エジプト旅行記6日目
2008年1月5日(土曜日)
朝の飛行機でカイロに向かう前にアブシンベル神殿の日の出を見に行くため、この日は4時に起床した。
砂漠地帯だから日の出前の気温はかなり下がるに違いない。しかし、そのまま空港に向かい、カイロに到着したら観光だから、そうそう厚着もできない。そこはカイロ(懐炉)でカバーした。
*朝の服装
半袖Tシャツ、赤のチェックの長袖シャツ、白いフリース、赤いコート
膝下のストッキング、10分丈のスパッツ、黒のパンツ
6時にホテルを出発し、すぐにアブシンベル神殿に到着した。
到着するなりフリーで、6時45分が集合時間と言われる。
日の出前のアブシンベル神殿は、普通にアブシンベル神殿で、つい夜明け前のナセル湖の方に目が行ってしまう。
ナセル湖の水はあくまで黒く、空はあくまで群青色で、その間だけが白くオレンジに染まっている。
ツアーの方で、「フリータイム」と言われた瞬間にアブシンベル神殿入口に走り、入口から誰も中にいない神殿内部の写真を撮った方がいて、なるほどと思ったのはこの後の空港での話だ。
日の出を待っていると、ナセル湖クルーズの船がどこからともなく現れて、ちょうどアブシンベル神殿と太陽の間に入ってしまった。
「もう! 邪魔!」と叫んでいたら、ツアーの方に「あの人たちは我々よりも高いお金を払っているんだから。」と諭された。なるほどど思いつつもやっぱり腹が立つ。
そして、6時37分、ナセル湖から日が昇った。 湖の黒さはそのままに、空の群青色にゆっくりと白が混ざって行くようである。
振り向くと、アブシンベル神殿が赤く染まっていた。
赤く染まっているアブシンベル神殿は、日の出前に見たアブシンベル神殿とは明らかに違うものだ。
同じように、アブシンベル小神殿も赤く染まっていて、こちらはちょっと「妖気漂う」という感じに見えた。
そろそろ集合場所に向かおうかと歩いていたら、ツアーの方に「アブシンベル神殿を見に行きましょう!」と声をかけられた。
年に2回だけナセル湖から昇る太陽の光が神殿の入口から真っ直ぐに射しこみ、一番奥にある4体の神様のうちの闇の神を除く3体を照らす。今見るとどういう風に照らされているのか、どうしても自分の目で確認したいとおっしゃる。
なるほど! ということで、神殿入口に向けて走った。砂地なのでかなり走りにくい。
入口から覗き込んで「こういう感じなんですねー。」「あと2ヶ月でこの光が真っ直ぐ入るようになるのね。」などと話していたら、門番のおじさんが入口のラインを指さして、「ここから写真を撮っていい。」と言ってくれた。
中に入らなければお目こぼししてくれるらしい。
神殿内部は、灯りはついているものの暗く、ブレブレになってしまったこの写真でも、1月初旬では光はかなり斜めにしか入っていないことが判る。
この後、集合場所までのダッシュは辛かった。
7時15分くらいに空港に到着し、エジプト航空246便でアスワンに向かう。
ツアーの方で、空港のお手洗いで普通の洋服の上に着込んでいたレインウエアを脱いでいる方がいらっしゃって、私も次はそういう風にしようと思った。いいアイデアである。
空港までのバスの中でストッキングとフリースは脱いだけれど、スパッツを脱ぐのは難しく、かなり暑い思いをした。
アブシンベルからアスワンに向かう飛行機も、左側の座席からアブシンベル神殿を見ることができるのではないかと思う。
8時20分くらいにアスワンの空港に到着した。
セキュリティチェックの面からいうと、アスワンの空港が一番厳しいようだ。他の空港ではあっさりと通ることができたのに、アスワンの空港ではアラームが鳴り、コートを脱いだりカイロや時計を外してみてもダメで、結局、係の女性のボディチェックを受けた。
アスワンの空港では乗り継ぎで1時間以上待ち時間があった。暇である。
暇すぎて、お土産物屋さんが日本語バージョンをエンドレスで流していた「アブシンベル神殿の移転の過程を追ったビデオ」を何回も見た。
お土産物屋さんもぶらぶらし、買おうかどうしようか迷っていたネフェルタリのお墓の本が売っていて、20エジプトポンドまで値切れたので購入した。
意外とネフェルタリの墓に関する本は見かけなかったので嬉しい。
9時40分搭乗開始の筈が、オーバーブッキングがあったようでなかなか動きがなかった。
結局、各ツアーのガイドさん10人くらいを置き去りにしてエジプト航空346便が離陸したのは1時間以上たってからだ。
この日のお昼はエジプト料理の予定だったけれど、時間も遅くなったし、エジプト料理のレストランは空港からだいぶ離れているため、ランチはホテル・メーヴェンピック内のチャイニーズレストランに変更になった。
メニューはこんな感じである。
これに、エジプトに来て2度目のマンゴ・ジュース(20エジプトポンド)をいただいた。
スープ
飲茶(春巻き、揚げ餃子)
白身魚のフライ
牛肉の炒め物
野菜炒め
イカとインゲンの炒め物
炒飯
フルーツ
添乗員さんも心配して「いかがでしたか。」と何度も聞いてくれる。
正直に言って、豚肉もラードも使えない中華料理はかなり厳しいと思う。
昼食後、今日の半日だけガイドに付いてくれることになったナセルさんと顔合わせをし、バスはハンハリーリ市場に向かった。
エジプトでは、小学校から英語を学び、中学校でフランス語も習い、さらに高校でもう1カ国語を勉強しなくてはならないそうだ。流石に観光立国である。
来るときのエジプト航空機内で、フライト・アテンダントさんに「英語かフランス語で話せ。」と言われた意味がやっと判った。
エジプトの失業率は今は20〜25%に達していて、その中ではやはり政府機関に勤めるか観光業に従事するのがいいと評価されている。
ツアーの方で「大学まで出てガイドをしているなんて。」と言う方がいたけれど、やはり観光業従事者はエリートなのだ。
そういった説明を受けているうちに、ハンハリーリ市場に到着した。
元々の予定ではまず全員で香水瓶&香水のお店に行くことになっていたらしい。香水瓶と香油はアスワンで「ここよりももっといい」お店に既に連れて行ってもらったので割愛され、すぐにフリータイムとなった。
もっとも、ほとんどエジプトポンドを使い果たしていた私は、本当に単なる「冷やかし」である。
「サフランを買いたい」という方にくっついて、ナセルさんに香辛料屋さんに連れて行ってもらう。
お安く購入できるということで、確かにたくさんの種類の香辛料やお茶が売られている。
クミンやスターアニスも売られていていい香りだ。
本気で買おうとしていない私はすぐに飽きてしまい、そぞろ歩きに戻った。
アクセサリーを売りつけてくるお兄ちゃん達も、「No,thank you」の一言ですっと引き、それ以上しつこく言ってくることもない。しつこく言われるのも嫌だけれど、これでは張り合いがない。
16時少し前に集合場所に行ったら、もうほとんどの方が集まってミントティーなど飲んで休憩されていた。
そんなにしつこく絡まれなかったと話したら、全員に「そんなことはない。しつこくて大変だった。」と言われる。私はそんなにお金を持っていなさそうに見えたのかしらとちょっと複雑な気分だった。
しかも、そういう会話をしている間にもネックレスを売りに来たお兄ちゃんがいて、やっぱり「No,thank you」の一言で撤退して行き、その場にいた方々に大笑いされた。
少しゆっくりしてくださいと言われ、早めの17時にカイロ・コンラッドのお部屋に入った。
ベランダに出るとナイル川を眺めることができる。ルクソールで見たナイル川と同じ川とは思えない。
どうして下流の筈なのに川幅が圧倒的に狭くなっているのだろう?
ハンハリーリに残ってもう少し街中を散歩したいという方もいらっしゃったけれど、ガイドさんに「ここからタクシーに乗るのは危ない。」と言われて断念したらしい。
ナイル川べりまで散歩に行ってみようかとも思ったけれど、19時30分にはナイル川クルーズに行くために集合することになっているので、お風呂にゆっくり入り、部屋でのんびり過ごすことにした。
もっとも、のんびりしていたら、ノックだけしてキャリーケースを廊下に置き去りにしたポーターさんが来たり、いきなりドアを開けてミネラルウォーターを配ってくれたおじさんが現れたり、不思議なことも起こったりした。
「マキシム号」でナイル川クルーズに出発である。
添乗員さんから「優雅な船ですので、ドレスアップしてください。」とアナウンスがあったし、ツアーの皆さんお洒落をしていて素敵だ。
こういうとき、男の人はとりあえずスーツとネクタイがあれば格好がつくからいいよなぁ、と思う。
*ディナークルーズの服装
黒の長袖シャツ(テロンとした素材のもの)、黒のストール
黒のロングスカート、バレエシューズ
これで髪をアップにして何とかごまかしたつもりだ。
チェーンを持って行って、買ったばかりのカルトゥーシュのペンダントでもすれば良かったけれど、時すでに遅しだ。
カイロの夜は意外と涼しくて、この格好では少し肌寒く、ツアーの方にカイロをいただいた。
ディナークルーズの船は、出航したことに気がつかないくらい静かに動き始めた。
まずは、ディナーだ。
夕食のメニューはこんな感じである。これに白ワインをグラスで(60エジプトポンド、流石に高い!)をいただいた。
前菜 サラダビュッフェ
メイン ビーフorチキンorフィッシュから選ぶ
私が選んだフィッシュは白身魚のソテー
デザート ナッツのアイスクリーム、コーヒー
ビュッフェの前菜をみんなが取り終わってテーブルに着いた頃、ステージが始まった。
最初はバンドが入って、ツアーの方のお話によるとエルヴィス・プレスリーなど1960年代の曲が多く演奏されていたらしい。
バンドの音楽に合わせ、スーフィー・ダンスと呼ばれる、男性がひたすら延々とくるくる回り続けるダンスが始まった。
私が座った席は特等席で、ステージの真ん前だ。
このダンサーは20分以上も踊り続けただろうか。ずーっとくるくると回りっぱなしである。目が回らないのか、こちらの方が心配になってしまう。
頭の位置と向きを固定して、身体が一回転したら、頭を素早くくるっと回転させるのがポイントのようだった。
ステージの最後はベリーダンスだ。
肉惑的な美女というのはこういう人のことをいうんだろうなと見とれる。
しかし、この美人ダンサーではなく、彼女が休憩兼衣装替えのためにホールから出ていくときに、ドア際で待機して彼女にさっと大きなタオルをかけてあげていた男の人になりたいと思った私である。
そう言ったら、またもやツアーの方々に大笑いされてしまった。
いつもだと、このスーフィー・ダンスとベリーダンスのときにダンサーのが各テーブルを回って記念撮影し、その写真を販売してくれるらしい。
今日はカメラの調子が悪く、その撮影がなかったのが残念だ。
5ドルだという話だったので、もし販売していたら買ってしまっていた気がする。
約2時間のナイル川ディナークルーズが終了し、22時前にホテルに到着した。
何だかとても疲れていて、明日は帰国だというのに何の片付けもせず、22時30分には寝てしまった。
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