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2008.08.31

箱根旅行記1日目

2008年8月20日(水曜日)


 新宿駅10時発の 小田急ロマンスカーで箱根に向かう。
 夏休み中とはいえお盆も過ぎた平日である。閑散とはしていないまでものんびりムードなのではないかと期待していたらとんでもない。最新型の車両で停車駅も少なく、箱根までの所要時間が短いということもあって、10両編成のその電車は満席だった。
 前回、母と行った伊勢旅行は行きの船から大揺れだった。今回は雨に降られることはなさそうで、お天気はなかなかよい。


 小田原駅で意外に人が降りるなと思っているうちに、11時25分、箱根湯本駅に到着した。
 まずは、荷物をキャリーサービスに預ける。駅で12時までに預けると、15時以降に箱根各地のホテルに届けてくれるサービスである。
 荷物1個が600円(クーポンを使用して500円)なので、私のボストンバックに母の荷物を入れて一つにまとめ、山のホテルまでの配送をお願いした。
 これで、二人ともショルダーバッグ一つで身軽になった。


 箱根湯本駅から塔ノ沢方面に少し歩き、「ちもと」の角を左に曲がって橋を渡った右側にある「知家茶家」でお昼を食べることにした。
 食べることにしたといっても、私の勝手なセレクトである。
 それにしても、暑い。母の日傘は正解である。
 箱根は涼しいと私に吹き込んだのは誰だったのか。


早雲豆腐 「知家茶家」では、二人とも「豆腐点心(1850円)」を頼んだ。
 献立は、わさび味噌奴、早雲豆腐、とうふステーキ、ごはん、吸い物、香の物である。
 母と、このたれには何が入っているのか、家で作るにはどうしたらいいか等々とあれこれ推理し合う。
 「わさび味噌奴」は、冷たいお豆腐にわさびとお味噌とゴマペーストで作ったたれをかけてある。家でも似た感じに作ってみようと思う。


 この写真の「早雲豆腐」は、温めたお豆腐に、すり下ろしたとろろを具の入っていないお味噌汁で伸ばしたものをかけ、海苔と葱を散らしてあるようだ。
 ちょうど山いもの粉の買い置きがある。こちらも、味はともかく、家で真似して作ってみることはできそうである。


 母は豆腐ステーキが一番気になったようで、「これ、お豆腐は温めるだけで焼かなくてもいいわよね。」と言い出す。例えば湯通しして温めるだけでは、焼き目もつかないし、香ばしくならないし、美味しさが一段下がるような気がする。
 豆腐ステーキと一緒にごはんとお汁とお新香も出され、お皿に残った早雲豆腐のとろろもごはんにかけてしっかり綺麗にいただいた。


 駅に戻って、12時39分発の箱根登山電車に乗り込んだ。
 今回は箱根フリーパスというチケット(5000円)を買ってあり、小田急系列の乗り物は全て乗り放題である。
 3両編成(だったと思う)の電車は意外と混んでいて、何とか二人分の席を見つけて腰を下ろす。


出山鉄橋 箱根登山電車といえば、やはり沿線のあじさいが有名だ。残念ながら、すでにその紫陽花は茶色くカサカサに枯れ、もの悲しい気分になる。
 スイッチバックを繰り返して急坂を上る電車は、「確かに上がっている」という感じが楽しい。
 大平台だったか上大平台信号場(多分こっちだと思う)から見えた出山鉄橋の景色が気持ちいい。
 こんな景色のいい場所でスイッチバックするように作るなんて、箱根登山電車もなかなか策士である。紅葉の時期にはきっとさらに見事だろう。


 強羅で13時23分発のケーブルカーに乗り換える。
 これまた大混雑で、とても座るどころではない。満員電車並みである。
 登山電車では観光案内のテープが流れていた。ケーブルカーは停車する度に両側の扉が開き「行きたいところがある方のドアから降りてください。」というアナウンスが何度も流れる。なかなか楽しい。


 ケーブルカーは短くて、すぐに早雲台に到着した。ほっとする。
 ケーブルカーの改札を出た前方の壁に水彩画の絵はがきが貼ってあった。一目惚れして、箱根の四季を描いた色々な場所と季節が描かれた絵がセットになったものを買い求める。8枚入りで800円だから、お安くはない。
 ケーブルカーの改札のおじさんに頼んで買うところが、また呑気といえば呑気である。何しろ、おじさんが絵はがきを取りに事務所に行っている間、改札は無人だ。


ロープウエイ 大涌谷に行くロープウエイに乗り換えた。
 このロープウエイは、ひとつひとつの籠が大きいし、ほとんどガラス張りになっていて景色がよく見えるし、なかなかの優れものである。
 そして、濃い緑を眺めながらの空中散歩と洒落込んでいたら、一山越えていきなり景色が変わって驚いた。演出効果抜群である。
 同じ籠に乗っていた小学生くらいの女の子が、「おじいちゃんは大涌谷で待っていて、私とママともう一往復してこよう。」と言っているのが可愛らしい。よっぽどこの景色と「ぐうん」という感じが気に入ったようだ。


大涌谷 母の言うところによると、大涌谷には家族で来たことがあるらしい。ただ、家族旅行といえば車だったので、ロープウエイには乗ったことがないという。
 そんな、想い出の場所かどうか微妙な大涌谷は、2008年8月には、(推定)韓国からのツアー客と(推定)中国からのツアー客に占拠されていた。
 見た目ではほとんど判らないけれど、聞き取れない言葉が一帯に溢れている。
 (推定)韓国から来た女の子二人組の写真を撮ってあげたり(フィルムカメラを使うのが久しぶりだったのでできあがりが不安である)、「北京オリンピックに行かずに箱根に来ていていいのか?」と疑問に思ったりする。


黒玉子 大涌谷は箱根ロープウエイで一番高いところにあるから涼しいだろうと期待していたら、日陰がないせいか、そばでボコボコ言っているせいか、かなり暑い。
 階段を汗だくで上り、玉子茶屋で黒玉子を購入する。
 これも、母には想い出の味だったらしい。
 ばら売りはしておらず6個500円のセット販売のみである。それが、飛ぶように売れている。一体、1日の売り上げはどれくらいなのだろう。


 黒玉子の案内板によると、まず80度の温泉に玉子1時間くらい浸けておくと次第に黒くなる。
 その後、95〜100度の蒸し窯(これも当然に温泉を利用している)に入れ、10分くらい最後の仕上げをする。時間がたつにつれて玉子の黒さは色あせてくる。
 真っ黒になった玉子の殻を剥き、「やっぱり何だかちょっと違う味がする」などと思いつつ、付いてきた塩をつけて母と一つずつ食べ、残りはおやつに持って行くことにした。


 時間に余裕があれば今日のうちに成川美術館に行ってしまおうと思っていたけれど、この時点で14時30分近い。
 それなら、美術館は明日ゆっくり行くことに決め、芦ノ湖に向かうロープウエイの次の駅である姥子まで、大涌谷湖尻自然探勝路を歩き始めた。ずっと下り坂だし、1時間強くらいで歩ける筈である。


苔 この探勝路は、ときどき階段もありつつ、ほとんどが土の坂道だ。雨のすぐ後はかなりぐちゃぐちゃになりそうだけれど、概ね歩きやすい道である。
 歩いている人がほとんどいないせいか、芦ノ湖が雨水だけで湛えられているくらい雨の多い土地柄のせいか、道ばたの杭や石などにはびっしりと苔が生えている。
 そして、この苔がまた綺麗だ。


 暑さを心配したけれど、コースの始めの方にあった噴煙地を過ぎた辺りからはずっと木立の中を歩くことができ、かなり涼しい。
 恐らく、湖から吹き上がってくる風も抜けているのだと思う。快適に歩ける。


黄色いお花 母は草花が好きだから、こんな小さい花にも気づくらしい。
 鳥の鳴き声を気にしたのも母が先で、確かに変わった可愛らしい感じの鳴き声がずっとしている。私の場合は「鳥が鳴いているなぁ」以外の感想は浮かばない。母はずっと目でその鳥の姿を探していたらしい。
 結局、案内板の絵と、遠目に見えた姿と茶色い羽根色から「ミソサザイ」だろうと当たりをつけた。


紅葉野いちご 恐らく食い意地が張っているせいで、この野いちごだけは、私が発見する方が早かった。毒々しくも美味しそうな色をしている。
 流石に食べてみるのは自粛した。
 足元に落ちていた赤く色づいた葉から本当に枝先の一部だけ色づいた紅葉を見つけたのは母である。
 やはりこのコースも、紅葉の時期にのんびり歩くのに向いているようだ。


硯石 案内板等がなかったので由来は不明だけれど、弘法大師が硯代わりに使ったという硯石がコースの途中にある。
 特に看板もなく、道から外れて少し覗き込むようにしないと見えない。ひっそりとした見どころだ。
 この辺りで家族連れに追い抜かれた他は人に会うこともなく、1時間弱でロープウエイの姥子駅に到着した。


 姥子駅に着く少し手前、小高くなった場所のてっぺんに船見岩という岩があった。
 その岩に上がると、芦ノ湖が見えるという。
 岩に上がって芦ノ湖方面を見てみたところ、当時よりも成長しつつある木立などに視界を遮られてしまい、芦ノ湖の水面がほんの少し見えるだけだった。残念である。


 姥子からロープウエイに再び乗り込み、あっという間に芦の湖畔の桃源台に到着した。
 下り坂をずっと歩いたし、山歩き用の靴ではないので、足が痛い。特につま先に負担がかかっていたらしく、「もしかして爪が変色しちゃったかも」というくらいの痛さである。


海賊船 桃源台からは、海賊船に乗って箱根町に向かった。
 15時40分発の海賊船は、確か「ヴィクトリー号」だったと思う。待っていた20〜30人が余裕で乗って座ることができた。
 もっとも、私が座っていたのはほんの少しの間だけで、ほとんどの時間はデッキで風に吹かれて写真を撮りまくった。
 ずっと席にいた母によると、赤いコートを着た海賊(の扮装をしたお兄さん)が船内を巡って「一緒に写真を撮りませんか。」と勧誘していたらしい。
 流石、海賊船である。


九頭竜神社 出航してすぐ左に見え始めたこの鳥居を、私はずっと箱根神社のものだと勘違いしていた。
 桃源台からそんなに近くに箱根神社があるはずもない。
 帰宅してからガイドブックなどで調べ、九頭竜神社の鳥居と見当を付けた。
 九頭竜神社は縁結びに霊験あらたかな神社だそうで、友人から「お参りした方がいいですよ。」と言われていた。船上からでもお願いすれば良かったけれど、後の祭りである。


箱根関所 海賊船は、30分くらいで箱根町港に到着した。
 そういえば、湖であっても「港」と呼ぶらしい。芦ノ湖では「桃源台港」「箱根町港」「元箱根港」と全て「港」と呼んでいたように思う。
 箱根町港で10分くらい停まっていた間、箱根関所跡にたくさんの人が入っていき、出てくるのが見えた。
 やはり定番かつ人気の観光スポットなのだろう。


 私たちはそのまま元箱根港まで行き、下船した。
 元箱根港にはホテルの送迎のバスが来る筈だ。まだ16時30分くらいだったので、箱根神社にお参りし、そのまま山のホテルまで歩くことにした。
 湖畔に沿って10分も歩かないうちに箱根神社に到着する。


平和の鳥居石段 箱根神社といえば、やはり湖上に立つ平和の鳥居である。
 お参り前にくぐらなくてはと思って湖畔まで階段を降りたけれど、鳥居をくぐるには水中に入らなくてはならないらしい。
 宮島とは違って潮の満ち引きはないし、最初からくぐることは予定していないようだ。
 矢立の杉と名付けられた立派な杉の木の横を通り、鳥居を二つくぐりつつ階段を上がり、本殿に向かう。
 元箱根港近くにある一の鳥居から考えると、もの凄く長い参道ということになる。


箱根神社 本殿の周りは特に、湖畔にあるのに開けた感じのしない、不思議な神社さんである。
 お隣に九頭竜神社の新宮がお祀りされていて、そちらにもお参りする。こちらの境内にある龍神水は、口に含むと一切を浄化してくださる有り難いお水だそうだ。少しだけいただいた。
 帰りは宝物殿の方から階段ではなくゆるやかな坂道を下る。
 箱根登山電車の辺りでは茶色くカラカラに枯れていた紫陽花も、芦の湖畔まで来るとまだ蕾も残っている。品種が違うのかも知れない。


けけら木 坂を下りきったところに、「けけら木」が安置されていた。
 「けけら木」は、芦ノ湖の湖底に沈んでいた化石化した木で、昔は伊豆・駿河・相模の三国の国境とされていたそうだ。
 それが2007年の台風で湖面に浮かんで来たため、箱根神社に遷したという。


 再び湖畔に降り、石畳のような少し暗い散歩道を歩いて、山のホテルへ向かった。
 17時30分くらいに到着し、チェックインする。箱根湯本駅で頼んだ荷物を受け取り、お部屋に入った。
 フローリングの床の、落ち着いたお部屋である。1階だったので芦ノ湖が見えないのが残念だ。
 夕食の予約は直接電話でしてくださいとフロントで言われていた。早速電話すると、「18時30分からは一杯ですが、18時15分からならテーブルがあと1つ空いています。」というお返事で、その時間で洋食をお願いした。


 母は相当にお腹が空いていたらしい。「甘いものが欲しい。」と言う。どこかで何か調達しておけば良かった。黒玉子しか持っていない。
 母は、「今日はおやつにゆで卵しか食べていないからだわ。」と言うけれど、お昼にごはんをお茶碗に半分くらいも残していたせいだと思う。
 ハーブで香りをつけたグリーンティのティーバッグが用意されていて、それを飲んでひと休みしたら、もう夕食の時間になった。


前菜メイン


 いただいてきたメニューと私の記憶によると、今夜のコースはこんな感じである。
  アミューズ 鶏肉とキノコのテリーヌ
  前菜 穴子と十五穀米のマリアージュ 夏野菜の彩りを添えて
  スープ ジャガイモのポタージュスープ
  メイン 仔牛の香草パン粉焼き ソースボロネーズ または 
          真鯛のバプール セロリの香る白ワインとバターのソース
  デザート オレンジのコンポートとカシスのシャーベット
  コーヒー または 紅茶


 メインはお肉とお魚から選べ、母はお魚にしていた。
 お魚はセロリのソースだったので、私には絶対に食べられないと断念した。サーブの方は「苦手な食材などございましたら。」と言ってくれたけれど、ここで「セロリが苦手です」と言われても、レストランとしても困るに違いない。
 メインに合わせ、母は白ワインを、私は赤ワインをグラスでいただき、ほわーんとなった。


 かなりゆっくりといただいたようで、ギフトショップを少し覗いて部屋に戻ったら、もう20時を回っていた。
 つい、テレビで北京オリンピックを見てしまう。
 卓球の福原愛選手も、女子ソフトボール準決勝の対オーストラリア戦も、野球の予選の対アメリカ戦も、いい試合というか、手に汗握る試合をしていて目が離せない。


 野球が一段落したところで、温泉に入りに行った。
 温泉に行く専用エレベータがあって、そちらは浴衣とスリッパで行くことができるのが有り難い。
 また、バスタオルやタオル、アメニティなども全部大浴場に揃っていて、ほとんど手ぶらで行くことができる。
 お風呂に入る度にタオルを替えられるのはかなり贅沢だと思うし、嬉しい。


 みんなオリンピックを見ているのかしばらく貸切状態で、のんびりと露天のジャグジーを満喫した。よくよく、ふくらはぎをマッサージする。
 後からいらした方は、山のホテルをよく利用されているとおっしゃっていて、陽が落ちた後の薄明るい時間帯に外に出たら、富士山のシルエットが見えたと教えてくださった。
 夏は朝と夜にしか富士山を見られないことが多いそうだ。明日の朝は早起きしようと心に決める。
 仕上げに、マッサージチェアであまりの痛さに悲鳴を上げつつ全身をほぐした。


 22時過ぎに部屋に戻ったら、ちょうど野球が9回を迎えるところだった。
 母と二人、お茶を煎れ、黒玉子を夜食代わりにいただきつつテレビに見入る。
 23時前に就寝した。


 箱根旅行記2日目はこちら。

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2008.08.30

「カナダオーロラへの旅」を購入する

 数日前、オーロラに関する本を探していて、できればホワイトホースについても書かれている本があるといいなと本屋さんをうろうろしていたときに、この本を発見した。
 ぱらぱらとめくってみたら、ホワイトホースでのオーロラ鑑賞の話も載っているようだったので、早速購入した。

 この本の著者は、晴れ女ならぬオーロラ女で、山間部で海に近く曇りがちだとされているホワイトホースでもばっちりと美しいオーロラに出会っているのだそうだ。
 雨女の私には羨ましい限りである。
 ぜひ、私と一緒にオーロラを見に行っていただきたい。

 旅行社の人にも「オーロラを見に行くツアーだと、イエローナイフが断然多くてホワイトホースに行く方は少ないんです」と言われたけれど、確かにオーロラベルトの真下で、アクティビティがばっちりと揃っているイエローナイフは魅力的だということもよく判った。
 けれども、今の私にはやっぱりホワイトホースが正解だということも納得できる本だった。

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2008.08.27

リモートケーブルを購入する

 私が持っているデジカメは、オリンパスのSP-560UZである。
 オーロラ撮影をするためには、できるだけブレを抑えるために、直接シャッターを押してカメラ本体を動かしてしまうようなことは避けたい。
 以前に持っていたデジカメ用に購入したリモコンを使えないか、あるいはレリーズを購入しようかとオリンパスのホームページを探していた。

 そうしたら、SP-560UZで使用できるリモートケーブルが販売されていた。
 よく見ると「バルブロック機能」が付いている。バルブロック機能が付いているということはと、改めてSP-560UZの製品仕様を確認したら、バルブ機能で最大8分シャッターを開けておくことができるということが判明した。
 以前に持っていた同じシリーズの古いデジカメにはバルブ機能が付いておらず、最大16秒までしかシャッタースピードを伸ばせなかったので、てっきりSP-560UZも同じくバルブ機能は付いていないと思い込んでいたのである。

 よーし!
 まずは、付いていることすらバルブ機能を使えるようにするため、使用説明書を熟読しなければならない。
 でも、使いこなす自信もないままに、リモートケーーブルを購入してしまった。

 (画像をクリックすると、楽天のお店に飛びます。)

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2008.08.24

プロフィール写真を変える(芦ノ湖と富士山)

 伊豆の海はやっぱり夏らしさに欠けるような気がずっとしていたので、プロフィール写真を、2008年8月20日から1泊2日で出かけた箱根で撮った写真に変更した。

 芦の湖畔の山のホテルに宿泊した朝、ホテルにある展望室に上がってみた。
 右手前はホテルの屋根、左の青い湖面はもちろん芦ノ湖で、右奥の方にちょこっと見えているブルーグレイの三角が富士山である。

 それにしても、富士山はどうして肉眼で見るとあんなに大きいのに、写真に撮ると途端に小さくなってしまうのだろう。
 謎だ。

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2008.08.21

箱根から帰る

 箱根から無事に帰ってきた。
 「無事に」と言いたくなるくらい、全身、特に足がボロボロである。

 爪が痛い。
 足の指先が痛い。
 ショルダーバッグをかけていた右肩が痛い。
 母は、「ふくらはぎが痛い」と昨日の夜から言っている。

 やっぱり、昨日も今日も1時間くらいずつ下り坂を中心に歩いたのがいけなかったらしい。
 うちの母は「それでも1万歩ちょっとしか歩いていない」と不満そうだった。

 でも、なかなか充実した1泊2日の箱根の旅だった。
 際どいところで雨に降られなかったのも、雨女の私としてはポイントが高い。
 また、次回はもうちょっとゆったりした箱根の旅を楽しみたいと思う。

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箱根旅行記2日目(引っ越しました)

*****

 箱根旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

*****

1日目 2008年8月20日(水曜日)

2日目 2008年8月21日(木曜日)

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2008.08.20

箱根旅行に出発する

 9月の海外脱出を目論んでバタバタしていて、すっかり箱根に行くことは頭の外に追いやられていた。

 行き先は箱根だし、行き帰りの足と泊まる場所は確保できているし、ガイドブックも持ったし、直前まで荷物を出し入れしているが、のんびり行って来ようと思う。

 その、直前まで出し入れした持ち物リストは以下に。

続きを読む "箱根旅行に出発する"

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2008.08.18

エジプト旅行記の入口を作る

ルクソール神殿 ここはエジプト旅行記への入口である。


 後から行った伊勢志摩旅行記や伊豆断食旅行記を先行させたし、せめて箱根に行く前にエジプト旅行記を書き終わりたいと思い、特に後半は超特急で書いた。


 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。


1日目 2007年12月31日 成田 -> ギザ(泊)


2日目 2008年1月1日 その1 ギザ 


2日目 2008年1月1日 その2 ダハシュール -> メンフィス -> サッカラ -> ギザ(泊) 


3日目 2008年1月2日 その1 ギザ -> ルクソール(王家の谷)


3日目 2008年1月2日 その2 ルクソール(ハトシェプスト女王葬祭殿・ネフェルタリの墓・メムノンの巨像)


3日目 2008年1月2日 その3 ルクソール(ショッピング・ルクソール神殿ライトアップ)(泊)


4日目 2008年1月3日 その1 ルクソール(カルナック神殿)


4日目2008年1月3日 その2 ルクソール(ルクソール博物館・ショッピング・ファルーカ)(泊)


5日目 2008年1月4日 その1 ルクソール -> アスワン(アスワンハイダム・オベリスク・ショッピング) -> アブシンベル 


5日目 2008年1月4日 その2 アブシンベル(アブシンベル神殿・音と光のショー)(泊)


6日目 2008年1月5日 アブシンベル -> カイロ(ハンハリーリ市場・ナイル川クルーズ)(泊)


7日目 2008年1月6日 その1 カイロ(カイロ考古学博物館)


7・8日目 2008年1月6・7日 カイロ(モハメドアリモスク) -> 成田


 


その国の旅を終えて 100の質問 (エジプト編)


持ち物リスト (エジプト編)


2007年12月 エジプトの写真

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エジプト旅行記7・8日目

2008年1月6日(日曜日)


 ランチのレストランに行くまでの道は大渋滞で、カイロ考古学博物館から30分くらいかかった。もっとも、向かったレストランは「カイロの下町にある」という以外、その所在地は知らないので、通常はどれくらいかかるものやらサッパリ判らない。


 バス移動の間、ハニーさんはエジプトの結婚事情について熱く語っていた。ハニーさん自身は、1歳くらいになる男の子のお父さんである。
 カイロでは、男性が32〜33歳、女性が28歳くらいで結婚し、エジプト南部地域の方が結婚が早くて、男性は27歳くらい、女性は20歳くらいで結婚する。
 結婚が決まると、それぞれの家で1年くらいかけて準備をし、特に男性は家や家財道具一式を用意しなければならず、女性は洋服だけを持ってお嫁に行くという。
 エジプトでは木曜日(安息日の前日)に、夜中の2時頃までかけて披露宴を行うことが多いらしい。


 12時30分くらいから、このツアー中、最初で最後のエジプト料理のお食事となった。
 「ハティ」というこのレストランは、かなり車通りの激しい大きな道沿いにある、洋服屋さんが並ぶ隙間の細い通路を通って行かねばならない。その途中ではちょうど時間だったので絨毯の上でイスラム教のお祈りをしている人などもいて、一人ではとても辿り着けないような立地である。


エジプト料理 メニューは、かなりうろ覚えだけれど、こんな感じである。
 前菜 アイシ、チーズ2種、タヒーナ(ゴマのペースト)、ホンモス(ひよこ豆のペースト)
 スープ モロヘイヤスープ
 ファッタ(ライスとパンとトマトスープのリゾット風)
 ターメイヤ(空豆のコロッケ)、シシカバブ(マトン串焼き)、コフタ(細長い牛肉のミートボール)、ポテトフライ
 フルーツ


 タヒーナというゴマのペーストが美味しい。
 アイシというのはホブスのような中が空洞になったぺったんこのパンで、そこにタヒーナやホンモスを乗せて食べる。美味しい。
 エジプトの名物料理だという鳩を食せなかったのが心残りである。


 昼食を終え、モハメドアリモスクに向かうバスの中で、ハニーさんのイスラム教講座を聞いた。
 イスラム教徒は1日5回のお祈りをし、中でも最も大切なお祈りは金曜日の2番目のお祈りで、みなモスクに行き、20〜30分くらいのスピーチを聞くという。
 エジプト人の80%がイスラム教徒で、そのうちの90%が金曜日にはモスクに行く。敬虔な人が多いのだ。


 また、これから行くモハメドアリモスクは、エジプトで最も有名なモスクで、モハメドというのはイスラム教の預言者の名前である。エジプトでは、子供が生まれるとそのうちの一人に必ずモハメドという名前を付けなくてはならない。
 ここまで聞いて、モハメドという名前の人が多い理由が判った。
 ハニーさんの長男も、モハメドという名前だと言っていたように思う。


 エジプトでは、昼間が暑いため、7時くらいにオフィスアワーが始まり、14時くらいに終わるところが多い。そのため、昼下がりのこの時間帯は渋滞することが多くなる。
 レストランに向かうときもかなりの渋滞、13時30分過ぎのこのときも大渋滞だ。
 しかも、お腹がいっぱいになったところで道路を眺めていると、誰も信号など守っていないし、割り込みのオンパレードで今にも事故が起こりそうである。


 エジプトの教育事情の話も聞いた。
 エジプトの学校は2部制になっていて、小中学校は義務教育だけれど、学校に通っているのは概ね70%くらいだという。大学進学率は概ね50%くらいである。
 アズイール大学は1000年前くらいに始まった世界で一番古い大学であり、イスラム教の教えを学ぶための大学である。
 大学入試という制度はなく、高校最後のセンター試験のような試験で各大学に振り分けられる。カイロ大学などトップの大学に進むには95〜97%の正解率が必要だという。


 14時を回ったころに、モハメドアリモスクに到着した。
 このモスクのデザインは、例えばドームの部分などは特にトルコのブルーモスクを模している。そして、モスクの下半分が大理石で造られているところから「アラバスターのモスク」とも呼ばれている。


カイロ市街 モハメドアリモスクは、ギザのピラミッドを造るための石切場の跡に建てられており、カイロ市街で一番高い丘の上にある。
 お隣にある城塞は、クフ王のピラミッドから剥がした石で作られているというから皮肉な話だ。
 お天気が良ければここからギザのピラミッドが見えるという。この日は、残念ながら見ることはできなかった。
 でも、カイロ市街は一望である。
 モスクの内部に入る前、今日でエジプト出国ということもあり、ハニーさんとの大撮影大会が開催された。


モスクの中庭 モスクの中庭は八角形になっており、身体を浄める場所と水のタンクがある。手足、顔、髪、耳を3回ずつ洗う。
 中庭から見える時計台はモスクには珍しいもので、フランスから、コンコルド広場のオベリスクへの返礼として贈られた物である。お礼の品がエジプト到着時からずっと壊れているというのはどうなのだろう。


 中庭からモスク内部に入るときには靴を脱ぐ。ここで、行きのエジプト航空でもらってきた機内用靴下に履き替えた。
 モスクの中には、このモスク自体より古いというモハメド・アリのお墓もある。格子がはまった扉の奥の部屋に安置されている。大理石製の棺がとても美しい。


 イスラム教では、メッカの方向に向いて、アッラーの神に祈る。
 1日5回のお祈りは、5分ずつくらいかかる。
 必ずリーダーがいて、少し高いところに乗ってお祈りを主導する。金曜日や、断食(ラマダン)の後は、そのリーダーが立つ場所が特別な階段の上に変わる。


モスクの天井 モスクの天井は、真ん中にある一番大きなドームとその周りにある小さなドームで構成されている。
 この5つのドームは、1日5回(4時30分、お昼、15時、日没直後、日没1時間後かまたは寝る前)のお祈りの象徴でもあり、イスラム教の「五つのやってはいけないことの教え」の象徴でもある。


 イスラム教徒が守るべき教えは、お祈り、ラマダン、寄付・喜捨、巡礼の四つだ。
 お祈りは、お祈りの文句は唱えなければならないけれど、モスクに行かなくても大丈夫だし、立ったり座ったりという動作は無理にやらなくてもいいそうだ。
 ハニーさんは、ガイドの仕事中はもちろんお祈りはできないから、心の中でお祈りをしているという。


 ラマダンは1ヶ月続く。
 日の出から日の入りまで、それが例えどんなに暑い時期だろうと飲食を慎む。熱中症になったり脱水症状を起こしたりしないか、心配になってしまう。
 ラマダンは、辛い生活を味わうことで、兄弟愛と社会正義を守る心とを育てるという意味がある。


 寄付・喜捨は、ラマダンの直後に行う。
 収入の2.5%をあて、誰に、どうやって、などの細かいところまで全て決まっているという。
 イスラム教の教えでは、がんばっている人にあげるのはいいことだけれど、がんばっていない人にあげてはいけない。
 かつ、本人には知られないように行うのがベストだとされているというから、かなり難しい「行い」だと思う。


 そして、メッカ巡礼もイスラム教徒の義務である。
 今年の場合、10日間で70万円くらいかかるとハニーさんは言っていた。一体この数字はどこから出てきたものなのだろう。
 いずれの教えも無理をせずできることをやればいいし、やるべきことをやったかどうかは自分自身が一番よく知っているし、神様も見ていらっしゃるとハニーさんは言っていた。


 モハメドアリモスクで全ての観光が終了し、そのまま空港に向かった。
 ハニーさんは今年中に来日の予定があるそうで、「そのときにはまたみなさんで会いましょう。」という話も出て、明るく「またね。」という感じでお別れとなった。
 出国手続きもスムーズに行われ、「16時から1時間フリータイムにします。」と言われた。とはいうものの、それほどやることもない。


 免税店を覗き、エジプトワインに惹かれた(8米ドル!)けれど、瓶が重かったので諦めた。
 同じ飛行機で帰る日本人旅行者も多く、次々とハーブティーやナッツをデーツでくるんだお菓子などを購入していた。試食もさせてくれていて、これまた迷ったものの、個包装になっていないと配るときに困ってしまう。


 結局、あとは椅子に座ってぼんやりしていた。
 エジプト航空964便は17時50分発の予定が、具合を悪くした方がいらっしゃり、かつ空港が混雑していたため、19時過ぎに離陸した。
 ツアー一行の席は後方にほぼ固まっていた。私は一人だし、通路側の席を希望したためか、前方のスクリーンのところの席になった。隣の席に人はいないし、かなり楽ちんである。
 一つ置いた隣の席に座っていたお兄さんはシリア人で、日本にスクラップを仕入れに行くと言っていた。
 大阪と福岡には行ったことがあるけれど、東京に行くのは今回が初めてだという。スクラップの市場は西日本が中心なのだろうか。


 往路はかなり辛かった機内も、帰りは席に余裕があったためか、単純に疲れていたためか爆睡できて、時間がたつのが早かった。
 ひたすら寝ていたらマスクをしていても機内の乾燥に負けてしまい、飛行機に乗る直前にセキュリティチェックがあってミネラルウォーターのペットボトルを持ち込めなったこともあって、何だか喉がいがらっぽくなってしまった。
 しかも、ブランケットをかけても寒い。


 途中、日本語のアナウンスで目を覚ました。
 「お客様にお医者様はいらっしゃいませんか。」という急病人が発生したというアナウンスである。
 ツアーでご一緒した方が行っていらしたし、他にも何人かお医者さんが乗っていたらしい。具合が悪くなった方にとっては心強いことだったろう。


2008年1月7日(月曜日)


 離陸の遅れそのままに、日本時間の13時45分に成田空港に到着した。
 こうして、年末年始のエジプトの旅が終了した。


*この日の服装
 ピンクのタートルネックの長袖シャツ、ピンクのTシャツ、黒の薄手のコート
 タイツ、黒のパンツ


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2008.08.17

オーロラ(カナダ)ツアーの代金を支払う

 8月21日が旅行代金の支払い期限で、20日から1泊で箱根に行く予定で、キャンセル料が19日から発生するとなると、実質的に今日がリミットのようなものだ。
 申込み後、旅行社から特段の連絡は入っていないから、同じ日程でホワイトホースに行こうという人は出現していないのだろう。現れてくれれば一人催行料金分がお得になるのだけれど、なかなかそう上手くは行かないようだ。

 言われるだろうなと思いつつ、母に「9月19日から23日まで旅行に行きたいんだけど」と言ってみたところ、案の定「ちょうどお彼岸じゃないの」と言われた。
 重ねて「行ってもいいかしら」と聞いたら、「だって行くことに決めちゃっているんでしょ」と言われたので「今ならキャンセル料がかからないから」と言うと笑っている。
 
 これは許可が出たものと勝手に解釈し、旅行代金全額を振り込んだ。
 旅行社からの指定で、申込書送付後に申込金を先に支払うというのではなく、1ヶ月前までに全額支払ってください、ということだったのだ。
 考えてみれば、こういう支払い方法を指定されたのは初めてのような気がする。

 いずれにせよ、キャンセル料を払うのは腹立たしいので、これで旅行決定である。

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エジプト旅行記7日目その1

2008年1月6日(日曜日)


コンラッドのロビー 朝の5時に目が覚めた。エジプトに来て初めて熟睡できた気がする。
 7時に、クリスマスイルミネーションをしたロビーを見下ろすレストランに朝食を食べに行った。
 コンラッドの朝食は美味しい。ターメイヤコロッケなどのエジプト料理もあるし、何より、グアバジュースとストロベリージュースが美味しかった。


 同じテーブルになった他社の添乗員さんによると、彼女のツアーは4名で催行しているそうだ。羨ましい。
 彼女も「エジプトは今の時期がいいですよ。」としみじみと言う。これが夏になると、オベリスクでは木陰の争奪戦になるし、お腹も壊しやすいそうだ。


 ルクソールで頼んでおいたデーツとアーモンド入りチョコレート(19個入り1箱12米ドル)と、Tシャツ(ヒエログリフの名前の刺繍入り、1枚米15ドル)を受け取り、8時30分にホテルを出発した。
 昨日アスワンに置き去りにされてしまったハニーさんも合流する。


 カイロ考古学博物館に向かうバスの中で、昨日のディナーショーについて改めて解説してもらった。
 スーフィー・ダンスと紹介された男性がくるくる回るダンスは、正しくは「タムーラ・ダンス」というそうだ。スーフィーというのは、イスラム教の一つの派の名前だという。「タムーラ」は、トルコ語で「スカート」という意味である。
 MAXIMで踊るのはやはり一流のダンサーで、20〜30分のダンスで3000円〜4000円になるという。


 もともとイスラム教では女性のダンスはよくないとされていることと、肌を見せるということもあって、ベリーダンスを踊った女性は、1時間踊って20000円くらいだという。
 エジプトでトップといわれているティナさんというダンサーは、元は大学教授で、給料が安いのでダンサーに職業替えをしたそうだ。1時間踊って70万円くらい稼ぐというから、そりゃ転職するよねと思う。


カイロ考古学博物館 朝食のときに会った添乗員さんも言っていたとおり、日曜日はカイロ考古学博物館は混雑するらしい。オープン前なのにセキュリティチェックにも行列ができているし、チケット売場にも行列ができている。
 中庭の池には「パピルス」と「ロータス」というエジプトを代表し、象徴する二つの植物が植えられていた。


 カメラを預けて9時過ぎに入場し、「じっくり説明すると1週間はかかる」という博物館のハイライトをまずはハニーさんの説明付きで見て回る。
 博物館入り口の女神像は、上エジプトと下エジプトを表している。
 この博物館の大元はフランス人のエリオットが整えたものであり、この博物館に納められているものは「ロゼッタ・ストーン」以外は全て本物である。
 ロゼッタ・ストーンのレプリカの隣には、ヒエログリフを解読したエリオットの像が並んでいる。エリオットの像は博物館の中庭にもある。


 階段ピラミッドの主であるジェセル王の像は、4800年前のもので、この博物館でも最古の展示品の一つである。
 王の像としては珍しく等身大であることも好感を呼ぶ。


 メンカウラー王の像はそれより時代が少し下がって4500年前のものだ。
 ハトホル女神とカイロの街の守護神に挟まれた像である。


 4600年前の無花果の木から造られた像が今まで残っているのは、お墓の中で密閉されていたという理由が大きいという、クフ王の書記官であったカーアペルの像もある。
 目に石がはめ込んであるところが妙に不気味だ。


 スフィンクスの井戸から出土したというカフラー王の像は黒くて硬い石で作られている。
 カフラー王の頭をホルス神が後ろから覆うようにしている。王は神の力をもって支配し、死して神となると考えられていたエジプトで、こういう意匠の像は珍しい。


 ルクソール博物館ににあった同じような意匠の像よりも、こちらの書記官像の方が綺麗である。
 パピルスに文字を書いているところで、かつらから少し耳を出しているのは王の声が聞こえるためだというから芸が細かい。「目が充血しているでしょう、それは書記官の任務がハードだからです。」とハニーさんは説明したけれど、私には赤いようには見えなかった・・・。


 4600年前の石灰岩で作られた男女の像は、1回も消毒されたことのない彩色が残っている貴重なものである。ただし、カルトゥーシュが入っていないので、誰の像なのかは判っていない。
 男性が黒いのは日焼けしているからであり、女性が白いのは野外で働かなかったからだという。
 お墓の中でちょうどドアの後ろに置かれていたそうだ。最初にお墓に入った人は、この像を目にして人がいると勘違いし、逃げてしまったらしい。


 ハニーさんが言うには、カイロ考古学博物館で一番貴重で一番値段が高いのは、僅か7.5cmの高さしかないクフ王の像だそうだ。
 クフ王の像は世界中でこれ一つだけだ。座像の膝のところにカルトゥーシュがあったためにクフ王の像だと判明した。
 小さいながらハンサムである。


 クフ王の像は世界に一つしか残っていないのに、クフ王の母が使っていた木製のベッドがそれと特定されて残っている。何だか可笑しい。
 作り付けの枕の高さが異様に高いのは、布団を敷くことを計算に入れているからだという。


 アメンホテップの石棺には文字がびっしりと刻まれている。
 そこには食べ物や道具の名前が書かれていて、それを唱えると本物になって食べたり使えたりするようになると信じられていたそうだ。
 なかなか合理的な信仰である。


 カイロ考古学博物館の白眉は、何といっても「ツタンカーメンのお墓の副葬品全部」である。
 ツタンカーメンの治世は短かったため、お墓も小さく、副葬品のお宝も歴代の王に比べれば全くお話にならないレベルだと見られている。
 それにしてもこの博物館の何分の一かを占めてしまうのだから恐ろしい話である。


 棺というよりは部屋、部屋というよりはコンテナで、コンテナに近い大きさと形の箱に何重もの入れ子になっていたそうだ。
 その棺を大きい順にガラスケースに入れて並べてあり、ガラスケースに次の大きさの棺が映り込んで「元々はどうなっていたか」が想像できるようになっている。なかなかの工夫である。


 黄金のマスクは、ツタンカーメンのお墓から出てきたお宝のうちでも「(推定)特に重要なもの」が集められた部屋の中で輝いていた。
 ミイラ室と同じように、この部屋にはガイドさんは入ることができない。
 ツタンカーメンの黄金のマスクは、少し高い位置でスポットライトを浴び、ほとんど睥睨するようにしてそこにある。
 正直に言って、怖い。
 視線が空を貫いているように見えるところが不気味かつ不思議な雰囲気を醸し出している。


 ツタンカーメンのマスクの視線の方向に、その外側にあった棺が二つ並べられており、そこにも王の顔が描かれている。
 この三つの「ツタンカーメン王の顔」はそれぞれが全く違っているように見える。
 そもそも、ツタンカーメンの顔をモデルにしたのではないのかも知れない。本人に似るように描いたとしても、当時の一般的な感覚の「ハンサム」な顔にしようとしたとしても、余りにも違いすぎるような気がする。
 内側の棺に描かれた顔が一番ハンサムだと思う。


 黄金のマスクの周りや、この部屋の壁に沿って作られたショーケースの中では、宝飾品がゆっくりと眠っている。きらきらピカピカに輝いているのはスポットを浴びたマスクの方で、宝飾品はどちらかというと「鈍く光っている」という感じである。
 例えば、ツタンカーメンの時代にも王杓が使われていたようで、埴輪にも残っているし、現物も残っている。素焼きしたものに金箔が貼られており、20〜30cmの長さがある。


 ツタンカーメンのお墓に入っていたドライフラワーが何のお花かは不明だそうだ。
 ネフェルタリの墓にもネフェルタリがチェスに似たゲームをしている壁画があった。こちらには、ツタンカーメンが遊んだと思われるゲームも残っている。ただし、遊び方は未だに不明だ。


 ツタンカーメンの黄金の椅子は、背もたれに描かれた、妻がその足元に額ずいている絵と共に有名である。この絵では、妻は左手に香水瓶を持ち、右手でツタンカーメンに塗っている。
 肘掛けは鷲の身体にコブラの頭の意匠で、四つ足はライオンの足を模してある。ライオンの頭が座面に飾られている。
 足を乗せるオットマンがあるのも気が利いている。
 黄金の椅子は、ラピスラズリやトルコ石など貴石を彩色に使っているというから、贅沢な話である。


 階段に飾られたパピルスは3300年前のもので、死者の魂の裁判の様子が描かれているという。
 モノトーンでシックなバージョンと、彩色がかなり綺麗に残っているバージョンとがあった。


 この辺りで1時間20分が経過し、ミイラ室のチケットを渡され、11時15分に集合といわれてフリータイムとなった。
 まずは一つめのミイラ室へ行く。
 照明が落とされていることもあって「眠りについている」という感じが漂う。


 ラムセス2世のミイラは、ツタンカーメンのミイラと比べると少し褐色で、大きくて、そして皺が深くて、白茶けた髪も残っていて、いかにもおじいさんという感じだ。
 枯れ木のイメージである。
 そんな「年老いた」風情なのに、白い綺麗な歯が1本だけ残っているのが変な感じである。


 ハトシェプスト女王のミイラかも知れないミイラもある。
 ラムセス2世のミイラを見た直後だからかも知れないけれど、流石に女性のミイラは小さい。
 そして息子との確執を聞いてしまった後だからか、何だかぞんざいに扱われているミイラという感じが漂う。


 ツタンカーメンの棺にもドライフラワーが入っていたという話だし、アメンホテプ1世の棺にもミイラとともにお花が残されている。
 古代エジプトでも死者に花を手向ける習慣があったのかも知れない。


 博物館内には新ミイラ室もあり、同じチケットで入ることができる。
 ラムセス3世のミイラには動物の顔が付き、それ以外の場所はほとんど布で覆われている。これは何かのお呪いだろうか。
 ミイラといえば包帯のような布でぐるぐる巻きにされたイメージがあるけれど、カイロ考古学博物館のミイラは布がかけてあってもぐるぐるまきという感じではない。
 新ミイラ室には、ミイラの目として石を埋め込んであるものが多く、その石が表情を持っているように見えて少し怖い。あまり目を合わせたくない感じである。


 ミイラ室を一通り見た後で、もう1回ツタンカーメンのマスクがある部屋に戻った。
 ここもガラスで覆われて「特別の部屋」という感じだ。ガイドさんは入場できないというルールはあるものの、入場制限や特別のチケットはない。
 ロンドンで開催されているツタンカーメン展のために何点か貸出中で、貸し出されている展示品のところには代わりに写真が置いてあった。


 ハトシェプスト女王のスフィンクスは、「ハトシェプスト女王の」という枕詞に引きずられてしまうのか、何故だか女性的に見える。
 その近くにはラダック神もいたけれどこの辺りで時間切れとなり、「私はどうしてこんなお宝の間を必死に脇目も振らずに走っているのだろう」と疑問に思いながら、アクアンアテンとネフェルティティの像に視線を向けて「グロテスクだ・・・。」などという不埒な感想も持ちつつ、集合場所にダッシュした。


 集合場所のカイロ考古学博物館の中庭オベリスクの辺りに駆けつけたところ、そこには添乗員さんだけが待っていた。
 私がトップの筈はないという顔をしていたのだと思う。彼女の方から「みなさん、もうお集まりで、そこのギフトショップに行かれていますよ。」と教えてくれた。
 みなさんのお土産への情熱と勢いは衰えることを知らない。


 ギフトショップに入ると、そこでは「30分一本勝負」と声を掛けたくなるようなお土産探し合戦が展開されていた。
 その勢いに吊られ、私もアンクのペンダントトップを買った。
 ここでも貴金属類の値段はあくまでも「重さ」によって決まり、同じ意匠でほぼおなじ大きさでも微妙に値段が異なっている。


NOWANDTHEN カイロ考古学博物館の正門を出たところにあるブックショップにも立ち寄った。そのブックショップは、エジプトに関する本はもちろんのこと、カレンダーやカード、シールなどの文房具類も充実していた。
 エジプトの遺跡の「建造当時の姿」と「今の姿」を絵本のようにして見せてくれる本と、パピルスにネフェルタリやツタンカーメンなどの絵柄が描かれたカードを5枚購入した。合わせて26ドルだった。
 レジのおじさんがボールペンをおまけにくれる。エジプトで、ボールペンを値引き交渉に使った人は大勢いても、おまけにもらう人はほとんどいない筈である。


 おまけしてもらったから言うわけではないけれど、この二つのお店はお土産物探しにお勧めだ。
 このEGYPT NOW AND THENも含め、私が見聞きした中では、ここのブックショップで売られていた値段が一番良心的だったと思う。


 この後、ランチをいただくエジプト料理のレストランに向かった。


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2008.08.16

「メガロマニア 第14回」を読む

 NHKスペシャル「失われた文明」に関連して、作家の恩田陸がNHK出版のサイトで「メガロマニア あるいは「覆わされた宝石」への旅」というタイトルの紀行エッセイを毎月連載している。
 その第14回が掲載された。

 マチュピチュに立った恩田陸の焦燥が語られている。
 これまでは、「場」に立てばそこでイマジネーションが浮かび、自分の中で自分とは全く別に物語が動き始めていたのに、いかにもな「マチュピチュ」という場所に立っても何も動かないことへの焦燥である。

 「写真と同じ」という感想しか浮かばないというのは、とてもよく判る。
 本当に写真で見たそのままの景色が広がっているのだ。

 そして、サンクチュアリ・ロッジでの昼食の際の描写には非常に共感した。
 外国で、日本人に「どこに行っても日本人がいる」と本当に嫌そうに言われたときの違和感と、そう言っているアンタだって日本人だろうと言い返してやりたくなる気分とは、本当によく判る。

 そして翌朝、恩田陸がマチュピチュの上を真横に流れる雲を見ているときに、待望のイマジネーションがやってくる。
 この「少女」は、アイルランド(イギリスだったかも)で恩田陸が見かけた手紙を書いている少女と同じ少女なんだろうか。
 このイマジネーションがストーリーを得た小説を早く読んでみたいと思った。

NHK出版の公式サイト内、メガロマニア−あるいは「覆わされた宝石」への旅−のページはこちら。

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2008.08.15

「B17 地球の歩き方 カナダ西部 2008~2009 」を購入する

 先週、カナダのホワイトホースでオーロラを見るという、3泊5日の弾丸ツアーに申し込んだ。

 一人催行代金が安いというのがかなりウエイトを占めて申し込んだツアーだから、同行者がいない可能性が高い。添乗員などつく筈もない。
 実は、そういう「少しだけ個人旅行っぽい」海外旅行をしてみたいという目論みもあって申し込んだツアーである。

 ホワイトホース郊外に3泊滞在するし、街中に出るには車で40分もかかるらしいし、バンクーバーでのトランジットは現地係員の人が手助けしてくれるそうだし、どう考えてもガイドブックは必要ない。
 けれど、「個人旅行っぽさ」にはやっぱり必要なアイテムだと思えてきて、「B17 地球の歩き方 カナダ西部 2008~2009 」を購入してしまった。

 さて、そろそろキャンセル料が発生するタイミングが迫ってきたし、家族の了解を取らなければ。

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2008.08.14

エジプト旅行記6日目

2008年1月5日(土曜日)


 朝の飛行機でカイロに向かう前にアブシンベル神殿の日の出を見に行くため、この日は4時に起床した。
 砂漠地帯だから日の出前の気温はかなり下がるに違いない。しかし、そのまま空港に向かい、カイロに到着したら観光だから、そうそう厚着もできない。そこはカイロ(懐炉)でカバーした。


*朝の服装
 半袖Tシャツ、赤のチェックの長袖シャツ、白いフリース、赤いコート
 膝下のストッキング、10分丈のスパッツ、黒のパンツ


アブシンベル神殿 6時にホテルを出発し、すぐにアブシンベル神殿に到着した。
 到着するなりフリーで、6時45分が集合時間と言われる。
 日の出前のアブシンベル神殿は、普通にアブシンベル神殿で、つい夜明け前のナセル湖の方に目が行ってしまう。
 ナセル湖の水はあくまで黒く、空はあくまで群青色で、その間だけが白くオレンジに染まっている。
 ツアーの方で、「フリータイム」と言われた瞬間にアブシンベル神殿入口に走り、入口から誰も中にいない神殿内部の写真を撮った方がいて、なるほどと思ったのはこの後の空港での話だ。


 日の出を待っていると、ナセル湖クルーズの船がどこからともなく現れて、ちょうどアブシンベル神殿と太陽の間に入ってしまった。
 「もう! 邪魔!」と叫んでいたら、ツアーの方に「あの人たちは我々よりも高いお金を払っているんだから。」と諭された。なるほどど思いつつもやっぱり腹が立つ。


 そして、6時37分、ナセル湖から日が昇った。  湖の黒さはそのままに、空の群青色にゆっくりと白が混ざって行くようである。


朝陽を浴びるアブシンベル小神殿 振り向くと、アブシンベル神殿が赤く染まっていた。
 赤く染まっているアブシンベル神殿は、日の出前に見たアブシンベル神殿とは明らかに違うものだ。
 同じように、アブシンベル小神殿も赤く染まっていて、こちらはちょっと「妖気漂う」という感じに見えた。


 そろそろ集合場所に向かおうかと歩いていたら、ツアーの方に「アブシンベル神殿を見に行きましょう!」と声をかけられた。
 年に2回だけナセル湖から昇る太陽の光が神殿の入口から真っ直ぐに射しこみ、一番奥にある4体の神様のうちの闇の神を除く3体を照らす。今見るとどういう風に照らされているのか、どうしても自分の目で確認したいとおっしゃる。


アブシンベル神殿内部 なるほど! ということで、神殿入口に向けて走った。砂地なのでかなり走りにくい。
 入口から覗き込んで「こういう感じなんですねー。」「あと2ヶ月でこの光が真っ直ぐ入るようになるのね。」などと話していたら、門番のおじさんが入口のラインを指さして、「ここから写真を撮っていい。」と言ってくれた。
 中に入らなければお目こぼししてくれるらしい。
 神殿内部は、灯りはついているものの暗く、ブレブレになってしまったこの写真でも、1月初旬では光はかなり斜めにしか入っていないことが判る。


 この後、集合場所までのダッシュは辛かった。
 7時15分くらいに空港に到着し、エジプト航空246便でアスワンに向かう。
 ツアーの方で、空港のお手洗いで普通の洋服の上に着込んでいたレインウエアを脱いでいる方がいらっしゃって、私も次はそういう風にしようと思った。いいアイデアである。
 空港までのバスの中でストッキングとフリースは脱いだけれど、スパッツを脱ぐのは難しく、かなり暑い思いをした。


 アブシンベルからアスワンに向かう飛行機も、左側の座席からアブシンベル神殿を見ることができるのではないかと思う。
 8時20分くらいにアスワンの空港に到着した。
 セキュリティチェックの面からいうと、アスワンの空港が一番厳しいようだ。他の空港ではあっさりと通ることができたのに、アスワンの空港ではアラームが鳴り、コートを脱いだりカイロや時計を外してみてもダメで、結局、係の女性のボディチェックを受けた。


ネフェルタリの本 アスワンの空港では乗り継ぎで1時間以上待ち時間があった。暇である。
 暇すぎて、お土産物屋さんが日本語バージョンをエンドレスで流していた「アブシンベル神殿の移転の過程を追ったビデオ」を何回も見た。
 お土産物屋さんもぶらぶらし、買おうかどうしようか迷っていたネフェルタリのお墓の本が売っていて、20エジプトポンドまで値切れたので購入した。
 意外とネフェルタリの墓に関する本は見かけなかったので嬉しい。


 9時40分搭乗開始の筈が、オーバーブッキングがあったようでなかなか動きがなかった。
 結局、各ツアーのガイドさん10人くらいを置き去りにしてエジプト航空346便が離陸したのは1時間以上たってからだ。
 この日のお昼はエジプト料理の予定だったけれど、時間も遅くなったし、エジプト料理のレストランは空港からだいぶ離れているため、ランチはホテル・メーヴェンピック内のチャイニーズレストランに変更になった。


 メニューはこんな感じである。
 これに、エジプトに来て2度目のマンゴ・ジュース(20エジプトポンド)をいただいた。


 スープ
 飲茶(春巻き、揚げ餃子)
 白身魚のフライ
 牛肉の炒め物
 野菜炒め
 イカとインゲンの炒め物
 炒飯
 フルーツ


 添乗員さんも心配して「いかがでしたか。」と何度も聞いてくれる。
 正直に言って、豚肉もラードも使えない中華料理はかなり厳しいと思う。


 昼食後、今日の半日だけガイドに付いてくれることになったナセルさんと顔合わせをし、バスはハンハリーリ市場に向かった。
 エジプトでは、小学校から英語を学び、中学校でフランス語も習い、さらに高校でもう1カ国語を勉強しなくてはならないそうだ。流石に観光立国である。
 来るときのエジプト航空機内で、フライト・アテンダントさんに「英語かフランス語で話せ。」と言われた意味がやっと判った。


 エジプトの失業率は今は20〜25%に達していて、その中ではやはり政府機関に勤めるか観光業に従事するのがいいと評価されている。
 ツアーの方で「大学まで出てガイドをしているなんて。」と言う方がいたけれど、やはり観光業従事者はエリートなのだ。


ハンハリーリ市場 そういった説明を受けているうちに、ハンハリーリ市場に到着した。
 元々の予定ではまず全員で香水瓶&香水のお店に行くことになっていたらしい。香水瓶と香油はアスワンで「ここよりももっといい」お店に既に連れて行ってもらったので割愛され、すぐにフリータイムとなった。
 もっとも、ほとんどエジプトポンドを使い果たしていた私は、本当に単なる「冷やかし」である。


 「サフランを買いたい」という方にくっついて、ナセルさんに香辛料屋さんに連れて行ってもらう。
 お安く購入できるということで、確かにたくさんの種類の香辛料やお茶が売られている。
 クミンやスターアニスも売られていていい香りだ。


 本気で買おうとしていない私はすぐに飽きてしまい、そぞろ歩きに戻った。
 アクセサリーを売りつけてくるお兄ちゃん達も、「No,thank you」の一言ですっと引き、それ以上しつこく言ってくることもない。しつこく言われるのも嫌だけれど、これでは張り合いがない。


 16時少し前に集合場所に行ったら、もうほとんどの方が集まってミントティーなど飲んで休憩されていた。
 そんなにしつこく絡まれなかったと話したら、全員に「そんなことはない。しつこくて大変だった。」と言われる。私はそんなにお金を持っていなさそうに見えたのかしらとちょっと複雑な気分だった。
 しかも、そういう会話をしている間にもネックレスを売りに来たお兄ちゃんがいて、やっぱり「No,thank you」の一言で撤退して行き、その場にいた方々に大笑いされた。


ナイル・ビュー


 少しゆっくりしてくださいと言われ、早めの17時にカイロ・コンラッドのお部屋に入った。
 ベランダに出るとナイル川を眺めることができる。ルクソールで見たナイル川と同じ川とは思えない。
 どうして下流の筈なのに川幅が圧倒的に狭くなっているのだろう?


 ハンハリーリに残ってもう少し街中を散歩したいという方もいらっしゃったけれど、ガイドさんに「ここからタクシーに乗るのは危ない。」と言われて断念したらしい。
 ナイル川べりまで散歩に行ってみようかとも思ったけれど、19時30分にはナイル川クルーズに行くために集合することになっているので、お風呂にゆっくり入り、部屋でのんびり過ごすことにした。
 もっとも、のんびりしていたら、ノックだけしてキャリーケースを廊下に置き去りにしたポーターさんが来たり、いきなりドアを開けてミネラルウォーターを配ってくれたおじさんが現れたり、不思議なことも起こったりした。


ナイル川クルーズ 「マキシム号」でナイル川クルーズに出発である。
 添乗員さんから「優雅な船ですので、ドレスアップしてください。」とアナウンスがあったし、ツアーの皆さんお洒落をしていて素敵だ。
 こういうとき、男の人はとりあえずスーツとネクタイがあれば格好がつくからいいよなぁ、と思う。


*ディナークルーズの服装
 黒の長袖シャツ(テロンとした素材のもの)、黒のストール
 黒のロングスカート、バレエシューズ


 これで髪をアップにして何とかごまかしたつもりだ。
 チェーンを持って行って、買ったばかりのカルトゥーシュのペンダントでもすれば良かったけれど、時すでに遅しだ。
 カイロの夜は意外と涼しくて、この格好では少し肌寒く、ツアーの方にカイロをいただいた。


前菜 ディナークルーズの船は、出航したことに気がつかないくらい静かに動き始めた。
 まずは、ディナーだ。
 夕食のメニューはこんな感じである。これに白ワインをグラスで(60エジプトポンド、流石に高い!)をいただいた。


 前菜 サラダビュッフェ
 メイン ビーフorチキンorフィッシュから選ぶ
      私が選んだフィッシュは白身魚のソテー
 デザート ナッツのアイスクリーム、コーヒー


 ビュッフェの前菜をみんなが取り終わってテーブルに着いた頃、ステージが始まった。
 最初はバンドが入って、ツアーの方のお話によるとエルヴィス・プレスリーなど1960年代の曲が多く演奏されていたらしい。


スーフィー・ダンス バンドの音楽に合わせ、スーフィー・ダンスと呼ばれる、男性がひたすら延々とくるくる回り続けるダンスが始まった。
 私が座った席は特等席で、ステージの真ん前だ。
 このダンサーは20分以上も踊り続けただろうか。ずーっとくるくると回りっぱなしである。目が回らないのか、こちらの方が心配になってしまう。
 頭の位置と向きを固定して、身体が一回転したら、頭を素早くくるっと回転させるのがポイントのようだった。


 ステージの最後はベリーダンスだ。
 肉惑的な美女というのはこういう人のことをいうんだろうなと見とれる。
 しかし、この美人ダンサーではなく、彼女が休憩兼衣装替えのためにホールから出ていくときに、ドア際で待機して彼女にさっと大きなタオルをかけてあげていた男の人になりたいと思った私である。
 そう言ったら、またもやツアーの方々に大笑いされてしまった。


 いつもだと、このスーフィー・ダンスとベリーダンスのときにダンサーのが各テーブルを回って記念撮影し、その写真を販売してくれるらしい。
 今日はカメラの調子が悪く、その撮影がなかったのが残念だ。
 5ドルだという話だったので、もし販売していたら買ってしまっていた気がする。


 約2時間のナイル川ディナークルーズが終了し、22時前にホテルに到着した。
 何だかとても疲れていて、明日は帰国だというのに何の片付けもせず、22時30分には寝てしまった。


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2008.08.13

110000アクセス達成!

 昨日、110000アクセスを突破していたことに、今日になって気がついた。
 アクセスカウンタは一番下の方にコッソリ設置してあるので、きっと110000アクセス目を踏んでくださった方も気がつかなかっただろうと思う。

 ちなみに、これまでの経過は以下のとおりである。
 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 20000アクセス 2005年11月16日
 30000アクセス 2006年3月30日
 40000アクセス 2006年8月1日
 50000アクセス 2006年11月22日
 60000アクセス 2007年5月16日
 70000アクセス 2007年9月6日
 80000アクセス 2007年12月28日
 90000アクセス 2008年3月14日
100000アクセス 2008年6月15日
110000アクセス 2008年8月12日

 遊びに来ていただいて、読んでいただいて、ありがとうございます。

 この10000アクセスに2ヶ月弱しかかかっておらず、驚いた。
 夏の旅行の前に、旅行記を読んでくださった方が多かったように思う。
 あまり参考になるようなことが書けずに申し訳ない
 どうぞ楽しんで旅行してきてくださるように。

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2008.08.12

オーロラ(カナダ)ツアーの申込書を送付する

 最初に空席照会をかけたときには、9月20日から5日間を目論んでいたのだけれど、その後、24日に仕事の予定が入ってしまった。
 その仕事の相棒にはGWに貸しがあるので、仕事は任せて旅行に出てしまおうかとも思ったのだけれど、正直に言って、そんなことをしたら後で何を言われるか判らない。
 イエローナイフ泊で申し込んでいたそのツアーを泣く泣くキャンセルした。

 「カナダでオーロラ」というテーマだけは決めていたのだけれど、行き先をイエローナイフとホワイトホースで迷っていた。
 イエローナイフの方が晴天率が高いのだけれど、郊外のオーロラビューポイントに移動しなければならない。
 一方、ホワイトホースは山がちな地形なので雲が出やすいというデメリットがある。けれど、ホワイトホース郊外のロッジに宿泊してその場でオーロラを見るというツアーがあった。これなら一晩中でも(粘ろうという意思と根性があれば)粘ることができる。

 そのロッジ周辺には本当にお店の1軒もないそうだ。
 これまでの経験からすると、何もない郊外に泊まるよりは街中に泊まって気軽にウィンドウショッピングをしたり町歩きをし、イベントもののために出かけるというタイプの旅行の方が楽しめると思っている。
 でも、今回に限っては、一人旅になるし、イエローナイフは国内線を2度乗り継がないといけないし、ただ湖畔を散歩したり本を何冊か持ち込んで読書三昧をする旅もいいかも知れない。あと、2食付きというのも魅力である。

 それで、8月7日に別の旅行社のホワイトホース泊のツアーに仮予約を入れた。

 それが、今日になって「エアカナダからダブルブッキングしているという連絡があった」というお知らせが入った。
 もう、とっくに最初の旅行社からは「キャンセルしました」という連絡が入っていたのに、おかしい。
 ダブルブッキングしていると、発券しない限り両方キャンセルという憂き目に遭う可能性もあるのだという。
 早くも、再び、私の海外脱出は風前の灯火になっているのだった。

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2008.08.03

エジプト旅行記5日目その2

2008年1月4日(金曜日)


セティ・アブシンベルのお部屋ホテル・ガーデンとナセル湖


 セティ・ファーストは、コテージ風になっていて、なかなか可愛いお部屋である。
 ナセル湖に向かって窓が開いており、テラス風になっていて椅子も置かれている。ブーゲンビリア越しにナセル湖をのんびり眺めるのも優雅そうでいいけれど、水辺のために虫が多いという。
 もうすでに16時近かったこともあり、お部屋に荷物を置いてすぐアブシンベル神殿の観光に出かけた。ホテルから神殿まではバスで10分くらいである。


姿を現したアブシンベル神殿 お土産物屋さんが並び、なかなか売り込みの激しい中を歩いて、アブシンベル神殿に向かう。
 チケット(70エジプトポンド)をちぎってもらい、セキュリティチェックを抜けると、砂の中を歩く近道(?)と、最近整備されたという歩きやすいけど遠回りの道とがあった。
 ハニーさんに従って砂のちょっと歩きにくい道を歩くこと少し、岩山をぐるりと回った、その岩山がアブシンベル神殿だった。
 ハニーさんが「世界の七不思議を決めたときにはまだアブシンベル神殿は発見されていなかったので選ばれなかった。もし発見されていたら絶対に七不思議の一つに数えられていた筈だ。」と言い切る遺跡である。


 このアブシンベル神殿と小神殿を造ったのは、言わずと知れたラムセス2世である。
 97歳まで生きてエジプトを67年に渡って支配したというこの王様は、アブシンベルの地で生まれた王妃ネフェルタリを溺愛したことでも知られている。また、このアブシンベル神殿を見ても判るように、自己顕示欲の塊のような人物だ。
 でも、このアブシンベル神殿は、金山で働いていた人々の雇用を守るために造らせたというから、なかなか自己顕示欲だけの王様でもなかったらしい。


 ハニーさんによると、フランスの「エジプト記」という本には、小神殿を見た人が帰り道で大きな岩を見つけ、それが実は砂にたっぷりと埋もれていたアブシンベル神殿のラムセス2世の像の頭部分だったと書かれているそうだ。
 アブシンベル神殿発見の瞬間である。


 砂の取り除き作業などに四苦八苦しているうちにアスワンハイダム建設の話が進み、この遺跡はナセル湖の湖底に沈みそうになる。
 そこでユネスコによって移転計画が始まった。
 元々が山の中の一枚岩をくりぬいて造った神殿を移転させるのは難しい話で、各国からアイデアを募った結果、コンクリートでドームを作り、神殿自体はブロック状に切り離して移転させようというイタリア人の提案が採用され、5年をかけて実施された。
 私にはこの「ブロック状に切られた跡」を確認することはできなかった。このときに使われた接着剤は日本製で、エジプトのアブシンベル神殿でも日本製品の優秀さが証明されたというものだろう。


アブシンベル神殿左アブシンベル神殿右 アブシンベル神殿大神殿の正面にいるこの4体の像は、いずれもラムセス2世である。
 左から2番目の像に顔がないのは、彼が呪われて破壊されてしまったわけではなく、紀元前にあった地震で崩れてしまったそうだ。どちらかというと、その他の部分が崩れていないことの方が驚きである。
 しかも、全体がデカすぎて実感がないながら、この像はそれぞれメムノンの巨像とほぼ同じ大きさだという。


 真ん中の上の方に小さく彫られているのは、ホルス神だ。
 その「神」と比べて自分をこれだけデカく、年代順に作らせるなんて、やっぱりどこかラムセス2世という人は常軌を逸している。
 古代エジプト人の縮尺は間違っているとずっと思ってきた。その最高峰がアブシンベル神殿で、これほど縮尺がおかしい遺跡は他にない。


 アブシンベル神殿でも内部での写真撮影及びガイドさんによる説明は禁止されていて、一通りの説明を受け、全員で集合写真を撮った(10ドル)後でフリータイムとなった。
 ここにアップした神殿内部の写真は、みな、この集合写真のおまけでもらった写真をスキャナで撮ったものである。
 それにしても、フリータイムが1時間もないなんて短すぎる。


捕虜のレリーフ まずはアブシンベル神殿に向かった。
 入口ぎりぎりのところにあるこのレリーフは、ラムセス2世が戦争に勝ち、連れてきた捕虜達を描いたものだ。
 この神殿はラムセス2世の生前に作られたものだ。それなのに、何故かラムセス2世がときどき両腕を交差させた「死者」のポーズを取っているのが不思議だ。
 大列柱室のど真ん中にいるラムセス2世は、きちんと左足を前に出して立つ「生者」のポーズである。


 神殿内の壁画は、自らの権威と力を見せつけるためか、戦争を題材にしたものが多い。
 戦車に乗ったラムセス2世は何故か千手観音のような姿で描かれている。これは、強さと速さを表しているそうだ。
 また、リビア人の捕虜を打ち据え、足で踏みつけているラムセス2世の壁画もある。これが思いっきり顔を正面から踏みつけていてえげつないことこの上ない。


 スパイを拷問している絵もあれば、スパイを問いつめるための戦争会議の様子の絵もある。後者の絵では、ラムセス2世だけが、座っているくせにやたらと大きく描かれている。
 捕虜を引っ立て、騎乗して凱旋するラムセス2世の乗馬の足元に馬よりも遙かに小さくライオンが描かれていたりする。
 要するに「ラムセス2世は戦争になったら(勝ったら)容赦ない男である」ということをあの手この手で表している。


足で踏みつけているラムセス2世凱旋するラムセス2世


 大列柱室を通り抜けた一番奥の至聖所には、4体の神が座っていた。
 右から、ラー神、生き神様になったラムセス2世、アメン神、プタハ神である。
 闇の神であるプタハ神の像は必ず頭が壊れた状態にされており、その理由はまだよく判っていないらしい。
 アブシンベル大神殿では、2月と10月に真っ直ぐにこの至聖所に光が差し込む日がある。その日であってもプタハ神は闇の神であるために陽の光が当たらないようにされている。
 ロマンとか神秘とかというよりも、その執着が恐ろしい。


アブシンベル小神殿 時間に余裕があったらもう1回来ようと決めて、隣のアブシンベル小神殿に向かう。
 王妃ネフェルタリとハトホル女神に捧げられた神殿で、正面には「ラムセス2世、ネフェルタリ、ラムセス2世、入口、ラムセス2世、ネフェルタリ、ラムセス2世」の順番で10mの高さの像が並んでいる。
 アブシンベル神殿では、ラムセス2世の足元に膝までの半分もないくらいの大きさで刻まれていたことを思えば王と王妃が同じ大きさになっているだけでも進歩(?)だ。とはいえ、どうしてネフェルタリのための神殿でラムセス2世の像の方が数が多いのだろうと思う。


ネフェルタリと女神ハトホル女神 小神殿の中のレリーフは全体的に色が残っていて綺麗である。
 描かれている題材も、ラムセス2世が拷問をしていたり、ラムセス2世の戴冠式の様子が描かれた壁画がありつつ、基本的にはネフェルタリが楽器を演奏していたり、パピルスを持っていたり、捧げものをしていたりする。
 穏やかな日常の風景だ。


 この小神殿で不思議だったのは、列柱室の柱に浮き彫りでレリーフが作られていたことである。浮き彫りを見たのはここだけだったと思う
 ラムセス2世は、消されたり上書きされたりしないように「深く」彫らせたという話を聞いたし、概ねレリーフは掘り下げて作られていたと思う。


 規模が小さいから明るい感じがするのか、レリーフの題材が「戦争」ではなく神との関わりの部分が大きいからなのか、アブシンベル小神殿は、大神殿よりもずっと落ち着ける空間だった。
 その居心地の良さに小神殿でのんびりしてしまい、あっという間に集合時間が来てしまった。
 かなり冷たくて強い風が吹きつける中ダッシュする羽目になった。もう1回大神殿に行けなかったのが心残りだ。


 エジプトに行く前に友人から「アブシンベル神殿の入口に大きな鍵が刺さっていて、それを持って記念撮影ができるよ。」と教えて貰っていた。アブシンベル神殿のあまりのデカさに呆然としていてすっかり確かめてくるのを忘れたのが心残りである。
 いくら何でも入口に大きな鍵があったら気がつくと思うし、その鍵を持って記念写真を撮っている人がいたら絶対に気がつくと思う。年末年始は鍵もお休みだったのだろうか。


ナセル湖の夕焼け 小神殿から集合場所の入口までダッシュしていた途中、ナセル湖に落ちる夕陽がとても綺麗だったので、つい立ち止まって写真を撮った。
 ギリギリ集合時間には間に合ったと思うけれど、お待たせしたみなさんに申し訳ないことである。


 17時30分くらいにホテルに戻った。
 この日は同じ旅行社の関空発ツアーの方々や、他の旅行社のツアーも来ているので、2回目の「音と光のショー」のメイン音声が日本語になりますと説明があった。
 日本人客が少ないとスピーカーで流される音は英語やフランス語になり、イヤホンで日本語の案内を聴くことになるというから、まずは目出度い。
 ただし、その日本人観光客のほぼ全員がこのセティ・アブシンベルに宿泊しているので、音と光のショーから帰って来てからだとお湯が出なくなる可能性が高いと注意があった。
 ひとまず解散である。


 ホテルにあるプールサイドから見えたナセル湖上の夕焼けも、とても綺麗だった。
 ルクソールの夕焼けはピンク色、アブシンベルの夕焼けはオレンジ色だった。


*この日の(ここまでの)服装
 白の長袖Tシャツ、赤のチェックの長袖シャツ、カーキのカーゴパンツ


 アブシンベル神殿の音と光のショーに出かける集合時間が19時30分である。
 お部屋にあったドライヤーがかなり強力だったので、ハニーさんの忠告に従って、出かける前にお風呂に入った。
 かなり冷えると聞いたので厚着をし、夕方の湖からの風が強くて冷たかったので、湯冷め防止も兼ねて髪にバンダナを巻く。


 アブシンベル神殿に到着すると、第1回の音と光のショーの邪魔をしないように、そして足元が確かなように、遠回りだけれど整備された遊歩道を行くように誘導された。
 座席の左半分に日本人が集まり、右半分はイヤホンが設置されているようで外国の方々が陣取っている。集まったといってもガラガラで、私は動きやすいように後方の端っこの席に陣取った。


 明かりが消え、20時少し前にアブシンベル神殿の音と光のショーが始まった。
 アブシンベル神殿の大神殿と小神殿の両方をスクリーンに見立て、遺跡のライトアップはもちろん、ラムセス2世の生涯を語るストーリーに合わせてそこに様々な絵を流すという趣向だ。


ユネスコの遺跡移動事業 ラムセス2世の生涯を語っているのは、ラムセス2世とその王妃であるネフェルタリである。
 だから、ユネスコによるアブシンベル神殿の移動事業について語られるときは、「我々の子孫が・・・」という風になるのが何となく可笑しい。
 しかも、これがかなり低音のいい声だ。


ワインを捧げるネフェルタリ もっと可笑しかったのは、日本語のどちらかというと優しげな声で、ネフェルタリがラムセス2世に向かって「ファラオ様」と呼びかけていたところだ。
 うーん。何だか違う。可笑しい。
 本当に「ファラオ様」と呼んでいたのだろうか。


 観客席はアブシンベル神殿の大神殿と小神殿の両方を見渡せる位置に作られていて、もちろん大神殿全体をスクリーンに見立てたショーも展開される。
 この頃には席に座ってなどおらず、ちょうどそばに塀があったのでその横に立ち、カメラを塀の上に置いて固定し、写真を撮りまくっていた。
 おかげで、どんなストーリーが展開されていたのか全くといっていいほど記憶にない。


女神たち? だから、この4人の女性もラムセス2世の王妃達なのか、王女達なのか、ラムセス2世が信仰していた女神たちなのか、それとも全てがネフェルタリの姿なのか、さっぱり判っていない。
 一人ずつ闇に白く浮かんで行く姿が綺麗だったことだけ、はっきりと覚えている。


貿易の図、かな アブシンベル神殿の音と光のショーは、スライドショーではなくて動画のショーだったし、途中でデジカメの動画機能を使って撮ろうとチャレンジした。
 残念ながら真っ暗にしか写らず、どうやって調節すればいいのか暗い中で試行錯誤するのは難しくて断念した。予め設定しておけば良かったと思う。
 動画で撮れば音声も入ったから、かなり臨場感溢れる状態で残せたと思う。


 約30分のショーが終わって、パーッと明るい光で照らされたアブシンベル神殿大神殿の姿がとても綺麗で印象的だった。


夕食 昼間はお土産物屋が並ぶ通りを出たところまでしかバスが入れなかったけれど、夜は一番奥まで送迎のバスが入っていいことになっている。
 神殿とホテルが近く、21時過ぎには夕食を食べ始めることができた。
 ビュッフェ形式で、普通の洋食という感じである。
 かなり冷えていたから、温かいスープが美味しい。
 このときに「火の通った野菜はあった?」と聞かれて、ツアーのみなさんが生野菜を食べないように注意していたことに初めて気がついた。


 ツアーの方の中に、音と光のショーに行く前にかなり熱めのお湯をバスタブに張っておいたという方がいらっしゃって、なるほどと思った。
 戻ったときにも、お湯が極端に冷めていたり、栓が緩んでいてお湯が抜けちゃったりということはなかったそうだ。
 そこまで頭が回らなかった私は、なるべく手早く荷物を片付けて、22時30分くらいに就寝した。
 水辺だから蚊が多く、朝までに何回も目が覚めてしまった。


*音と光のショーでの服装
 赤のタートルネックシャツ、赤のチェックの長袖シャツ、白いフリース、赤いコート
 6分丈のスパッツ、カーキのカーゴパンツ


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2008.08.02

オーロラ(カナダ)ツアーの空席照会をかける

 ぎりぎりまで粘ろうと思っていたギアナ高地ツアーだけれど、流石にキャンセル料が発生するタイミングとなり、仕事の予定が変わる見込みも全くなかったので、旅行社にキャンセルの連絡をした。

 悔しい。

 あまりにも悔しかったので、短期間でも近場でもいいので、いかにも「大自然」という旅行ができないかと考えた。
 短期間で行けて、「大自然」がテーマで、一人でも催行されるツアーがある行き先として思い浮かんだのが、カナダでオーロラを見るというコースである。

 この時期、あまり「オーロラ」というイメージはないけれど、「春分の日と秋分の日の周辺はオーロラが出やすい」「ブレークアップが見られやすい」というのは知られた話である。

 それでも、日照時間とオーロラの出現時間との関係で、北欧ではまだツアーはそれほど多く開催されていない。
 「観光のついでにオーロラも見られるかも知れません」という感じになってしまう。

 前回、「次に行くときは気合いを入れてオーロラを見る」と決心していたので、行き先をカナダに絞って空席照会をかけた。

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