奥日光旅行記(2009)2日目
2009年6月29日(月曜日)
こう言っては何だけれど、職場の皆が仕事をしている月曜日に自分は休んで遊んでいるというシチュエーションはなかなか気持ちがよい。
朝寝坊しても全く問題ないのに、母と二人、6時30分過ぎに目が覚めた。
真っ先にカーテンを開けると、青空である。素晴らしい。
このホテルの売りの一つが、こうした「額縁のように外の景色を見せてくれる」窓だ。妹夫婦は全く気がつかなかったらしい。
ホテルとしても甲斐のないことである。
朝風呂に出かけると、やはり、青空の下は気持ちがいい。
温泉に来ると毎度思うことながら、大浴場は夜よりも朝の方が混んでいる。夜は分散し、朝は集中するからだろう。
それでも、全24室のこのホテルだったらのんびり温泉が楽しめる。
お風呂上がりにコーヒーが用意されているのも嬉しい。
8時前に妹が披露宴の招待状の相談にやってきた。誰に出すとか、郵送するか持参するかとか、差出人は新郎新婦にするか親にするかとか、文面の確認とか、なかなか面倒くさいらしい。
披露宴にお招きするのは親族のみで、全員お式にも出席していただくのに、招待状とは別に「式に参列していただきたいので*時*分までにお越しください」という短冊を入れると言う。「全員に来てもらうんだから招待状に書いちゃえば?」と言ってみた。
妹に「そんなことは思いつかなかった。」と返されてちょっとびっくりした。経費節減しようよと思う私である。
招待状の検討も一段落したところで、4人で朝食を食べに行った。
和洋揃ったバイキングだ。こういう場合、母も私も洋食を選ぶのが常である。
せっかく晴れたし、クリン草を見に千手ヶ浜に行くか、霧降高原でニッコウキスゲを見ようかと思ったけれど、母の頭の中には昨日私が口走った「滝三昧」という言葉が定着してしまったらしい。
昨日のプラン通り、滝三昧で行くことにした。
義弟の車があるからこそのプランである。まことに申し訳ない。
9時過ぎにチェックアウトして、一晩お世話になった奥日光森のホテルを後にした。
私がホテルの外観を写真に撮っている間に母はホテルの人とお話ししたらしい。天気予報が雨でも奥日光まで雨がくることはほとんどないそうだ。雨雲はほとんど中禅寺湖で止まってしまうという。
雨女の私も中禅寺湖パワーに負けたということだろう。
9時30分過ぎに最初の「滝」である「湯滝」に到着した。
私は初めて来た。他の3人は「来たことがあるような気がする。」と何とも頼りないことを言う。
そもそも、妹夫婦は学生時代の仲間と奥日光に冬来たことがあると言いつつ、「いつ来たか」とか「誰がいたか」とか「雪に覆われた中禅寺湖以外に何を見たか」ということを悉く忘れているらしい。
全く期待していなかったこの「湯滝」の迫力はなかなかのものだった。
第一、デカい。
湯滝と聞いて、実は私は「温泉が滝になって流れて湯気が立っている」という状態を想像したけれど、これは全くの誤りだった。
湯滝の横の階段を上がると、そこは湯の湖畔で、「こういう位置関係になっていたのね!」と驚く。
この湯滝の上の駐車場なら無料、湯滝の駐車場は有料だ。
湯滝でも、この後でも、写真を撮ると必ず話題になったのが妹の写真うつりである。
はっきり言って、うちの妹の写真うつりは悪い。何だか斜に構えたような、ナマイキそうな写りになる。
帽子のために顔が暗くなってしまうこともあり、撮った写真を見せるたびに「これはダメ。」と言われて往生した。もっとも、「ダメ。」と言われてもそのまま残し、CDに焼いて後で妹夫婦のところに送った。
湯滝を上下と横から堪能し、竜頭の滝に向かった。
竜頭の滝を上から眺める。
ここで私はうっかりデジカメを道路に落としてヒヤっとした。流石に2.0m耐衝撃構造を備えるだけあって本体は無事だったけれど、液晶に傷が残ってしまった。
液晶保護フィルムを貼ってあったので、「傷が残る」程度で済んだのだと思う。
滝が落ちたその向こうに見えているのは中禅寺湖だ。
すでに「青空」ではなくなっている。ホテルの人が言ったとおり、中禅寺湖に近づくにつれ、雲が多くなってきているような気がする。
ここで、気遣いの人である義弟は「僕が車を滝の下に回しておきます。」と言う。湯滝の上に行ったときも同じことを言っていて、「もう1回下から滝を見たいからみんなで降りよう!」と押し切ったけれど、今回は逆に押し切られてしまった。
そして、こういう場面でも特に発言しない我が妹はやっぱり大物である。
竜頭の滝の横には整備された階段の散策路があって、のんびりと母と妹と3人で降りて行く。
ちょうど半分くらい降りたところで、下から上がってきた義弟と出会うことができた。相当に急いだのだろう。
滝壺からも眺める。竜頭の滝は優雅だけれど最初に見た湯滝の迫力には負ける、というのが私の正直な感想だ。
11時過ぎに中禅寺湖畔に到着した。
この辺りで姫鱒のお昼でも食べようかと心づもりしていたけれど、流石にまだお腹は空いていない。
母のリクエストで中禅寺湖遊覧船に乗ることになった。湖1周で1200円である。
その出航までの時間を利用して妹夫婦が奢ってくれた「湯波ソフト」は、「普通のバニラソフトよりもマイルドかな」という感じのソフトクリームに湯葉を小さく切ったものが入っていて、なかなかよい食感だった。
遊覧船に乗る頃には、空にだいぶ雲が広がっていた。
それでも、風に吹かれて濃い緑を眺めるのはなかなか気持ちがいい。
この遊覧船は、船の駅中禅寺、菖蒲ガ浜、立木観音前を巡る。菖蒲ガ浜から千手ガ浜にかけてクリン草が見られるかと目をこらしてみたけれど、流石にそれは無理だった。
母の情報によると、イタリア大使館別荘の辺りでもクリン草が咲いているという。こちらも流石に距離があるのでお花までは見分けることはできない。
この遊覧船で面白かったのは、乗務していた係員のおじさんである。
寄港するときは忙しいだろうけれど、船が動いている間は何か起きない限りそれほど忙しい訳でもないらしい。
何となくおしゃべりするうちに、何故か美人談義になった。
曰く、秋田のお殿様は元々は京都のお公家さんで、女好きだったこのお殿様は、まず水戸に飛ばされるときに京都の綺麗どころをたくさんかっさらってきた。そこからさらに秋田に飛ばされるときに、水戸の美人も根こそぎかっさらって連れて行った。だから、京都は元々美人が多いから今でも美人が残っているが、水戸の美人は全員秋田に連れ去られて今では美人は残っていないのだという。
ここで何故話題が「秋田の美人」に偏っているのかといえば、このおじさんが秋田生まれの人だからだ。背負ってる話である。
さらに、秋田にいると女性はみなやせ形ですらりとした体つきをしているので、こっちに来ると女性がみな寸詰まりに見えるなどとおっしゃる。
そう言っているおじさんも決して大柄な方ではない。しかし、美人の奥様がいらっしゃるのだろうと何故だかおおらかな気持ちになって、「おいおい。」と心の中でツッコミを入れつつ、楽しく拝聴した。
遊覧船から湖畔に自生するクリン草を見分けることはできなかった。けれど、遊覧船乗り場から華厳の滝まで歩く間に、保護されているクリン草を見ることができた。
なかなかキツイ色のお花だと思う。しかし、それほど大きいお花ではないので、「どぎつい」に行くかなり手前で踏みとどまり、かえって可憐に見える。
そういえば、ここでも義弟は二荒山神社近くに駐めた車を華厳の滝の駐車場に回すために別行動を取ってくれ、クリン草を見ていない。やっぱり、申し訳ない限りである。
私が「華厳の滝エレベータに乗ったことがない」と騒いだせいか、みなの足は真っ先にエレベータ乗り場に向かった。やけに妹が早足で歩いているなと思っていたら、どうやら義弟の指示があったようで、エレベータのチケット(530円)を4人分買ってくれる。
「ありがとね。」と言うと「これだけだから。」と答えられた。
やっぱり大物な妹である。
私のイメージでは、「華厳の滝エレベータを降りるとそこは華厳の滝の目の前」だったけれど、現実は全く違っていた。
エレベータを降りた後、華厳の滝までかなり歩く。
それほどの距離はないけれど、白く何もなく寒い通路を歩くので距離感がなくなり、やたらと遠いように感じられた。
その通路を抜けたところにあった華厳の滝は、やっぱりかなりの迫力だった。
水量も高さもあるし、岩盤に沿って落ちているわけではないところが、湯滝以上の迫力を醸し出しているポイントのようだ。
水しぶきもかなり飛んでくる。暑いし、「マイナスイオンだ!」と思うと、これはこれで快適である。
滝見台は3階建てのようになっていたので、それぞれの場所から華厳の滝を満喫した。
13時も過ぎ、そろそろお腹も空いてきた。
妹のカンを信じて、華厳の滝駐車場から道路を挟んで反対側にあった「自然食の店 桐花」に入ったら、これが大正解だった。
ぱっと見は「さえない定食屋」という風情だけれど(申し訳ない)、切り株のようなテーブルで、中に入るとちょっとしゃれた感じである。
私が頼んだ「引き上げゆば丼(1000円)」は、ショウガの効いたあんがたっぷりかかった湯葉丼にお蕎麦が付く。
このあんも「こんなにたっぷりかかって味が濃くないのか?」と思ったけれど、さっぱりあっさりすいすいお腹に入った。お蕎麦も美味しい。
昨日の昼と夜と今回と、1泊2日のうちに3回お蕎麦を食べたうちで、このお店のお蕎麦が一番美味しかったと母と意見が一致した。
今回の旅行で、義弟が述べた希望はただひとつ「”華乃家”で金箔入りカステラを買いたい。」ということだけだった。
来週末にお友達が結婚のお祝いにホームパーティを開いてくれるそうで、そこにお土産として持って行きたいと言う。
中禅寺湖を後にして、いろは坂を下っていくと、気温がどんどん上がるのが判る。それまでは窓を開けっ放しにしてエアコンなど入れていなかったけれど、そろそろ耐えられなくなってくる。
いろは坂から日光駅に向かう途中の道筋にある華乃家に寄り、試食に出ていた、プレーンと抹茶とココアの3種類のカステラを食べ比べる。お昼ごはんを食べたばかりなのに我ながらどうして甘い物はすいすい食べられるのだろう。
妹たちがどんどんカゴにお土産用のカステラを放り込むのにつられ、お土産にプレーンのカステラを購入した。
日光に来たら、輪王寺でお線香を買いたいと思っていた。前回来たときに購入したお線香がそれはいい香りで、気に入っている。
お線香を購入しに行くために妹夫婦とはここで別れ、リュックを背負って歩き始めた。
歩いて10分くらいの距離である。今まで楽をしてしまった分と、今まで涼しかった分、とてもたくさん歩いた気分になった。
輪王寺で希望通りお線香を購入し、日光駅を目指す。
その前に、羊羹を買わねばならない。母の記憶とリクエストによると「日光駅を背にして日光山に向かって左側の羊羹屋さんが美味しかった」そうだ。
母の記憶は20年とか30年とか前のもので若干怪しいところもありつつ、ここは母の記憶とカンに従い、三ッ山羊羹本舗に入った。
試食で食べた水ようかんが、水ようかんとは思えない濃い味で美味しく、買おうと即決する。普通の羊羹も3種類くらい試食することができて、全種類食べたうちで一番さっぱりしているように思えた塩羊羹も購入する。
母は、習い事の教室のお土産に一口羊羹も購入していた。
ここで、一気に荷物が重くなる。
バスを待っているより歩いてしまった方が早い。
「日光駅前に着いたら、金谷ホテルのカフェでお茶をしよう!」を合い言葉に、暑い中を駅に急ぐ。
「金谷ホテルベーカリー カフェ・ラ・セゾン」は、外観よりも内装がクラシックでいい感じだ。東武線の快速は1時間に1本くらいしかないので、残念ながらゆっくりとそれを味わっている時間はない。
慌ただしくコーヒーフロート(630円)をいただき、1階のショップでパンを買い、東武線の切符をくれた親戚へのお土産にクッキーを買って、発車直前の東武電車に飛び乗った。
席を確保し、荷物も持ちやすいように整理して網棚にあげたところで、ほっと一息ついた。
母が、妹に「お疲れ様」のメールを打ち始めた。しかし、トロイ。
これなら、携帯電話を持っていないとはいえ私がやった方が早いと、メールを打ち始めた。私がメールを打っても慣れない分もの凄く時間がかかり、今市を過ぎてからやっと送信することができた。
妹たちとは14時30分くらいに別れ、電車に乗ったのは16時くらいだった。しかし、この時点で妹夫婦はすでにさいたま市内に到着していたらしい。
早い。
そして、義弟は、家に着くなり速攻で爆睡したらしい。
何だか激しく申し訳ない気持ちになり、母と相談して「今度、焼き肉を奢るからね。」というメールを再度送った。
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