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2010.04.29

永平寺・京都旅行記2日目その2

2010年2月12日(金曜日)


昼食 13時も過ぎた頃、大徳寺大仙院で昼食となった。
 観光バス2台分の人が詰め込まれ、かなり大混雑である。寿司詰めと言っても過言ではない。
 御朱印をお願いしてから昼食場所に向かったため一番最後にお部屋に入ることになって、空いている席を目で探してしまった。


 和尚さん(というのは、どうも禅寺では「位」であり、尊称のような気がする)のお話を伺いながら昼食をいただいた。
 やはり禅寺といえばゴマ豆腐である。
 普通に美味しい。
 和尚さんは、ゴマペーストと吉野葛を買って来ればゴマ豆腐を作るのは簡単だと教えてくれる。まさかこのゴマ豆腐もそうやって作ったんじゃないだろうな、などと考えた。我ながら失礼な話である。


 この和尚さんがしゃべり上手の商売上手で、一服お茶をいただく「券」を購入すれば瓢箪の絵のついた紙を渡します、その紙に名前を書いて箱に入れておけば明朝のお勤めのときに読み上げます、お茶の料金が300円というのはお安いです、一緒に出すお菓子も素朴だけれど美味しいと評判です、と立て板に水のごとくお話しされる。
 「100人からの客にどうやって一斉にお茶を出すんだろう」という疑問が浮かぶ前に、つい乗せられた。


 食事後、大仙院の中を一通り案内してもらった。
 有名な沢庵和尚はこちらの7代目の住職で、その沢庵和尚が居室としていたお部屋が今も残されている。
 建物自体も室町時代のもので重文に指定されており、釘を使わずに建てられていて、どこかから移築されたものである。
 唐門も聚楽第から移築されたという。


気は長く 「これだけは覚えて帰って!」と言われた掛け軸に書かれている言葉があった。
 達磨大師の言葉である。
 私の下手な字で何だけれど、これは、この書き方もポイントである。
 もちろん和尚さんが書いた短冊等々も売られていた。気になったけれど、あまりにもたくさんの人が買おうと押し合いへし合いしていてとてもそこに参戦できなかった。


 曰く。
 「気は長く 心は丸く 腹は立てず 人は大きく 己は小さく」
 単純な言葉で大切なことが語られている。
 私のように全く信心を持たない人間でも、(エラそうに)仏教も捨てたもんじゃない、などと思った。


 お話ししてくれた和尚さんは、この言葉をアレンジしていると言う。
 曰く。
 「気は長く 心は丸く 腹は立てず 口つつしめば 命長し」
 なるほどと思う。


 「これだけは」と言いつつ和尚さんはいくつかの言葉を紹介してくれ、私はあともう一つだけメモすることができた。
 そのもう一つは一休禅師の言葉である。
 曰く。
 「心は行動となり
   行動は習性を生む
   習性は品性を作り
   品性は運命を決する」
 こちらは、「いい言葉」というよりも、「ちょっと怖い言葉」という感じがする。


 建物を取り巻くようにして流れている枯山水のお庭の案内に移った。
 大仙院は決して大きなお寺ではないし、枯山水のお庭も決して広くはない。どちらかというと箱庭のようなお庭である。
 そこを推定100人がぞろぞろと見学すれば渋滞が起きるに決まっている。和尚さんの声が聞こえない人もいたと思う。


 枯山水のお庭は建物を巡っていて、それは人の一生を水の流れになぞらえて表現しているらしい。
 中海と言われる場所くらいまでは、人にも迷いがあるので、木や岩などがところどころにある。水の源である蓬莱山(を表している場所)には岩が沢山ある。
 それが、水の流れに従って巡っていくと、最後には海に流れ着き、その頃には迷いがなくなっているので岩や木も置かれず、白砂だけのお庭が広がっている。


 お庭は、応仁の乱後の1509年に大聖国師がお寺をつくった時に作庭している。
 和尚さんご本人が自分で大工仕事をして造ったお寺だから小さいし古い。太い柱が手に入らなかったため、重い瓦屋根にすることもできなかったそうだ。


 その方丈には、重文に指定された狩野元信の花鳥図と、弟である之信の四季耕作の図が描かれた襖がある。
 四季耕作の図の方は、ミロのヴィーナスが日本に来たときに交換でルーブルに貸し出されたそうで、「どれだけの価値があるか判るやろ。」とお話されていた。
 判りやすい。


大仙院入口 お庭を一周したところで自由解散になった。
 まずはお茶をいただく。これが、3人くらいのお寺の方がポットのお湯を使って次々とお茶をたて、6畳くらいのお部屋に寿司詰めになってお茶をいただき、一口でお菓子を食べ一息でお茶を飲み干して次の人に場所を譲る、というもの凄い「お茶」だった。
 私は早々にお茶をいただいて、もう1回ゆっくりとお庭を1周させてもらい、ご朱印をいただいて(300円)大仙院を後にした。
 大仙院も写真撮影禁止だったので、最後に入口の写真だけこっそり撮った。


 大徳寺では龍源院のお庭をぜひ拝見したいと思っていたけれど、14時20分の集合時間に間に合いそうになかったので断念した。
 大徳寺納豆のお店に寄れなかったのも心残りである。


泉涌寺参道 バスは一気に京都市内を南下し、15時に泉涌寺に到着した。
 泉涌寺は、何といっても、門をくぐった後、広くて長い坂道を下って行ったのが印象に残っている。
 仏殿へのアプローチで坂を「上る」のではなく「下る」というのは珍しいように思う。
 御朱印をお願いし、それから観光バスの面々は二手に分かれ、私たちのグループは先に御座所を見学した。


 御座所に入ると、侍従の間、勅使の間と続く。やはり半分とはいえ50人からの人間が一度にぞろぞろと歩いているので、ちょっとゆっくりふすま絵などを拝見しているとあっと言う間に置いて行かれ、説明を聞きそびれてしまう。
 そんな中で聞きかじったところでは、勅使の間には、門松の元となった行事が描かれたふすま絵がある。
 また、玉座の間も含めて、椅子とテーブルに合うようにお部屋が造られているので天井が高くなっている。椅子式のお部屋としては相当に古く、かつ格式の高い作りになっているという。
 玉座は、見学したときには、何というのかおひな様が座るような感じに整えられていて、余計にお部屋の天井が高く感じられた。実際に皇族方が来られるときは椅子とテーブルにセットし直すという。


御座所庭園 御座所の中は写真撮影禁止で、お庭だけは大丈夫ということだった。
 もう少ししてお花が咲くか、秋の紅葉の時期には綺麗なんだろうなと思わせるお庭である。
 皇族の間と呼ばれるお部屋もあって、美智子皇后はこちらで控えますなどと説明されると、やはり格式というものが生きている世界があるのだな、としみじみと思う。
 そしてその「格」とふすま絵は結構関連があるらしい。残念ながら私には全く読み取ることができない。
 ふすま絵は「ここではこのように振る舞う」ということを表すある意味教科書の役割も担っていた、などと聞くと、少し安心したりもする。


 泉涌寺は、天皇家の菩提寺としてずっと「御寺」と呼ばれてきたそうだ。
 門跡もずっと皇族の方が務められてきたし、歴代天皇の葬儀が行われ、菩提所もこのお寺にその多くがあるという。
 一般の人が参拝できるようになったのは、戦後になってからである。


 泉涌寺は1200年前に弘法大師が庵を結んだことに由来し、月輪大師によって鎌倉時代に創建されている。当時は、宗派は問わない道場という性格を持っていたらしい。
 その後、応仁の乱で全焼してしまい、次に見学した仏殿も、当時のままなのは石畳だけだ。
 江戸時代に徳川家綱により再建され、一重入母屋造り総瓦葺きの禅宗様式の建物で、様式としては大徳寺仏殿と同じだという。
 この仏殿は総けやき作りで、36本の柱が使われている。この柱4本を直径160cm以上の1本のケヤキの木から取ったというから驚きである。しかも、寸法の狂いが生じることから、1本の木の中央部分は使わないという。
 どれだけ「いい欅」を使っているのだろう。


 仏殿には三尊仏がお祀りされている。
 左側の阿弥陀如来は過去、中央の釈迦如来は現在、右側の弥勒菩薩は未来をお守りしている。こういうお祀りの仕方は珍しく、また三体ともご本尊であることも珍しいそうだ。
 いずれも木造に金箔が貼られており、運慶作と言われている。
 今は修復中のため手前に移動されており、近くで拝めたのは幸運だった。


 仏殿の天井には狩野探幽晩年の作になる龍の絵が飾られている。下から見上げていると実感が湧かないけれど、畳8畳分の大きさがあるという。
 また、この仏殿には縦16m横8mという大涅槃図がしまわれていて、年1回3月半ばに公開されている。厚さ1cmの和紙に描かれているという。それは160kgという重さにもなろうというものだ。
 本来は東大寺に行くはずだった大涅槃図は、天井高12mの泉涌寺仏殿では普通に飾ることはできず、逆コの字型に飾るというお話だった。
 大涅槃図は、沙羅双樹の下でお釈迦様が顔を西向きに北枕で寝そべり、弟子たちがその周りを囲んでいるという絵柄である。下方には象やバクなどの動物たちも描かれているという。


 仏殿の裏側には白衣観音図という貼り絵(絵を描いた後で紙を貼り合わす手法)で描かれた観音様があり、200枚もの紙を貼り合わせたというから驚きである。こちらも狩野探幽作だ。
 この観音様はどこから見ても真正面から見られているように感じられる。


 この後、入口近くにある楊貴妃観音像をお参りした。確かに母性豊かな美人の観音様だ。
 ここまでで観光バスのコースは終了である。途中、希望者は五条駅近辺でバスを降りて行った。私はもう宿に向かうことにして京都駅まで戻った。16時20分着である。
 京都市バスセンターに行って、明日使う1日カード(500円)を購入し、明日の朝には荷物を自宅に送ってしまおうと思っているので、お土産を物色しに伊勢丹の地下に行った。
 売場はバレンタイン前ということもあって大混雑している。
 伊勢丹カードを持って来れば良かったと思いつつ、やよいのちりめんじゃこなどをお土産に買い、今日の夜食にしようと京洋菓子司ジュヴァンセルのさがの路というケーキを購入した。


 JRの花園駅からキャリーケースをころころと引っ張りつつ坂を上ること10分弱で本日の宿である花園会館に到着した。花園会館は妙心寺が経営する宿坊だけれど、お勤めなどもない。あえて言えば「軟派な」宿坊だと言えると思う。
 宿坊というよりも、旅館というイメージの方が強い。
 チェックインし、ちょっと早いと思いつつ、夕食は1時間後の18時30分でお願いした。夕食はロビーにある「花園」というレストランだ。
 明日の朝食は7時30分と案内があった。


花園会館の部屋 「閑寂の禅」という花園会館が主催するプランによる宿泊である。ツインルームに案内された。
 永平寺と京都に旅して、何故か2泊とも洋室なのが変な感じである。
 お部屋に行く前に売店に寄り(「閑寂の禅」参加者は売店でのお買い物が10%引きになった)、絵はがきとお線香を購入する。


 夕食は京懐石である。永平寺と京都に旅行して精進料理をいただく機会が作れなかったのが残念である。
 精進料理は食べていないけれど(今日のお昼ごはんは精進料理だったのかも知れない)、ゴマ豆腐は毎食のように食べているな、とも思う。
 お料理はおいしくて、ビールを飲もうか迷いつつ結局アルコールはパスすることにして、ゆっくり1時間以上かけて完食した。


ゴマ豆腐とお造り天ぷら


 花園会館には、大浴場がある。
 友人に絵はがきを書きつつ食休みをし、20時30過ぎに大浴場に行ったら意外なくらい人が多くて驚いた。10人くらいはいたと思う。


 夕食を完食しても、お風呂に1時間近くも浸かっていたらお腹も空く。
 こんな時間に食べたら太るぞと思いつつ、22時過ぎ、持参したドリップコーヒーをいれてケーキタイムにした。
 抹茶の求肥がレアチーズケーキを包んでいて、上品な甘さで美味しい。
 この際、カロリーには目をつぶることにする。


 23時30分ころ就寝した。


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2010.04.26

永平寺・京都旅行記2日目その1

2010年2月12日(金曜日)

朝食 お部屋が暑くて2時、6時に目が覚めた。7時15分に起き出してすぐ、朝食のレストランに向かう。
 福井の宿をユアーズホテルフクイにした最大の理由は、この「地産地消」をテーマにしているという朝食だ。私にしては珍しくバイキングで和洋用意されている中、和食の朝食にする。
 美味しい。
 朝食を終えてレストランを出たところで、お部屋に持ち帰ってどうぞとコーヒーを渡されたのも嬉しかった。

 外は曇りである。雨が落ちていないだけ有り難い。
 駅まで徒歩2分の立地は本当に便利である。
 8時に朝食を食べ終え、チェックアウトし、駅のホームで職場土産の永平寺大根(630円を4袋)を購入して8時49分発のサンダーバード10号に乗車した。

 行きの米原から福井までは停車駅も多かったし時間もかかったのに比べると、このサンダーバードは、福井から京都までノンストップである。
 しかも行程の後ろ半分はずっと琵琶湖畔を走る。お天気が悪くて荒涼とした眺めではあるものの、たっぷりと琵琶湖を堪能することができた。座席は琵琶湖側になる進行方向左側(A席)がお勧めである。

 10時11分に京都に到着し、駅のコインロッカーにキャリーケースを預けた後、京都市観光バスの窓口に行って料金を支払い、予約してあった「特別参観 御所と大徳寺・泉涌寺」コースのチケット(7300円)を購入した。
 10時50分発の観光バスの時間まで余裕があったので、近くに見えた郵便局に行って、友人に絵はがきを出すべく切手を購入した。京都限定の切手が特に見あたらなかったのが残念である。

 10時50分発の観光バスは祝日と週末との谷間とはいえ平日にもかかわらず満席だった。
 まずは京都御所に向かう。
 京都御所は、480年間、天皇の住居だったところである。御所自体は何回も焼失していて、現在残っているのは里内裏だったところである。現在残っている建物はほとんど幕末に建てられたもので、この「建物」に実際に住んだのは明治天皇と大正天皇の二代のみである。
 また、20万坪の広さの御苑の中に御所と200余の公家や宮家の住まいもあったらしい。
 京都御所での見学時間は40分ほどで、「ずっと外を歩きます。」「皇宮警察の人が付いてきますので、列を乱さないように歩きましょう。」などの注意があった。

宣秋門 京都御所に着く頃には日も射し、でも雨もぱらつく不思議な天気になっていた。
 11時30分くらいから、バスガイドさんの案内に従って見学開始である。
 この閉められている門が宣秋門だ。
 天皇以外の皇族や外国からの賓客が使う門だというから、かなり格式が高い。
 春と秋の特別公開の時にはこの門も開かれて、一般人の私たちも通ることが許される。こういう隅々まで「身分」を意識している場所はそうないような気がする。

虎の間 次に向かったのが「諸大夫の間」である。ここは正式に参内した人のお供の人が主人を待つ部屋だ。
 それぞれ、襖に描かれた画題に応じて「桜の間」「鶴の間」「虎の間」と呼ばれている。
 そして、「桜の間」は身分が低い人(のお供の人)、「鶴の間」は中間で、「虎の間」は身分が高い人(のお供の人)と決まっていたという。
 本当に「身分」に拘った場所である。

 いつのことだったか聞き忘れたけれど、例えば、天台宗のトップである阿闍梨はこの虎の間で控えたという。
 また、桜の間では、滅多に御所に来ないような人が待つところからお作法を教えてもらう場でもあったという。ここでお作法を教えてもらったお礼を袖の下から渡したところから、「袖の下」という言葉が生まれたそうだ。
 京都御所が賄賂発祥の地(?)だったとは驚きである。

 「諸大夫の間」も含め、京都御所では基本的に写真撮影は自由だった。
 自分がフラッシュを使わないので注意を払わなかったけれど、フラッシュ撮影禁止とも書かれていなかったと思う。
 この「諸大夫の間」も、私たちは外からの見学で中には入れないものの、板戸が開け放たれていて自由にふすま絵を見学することができた。太っ腹である。

 大正時代に造られたという新御車寄せは、先に見た御車寄せとは違って建物の窓にガラスが入っているし、内部も絨毯敷きになっているそうだ。それはちょっと見てみたかったと思う。
 また、車を屋根の下に駐められるように屋根も大きく造られたという。

建礼門 この建礼門は天皇しかくぐれない格式高い門で、4本の柱で支える四脚門である。
 美智子皇后も、天皇と同道しているときは建礼門を使えるけれど、一人で御所に来たときには建礼門は使えないというから厳格だ。
 また、建礼門の両脇に続く築地塀に5本の白線が入っていて、これまた格式の高さを表している。5本線が一番格式が高いことになっており、「上下筋」ともいう。

 こういう「知らなかったよ!」というお話が次々出てくるのでメモを取るのに忙しいし、写真も撮りたい。この辺りから最後尾を歩くことが多くなったような気がする。
 最後尾を歩いていると、後ろからぴたっと皇宮警察のお兄さんが付いてきているのが何とも特別な場所感を醸し出す。
 建礼門の内側が宮内庁、ひいては皇宮警察の管轄になるそうだ。

承明門と紫宸殿 建礼門の向かい側に承明門があり、その内側が紫宸殿である。
 間口は20m、奥行き25mである。どれだけ大きい建物なんだと思う。
 また、格式高い建物の常として屋根は檜皮葺となっているという。檜皮葺は傷みやすく、20〜30年に一度は替えなくてはいけないというから大変である。

 格式高く造られているものの、建物内部に天井はなく床は板敷きというから、決して快適な住まいではなさそうだ。
 紫宸殿は南向きに建てられており、これに伴い、京都のお社はみな南向きに建てられているという。
 向かって左側が右近の橘、向かって右側が左近の桜である。左右が逆なのは、「天皇から見て」の左右となっているからだそうだ。もっともである。

 手前の階段は18段で、これは安倍晴明が最高の数は9であるとしたからだという。
 正面奥は高御座(たかみくら)で、天皇が座る椅子が置いてあるのみだ。即位の礼のときなどは高御座も全開にするけれど、通常は3間しか開けないという。
 ここで即位の礼を行ったのは明治天皇、大正天皇、昭和天皇のお三方のみだから、全開されたことも3回しかない。現在の天皇の即位の礼を東京で行うときには、京都から東京へ高御座をヘリで運んだそうだ。
 格式というものを私が理解できる日は来ないかも知れないとしみじみと思う。

 御所では正面に天皇、向かって右に皇后が座する。だから関西のおひな様も同じように飾る。
 それがどうして関東では逆になるかというと、関東では明治天皇皇后のお写真が左右逆に座っているのに合わせるからだという。

小御所 小御所と御学問所との間には「蹴鞠の庭」という何とも優雅な名前の、でも実際のところ小さな玉砂利が敷いてあるだけの場所がある。
 この小御所では、金具を蝉の形にして泥棒よけにしたり、「御所張り」と呼ばれる障子は少しずつ障子紙を貼り替えられるように桟が細かくなっていたりする。お金持ちの考えと節約の考えが両方混ざっていて面白い。

 小御所・蹴鞠の庭・学問所の向かいには、「御池庭」というお庭が広がっている。
 正直に言って、「名園」という感想は浮かばない。

御池庭

 元々が台所だったことからお公度(竈の意味)と呼ばれるお庭を歩いているとき、皇宮警察の方のお話を聞いた。
 どれくらい前のことか聞き忘れてしまったけれど、こうして観光客に開放するようになってから一人だけ、はぐれて夜中まで御所に閉じ込められてしまった人がいたらしい。
 夜になると、全ての建物は内側から鍵をかけてしまうから、建物の中にいることもできない。
 しかも、灯りがないから真っ暗だ。
 京都御所では、消防法の関係で全ての建物に火災報知器の設置が必要だから「電気」は通しているものの、電球を全く設置しておらず、灯りは存在しないという。
 徹底している。

 灯りがないくらいだし、御所は、「住まい」ではなく「博物館」だという。
 皇族の方が来るときも、目的は「研究」であり、「研究」のために来るわけだから灯りもなければ採光も悪い建物の中では埒があかず、予め研究の対象となるものは全て外に出して用意しておくという。
 御所で時間を過ごすこともほとんどないとなれば、確かに「博物館」だ。

 御所の建物にしろ美術品にしろ値段のつくようなものではないそうだ。
 **門の柱を取り替えるために300〜500万円かかったというし、築地塀ももう同じ物を作れる人がほとんどいないため、白い細い線で囲まれた部分を作り替えるだけで10万円かかるという。

 12時25分くらいまで見学して、見ることができたのは全体の1/3くらいだというお話だった。
 皇宮警察の方は、お役目上、全てを見たことがあると言いつつそれほど嬉しそうでもなかったのが何となく可笑しかった。

大徳寺勅使門 御所から10分くらいで大徳寺に到着した。
 大徳寺は1325年に創立され、応仁の乱で焼失し、一休禅師が再興したお寺である。
 大徳寺の勅使門は、御所から移築されたもので、重要文化財に指定されている。
 そう言われれば立派な門のような気がするし、他と比べても大差ないんじゃないかという気もする。

大徳寺山門 時代も下って、大徳寺の再興に千利休も協力しており、禅寺と茶道のつながりは大徳寺が積極的に築いたものらしい。
 千利休は三門(=金毛閣)を造ったけれど、そのことを記念して自身の像を寺内に建てたことから秀吉との関係がおかしくなったとも言われている。
 現在、どこかにうっちゃられていた利休の像は寺に戻ってきているけれど、門外不出としているという。
 そう聞くと、ぜひ見てみたいという気持ちになる。

 そうした因縁を説明してもらいつつ、方丈に向かう。
 方丈はお寺の中心となるお堂で、ご本尊がいらっしゃる。大徳寺の方丈はそれ自体国宝だそうで、残念ながら建物の中に入ることはできない。「国宝」の縁側に座ってお庭を眺めることはできた。
 お庭も含め、写真撮影禁止だったのが残念である。

 方丈のお庭は江戸時代初めのサンユウ和尚(字を確認し忘れた)が造ったお庭で、大徳寺内で一番単純なお庭だという。そして、特別名勝・史跡に指定されている。
 お庭に敷かれている砂は、比叡山の麓で採れる雲母を含んだ「白河砂」と呼ばれる砂で、夜になると光るという。そして、砂紋(しゃもんと読むらしい)は、水の流れ、ひいては人生を表すものだという。

 ガイドさんに「このお庭の中心はどこだと思いますか?」と聞かれ、それは中央でしょうと短絡的に思ったらそれは大間違いで、左奥にある大きな縦長の岩(滝を表している)が中心だそうだ。
 砂紋が水の流れを表しており、その水の源である滝が場の中心であるという説明に納得である。
 この滝を表す岩は紀州の青石を運んできており、見えている部分だけでもかなり大きいと思うのに、実は半分以上地中に埋まっているそうだ。
 滝を表す石の周りに置かれている低い白い石は「水分け岩」と言われ、水の流れが変わるところを表しているという。

 庭のほぼ中央手前に盛り砂が二つ造られている。
 通常、この盛り砂があるところには門がある。多分この言い方は逆で、門がある筈のところには盛り砂を造るのだろう。
 この日暮らし門は格式の高い人しか通ることのできない門で、その昔は、格式の高い人が来るときにこの盛り砂(浄めの砂)を崩してじゅうたんの様に敷いていたそうだ。
 今は「盛り砂を造る」という習慣だけが残っているという。
 この盛り砂が「盛り塩」の起源である。

 私たちが座った縁側の下には瓦が敷かれている。瓦は冬寒く夏暑くなる素材で、雲水さんはここを1年中裸足で歩く。辛い。
 枯山水のお庭も、まっすぐ線を引くだけでかなりの仕事だそうで、禅寺のお庭は雲水さんの修業のために造られたと思って間違いないらしい。

 このお庭の刈り込みは「大徳寺垣」と呼ばれている。
 上下2段に分かれ、下はまっすぐに切りそろえられ、上は伸び放題な感じで適当にされている。
 昔は下のまっすぐな刈り込みだけで、その向こうに借景として比叡山が見えていたらしい。しかし、周りに家が建ったりしてお庭から比叡山を望めなくなってしまい、目隠し代わりに伸び放題の刈り込みを造ったという。
 このお庭で1ヶ所だけ、庭に入る門のところから振り返ると、比叡山がくっきりとそこにあった。

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2010.04.25

「ローカル線で温泉ひとりたび」を読む

 たかぎなおこのコミックエッセイに、「ひとりたび」シリーズが帰って来ました! という感じある。

 出版予定日の前日くらいから本屋さんを探し回っても見つからず、どうして見つからないのかと考えていたのだけれど、その理由は一昨日判明した。
 私は、国内旅行記の棚とコミックエッセイの棚を探していたのだけれど、この本は、鉄道関係の本が置かれた棚の前で平積みになっていたのである。
 なるほど、鉄道ファンという一大勢力からも愛される本なのだろう。

 たかぎなおこ流「ローカル線で温泉ひとりたび」は、なかなか楽しそうである。
 電車情報あり、温泉情報あり、グルメ情報あり、うっかり乗り過ごして1時間以上も駅で次の電車を待ったり、目指していた温泉施設がその日に限って休館していたりといったトラブルにもめげずに柔軟に予定を変更し、あくまでも温泉と旅を楽しむという姿勢が快い。

 この本で取り上げた中では、わたらせ渓谷鉄道(旅行記はこちら。)と、えちぜん鉄道(旅行記はこちら。)に乗ったことがあった。
 当然のことながら、私の「ローカル線で(温泉)ひとりたび」とはかなり違うのだけれど、そんな違いも面白く読める、楽しい本である。

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2010.04.05

熱海の宿を予約する

 2010年3月22日に、熊野古道ツアーでご一緒したお姉様方から「ゴールデンウィークに温泉に行かない?」というメールが入った。

 この頃には、新年度に入って異動がありそうだし、狙っていたツアーは催行しなさそうだしということで海外脱出を諦めていたので、逆に、海外脱出のために芝居のチケットも取っていなかったゴールデンウィークに全く何の予定も入っておらず、どうしようかと思っていたのだった。
 グッドタイミングである。

 どう考えても私が一番ヒマなので計画及び手配をすべく、「ホテルアカオかスパリゾートハワイアンズでベタな旅はどうですか?」と打診してみたところ、「熱海はいいね」というお返事だった。
 これは、ベタな旅には反対という趣旨だろうと、熱海のホテルを探し始めた。

 条件は2つ。
 温泉であること
 部屋から海が見えること

 流石に5連休の前半はどこもいっぱいである。
 しかも、ゴールデンウィークは高い!

 どうせ高いならということで、職場の友人にもリサーチしつつ、何軒かまだ予約可能な「ちょっといい」宿を探してお姉様方に再度打診した。

 というわけで、今日になってやっと、ご指定を受けたホテル ミクラスに予約を入れた。
 リッチな雰囲気のお部屋に、美味しそうなお食事で、とても楽しみである。

 お疲れ気味の3人なので(私の疲労度が一番低いけど)のんびりゆったり過ごすことになりそうだ。

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2010.04.03

220000アクセス達成!

 ここに書くのが遅くなってしまったのだけれど、2010年3月31日に、どなたかが220000アクセス目を踏んでくださった。
 ここ2回、概ね2ヶ月前後で10000アクセスと安定してきている。
 私にしては、破格の数字である。

 ちなみに、これまでの経過は以下のとおりである。
 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 20000アクセス 2005年11月16日
 30000アクセス 2006年3月30日
 40000アクセス 2006年8月1日
 50000アクセス 2006年11月22日
 60000アクセス 2007年5月16日
 70000アクセス 2007年9月6日
 80000アクセス 2007年12月28日
 90000アクセス 2008年3月14日
100000アクセス 2008年6月15日
110000アクセス 2008年8月12日
120000アクセス 2008年9月23日
130000アクセス 2008年11月9日
140000アクセス 2008年12月27日
150000アクセス 2009年2月21日
160000アクセス 2009年5月5日
170000アクセス 2009年7月13日
180000アクセス 2009年8月29日
190000アクセス 2009年10月11日
200000アクセス 2009年11月30日
210000アクセス 2010年1月27日
220000アクセス 2010年3月31日

 こうして続けていられるのは、遊びに来て、読んでくださる方のおかげです。
 ありがとうございます。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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