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2008.08.18

エジプト旅行記7・8日目

2008年1月6日(日曜日)


 ランチのレストランに行くまでの道は大渋滞で、カイロ考古学博物館から30分くらいかかった。もっとも、向かったレストランは「カイロの下町にある」という以外、その所在地は知らないので、通常はどれくらいかかるものやらサッパリ判らない。


 バス移動の間、ハニーさんはエジプトの結婚事情について熱く語っていた。ハニーさん自身は、1歳くらいになる男の子のお父さんである。
 カイロでは、男性が32〜33歳、女性が28歳くらいで結婚し、エジプト南部地域の方が結婚が早くて、男性は27歳くらい、女性は20歳くらいで結婚する。
 結婚が決まると、それぞれの家で1年くらいかけて準備をし、特に男性は家や家財道具一式を用意しなければならず、女性は洋服だけを持ってお嫁に行くという。
 エジプトでは木曜日(安息日の前日)に、夜中の2時頃までかけて披露宴を行うことが多いらしい。


 12時30分くらいから、このツアー中、最初で最後のエジプト料理のお食事となった。
 「ハティ」というこのレストランは、かなり車通りの激しい大きな道沿いにある、洋服屋さんが並ぶ隙間の細い通路を通って行かねばならない。その途中ではちょうど時間だったので絨毯の上でイスラム教のお祈りをしている人などもいて、一人ではとても辿り着けないような立地である。


エジプト料理 メニューは、かなりうろ覚えだけれど、こんな感じである。
 前菜 アイシ、チーズ2種、タヒーナ(ゴマのペースト)、ホンモス(ひよこ豆のペースト)
 スープ モロヘイヤスープ
 ファッタ(ライスとパンとトマトスープのリゾット風)
 ターメイヤ(空豆のコロッケ)、シシカバブ(マトン串焼き)、コフタ(細長い牛肉のミートボール)、ポテトフライ
 フルーツ


 タヒーナというゴマのペーストが美味しい。
 アイシというのはホブスのような中が空洞になったぺったんこのパンで、そこにタヒーナやホンモスを乗せて食べる。美味しい。
 エジプトの名物料理だという鳩を食せなかったのが心残りである。


 昼食を終え、モハメドアリモスクに向かうバスの中で、ハニーさんのイスラム教講座を聞いた。
 イスラム教徒は1日5回のお祈りをし、中でも最も大切なお祈りは金曜日の2番目のお祈りで、みなモスクに行き、20〜30分くらいのスピーチを聞くという。
 エジプト人の80%がイスラム教徒で、そのうちの90%が金曜日にはモスクに行く。敬虔な人が多いのだ。


 また、これから行くモハメドアリモスクは、エジプトで最も有名なモスクで、モハメドというのはイスラム教の預言者の名前である。エジプトでは、子供が生まれるとそのうちの一人に必ずモハメドという名前を付けなくてはならない。
 ここまで聞いて、モハメドという名前の人が多い理由が判った。
 ハニーさんの長男も、モハメドという名前だと言っていたように思う。


 エジプトでは、昼間が暑いため、7時くらいにオフィスアワーが始まり、14時くらいに終わるところが多い。そのため、昼下がりのこの時間帯は渋滞することが多くなる。
 レストランに向かうときもかなりの渋滞、13時30分過ぎのこのときも大渋滞だ。
 しかも、お腹がいっぱいになったところで道路を眺めていると、誰も信号など守っていないし、割り込みのオンパレードで今にも事故が起こりそうである。


 エジプトの教育事情の話も聞いた。
 エジプトの学校は2部制になっていて、小中学校は義務教育だけれど、学校に通っているのは概ね70%くらいだという。大学進学率は概ね50%くらいである。
 アズイール大学は1000年前くらいに始まった世界で一番古い大学であり、イスラム教の教えを学ぶための大学である。
 大学入試という制度はなく、高校最後のセンター試験のような試験で各大学に振り分けられる。カイロ大学などトップの大学に進むには95〜97%の正解率が必要だという。


 14時を回ったころに、モハメドアリモスクに到着した。
 このモスクのデザインは、例えばドームの部分などは特にトルコのブルーモスクを模している。そして、モスクの下半分が大理石で造られているところから「アラバスターのモスク」とも呼ばれている。


カイロ市街 モハメドアリモスクは、ギザのピラミッドを造るための石切場の跡に建てられており、カイロ市街で一番高い丘の上にある。
 お隣にある城塞は、クフ王のピラミッドから剥がした石で作られているというから皮肉な話だ。
 お天気が良ければここからギザのピラミッドが見えるという。この日は、残念ながら見ることはできなかった。
 でも、カイロ市街は一望である。
 モスクの内部に入る前、今日でエジプト出国ということもあり、ハニーさんとの大撮影大会が開催された。


モスクの中庭 モスクの中庭は八角形になっており、身体を浄める場所と水のタンクがある。手足、顔、髪、耳を3回ずつ洗う。
 中庭から見える時計台はモスクには珍しいもので、フランスから、コンコルド広場のオベリスクへの返礼として贈られた物である。お礼の品がエジプト到着時からずっと壊れているというのはどうなのだろう。


 中庭からモスク内部に入るときには靴を脱ぐ。ここで、行きのエジプト航空でもらってきた機内用靴下に履き替えた。
 モスクの中には、このモスク自体より古いというモハメド・アリのお墓もある。格子がはまった扉の奥の部屋に安置されている。大理石製の棺がとても美しい。


 イスラム教では、メッカの方向に向いて、アッラーの神に祈る。
 1日5回のお祈りは、5分ずつくらいかかる。
 必ずリーダーがいて、少し高いところに乗ってお祈りを主導する。金曜日や、断食(ラマダン)の後は、そのリーダーが立つ場所が特別な階段の上に変わる。


モスクの天井 モスクの天井は、真ん中にある一番大きなドームとその周りにある小さなドームで構成されている。
 この5つのドームは、1日5回(4時30分、お昼、15時、日没直後、日没1時間後かまたは寝る前)のお祈りの象徴でもあり、イスラム教の「五つのやってはいけないことの教え」の象徴でもある。


 イスラム教徒が守るべき教えは、お祈り、ラマダン、寄付・喜捨、巡礼の四つだ。
 お祈りは、お祈りの文句は唱えなければならないけれど、モスクに行かなくても大丈夫だし、立ったり座ったりという動作は無理にやらなくてもいいそうだ。
 ハニーさんは、ガイドの仕事中はもちろんお祈りはできないから、心の中でお祈りをしているという。


 ラマダンは1ヶ月続く。
 日の出から日の入りまで、それが例えどんなに暑い時期だろうと飲食を慎む。熱中症になったり脱水症状を起こしたりしないか、心配になってしまう。
 ラマダンは、辛い生活を味わうことで、兄弟愛と社会正義を守る心とを育てるという意味がある。


 寄付・喜捨は、ラマダンの直後に行う。
 収入の2.5%をあて、誰に、どうやって、などの細かいところまで全て決まっているという。
 イスラム教の教えでは、がんばっている人にあげるのはいいことだけれど、がんばっていない人にあげてはいけない。
 かつ、本人には知られないように行うのがベストだとされているというから、かなり難しい「行い」だと思う。


 そして、メッカ巡礼もイスラム教徒の義務である。
 今年の場合、10日間で70万円くらいかかるとハニーさんは言っていた。一体この数字はどこから出てきたものなのだろう。
 いずれの教えも無理をせずできることをやればいいし、やるべきことをやったかどうかは自分自身が一番よく知っているし、神様も見ていらっしゃるとハニーさんは言っていた。


 モハメドアリモスクで全ての観光が終了し、そのまま空港に向かった。
 ハニーさんは今年中に来日の予定があるそうで、「そのときにはまたみなさんで会いましょう。」という話も出て、明るく「またね。」という感じでお別れとなった。
 出国手続きもスムーズに行われ、「16時から1時間フリータイムにします。」と言われた。とはいうものの、それほどやることもない。


 免税店を覗き、エジプトワインに惹かれた(8米ドル!)けれど、瓶が重かったので諦めた。
 同じ飛行機で帰る日本人旅行者も多く、次々とハーブティーやナッツをデーツでくるんだお菓子などを購入していた。試食もさせてくれていて、これまた迷ったものの、個包装になっていないと配るときに困ってしまう。


 結局、あとは椅子に座ってぼんやりしていた。
 エジプト航空964便は17時50分発の予定が、具合を悪くした方がいらっしゃり、かつ空港が混雑していたため、19時過ぎに離陸した。
 ツアー一行の席は後方にほぼ固まっていた。私は一人だし、通路側の席を希望したためか、前方のスクリーンのところの席になった。隣の席に人はいないし、かなり楽ちんである。
 一つ置いた隣の席に座っていたお兄さんはシリア人で、日本にスクラップを仕入れに行くと言っていた。
 大阪と福岡には行ったことがあるけれど、東京に行くのは今回が初めてだという。スクラップの市場は西日本が中心なのだろうか。


 往路はかなり辛かった機内も、帰りは席に余裕があったためか、単純に疲れていたためか爆睡できて、時間がたつのが早かった。
 ひたすら寝ていたらマスクをしていても機内の乾燥に負けてしまい、飛行機に乗る直前にセキュリティチェックがあってミネラルウォーターのペットボトルを持ち込めなったこともあって、何だか喉がいがらっぽくなってしまった。
 しかも、ブランケットをかけても寒い。


 途中、日本語のアナウンスで目を覚ました。
 「お客様にお医者様はいらっしゃいませんか。」という急病人が発生したというアナウンスである。
 ツアーでご一緒した方が行っていらしたし、他にも何人かお医者さんが乗っていたらしい。具合が悪くなった方にとっては心強いことだったろう。


2008年1月7日(月曜日)


 離陸の遅れそのままに、日本時間の13時45分に成田空港に到着した。
 こうして、年末年始のエジプトの旅が終了した。


*この日の服装
 ピンクのタートルネックの長袖シャツ、ピンクのTシャツ、黒の薄手のコート
 タイツ、黒のパンツ


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