永平寺・京都旅行記2日目その2
2010年2月12日(金曜日)
13時も過ぎた頃、大徳寺大仙院で昼食となった。
観光バス2台分の人が詰め込まれ、かなり大混雑である。寿司詰めと言っても過言ではない。
御朱印をお願いしてから昼食場所に向かったため一番最後にお部屋に入ることになって、空いている席を目で探してしまった。
和尚さん(というのは、どうも禅寺では「位」であり、尊称のような気がする)のお話を伺いながら昼食をいただいた。
やはり禅寺といえばゴマ豆腐である。
普通に美味しい。
和尚さんは、ゴマペーストと吉野葛を買って来ればゴマ豆腐を作るのは簡単だと教えてくれる。まさかこのゴマ豆腐もそうやって作ったんじゃないだろうな、などと考えた。我ながら失礼な話である。
この和尚さんがしゃべり上手の商売上手で、一服お茶をいただく「券」を購入すれば瓢箪の絵のついた紙を渡します、その紙に名前を書いて箱に入れておけば明朝のお勤めのときに読み上げます、お茶の料金が300円というのはお安いです、一緒に出すお菓子も素朴だけれど美味しいと評判です、と立て板に水のごとくお話しされる。
「100人からの客にどうやって一斉にお茶を出すんだろう」という疑問が浮かぶ前に、つい乗せられた。
食事後、大仙院の中を一通り案内してもらった。
有名な沢庵和尚はこちらの7代目の住職で、その沢庵和尚が居室としていたお部屋が今も残されている。
建物自体も室町時代のもので重文に指定されており、釘を使わずに建てられていて、どこかから移築されたものである。
唐門も聚楽第から移築されたという。
「これだけは覚えて帰って!」と言われた掛け軸に書かれている言葉があった。
達磨大師の言葉である。
私の下手な字で何だけれど、これは、この書き方もポイントである。
もちろん和尚さんが書いた短冊等々も売られていた。気になったけれど、あまりにもたくさんの人が買おうと押し合いへし合いしていてとてもそこに参戦できなかった。
曰く。
「気は長く 心は丸く 腹は立てず 人は大きく 己は小さく」
単純な言葉で大切なことが語られている。
私のように全く信心を持たない人間でも、(エラそうに)仏教も捨てたもんじゃない、などと思った。
お話ししてくれた和尚さんは、この言葉をアレンジしていると言う。
曰く。
「気は長く 心は丸く 腹は立てず 口つつしめば 命長し」
なるほどと思う。
「これだけは」と言いつつ和尚さんはいくつかの言葉を紹介してくれ、私はあともう一つだけメモすることができた。
そのもう一つは一休禅師の言葉である。
曰く。
「心は行動となり
行動は習性を生む
習性は品性を作り
品性は運命を決する」
こちらは、「いい言葉」というよりも、「ちょっと怖い言葉」という感じがする。
建物を取り巻くようにして流れている枯山水のお庭の案内に移った。
大仙院は決して大きなお寺ではないし、枯山水のお庭も決して広くはない。どちらかというと箱庭のようなお庭である。
そこを推定100人がぞろぞろと見学すれば渋滞が起きるに決まっている。和尚さんの声が聞こえない人もいたと思う。
枯山水のお庭は建物を巡っていて、それは人の一生を水の流れになぞらえて表現しているらしい。
中海と言われる場所くらいまでは、人にも迷いがあるので、木や岩などがところどころにある。水の源である蓬莱山(を表している場所)には岩が沢山ある。
それが、水の流れに従って巡っていくと、最後には海に流れ着き、その頃には迷いがなくなっているので岩や木も置かれず、白砂だけのお庭が広がっている。
お庭は、応仁の乱後の1509年に大聖国師がお寺をつくった時に作庭している。
和尚さんご本人が自分で大工仕事をして造ったお寺だから小さいし古い。太い柱が手に入らなかったため、重い瓦屋根にすることもできなかったそうだ。
その方丈には、重文に指定された狩野元信の花鳥図と、弟である之信の四季耕作の図が描かれた襖がある。
四季耕作の図の方は、ミロのヴィーナスが日本に来たときに交換でルーブルに貸し出されたそうで、「どれだけの価値があるか判るやろ。」とお話されていた。
判りやすい。
お庭を一周したところで自由解散になった。
まずはお茶をいただく。これが、3人くらいのお寺の方がポットのお湯を使って次々とお茶をたて、6畳くらいのお部屋に寿司詰めになってお茶をいただき、一口でお菓子を食べ一息でお茶を飲み干して次の人に場所を譲る、というもの凄い「お茶」だった。
私は早々にお茶をいただいて、もう1回ゆっくりとお庭を1周させてもらい、ご朱印をいただいて(300円)大仙院を後にした。
大仙院も写真撮影禁止だったので、最後に入口の写真だけこっそり撮った。
大徳寺では龍源院のお庭をぜひ拝見したいと思っていたけれど、14時20分の集合時間に間に合いそうになかったので断念した。
大徳寺納豆のお店に寄れなかったのも心残りである。
バスは一気に京都市内を南下し、15時に泉涌寺に到着した。
泉涌寺は、何といっても、門をくぐった後、広くて長い坂道を下って行ったのが印象に残っている。
仏殿へのアプローチで坂を「上る」のではなく「下る」というのは珍しいように思う。
御朱印をお願いし、それから観光バスの面々は二手に分かれ、私たちのグループは先に御座所を見学した。
御座所に入ると、侍従の間、勅使の間と続く。やはり半分とはいえ50人からの人間が一度にぞろぞろと歩いているので、ちょっとゆっくりふすま絵などを拝見しているとあっと言う間に置いて行かれ、説明を聞きそびれてしまう。
そんな中で聞きかじったところでは、勅使の間には、門松の元となった行事が描かれたふすま絵がある。
また、玉座の間も含めて、椅子とテーブルに合うようにお部屋が造られているので天井が高くなっている。椅子式のお部屋としては相当に古く、かつ格式の高い作りになっているという。
玉座は、見学したときには、何というのかおひな様が座るような感じに整えられていて、余計にお部屋の天井が高く感じられた。実際に皇族方が来られるときは椅子とテーブルにセットし直すという。
御座所の中は写真撮影禁止で、お庭だけは大丈夫ということだった。
もう少ししてお花が咲くか、秋の紅葉の時期には綺麗なんだろうなと思わせるお庭である。
皇族の間と呼ばれるお部屋もあって、美智子皇后はこちらで控えますなどと説明されると、やはり格式というものが生きている世界があるのだな、としみじみと思う。
そしてその「格」とふすま絵は結構関連があるらしい。残念ながら私には全く読み取ることができない。
ふすま絵は「ここではこのように振る舞う」ということを表すある意味教科書の役割も担っていた、などと聞くと、少し安心したりもする。
泉涌寺は、天皇家の菩提寺としてずっと「御寺」と呼ばれてきたそうだ。
門跡もずっと皇族の方が務められてきたし、歴代天皇の葬儀が行われ、菩提所もこのお寺にその多くがあるという。
一般の人が参拝できるようになったのは、戦後になってからである。
泉涌寺は1200年前に弘法大師が庵を結んだことに由来し、月輪大師によって鎌倉時代に創建されている。当時は、宗派は問わない道場という性格を持っていたらしい。
その後、応仁の乱で全焼してしまい、次に見学した仏殿も、当時のままなのは石畳だけだ。
江戸時代に徳川家綱により再建され、一重入母屋造り総瓦葺きの禅宗様式の建物で、様式としては大徳寺仏殿と同じだという。
この仏殿は総けやき作りで、36本の柱が使われている。この柱4本を直径160cm以上の1本のケヤキの木から取ったというから驚きである。しかも、寸法の狂いが生じることから、1本の木の中央部分は使わないという。
どれだけ「いい欅」を使っているのだろう。
仏殿には三尊仏がお祀りされている。
左側の阿弥陀如来は過去、中央の釈迦如来は現在、右側の弥勒菩薩は未来をお守りしている。こういうお祀りの仕方は珍しく、また三体ともご本尊であることも珍しいそうだ。
いずれも木造に金箔が貼られており、運慶作と言われている。
今は修復中のため手前に移動されており、近くで拝めたのは幸運だった。
仏殿の天井には狩野探幽晩年の作になる龍の絵が飾られている。下から見上げていると実感が湧かないけれど、畳8畳分の大きさがあるという。
また、この仏殿には縦16m横8mという大涅槃図がしまわれていて、年1回3月半ばに公開されている。厚さ1cmの和紙に描かれているという。それは160kgという重さにもなろうというものだ。
本来は東大寺に行くはずだった大涅槃図は、天井高12mの泉涌寺仏殿では普通に飾ることはできず、逆コの字型に飾るというお話だった。
大涅槃図は、沙羅双樹の下でお釈迦様が顔を西向きに北枕で寝そべり、弟子たちがその周りを囲んでいるという絵柄である。下方には象やバクなどの動物たちも描かれているという。
仏殿の裏側には白衣観音図という貼り絵(絵を描いた後で紙を貼り合わす手法)で描かれた観音様があり、200枚もの紙を貼り合わせたというから驚きである。こちらも狩野探幽作だ。
この観音様はどこから見ても真正面から見られているように感じられる。
この後、入口近くにある楊貴妃観音像をお参りした。確かに母性豊かな美人の観音様だ。
ここまでで観光バスのコースは終了である。途中、希望者は五条駅近辺でバスを降りて行った。私はもう宿に向かうことにして京都駅まで戻った。16時20分着である。
京都市バスセンターに行って、明日使う1日カード(500円)を購入し、明日の朝には荷物を自宅に送ってしまおうと思っているので、お土産を物色しに伊勢丹の地下に行った。
売場はバレンタイン前ということもあって大混雑している。
伊勢丹カードを持って来れば良かったと思いつつ、やよいのちりめんじゃこなどをお土産に買い、今日の夜食にしようと京洋菓子司ジュヴァンセルのさがの路というケーキを購入した。
JRの花園駅からキャリーケースをころころと引っ張りつつ坂を上ること10分弱で本日の宿である花園会館に到着した。花園会館は妙心寺が経営する宿坊だけれど、お勤めなどもない。あえて言えば「軟派な」宿坊だと言えると思う。
宿坊というよりも、旅館というイメージの方が強い。
チェックインし、ちょっと早いと思いつつ、夕食は1時間後の18時30分でお願いした。夕食はロビーにある「花園」というレストランだ。
明日の朝食は7時30分と案内があった。
「閑寂の禅」という花園会館が主催するプランによる宿泊である。ツインルームに案内された。
永平寺と京都に旅して、何故か2泊とも洋室なのが変な感じである。
お部屋に行く前に売店に寄り(「閑寂の禅」参加者は売店でのお買い物が10%引きになった)、絵はがきとお線香を購入する。
夕食は京懐石である。永平寺と京都に旅行して精進料理をいただく機会が作れなかったのが残念である。
精進料理は食べていないけれど(今日のお昼ごはんは精進料理だったのかも知れない)、ゴマ豆腐は毎食のように食べているな、とも思う。
お料理はおいしくて、ビールを飲もうか迷いつつ結局アルコールはパスすることにして、ゆっくり1時間以上かけて完食した。
花園会館には、大浴場がある。
友人に絵はがきを書きつつ食休みをし、20時30過ぎに大浴場に行ったら意外なくらい人が多くて驚いた。10人くらいはいたと思う。
夕食を完食しても、お風呂に1時間近くも浸かっていたらお腹も空く。
こんな時間に食べたら太るぞと思いつつ、22時過ぎ、持参したドリップコーヒーをいれてケーキタイムにした。
抹茶の求肥がレアチーズケーキを包んでいて、上品な甘さで美味しい。
この際、カロリーには目をつぶることにする。
23時30分ころ就寝した。
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