箱根旅行記1日目
2008年8月20日(水曜日)
新宿駅10時発の 小田急ロマンスカーで箱根に向かう。
夏休み中とはいえお盆も過ぎた平日である。閑散とはしていないまでものんびりムードなのではないかと期待していたらとんでもない。最新型の車両で停車駅も少なく、箱根までの所要時間が短いということもあって、10両編成のその電車は満席だった。
前回、母と行った伊勢旅行は行きの船から大揺れだった。今回は雨に降られることはなさそうで、お天気はなかなかよい。
小田原駅で意外に人が降りるなと思っているうちに、11時25分、箱根湯本駅に到着した。
まずは、荷物をキャリーサービスに預ける。駅で12時までに預けると、15時以降に箱根各地のホテルに届けてくれるサービスである。
荷物1個が600円(クーポンを使用して500円)なので、私のボストンバックに母の荷物を入れて一つにまとめ、山のホテルまでの配送をお願いした。
これで、二人ともショルダーバッグ一つで身軽になった。
箱根湯本駅から塔ノ沢方面に少し歩き、「ちもと」の角を左に曲がって橋を渡った右側にある「知家茶家」でお昼を食べることにした。
食べることにしたといっても、私の勝手なセレクトである。
それにしても、暑い。母の日傘は正解である。
箱根は涼しいと私に吹き込んだのは誰だったのか。
「知家茶家」では、二人とも「豆腐点心(1850円)」を頼んだ。
献立は、わさび味噌奴、早雲豆腐、とうふステーキ、ごはん、吸い物、香の物である。
母と、このたれには何が入っているのか、家で作るにはどうしたらいいか等々とあれこれ推理し合う。
「わさび味噌奴」は、冷たいお豆腐にわさびとお味噌とゴマペーストで作ったたれをかけてある。家でも似た感じに作ってみようと思う。
この写真の「早雲豆腐」は、温めたお豆腐に、すり下ろしたとろろを具の入っていないお味噌汁で伸ばしたものをかけ、海苔と葱を散らしてあるようだ。
ちょうど山いもの粉の買い置きがある。こちらも、味はともかく、家で真似して作ってみることはできそうである。
母は豆腐ステーキが一番気になったようで、「これ、お豆腐は温めるだけで焼かなくてもいいわよね。」と言い出す。例えば湯通しして温めるだけでは、焼き目もつかないし、香ばしくならないし、美味しさが一段下がるような気がする。
豆腐ステーキと一緒にごはんとお汁とお新香も出され、お皿に残った早雲豆腐のとろろもごはんにかけてしっかり綺麗にいただいた。
駅に戻って、12時39分発の箱根登山電車に乗り込んだ。
今回は箱根フリーパスというチケット(5000円)を買ってあり、小田急系列の乗り物は全て乗り放題である。
3両編成(だったと思う)の電車は意外と混んでいて、何とか二人分の席を見つけて腰を下ろす。
箱根登山電車といえば、やはり沿線のあじさいが有名だ。残念ながら、すでにその紫陽花は茶色くカサカサに枯れ、もの悲しい気分になる。
スイッチバックを繰り返して急坂を上る電車は、「確かに上がっている」という感じが楽しい。
大平台だったか上大平台信号場(多分こっちだと思う)から見えた出山鉄橋の景色が気持ちいい。
こんな景色のいい場所でスイッチバックするように作るなんて、箱根登山電車もなかなか策士である。紅葉の時期にはきっとさらに見事だろう。
強羅で13時23分発のケーブルカーに乗り換える。
これまた大混雑で、とても座るどころではない。満員電車並みである。
登山電車では観光案内のテープが流れていた。ケーブルカーは停車する度に両側の扉が開き「行きたいところがある方のドアから降りてください。」というアナウンスが何度も流れる。なかなか楽しい。
ケーブルカーは短くて、すぐに早雲台に到着した。ほっとする。
ケーブルカーの改札を出た前方の壁に水彩画の絵はがきが貼ってあった。一目惚れして、箱根の四季を描いた色々な場所と季節が描かれた絵がセットになったものを買い求める。8枚入りで800円だから、お安くはない。
ケーブルカーの改札のおじさんに頼んで買うところが、また呑気といえば呑気である。何しろ、おじさんが絵はがきを取りに事務所に行っている間、改札は無人だ。
大涌谷に行くロープウエイに乗り換えた。
このロープウエイは、ひとつひとつの籠が大きいし、ほとんどガラス張りになっていて景色がよく見えるし、なかなかの優れものである。
そして、濃い緑を眺めながらの空中散歩と洒落込んでいたら、一山越えていきなり景色が変わって驚いた。演出効果抜群である。
同じ籠に乗っていた小学生くらいの女の子が、「おじいちゃんは大涌谷で待っていて、私とママともう一往復してこよう。」と言っているのが可愛らしい。よっぽどこの景色と「ぐうん」という感じが気に入ったようだ。
母の言うところによると、大涌谷には家族で来たことがあるらしい。ただ、家族旅行といえば車だったので、ロープウエイには乗ったことがないという。
そんな、想い出の場所かどうか微妙な大涌谷は、2008年8月には、(推定)韓国からのツアー客と(推定)中国からのツアー客に占拠されていた。
見た目ではほとんど判らないけれど、聞き取れない言葉が一帯に溢れている。
(推定)韓国から来た女の子二人組の写真を撮ってあげたり(フィルムカメラを使うのが久しぶりだったのでできあがりが不安である)、「北京オリンピックに行かずに箱根に来ていていいのか?」と疑問に思ったりする。
大涌谷は箱根ロープウエイで一番高いところにあるから涼しいだろうと期待していたら、日陰がないせいか、そばでボコボコ言っているせいか、かなり暑い。
階段を汗だくで上り、玉子茶屋で黒玉子を購入する。
これも、母には想い出の味だったらしい。
ばら売りはしておらず6個500円のセット販売のみである。それが、飛ぶように売れている。一体、1日の売り上げはどれくらいなのだろう。
黒玉子の案内板によると、まず80度の温泉に玉子1時間くらい浸けておくと次第に黒くなる。
その後、95〜100度の蒸し窯(これも当然に温泉を利用している)に入れ、10分くらい最後の仕上げをする。時間がたつにつれて玉子の黒さは色あせてくる。
真っ黒になった玉子の殻を剥き、「やっぱり何だかちょっと違う味がする」などと思いつつ、付いてきた塩をつけて母と一つずつ食べ、残りはおやつに持って行くことにした。
時間に余裕があれば今日のうちに成川美術館に行ってしまおうと思っていたけれど、この時点で14時30分近い。
それなら、美術館は明日ゆっくり行くことに決め、芦ノ湖に向かうロープウエイの次の駅である姥子まで、大涌谷湖尻自然探勝路を歩き始めた。ずっと下り坂だし、1時間強くらいで歩ける筈である。
この探勝路は、ときどき階段もありつつ、ほとんどが土の坂道だ。雨のすぐ後はかなりぐちゃぐちゃになりそうだけれど、概ね歩きやすい道である。
歩いている人がほとんどいないせいか、芦ノ湖が雨水だけで湛えられているくらい雨の多い土地柄のせいか、道ばたの杭や石などにはびっしりと苔が生えている。
そして、この苔がまた綺麗だ。
暑さを心配したけれど、コースの始めの方にあった噴煙地を過ぎた辺りからはずっと木立の中を歩くことができ、かなり涼しい。
恐らく、湖から吹き上がってくる風も抜けているのだと思う。快適に歩ける。
母は草花が好きだから、こんな小さい花にも気づくらしい。
鳥の鳴き声を気にしたのも母が先で、確かに変わった可愛らしい感じの鳴き声がずっとしている。私の場合は「鳥が鳴いているなぁ」以外の感想は浮かばない。母はずっと目でその鳥の姿を探していたらしい。
結局、案内板の絵と、遠目に見えた姿と茶色い羽根色から「ミソサザイ」だろうと当たりをつけた。
恐らく食い意地が張っているせいで、この野いちごだけは、私が発見する方が早かった。毒々しくも美味しそうな色をしている。
流石に食べてみるのは自粛した。
足元に落ちていた赤く色づいた葉から本当に枝先の一部だけ色づいた紅葉を見つけたのは母である。
やはりこのコースも、紅葉の時期にのんびり歩くのに向いているようだ。
案内板等がなかったので由来は不明だけれど、弘法大師が硯代わりに使ったという硯石がコースの途中にある。
特に看板もなく、道から外れて少し覗き込むようにしないと見えない。ひっそりとした見どころだ。
この辺りで家族連れに追い抜かれた他は人に会うこともなく、1時間弱でロープウエイの姥子駅に到着した。
姥子駅に着く少し手前、小高くなった場所のてっぺんに船見岩という岩があった。
その岩に上がると、芦ノ湖が見えるという。
岩に上がって芦ノ湖方面を見てみたところ、当時よりも成長しつつある木立などに視界を遮られてしまい、芦ノ湖の水面がほんの少し見えるだけだった。残念である。
姥子からロープウエイに再び乗り込み、あっという間に芦の湖畔の桃源台に到着した。
下り坂をずっと歩いたし、山歩き用の靴ではないので、足が痛い。特につま先に負担がかかっていたらしく、「もしかして爪が変色しちゃったかも」というくらいの痛さである。
桃源台からは、海賊船に乗って箱根町に向かった。
15時40分発の海賊船は、確か「ヴィクトリー号」だったと思う。待っていた20〜30人が余裕で乗って座ることができた。
もっとも、私が座っていたのはほんの少しの間だけで、ほとんどの時間はデッキで風に吹かれて写真を撮りまくった。
ずっと席にいた母によると、赤いコートを着た海賊(の扮装をしたお兄さん)が船内を巡って「一緒に写真を撮りませんか。」と勧誘していたらしい。
流石、海賊船である。
出航してすぐ左に見え始めたこの鳥居を、私はずっと箱根神社のものだと勘違いしていた。
桃源台からそんなに近くに箱根神社があるはずもない。
帰宅してからガイドブックなどで調べ、九頭竜神社の鳥居と見当を付けた。
九頭竜神社は縁結びに霊験あらたかな神社だそうで、友人から「お参りした方がいいですよ。」と言われていた。船上からでもお願いすれば良かったけれど、後の祭りである。
海賊船は、30分くらいで箱根町港に到着した。
そういえば、湖であっても「港」と呼ぶらしい。芦ノ湖では「桃源台港」「箱根町港」「元箱根港」と全て「港」と呼んでいたように思う。
箱根町港で10分くらい停まっていた間、箱根関所跡にたくさんの人が入っていき、出てくるのが見えた。
やはり定番かつ人気の観光スポットなのだろう。
私たちはそのまま元箱根港まで行き、下船した。
元箱根港にはホテルの送迎のバスが来る筈だ。まだ16時30分くらいだったので、箱根神社にお参りし、そのまま山のホテルまで歩くことにした。
湖畔に沿って10分も歩かないうちに箱根神社に到着する。
箱根神社といえば、やはり湖上に立つ平和の鳥居である。
お参り前にくぐらなくてはと思って湖畔まで階段を降りたけれど、鳥居をくぐるには水中に入らなくてはならないらしい。
宮島とは違って潮の満ち引きはないし、最初からくぐることは予定していないようだ。
矢立の杉と名付けられた立派な杉の木の横を通り、鳥居を二つくぐりつつ階段を上がり、本殿に向かう。
元箱根港近くにある一の鳥居から考えると、もの凄く長い参道ということになる。
本殿の周りは特に、湖畔にあるのに開けた感じのしない、不思議な神社さんである。
お隣に九頭竜神社の新宮がお祀りされていて、そちらにもお参りする。こちらの境内にある龍神水は、口に含むと一切を浄化してくださる有り難いお水だそうだ。少しだけいただいた。
帰りは宝物殿の方から階段ではなくゆるやかな坂道を下る。
箱根登山電車の辺りでは茶色くカラカラに枯れていた紫陽花も、芦の湖畔まで来るとまだ蕾も残っている。品種が違うのかも知れない。
坂を下りきったところに、「けけら木」が安置されていた。
「けけら木」は、芦ノ湖の湖底に沈んでいた化石化した木で、昔は伊豆・駿河・相模の三国の国境とされていたそうだ。
それが2007年の台風で湖面に浮かんで来たため、箱根神社に遷したという。
再び湖畔に降り、石畳のような少し暗い散歩道を歩いて、山のホテルへ向かった。
17時30分くらいに到着し、チェックインする。箱根湯本駅で頼んだ荷物を受け取り、お部屋に入った。
フローリングの床の、落ち着いたお部屋である。1階だったので芦ノ湖が見えないのが残念だ。
夕食の予約は直接電話でしてくださいとフロントで言われていた。早速電話すると、「18時30分からは一杯ですが、18時15分からならテーブルがあと1つ空いています。」というお返事で、その時間で洋食をお願いした。
母は相当にお腹が空いていたらしい。「甘いものが欲しい。」と言う。どこかで何か調達しておけば良かった。黒玉子しか持っていない。
母は、「今日はおやつにゆで卵しか食べていないからだわ。」と言うけれど、お昼にごはんをお茶碗に半分くらいも残していたせいだと思う。
ハーブで香りをつけたグリーンティのティーバッグが用意されていて、それを飲んでひと休みしたら、もう夕食の時間になった。
いただいてきたメニューと私の記憶によると、今夜のコースはこんな感じである。
アミューズ 鶏肉とキノコのテリーヌ
前菜 穴子と十五穀米のマリアージュ 夏野菜の彩りを添えて
スープ ジャガイモのポタージュスープ
メイン 仔牛の香草パン粉焼き ソースボロネーズ または
真鯛のバプール セロリの香る白ワインとバターのソース
デザート オレンジのコンポートとカシスのシャーベット
コーヒー または 紅茶
メインはお肉とお魚から選べ、母はお魚にしていた。
お魚はセロリのソースだったので、私には絶対に食べられないと断念した。サーブの方は「苦手な食材などございましたら。」と言ってくれたけれど、ここで「セロリが苦手です」と言われても、レストランとしても困るに違いない。
メインに合わせ、母は白ワインを、私は赤ワインをグラスでいただき、ほわーんとなった。
かなりゆっくりといただいたようで、ギフトショップを少し覗いて部屋に戻ったら、もう20時を回っていた。
つい、テレビで北京オリンピックを見てしまう。
卓球の福原愛選手も、女子ソフトボール準決勝の対オーストラリア戦も、野球の予選の対アメリカ戦も、いい試合というか、手に汗握る試合をしていて目が離せない。
野球が一段落したところで、温泉に入りに行った。
温泉に行く専用エレベータがあって、そちらは浴衣とスリッパで行くことができるのが有り難い。
また、バスタオルやタオル、アメニティなども全部大浴場に揃っていて、ほとんど手ぶらで行くことができる。
お風呂に入る度にタオルを替えられるのはかなり贅沢だと思うし、嬉しい。
みんなオリンピックを見ているのかしばらく貸切状態で、のんびりと露天のジャグジーを満喫した。よくよく、ふくらはぎをマッサージする。
後からいらした方は、山のホテルをよく利用されているとおっしゃっていて、陽が落ちた後の薄明るい時間帯に外に出たら、富士山のシルエットが見えたと教えてくださった。
夏は朝と夜にしか富士山を見られないことが多いそうだ。明日の朝は早起きしようと心に決める。
仕上げに、マッサージチェアであまりの痛さに悲鳴を上げつつ全身をほぐした。
22時過ぎに部屋に戻ったら、ちょうど野球が9回を迎えるところだった。
母と二人、お茶を煎れ、黒玉子を夜食代わりにいただきつつテレビに見入る。
23時前に就寝した。
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