香港旅行記2日目その1
2009年2月9日(月曜日)
6時に起床し、昨日買ってきたパンと持参したコーヒーで朝食にした。
7時15分に1日市内観光の迎えのバスがやってきた。私たちが泊まったホテルが一番町はずれにあるようで、バスには誰も乗っていない。正確には、ガイドさんと、正体不明のおじさんが乗っていて、このおじさんは後にカメラマンだと判明した。
その後、4軒のホテルを回り、私たち二人を含めて総勢14人で出発した。
最初に向かったのはビクトリアハーバーだ。スターフェリー乗り場である。8時に到着する。
スターフェリーに乗ってしまえばあっという間に香港島に到着する。それではここまで私たちを乗せてきてくれたバスが向こう岸にたどり着けない。九龍半島と香港島とを結ぶトンネルは慢性的に渋滞しているらしい。
集合が朝早いこともあって、ここで朝食を食べたい人は食べてください、写真を撮ってくださいと言われた。
お姉さんと二人でカメラマンのおじさんを避けまくり、昨日見たランタンの物語絵巻の方に行ってみたら、昨日は気がつかなかった説明板が出ていた。
説明板は中国語と英語の両方で書かれていた。中国語を嗜んでいるお姉さんは漢字を読もうとし、私は英語を読もうとするということが判って何だか可笑しい。
説明板を適当に読んだ私の適当な理解によると、ランタン祭のテーマはモンゴルを舞台にした中国の古い恋愛小説の名場面のようだ。
20分くらいの自由時間の後、ガイドさん曰く「日本の丸の内のイメージ」だというセントラル行きのスターフェリーに乗り込んだ。
対岸には「今のところ」香港で一番高いというビルがそびえている。
先回りしていたバスに乗ってピークトラムに向かう途中、イギリス時代の古い建物(国会議事堂だと聞いた記憶である)を壊さないのは、銀行など周りの建物の風水が悪くなってしまうためだという説明があった。
そんなところにまで「風水」が生きていることに驚く。
ピークトラムは、てっきり一番下からビクトリアピークまでノンストップで上がると思っていた。途中に駅があり、乗降客がいる場合には停車する。
「丘」はどこであっても高級住宅街になる運命のようで、その昔、この辺りはセレブな方々御用達の場所だったらしい。
もっとも、現在では、香港という街の「セレブ」な中心は他の地域に移っているそうだ。
上りのピークトラムに乗る場合には進行方向右側に座るのが鉄則だ。そうすると、かなり上がった場所から、こんな景色を望むことができる。
ピークトラムはかなりの急勾配で、左側に座ってしまったために立ち上がってこの写真を撮った私は、立っている間、膝の裏側でベンチ式の椅子の座面を利用して全体重を支えることになり、その後しばらく痛がる羽目になった。アホである。
ビクトリアピークに到着し、有料の展望台は避けて、獅子亭と呼ばれる一角に向かう。
展望台よりも若干高さは下がるものの、それでもこれだけの眺望が開ける。
ガイドさんによると、3月に入って暖かくなってきたのでガスが出るようになっており、くっきりとした景色を眺めるには12〜2月の寒い時期が適している。
それでも、昨日まで旧正月のお休みだった分、空気が若干澄んでいたのだと思う。
私がうろちょろと写真を撮ったりお手洗いに行ったりしている間に、お姉さんは、ピークトラムの車体を利用した観光案内所に行き、「香港公式ガイド2009」という無料のガイドブックを手にしていた。
その辺りに並べてあった訳ではなく、彼女が地図などなどを集めていたら、係らしき人がどこかの棚からわざわざ出してきてくれたらしい。
流石である。
再び私たちを追ってきたバスに乗り込み、ビクトリアピークを反対側に降りてそのままスタンレーマーケットに向かった。
今日が旧正月明けのため、10時少し前という今の時間帯は重役出勤の方々で大渋滞だ。
バスの中では、2月10日の0時43分に月蝕があり、2月9日の中国のバレンタインデーと重なっていて目出度いこと、中国では緑色は「守る」ことの象徴であり、赤は「幸せ」の象徴で、だから花嫁さんは赤いチャイナドレスを着ることが多いことなど、占いや伝統といった方面の話が多かった。
手相の話では、掌と指を比べて指が長い人はリーダーシップを発揮して人に命令することに長けており、掌が長い人は自分で動く方が適していると聞いた。お姉さんは前者、私は後者だったことに納得する。
また、今向かっているスタンレーマーケットに花文字の達人がいるという話から字画の話になり、総画数が10画の人は運気が上向きになり、13画の人は下向きであるなどという話も出る。
ここまで力強く語っておいて、最後には「こういうことを信じて守ることで、安心できる。」とやけに達観したことを言うガイドさんが可笑しい。
ガイドさんのセールストークに負け、スタンレーマーケットに到着して「花文字」のお店に案内されて、書いてもらうことに即決した。
何しろ、私もお姉さんもここのところ主に仕事運というか職場運に見放されている。
今注文して、帰りまでに完成すればその場で渡してくれるし、間に合わなければホテルに届けてくれるという。
自分の名前を一番小さいサイズで書いてもらうことにした。120香港ドル(額付き)である。
名前をメモに書いて渡すと、その「字」を見て、足りないところを補うように蝶や鳥やハードなどの模様を書き足してくれるという。また使う色にも意味があるそうで、できあがりが楽しみだ。
注文を終えると後は10時50分まで自由行動と言われた。
特にお買い物の予定のなかった私たちはマレーハウス方向に散歩に出た。
しかし、この「マレーハウス」は謎である。
石造りのちょっと見は博物館のような建物で、何がどう観光名所なのか今ひとつよく判らない。中に入ってみれば、数軒のレストランがテナントとして入っている。
後でガイドブックを見たら、この建物は元々はセントラルにイギリス人将校の住まいとして建てられたもので、2001年にこの地に再建されたそうだ。
また、2005年11月にはこの建物の一部を使って海事博物館がオープンしたそうで、ぱっと見の印象もそれほど外れたものではなかったらしい。
その後で行ったレパルスベイは、「治安が悪い」という印象しかない。
ガイドさんがここだけやけに重点的に「注意してください。お財布は持って行かないでください。」と厳重に注意していた。
レパルスベイ自体は、要するに海岸である。小学生くらいの子ども達は足だけ海に入って遊んでいる。
レパルスベイが混雑している理由は、海岸や海がきれいだからではなく、御利益満載の銅像っぽい立像がタイガーバームガーデンばりに並んでいるところにあるのではないかと思う。
この像の黒い石に触ってお願いすれば縁結びの神様が願いを叶えてくれる。
既婚者のお姉さんに命じられ、私は「香港の財閥の息子と結婚できますように。」とお願いする羽目になった。
朝が早かったせいか、まだ11時半にもなっていないのにお腹が空いてきた。
お昼ごはんの前にもう一つ午前中のイベントが残っている。トラム乗車である。
レパルスベイから戻る途中、「あまりお勧めしない。」とガイドさんが強調していたせいか、「希望者だけ」という募集に応募したのは全体の半数の7人だけだった。残りの半数はバスでお留守番である。
乗り降りはタイミングが重要ということで、ほとんど始発に近い町はずれでバスを降ろされた。
やってきたトラムに乗り込み、2階に上がる。この狭い螺旋階段も結構楽しい。スカートの裾を踏みそうになるのも許せる気がする。
一番後ろの席に陣取ったので、後ろから追いついてきたトラムがよく見える。
このトラムは、時刻表や運転間隔といった観念はどうもないらしく、あちこちで団子状態になっている。乗り降りに熟練が必要とされる訳である。
こうして、僅か10分ほどのトラム乗車体験は終了した。
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