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2010.01.03

ベネズエラ旅行記7日目

2009年8月21日(金曜日)

 この日は3時に起床した。
 モーニングコールは4時にホテルからと添乗員さんからと2回ある。しかし、モーニングコールの時間に起きたのでは全てにトロい私は準備が間に合わない。
 4時15分にはバゲージダウンでお部屋の外にキャリーケースを出した。
 往路はリュックとレスポのバッグの両方を手荷物で持っていたけれど、何だかそれも面倒くさくなってリュックをキャリーケースに押し込んだ。

 キャリーケースを廊下に出したその足で朝食に向かう。
 朝食は昨日のレストランではなく、プールサイドでいただくようになっていた。添乗員さんがお味噌汁を作っている。曰く「エンジェルフォール展望台に行く日の朝に作ろうと思っていたんですが、忘れました。」とのことだ。
 有り難くいただく。
 朝起きたときにドアの下に添乗員さん作成の「旅の記録」がはさんであったので聞いてみると、昨日の国内線の待ち時間と昨夜ほぼ完徹で仕上げたと言う。頭が下がる。

朝食 現地の旅行社のスタッフからは「もっと早めに空港に行った方がいい。」と言われ、ホテルの厨房のスタッフからは「そんなに早くは用意できない。」と言われて調整を取った結果、「4時から朝食が食べられます」という予定になったようだ。
 温かいものも色々と用意してある。有難く思いつつ、昨日の夕食を遅めの時間にたっぷりといただいたこともあって、軽くシリアルと(お味噌汁と)フルーツの朝食にした。

 フロントで直接頼んだ方がポストへの投函は有料だと言われたそうで、添乗員さんがまとめてホテルのスタッフに絵はがきを託してくれた。
 5時にホテルを出発した。
 この車の中で、ツアーメンバーのお一人が「真夜中にお手洗いの水が止まらなくなってしまった。」という話を始めた。彼女の話は流石の関西人で絶対にオチがあるので、みな、興味津々で聞き入る。
 彼女のお部屋の隣が添乗員さんのお部屋だったので、相談しようと3回電話をしたけれど、そのたびにスペイン語の美女の声が答えるだけだったそうだ。
 これはどうしたことかとついに添乗員さんの部屋に出向いてドアをノックしたところ、添乗員さんが顔だけ覗かせた。

 彼女はここで話を止め、車内は大爆笑の渦となった。
 そこへ被せるように、添乗員さんが「僕を陥れようとしているんですか。」と呻いて頭を抱えたから、車内の笑いは一層大きくなる。
 そんな一体感溢れる感じのまま、30分くらいで空港に到着したまではよかったけれど、ここから先が長かった。
 一体誰がこんな事態を想像しただろう、というくらいの、受難の時間の始まりである。

 まず、パッキングについてのインタビューがあると言われ、その行列を抜けるのに1時間かかった。
 しかも、行列したものの、添乗員さんが「自分でパッキングしましたかっていう質問だけなので、僕がまとめて答えておきました。」と言う。
 このインタビューとインタビュー待ちの時間に一体どんな意味があったというのだろう。

 昨日のおやつの「バナナの羊羹みたいなもの」をお土産に購入された方がいらして、それがどうもX線を通すと怪しげなものに見えたらしい。
 この方の後ろに並んでいた私たちのグループは全員、X線を通すまでもなく、預入荷物をオープンチェックされることになった。
 ベネズエラのお菓子でしょ! とツッコミたい気分だ。

 女性の荷物を調べるのは女性の係官で、かつ「これは何?」と言っては一つ一つ取り出すから時間がかかる。
 そのうち、「この袋は衣類。」「これはサンダル。」と私が取り出して中味を説明して詰め直す、というやり方になった。
 大きなノートを持っていて、そこに「FLASH LIGHT」だの「COFFEE」だのと書き込んでいる。
 この検査に果たして意味があったのか、やはり謎である。

 リュックをキャリーケースに詰め込んだため、リュックの体積とリュックに入れていたものの体積とで、私のキャリーケースはパンパンになっている。
 丁寧に「全部詰めてやる」という気概を持って詰めたならいざ知らず、適当に詰めた後で閉めるのはかなり大変で、最後には添乗員さんに上に乗っかってもらってやっとファスナーを閉めることができた。

 荷物を詰め直して預入れした後、手荷物のバッグを2回もX線に通してやっと出国審査に辿り着いた。
 この出国審査の行列を見張っていたっぽいおじさんが何故だかフレンドリーで、「疲れたよ。」と苦情を申し述べたら、「今のは日本語で何て言うんだ?」と聞かれ、「僕は合気道をやっていたんだ。」という話になり、楽しくおしゃべりできたのが救いである。

 搭乗予定時刻をだいぶ過ぎて出国審査を抜けることができた。
 それでも、ここだけは行かなくてはとお土産物屋さんに寄る。
 ベネズエラ特産だというラム酒が欲しかったけれど、免税店のおじさんにボーディングチケットを見せたら「コンチネンタル航空は免税店で購入したアルコール類も持ち込めない。」と言われ、泣く泣く諦めた。
 代わりに、これまたベネズエラ特産だというチョコレートを買う。6種類のカカオ含有率の異なる板チョコのセットが一つ17ドルだった。
 到着したときに添乗員さんが買って来てくれた、一口サイズのチョコレートの詰め合わせが見つからず残念だ。

 大急ぎでお土産を買い込んで搭乗ゲートに向かったら、そこにも行列ができていた。
 3度目のX線検査である。
 どこかで事件があったのだろうか、というくらいの警戒ぶりだ。

 軍人のようにも見える結構な人数の係官が待ち構えていて、手荷物のバッグを指して「ずっと持っていたか。」「誰かから預かったものはないか。」と聞く。
 さらに、手荷物まで全員オープンチェックすると言う。
 明らかに我々一行が狙い撃ちされている気配に添乗員さんが大抗議をしても、聞く耳を持つ気配はない。

 さらに、ツアーメンバーのお一人の預入荷物に何か問題があるということになったらしく、荷物の積み込み口に残してあるので、そこへ一緒に行って検査を受けろと言われたらしい。
 添乗員さんが、「預入の前に全員がオープンチェックを受けているのにどうしてそんなことをされなくちゃいけないんだ。」とか「自分がこのグループの責任者だから一緒に行かせろ。」等と、さらにヒートアップして大抗議をしても、これまた耳を貸すような気配はない。

 彼女は、安全のために蛍光色のチョッキを着せられ、係官と一緒に地上に別に置かれた荷物のところに行くことになった。
 ご本人も「別に変なものは何も持っていないし、すぐ終わるでしょ。」と落ち着いていたし、「写真を撮ってあげたいけど、ここでさらに揉め事を起こす訳にはいかないわよね。」とおっしゃるツアーメンバーの方も見事な落ち着きである。
 流石、旅慣れた人々は違う。
 一番、落ち着かなかったのは添乗員さんかも知れない。

 ショルダーバッグにパンパンに詰め込んでいた私の荷物は、ただでさえ検査のために係官がはめているビニルの手袋とファスナーとの相性が悪いらしく、チェックというよりも開け閉めに時間がかかる。
 手伝おうとすると、当然のことながら「Don't touch!」と怒られてしまう。
 ここでライターを取り上げられ、裁縫セットの小さなはさみは責任者の人に確認された上で返して貰えた。ルール的には逆じゃないかと思ったけれど、お目こぼしをしてもらったのだから文句を言う筋合いでもない。
 最後には「開けておいて。後で自分で閉めるから。」とファスナー全開のままバッグを返してもらった。

 私の手荷物検査が終わる頃には、もうすでに辺りに人は残っていなかった。
 機内に向かおうとしたら、ツアーメンバーの方が固まって心配そうにこちらを見ているのと目があった。彼女はまだ戻ってこない。
 添乗員さんに「みんな待ってるけどどうする?」と声をかけると、「じゃあ、入口まで一緒に行きましょう。私はここで待っていますから。」ということになり、機内に入ったときには、ヒューストン行きCO1667便の離陸予定時刻である8時を回っていた。

 20分くらいかかってやっと彼女が機内に現れたときには、全員がほっとしたし、「お疲れ様。」と口々に声をかけた。一番ほっとしたのは添乗員さんだったろう。
 後で聞いたところによると、最初に荷物を全開して検査を受けた際、何かの拍子に懐中電灯のスイッチが入ってしまったようで、それが「すわ、危険物」という対応を呼んでしまったらしい。
 スイッチの入った懐中電灯を発見したら、そこで係官の緊張が解けたという。
 いずれにしても、大事にならずに何よりだった。落ち着いた対応の賜である。私だったらこうは行かない。

 飛行機は8時45分に離陸し、その1時間後に機内食が出た。
 ハムと卵とチーズのホットサンドとフルーツにマフィンというメニューである。こういうファストフードの方が、アメリカ系の航空会社の機内食としては美味しい気がする。
 この機内で爆睡し、かなりすっきりした。
 すっきりした頭で、この頃になって「失われた大地」を読んでいるのだから、我ながらマヌケである。

(以下、米国時間で表記。)

ホリデイインのお部屋 現地時間の12時50分、かなり遅れを取り戻して飛行機はヒューストンに到着した。
 ガラガラの入国審査を抜けて、14時30分には空港近くのホテルにチェックインできた。乗り継ぎの関係で米国内で1泊する。
 水道の水が飲めて、部屋に湯沸かしポットがあって、ロビーにフリーのコーヒーとレモネードとお水が置いてある。有り難い。
 部屋に入ると寒いくらいだったのでエアコンを止め、荷物を置いただけで部屋を出た。

 添乗員さんがホテルと交渉してくれて、時間が余っているし、NASAに行けるほどの時間はないし(タクシーを飛ばしても1時間くらいかかり、かつ、見学コースは16時くらいで受付が終わってしまうらしい)、近くのショッピングセンターにみなで行くことになった。
 15時集合で、ショッピングセンターに向かう。

 普通のショッピングセンターである。真ん中にフードコートがあって、3フロアくらいのデパートが入っていて、洋服、電化製品、小物などが売っている。1軒だけテキサスのお土産物を扱うお店もあったと思う。
 どなたかが「エンジェルフォールのツアーに参加する人がお買い物が好きだとも思えないんだけど。」と呟いていた。確かにそのとおりで、あまりお買い物をした人は見かけなかったような気がする。
 私も、本屋さんで売っていたWWFの壁掛けカレンダー(動物の親子or赤ちゃんシリーズ、15ドル)を購入しただけだ。

 どちらかというと、その後で行った、道路を隔てた反対側にあるスーパーの方がみな楽しそうにしていた。
 お酒や「きっと米国限定に違いない」というキュウリ味のプリングルスや香辛料、ハーブティ等々を買い込んでいる。
 ここで買わねば職場へのお土産を買う機会もなさそうで、探し回った挙げ句、緑茶ベースのフレーバーティを購入した。激しく安上がりである。

 18時前にスーパーからショッピングセンターに戻ろうと歩いていたところへ、突然、雨が降り始めた。
 スコールである。
 同時に日も射していて、地平線から地平線にかかる半円形の虹を見ることができた。

 ショッピングセンターに戻って、フードコートで夕食を食べた。このツアーの中で、唯一、ツアーに含まれていない食事だ。
 アルコールが売られていないのは、やはり米国が車社会だからだろう。確かにこのショッピングセンターに来る交通手段は車しか考えられない。
 フードコートにはハンバーガーもあれば、お寿司(もどき)もあれば、中華もある。
 私は中華のブースで、チャーハンと温野菜と白身魚のあんかけ(酢豚風)のものを頼んだ。これで7ドルだからお安い。

 時間をつぶすのに困ったショッピングセンター訪問も終了し、19時30分に迎えに来てくれたマイクロバスでホテルに戻った。
 その車中、私は自分の部屋番号を覚えていないことに気がついた。
 部屋番号が書かれたカードキー入れがお財布に入らなかったので置いてきてしまったのだ。キー自体は持っているし、何階で、エレベーターを降りて右に折れた左側の部屋であることは覚えていたので、5室くらい試せば辿り着くだろうけれど、そんなことをしていたらかなり怪しい。

 結局、添乗員さんにフロントに確認してもらった。お手数ばかりおかけして申し訳ない限りである。
 しかも、その流れで飲みに行く方々に加えていただき、ビールにラムコークと奢ってもらい、さらに同じカウンターにいた中国系米国人のお兄さんにウォッカ+レッドブルという、もしかしてそれって結構キケンな組み合わせなのでは、というお酒を奢ってもらい、2時間ばかり楽しく過ごした。
 もっとも、私の貧しい英語脳はもう開店休業状態だったので、にこにこしていただけだ。
 この最後のカクテルが効いて、部屋に戻ってしばらくはくらくらしてしまい、コーヒーをがぶ飲みした結果、翌朝までほとんど眠れなかった。

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