エジプト旅行記5日目その2
2008年1月4日(金曜日)
セティ・ファーストは、コテージ風になっていて、なかなか可愛いお部屋である。
ナセル湖に向かって窓が開いており、テラス風になっていて椅子も置かれている。ブーゲンビリア越しにナセル湖をのんびり眺めるのも優雅そうでいいけれど、水辺のために虫が多いという。
もうすでに16時近かったこともあり、お部屋に荷物を置いてすぐアブシンベル神殿の観光に出かけた。ホテルから神殿まではバスで10分くらいである。
お土産物屋さんが並び、なかなか売り込みの激しい中を歩いて、アブシンベル神殿に向かう。
チケット(70エジプトポンド)をちぎってもらい、セキュリティチェックを抜けると、砂の中を歩く近道(?)と、最近整備されたという歩きやすいけど遠回りの道とがあった。
ハニーさんに従って砂のちょっと歩きにくい道を歩くこと少し、岩山をぐるりと回った、その岩山がアブシンベル神殿だった。
ハニーさんが「世界の七不思議を決めたときにはまだアブシンベル神殿は発見されていなかったので選ばれなかった。もし発見されていたら絶対に七不思議の一つに数えられていた筈だ。」と言い切る遺跡である。
このアブシンベル神殿と小神殿を造ったのは、言わずと知れたラムセス2世である。
97歳まで生きてエジプトを67年に渡って支配したというこの王様は、アブシンベルの地で生まれた王妃ネフェルタリを溺愛したことでも知られている。また、このアブシンベル神殿を見ても判るように、自己顕示欲の塊のような人物だ。
でも、このアブシンベル神殿は、金山で働いていた人々の雇用を守るために造らせたというから、なかなか自己顕示欲だけの王様でもなかったらしい。
ハニーさんによると、フランスの「エジプト記」という本には、小神殿を見た人が帰り道で大きな岩を見つけ、それが実は砂にたっぷりと埋もれていたアブシンベル神殿のラムセス2世の像の頭部分だったと書かれているそうだ。
アブシンベル神殿発見の瞬間である。
砂の取り除き作業などに四苦八苦しているうちにアスワンハイダム建設の話が進み、この遺跡はナセル湖の湖底に沈みそうになる。
そこでユネスコによって移転計画が始まった。
元々が山の中の一枚岩をくりぬいて造った神殿を移転させるのは難しい話で、各国からアイデアを募った結果、コンクリートでドームを作り、神殿自体はブロック状に切り離して移転させようというイタリア人の提案が採用され、5年をかけて実施された。
私にはこの「ブロック状に切られた跡」を確認することはできなかった。このときに使われた接着剤は日本製で、エジプトのアブシンベル神殿でも日本製品の優秀さが証明されたというものだろう。
アブシンベル神殿大神殿の正面にいるこの4体の像は、いずれもラムセス2世である。
左から2番目の像に顔がないのは、彼が呪われて破壊されてしまったわけではなく、紀元前にあった地震で崩れてしまったそうだ。どちらかというと、その他の部分が崩れていないことの方が驚きである。
しかも、全体がデカすぎて実感がないながら、この像はそれぞれメムノンの巨像とほぼ同じ大きさだという。
真ん中の上の方に小さく彫られているのは、ホルス神だ。
その「神」と比べて自分をこれだけデカく、年代順に作らせるなんて、やっぱりどこかラムセス2世という人は常軌を逸している。
古代エジプト人の縮尺は間違っているとずっと思ってきた。その最高峰がアブシンベル神殿で、これほど縮尺がおかしい遺跡は他にない。
アブシンベル神殿でも内部での写真撮影及びガイドさんによる説明は禁止されていて、一通りの説明を受け、全員で集合写真を撮った(10ドル)後でフリータイムとなった。
ここにアップした神殿内部の写真は、みな、この集合写真のおまけでもらった写真をスキャナで撮ったものである。
それにしても、フリータイムが1時間もないなんて短すぎる。
まずはアブシンベル神殿に向かった。
入口ぎりぎりのところにあるこのレリーフは、ラムセス2世が戦争に勝ち、連れてきた捕虜達を描いたものだ。
この神殿はラムセス2世の生前に作られたものだ。それなのに、何故かラムセス2世がときどき両腕を交差させた「死者」のポーズを取っているのが不思議だ。
大列柱室のど真ん中にいるラムセス2世は、きちんと左足を前に出して立つ「生者」のポーズである。
神殿内の壁画は、自らの権威と力を見せつけるためか、戦争を題材にしたものが多い。
戦車に乗ったラムセス2世は何故か千手観音のような姿で描かれている。これは、強さと速さを表しているそうだ。
また、リビア人の捕虜を打ち据え、足で踏みつけているラムセス2世の壁画もある。これが思いっきり顔を正面から踏みつけていてえげつないことこの上ない。
スパイを拷問している絵もあれば、スパイを問いつめるための戦争会議の様子の絵もある。後者の絵では、ラムセス2世だけが、座っているくせにやたらと大きく描かれている。
捕虜を引っ立て、騎乗して凱旋するラムセス2世の乗馬の足元に馬よりも遙かに小さくライオンが描かれていたりする。
要するに「ラムセス2世は戦争になったら(勝ったら)容赦ない男である」ということをあの手この手で表している。
大列柱室を通り抜けた一番奥の至聖所には、4体の神が座っていた。
右から、ラー神、生き神様になったラムセス2世、アメン神、プタハ神である。
闇の神であるプタハ神の像は必ず頭が壊れた状態にされており、その理由はまだよく判っていないらしい。
アブシンベル大神殿では、2月と10月に真っ直ぐにこの至聖所に光が差し込む日がある。その日であってもプタハ神は闇の神であるために陽の光が当たらないようにされている。
ロマンとか神秘とかというよりも、その執着が恐ろしい。
時間に余裕があったらもう1回来ようと決めて、隣のアブシンベル小神殿に向かう。
王妃ネフェルタリとハトホル女神に捧げられた神殿で、正面には「ラムセス2世、ネフェルタリ、ラムセス2世、入口、ラムセス2世、ネフェルタリ、ラムセス2世」の順番で10mの高さの像が並んでいる。
アブシンベル神殿では、ラムセス2世の足元に膝までの半分もないくらいの大きさで刻まれていたことを思えば王と王妃が同じ大きさになっているだけでも進歩(?)だ。とはいえ、どうしてネフェルタリのための神殿でラムセス2世の像の方が数が多いのだろうと思う。
小神殿の中のレリーフは全体的に色が残っていて綺麗である。
描かれている題材も、ラムセス2世が拷問をしていたり、ラムセス2世の戴冠式の様子が描かれた壁画がありつつ、基本的にはネフェルタリが楽器を演奏していたり、パピルスを持っていたり、捧げものをしていたりする。
穏やかな日常の風景だ。
この小神殿で不思議だったのは、列柱室の柱に浮き彫りでレリーフが作られていたことである。浮き彫りを見たのはここだけだったと思う
ラムセス2世は、消されたり上書きされたりしないように「深く」彫らせたという話を聞いたし、概ねレリーフは掘り下げて作られていたと思う。
規模が小さいから明るい感じがするのか、レリーフの題材が「戦争」ではなく神との関わりの部分が大きいからなのか、アブシンベル小神殿は、大神殿よりもずっと落ち着ける空間だった。
その居心地の良さに小神殿でのんびりしてしまい、あっという間に集合時間が来てしまった。
かなり冷たくて強い風が吹きつける中ダッシュする羽目になった。もう1回大神殿に行けなかったのが心残りだ。
エジプトに行く前に友人から「アブシンベル神殿の入口に大きな鍵が刺さっていて、それを持って記念撮影ができるよ。」と教えて貰っていた。アブシンベル神殿のあまりのデカさに呆然としていてすっかり確かめてくるのを忘れたのが心残りである。
いくら何でも入口に大きな鍵があったら気がつくと思うし、その鍵を持って記念写真を撮っている人がいたら絶対に気がつくと思う。年末年始は鍵もお休みだったのだろうか。
小神殿から集合場所の入口までダッシュしていた途中、ナセル湖に落ちる夕陽がとても綺麗だったので、つい立ち止まって写真を撮った。
ギリギリ集合時間には間に合ったと思うけれど、お待たせしたみなさんに申し訳ないことである。
17時30分くらいにホテルに戻った。
この日は同じ旅行社の関空発ツアーの方々や、他の旅行社のツアーも来ているので、2回目の「音と光のショー」のメイン音声が日本語になりますと説明があった。
日本人客が少ないとスピーカーで流される音は英語やフランス語になり、イヤホンで日本語の案内を聴くことになるというから、まずは目出度い。
ただし、その日本人観光客のほぼ全員がこのセティ・アブシンベルに宿泊しているので、音と光のショーから帰って来てからだとお湯が出なくなる可能性が高いと注意があった。
ひとまず解散である。
ホテルにあるプールサイドから見えたナセル湖上の夕焼けも、とても綺麗だった。
ルクソールの夕焼けはピンク色、アブシンベルの夕焼けはオレンジ色だった。
*この日の(ここまでの)服装
白の長袖Tシャツ、赤のチェックの長袖シャツ、カーキのカーゴパンツ
アブシンベル神殿の音と光のショーに出かける集合時間が19時30分である。
お部屋にあったドライヤーがかなり強力だったので、ハニーさんの忠告に従って、出かける前にお風呂に入った。
かなり冷えると聞いたので厚着をし、夕方の湖からの風が強くて冷たかったので、湯冷め防止も兼ねて髪にバンダナを巻く。
アブシンベル神殿に到着すると、第1回の音と光のショーの邪魔をしないように、そして足元が確かなように、遠回りだけれど整備された遊歩道を行くように誘導された。
座席の左半分に日本人が集まり、右半分はイヤホンが設置されているようで外国の方々が陣取っている。集まったといってもガラガラで、私は動きやすいように後方の端っこの席に陣取った。
明かりが消え、20時少し前にアブシンベル神殿の音と光のショーが始まった。
アブシンベル神殿の大神殿と小神殿の両方をスクリーンに見立て、遺跡のライトアップはもちろん、ラムセス2世の生涯を語るストーリーに合わせてそこに様々な絵を流すという趣向だ。
ラムセス2世の生涯を語っているのは、ラムセス2世とその王妃であるネフェルタリである。
だから、ユネスコによるアブシンベル神殿の移動事業について語られるときは、「我々の子孫が・・・」という風になるのが何となく可笑しい。
しかも、これがかなり低音のいい声だ。
もっと可笑しかったのは、日本語のどちらかというと優しげな声で、ネフェルタリがラムセス2世に向かって「ファラオ様」と呼びかけていたところだ。
うーん。何だか違う。可笑しい。
本当に「ファラオ様」と呼んでいたのだろうか。
観客席はアブシンベル神殿の大神殿と小神殿の両方を見渡せる位置に作られていて、もちろん大神殿全体をスクリーンに見立てたショーも展開される。
この頃には席に座ってなどおらず、ちょうどそばに塀があったのでその横に立ち、カメラを塀の上に置いて固定し、写真を撮りまくっていた。
おかげで、どんなストーリーが展開されていたのか全くといっていいほど記憶にない。
だから、この4人の女性もラムセス2世の王妃達なのか、王女達なのか、ラムセス2世が信仰していた女神たちなのか、それとも全てがネフェルタリの姿なのか、さっぱり判っていない。
一人ずつ闇に白く浮かんで行く姿が綺麗だったことだけ、はっきりと覚えている。
アブシンベル神殿の音と光のショーは、スライドショーではなくて動画のショーだったし、途中でデジカメの動画機能を使って撮ろうとチャレンジした。
残念ながら真っ暗にしか写らず、どうやって調節すればいいのか暗い中で試行錯誤するのは難しくて断念した。予め設定しておけば良かったと思う。
動画で撮れば音声も入ったから、かなり臨場感溢れる状態で残せたと思う。
約30分のショーが終わって、パーッと明るい光で照らされたアブシンベル神殿大神殿の姿がとても綺麗で印象的だった。
昼間はお土産物屋が並ぶ通りを出たところまでしかバスが入れなかったけれど、夜は一番奥まで送迎のバスが入っていいことになっている。
神殿とホテルが近く、21時過ぎには夕食を食べ始めることができた。
ビュッフェ形式で、普通の洋食という感じである。
かなり冷えていたから、温かいスープが美味しい。
このときに「火の通った野菜はあった?」と聞かれて、ツアーのみなさんが生野菜を食べないように注意していたことに初めて気がついた。
ツアーの方の中に、音と光のショーに行く前にかなり熱めのお湯をバスタブに張っておいたという方がいらっしゃって、なるほどと思った。
戻ったときにも、お湯が極端に冷めていたり、栓が緩んでいてお湯が抜けちゃったりということはなかったそうだ。
そこまで頭が回らなかった私は、なるべく手早く荷物を片付けて、22時30分くらいに就寝した。
水辺だから蚊が多く、朝までに何回も目が覚めてしまった。
*音と光のショーでの服装
赤のタートルネックシャツ、赤のチェックの長袖シャツ、白いフリース、赤いコート
6分丈のスパッツ、カーキのカーゴパンツ
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