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2009.10.26

ベネズエラ旅行記3日目その2

2009年8月17日(月曜日)


 12時過ぎにユリアニの滝を出発し、ジープは次の目的地であるパチェコの滝へ向かった。
 早朝のヘリ1便で行った私たちは曲がりなりにもテプイに着陸できた一方で、2便で行った方々は雲に覆われてしまっていたということもあってか、2台のジープの割り振りは朝のままだ。
 もう1台のジープに乗ったツアーメンバーは語学に堪能だという理由もあるんだろうなと思いつつ、添乗員さんがこちらのジープに乗った気持ちも判る。


草の指輪 駐車場からパチェコの滝へ向かう途中、ガイドのベネットさんに手を出してと言われた。
 言われるまま手を出すと、草で編んだ指輪をはめてくれる。
 ツアーの方々の話を総合すると、2段重ねになっている(写真を撮らせてもらっておけばよかった!)ものと、私がもらった1段のものとがあって、2段重ねになっているものは結婚している人用(もう一つの指輪は旦那様用)だそうだ。
 そして、ツアーメンバーの方は口々に「結婚してる? って聞かれたわよ。」と言う。
 「私、聞かれてなーい! 悔しい−!」と大げさに騒いだら、後ろの方で、ベネットさんが添乗員さんに「彼女は独身じゃないの?」と聞いている声が聞こえてきた。だから、その確信の理由をぜひ述べていただきたいと思う。
 添乗員さんが「彼女は独身だけど、僕が想像するに・・・。」と言いかけたところで「勝手に推測するんじゃなーい!」と止める。今にして思えば、一体何を推測したのか聞いてから断固抗議すべきだった気がする。


 そんな阿呆な会話をしつつ2〜3分も歩けば、パチェコの滝に到着である。
 ただ、滝壺近くに行くためには、川岸のごろごろとした岩が重なったところを乗り越える必要がある。
 その手の場所だけは得意だったし、先頭を歩いていたので、とっととよじ登って特等席から滝を眺める。
 しばらく後続が現れず、来ちゃいけなかったのかしらと思っていたら、しばらくしてみなさんが続々と現れ、「添乗員さんが助けてくれたのよ。」と言う。
 後続の方を助けようという発想もなくとっとと来てしまった己れを反省した。


パチェコの滝と私 パチェコの滝は意外と高さがある。
 写真の左下に写っている私と比べると、その大きさが判ると思う。
 この赤い岩はハスペの谷の岩と同じ感じで、意外とつるつる滑って、ツアーメンバーのお一人は転んでしまっていた。
 ここで水遊びを楽しんでいる人もいる。もし私たちが「パチェコの滝でも水遊びがしたい。」と言っていたら、ここではなくて、駐車場を挟んで反対側にあった小さいパチェコの滝の滝壺に行くことになっていたそうだ。


小パチェコの滝 ジープのドライバーのレイノルドさんに、「あっちがパチェコの滝だよね?」と大きい方を指さして聞いたら、そうだという答えだった。
 次に、「じゃあ、あっちは?」と滝壺で水遊びをしている人が見える小さめの滝を指さして聞くと、やっぱり「パチェコの滝だ。」という答えだ。
 「両方、パチェコの滝なの〜?」と聞くと、笑いつつ「そうだ。」と答えていたから、両方ともパチェコの滝らしい。
 もしかして、ユリアニ・テプイから流れてくる川の滝が「ユリアニの滝」だったから、パチェコ方面から流れる川にある滝は全て「パチェコの滝」なのかも知れないと思う。


ガソリンスタンド 13時過ぎにパチェコの滝を出発し、見渡す限り蟻塚の続く草原の中をイボリボ村へ向かった。 
 途中、ガソリンスタンドに立ち寄って給油する。
 こういうときに大人しく座って待っていられない私は、ドアを開けてもらったのを幸い車を出て、給油風景の写真を撮ったり、滅多に車の通らない道まで出て写真を撮ったりした。


 添乗員さんも車を降りていた。私のように無目的にぷらぷら歩いていたわけではなく、お昼ごはんを食べるレストランまでまだ遠いので、何かお腹に入れられるものを探しに行ってくれていたらしい。
 房になったミニバナナを買ってきてくれる。
 日本のバナナとは違う香りがして美味しかった。


 バナナを食べてお腹も落ち着き、車も給油して心なしかスピードが上がったようである。
 給油して15分後くらいに舗装道路を外れ、車は土の道に乗り込んだ。
 この辺りの土は非常に浅くて、2mも掘ればすぐに岩盤に突き当たってしまう。レストランに到着する前だったか、その後だったか忘れたけれど、車窓から焼き畑を行っている様子が見られて、焼き畑でもしなければ土に栄養分は足りないわねと思う。
 逆に焼き畑を繰り返したら土壌が肥えることはないような気もしたし、これだけ雨が降れば焼き畑をしても大火事になることはなかろうと思ったりした。


 14時45分、道ばたに「このレストランは一体誰をターゲットにしてここに作ったのだろう」としばらくみんなして考え込んでしまったくらい、本当にぽつんと建っているレストランで昼食となった。
 ビュッフェ形式で、お料理を指差すと、お店の人がそのお料理をよそってくれる。
 「少し」って何て言うんだっけと思い、「ポコ?」「ピコ?」と適当に言っていたら、笑われてしまった。言葉ではなくジェスチャーで伝わったらしい。「ポコ ア ポコ」はゆっくりで、私が言いたかった「少し」は「プチ」だった。笑われる筈である。


昼食 この後はずっと揺れる道が続くと言われていたので、お酒は止めてマンゴージュース(2ドル)を頼み、かなり控えめに「これ1個。」とか「これちょっと。」とよそってもらう。それでも、気がついたらこんなにしっかりお皿にもらっていた。
 そして、この鶏の唐揚げが抜群に美味しい。
 「ケンタッキーフライドチキンより美味しい」という貧しい表現しかできないのが悲しいくらい美味しい。
 ベネズエラで食べたものの中で一番美味しかったんじゃないかと思うくらい美味しかった。
 車酔いの心配など振り捨ててビールにすれば良かった! と思ったくらいだ。


女王蟻1女王蟻2


 別棟にあったドアのないお手洗いを借りて戻ると、ツアーメンバーの方が何やら盛り上がっている。
 覗き込むと、「蟻」だった。
 全長2cmはある(写真の指は、私の人差し指である)。
 今の時期だけ外に出てくる女王蟻を、このレストランの一家が総出で集めたという。女王蟻ということは、一つの蟻塚に1匹しかいない筈で、一体どれほどの数の蟻塚を探し歩いたのか、考えると気が遠くなる。


 バケツに入っている方は、この蟻を唐揚げにした物で「カイワック」という。
 私はとうとう最後まで食べてみる勇気はなかったけれど、「どうして食べないの?」と普通に食べていたツアーメンバーの方によると、カラカラに炒った桜エビのような感じで、最後に舌に当たるワタのようなところが若干苦い、というお話だった。


 瓶に入っている方は、女王蟻を水に漬けてエキスを抽出したもので、「カイワック パル」という。
 蟻のから煎りをお食べになった方が「飲む!」と宣言し、おちょこのような器に1cmくらい入れてくれたその液(と言いたくなる)を一気飲みしていた。こんなに思い切りよく飲む人はあまりいないようで、レストランの方も流石に苦笑いである。
 こちらは「本当に水なの? お酒に漬けたんじゃないの? ブランデーみたいで美味しい。」というお味だそうだ。


 このレストランを出発したのが15時30分頃で、1時間弱でチナクの滝へ行くボート乗り場に到着した。
 ここの特記事項はお手洗いである。
 扉はあって、紙はなくて、流すための水は係の人がバケツに汲んで扉の外に置いておいてくれる。
 そして「トイレチップ1ドル」という指定は、このツアーでも初めてだ。
 こらこら、いい商売してるじゃん、という気持ちになる。


 雨が降るかも知れないと言われてレインウエアを着込み、救命胴衣を着けてボートに乗り込んだ。
 チナクの滝は、エンジンが付いているだけの木製のボートで20分くらい川を下り、そこからさらに5〜10分くらい歩いたところにある。


虹花1
花2花3


 ボートを降りて平らな道を少し歩く。
 向こうの方に虹が出ているのが見える。(この写真は相当にコントラストを上げているので、実際はまだこんなに暗くはなっていない)。
 添乗員さんとベネットさんが時間が押しているという話をしていたけれど、つい道ばたに咲くお花に目を奪われて写真を撮る。暗くなりかけていたせいかピンぼけの写真ばかりになってしまった中で、この3枚は「珍しくお花にピントが合っていた」写真である。


チナクの滝


 かなり強引にパノラマ写真にしたので妙な繋ぎ方になってしまったけれど、でも、チナクの滝の迫力がこれで感じられると思う。
 結構な高さと迫力の滝だ。
 崖のこちら側から眺めていて、当然のことながらそこには柵というようなものはない。ますます大迫力である。


 チナクの滝の最大の見どころは、帰り道にあった。
 「時間が押している」という言葉通り、ボートは飛ばしに飛ばした。
 川の水面が鏡のように静かで、ピンクが広がりつつある夕空を綺麗に映し出している。


 17時45分過ぎにボートは出発地点に戻り、ジープに乗り換えて出発した。
 もう真っ暗闇で、周りがどうなっているのか全く判らない。
 後ろの席で女4人が姦しくしゃべっているのに、助手席の添乗員さんは爆睡している。
 爆睡していた添乗員さんが、悪路に入るタイミングで見事に覚醒し、「ここから川底を走る相当の悪路ですから気をつけてください。」とコメントしたので驚いた。何か特別のセンサーでも仕込んであるのかも知れないと真剣に疑ったくらいのタイミングだ。


 ジープは揺れた。
 真っ暗で時計も見なかったけれど、多分、このもの凄い悪路は1時間強続いたと思う。
 ジープの後ろの座席は前向きではなく横向きに付いているし、手すりやつり革等の「つかまって体を支える」ものが何一つとしてない。とにかく車の動きに翻弄され、ずるずるあっちへ滑りこっちへ滑りという感じだ。


 さらに、4人全員が持ち込んでいたクッションなどでは吸収できないくらいの激しい上下動がある。
 暗くて周りが見えず、ジープの次の動きが予測できないので、翻弄されまくる。でも、楽しい。
 そんな中で蛍が飛んでいるのを発見して嬉しかった。よく見ようと窓に頭を寄せたところでジープが跳ね、ゴツンといい音を立てて勢いよくぶつけてしまう。間抜けだ。


 もの凄い悪路を可能な限り丁寧に運転してくれたレイノルドさんの奮闘で、20時にカバナヤンのロッジに到着した。
 まずお部屋に入る。今夜も隣同士になったお姉さんと「やっぱりね!」「だと思った。」と言い合う。
 ギニア高地に入って2泊目、一番年配の方が一番レストランやフロントに近いお部屋、私たちは概ね一番奥のお部屋と、すでに添乗員さんの部屋割り方針は判りやすく明らかだ。
 「ポーターはいません」という案内がありつつ結局自分たちで荷物を運んだことはなかったし、実際に部屋を使う私たちの運動量的にも、荷物を運んでくれたガイドさんや添乗員さんの仕事量的にも、非常に論理的な帰結だ。でも、少しだけ僻んでみたい気もする。


カバナヤンのロッジ お部屋に入ると、窓を閉めることができないことへの対策という感じで、ベッドには蚊帳が吊ってあった。なかなか可愛い。
 もう一つのベッドの足下にテーブルがあって、ベッドのヘッドボードのような一にある石の壁の裏側にシャワーブースとお手洗いがある。
 22時には電気が消されるため、枕元のテーブルには直径2cmくらいのろうそくがゴロンと転がしてある。
 レストランと各お部屋の明かりのみで、お部屋からレストランまでの道筋は暗いので、懐中電灯を取り出して夕食に向かった。


焼き肉とパスタとバナナ レストランには壁がなく、ツアーの方が蚊取り線香を持参してくださっていた。有り難い。
 夕食のメニューはカボチャのスープ(何故か緑色だった。胡椒が効いていて、かなりスパイシーで美味しい)、牛焼き肉とミートソーススパゲティとバナナフライ、この他に紫キャベツを使ったコールスローのようなサラダが付き、デザートはパイナップルだった。
 このパイナップルが美味しい。
 ビール(2ドル)は、色のとおり味もかなり薄めで、そのさっぱり感がなかなか美味しかった。


 夕食のときに、後で絵はがきと切手を配ります(旅行社のサービスである)、今日の消灯は22時の予定です、もうかなり冷え込んでいるしシャワーは水シャワーなので風邪予防にできればシャワーは止めておいた方がいいです、という案内があった。
 また、明日の概ねの予定について、5時30分起床、6時朝食、1時間の悪路と1時間の未舗装道路を走って空港に行き、チャーター機でカバックに行き、そこからさらにカナイマに行った後でユリの滝に行くこと、明後日は4時30分には起床してエンジェルフォール展望台に行くので、その体力温存のためにも明日の夕食は19時には食べたいと思っていること、などなどが伝えられた。


 添乗員さんに絵はがきと切手をもらった後、しばらくごそごそと荷物整理をしたりメモをしたりしていたら、22時45分になっても消灯しない。
 真っ暗闇の中に浮かび上がるテプイを撮れないものかと、用心に懐中電灯をポケットに突っ込んで外に出てチャレンジする。流石に三脚がないと難しい。
 そうこうしているうちに、一斉に各お部屋の明かりが消えた。23時だ。


 真っ暗になると、ロッジのお部屋の近くでも蛍が飛んでいるのが見えた。
 時々、光っている。
 そして、見上げると天の川も綺麗に見えている。
 でも、こっそり書くと、天の川の綺麗さではモンゴルに軍配が上がるわ、と思った。


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2009.10.18

ベネズエラ旅行記3日目その1

2009年8月17日(月曜日)


朝焼け 1便のヘリに乗る4人は、5時30分にモーニングノック、6時出発と言われて起きられるかどうかちょっと心配していた。
 4時半に目が覚めたものの、寝ぼけて旅行用の目覚まし時計を落としてしまい、文字盤のライトが点かなくなってしまった。不便だ。
 5時過ぎにふと外に目をやると、明るくなってきている。
 朝焼けが綺麗だったので、写真を撮りに外に出た。私が泊まった部屋から少し坂を下ると、丸く開けた場所があり、見晴らしがいい。


 写真を撮っていたら、何となくロッジの方で物音が聞こえて来て、モーニングノックをしますと言われていたのを思い出した。
 足下でじゃれついていた犬たちと一緒に慌てて走って戻ると、添乗員さんがこちらに歩いて来るところだった。やはりノックをしても全く返事のない私の部屋に不審を感じていたらしい。
 「ごめん、ごめん。」と謝ると、添乗員さんに「犬と一緒に走ってくるから、ロッジの人かと思いました。」と言われた。
 お隣の部屋の人は2便のヘリで、もっとゆっくり眠っていられたのに、きっとこれで目が覚めてしまったことだろう。申し訳ない。


レストラン犬たち


 10分前に集合場所のレストランに行くと、添乗員さんが塩羊羹と梅干しを用意してくれていた。有り難くいただいて血糖値を上げ、ロッジの人が用意してくれたコーヒーで身体を温める。
 かなり寒くなると言われていたので、スパッツの上に綿のカーゴパンツをはき、上もタンクトップ、長袖シャツにダウンのベストを着て、レインコートの上を持った。この時点では、かなり暑い。
 1便のヘリに乗る4人でジャンケンをして、最初に勝った人は行きが助手席、次に勝った人は帰りが助手席、あとの2人は後部座席に進行方向を向いて座ることになった。
 最後にベネットさんが乗り込んで出発である。


ヘリから 出発した時点では青空が広がっていたし、添乗員さんも「これなら大丈夫でしょう。」と言ったけれど、テプイが近づくに従って、どんどん雲が広がり、テプイのしかも頂上付近を厚めの白い雲が覆っていた。
 天気とは判らないものである。


 この遊覧ヘリでは、できればロライマとクケナンと両方のテプイに行ってくれと頼んだそうだ。
 恐らく、最初はロライマ・テプイにヘリは向かっていたと思う。何しろ、ネームバリューが違う。かの「ロストワールド」のモデルとなったのがロライマ・テプイだ。
 サンタ・エレナ・デ・ウアレインからロライマ・テプイまでは120kmくらい離れており、ヘリはそこを40分で飛ぶ。


テプイ流れ落ちる雲


 ロライマ・テプイに着陸するのは無理だと踏んだのか、ヘリは絶壁を掠めるようにしてクケナン・テプイに向かう。
 この辺りからヘリの高度が上がったらしく寒くなってきて、慌ててベストとレインコートを着込んだ。
 テプイの頂上に着陸できない場合には、できるだけ間近を飛んでテプイを見られるようにしてくれるという話も聞いていたので、この「絶壁を掠めるように飛ぶ」時間が長くなるにつれ、このまま着陸できないのではないかという不安が増大する。
 誰も口には出さなかったけれど、後で聞くと、みなそう考えていたそうだ。


 この遊覧ヘリで一番楽しめるのはヘリの助手席で、その次は、着陸できなかった場合のことを考えると恐らく助手席側で進行方向を向いた席なのではないかと思う。


クケナン・テプイに着陸したヘリ テプイの着陸地点を探し始めてから20分後、ふっと下の方に黒っぽい地面が見えてきたと思ったら、ヘリはふわっとクケナン・テプイに着陸した。
 地面は平らにはとても見えない。よく着陸したものである。
 ベネットさんの先導で歩き始める。
 地面は黒い石で、堅い。濡れているせいもあって、滑る感じがする。「土」と言えるようなものはなく、ここに降った雨はそのまま流れていってしまうというのがよく判る。
 植物も生えてはいるけれど、花が咲いているという感じではない。


 流れてくる川の上流に向けて歩き始めた途端、ベネットさんがこれから向かおうとしていた方向を指さして、「雨だ!」と叫んだ。
 雨なんて降っていないよと思ったのもつかの間、上流から白っぽいものがこちらに押し寄せてきたと思うや、本当に大粒の雨が降ってきた。
 この間、多分、5分もたっていないと思う。


 雨が降り続いてヘリが離陸できなくなってしまったら大変である。
 5人してヘリに駆け戻り、全員が乗り込むやいなや、ヘリは離陸し、私たちのクケナン・テプイ滞在は終わった。
 残念。
 でも、自分の足であそこに降り立ち、歩けたことは、やっぱり嬉しかった。
 慌てて思いっきり水の流れに足を突っ込んでしまって判ったところでは、かなり冷たい水だった。


ヤッコ・キャンプのヘリポート ヤッコ・キャンプに戻ったら、完全な青空だったのが何とも皮肉である。
 こっちはこんなにいいお天気なのに、と思ってしまう。
 それにしても、「見晴台かしら」と思って朝焼けの写真を撮っていたこの狭い、平らとも言い難い丸がヘリポートだったのには驚いた。
 あれだけ平らではないテプイの頂上にも着陸するのだから、ヘリの自由度は高いし、パイロットの腕がかなりいいに違いない。


 ロッジに戻ったのが7時30分くらいで、そのまま朝食をいただいた。
 パンケーキ、パン、ハム、チーズ、目玉焼き、ジュースにカフェオレというメニューだ。後から思うとこのロッジの朝食が一番洋風だった。
 お腹も空いていたし、ビュッフェ形式だし、たくさん食べた。
 レストランの空いたテーブルには、昨日の夜は気がつかなかったTBS世界遺産のDVDや、Tシャツ、絵はがきなどのお土産が並べられていた。


朝食 朝食を食べているときに、2陣の4人がレストランで寛いでいるのにヘリがまた飛び立つのが見えた。驚いたけれど、燃料を補給しに行ったそうだ。
 ヘリの燃料補給と、テプイ上空の天候回復を待ち、彼女たちは8時頃に離陸して行った。


 第2陣の出発が遅れたので、ハスペの谷で落ち合うことになる私たちの出発もゆっくりになったのは有り難い。
 有り難いといえば、「旅のしおり」では、荷物は車の上に積むので雨に濡れても大丈夫なようにビニル袋に入れてくださいとあったけれど、「これくらいの量なら大丈夫」ということで、ジープの上に積んだ荷物をブルーシートの黄色い奴で覆ってもらえたのも有り難い。ビニル袋だとやはり何となく頼りない気がする。
 ハスペの谷での水遊びに備えて水着を着込み、ヘリ第1陣の4人と添乗員さんで、9時にロッジを出発した。


 昨日は、カラカスに到着してそのまま国内移動で観光をしたので、リュックとレスポのショルダーバッグと両方を持ち歩いていた。今日からは機動性を考え、リュック一つを持ち歩くことにする。
 もっとも、ギアナ高地まで来てしまえば治安面では問題ないのか、「車に荷物を置いておいて構いません。」と言われる。実際に観光するときには、カメラとタオルくらいをエコバッグに入れて持ち歩くことが多かった。
 いわゆるセーフティバッグというのか、パスポートが入るサイズの貴重品入れ(肩掛け式になっている)を使ったのはこの旅行が初めてだ。街中でしょっちゅう出し入れの必要があるなら別だろうけれど、「とにかく肌身離さず持つ」ことが目的の今回の場合はかなり便利に感じた。


 サンタ・エレナ・デ・ウアレインの町は、もうすぐブラジル国境という位置にある。
 産油国であるベネズエラは石油が安く、従ってガソリンも安い。サンタ・エレナ・デ・ウアレインの町のガソリンスタンドにできている行列は、安いガソリンを求めて国境を越えてきたブラジルの車が多い。
 他にも添乗員さんがサンタ・エレナ・デ・ウアレインは観光産業ではない別のものが主幹産業になっているとか、前にサンタ・エレナ・デ・ウアレインの町中のクラブに行ったときの話等々、町の話をしてくれた。ちゃんと思い出せなくて残念である。


 40分くらい車で走り、ハスペの谷に到着した。
 すでに第2陣の4人が到着していて、お土産物などを見ていたらしい。話を聞くと、私たちのとき以上に厚い雲に覆われてしまっていて、近づくことも大変で、着陸できなかったという。
 パイロットが早い内に無理だと判断し、ハスペの谷にも30分くらい前に着いていたという。
 天候回復を待ったし、第2陣の方が好条件だと思っていたので、ちょっと驚いた。


蝶 全員が揃ったところで、駐車場から土の道を数分下り、ハスペの谷(というか、滝)に到着した。
 「ハスペ」とは「ジャスパー」のことである。
 赤いのにどうして「碧玉」なのか、実は未だに判らない。
 川は浅く、滝も川底もキラキラ光ってとても綺麗だ。
 ちょうど川にたどり着いたとき、青い大きな蝶がひらひらと川面を飛んでいるのが見えた。慌ててカメラを向けたものの、ピンぼけもいいところである。
 この蝶を見かけたのは、滝に到着したこのときだけだった。


 川沿いに、ベンチと隙間だらけながら屋根が作られていて、そこに荷物を置き、服を脱いで水着になった。
 これだけ水深が浅ければ危ないこともないし、水遊びの開始である。
 つるつると結構滑るので裸足では危ないし、ビーチサンダルだと今度は水の流れにサンダルが持って行かれそうになる。
 100円ショップで見つけた、つま先だけの5本指靴下がベスト・チョイスだった。これなら全く滑らない。


ウォータースライダー 滝から少し川下に歩き、川の流れが少し強くなっているところではウォータースライダーができるという。
 ツアーメンバーのお一人がチャレンジしたけれど、なかなか滑らない。
 ベネットさんが実演してくれ、いい勢いでしゃーっと滑ることができる。勢いが良すぎて、写真が上手く取れないくらいのスピードが出る。
 ベネットさんは、「水着を着ていると摩擦が起きて滑らない。」と言う。
 ベネットさんが、親ガメの上に子ガメという感じでツアーの方を背中に乗せ、さらに勢いよく滑っていた。


 日も差していたのに、これで雨になるとは誰が思うだろう。
 でも、降った。しかも、土砂降りである。
 添乗員さんが「10分もすればやみますよ。」と言うし、他にどうしようもなくて、隙間だらけの屋根の下で雨宿りをする。
 添乗員さんの「あと5分くらいで。」を3回は聞いた気がするから、このスコールは20分くらいで止んだと思う。


 お手洗いを借りて着替え、11時くらいにハスペの谷を出発した。
 途中、昨日も見かけたサンフランシスコ・デ・ユリアニ村を通りかかった。ぱっと見たところは「お土産物村」に見える、不思議な場所だ。
 道路にはトペがあって車はスピードを緩めざるを得ず、車を寄せるように指示され、ライフルを持った兵隊さんが何やらドライバーさんたちと話している。剣呑なようにも見えるし、旧知が通りかかったから声をかけただけにも見える。


 添乗員さんに「パチェコの滝でも泳ぎますか?」と聞かれたとき、恐らく全員が「もう水は十分に堪能した」という気分だったに違いない。もう一度水着を着るのも面倒だし、全員一致で「泳がなくていいです。」と答えた。
 その分、ちょっとだけ時間の余裕ができたらしい。予定にはなかったユリアニの滝に寄ってもらえることになった。
 舗装道路から外れてジープで走ること数分で到着である。


ユリアニの滝岸辺の花ユリアニテプイ? ユリアニの滝の「ユリアニ」は、ペモン族の言葉で「猿」を意味する。
 ユリアニ・テプイから流れてくる川にある滝だから「ユリアニの滝」である。
 帰り際、ふと振り向いたら川の上流の方角に不思議な形のテプイが見えて、シャッターを押した。このテプイがユリアニ・テプイであるかどうか聞いておけば良かったと思う。


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2009.10.17

ベネズエラ旅行記2日目

2009年8月16日(日曜日)

 15日23時59分発予定だったコンチネンタル航空1666便は遅れ、すでに日付の感覚がなくなった16日に入ってからベネズエラのカラカスに向けて離陸した。
 相変わらず添乗員さんの口ぶりと佇まいから「寝てください!」というオーラが押し寄せてくる。
 少しは眠れるかと機内食をパスしたものの、やっぱり眠れなかった。

 機内で添乗員さんがベネズエラの入国カードを「サインもしておきましたから。」と配ってくれた。
 そして、配りつつ「ベネズエラの入国カードは機内でしかもらえないので、次のツアーに使い回しますから入国カードを配りに来たらもらっておいてください。」と言う。
 添乗員さん同士で協力し合い、入国カードを予め書いておけるように工夫しているらしい。なるほどと思う。

 (ここからベネズエラ時間で表記。)

 4時くらいに点灯し、入国カードが配られ、そしてもう1枚、ぺらぺらっとしたA4の紙が配られた。
 何これ? と思っていると添乗員さんがやってきて、「急に、新型インフルエンザ関係の調査票に記入しなくてはならなくなったようです。書き方を確認するので判るところだけ埋めておいてください。」と言う。
 名前、パスポート番号、国籍、どこから来たか、滞在日数等々の入国カード記載事項と入国審査での質問事項のような質問はスペイン語と英語で併記されている一方で、健康状態の質問だと思われる最重要項目はスペイン語のみだ。
 英語もスペイン語も堪能な添乗員さんは、客室乗務員に内容を確認した上でやってきて、ぱぱぱっと回答を書き込んでくれた。

 5時30分、カラカスに到着した。
 入国審査はあっという間に終わり、ターンテーブルでキャリーケースをピックアップする。全員の荷物が届いたことを確認し、添乗員さんがほっとした様子を見せていた。ここで届かないと、ツアー中、荷物を手にすることはできないというから深刻である。
 このツアーでは、カラカスでスーツケースからソフトバッグに荷造りし直し、スーツケースは現地手配会社に預かってもらう。
 私はキャリーケースにボストンバッグをぽんとそのまま入れて来たのでボストンバッグを取り出せば荷造り完了だ。ツアーメンバーには、空のボストンバッグに詰め直す方もいて、大変そうだった。

 荷造り後、国内線のターミナルにバスで移動した。
 暑い。湿度といい、温度といい、日本の夏といい勝負である。
 レートは1ドル=2.15ボリバールくらいだと説明があった。併せてロッジなどでは米ドルが使えるので両替する必要はありませんと説明があり、誰も両替しなかった。
 そういえば、機内で配られた新型インフルエンザの調査票は、結局、回収されることもなく、入国審査で質問されることもなく、手元に残った。謎だ。

朝食 朝食を摂る予定のレストランが閉まっていたため、国内線のセキュリティチェックを抜けた先のカフェで朝食を食べることになった。
 添乗員さんが「ベネズエラらしいものが食べられるカフェを見つけました。」と走って戻ってきて、8時前、「macinato caffe 21」に入った。
 メニューは、カレー味のチキンをトウモロコシのパンで挟んだもの、グアバのジュース、アップルパイ、この写真には載っていないけれど食後のカフェコンレチェである。これ全部で一人分500円くらいだそうだ。

 トウモロコシパンの具は、何種類かあるうちから選ぶことができた。私は添乗員さんのお薦めに従ってチキンにした。ツアーメンバーにチキンが苦手でビーフを頼んだ方がいらして、ちょっと味見させていただいたら(我ながら、旅行始めから図々しい限りである)そちらも美味しかった。
 コーヒーメニューはスタバ並みのバラエティがあったけれど、注文すると「それはできない。」という返事ばかりで、提供できるのはエスプレッソかカフェオレかどちらかだけだったらしい。
 みんなして「だったらメニューに載せなければいいのに。」と笑った。

 プエルトオルダス行きのアセルカ航空R7-742便は11時発予定で時間はたっぷりある。
 添乗員さんが「これがカラカスで一番高級なチョコレートです。」と一口サイズ(2.5cm×2.5cm×3mmくらい)のチョコレートを買って来てくれた。確かに高級そうなパッケージで、カカオ含有率が異なる6種類のチョコレートが入っている。12枚で35ボリバール(1600円強)、24枚で55ボリバール(2600円弱)だから、結構なお値段だ。
 チョコレートをつまんでコーヒーを飲みながらの自己紹介タイムとなった。

 添乗員さんの腕時計は世界各国の時差を覚え込んだ賢い腕時計で、カラカスに到着したときに「時計を1時間進めてください」と言われていた。
 けれど、日本とベネズエラの時差はマイナス13時間30分、日本とヒューストンの時差は14時間と旅行社から届いた「旅のしおり」に書いてあったし、空港にあった時計も時計ごとに10分くらいは指し示す時刻が違っていたけれど、でも、概ね30分進めればいい感じに見えた。
 結局、ここでおしゃべりしているときに「今年の初めに、チャペス大統領が標準時刻を30分ずらしてしまったそうです。」というオチがついた。添乗員さんの時計はその「新しいベネズエラ時間」に対応していなかったらしい。
 添乗員さんは「旅のしおり」を手にしていないのだと確信した。

 11時離陸予定の飛行機は、ボーディングタイムが10時と表示されていたのに実際に乗り込めたのは10時30分くらいだったし、ボーディングチケットには27Cと席番が書いてあったのに実際に乗り込んだ飛行機の座席は「AB DEF」という配列だったり、にもかかわらず「Cがない!」という騒ぎはほとんど起きていなかったり、離陸するまで機内に全く冷房が入らなかったり、ベネズエラ航空もなかなかやってくれる感じだった。
 そして、無駄に美人のスチュワーデスさん達が、全くの無表情で救命胴衣等々の説明を実演してくれる様子は微妙にコワかった。

カラカス空港 ベネズエラはカリブ海に面した国である。
 カラカス空港からもカリブ海を望むことができる。この写真の奥に見えるのがカリブ海だ。
 いわゆるビーチリゾートとしてイメージするカリブ海はもうちょっと北になり、ベネズエラで見た最初で最後のカリブ海は、残念ながら、このとおり普通の「海」だった。

 1時間のフライトで、ベネズエラ第2の都市であり、工業都市でもあるプエルトオルダスに到着した。
 到着した途端、ルエパ行きの飛行機が待っていると言われ、慌ただしく荷物をピックアップして滑走路に向かう。
 ベネズエラの空港では荷物用カートの使用範囲が厳格で、プエルトオルダスの空港でも、荷物を載せて動き出して3mくらい進んだ自動扉の前で「ここから先はダメ。」と言われてしまった。

 添乗員さんの「飛行機が待っていてくれるなんてラッキーですからね。この先もこれが続くとは思わないでくださいね。」という悲鳴のような説明を聞きつつ、15人乗り(操縦席を除いて3席ずつ5列あったと思う)セスナに乗り込んだ。
 このツアーでは、プエルトオルダスから先の飛行機は全てチャーター機だそうだ。当然、乗客は私たち一行9名のみである。
 そして、このセスナに乗るからスーツケースは持参できないんだということがよく判った。各自の荷物は、機内の後方に適当に積まれていたと思う。

セスナ機 12時45分に離陸し、14時10分くらいにルエパ空港に到着した。
 しかし、ここは空港なのか? と思う。
 滑走路がある、飛行機が方向転換するためのスペースがある、遠くにレーダーが見える、以上、という感じだ。その他には何もない。
 滑走路の端っこに、今日の宿まで連れて行ってくれるバンが待っていて、他には本当に何もなく誰もいない。
 ルエパ空港ではなく、ルエパ滑走路と呼びたい。

 このルエパ滑走路で、サンタ・エレナ・デ・ウアレインでのガイドであるベネットさんと落ち合った。
 彼はペモン族の人で、34歳でガイド歴17年、17歳のときからガイドの仕事をしているベテランだ。かつ、ロライマへ300回以上登頂しているという。スペイン語と英語を話し、3児のパパでもあるそうだ。私から見たら「超人」である。
 「明日からは悪路を走るのでジープです。」という説明を聞きつつ、普通のバンに乗り込んだ。
 今日のところは、道も舗装道路で、快適なドライブである。

レストラン昼食

 1時間ほどでカマの滝に到着し、まずはお昼ごはんになった。
 すでに15時を回っている。流石にレストランにお客さんはいない。
 空港を除くと初のベネズエラ国内での食事で、どんなものが出てくるのだろうと思ったら、普通に美味しいごはんでちょっとほっとした。
 ベネットさんが飲み物(ビール、水、コーラ等)を提供してくれる。流石に初日で疲れていたので私はビールは遠慮し、飲んでいる方から缶を借りて撮影した。
 焼いたバナナが酸味と甘みがあって美味しかった。

 このレストランで初めて、ツアーメンバーから「プリプリ」に刺された人が現れた。
 プリプリは、ごま粒ほどの小さな黒い虫で、多分、蚊の一種だろうと思う。
 プリプリに刺されると最初はかゆくもなく、赤くなるだけだ。しかし、そのうちにもの凄くかゆくなってくる。刺されてしばらくすると、膿というのか透明のトロリとした感じの液体が溢れるように出る。
 かなり厄介な虫である。
 もちろん、この後もプリプリに悩まされたし、最終的には全員が刺された。
 この時点では「私は大丈夫」と思っていた人の方が多数派だった筈である。私もそのクチだ。

カマの滝上流 満腹し、お手洗いにも行って落ち着いたところで、カマの滝まで散策した。
 「カマ」は「吸い込む」という意味で、この滝のほんの少し上流が街道筋で渡河ポイントとなっており、川を渡るときにこの滝に吸い込まれてしまう人がたくさんいたことからこの名前が付いている。
 考えてみたらコワイ話である。確かにこの浅瀬と、それほど早くなさそうな流れの感じから、つい油断してしまったろうと想像できる。
 今はもちろん橋がかかっているから吸い込まれることはない。

 「カマの滝」は、何というか、普通の滝だった。川が流れてきてストンと落ち、そのまま再び川となって流れて行く。
 カマの滝で話題になったのは、滝ではなく、「ハキリアリ」だ。
 ハキリアリが列を作り、自分の身体と同じくらいの大きさの葉っぱを運んでいるのを見て、添乗員さんやツアーメンバーの方々が色めき立つ。ベネットさんの反応は覚えていない。
 正直に言って、どうしてこの「ハキリアリ」が皆さんの注目を集めているのか、私にはよく判らなかった。

ソープストーン 私が心惹かれたのは、ハキリアリではなく、カマの滝から駐車場までの道筋に展開されていた露店だ。
 ソープストーンという白とピンクの縞模様が浮かんだ石を置物やアクセサリに加工したものが売られている。
 「まだ旅は始まったばかりだし」と真剣に見ることもなく通り過ぎてしまったけれど、結局ソープストーンについてはここが一番品揃えが豊富で、「買っておけばよかった!」と後悔した。
 しかも、この辺りを歩いているとき、一人遅れた私はベネットさんと一緒で、お買い物をする条件は整っていたのに、惜しいことをした。
 レストランの辺りまで戻ってくると、ツアーメンバーのみなさんは売店でお水を買っていた。1.5lくらいのミネラルウォーターが2ドルで買える。私も真似して購入した。

クケナンテプイ 16時過ぎにカマの滝を後にし、バンは、舗装道路をサンタ・エレナ・デ・ウアレイン目指して爆走した。
 このまっすぐな道路の左前方に見えている直角のグレーの影がクケナンテプイである。明日早朝、ヘリで目指す予定の卓状大地だ。
 この空模様からも判るように、この後、サンタ・エレナ・デ・ウアレインに到着するまで、何度もスコールとスコール後の虹とを見た。

眠れるインディオ もう一つ、サンタ・エレナ・デ・ウアレインに到着する前の必見ポイントがこの「眠れるインディオ」の山(岩)である。
 ベネットさんが教えてくれた。
 遠くにグレーの影になって見える卓上台地が、横たわった人の形に見える。

 サンタ・エレナ・デ・ウアレインの街に入り、丘の上に位置するロッジに向かう登り坂の曲がり角にジープが停まっていた。スコールのせいで急にぬかるんだ路面にタイヤをとられ、脱輪し、ブレーキオイルが漏れてしまったらしい。
 ジープはすぐに動かせる状況ではなく、避けて通れるだけの道幅もなく、「荷物は運びますから、ここからロッジまで歩いてください。」ということになった。

 18時過ぎ、今日の宿であるヤッコキャンプに到着した。
 ヤッコキャンプの「ヤッコ」は、ペモン族の言葉で「無事に帰る」という意味である。
 夕食前にシャワーを浴びてしまってくださいという案内があり、部屋に入って休憩した後、19時から夕食になった。

 部屋に入ってバスルームを開けると、そこには黒い毛虫がいた。3cmくらいで、特に動きもせず、ごろんとしている。
 「ひえー」と思って固まっていたらベネットさんが荷物を届けてくれたので、手招きして指さし、毛虫を捕ってもらった。
 ベネットさんは不思議そうに「コイツは毒もないし、フレンドリーな虫だよ。」と言う。そういう問題ではない。

 ヤッコキャンプは、24時間電気がつき、お湯の使用も可能である。
 私の部屋は、ロッジ形式で一つの建物を2部屋に分けてある形だ。他に2階建てで4部屋取ってある建物もあった。
 お部屋には小さめのダブルベッドとテーブルがあり、バスタオルが2本用意され、浴用タオルはない。アメニティは一切ないのに、何故か紙コップの用意があった。

夕食 シャワーを浴びてさっぱりし、レストランに向かった。
 レストランには壁がなく、こんなに明るくしたらプリプリが集まり放題ではないかと思っていたら、蚊取り線香を持参してテーブル下に置いてくださる方がいた。用意周到な彼女に感謝し、食事が始まる。
 お昼ごはんが遅かったし、お腹は全く空いていないよと思っていたらとんでもない。ぱくぱく食べられる。車に揺られ、実は結構お腹が空いていたらしい。
 夕食のメニューは、グリーンサラダ、ジャガイモをゆでて香味野菜をたっぷり散らしたもの、スライスした牛肉の煮物、材料が何だか判らない炒め物だ。この写真の右奥で四角いお皿に入っている炒め物は皆の一番人気だった。

ベネズエラワイン ベネズエラワインがあると言われ、他にお二方「飲む。」という方がいらして、私も便乗させてもらった。
 さっぱりとして飲みやすい赤ワインで、1本20ドルだ。
 実は、ベネズエラ産のワインに出会えたのはここが最初で最後で、後になって、こんなことならここで1本買えるか聞けば良かったと思った。

 夕食のとき、隣のテーブルに日本人グループがいた。
 この旅行中に日本人の方に会ったのは、このときが最初で最後だ。
 漏れ聞こえてきた話によると、「明日は、エンジェルフォールの足下のキャンプ地で寝袋に入ってハンモックでの宿泊になります。」と添乗員さんが説明していて、私たちよりも3ステップくらいワイルドかつハードなツアーのようだ。

 夕食後、明日の予定の確認があった。
 早朝に実施される、オプショナルの卓状台地へのヘリコプターにツアーの全員が参加する。料金は人数その他で変わるそうで、今回は一人570ドルだ。
 ベネットさんも一緒に行ってくれるという。
 卓上台地への着陸成功率は概ね80%で、先週は成功している。意外な高確率に驚いた。

 ヘリコプターは6人乗りで、4人ずつ2回に分かれてのフライトとなった。
 1便で飛んだら帰って来てから朝食を食べて車でハスペの谷に向かう、2便で飛ぶ場合は先に朝食を食べて水着に着替えてから飛び、ヘリはハスペの谷に直接向かう、という説明がある。
 添乗員さんは、グループ分けの心づもりがあったようだけれど、「それでもいいけど、1便がいいか2便がいいか希望を取って、それが人数に収まればいいんでしょ?」と言った方がいて、その場で希望を取ることになった。
 2便の方がタイムスケジュール的に忙しそうだなと思い、1便に手を挙げたら、1便の希望者はちょうど4人だった。関西からいらしたお三方が手を挙げている。
 手を挙げなかった4人の方が遠慮された結果のような気もしつつ、グループ分けがこれで決まった。

 部屋に戻り、明日に備えて寝る準備に入る。
 対角線上にある窓を細めに開け、七分袖のTシャツに足首までのスパッツ、毛布を1枚かけてちょうどいい。寒すぎて眠れないとか、暑くて耐えられないということはなかった。
 今日はセスナに乗った辺りからかなりだるくて熱っぽかったので(ごはんを食べたらかなり復活したので、単に空腹だっただけかも知れない)、熱を下げるべく体中に冷えピタと休足時間を貼り、明日の4時30分起きに備えて22時に就寝した。 

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2009.10.12

ギアナ高地の写真をアップする

 マイフォトに2009年8月15日から8月23日まで行って来たベネズエラの写真をアップした。
 乗り継ぎで降りたヒューストンや、ベネズエラの首都であるカラカス、国内線の飛行機からチャーターのセスナ機に乗り換えたプエルトオルダスでも多少の写真は撮ったのだけれど、ここはやはりギアナ高地の写真で固めることにした。
 
 そういうわけで、写真は8月16日に始まり20日で終わる、4泊5日分である。

 この後、多少の写真の入れ替えがあるかも知れないし(かなり迷ってこの32枚にしたのだけれど、大抵、旅行記を書いていると入れ替えたくなってくる)、コメントも旅行記を書いてから改めて書き直そうと簡単なメモしか書かなかったのだけれど、とりあえず、これらの写真がギアナ高地の写真の厳選版である。

 アップした写真はこちら。
 どうぞ、見てやってください。

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2009.10.11

190000アクセス達成!

 ついさっき(2009年10月11日の午前9時台)、どなたかが190000アクセス目を踏んでくださった。
 10000アクセスをいただくのに1ヶ月と13日で、前回に続いて最短記録を更新した。
 嬉しい。
 相変わらず「持ち物リスト」(特にエジプト編)へのアクセスが多く、それで押し上げられたのだと思う。

 ちなみに、これまでの経過は以下のとおりである。
 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 20000アクセス 2005年11月16日
 30000アクセス 2006年3月30日
 40000アクセス 2006年8月1日
 50000アクセス 2006年11月22日
 60000アクセス 2007年5月16日
 70000アクセス 2007年9月6日
 80000アクセス 2007年12月28日
 90000アクセス 2008年3月14日
100000アクセス 2008年6月15日
110000アクセス 2008年8月12日
120000アクセス 2008年9月23日
130000アクセス 2008年11月9日
140000アクセス 2008年12月27日
150000アクセス 2009年2月21日
160000アクセス 2009年5月5日
170000アクセス 2009年7月13日
180000アクセス 2009年8月29日
190000アクセス 2009年10月11日

 こうして続けていられるのは、遊びに来て、読んでくださる方のおかげです。
 ありがとうございます。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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