のお店で、香油も一緒に販売している。ハニーさん曰く、「香水瓶はアスワンが一番。」だそうだ。
 まずは香水瓶づくりのデモを見せてもらう。材料はクリスタルの耐熱ガラスで、それを超強力そうなガスバーナーの火で成型する。最後に「パンッ」と凄い音がして、完成だ。


 地下に移動し、お茶などいただきながら香油の説明を受けた。もちろん、日本語である。
 話を聞いていて、「香水」と呼んではいるけれど、それは「香油」のことで、香油とアルコール等々を混ぜていわゆる「香水」が作られるということが判った。
 フランス製の香水の原材料である「香油」はほとんどエジプトのものなんだと、説明してくれたおじさんは自慢気である。


 ロータスやジャスミン、オレンジブロッサムなどの植物そのままのオイルの他に、「Secret of the Desert」や「Queen Cleopatra」などと名付けられたブレンド・オイルも売られている。
 いずれも、30g30米ドルのところを20%引きにする、三つ買ったら一つオマケすると、商魂たくましい。
 香水瓶は、300エジプトポンド以上のものについて10%引きにすると言う。


 「ロータスのオイルはエジプトにしかない」という一言に負け、Lotus Flowerのオイル30gを24米ドルで購入した。
 お店のお兄さんはしきりと「三つ買えば四つ目は無料だ。」と勧めてくる。しかし、オイルランプを使おうとしないかぎり、アロマオイル30gを消費するのは結構時間がかかる。それならどれくらい保つかと聞きたかったけれど、それを聞ける語学力もなく、保って1〜2年だろうという読みもあって、一つに留めた。


軽食 このお店を出たときには12時30分を回っていて、バスの中で、ケーキバーとポテトチップスが軽食代わりに配られた。
 足りない。お腹が空いた。
 珍しく手回しよく手荷物に入れてあったウィダー in ゼリーをこっそり飲んで、ケーキバーも食べて、ポテトチップスは食べると喉が渇くような気がしたのでとりあえず取っておく。
 添乗員さんが「軽食を用意するって言っていたので、てっきり、サンドイッチか何かだと思ったんですよね・・・。」とボヤいていたのが可笑しかった。


 アスワンの香水&香水瓶のお店でお買い物を楽しみすぎ、実は結構ギリギリの時間になっていたらしい。
 配られたお菓子をぱくぱく食べているツアー一行を乗せたバスは、飛ばしに飛ばして空港に向かった。
 13時過ぎに空港に到着し、13時20分には乗った飛行機が離陸したから、本当にギリギリである。


 飛行機の右側の後ろ半分がガラガラだったのでもしかしたらと思っていたら、やはり、アスワンからアブシンベルに向かう飛行機の左側の窓からは、アブシンベル神殿を見ることができるそうだ。
 右側の座席にいたため見られなかったのは残念だった。
 今回は本当に「空の旅」の部分で恵まれていない。


パスタフルーツ


 14時半過ぎに、今日の宿であるセティ・アブシンベルに到着した。
 ホテル内のレストラン「トシュカ」で、まずはランチである。
 メニューは以下のとおり。


 スープ パスタのスープ(と言われたけど、具は麦のような気がした)
 パスタ スパゲティ・ナポリタン
 メイン 牛肉のソテー野菜添え
 デザート フルーツ


 ランチのとき、添乗員さんとガイドのハニーさんと一緒のテーブルになった。お二人は見事に席になんか着いていない。
 飛行機が遅れて今日のスケジュールが遅れていたし、今ホテルに到着したばかりで部屋割りやこの後のスケジュールの調整などのお仕事もあったのだろう。
 「もしかして、今までもちゃんと食べられていないの?」とハニーさんに聞くと、「ごはんを食べないのはラマダンで慣れていますから。」と答えられた。
 そういう問題ではないと思う。


 ナポリタンは、「何故エジプトにまで来ていんちきイタリアン・・・。」と心の中で呟いてしまうお味だった。
 フルーツで出てきたデーツはエジプトに来て初めてで、何だか嬉しい。厚めの皮を剥いて食べると、甘みが凝縮されている味がした。


 エジプト旅行記4日目その2<-  ->エジプト旅行記5日目その2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.07.25

エジプト旅行記4日目その2

2008年1月3日(木曜日)


 12時前くらいにルクソール博物館(入場料70エジプトポンド)に到着した。
 近代的というのか、スタイリッシュというのか、新しい博物館ということもあって「演出された」博物館という感じである。
 入口からすぐのところにあるアメンホテップの頭像も、アムン・ラー神の像もなかなかの迫力だ。ハニーさんの「カルナック神殿にいらっしゃった街の神様」というアムン・ラー神についての説明が楽しい。


 ツタンカーメンのお墓から出土したものはほとんどがカイロの国立考古学博物館に納められている一方で、牛頭を持つハトホル女神の像だけは、ここルクソール博物館に納められている。
 また、カルナック神殿にもあったツタンカーメンの作ったスフィンクスは二つあり、そのもう一つはこのルクソール博物館にいる。


 写真撮影禁止なのが残念だ。本当に意外なくらい「お宝の山」である。
 そのお宝を前にして、ハニーさんから色々と説明を受ける。


・エジプト中王国時代の書記官は「大臣」の地位に匹敵していたこと。
・ヒエログリフを使うのは王や神官などごく限られた人だけで、一般の人はヒエログリフを崩したデモティックという文字を使っていたこと。
・古代エジプトでかつらをつけていたのは、王、神官、大臣、書記官という地位の高い人だけだったこと。
・コム・オンボ神殿の主神がワニの頭であるように、人を食べちゃうような動物は、人に仇をなさないように神様として崇めてしまうという発想だったこと。
・古代エジプトの王の仕事は戦争だったこと。弓と矢はその象徴であること。
・ラムセス2世の像は花崗岩と御影石が一つの岩になったものから彫りだされていること。
 この石はとても珍しくて産出場所が不明であること。
・新王国時代の終わりには、お墓に太陽の船の絵を描くのも止めて、模型を作ってヒエログリフを書き込み、その呪文を唱えれば船が大きくなって人を乗せられるようになると考えられていたこと
・カルナック神殿を造る際に使われた定規などの道具が残っていること。


博物館でのスケッチ


・色の残っている木製の棺があり、どの棺の内側にもヒエログリフで食べ物の名前が書かれていること。
 その文字を読み上げるとそれらを食べられるようになると信じられていたこと。
・ツタンカーメンの父ではないかと言われているアクナアトンは、太陽神アトンの一神教を試みた王であること。
・アクナアトンは、他の王とは違って写実的な自分の像などを造らせており、病気で体型が変わっている様子もそのまま表現されていること。


 ここにも誰のものか判らない(これは私が判らなかっただけで学問的には判っているのかも知れない)ミイラが展示されていた。
 ことここに至って初めて私は「mummy」という単語が「お母さん」ではなく「ミイラ」という意味だと認識したのだから、我ながら恥ずかしい限りである。


 最近になってカルナック神殿で発見されたものは、少し奥まった部屋に集められていた。
 このお部屋だけはフリーで見てきてくださいと言われた。発掘の様子の写真も展示されており、発掘はひたすら人力で行われているらしいことが見て取れる。
 その他の発掘品などをぼんやり眺めていたら、あっという間にツアーの方はいなくなってしまい、慌てて戻ったら博物館入口のミュージアムショップのような小さなお店にみなさんが集まっていた。


 13時30分ころから、ホテル・メルキュールのレストラン「イタップ」のプールサイドでランチをいただいた。
 温度計は24度を指していて爽やかである。
 このホテルではまだクリスマス・イルミネーションが残っていた。不思議に思ってハニーさんに聞くと「エジプトのクリスマスは、カトリックなので、1月7日にお祝いするのです。」と言う。これもまたよく判らないままになってしまった謎の一つである。


タラプリン この日のランチのメニューはこんな感じだった。
  前菜 野菜スープ
  メイン 鱈のソテー
  デザート プリン
 ビタミンCを摂取しようとレモンジュース(20エジプトポンド)を頼んだら、これが粉末ジュースのような味で大失敗だった。


 鱈のお皿の左上に載っているガーゼのような布で包まれているものはライムである。
 このライムを絞っていただく。それでも、味にもう一押し欲しい。
 そんなことを何となくしゃべっていると、ツアーの方がポケットから魔法のように、お寿司などについているおしょうゆの袋をいくつも取り出され、テーブルの皆でお裾分けに預かって美味しくいただいた。


 日程表ではこの日の午後ははフリータイムなっていた。しかし、添乗員さんもガイドさんもフリータイムは実施したくないらしい。
 そういえば、「ルクソールで馬車に乗ったお客様が、馬が何かにつまずいて馬車から放り出されてしまったことがあったので、社内ではルクソールの馬車は危険ということになっています。」と添乗員さんも言っていた。
 パピルスを購入したいという方が何人かいらっしゃったこともあり、バスはそのままパピルスのお店(多分、店名は「AEGYPTUS PAPYRUS」だと思う)に向かった。


 まずは、パピルスの作り方について「日本語での」デモンストレーションを見る。この店内も撮影禁止だったのが残念だ。
 パピルスは植物なのでもちろん太陽光によって育つ。また、茎の切り口が三角形になっていてピラミッドに通じる。そんなことから「神聖なもの」とされている。
 「丈夫なので強く引っ張っても切れない。」「柔らかいので折り曲げても切れたりしない。」という説明を受けた後でツアーの方がチャレンジしたら、あっさりとこのパピルス(この場合は植物の方)が折れて切れてしまった。


 お店の方も若干慌てた風情を見せつつ、パピルス(植物)の皮を剥き、中味の方を薄く切る作業を続けた。
 ローラーをかけて水分を出し、さらにハンマーで叩いて水分を出す。
 糖分を抜くためにしばらく水につける。店内には生成り色のパピルスと茶色いパピルスがあり、てっきり作ってから長い時間がたったものが茶色くなるのだと思っていたら、そうではなく、ここで長く水につけると茶色いパピルスができあがるという話だった。


 水分と糖分を追い出してリボン状になったパピルス(植物)を格子状に並べ、プレス機で1時間くらい圧縮をかけると、ようやくパピルス(紙)が完成する。
 だから、本物のパピルスは光に透かすとタテヨコの線がはっきり見える。
 バナナの皮で作られたニセモノは、すぐに折れてしまうしこのタテヨコの線がないという。


 何人かの方が大きなパピルスの絵を購入しようと早速商談に入った。
 一緒にくっついて聞いていると、例えば、蓮の花は愛情の象徴であり、いちじくの木は家族を表している、死後の世界を描いた絵でアンクを持って秤の上に座っている人は死者の裁判官である、カレンダーのパピルスでは男の人は東西南北の方角を表し女の人は季節を表し、24本描かれた手は時間を表すなどということを教えてもらえて楽しい。


パピルス 店内をうろうろしていたらパピルスで作られたしおりがあった。お土産に15枚購入する。
 色々な絵柄があって迷いに迷い、ネフェルタリの絵とアンクの絵、イシス神の絵をそれぞれ5枚ずつ選んだ。10枚買うとオマケに1枚もらえるそうで、それはお店のおじさんがツタンカーメンを勝手に選んでくれた。


 しおりが置いてあった場所は、しおり売場ではなく、商品を梱包したりキャッシャーに渡す伝票を作ったりする場所だったらしい。そこにいるおじさん達はヒマだったらしく、突然日本語を教えて欲しいという話になった。
 1から10までの数字と、1000と100万を伝える。
 「No problem.」は日本語で何と言うんだと聞かれ、しばし考えてから「大丈夫」だと教えた。我ながら名訳だと思っている。おじさん達は覚えてくれただろうか。


 皆のお買い物が済んでホテルに戻ったのは15時30分くらいだった。
 ホテルのロビーには、バスの中で話のあった「ヒエログリフを刺繍したTシャツとポロシャツ」の見本が用意されていた。明日の夜までにハニーさんに注文書を渡しておけば、カイロのホテルに届けてくれるそうだ。
 「着てみてもいいですよ。」と言ってもらえたので、試着してサイズを確かめる。
 エジプトの人は大柄だけど首は細いそうで、全体のサイズだけで選ぶと日本人には首周りがきついかもしれないと言われた。


青いナイル 16時30分にホテルのロビーに再集合し、ホテルの船着き場からファルーカに乗り込んだ。
 ヌビア人(だと思われる)船長さんが操るファルーカは、すーっと滑るように進む。
 のんびり自己紹介をしたり、ハニーさんが振る舞ってくれたチョコレートを食べたりしながら川風に吹かれる。
 このチョコレートは中にデーツとアーモンドが入っていて、なかなか美味しい。ギザにあるお店で買ったものだという。後で何人かでお願いし、予め注文を取ってもらってカイロのホテルに届けてもらえることになった。職場のお土産はこれで決まりである。


ナイルの夕陽 そんなことをしている間にも、ナイル東岸を見れば青い空と青い水、ナイル西岸を見ると今にも陽が沈みそうに黄色い光がぱーっと空に広がっている。
 そして、陽が沈むと、今度は西の空にたなびいていた雲がゆっくりと赤く染まって行った。
 ナイルの夕景に浮かぶファルーカは、ピラミッドや王家の谷と並ぶ、「これぞエジプト」という景色の一つだと思う。


赤い空 ファルーカがホテルの船着き場に帰って来た頃、ナイル川対岸の空は、嘘のような真っ赤な色に染まっていた。
 ファルーカの出発時間は、その時期の日の入りに合わせるという話で、見事に青から黄色、ピンクから赤に変わる空と、青から太陽の色を移した黄色、そして黒く暗く沈むナイル川を堪能できた1時間だった。
 黒い半袖Tシャツに赤いチェックの長袖シャツ、黒い薄手のハーフコートでは川風は涼しすぎ、最後の頃にはスカーフも首もとに巻いたくらいだから、防寒対策が必要な1時間とも言える。


 エジプトから20通くらい年賀状を兼ねて友人に絵はがきを出すつもりでいた。意外と絵はがきを買う機会がなくて数が足りない。
 夕食前にホテルのブックショップで買おうと行ったら閉まっていたので、ホテルを出て並びにあったお土産物屋に向かった。
 たった20mの、エジプトの街初一人歩きである。


 店先で5枚選んだら10エジプトポンドと言われ、値切った末に8エジプトポンドになった。
 8エジプトポンドちょうどはなかったので10エジプトポンド札を出したら、「おつりがないからもう1枚選べ。」と言われる。
 何となく悔しくて「2枚増やしていいでしょ。」と強気に出て、結局、7枚を10エジプトポンドで購入した。
 これが得をしたのか損をしたのかとっさに計算できないまま気になっていた。今計算したところでは、5枚8エジプトポンドだと1枚1.6ポンド、7枚10エジプトポンドだと1枚約1.42エジプトポンドということで、後者の方がお得だと判って嬉しい。


 そんなことをしている間に集合時間になった。
 夕方涼しかったことと、夕食のときは着替える方が多いというこれまでの経験則からして、黒いタートルシャツに黒地に赤から白へのグラデーションが入った毛のショール、黒いパンツに黒いコートを羽織ることにする。足元のバレエシューズは、裸足で履くと少し当たるけれど、ストッキングを履けば大丈夫そうである。


 歩いてお隣のホテルに向かう。
 これが、後から添乗員さんに送ってもらった「旅日記」にホテルの名前もレストランの名前も書いておらず、一体どこで食べたのか未だに謎である。
 メニューはこんな感じで、これに白ワイン(48エジプトポンド)を頼んだ。


コーヒー前菜 トマトのクリームスープ
メイン ビーフ、チキン、フィッシュから選ぶ
    (チキンにしたら、塩胡椒の効いたソテーだった)
デザート アップルパイ、コーヒー


 このホテルもレストランも、名前は判らないながら、外観も内装も宿泊したナイル・パレスよりも立派かも知れないくらいの場所だった。
 そこで、ネスカフェのスティックと一緒にお湯を出されたときの衝撃はかなりのもので、あちこちのテーブルがざわついたのを覚えている。
 あまりのショックに、わざわざネスカフェのスティックが載せられたお皿を引き寄せて写真を撮ってしまった。


 20時頃ホテルの部屋に戻り、お洗濯をし、先ほど買った絵はがきで友人に年賀状を書き、明日の早起き(4時起床)と移動に供えて22時過ぎに就寝した。


 エジプト旅行記4日目その1<-  ->エジプト旅行記5日目その1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.07.21

プロフィール写真を変える(伊豆高原の海)

 プロフィール写真を、2008年5月16日から3泊4日で出かけた伊豆高原で撮った写真に変更した。
 夏になったのにいつまでも真冬の伊勢神宮の写真でもあるまいと思ったのと、ここ当分は夏らしい写真を撮る機会はなさそうだということと、そういえば今日が海の日であると思い出したからである。 

 でも、やはり、5月の海と今頃の海は、海の色も空の色も違うような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

エジプト旅行記4日目その1

2008年1月3日(木曜日)

 気球に乗るなら4時起きだった。気球は断念したので、今日の出発は9時30分だ。
 それでも、旅先ではやけに健康的に早寝でも遅寝でも早起きしてしまうのは何故なんだろう。

ナイルの朝

 6時30分過ぎに目が覚めて外を見たらあまりにも空が綺麗だったので、慌てて着替えてプールサイドに降りた。
 ナイルの朝である。
 たくさんの気球が浮かんでいる。いいなぁと眺めていたら、同じように眺めていたヨーロッパ人らしいおじさんに「僕たちは明日気球に乗るんだ。」と自慢される。ちょっと悔しい。
 早い時間には雲もあり、ナイルの水も空も薄青い色をしていた。
 日が昇るにつれて、対岸の山は光り始め、雲は消え、空もナイルの水も濃い青に変わって行く。
 その変化は見飽きることがない。

 部屋に戻って洗濯をしたら、洗った水が真っ黒というか真っ茶色になって驚いた。
 8時前に朝食を摂る。
 昨日の夕食のときと同様、このレストランのウエイターさん達は、手を挙げてもなかなか気がついてくれない。しかし、ヨーロッパ人らしいおじさんおばさん達は精力的に隣のテーブルからお皿やナイフなどを分捕ってきて熱心に自分たちのテーブルを整えている。うん、ああでなくっちゃ、と気を取り直す。

ハトシェプスト女王葬祭殿 ホテルを出発し、20分くらいで今日のメインイベントであるカルナック神殿(入場料50エジプトポンド)に到着した。
 カルナック神殿の「カルナック」は日干し煉瓦の障壁という意味で、6500年前のものが残っているそうだ。
 カルナック神殿の前には少し前まで家が建ち並んでいたそうだ。それをナイル川を挟んだちょうど反対側にあるハトシェプスト女王葬祭殿まで見通せるように全て壊して整地してしまったというから驚く。家を失った人々にはちゃんと安住の地があるのだろうか。
 この写真で、左側から並ぶ木が切れた辺りの画面右端の山裾に見える、四角いものがハトシェプスト女王葬祭殿である。

 ルクソール神殿の参道に並んでいたスフィンクスの頭は人で、ここカルナック神殿の参道に並んでいるスフィンクスの頭は羊である。
 カルナック神殿はどんどん建て増しを繰り返した神殿であり、内部に行くほど古く、一番外側にある第一塔門は一番新しい。

ツタンカーメンのスフィンクス 第一塔門を入ったところが中庭で、一般の人はここでお祈りをした。
 中庭の入口までスフィンクスが並んでいたところを、第一塔門を作ったときにスフィンクスも移動したという。
 ここに無造作に置かれていた大理石のスフィンクスは、ツタンカーメン王が作らせたものである。スフィンクスの顔もツタンカーメンと似ていると言われているらしい。一生懸命思い出そうとしたものの、昨日見た真っ黒のミイラの顔を似ているかどうか、今ひとつ確信が持てなかった。

第2塔門 第2塔門は、建造途中で王が死んでしまったためにレリーフもなしで放り出された第1塔門と異なり、レリーフもあるし、彩色もされている。
 彩色には自然のものが使われており、例えば赤い色はざくろ、黒い色は鉄さびを利用している。
 また、この第2塔門には、1887年のナイル川氾濫の際の水位が刻まれている。
 ハニーさんはこの話題満載の第2塔門はくぐらずにその手前を左に折れて、アメン神殿の外に出てしまった。

 アメン神殿の外側にも、闘いの様子を描いたレリーフが深く彫り込まれていた。
 誰のどことの闘いを描いたものかさっぱり判らないなりに、迫力に満ちあふれていたことは確かだ。
 こういった大きなレリーフは、日干し煉瓦で作業台を作りつつ壁を作り上げ、今度は日干し煉瓦の作業台を少しずつ崩しながら、上の方からレリーフを作って行ったという。全体像が見えないまま作るとは、設計図も必要だろうし、かなり高度だと思う。

ヒエログリフ 妙に歩きにくい砂地をどんどんアメン神殿から離れて歩いて行く。
 ガイドのハニーさんの姿はすでに遠く、どこを目指しているのか聞くこともできない。
 ハニーさんにやっと追いつけたのは、「これが一番キレイに残っているヒエログリフです。」という説明をしているときだった。確かに綺麗にくっきり残っているけれど、「どこで」一番なのかは聞きそびれた。カルナック神殿で一番だったのかも知れないし、エジプトで一番だったのかも知れない。
 そうして、一番キレイなヒエログリフの横を通り過ぎて至ったのは、ビタッフ女神の神殿だった、と思う。

 この辺りの書き方が曖昧になるのは、私のメモの字が汚すぎるせいと、この神殿について言及している本やサイトがほとんど見つからず、それっぽいと思えたところには「ムト神殿」と説明書きがあったからだ。
 確かに、その神殿に入ったところの部屋には、頭部のない闇の神の像がポツンと置かれていた。 
 その姿は、明るいところにあってもかなり異様だ。

 でも、ハニーさんが私たちに見せたかったのは闇の神の像ではなく、その隣にある鍵のかかった部屋にいらしたビタッフ女神の像の方だった。
 ハニーさん曰く「美術館にあるべき像だ。」「同じ女神の像がカイロ考古学博物館にもあるけれど、こちらの方がずっと美しい。」「エジプトで一番美しい立像だ。」ということである。
 フラッシュをたかれるとその後の闇が深くなってよく見えないから止めてくださいと、心の中でツアーの方々にお願いしつつ、最後の最後に、フラッシュをたかずに写真を撮ってみた。
 かなりISOを上げてもやはりこれくらいが限界だ。

 この神殿は高いところに上がることができ、そこからはカルナック神殿(正確にはアメン神殿というべきだろう)の全景を拝める。
 正直かつ控えめに言って、莫迦みたいに巨大な建造物であり、眺めである。

柱頭 第2塔門に戻り、中に入るとそこはセティ1世が作った計134本の大列柱室だった。
 真ん中の2列の柱が高く、外側の柱が低くなっているのは、この差を利用して明かり取りに使っていたからだという。
 この大列柱室の柱にはかなり彩色が残っており、中でも王の名は黄色で彩色し目立つようにしていたという。そこをさらに、ラムセス2世は、自分がセティ1世の名を消して自分の名を上書きしたものだから、未来の王に同じことをされないよう深く彫ったという。
 ラムセス2世という人は、もの凄く自己顕示欲の強い王様だったようだ。

ハトシェプストのオベリスク ところで、世界で一番高いオベリスクは、ここカルナック神殿にある、ハトシェプスト女王によって作られたオベリスクである。
 上1/3ほどは金箔で飾られていたそうで、オベリスクには「金で作ろうと思ったのに神官に剥がされちゃってごめんなさい。」という意味のことが書いてあるらしい。
 そもそもオベリスクはどんな目的で作られ、誰が最初に作ったのかはまだ判っていないそうだし、そんな謝罪の言葉を刻まなくてもと思う。
 ハトシェプスト女王のオベリスクがある塔門を入ったところが至聖所で、王と神官のみが入ることを許された場所だ。

聖なる池 外に出ると、「聖なる池」がある。
 至聖所で1日に3回お祈りをするたびに、ナイル川の水を引いているこの池の水で王と神官は身体を浄めたそうだ。
 今はパイプでナイル川とつないであるそうだ。昔はどうやってナイルの水を引いていたのだろう。カルナック神殿近くまでナイル川が来ていたということだろうか。

 神官は神殿に住んでいたとして、王はどこに住んでいて、お祈りの度に住まいから神殿までやって来たのだろう。
 何かで読んだところによると、エジプトでは「死後の世界はずっと続く」と考えて神殿やお墓は石灰岩や花崗岩などの丈夫な石で作り、現世の住まいは「一瞬」と考えて日干し煉瓦等の適当な素材で作ったという。そのため、宮殿は崩れ去り、現在まで残っているのは「死後」のものばかりだという。
 昔のエジプト人が刹那的だった証拠なのか、刹那的ではなかった証拠なのか、微妙なところのような気がする。

スカラベ このスカラベの説明を受けてフリータイムとなった。
 スカラベは幸福・幸運の神様だる。
 ハニーさんが言うには、このスカラベの周りを反時計回りに5周回れば幸せになり、6周回ればお金持ちになり、10周回れば結婚でき、42周回れば離婚できるそうだ。
 離婚するのが一番大変なのか・・・と思う。それはイスラム教徒ならではの発想だろうか。
 添乗員さんが「一人で回ると恥ずかしいですから、この際、みなさんで5周回りましょう。」と音頭を取り、一同は粛々と5周回った。

ハトシェプスト女王祈りの間 ここまで大体1時間半をかけてハニーさんにガイドしてもらった後、30分間のフリータイムとなった。
 至聖所に戻ると、そこからさらに奥に行けるようだ。そこは庭のようになっていて、窓から出るような感じで低い壁を乗り越えて降りることができた。
 すると、ヒマそうなおじさん達が手招きして「ハトシェプスト」「ハトシェプスト」と言う。
 言われるままに指さす方に進むと、顔を消されたレリーフと、群青色の石で作られた門というか入口のある部屋があった。
 顔を消されちゃうのはハトシェプスト女王の専売特許だと信じているので、ここは私の中ではハトシェプスト女王祈りの間だったろうと思っているけれど、真偽は今もって不明である。

 中に入ると、そこには色鮮やかなレリーフがあった。
 暗くて天井の高い部屋で、中には2〜3人しか人がいない。
 何だか不思議な雰囲気のある場所だ。

お呪いの石 祈りの間の隣にはロープが張られた一角があった。
 一人でうろうろしていたせいか、何故だかヒマそうおじさん達の一人に手招きされてその一角に入った。
 恐らくはスカラベが彫られている場所だけ黒くなった、碑文のような石が置かれている。
 おじさんに言われるまま、黒くなったところに左手を当て、次にその手を自分の心臓に当てることを2回繰り返す。さらに、おじさんに促されてお辞儀を2回した。これで儀式は完了のようだ。
 何かのお呪いだと思うけれど、意味を聞けるほどの語学力がない。
 未だに気になっている、エジプト旅行での謎の一つである。

 そして、慌てて集合場所に走った。
 11時30分、バスは渋滞するルクソールの街中を抜けてルクソール博物館に向かった。

 エジプト旅行記3日目その3<-  ->エジプト旅行記4日目その2

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008.07.20

「経県値」の日本地図を作成する

BIGLOBEトラベル「経県値」

経県値

 茶柱さんのサイト「とりあえずいってみる」(右サイドバーの「旅の支度(海外)(リンク)」でリンクを張らせていただいています。)で紹介されていた「経県値」の日本地図を作成してみた。

 「生涯経県値」ということになると、結構、思い出すのが大変である。
 埼玉県に本当に宿泊したことがないのか、実は自信がない。
 アルバムで「行った」ことは確認できるものの、全く記憶に残っていない兵庫県(神戸市)は、迷った末に「未踏」にしておいた。
 中学の修学旅行で奈良に行ったことは確かなのだけれど、宿は京都に2泊だったような気がする。しかし、自信がない。
 岡山・広島には新幹線で行っているので、兵庫県を「通過」していることは確かなのだけれど、その他の県を「通過」したことがあるかどうか自信がない。調べるのも面倒になって、「通過」しかしたことがない県は「未踏」にした。

 その他、「永平寺に行った記憶はあるのだけれどあそこは何県だっけ?」と真剣に考え込むくらい基本的な日本地理の素養に欠ける私には、かなり時間のかかる作業になってしまった。

 見事に東・北日本に偏った地図になった。
 まずは、四国上陸を果たしたいものである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.07.19

「メガロマニア 第13回」を読む

 NHKスペシャル「失われた文明」に関連して、作家の恩田陸がNHK出版のサイトで「メガロマニア あるいは「覆わされた宝石」への旅」というタイトルの紀行エッセイを毎月連載している。
 その第13回が掲載されたことに、3日たった今日になって気がついた。

 今回は、ひたすら「マチュピチュと対峙する心の準備」が語られている。
 正確にいうと、「心の準備が必要な理由」と、「心の準備がまだできていないのにサンクチュアリ・ロッジにいる自分」が語られている。

 そんなことは考えもしなかった(と思う)私からすると、そのクライマックスを迎えるまでの起伏の激しい成りゆきが羨ましい。少なくとも私の10倍くらいは、例えそれが「敗北感」だろうとマチュピチュを満喫しているように思われる。

 恩田陸がマチュピチュと対峙するだろう次回がとても楽しみである。

NHK出版の公式サイト内、メガロマニア−あるいは「覆わされた宝石」への旅−のページはこちら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.07.17

「OZ magazine」2008年8月号を購入する

 2008年7月12日発売の「OZ magazine」2008年8月号の特集が"私らしい「私」に会いにひとり旅にでよう"だったので、また購入してしまった。

 「また」というのは、昨年と一昨年に発売された「女ひとり旅」関連のの特集号をそれぞれ購入しているからである。

 いつの間にか月刊誌になっていたらしく、ページ数は増えているようなのだけれど、どうも最初に買ったものが内容も充実していたし、行き先のセレクトも渋くマニアックで良かったように思う。
 ちなみに、この号での「ひとり旅」の旅先は、「長崎」「五島列島」「沖縄」「西表島」「京都」「奈良」「大分」というラインアップである。
 この中に「近々ぜひ行ってみたい」と思っているところや、「ついこの間行ったばかりだ」というところがなかったのが、この今ひとつという違和感の源かも知れない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.07.14

エジプト旅行記3日目その3

2008年1月2日(水曜日)

日本食 この日のお昼は、「ハナ」という日本食のお店だった。
 14時30分というランチタイムを大きく外れた時間のおかげ、他にお客の姿はなく、微妙に工事中のような雰囲気である。
 お店の見た目に反して、ごはん、御味噌汁、焼きサバ、卵焼き、肉じゃが、バナナというランチメニューがやけに美味しかった。

 その後、ホテルに直行するかどうか多数決が取られ、15時30分過ぎに「Jewellers-Souvenirs」のお店に立ち寄ることになった。
 ハニーさんによれば、金製品はルクソールが一番だそうだ。
 「PHILIPPE work shops」というそのお店はカイロにも支店を持ち、政府お墨付きのお店だという。

 何個買おうがどれを買おうが一律1割引というその値段設定に微妙に不審を感じつつ、ツアーの方の勢いと熱気、そして誘惑に負けて、カルトゥーシュのペンダントトップを購入した。
 このお店では、金製品のお値段は重さだけによって決まり、デザインや例えば名前をヒエログリフで彫ってもらうときの文字数などは全く影響しない。このお店だけでなく、後にカイロで立ち寄ったお店でも同じだったので、エジプト全体でそうなのかもしれない。

カルトゥーシュのペンダントトップ 最初は、自分の名前を透かし彫りにしてもらおうと思っていた。しかし、透かすために土台が薄くなり、どうしても安っぽく見えてしまう。
 透かし彫りが160米ドルで、カルトゥーシュの周りに模様の入ったものだと400米ドルだ。
 お値段で2.5倍の開きがあったのでかなり迷い、結局、カルトゥーシュの周りに模様の入ったものを選んだ。
 400米ドルの1割引で360米ドルだったので、ダメ元で「350にならない?」と聞いてみたら、値引きの代わりにスカラベのお守りをオマケしてくれた。

 ところで、私の名前は「TOMOKO」なので、「O」が三つ入る。
 そして、ヒエログリフのアルファベットには「O」が2種類ある。
 お店のお姉さんに「どっちがいいと思う?」と聞くと「同じよ。」という答えが返って来た。どちらも「O」だと判っている。デザインとしてどうかと聞きたいのである。
 しばらくやりとりしていたら、そばで聞いていたおじさんが「これでどうだ。」と見本を書いてくれ、デザインとしてMは凝った鷹のような鳥の絵になっているのでその前後の「O」はすっきりした方、「K」はデザインとして単純なのでその後ろの「O」は鳥に似た方に決まった。

 裏側にも文字を入れることができる。
 「ツタンカーメン」や「ネフェルティティ」などと比べ、デザインとして綺麗だったし、「愛された王妃」だし、何より午前中に見たお墓の印象が強かったので「ネフェルタリ」を選んだ。
 ツアーメンバーの中には、カルトゥーシュのペンダントトップの裏側に、アンク(生命の象徴)とウジャト(悪を退けるホルスの目)とスカラベ(心臓を守るエジプトのお守り)の三つのお守りを彫ってもらった方もいらして、それもいいアイデアだわ、真似すればよかったわ、と思った。

ナイルパレスのお部屋 16時30分過ぎにホテルに帰り着いた。
 19時にルクソール神殿のライトアップに出かけることになり、つかの間の休憩である。
 実は、メムノンの巨像の辺りから私の足は筋肉痛のために悲鳴を上げ続けていて、もう一歩も歩けませんと言いたいくらいだ。

 ホテルのお部屋に付いたバルコニーからはナイル川を眺めることができる。
 汗だくのTシャツだけ洗濯し、バルコニーの椅子に座ってぼんやりナイル川を眺める。
 この時点で、キャリーケースにつけておいた鍵が失くなっていることに気がついたけれど、とりあえず、面倒なことは後回しである。

 ぼーっとしつつ友人に年賀状代わりの絵はがきを書いたりしているうちに夜になり、19時、ルクソール神殿のライトアップに出かけた。
 ルクソール神殿(入場料40エジプトポンド)は、その土台をアメンホテプ3世が建造し、その上に被せてラムセス2世が拡大している。
 入口のオベリスクの後ろにはラムセス2世の像が6体あったけれど、今は3体しか残っていないという。
 残っていないといえば、そもそもこのオベリスクも2本あり、1本はパリのコンコルド広場に持ち去られてしまっている。

ルクソール神殿中庭 ルクソール神殿の中庭は、ラムセス2世によって一般の人の祈りの場として建造された。
 また、柱の一番上の部分のデザインは、パピルスをモチーフとしているものか、ロータスをモチーフとしているものか、どちらかになっている。この二つの植物がエジプトでどれだけ大切にされてきたかということが表れていると思う。

キリスト教 ことさらにライトアップされていたわけではないので随分暗い写真になってしまったけれど、ルクソール神殿の中には教会も造られている。
 この絵は、1800年くらい前に描かれたというから驚く。
 漆喰を塗ってその上にこの絵を描いたというキリスト教徒の人々も執念深いし、その教会の上にさらにモスクを築いたイスラム教徒の人々もなかなかの根性をしている。
 そして、このモスクがつい2ヶ月前まで使われていたと聞いてクラクラしてしまう。
 エジプトの人にとって、ルクソール神殿などの遺跡は本当に生活に近いところにあるのだなと思う。

エジプト統一の壁画 今ひとつ記憶には残っていないものの、何故かメモ帳に図入りでハニーさんの説明を聞き取っているので多分感銘を受けたと思われる壁画がこれである。
 この図は、上下エジプトが統一されたことを表しているという。
 上の方の横線で地中海を表し、真ん中の縦線でナイル川を表し、一番下のところでビクトリア湖を表している。
 その脇にはナイル川の神である「ハピ」が描かれている。この神様のお腹が出ているのは、その場所からナイル川が氾濫することを表しているという。
 そして、パピルスとロータスが結ばれ、上下エジプト統一を象徴している。

 一通りの説明を受けてからフリータイムになった。
 とてもじゃないけれど時間が足りずに小走りで端から端まで巡る。

 20時30分にはならない頃にホテルに帰り着いた。中庭で何やらダンスのショーが行われている。
 「明日の朝に気球に乗りたい!」と騒いでいた結果を聞くべく添乗員さんを探したところ、4時出発と朝が早いこともあり他に希望者がいなかったので、料金が4万円くらいになるという。流石に「二人以上いれば2万円なんですが。」と言われると微妙なものがあったので、今回は諦めることにした。
 ラムセス3世葬祭殿跡を空中から見たかったけれど、仕方がない。

ステラ・ビール 昼食が遅かったこともあって、この日の夕食は各自自由にホテル内のビュッフェ・レストランで食べてくださいということになっていた。
 レストランは22時30分まで開いていると。
 シャワーを浴びて、21時30分過ぎにレストランに行ったら、どうしようかと思うくらいガランとしていた。
 「ヌビア」というレストラン名からしてエジプト料理のビュッフェだろうと思っていたら、並んでいるのはステーキやシチュー、ライス、サラダといった洋食のメニューである。
 ツアー全員での食事だとミネラルウォーターを頼んでもらえるけれど、お水を頼むのも何だか悔しいし、まだエジプトのビールを飲んでいなかったので、ステラ・ビールを頼んだ。500mlで25エジプトポンドだった。

 私は「このガランとしたレストランがわびしすぎる」と思ったけれど、翌日にツアーの方にお聞きしたところでは、早い時間は逆にレストランでショーが行われていて大混雑だったらしい。
 レストランの人も忙しくて飲み物の注文を取るどころではなく、お皿を下げて新しい席を作るので精一杯、追い立てられるように食べたとおっしゃっていた。
 さて、どちらが良かったのか、迷うところである。

ホテルのプール 流石に500mlのビールは一人では持て余した。
 夕食を終え、プールサイドに出て夜風に当たって酔いをさます。ライトアップされたプールが綺麗だし、ナイル川沿いのためか、涼しい風も吹いている。
 ビールの酔いは結構まわっていて、部屋に戻り、連泊なのをいいことに部屋中ぐちゃぐちゃのまま23時前に就寝した。

*この日の服装
 黒の半袖Tシャツ、赤チェックの長袖シャツ、カーキのカーゴパンツ
 ライトアップを見に行くときは、Tシャツの代わりにピンクの長袖タートルネックシャツ
 夕食のときは、ピンクの長袖タートルネックシャツにスカーフ、黒のパンツ

 エジプト旅行記3日目その2<-  ->エジプト旅行記4日目その1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.07.12

エジプト旅行記3日目その2

2008年1月2日(水曜日)


葬祭殿の柱 王家の墓を後にし、12時前にちょうど裏側に当たるハトシェプスト女王葬祭殿に到着した。
 ここでも、入口でセキュリティチェックを受けた後、電気自動車で移動する。
 この葬祭殿(入場料25エジプトポンド)は、エジプトの遺跡としてはとても珍しい形をしており、かつ、非常に保存状態が良い。
 40年かけてフランス人が修復をしており、白っぽいのは新しい石が使われている箇所だ。


 ハトシェプスト女王は、戦争を行わなかった王として知られている。これは、エジプト初の女王としてのイメージ戦略でもあったらしい。
 「プント貿易」と呼ばれるソマリアとの交易を盛んに行ったことで知られていて、例えば、ミイラを造るときに内臓に詰めたナントカという薬草をそこで得たりしていたらしい。
 このプント貿易を描いたレリーフでは、川を遡ってソマリアに行き、この薬草を得てエジプトに戻って来るまでが描かれている。


削られたハトシェプスト女王 ハトシェプスト女王は、当初は息子の摂政という形で権力を握り、そのうち本当に女王になってしまい、かつ権力を握り続けていたために、相当息子に恨まれていたらしい。
 壁画にレリーフとして描いてもらえるのは原則として王と神官だけで、このハトシェプスト女王葬祭殿に描かれたものも含め、彼女の肖像はことごとく削られてしまっているのは、息子からの意趣返しだ。
 その中で、珍しく残っているのが、このハトシェプスト女王の肖像のレリーフである。


鉄格子の奥 30分くらいハニーさんの説明つきで主に壁画を見た後、20分のフリータイムになった。
 ハトシェプスト女王葬祭は、珍しく内部も写真撮影OKだったので、夢中になって、あっちにフラフラこっちにフラフラ歩き回る。
 この写真は、何故かここだけ鉄格子がはまって中に入れなかった場所が気になって、鉄格子にレンズを突っ込んで撮った写真である。念のため、壁画を傷めないようにフラッシュを使わなかったので、かなりブレている。
 この壁画も特にブルーが色鮮やかである。
 天井に黄色で描かれたアスタリスクに似ている図形は、星を表している。


 集合場所は、ハトシェプスト女王葬祭殿から少し離れた四阿風の休憩所だ。
 向かいつつ、実はずっと気になっていた、中央のスロープの始まりで睥睨している鷹もカメラに納める。やっぱり写真を撮れる場所は楽しい。
 集合場所に到着すると、ほとんどの方はすでに集まっていて、それぞれ飲み物など頼んで優雅に休憩されていた。


ネフェルタリの墓の説明板 次はいよいよ「ネフェルタリの墓」である。王妃の谷に向かう。
 この特別入場があったからこのツアーを選んだといっても過言ではない。
 まずはお墓の入口隣にある四阿のようなところでハニーさんの説明を受ける。ベンチも用意されていて、いかにも「特別なお墓」という感じだ。


 ネフェルタリは、ラムセス2世の王妃で、ヌビア人である。
 ヌビア語は世界で一番難しいと言われているらしい。
 ネフェルタリのお墓は、その構造がエジプトの神殿と同じようになっている。
 そして、壁画は「死者の書」にちなんで、ネフェルタリがあちこちの神様を訪問する姿が描かれている。


チケット 1986年から92年にかけて修復が行われている。現在は、原則として閉鎖され、通常の入場観光は許されていない。
 それなのにどうしてチケット(100エジプトポンド)が用意されているのか、謎といえば謎である。
 ツタンカーメンのお墓と同様に、ここでも入場前にカメラを預けた。


 13時20分、いよいよ、ネフェルタリのお墓に入る。
 ガチャンと錠前が外される。
 入口からすぐ階段を下ってゆく。
 控えの間に着いたときには「おぉ」とため息ともつかない息が漏れてしまった。


 とにかく鮮やかで綺麗で優美である。
 王家の谷のお墓とは異なり、石を彫ってそこに色を乗せているのではなく、白い漆喰を塗った上に壁画が描かれている。
 細かいし、何よりも色鮮やかである。
 そして、ここではガラスが嵌められておらず、全て直接に見ることができる。嬉しい。


 お墓全体は左右対称にレリーフが描かれていたように思う。
 白い衣装を着ているのはネフェルタリだけのようだ。そして目元くっきりの美人である。
 天井は濃い青に塗られ、やはりステラが描かれている。


 ネフェルタリが拝んでいる聖牛は7頭という説明だったけど8頭いるじゃないかとか、つまらないツッコミを心の中で入れつつ、様々な姿のネフェルタリを追う。
 やはり、有名な、チェスのようなゲームをしているネフェルタリの姿が目に残っている。
 それは、私の視線よりも高いところにあった。他の絵は等身大かそれ以上の大きさだった一方で、その絵は1m四方もないくらいの大きさに描かれている。
 色々な意味で特別感が漂う。


ワインを捧げるネフェルタリ また、控えの間から玄室に向かう階段の途中に描かれていた、後にアブシンベル神殿の音と光のショーで見ることになるワインを捧げるネフェルタリも、丸いボトルを捧げ持つ手の優雅さが印象的だった。
 玄室の柱に描かれていた女神イシスとネフェルタリが二人で連れ立ってどこかに行こうかという風情の絵も印象に残っているから、私はどうも、ネフェルタリが女性(女神)と一緒にいる絵に惹かれていたようだ。


 そうやって、ネフェルタリの優美&優雅な姿に呑まれていたせいか、ふと気がつくと、周りに誰もいなくなっていた。
 驚く。
 せっかく「今は空いているから10分とかカタイことは言わないよ。」って言ってくれたのに、どうして皆、あっさり出て行ってしまうのだろう。何て勿体ない! と半ば憤りすら感じる。


 でも、考えてみれば、係のおじさんが一人残っているとはいえ、今の私はネフェルタリの墓を独占しているということだ。
 これ以上贅沢な時間などない。
 係のおじさんに「もう1回見てきていい?」と聞くと、「行ってこい、行ってこい。」と手を振ってくれ、階段の上に向かって「あと一人いるぞ。」と声をかけてくれた。
 おじさんの好意に甘え、最後に控えの間と控えの間の横に造られたお部屋で、「ネフェルタリの墓」の壁画と空気と「時」を満喫した。


ネフェルタリの墓入口 私が階段を上がって外に出ると、すぐに「がちゃん」とドアと鍵が閉められ、「時」は封印された。
 名残惜しくて振り返ると、ネフェルタリのお墓は、地味に(入口はどのお墓も地味である)、ひっそりと(王妃の谷自体に人が極端に少なかった)、そこにあった。


 「昼食前にあと1ヶ所だけ」と、ルクソール西岸観光の最後にメムノンの巨像に立ち寄った。
 アメンホテプ3世が建造した像である。
 大きな葬祭殿が広がっていたところに、今はこの2体の像だけが残されている。そのせいでさほど大きく見えないけれど、実際は18mの高さがあって、奈良の大仏よりも大きい。
 自分の中のスケールが滅茶苦茶狂っている気がする。


 ルクソール西岸観光は14時に一段落した。
 お腹も空いたことだし、これからお昼ご飯である。


 エジプト旅行記3日目その1<-  ->エジプト旅行記3日目その3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.07.10

次の旅計画(国内編 覚え書き その2)を考える

 去年の今頃にリストアップしたきり放っておいた「今行きたいところ、やってみたいことの覚え書き」を更新することにした。

 まずは、国内編(順不同)である。

・白神山地(世界遺産のブナの森を歩きたい)
・屋久島(世界遺産だし。美味しい水を飲みたい)
・自然の蛍を見る(どこへ行けば見られるだろう)
・沖縄(できれば、八重山に)
・オホーツクの流氷と一緒に浮かぶ
・箱根(行ってみたい美術館がたくさん) 2008年夏に決行予定
・西伊豆(海に沈む夕陽を見る)
・立山・黒部アルペンルート(色々な乗り物にいっぺんに乗る) 2007年10月に決行
・川原湯温泉(ダムの底に沈む前に)
・比叡山延暦寺(響きだけで行ってみたい)
・なるべく歴史の古そうな宿坊に泊まる
・伊勢神宮(一生に一度はお参りしなければ) 2008年2月に決行
・断食道場にチャレンジする 2008年5月に決行
・四万十川を見る(実は四国に行ったことがない)
・出雲大社(縁結びの神様は実はお隣にいらっしゃるらしい)
・満開の吉野の桜を見る

・大阪の国立文楽劇場(どうせ文楽を見るのなら専用劇場で)
・イサム・ノグチ庭園美術館(香川県にあるらしく、しかも事前予約制であるらしい)
・高知県立美術館(シャガールのコレクションが1300点!)
・萩・津和野・秋吉洞(高校生の頃新井素子の「あなたにここにいてほしい」を読んで行きたいと思ったことを思い出した)
・青春18きっぷの旅をする

 また思いついたら(思い出したら)追加しようと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.07.06

エジプト旅行記3日目その1

2008年1月2日(水曜日)


 早朝の飛行機でルクソールに移動するため、2時に起床した。
 というよりも、眠ろうとしたものの30分〜1時間おきに断続的に目が覚めていた。まだ時差ぼけなのかも知れない。
 カメラの電池の充電は完了している。昨日の夕方、お風呂に入ったときに洗っておいたタオルと靴下はちょっと湿り気が残っている。


 3時20分のホテル出発の前にボックスの朝食が配られた。ハムとチーズのバケットサンド、パウンドケーキ、オレンジジュース、ヨーグルト、水、バナナ、リンゴである。
 ルクソールに到着したら温かい朝食が食べられますという説明があった。ジュースを飲み、パウンドケーキとバナナとリンゴはおやつ代わりにバッグに入れた。


 空港までの道筋、意外なくらい活動している人が多くて驚いた。お店も開いているし、カフェの店先で水煙草を吸っているおじさんなども結構な数いる。
 空港に4時45分くらいに到着し、そのまま流れ作業のように「急げ!」と言われて飛行機に乗り込んだ。5時発の飛行機に乗る予定だから急がなくては間に合わないのかと思ったら、ゲートに5時30分離陸予定と表示が出ていて混乱する。


 結局、5時に動き出したエジプト航空131便は5時30分に離陸し、6時15分にルクソールに到着した。
 この飛行機は足元がすーすーして寒かった。
 着陸する直前、窓から真っ赤な日の出が見えてとても綺麗だった。写真を撮りそびれたのが惜しまれる。
 カイロの空港では1エジプトポンド未満のトイレチップは許されなかったのに、ルクソール空港ではトイレチップがいらないのが嬉しい。これだけで、かなりルクソールの印象が良くなるのだから、我ながら現金である。


朝食 7時30分過ぎに本日の宿であるナイル・パレスに到着し、レストランに直行して朝食をいただいた。
 目の前で焼いてくれるオムレツがあって嬉しい。しかし、こういうときに「これとこれとこれ」と具材を指定するのが面倒になって「ALL」で済ませてしまう自分はちょっと悲しい。
 カルカデのジュース(右奥の濃い紫色のコップ)もあった。さっぱりとした味のジュースである。


 8時30分にルクソール西岸観光に出発した。まずは王家の谷に向かう。
 盗掘を恐れた王たちは、自分のお墓の場所を特定されないようにかなり慎重に場所を選んだという。結局はほとんどのお墓が盗掘の憂き目に遭ったけれど、その秘密保持は厳重だったらしい。
 お墓の建造に当たった各国からの奴隷はみな墓の完成後に殺されてしまったそうだし、壁画を彫ったり描いたりしたエジプト人達は目隠しをされてお墓まで行き来していたという。


王家の谷 バスを降りたところにビジターセンターのような場所があり、そこから王家の谷の入口までは「タフタフ」と呼ばれる、ゴルフのカートを何台も連ねたような乗り物で行く。
 王家の谷では、入場料70エジプトポンドで三つのお墓を見ることができる。ツタンカーメンのお墓だけは別料金で80エジプトポンドだ。


 王家の谷では62のお墓が発見されている。その62番目が、ツタンカーメンのお墓である。
 この62のお墓のうち公開されているお墓は20弱ある。ただし、開いているお墓は毎日のように変わっており、行ってみなければどのお墓が見学可能なのか判らない。
 それにしても、暑い。
 日射しがカイロとは全く違う。砂漠の暴力的な日射しである。


 まずは、ツタンカーメンのお墓の前に集まり、ハニーさんの解説を聞いた。ピラミッドと同様に、ここでもガイドさんは中に入って説明することを許されていない。
 王の名前は、生まれたときと王になったときの二つあるということを初めて知った。
 ツタンカーメンのお墓は、ラムセス6世のお墓の近くにある。偶然、カルトゥーシュが描かれた岩が見つかり、発見されたそうだ。


 ツタンカーメンはまだ若いうちに亡くなったのでお墓の準備もあまりできておらず、入口からまずたどり着くのが控えの間、その左奥に別の間があり、右手が玄室、玄室の右奥に宝物の間の4室しかない。このうち公開されているのは、控えの間と玄室の二部屋である。
 こんなに小規模なお墓にも関わらず、詰め込まれていたお宝は約3500点もあり、全てを取り出すのに10年の月日がかかったという。副葬品の数々はカイロ博物館に大々的に展示されており、他の王の墓も盗掘されていなければどれだけのお宝が詰め込まれていたのか、想像を絶する量と質ときらびやかさだったことだろう。


ツタンカーメンのお墓の入口ツタンカーメンのお墓の説明


 2006年からツタンカーメンのミイラがお墓の中に安置され公開され始めた。ミイラの公開が始まった少し後からツタンカーメンのお墓の入場制限を始めるという話が出ていた。入場制限があって入れなかったらショックだとかなりどきどきしていたけれど、私が行った時点では入場制限は行われていなかったようだ。
 ハニーさんにカメラを預け、9時30分とは思えない陽光の下、いよいよ入場である。


 これを書いている半年もたった今になると、記憶はかなり薄れている。ほとんど覚えていない。
 前室はかなり殺風景だった、ような気がする。
 当時もらった説明書によると、玄室の壁面には、ミイラにされたツタンカーメンが儀式で復活し来世に迎えられる様子が描かれていたらしい。
 私のメモによると、死後も目と耳と口が使えるようにするためにツタンカーメンの口に神官が何かをしている絵が描かれていたり、三途の川らしきものが描かれていたり、ツタンカーメンの口に長命になるようアンクを入れている絵が描かれていたり、太陽を呼び起こすヒヒの絵が描かれていたりしていたようだ。


 流石にツタンカーメンのミイラの姿は記憶に残っている。
 何しろ、後で見ることになるカイロ考古学博物館にあるミイラと比べ、何といっても若かったのだ。
 そう思って見たせいかも知れないし、そもそも白い布がかけられていて、顔と手首から先と足首から先しか見えていない。
 それでも、真っ黒で、特に顔の頬の辺りがつるつるつやつやふっくらしているように見える。
 気持ち悪いとか気味悪いという感想はついぞ浮かばず、ひたすら綺麗だなと思って見つめていた。


 そして、壁画で印象に残っているのは12匹のヒヒである。
 ちょうど、ミイラの頭の方の壁面に描かれている。
 12匹で夜の12時間を表している。
 縦4列横3列のマス目の中にそれぞれヒヒの絵と名前なのかヒエログリフが描かれている。そのうち、左から2番目、上から3番目のヒヒだけは名前が削り取られてしまっているのが不思議だった。


 ツタンカーメンのミイラが安置されている玄室は決して広くない。
 ミイラが入っていたお棺の周りに、それぞれ1〜2mくらいの余裕があるくらいの広さだ。
 このサイズの部屋の壁一面に絵が描かれていると、それだけで結構な圧迫感がある。そして、意外と赤い色が残っていて、もっともっとボロボロなんじゃないかと思っていたので驚いた。
 さらに驚いたのは、ツアーの方々がさっさと出ていってしまうことだった。勿体ないよ! と叫びたくなる。


ラムセス3世のお墓 次にハニーさんが説明してくれたのは、ラムセス3世のお墓だった。ハニーさん曰く「今、開いているお墓の中では一番綺麗なお墓です。」ということである。
 ツタンカーメンのお墓はかなり特徴的な造りになっていて、他のお墓は概ねラムセス3世のお墓のように縦に長い造りになっているそうだ。そして、その長い通路の壁面には、一番奥で眠る王の功績が描かれているという。
 ラムセス3世のお墓の解説をしてもらった後、他にはラムセス1世のお墓がお勧めですという話があり、11時15分まで1時間強のフリータイムとなった。


 ラムセス3世のお墓はかなり丁寧に見たつもりだったし、実際に30分以上長さ140mくらいのお墓をうろうろしたけれど、やはり、今ひとつ記憶が定かではない。
 通路の両側は透明なカバーで一面が覆われ、時々、ほんの少しだけガラス越しでなく見られるよう穴が空いている。壁面のヒエログリフや絵などは、描かれているのではなく彫られた上に色が乗せられ、天井までびっしり埋め尽くされている。
 その中で、真ん中の支点に王の顔が描かれた、罪を計る天秤がかなり平べったく描かれていたのが印象的だった。


 お墓の通路は真っ直ぐではなく、途中で一度カギ型に通路が曲がっている。
 蛇は通常は来世に行くのを邪魔する存在で、アンクを持った蛇だけは来世に向かう案内蛇であるという。邪魔をする蛇は王と同じ進行方向を向き、アンクを持った蛇は王の正面からやってきているように描かれているのが不思議だ。
 「列柱の間」と称されている場所には段差があり、柱が建ち、薄暗いような気もして少し圧迫感があった。


ラムセス3世のお墓の壁画 「お墓の内部の写真だ。」と言われて購入したこの写真は、ラムセス3世と書いてあるからラムセス3世のお墓のどこかの写真の筈だ。実は、こんな絵が描かれていたという記憶が全くない。
 そもそも、こんなにカラフルなお墓だったという記憶がない。全体的に、茶色い石の色というか壁の色のところに彫られていて、そこに色が乗せてあったという記憶である。


 その場で書いていたメモの力を借りると、入口には正面を向いた雄牛の絵が両脇に描かれていたこと等もかろうじて思い出すことができる。
 最初の通路では、壁の両脇と天井にヒエログリフが彫られて色を乗せられている。この通路の最後のところに小さな部屋があり、そこには、持ち込むことはできなかった大きな船の代わりに船の絵が描かれている。


 王への捧げ物は実際にお墓に納めただけでなく、第2通路の両脇にあった小部屋の壁にも描かれたという。その小部屋のうちの一つの、しかもめちゃくちゃ見にくい場所に、このお墓が「竪琴弾きの墓」と称される元となった絵が描かれている。
 第3通路の天秤の絵の辺りに、ヒエログリフに三つの点がたくさん打たれている文章があり、それは「おまえはこんないけないことをしたか。」という質問に一々「していません。」と答えていることを表しているという。死後の審判の場面ということだ。


ラムセス9世のお墓案内図 ラムセス3世のお墓を堪能して出てみたら、集合時間まであと30分くらいしかなかった。
 ハニーさんお勧めのラムセス1世のお墓に行ってみると、かなりの行列でしかも進んでいない。
 うっかりガイドブックをバスに置いてきてしまい、選択する指標もない。
 少しでも手がかりがあるところにしようと、ハニーさんからもらった説明の紙に載っていて、それほど混雑していなかったラムセス9世のお墓に向かった。


 ラムセス9世のお墓でまず目に付いたのは、第1通路と第2通路の間にある、日本の家でいうと欄干のような天井近い場所にある絵だった。
 太陽を表す赤い丸の中に、雄羊の頭を持つアトゥム神とホルス紙の神が描かれている。背景が白く塗られているため、かなり鮮やかに目立つ。
 全体としてラムセス3世のお墓よりもすっきりして、余白が多い。生前の権勢が小さかった王なのかも知れない。


 もう一つ素晴らしかったのが、第3通路の天井に描かれた天体図だ。
 濃いブルーの地に黄色でくっきりと天体図が描かれている。時々、塗り忘れなのか未完成なのか白い線になっているのはご愛敬だ。直線が赤で描かれていたのは飾りだろうか。
 ぽかんと口を開けて上を向き、しばしぼーっと眺めた。
 ラムセス3世のお墓よりもはるかに規模が小さいものの、この天井画だけで十分にお釣りがくる。


 私が集合場所に到着したときには、ほとんどの方が集まっていらした。
 セティ1世のお墓が見たいとおっしゃっていたお嬢さんは、かなり遠くにあるそのお墓まで行ってみたら、今日は閉まっていたそうだ。残念なことである。
 1エジプトポンドのトイレチップを払ってビジターセンターのお手洗いを借り、11時35分、バスはハトシェプスト女王葬祭殿に向かった。


 今日も長い1日になりそうである。


 エジプト旅行記2日目その2<-  ->エジプト旅行記3日目その2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.07.05

「るるぶ新楽楽箱根」を購入する

 母に「箱根でどこに行きたい?」「何をしたい?」と聞いてみたら、「駒ヶ岳に登るロープウエイに乗りたい」「成川美術館に行きたい」という答えが返ってきた。
 これでほとんど1泊2日の行程は決まったようなものだけれど、でも、やっぱりガイドブックを買うことにした。

 タビリエとことりっぷで迷っていたのだけれど、ふと平積みになっている「るるぶ新楽楽箱根」が(正確には、表紙の「楽楽」「箱根」という文字が)目に入った。
 奥付を確認したら2008年7月1日でこの3種類の中では最新版だったので、今回の旅のお供のガイドブックはこれに決定した。

 その他に、ハイキングコースより緩やかな感じの「お散歩コース」がいくつか紹介されていたことも、このガイドブックを買おうと思った理由である。
 もっとも、8月の暑い盛りに本当に山道(に近いコース)を歩くのか、という疑問は残る。

 のんびりと計画を立ててみようと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

エジプト旅行記2日目その2

2008年1月1日(火曜日)


 この日の昼食は、ホテル・メナ・ハウス・オベロイのレストラン「ハン・ハリーリ」だった。
 今にして思えば、ここのランチが、エジプト旅行中、一番美味しいお食事だったような気がする。
 New YearのSpecial Menuだったから、ということもあるかも知れない。


メインディッシュ ランチのメニューは以下のとおりだ。


 前菜 鴨肉のパテ ブルーベリーソース添え
 スープ 野菜スープ
 メイン 子羊肉のローズマリーソース添え
 デザート フルーツポンチとバニラアイスクリーム
 コーヒー


 「機会はあるときに捕まえよう」と、飲み物にマンゴーフレッシュジュースを頼んだ。色々な方の旅行記などで大絶賛されていたし、ブログにコメントもいただいたし(茶柱さま、ありがとうございます!)、絶対に試してみようと思っていた。
 これが大正解だった。
 22エジプトポンドと決してお安くはないけれど、本当にねっとりして、マンゴーの実がそのまま入っているようでストローで吸うのも大変なくらいの濃いジュースだった。


 1時間近くかけた優雅なランチも終わり、一組のご夫婦が午後の観光はパスされるということでツアー人数が11人に減り、13時15分過ぎにメンフィス・サッカラ・ダハシュールに向かった。
 バスは1時間くらい、延々と余り変わり映えのしない景色の中を走る。
 睡眠時間4時間で暑い中を観光した後でランチをお腹いっぱいいただき、バスに揺られたら眠くなるに決まっている。眠い目をこすりながら、ガイドさんの詳しい説明を何とかメモする。


 例えば、エジプトの国土の95%は砂漠であること。
 2008年6月に500エジプトポンド札、1000エジプトポンド札ができること。(現在の最高額紙幣は200ポンド札)
 エジプトの小学校では、木や花についてほとんど教えていないこと。(これは、エジプトが石の文化の国である故だというのがハニーさんの分析だった。)
 デーツはビタミンが豊富に含まれていて、ラマダンの際によく食べられていること。
 エジプトの農村地帯の家は日干し煉瓦で建てられており、ほとんどの家事は家の外で行われていること。
 エジプトの農村地帯では朝早い涼しいうちに農作業を行い、昼間はカフェで麻雀をしたり水煙草を吸っている人が多いので、サボっているように見えてしまうこと。
 遺跡の盗掘は禁固22年の罪になること。


 階段ピラミッドが遠くに見える。最初に訪れたのはダハシュールの赤のピラミッドだった。
 この日の午後分として手元に残っているチケットの半券は、「Mit-Rahina」が30エジプトポンド、「Dahshur」が25エジプトポンド、「Imhotep&Saqqara」が50エジプトポンドだ。ただ、どのチケットがどこの入場料分だったのか、今ひとつはっきりしない。


 赤のピラミッドという呼び名は、剥がされてしまった花崗岩の化粧板が赤かったことから来ている。今見ても、特に赤いとも思えない。
 ハニーさんによると、クフ王のピラミッドやカフラー王のピラミッドよりもこの赤のピラミッドの方がずっと低い。しかし、傾斜角が小さく(43度くらい)、底辺が長く、周りに比べるものがないために大きく見えるそうだ。


屈折ピラミッド 赤のピラミッドをぐるっと回った先にあるビューポイントからは、屈折ピラミッドも遠くに見える。
 「遠くに見える」のは、この周辺では、軍事施設と油田以外の建設が政府によって禁止され、「砂漠の中にぽつんとピラミッドがそびえる」という景観を守ろうとしているからだ。
 かつ、遠くからしか見られなかったのは、この先の道が砂利道であるため、特別許可を得なければ進めないからである。


 屈折ピラミッドは、明らかに途中で建設方針が変わっていることが見て取れる。
 この変更の理由については、王様が死にそうになって工期を短くするためという説もあれば、造り始めたときの角度のままでは完成せず崩れてしまうことが判ったからだという説もある。


赤のピラミッド ビューポイントから赤のピラミッドまでは、私の握りこぶし2〜3個分くらいの大きさの石が一列に並べられていた。これはピラミッドから落ちてしまった石を並べてあるそうだ。


 赤のピラミッドの入場は、希望者のみだった。
 ハニーさんから「天井が低い通路をずっと一直線に下って行くので、クフ王のピラミッドよりも3倍きついです。」という説明があった上で、「入りたい人!」という募集があった。
 希望者は真っ先に元気よく手を挙げた私を含め5人だけだ。
 それでもガイドさんは「今回のツアーは元気な人が多い。」と言っていたそうだから、普段はよっぽど入場希望者がいないのだろう。
 「14時40分までに戻って来てください。」と言われて勇んで出発する。
 まず、ピラミッドの入り口までの階段で挫折しそうになった。入口が結構、高い位置にあるのだ。


 そして、腰をかがめなければ進めない高さの通路が本当に一直線に下っている。足元は板が敷かれて滑り止めもあるとはいえ、かなりキツイ。
 10mも下っていない辺りで、ご夫婦の奥様が「私は戻るわ。」とおっしゃってリタイアされる。
 1/3くらい下ったところで、「これはきっと帰りに上り切れないに違いない」という確信が浮かんできて座り込み、他の3人の方に「ギブアップするので、抜かして行ってください。」と言ってしまう。


 しばらく休みながらじーっと先に行く3人を見ていたらその坂道の底が見えた。これくらいの距離なら大丈夫だろうと一気に下る。
 ずっと腰をかがめた姿勢で足を運ぶのでかなり辛い。


 やっと底について狭い通路をくぐったら、天井の高い部屋に出たのでかなりほっとした。
 天井が低くなっている場所を2回くぐった次の部屋は、さらに天井が高く、何というかブロックで作ったおうち風に段々がついて三角屋根になっているような感じである。
 そして、その一番奥の部屋には、隅に木でやぐらのようなものが組まれている。先に下ったお三方はその上にいらっしゃるようだ。
 階段を上り、少し奥に進むと塀越しに少し掘り下げたようなスペースがある。岩がごろごろとしていたせいか、そのスペースは、私にはお棺のような用途で使われていたように見えた。


赤のピラミッド入口 「40分までに戻れない!」と、慌てて元来た道を戻る。
 結構、息が切れる。
 上の方に四角い明るい窓があり、そこから光が射し込んでいて「あそこまで上がればいいんだ」と判るのが有難い。がんばって上る。
 上りながら通路の木の滑り止めの本数を数えたら、140段だった。


 14時30分には入口まで戻れたものの、今度はそこから段差のバラバラな階段を下りるのが一苦労だった。
 既に、足は筋肉痛で悲鳴を上げている。お三方がそのまま元気に階段を下りて行くのを見送り、お水を飲み、石に座り込んで休憩する。
 そろそろと階段を下り、何とか指定時間までにバスに戻ることができた。


 次に、メンフィスの野外博物館に向かった。
 ちょうどメンフィスの村に差し掛かった14時45分ころ、アザーンの音が流れた。今日3回目のお祈りの時間を知らせているという。
 このメンフィスの村は「掘ればそこに遺跡がある」という場所で、政府は住民の移転を進めようとしているものの、なかなか応じてもらえていないらしい。


 メンフィスの野外博物館の白眉は、ラムセス2世の寝像(という言葉があるかどうかは判らないけれど)である。それが証拠に、この像だけは屋内に置かれている。
 石灰岩で作られたこの像は非常にもろく、運んだり立ち上げたりすることができなかったので、発見された場所の上に建物を作ってしまったそうだ。
 最初はうつぶせの状態だったというから、それを仰向けにするだけで相当に大変だっただろう。
 足だって折れてしまっている。


 このラムセス2世の像は大きいので、キャットウォークが設けられ、上から見られるようになっている。もちろん、置かれた場所と同じ高さからも見られる。私の身長よりも彼の体の厚みの方が大きい。
 そして、このラムセス2世の像がどれだけ本物に近いのかは判らないものの、かなりハンサムである。
 それも、現代でも「ハンサム」と言ってもらえるくらいのハンサムさだ。


判子を持つ手ネフェルタリ


 カルトゥーシュの中には必ず「王の名前」が刻まれており、それが、ヒエログリフ解読のキーになったという。
 ラムセス2世の像が左手に持っている判子にもカルトゥーシュがあり、名前が刻まれている。この「判子」を手に持っていてくれたおかげで、この像が「ラムセス2世」の像であると判ったそうだ。
 そして、このラムセス2世像の左足元には、ネフェルタリの姿が彫られている。こちらは、ラムセス2世自身のハンサムさに比べて、いかにも適当な彫りなのがアンバランスだ。


 エジプトでは、像は概ね2体1対で作られている。この寝ているラムセス2世の相棒は、少し前までカイロの中央駅前に立っていたそうだ。そちらは花崗岩で作られていたので立たせることも運ぶこともできたらしい。
 そのため、カイロ中央駅はラムセス2世駅とも呼ばれている。もっとも、今はその像は日本の援助で作られる博物館に納められるために移動されてしまったらしい。駅前に立つラムセス2世を見てみたかったので、ちょっと残念である。


世界第2のスフィンクス ラムセス2世像の他の展示品は、屋外に、かなり適当に置かれている。放置されているに近い。
 その中で気になったのは、もちろんスフィンクスだ。ここに置かれているアラバスター(大理石)製のスフィンクスは、エジプトで2番目に大きいスフィンクスだと説明されて驚いた。
 小さい。私と同じくらいの大きさだ。
 圧倒的にデカいスフィンクスを午前中に見ているので、その大きさの「普通さ」が変な感じである。しかも、あまりハンサムじゃないところも気の毒である。「小さいけど超絶ハンサム」だったら良かったのにと思う。


 そして、もう一つこの野外博物館で記憶に残っているのは、ミイラを作るための台だ。
 ひたすら大きな石で、側面には一面にヒエログリフや神様の絵が彫られている。上面を見た記憶がないから、多分、私の身長よりも高さがあったのだと思う。
 覚えているのはこれだけで、メモ帳にも何も残っていないのが我ながら謎だ。
 印象に残るモノであったことは確かなのに、その他の記憶がまるでない。


 今日最後の観光は、ジョセル王のお墓であり、世界最古のお墓だという階段ピラミッドだった。
 確かに、明らかに階段状になったピラミッドだ。意外なくらい、美しい姿である。これまで見た中では、カフラー王のピラミッドの次に美しいと思う。
 階段ピラミッドは一番古いピラミッドで、元々はマスタバという、四角い盛り土状のお墓として作っていたものだ。マスタバは、アラビア語でベンチという意味である。
 その後、宰相のイムホテップが、どんどん上に積み上げ、底辺も拡張し、今の姿に仕上げたらしい。


穴 階段ピラミッドには近づくことができない。周りに築かれて残されている付属物というか、ピラミッド・コンプレックスの一部から眺める形になる。
 階段ピラミッドの地下通路や抗は、元々はそれほど複雑な構造でもなかったらしい。改築が重ねられてとんでもない状況になってしまっている。
 入口だけは見下ろすことができた。ここで深さが40mあるという。


 また、階段ピラミッド前の広場ではヘップセット祭が行われていたという。
 これは、いうなれば「若返り祭」で、王様が走りを披露し、何かの基準をクリアすればその後も王様を続けることができたという。
 かなり非情なお祭りである。


ピラミッドテキストのピラミッド 階段ピラミッドの反対側には、ハニーさん曰く「一番重要なピラミッド」がすでに崩れかけて存在している。
 このピラミッドがなぜ重要なのかといえば、内部に「ピラミッド・テキスト」と呼ばれるヒエログリフが一面に掘り込まれているからだ。ぜひその「ピラミッド・テキスト」を拝んでみたいけれど、現在は入場することはできない。
 後で調べたら、これは、ウナス王という人のピラミッドだった。


 お天気がよければ、ビューポイントからギザのピラミッドが見えるそうだ。残念ながらこの日は砂ぼこりなのか、霞なのか、とにかく空気の透明度が高くなく、確認することはできなかった。
 ここから見える砂漠がサハラ砂漠である。落ち着いて見ると単なる砂地だけれど、何となくロマンを感じる。我ながら現金である。


 本日の観光はこれにて終了だ。
 一路、「この辺りは、じゅうたん学校という名前のじゅうたん屋が多い。」などという説明を受けながら、バスに揺られてギザに戻る。
 ハニーさん曰く、エジプトのじゅうたんはメンフィス周辺が名産地で、一番質の良いものが作られているという。立ち寄ることがなくて、ほっとしたような、じゅうたんを織っているところを見てみたかったような気もする。 


 バスの中で、明日の予定変更が知らされた。
 明後日に行く予定になっていたネフェルタリの墓が混雑しそうなので、明日と明後日の観光内容をそっくり入れ替えるという。


 16時30分くらいにホテルに到着した。
 カメラの電池を充電し、入浴し、友人達にエジプトから年賀状を送るための切手を購入すべく、夕食の時間より少し早めにロビーに降りた。
 ホテルに入っているお店だから信用できるわけではない、ホテルとホテル内のショップとは全く何の関係もないとハニーさんに言われてはいたけれど、まさか切手を定価で買えないとは思わなかった。
 1.5エジプトポンドの切手を20枚欲しいと言って、40エジプトポンドだと言われたときには耳を疑った。
 流石に小心者の私も「それ計算違うでしょ。」と指摘したら、「ホテルに支払うコミッション分が含まれているんだ。」と言われた。
 そこでスゴスゴと引き下がる私はやっぱり小心者である。


メインディッシュ 19時からの夕食は、宿泊しているホテル・ル・メリディアン・ピラミッド内の地中海料理のレストラン「メッド」だった。
 メニューは以下のとおりだ。


 前菜 チキンサラダ
 スープ トマトスープ
 メイン サーモンとペンネ
 デザート シシリアナ・アイスクリーム
 コーヒー


 メインディッシュはサーモンかビーフかを選べた。ほとんどの人がサーモンを選んでいたような気がする。
 そして、私は着替えはしたものの観光客スタイル(Tシャツに長袖シャツを羽織って、ズボン)で行ってしまい、このツアーはかなりドレスアップ率が高かったので、少し居心地の悪いことになった。


 夕食後、昼間はがしかけてしまった爪を消毒するために添乗員さんからマキロンをお借りし、ついでに、ルクソールで気球に乗ることは可能でしょうかと相談した。調べてみますと言っていただいて、部屋に戻る。
 その後、防寒を整えてプールサイドに出てみたところ、昨日の夜は夜でもうっすらと浮かんでいたピラミッドの姿がこの日は全く確認できず、写真を撮ることはできなかった。


 明日は、早朝の飛行機に乗ってルクソールに移動する。モーニングコールが2時30分である。
 1日、部屋に干しっぱなしにしていた洗濯物は、何とか乾いている。
 そういえば今日は1月1日であり、エジプト旅行2日目だ。しかし、今年に入ってもう何日もたったような気がするくらい、長い1日だった。
 明日に備え、21時に就寝した。


*この日の服装
 ピンクの半袖Tシャツ、赤のチェックの長袖シャツ、カーキのカーゴパンツ


 エジプト旅行記2日目その1<-  ->エジプト旅行記3日目その1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »