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2009.07.28

黄熱病の予防接種を受ける

 今日、ずいぶん前に予約していた黄熱病の予防接種を受けに、東京検疫所に行ってきた。

 東京検疫所はお台場(というか、住所は青海なのかも知れない)にある合同庁舎の中にあり、入館には氏名の記入が必要だった。以前に来たときは、割と自由勝手に出入りできたように思ったので、少し驚いた。

 13時40分から受付開始で、14時前に到着したら、一番待ち時間が長いパターンにはまってしまったらしい。
 14時30分にやっと予防接種の順番が回ってきて、その後、副反応の様子を見るのと併せてイエローカードの発行待ちをして、イエローカードを手にできたときには15時を回っていた。
 14時30分くらいに受付をするのが、待ち時間も少なく、待合室の椅子もだいぶ空いてきて、ベターな選択のようである。

 黄熱病の予防接種は左腕(利き腕ではない方の肩に近い辺り)に打つのだそうで、他の予防接種も受ける人はもう一つは利き腕に打つという説明があった。

 私は黄熱病だけだったので左腕に受けたのだけれど、これが意外と痛い。
 少なくとも、採血のときよりは痛かったと思う。
 打ってすぐ「指先にしびれはありますか?」と聞かれた。

 そのときはどうも思わなかったのだけれど、イエローカードの発行待ちをする間文庫本を読んでいたら、左手の小指の下辺り、手の甲、左の肘、左足(土踏まずの少し足先寄り)がしびれるというか違和感があるような気がしてきて、お医者さんに聞いてみたところ、「予防接種の影響で痺れが出る場合とは違う場所の訴えであり、直接の関係はないと思う。問題ないと思うが、ビタミンB1など神経を保護する作用のあるサプリメントを飲むと良い。しばらく引かなかったら連絡してください。」という返事だった。

 夕方に家に帰り着いた頃にはあまり気にならなくなっていたから、きっと気のせいだったのだろう。

 生まれて初めて手にしたイエローカードは本当に黄色かった。

 ところで、黄熱病の予防接種は渡航1ヶ月前からしか受けることができない。
 生ワクチンで1回に接種できる人数が限られているところから、渡航日が近い人から優先的に受けられるようにということらしい。
 それで、8月15日出発予定の私は、4日はどうしても仕事を休めないので、今日の予約となったわけである。

 もらったイエローカードの有効期間は、2009年8月7日から2019年8月6日までだった。1週間後に接種したらぎりぎりセーフだけれど、2週間後では出発日に間に合わない。
 結構、「渡航1ヶ月前から」というのは、きつい条件なのかもと思ったのだった。
 いずれにしても、早めの予約が肝要ということだろう。

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2009.07.27

無事、帰宅する(裏磐梯)

 裏磐梯のホテルをバスが出発してすぐ、何だかとんでもない勢いの雨が降り出してどうなることかと思ったけれど、無事、20時頃に帰宅した。

 天気予報は雨だし、昨日の午後は確かに雨に降られたし、露天風呂に入っていたら大粒の雨が降ってきて退散せざるを得なかったし、昨日の夕食は稲光付きだったし、いろいろと雨に「やられた」旅だった。

 けれど、今日は陽光を浴びた五色沼を散策することができたし、「大雨」には降られずにすんだし、帰りのバスの中から綺麗な虹を見ることができたし、何だかんだ言いつつも、いい旅行だった。

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裏磐梯旅行記2日目(引っ越しました)

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 裏磐梯旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目 2009年7月26日(日曜日)

 2日目 2009年7月27日(月曜日)

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2009.07.26

裏磐梯旅行記1日目(引っ越しました)

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 裏磐梯旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目 2009年7月26日(日曜日)

 2日目 2009年7月27日(月曜日)

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裏磐梯旅行に出発する

 さて、まだ完全に荷造りができたわけではないのだけれど(レインポンチョを持って行くかどうかでまだ迷っている)、これから1泊2日の裏磐梯旅行に出発である。

 「歩きたい」という母が選んだ行き先なのだけれど、どうも雨に降り込められることになりそうだ。

 出発直前の今も出し入れしている持ち物リストは以下に。

続きを読む "裏磐梯旅行に出発する"

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2009.07.21

ツアー料金の振込をする(ベネズエラ)

 2009年7月9日に請求書は届いていたのだけれど、何となくぐずぐずとしてしまい、やっと支払期限の今日になってやっとツアー料金の振り込みを完了させた。

 今回の旅行代金は、私の銀行口座に設定した振込限度額を超えていたので、あらかじめ旅行社の担当の方に「2回に分けて振り込みます」という連絡をしておいた。

 この場合、「確かに振り込まれました」という確認のメールなり何なりが欲しいのだけれど、そういう連絡をくれる旅行社さんにはまだ巡り会ったことがない。
 みんな(旅行社も旅行者も)銀行を信用しているということなんだろうと思う。

 旅行代金を振り込もうと、請求書が送られてきた封筒をよくよく見たところ、すっかり見落としていたことに気づいた、合衆国入国のためのESTAという手続きを自分でやりますというメモも旅行社に郵送した。
 このESTAの手続きは、インターネットの日本語ページで簡単にできたのに、旅行社にお願いすると5000円強の手数料を取られてしまう。
 それではもったいなさ過ぎる。
 日本語ページもあるし、ネット環境にあるなら自力で全く問題ないと思ったのだった。

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2009.07.16

「タビリエ 喜多方・磐梯・会津」を購入する

 今日になってやっと、裏磐梯猫魔ホテルに電話して、ホテルが出している東京からの送迎バスを予約した。
 有料だけれど、往復で1人5000円というのは、かなりお得だと思う。

 日曜日の夜に電話したら、「この番号は、営業を終了しております」というようなメッセージが流れ、「お急ぎの方は****におかけ直しください」と言われたのだけれど、お急ぎだと言い張る自信もなく、そのメッセージも、ホームページも、「何曜日の何時から何時までが営業時間である」ということを教えてくれなかったので、何だか億劫になってしまったのだ。

 いずれにしても、座席の予約ができたので良かった。

 予約ができた安堵とともに「雨だったらどうしよう」という気分もあって、ガイドブックを購入した。
 元々は、インターネットのサイトから取れる情報で十分かなと思っていたのだけれど、何だか勢いで本屋さんに行ってしまい、選んでしまい、購入してしまったというわけである。

 喜多方と磐梯と会津を1冊にまとめてあるわけだから、当然、情報量は少ない。
 私は裏磐梯だけ判ればいいのだけれどと思いつつ、ぱらぱらと眺めていると楽しくなるのだから困ったものである。

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2009.07.13

170000アクセス達成!

 今日(2009年7月13日)の、ほんの30分くらい前に、どなたかが170000アクセス目を踏んでくださった。
 160000アクセスのときとは違って、すぐに気がつけたことが何だか嬉しい。

 ちなみに、これまでの経過は以下のとおりである。
 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 20000アクセス 2005年11月16日
 30000アクセス 2006年3月30日
 40000アクセス 2006年8月1日
 50000アクセス 2006年11月22日
 60000アクセス 2007年5月16日
 70000アクセス 2007年9月6日
 80000アクセス 2007年12月28日
 90000アクセス 2008年3月14日
100000アクセス 2008年6月15日
110000アクセス 2008年8月12日
120000アクセス 2008年9月23日
130000アクセス 2008年11月9日
140000アクセス 2008年12月27日
150000アクセス 2009年2月21日
160000アクセス 2009年5月5日
170000アクセス 2009年7月13日

 こうして続けていられるのは、遊びに来て、読んでくださる方のおかげです。
 ありがとうございます。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

 とりあえず、奥日光旅行記を早めに仕上げたいと思います。

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2009.07.11

奥日光旅行記(2009)1日目

2009年6月28日(日曜日)

 元々は、母が親戚から東武鉄道の優待乗車券をいただき、日光旅行を企画した。
 母が「折角だから日光に行きたい。」と言い出し、昨年夏に母と私の二人で箱根旅行に行ったところ妹から大ブーイングだったので妹夫婦にも声をかけた。
 母と私はもちろん東武鉄道で行くし、妹夫婦は車で出かけると言う。「じゃあ、ホテルで待ち合わせね。」と決めた。ホテルから18時の食事に間に合うようにチェックインするよう言われた。妹夫婦にもそのことを伝え、しかし待ち合わせ時刻は決めず、非常にアバウトに出発した。

 春日部から乗車した東武日光行きの快速電車は意外なくらい混雑していた。
 栃木か新栃木かでかなり降りる人がいて、そこから母だけは座ることができたのでほっとした。まさか日曜日の行楽地に向かう電車があんなに混雑しているとは思わなかった。
 日帰りの予定の人が多かったのかも知れない。年配のおばさまのグループが多かったように思う。

湯波そば 11時30分くらいに東武日光駅に到着した。
 このまま中禅寺湖まで上がって湖畔でお昼ごはんを食べようと思っていたら、7時に朝ごはんを食べたせいか、意外なくらいお腹が空いている。
 神橋に向かって歩き、湯波そばの元祖だという「魚要」というお蕎麦屋さんでお昼ごはんをいただいた。
 基本に忠実な私はもちろん湯波そば(1150円)、母は「季節限定」とテーブルにポップがあったわらびそば(730円)を頼む。
 湯波そばは、「日光湯波ふじや」の揚巻、高野豆腐入りの揚巻、ぜんまい巻きがお蕎麦に乗っている。ちょっとお蕎麦が柔らかいような気もしたけれど、なかなか美味しかった。

 そのまま、神橋までぶらぶら歩いた。
 暑くてぶらぶらとしか歩けない。帽子を持ってこなかったことを少し後悔する。
 日光湯元行きの東武バスに乗るつもりだ。駅に戻るのも何だかばかばかしいし、神橋まで行けばそこで途中下車する人もいて、乗れないということはないだろうという計算である。それに日曜の午後から湯元に向かう人もそうたくさんはいないに違いない。
 前回、駅から輪王寺の入口までバスで行って神橋は車窓のみだったし、神橋をじっくり見ておきたいという気持ちもあった。

神橋 12時45分発の日光湯元行きに乗ろうと神橋のバス停で待っていたら、妹から母の携帯に電話があった。
 日光に到着したところだと言う。これから戦場ヶ原にバスで上がろうとしていると言うと、自分たちも行くと答えて電話は切れたらしい。
 駅前に車でいて、これからやっぱり戦場ヶ原に上がるというなら乗せてってもらおうよと私が言い、もう一度電話をかけてもらって、妹夫婦の車に拾ってもらうことになった。
 母と私はらくちんだったけれど、思えば義弟には気の毒なことをしたものである。

 前回日光に来たときも中禅寺湖畔に行った。そのときはもちろんバスに乗っている。
 バスと自動車とでは、いろは坂の体感がひどく違うように感じられる。
 バスに乗っているときは寝ちゃったけれど、流石に乗せていただいてそれはできないし、視点が低いし、やたらとカーブの存在感が大きい。
 いろは坂を上がって行くうちに、いつの間にか空気が変わったらしい。窓を開けると涼しくてさわやかな風が入って来るようになった。

 中禅寺湖畔を抜け、いったん通り過ぎてしまった赤沼の駐車場に戻った。
 赤沼駐車場は千手が浜行きの低公害バスの発着所になっており、見頃に咲いているというクリン草にも惹かれつつ、やはり王道で戦場ヶ原と小田代ヶ原を1周するコースを歩くことになった。
 1周2時間25分というのがガイドブックに書かれたコースタイムだ。さて、どれくらいで回ることができるだろう。

戦場ヶ原スタート 駐車場から道路を渡って戦場ヶ原に入る。
 13時40分くらいだ。
 車道から少し下ると、そこは清流沿いの歩きやすい土の道である。
 空気もさわやかだし、下界の暑さが嘘のように涼しい。長袖のシャツでちょうどいいくらいである。
 緑も濃いし、雨も何とか保ちそうだ。

 少し歩くと右手に木道への分岐があり、そのまま戦場ヶ原に入ることができる。
 木道は2列になっていて、ときどき、修学旅行なのか林間学校なのか、小学生のグループとすれ違う。ほとんど競うように「こんにちは〜。」と元気に挨拶してくれるのが可笑しく、微笑ましい。

わたすげわたすげ

 歩き始めてすぐ、恐らく今夏最後であろうわたすげに出会うことができた。
 木々の向こうに見えるわたすげは遠くて、時々、「木道をはずれてはいけません」という注意書きを無視して近寄ろうとした人々が踏み固めてできたらしい土の道があり、そこが塞いである。
 戦場ヶ原は傷んできている。
 小学生のグループに説明していた先生によると、戦場ヶ原もあと何十年かすると、湿原ではなく草原や森になってしまうそうだ。その先生はそれを「環境破壊」とは言わず、「湿原とはそういうものである。」と語っていて、印象に残った。

野花 またしばらく清流沿いの道に戻り、青木橋に到着したときには14時30分を回っていた。
 コースタイム35分のところを、しげしげとわたすげを眺めたり、足下に咲いている黄色い花の写真を撮ろうとがんばったり、記念写真を撮ったりして「本当に歩いている」時間が短かったとはいえ、それでも50分もかかっている。この時点でそのことを認識していればこの後のコース取りも変えたけれど、この時点ではまだ十分に元気だったのがいけなかった。

 14時45分ころ、戦場ヶ原と小田代ヶ原との分岐点に到着した。
 ここの分岐は、ちゃんと「湯滝1.7km、湯元3.2km、赤沼2.8km、龍頭の滝3.8km、小田代ヶ原2.1km」と書かれた標識が立っている。しかし、判りにくい。戦場ヶ原自由研究路から来ると、小田代ヶ原探求路は、左手の少し高くなっているところに細く付いている土の道を回り込む感じになる。

 妹夫婦と出会わなかった場合、私は、ここから湯元にあるホテルまで歩いてしまおうと考えていた。
 ガイドブックを駆使して計算し、コースタイム2時間で到着できると踏んだ。
 しかし、荷物を車に置いているにもかかわらずこのペースの遅さでは、リュックを背負ってそんなことをしたらあやうく遭難することになっていたかも知れない。実現しなくて幸いだった。

鹿の柵 こう言っては何だけれど、小田代ヶ原探求路は地味な道である。
 灌木の中という風情になり、土の道になり、道以外の足下は一面のクマザサに覆われている。
 途中、目先の変わるイベントとしては、鹿のための柵があり、人間が通れるように回転扉がついていることくらいである。
 そして、この柵が「鹿を熊から守るために」あるのだったか、「木々を鹿から守るために」あるのだったか、入口の説明板に書いてあったことは覚えているのに、どうしても思い出せない。

 もう一つの小田代ヶ原探求路上のハイライトは、湯滝2.5km、しゃくなげ橋2.9km、西ノ湖4.7kmという標識(この標識には15時頃に到着した)から10分くらいのんびり歩いた右手に広がっていた、アヤメの群生地だ。
 遠くに、紫の帯のように見える。

 

アヤメ

 私を始め家族4人、この小田代ヶ原探求路を歩いているときは概ね右手が開けていたので右手を見ながら歩いていた。
 おかげで、恐らくは小田代ヶ原を取り上げたどのガイドブックにも載っているだろう「草原の貴婦人」と呼ばれている白樺の木をすっかり見逃してしまった。
 地図もガイドブックも持って歩いていたのに間の抜けたことである。

 後になって考えると、小田代ヶ原のバス停まで1時間半以上も歩き通しだったのだから、この辺りで休憩をするなり、低公害バスに乗ってクリン草を見に行くなり、もっと軟弱に低公害バスに乗って赤沼駐車場に戻ることもできたのに、勢いづいたのが意地なのか、我々4人はこのまま小田代ヶ原歩道に突入した。
 ここから先の道は、本当にうっそうとした森の中、足下にクマザサが広がっているという地味きわまりない道で、多少のアップダウンが増えたため、疲労度が3倍増しくらいに感じられた。

戦場ヶ原展望台から

 15時30分くらいに通り過ぎた戦場ヶ原展望台だと思われる場所から眺めた風景は、ほっとできる「一景」だった。
 かなり疲れていた母と妹夫婦は、ほとんど立ち止まることなく通り過ぎていたような気がする。疲れてくると早足になりがちだし、黙々と歩くしかなくなっていたのかも知れない。

 しゃくなげ橋に到着したのは16時近くだった。
 遠い。遠すぎる。
 しかも、森の中の道は一段と涼しくて、とうとう、長袖のシャツの上に長袖を羽織ってちょうどいいくらいになっていた。
 もっとも、妹夫婦は半袖で平気そうに歩いていたから、これは私の体感の方に問題があるのかもしれない。

アカゲラのおじさん しゃくなげ橋から赤沼に向かう道は渓流沿いの穏やかで広いのんびりした道筋である。
 最初の木道への分岐点まで戻って来たとき、橋の上や橋のたもとに大きなカメラを構えた方がいらっしゃるのに気がついた。この写真の橋の上と右端に写っている。
 妹が呆れた顔をしたのは見なかったことにして、おじさんに「何を撮っていらっしゃるんですか。」と話しかけたところ、気の良さそうなその方は、撮った写真を見せてくださった。
 アカゲラである。

 巣には雛がいて、その雛のところにえさを運んで来た母アカゲラをばっちり捉えている。
 4人で代わる代わるデジカメの画像を見せていただいた。

 カメラのレンズの方向を追う。ちょうどその場所から赤沼方向を見上げると、こちら側に巣の入り口を開けた木が立っていた。
 よくこんなにも絶好のポイントがあったものだ。
 行きに通ったときには気がつかなかったけれど、だいぶ前からいらしていたそうで、もう少し前までは10人くらいいたらしい。

ニッコウキスゲ 赤沼の駐車場入口に咲いていたニッコウキスゲの写真を撮って「霧降高原に行って来たと嘘をついてもばれないね。」と言い合い、駐車場に戻ったときには16時30分近くになっていた。
 実に3時間50分である。
 コースタイムの1.5倍くらいの計算で計画を立てなければならないと学習した。
 母にも妹夫婦にも申し訳ない限りである。

 戦場ヶ原から車で日光湯元温泉に行き、ホテルにチェックインしたのは16時45分ころだった。
 今回宿泊した「奥日光森のホテル」は、「高原のリゾートホテル」という外観にも関わらず、和室も多く、しかも全館「靴下」で過ごせる、不思議なリラックス感のあるホテルである。
 入ってすぐのロビーにあるローテーブルでチェックインをする。玄関には「本日の気温」が大きく張り出されていて、この日朝6時の気温は15度、14時の気温は26度だったらしい。
 それは快適な筈である。

 フロントの男性が「冷たいものをお持ちしますのでお待ちください。」とおっしゃるので、麦茶か何かが出て来るのかと思ったら、供されたのは、ずんだ餡の冷やししるこだった。
 歩き疲れた身体にしみいる甘さである。
 さらに、お部屋に用意されていた甘いものにも手が出てしまう。ポットのお湯がちょっと硫黄臭かったのでお茶が美味しく煎れられないけれど、ほっと一息できた。
 新型インフルエンザの影響か、お部屋のテーブルの上にイソジンが用意されていた。

 18時からの夕食の前に温泉で疲れた身体を癒す。
 大浴場のあるホテルに泊まるとき、その行き帰りにはエコバックがあると便利だ。軽くてかさばらないのは元々の仕様だし、大きいから何でも放り込めるし、持参していれば増えたお土産を入れて帰ることもできる。

 硫黄の温泉は気持ちがよい。
 湯温が高かったので早々に露天風呂に逃げる。露天風呂は岩風呂風になっていて、その岩には温泉成分が黄白く張り付き、湯の花が浮かんでいる。
 気持ちいい。
 いっとき、母と妹と私の3人で占領することもでき、さんざん歩いた足を労るべく、ゆっくりとマッサージをした。

 さっぱりしたところで夕食だ。
 全員で生ビールをいただいたら、義弟はお酒に弱くあっという間に赤くなっていた。一方、女3人は顔色も変わらないままで、何だか申し訳ないようである。

P6280117 チェックインしたときに頼んでおいた鹿の薫製が、癖もなく、でも後を引く美味しさだ。ビールに合い過ぎてついクイクイ飲んでしまう。
 確か、鹿の薫製はこの時期しか作っておらず、また、常時用意しているものは養殖で、今回いただいたものは野生の鹿だったらしい。貴重なものをいただけた。
 また、別にお願いした湯波のお刺身もおいしい。

 毎月変わるというこの夕食が本当に美味しかった。
 お品書きは以下のとおりである。

嶺岡豆腐鱒
鮎足利牛

先付 嶺岡豆腐
   (これが、チーズケーキのようなお豆腐でとろっとしていて美味しい)
小鉢 白酢和え(かんぴょう、山クラゲ、コーン、茄子)
お造り 清滝の八汐鱒、ゆずこんにゃく、日光生湯波
煮物 たぐり湯波、木の葉軟禁、小茄子、蕗
焼物 鮎玉子見珍焼
揚げ物 豆腐磯辺揚げ、ヤングコーン香梅揚
凌ぎ 自家製ざる蕎麦
陶板焼 舞茸、榎、コーン、ズッキーニ、和牛
食事 たくあん飯、赤出し汁、お漬け物
甘味 自家製チーズケーキ、メロン、スイカ

 1時間半かけて、ゆっくりといただいた。大満足だ。
 義弟はそば打ちを趣味としていて、しきりと「私にはこんなに細く蕎麦は切れない。」と感心していたのが可笑しかった。

P6280131 部屋に戻ると、もの凄くインパクトのあるお布団が敷かれていた。
 しかし、たくさん歩いたし、お腹もいっぱいになったし、ビールも飲んでしまったし、このお布団のインパクトも眠気には打ち勝つことができず、母と二人、布団に倒れ込むように寝入った。
 テレビもつけっぱなしで、目が覚めてみたらもう21時30分を過ぎていた。

 「寝ちゃったねー。「気持ちよかったねー。」と言いつつ、食事前は時間もなくて髪も洗っていなかったのでもう1回温泉に行った。
 大浴場に行くとちょうど妹があがったところで、「お姉ちゃん達、これからお風呂なの?」と呆れられた。「うん。寝ちゃったんだよねー。ダンナ様はどうしてる?」と何の気なしに聞いたら、義弟は、食事を済ませて部屋に戻るなり爆睡状態に入ったらしい。
 それは、たくさん歩いてたくさん気を使い運転も全部してもらったのだから疲れているに決まっている。申し訳ない。そして大感謝である。

 露天風呂から見上げた空には星が光っていた。
 明日は晴れるのかもしれない。
 私はまたもや「歩く」計画を立て始めた。
 全く以て懲りてない。

 奥日光旅行記(2009)2日目はこちら。

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2009.07.10

旅行代金を支払う(裏磐梯)

 今日が、裏磐梯猫魔ホテルの宿泊料金を旅行社に支払う締切日だったので、慌てて、支払いに行った。

 確か夕食は和食か洋食かを選べたので母にリクエストを聞いたところ、「和食がいい」との回答だった。
 旅行社の窓口で「確か選べたと思うんですが、自分で電話しちゃっていいですか」と尋ねたら、「今、電話しますので少々お待ちください」というお返事だった。そこまで旅行社で手配してもらえるらしい。
 ホテルに確認してもらったところ、「和食だと、19時30分からになってしまいます」という返事だった。
 確かに旅先の夕食が19時30分開始というのはゆっくりめかも知れない。

 でも、どう考えても歩くことになるし、13時にホテルに着くバスを利用しようと思っているので昼食も遅めになるし、お腹が空いたらおやつを食べればいいやと思い、そのまま予約をお願いした。

 さて、そろそろ裏磐梯に行って何をするのか(歩くというのが母のリクエストなのだけれど)、考えようと思う。

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2009.07.08

プロフィール写真を変える(奥日光のわたすげ)

 先月末に奥日光に行った際、戦場ヶ原を散策し、今年最後のわたすげに間に合った。
 やっぱり、光学ズーム3倍のカメラでは、なかなか木道から遠くに見えるわたすげをわたすげらしく撮るのはなかなか難しい。

 それでも何とか「それらしく」撮ることのできた1枚をプロフィール写真にすることにした。

 夏らしく、さわやかな写真で、このじめじめした梅雨の季節を乗り切りたいものである。

 本当に、あの高原のさわやかで清浄な空気が恋しくて仕方がない。

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2009.07.06

「ピラミッド 隠された回廊の謎」を見る

 2009年7月5日(日曜日)21時からNHK総合で放映された、NHKスペシャル エジプト発掘 第1集「ピラミッド 隠された回廊の謎」を見た。

 「エジプト発掘」は、エジプトのピラミッドの時代、ツタンカーメンの時代、クレオパトラの時代の3つの時代を取り上げ、近年になって新たに発掘されたり提唱されたりした事実や仮説を検証するという番組のようである。
 今日、その第1集として、ピラミッドが取り上げられた。

 取り上げられたピラミッドは、ギザにあるクフ王のピラミッドである。

 クフ王のピラミッドは、平均2.5tの石を300万個積み上げて造られているという。
 文献によると、このピラミッドの建造には20年が費やされたとされており(判っており、と書くのはちょっと早計な気がする)、近年になって発掘された「労働者の街」の規模その他から、ピラミッド建造に従事したのは4000人だということが推定されるのだという。

 番組では「わずかこれだけの人数で」と言っていたけれど、20年で300万個の石を積むには、単純計算で2分に1個の石を積まなければならないというのだから、4000人が「わずか」になってしまうのも頷ける。

 さて、どのような方法でこんな神懸かりな事業ができるのだろう、というのが番組で取り上げられた第一の謎である。

 ピラミッドに向かって直線の通路が造られたという説や(こちらが主流と聞いて驚いた)、ピラミッドの周りに螺旋状の通路が造られたという説(私はこちらが主流だと思っていた)などが、次々と否定される。
 全長1.6kmにもなる通路は、その材料やそもそもの長さからして非現実的であるとか、ピラミッドから500mのところにある石切り場を考えるといかにも動線がおかしいとか、狭い螺旋状の通路では事故が頻発した筈であるとか、螺旋状の足場があったら稜線をまっすぐに作ることは難しい、などである。

 何だか否定のための否定のように聞こえてしまうところが、新説を唱える人の宿命だろう。
 今回、番組で取り上げた新説は、フランス人建築家である、ジャン・ピエール・ウーダン氏が唱えたものである。
 この人は、50代後半で、10年前からピラミッドの建造方法の謎にチャレンジしているのだという。
 シュリーマンじゃないけれど、建築家としてひとかどの名声と財産を為した方なんだろうな、などと思ってしまう。

 それはともかく、このウーダン氏が唱えたのは、ピラミッドの内部に通路を作り、その通路を利用して建造したという説であった。
 そうすれば、天候などにさゆうされることなく、ピラミッド建造に専念できたはずであるということである。
 螺旋状にその通路がある筈だということなのだけれど、そんなに大きい石を運べるくらいの通路があるならこれまでに発見されているんじゃないかなと思ったら、20年以上前の調査で、確かにピラミッドに螺旋状の空洞があることが判っているらしい。
 あとは、ピラミッドに観光で入場したとき、冬に行ってもものすごく暑かったのだけれど、あの暑さの中でそんな大変な肉体労働が可能だろうか、という疑問は浮かんだ。

 それにしても、ピラミッドの調査というのはとても難しいということが判る。
 ピラミッドの外壁に近い場所にそんなに大きな空間があれば、例えば赤外線とかレントゲンとかそういうものを使えばすぐに判りそうなものなのに、そういうわけには行かないらしい。
 しかも、今回、ピラミッドの稜線の一部に5m四方の平らな空間があることくらい(これはピラミッドの中ではなくて外の話である)すぐに判りそうなものなのに、今回、1時間半もかけて外壁を登り(おまけに、建築家であるウーダン氏にその許可はおりないようで、ウーダン氏はエジプト考古学者にその調査を依頼している)、目視で確認し、どこにでもありそうなデジカメで写真を撮っているのである。
 それって、原始的にすぎやしないか、というのが私のもう一つの感想だった。

 「ピラミッドは何のために作られたのか」とか「そもそもピラミッドとは何なのか」という謎は一切追いかけないという潔い方針のこの番組のもう一つの謎は、クフ王のピラミッド内部にある王の間の真上には、一つの重さが60t(だったと思う)もあるような岩で形作られた「重力軽減の間」がある。その60tもの重さの岩を、高さ60mの位置までどうやって引っ張り上げたのか、ということである。

 ちなみに、内部通路説では、通路の傾きと石の重さから600人(やっぱりこの辺りは記憶違いかも。6という数字が出過ぎている)で引っ張り上げる必要があり、そうすると、5m四方の平らな空間くらいでは600人が立ち往生してしまうので使えない、ということになるのだそうだ。

 そこでウーダン氏が考えだしたのは、王の間に伸びる大回廊に錘の岩を台車で落とし、その「落ちる力」を使って反対側に結びつけた60tの岩を引っ張ることで、あと150人強の人力があれば引っ張り上げられる、という方法である。
 滑車の原理を使うといえば正しい説明になるだろうか。

 その傍証として、大回廊の両脇の一番下の岩に一直線の傷がついていることや、7cmずつせり出すように積まれた岩の下から3番目のところだけが角が崩れてしまっている点、下の方に潤滑油によるものではないかと思われる黒いシミがついている点などが挙げられていた。
 昨年1月にクフ王のピラミッドにも入ったのに、大回廊を通るときにはその上の方を見上げ、空間が大きくなって空気がよくなったことと、屈まなくてよくなったことだけを喜んでいたのが痛恨の極みである。足下を注視していれば私にも同じ発想ができたかもしれないのに。(というのは冗談である。)

 そうしたら、大回廊をあんなに精緻に作る必要はなかったんじゃないかとか、色々と疑問がないわけじゃないのだけれど、「どうやって」という疑問に答える仮説であることだけは間違いない。

 何だかんだ文句を言いつつも、楽しく見てしまった。
 次回のツタンカーメンも楽しみである。

2009年7月5日(日曜日)21時から
NHK総合 NHKスペシャル「エジプト発掘 第1集ピラミッド 隠された回廊の謎」
NHKの公式Webサイト内、NHKスペシャル「エジプト発掘」のページはこちら。

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2009.07.02

無事、帰宅する(奥日光)

 6月29日に帰宅して、PCを起動したところ、ADSLモデムの調子が悪くてネットワークにつながらず、帰宅報告を書きそびれていた。

 無事、19時30分くらいに帰宅した。

 母の万歩計は、28日は20000歩超、29日も15000歩超で、かなり歩いた旅行になった。
 妹夫婦は16時過ぎには帰宅したらしいのだけれど、義弟はすぐさま爆睡したという話だ。引っ張り回して申し訳ないことをした。
 これからは、一人旅ではないときには、もう少しタイトでない旅行計画を立てようと反省した次第である。

 心配した天気も、青空は29日の朝に望めただけだったけれど、雨に降られることもなく、さわやかな高原の空気を満喫できた。
 雨女の私には珍しいパターンである。

 左足の小指に水ぶくれができ(靴が合っていなかったということはない筈なのだけれど)、その小指をかばって歩いたせいか左足のふくらはぎ横の筋が痛かったのだけれど、それも2〜3日で解消した。

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