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2008.08.17

エジプト旅行記7日目その1

2008年1月6日(日曜日)


コンラッドのロビー 朝の5時に目が覚めた。エジプトに来て初めて熟睡できた気がする。
 7時に、クリスマスイルミネーションをしたロビーを見下ろすレストランに朝食を食べに行った。
 コンラッドの朝食は美味しい。ターメイヤコロッケなどのエジプト料理もあるし、何より、グアバジュースとストロベリージュースが美味しかった。


 同じテーブルになった他社の添乗員さんによると、彼女のツアーは4名で催行しているそうだ。羨ましい。
 彼女も「エジプトは今の時期がいいですよ。」としみじみと言う。これが夏になると、オベリスクでは木陰の争奪戦になるし、お腹も壊しやすいそうだ。


 ルクソールで頼んでおいたデーツとアーモンド入りチョコレート(19個入り1箱12米ドル)と、Tシャツ(ヒエログリフの名前の刺繍入り、1枚米15ドル)を受け取り、8時30分にホテルを出発した。
 昨日アスワンに置き去りにされてしまったハニーさんも合流する。


 カイロ考古学博物館に向かうバスの中で、昨日のディナーショーについて改めて解説してもらった。
 スーフィー・ダンスと紹介された男性がくるくる回るダンスは、正しくは「タムーラ・ダンス」というそうだ。スーフィーというのは、イスラム教の一つの派の名前だという。「タムーラ」は、トルコ語で「スカート」という意味である。
 MAXIMで踊るのはやはり一流のダンサーで、20〜30分のダンスで3000円〜4000円になるという。


 もともとイスラム教では女性のダンスはよくないとされていることと、肌を見せるということもあって、ベリーダンスを踊った女性は、1時間踊って20000円くらいだという。
 エジプトでトップといわれているティナさんというダンサーは、元は大学教授で、給料が安いのでダンサーに職業替えをしたそうだ。1時間踊って70万円くらい稼ぐというから、そりゃ転職するよねと思う。


カイロ考古学博物館 朝食のときに会った添乗員さんも言っていたとおり、日曜日はカイロ考古学博物館は混雑するらしい。オープン前なのにセキュリティチェックにも行列ができているし、チケット売場にも行列ができている。
 中庭の池には「パピルス」と「ロータス」というエジプトを代表し、象徴する二つの植物が植えられていた。


 カメラを預けて9時過ぎに入場し、「じっくり説明すると1週間はかかる」という博物館のハイライトをまずはハニーさんの説明付きで見て回る。
 博物館入り口の女神像は、上エジプトと下エジプトを表している。
 この博物館の大元はフランス人のエリオットが整えたものであり、この博物館に納められているものは「ロゼッタ・ストーン」以外は全て本物である。
 ロゼッタ・ストーンのレプリカの隣には、ヒエログリフを解読したエリオットの像が並んでいる。エリオットの像は博物館の中庭にもある。


 階段ピラミッドの主であるジェセル王の像は、4800年前のもので、この博物館でも最古の展示品の一つである。
 王の像としては珍しく等身大であることも好感を呼ぶ。


 メンカウラー王の像はそれより時代が少し下がって4500年前のものだ。
 ハトホル女神とカイロの街の守護神に挟まれた像である。


 4600年前の無花果の木から造られた像が今まで残っているのは、お墓の中で密閉されていたという理由が大きいという、クフ王の書記官であったカーアペルの像もある。
 目に石がはめ込んであるところが妙に不気味だ。


 スフィンクスの井戸から出土したというカフラー王の像は黒くて硬い石で作られている。
 カフラー王の頭をホルス神が後ろから覆うようにしている。王は神の力をもって支配し、死して神となると考えられていたエジプトで、こういう意匠の像は珍しい。


 ルクソール博物館ににあった同じような意匠の像よりも、こちらの書記官像の方が綺麗である。
 パピルスに文字を書いているところで、かつらから少し耳を出しているのは王の声が聞こえるためだというから芸が細かい。「目が充血しているでしょう、それは書記官の任務がハードだからです。」とハニーさんは説明したけれど、私には赤いようには見えなかった・・・。


 4600年前の石灰岩で作られた男女の像は、1回も消毒されたことのない彩色が残っている貴重なものである。ただし、カルトゥーシュが入っていないので、誰の像なのかは判っていない。
 男性が黒いのは日焼けしているからであり、女性が白いのは野外で働かなかったからだという。
 お墓の中でちょうどドアの後ろに置かれていたそうだ。最初にお墓に入った人は、この像を目にして人がいると勘違いし、逃げてしまったらしい。


 ハニーさんが言うには、カイロ考古学博物館で一番貴重で一番値段が高いのは、僅か7.5cmの高さしかないクフ王の像だそうだ。
 クフ王の像は世界中でこれ一つだけだ。座像の膝のところにカルトゥーシュがあったためにクフ王の像だと判明した。
 小さいながらハンサムである。


 クフ王の像は世界に一つしか残っていないのに、クフ王の母が使っていた木製のベッドがそれと特定されて残っている。何だか可笑しい。
 作り付けの枕の高さが異様に高いのは、布団を敷くことを計算に入れているからだという。


 アメンホテップの石棺には文字がびっしりと刻まれている。
 そこには食べ物や道具の名前が書かれていて、それを唱えると本物になって食べたり使えたりするようになると信じられていたそうだ。
 なかなか合理的な信仰である。


 カイロ考古学博物館の白眉は、何といっても「ツタンカーメンのお墓の副葬品全部」である。
 ツタンカーメンの治世は短かったため、お墓も小さく、副葬品のお宝も歴代の王に比べれば全くお話にならないレベルだと見られている。
 それにしてもこの博物館の何分の一かを占めてしまうのだから恐ろしい話である。


 棺というよりは部屋、部屋というよりはコンテナで、コンテナに近い大きさと形の箱に何重もの入れ子になっていたそうだ。
 その棺を大きい順にガラスケースに入れて並べてあり、ガラスケースに次の大きさの棺が映り込んで「元々はどうなっていたか」が想像できるようになっている。なかなかの工夫である。


 黄金のマスクは、ツタンカーメンのお墓から出てきたお宝のうちでも「(推定)特に重要なもの」が集められた部屋の中で輝いていた。
 ミイラ室と同じように、この部屋にはガイドさんは入ることができない。
 ツタンカーメンの黄金のマスクは、少し高い位置でスポットライトを浴び、ほとんど睥睨するようにしてそこにある。
 正直に言って、怖い。
 視線が空を貫いているように見えるところが不気味かつ不思議な雰囲気を醸し出している。


 ツタンカーメンのマスクの視線の方向に、その外側にあった棺が二つ並べられており、そこにも王の顔が描かれている。
 この三つの「ツタンカーメン王の顔」はそれぞれが全く違っているように見える。
 そもそも、ツタンカーメンの顔をモデルにしたのではないのかも知れない。本人に似るように描いたとしても、当時の一般的な感覚の「ハンサム」な顔にしようとしたとしても、余りにも違いすぎるような気がする。
 内側の棺に描かれた顔が一番ハンサムだと思う。


 黄金のマスクの周りや、この部屋の壁に沿って作られたショーケースの中では、宝飾品がゆっくりと眠っている。きらきらピカピカに輝いているのはスポットを浴びたマスクの方で、宝飾品はどちらかというと「鈍く光っている」という感じである。
 例えば、ツタンカーメンの時代にも王杓が使われていたようで、埴輪にも残っているし、現物も残っている。素焼きしたものに金箔が貼られており、20〜30cmの長さがある。


 ツタンカーメンのお墓に入っていたドライフラワーが何のお花かは不明だそうだ。
 ネフェルタリの墓にもネフェルタリがチェスに似たゲームをしている壁画があった。こちらには、ツタンカーメンが遊んだと思われるゲームも残っている。ただし、遊び方は未だに不明だ。


 ツタンカーメンの黄金の椅子は、背もたれに描かれた、妻がその足元に額ずいている絵と共に有名である。この絵では、妻は左手に香水瓶を持ち、右手でツタンカーメンに塗っている。
 肘掛けは鷲の身体にコブラの頭の意匠で、四つ足はライオンの足を模してある。ライオンの頭が座面に飾られている。
 足を乗せるオットマンがあるのも気が利いている。
 黄金の椅子は、ラピスラズリやトルコ石など貴石を彩色に使っているというから、贅沢な話である。


 階段に飾られたパピルスは3300年前のもので、死者の魂の裁判の様子が描かれているという。
 モノトーンでシックなバージョンと、彩色がかなり綺麗に残っているバージョンとがあった。


 この辺りで1時間20分が経過し、ミイラ室のチケットを渡され、11時15分に集合といわれてフリータイムとなった。
 まずは一つめのミイラ室へ行く。
 照明が落とされていることもあって「眠りについている」という感じが漂う。


 ラムセス2世のミイラは、ツタンカーメンのミイラと比べると少し褐色で、大きくて、そして皺が深くて、白茶けた髪も残っていて、いかにもおじいさんという感じだ。
 枯れ木のイメージである。
 そんな「年老いた」風情なのに、白い綺麗な歯が1本だけ残っているのが変な感じである。


 ハトシェプスト女王のミイラかも知れないミイラもある。
 ラムセス2世のミイラを見た直後だからかも知れないけれど、流石に女性のミイラは小さい。
 そして息子との確執を聞いてしまった後だからか、何だかぞんざいに扱われているミイラという感じが漂う。


 ツタンカーメンの棺にもドライフラワーが入っていたという話だし、アメンホテプ1世の棺にもミイラとともにお花が残されている。
 古代エジプトでも死者に花を手向ける習慣があったのかも知れない。


 博物館内には新ミイラ室もあり、同じチケットで入ることができる。
 ラムセス3世のミイラには動物の顔が付き、それ以外の場所はほとんど布で覆われている。これは何かのお呪いだろうか。
 ミイラといえば包帯のような布でぐるぐる巻きにされたイメージがあるけれど、カイロ考古学博物館のミイラは布がかけてあってもぐるぐるまきという感じではない。
 新ミイラ室には、ミイラの目として石を埋め込んであるものが多く、その石が表情を持っているように見えて少し怖い。あまり目を合わせたくない感じである。


 ミイラ室を一通り見た後で、もう1回ツタンカーメンのマスクがある部屋に戻った。
 ここもガラスで覆われて「特別の部屋」という感じだ。ガイドさんは入場できないというルールはあるものの、入場制限や特別のチケットはない。
 ロンドンで開催されているツタンカーメン展のために何点か貸出中で、貸し出されている展示品のところには代わりに写真が置いてあった。


 ハトシェプスト女王のスフィンクスは、「ハトシェプスト女王の」という枕詞に引きずられてしまうのか、何故だか女性的に見える。
 その近くにはラダック神もいたけれどこの辺りで時間切れとなり、「私はどうしてこんなお宝の間を必死に脇目も振らずに走っているのだろう」と疑問に思いながら、アクアンアテンとネフェルティティの像に視線を向けて「グロテスクだ・・・。」などという不埒な感想も持ちつつ、集合場所にダッシュした。


 集合場所のカイロ考古学博物館の中庭オベリスクの辺りに駆けつけたところ、そこには添乗員さんだけが待っていた。
 私がトップの筈はないという顔をしていたのだと思う。彼女の方から「みなさん、もうお集まりで、そこのギフトショップに行かれていますよ。」と教えてくれた。
 みなさんのお土産への情熱と勢いは衰えることを知らない。


 ギフトショップに入ると、そこでは「30分一本勝負」と声を掛けたくなるようなお土産探し合戦が展開されていた。
 その勢いに吊られ、私もアンクのペンダントトップを買った。
 ここでも貴金属類の値段はあくまでも「重さ」によって決まり、同じ意匠でほぼおなじ大きさでも微妙に値段が異なっている。


NOWANDTHEN カイロ考古学博物館の正門を出たところにあるブックショップにも立ち寄った。そのブックショップは、エジプトに関する本はもちろんのこと、カレンダーやカード、シールなどの文房具類も充実していた。
 エジプトの遺跡の「建造当時の姿」と「今の姿」を絵本のようにして見せてくれる本と、パピルスにネフェルタリやツタンカーメンなどの絵柄が描かれたカードを5枚購入した。合わせて26ドルだった。
 レジのおじさんがボールペンをおまけにくれる。エジプトで、ボールペンを値引き交渉に使った人は大勢いても、おまけにもらう人はほとんどいない筈である。


 おまけしてもらったから言うわけではないけれど、この二つのお店はお土産物探しにお勧めだ。
 このEGYPT NOW AND THENも含め、私が見聞きした中では、ここのブックショップで売られていた値段が一番良心的だったと思う。


 この後、ランチをいただくエジプト料理のレストランに向かった。


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