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2010.05.30

箱根旅行記(2010)1日目

2010年5月8日(土曜日)

 GW中なのかGW明けすぐなのか今一つはっきりしない週末に、職場のお姉様方と箱根に出かけた。
 コンセプトは「オヤジっぽくない」「癒し」の旅である。

 新宿発10時40分の小田急ロマンスカーに乗って二人で出発し、あとの二人は町田で合流した。
 小田原でランチをしてから箱根に向かう予定の筈が、サンドイッチの朝食を食べる人あり、持ち込んだお菓子を広げる人あり、何だか遠足気分である。

 11時49分に小田原に到着した。
 私は小田原駅に降り立つのは初めてだと思う。子供の頃に小田原城に来た記憶はおぼろげにあって、そのときは恐らく車で来たと思われる。
 JR小田原駅の改札の上に、巨大な小田原提灯が掲げあるのがやけに印象的だ。

 まず、小田原城方面に向かった。
 小田原城内の報徳二宮神社境内にある、「Natural Chinese KONOMA 樹麻」でランチの予定である。
 こちらにお店は予約は受けておらず、行ってみたら20〜30分お待ちいただきますと言われた。
 それならと荷物を預かってもらい、小田原城に行くことにし、席が空いたら連絡を貰えるよう依頼した。

小田原城天守閣 小田原城天守閣(400円)に上がる。
 外から見るとかなりぺしゃんこな感じに見える小田原城は、中に入って階段を上ると、4階層もある。
 各階では、鎧兜や刀、お姫様方が使っていたお化粧道具やお花見のお支度(平たく言うと、花見弁当の入れ物)なども飾られていて、意外と楽しい。

小田原城天守閣より 最上階では外に出ることができる。
 小田原城天守閣自体はそれほどの高さはないけれど、そもそも高台に築かれたお城なので、かなりいい眺めである。
 こういうのを「相模湾を一望」と言うのだろう。
 そうこうしている間にレストランから連絡が入り、お腹もぺこぺこになったところで、レストランに戻った。

結婚式 戻る途中、ちょうど報徳二宮神社で結婚式を終えた新郎新婦が、記念撮影のために外に出てくるところに行き会った。
 そういえば、結婚式場での神前結婚式には出席したことがあるけれど、神社での結婚式は見たことがない。
 お腹が空いていたことも忘れて、つい見入り、ついでに写真も(無断で)撮らせていただいてしまった。
 おめでたいことなので、お許しいただけると有り難い。

 ホテルでの夕食が17時30分からと早めだし、既に13時を回っていたので、ランチは一番軽い桂花のコース(1500円)をお願いした。
 点心5品と上海焼きそば、デザートの杏仁豆腐というメニューである。

ランチ 時間があまりなかったこともあって、「どんどん持ってきてください。」とお願いした。
 最初に、エビ蒸し餃子、小籠包、肉まんが供される。
 次に、春巻きとこのお肉を野菜で巻いて蒸したお料理が供された。肉汁がたっぷり含まれたこのお料理は絶品だ。
 上海焼きそばと、デザートのジャスミンティの杏仁豆腐までとにかく美味しかった。
 テラス席の雰囲気も良くて、今度はゆっくり食べに来ましょうとみなで話した。

藤棚 本日の宿は、ザ・プリンス箱根である。
 箱根の芦の湖畔にある西武系列のホテルでは、小田原から送迎バスを用意している。その出発時間が14時だったので、ランチも早々に4人で駅に急いだ。
 駅に向かう途中、小田原城址公園にある藤棚の藤がちょうど満開の見頃を迎えていて、とても綺麗だった。
 送迎バスの時間にも何とか間に合い、あとはバスに揺られていれば芦の湖畔に到着である。

 15時過ぎにホテルに到着し、チェックインして別館のお部屋に入った。
 ソファはすでにベッド仕様にセットされている。何となくお茶を入れたり、飲み物を買ってきたりしてまったりしていたら、誰かが「遊覧船に乗ろう!」と言い出した。
 フロントに電話して聞いてみたところ、あと5分で最終の周遊コースの遊覧船が出発しますという返事である。
 急げ! と、慌てて4人で支度し、箱根園の遊覧船乗り場に向かった。

遊覧船から 芦ノ湖一周の遊覧船(1330円)は、箱根園を出ると、泊まっているホテルの前を通り過ぎてまずは湖尻に向かう。
 曇ってきた夕方はデッキに出ているとかなり寒い。風も強いようだ。
 「芦ノ湖と言えば海賊船」というイメージがあって、4人とも西武系の遊覧船に初めて乗った。結論としては「海賊船も眺められるし、船内から景色が見やすいし、西武系の勝ち」と意見が一致した。

 箱根園のお土産物屋をあれこれ物色してからお部屋に戻ると、もう、夕食の時間である。
 夕食はホテル内のなだ万雅殿だ。
 意外なことに、洋風の造りのレストランだった。  
 いただいたお料理はこんな感じである。

先付

 先付は、左から、
  生雲丹プリンコンソメゼリー
  切り三つ葉 黄韮お浸し
  鰻燻製 蚕豆 ブルーチーズ白和え

本日のお造り

 本日のお造り

主菜

 主菜は、左から、
  銀鱈の西京焼
  フォアグラ茶碗蒸し ふかひれ餡
  牛肉香味焼きステーキ

 そして、ごはんと赤だしのお味噌汁と香の物が出され、最後はデザートのグラマラッカで締めである。
 このデザートは、供される前から「どんなデザートなんだろう」と4人の注目の的で、給仕のお姉さんにも由来をお聞きしたけれど、写真を撮るのを忘れ、すでにしてどんなデザートだったのか思い出せないのが情けない。
 食欲が落ちたままの私にちょうどいい量だったので、男性はもちろん、健啖家の女性にもちょっと少なめだったかも知れない。

 ホテル内を探検して19時くらいに部屋に戻り、テレビを見たり、お茶を飲みお菓子を食べながらおしゃべりしたり、露天風呂に行ったり、温泉着(レストランやロビーはダメだけれど、温泉に行くときに来てくださいというジャージ素材の上下が用意されていた)の色について文句を言ったり、のんびりまったりして、12時頃に就寝した。

 箱根旅行記2日目はこちら。

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2010.05.27

ツアーの申込をする(ヨルダン・エジプト)

 2010年5月25日の帰り道、旅行社に立ち寄って、興味のある方面のパンフレットをいくつか物色し、電車の中でチェックをしていた。

 ヨルダンといえば、「ヨルダンとシリア」という組み合わせで、ペトラ遺跡とパルミラ遺跡というイスラム3大P(最後のひとつがどこだったかは忘れた)と呼ばれる遺跡の内2つを訪れるツアーが多いし、行けば感激するだろうと思うのだけれど、何故かパルミラ遺跡やダマスクスに興味が湧かない。
 どうせなら、ヨルダン一国のツアーがいい。

 そう思っていたら、「薔薇色のペトラ遺跡とエジプト・ピラミッド10」という今年新設されたらしいツアーを見つけた。
 エジプトのピラミッドはすでに訪れているのでどうでもいいのだけれど、このツアーの(私が考える)ポイントは、ヨルダン国内を比較的丁寧に回ること(ワディ・ラムに行くこと、死海に泊まること)と、ヨルダンとエジプトの間を海路で国境越えすること、そしてヨルダンのネボ山とエジプトのシナイ山という、出エジプト記の主要なポイントを両方訪れることである。
 こういう、ストーリー性のあるツアーは好きである。

 家に帰ってネットで希望の日程の予約状況を見てみたら「残席僅か」という表示だったので、思わず予約を入れてしまった。

 そして、今日、早速、旅行社に行って申込金を支払い(現金で支払えば割引になることが判っていたので、珍しくカードで支払わずに旅行社に出向いた)、申込をした。

 対応してくれたカウンターの人が、何ら知識を持っていないらしく、パソコンを操作して画面上に現れた「言わなくてはいけない」注意事項を読み上げているだけだったのが気にかかるが、これは、規模も取扱方面も多い旅行会社を利用するので仕方がないだろう。

 もう一つ気にかかっているのが、申込の際に「一人です」と言ったら怪訝な顔をされたことである。
 今現在、22名の申込がありますと言われ、それが2人連れ11組だったらイヤだなと思っている。自分以外は全員2人連れというツアーも経験がないわけではないので、多分、大丈夫だろう。

 ちなみに、このツアーの定員は24名ということだった。
 シナイ山登山が含まれていることを考えると決して少ない人数ではないから、やはり自分のことは自分で面倒をみるべきだろう。
 課題は体力作りと下調べだ。

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2010.05.22

熱海旅行記の入口を作る

ミクラスのお部屋 ここはお姉様方と熱海旅行記への入口である。
 以下の日程の日付部分をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

 この1泊2日の熱海旅行にかかった費用は、概算3万5千円だった。(この中には、交通費、宿泊費、食費などは含まれているが、お土産代は含まれていない。)

1日目 2010年5月4日(火曜日)

2日目 2010年5月5日(木曜日)

 

持ち物リスト(熱海編)

 出発前に旅行計画を立てるときに利用した主なサイト(行き当たりばったりのホテル満喫旅だったので、下調べはほとんどしていない)、旅行記本文中にリンクを張ってある。

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熱海旅行記2日目

2010年5月4日(火曜日)


 ホテル ミクラスの売りの一つは、「海からの日の出をお部屋から眺められる」ことである。ホテルのロビーには翌朝の日の出時刻を書いたホワイトボードも置いてあった。
 目覚ましをかけるまでもなく、ちょうど日の出の30分前に目が覚めたので、お姉様お二方がいるお部屋にお邪魔して窓から外を覗いた。
 まだ、暗い。
 そして、暗いながらもどうも空の低い位置に雲がかかっているような感じがする。


日の出時刻 日の出時刻まで30分粘ってみたけれど、水平線近くの雲が意外と厚かったようで、「普通に白々と明けていく夜」を眺めることになった。
 残念。
 そして、日の出を待ちつつ気になったのは、日の出前の真っ暗な時間帯に砂浜で花火をしていた若者のグループである。
 彼らは徹夜で花火をしていたのだろうか。
 花火をしているグループの隣には、バック宙の練習をしている若者グループもいた。謎である。


薄曇り 二度寝を決め込み、7時くらいに再び起き出した。
 外を眺めると、「悪くない感じの薄曇りの空」が広がっている。
 早速、3人で大浴場に向かった。
 内湯と露天風呂の間は全面ガラス張りで、そのガラス張りの引き戸を全開できるようになっている。勝手に全開にして外を眺める。
 露天に出て、海風に吹かれると本当に気持ちいい。
 ジョナサンから見えるんじゃないか、植え込みをもうちょっと密にして高くすればいいんじゃないか、でもそうすると海が見えなくなるんじゃないかなどと、勝手なことを言い合った。


朝食 8時30分頃に朝食のレストランに向かった。
 朝食はハーフビュッフェになっていて、温かいお料理はサーブされ、ジュースやバターにジャム、ハム、チーズ、サラダ、フルーツ、ヨーグルトなどはビュッフェ形式になっている。豪華な朝食で嬉しい。
 旅先だとどうしてこうたくさんの朝食を食べられるのだろう。
 梅ジャムはあまりにも鮮やかな緑色を怪しんだものの酸味もちょうど良くて美味しいし、葱(タマネギだったかも)のジャムはジャムというよりもバターで炒めましたという感じで目先が変わって楽しい。
 サイトにも「朝食のジャムは販売していません」と書かれていた。ぜひ販売していただきたい。


 朝食後、チェックアウトの11時までお部屋でのんびりおしゃべりをして、ホテルを満喫した。
 お部屋に用意されていたワッフル地のパジャマが販売されていて、しかも、SALE中で8000円が6500円になっていた。お姉様のお一人が「前にも別のホテルで買ったパジャマを愛用していた」とお買い求めになったのに勇気を得て(?)、私も母の日のプレゼントとして購入した。
 今年は、5月4日〜5日はこの熱海、8日〜9日は箱根に旅行する予定があったので、どちらかで母の日のプレゼントを見つけようとまだ用意していなかった。
 これで一安心である。


 11時にチェックアウトし、宿泊プランについていたカフェチケットを利用し、ロビー横にあったカフェでお茶をする。
 ホテルの宿泊客だけでなく、ビーチに遊びに来たと思われる方々も次々に現れて、割とすぐ満席になった。明るくて、なかなか雰囲気のよいカフェである。


 熱海で癒される旅にも満足し、さて、お昼を食べてお土産を買って帰ることにしましょうとタクシーで駅前に戻った。
 昨日、熱海駅前をうろうろしていたときに「しらすとさくらえびの2色丼」といったメニューを出しているお店があって、気になっていたので、タクシーの運転手さんに「しらすが美味しいお店」を聞いてみる。
 ところが、運転手さんの答えは「しらすねぇ。熱海はしらすじゃないからねぇ。」というつれないものだった。確かに、しらすといえば沼津あるいは江ノ島である。


 しかも、昨日見かけた辺りに「しらすとさくらえびの2色丼」といったメニューが見当たらない。
 あっさりと方針転換し、運転手さんお勧めのこばやしというお店に行った。階段に7〜8人が並んでいる。
 定食ではなく懐石にすれば3階のお座敷にすぐに入れますという案内があったけれど、朝食も遅かったし、今さっきお茶をしてきたところだし、懐石が入る余地はない。そのまま待つことにした。


真鯛のお刺身 元々はしらすが食べたかった筈が、注文してみたら、しらすの2色丼(生のしらすとゆでたしらすの2色だった)を頼んだのはお一方だけで、私は旬だという真鯛のお刺身定食、もうひとりのお姉様は金目鯛の煮付け定食を頼んだ。
 まあ、そんなものである。
 真鯛のお刺身はぷりぷりと新鮮で、とても美味しかった。


 この3人は熊野古道ツアーにそれぞれ一人参加していて知り合った。お姉様お二方は、そのときの添乗員さんと今もメール等でやりとりをされているらしい。
 お姉様のお一人は、食べ終わった金目鯛の煮付けのお皿の写真を携帯で激写して、メールに添付して「これなーんだ」と送っていた。
 「きっと、今頃は添乗でどっか外国にいるだろうから、このメールを見るのはきっと週明けだね。」とおっしゃっていた。


 あとはお土産を買うだけである。
 昨日目を付けていた干物屋さんに行って金目鯛の開きとしらうおを買う。しらうおは串に5匹を刺して干してあって、酒の肴っぽい感じだ。
 私は帆立の緑茶煮を家と妹用に二つ買い、駅構内の売店でうめしょこらを購入した。
 14時35分熱海始発の普通電車で帰途についた。


 熱海旅行記1日目はこちら。

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2010.05.20

パンフレットを請求する(ヨルダン・エジプト)

 今年の夏は満を持して(?)クィーンシャーロット島に行ってやろうと思っていたのだけれど、狙っていたツアー2つのうち、片方は予定もされず、もう片方は5月末出発という設定だったので諦めた。
 それなら9月のシルバーウィーク(という名前がつけられたけれど、2010年は連休にはならなかった辺りの日程)を利用してヨルダンに行こうと計画変更した。

 でも、今ひとつピンと来るツアーがない。
 ヨルダンに行くツアーを探すとシリアがセットになっていることが多い。
 でも、私の場合、歴史に詳しいわけではないので、パルミラとペトラの両方に行くよりは、ヨルダンの遺跡と自然(具体的に言うと、ペトラ遺跡と死海とワディ・ラム)を網羅したツアーが希望である。
 しかし、こういうツアーは意外と少ない。

 そんなこんなで、今は何故だかウユニ塩湖に行こうかという気持ちになっている。
 高山病が心配だけれど、ウルバンバで頭痛のあまりに昼寝をしてしまい、夕食時に「これは高山病でしょうか」とガイドさんに尋ねて「こんなに食欲のある高山病患者はいません」と太鼓判をもらった私だから、多分、大丈夫だろう。

 あちこち検索して、ボリビア限定(チチカカ湖とティワナク遺跡とウユニ塩湖)のツアーを発見したので、まずはパンフレットを請求した。
 すでに催行決定したツアーもあり、少し急いだ方がいいかも知れない。

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2010.05.16

熱海旅行記1日目

2010年5月4日(火曜日)


 熊野古道ツアーでご一緒したお姉様お二方と「のんびり癒されよう」がテーマの温泉旅をGWに企画した。
 お一方が足を痛めていることもあり、ベタに「スパリゾートハワイアンズ」などを提案したり、色々と調整した結果、目的地は順当に熱海になった。
 私は熱海は3回目である。


 新幹線で行こうか踊り子で行こうか東海道線のグリーン車でも使おうかと迷った末、川崎在住の方がいることだし横浜集合でランチをしてから出かけましょう、ということになった。
 しかし、GWの横浜をなめてはいけない。
 もの凄い混雑ぶりで、最初に目指した崎陽軒本店の中国料理 嘉宮は1時間待ちという案内だった。流石に待てない。


 何となく「横浜で中華」というラインは外せない感じがし、ヨコハマスカイ11階の中国料理 大陸でランチをいただいた。
 ランチメニューではなく一品料理をシェアしたこともあって、店構えはちょっと「ん?」という感じながら、かなり美味しくいただいた。


 14時過ぎ、駅のホームで崎陽軒の横濱月餅 桃カスタードをおやつに購入し、東海道線の普通電車で熱海に向かった。
 普通電車でも1時間ちょっとで熱海に到着である。
 「桃カスタード」は若い(緑色の)桃が中に入っていて、桃っぽいというよりは、梅っぽい味だった。


 熱海駅前では、芸妓さんたちがちらしを配布していた。
 流石に綺麗だよなー、と見とれる。
 4月28日と29日に「熱海をどり」というイベントが開催され、毎週土曜の11時から湯めまちをどり華の舞を見ることができるらしい。今回はこの両方の狭間だった。残念である。


 熱海駅周辺でおやつとお酒とおつまみを探す。
 前に来たときには、熱海駅前のお土産屋さんにはどこにでも少なくとも梅酒が置いてあった記憶だ。今回はどういう訳か全く見当たらない。
 3人でうろうろ探し、駅前のファミリーマートで小樽ワインを買い込んだ。


 今回の宿のホテル ミクラスには、ビュッとタクシーで向かった。
 徒歩15分くらいという案内よりも、もうちょっとかかりそうな感じである。
 タクシーの運転手さんによると「ここは元の大月ホテルだよ。」ということだった。
 17時近くのチェックインとなり、「宿泊プランに付いているカフェチケットは明日ご利用ください。」と案内された。


メインルーム かなり「いい」お部屋にしたので、流石に広く、居心地がいい。
 インテリアは、バリ島風といえばいいのか、東南アジアの高級リゾート風といえばいいのか、白とダークブラウンが基調になっている。
 このお部屋は手前のテーブルのさらに手前にソファが置かれ、ソファの背後は窓で目の前に海が広がっている。
 お部屋にはDVDプレーヤーもあって、早くも「次に来るときにはDVDを持ってきて早めにチェックインして楽しもう!」という話になった。この3人の共通の趣味が「演劇鑑賞」である。


バスルーム 右奥に靴が脱いであるその手前にバスとトイレがある。バスルームに洗面台が2台あるのが嬉しい。
 この奥にあるバスルームの壁はガラス張りになっていて、その隣にもう一つあるベッドルームから完全に素通しになっている。思わず3人で顔を見合わせてしまう。
 ガラス部分に付けられているブラインドはベッドルームの側からしか操作できない。
 その後、3人で「どちらがメインのベッドルームか」という議論が戦わされた。


 少し休憩し、温泉に向かった。
 女性用の大浴場は8階にあり、どう見ても女性向けのホテルなのに、どうして男性用の大浴場を13階にして優遇するのだろうと首を傾げた。海を向いたお風呂は8階でも13階でも眺めはほとんど変わらないためらしい。
 女性用の大浴場のフロアにはスパがあり、また大浴場の更衣室から階段を上がると9階にリラクゼーションフロアが用意されている。
 フロントとレストランはダメだけれど、大浴場にはお部屋に用意されたワッフル地のパジャマで行くことができる。


 この大浴場は、ガラスの大きな戸を開け放てば内湯もほとんど露天と同じ開放感が味わえ、また、テラスには海を向いた露天風呂が備えられていて、寝湯もある。
 気持ちいい。
 内湯はそこそこに、露天風呂に向かう。
 温泉はナトリウム・カルシウム-塩化物温温泉で、強烈な個性を主張しない柔らかいお湯という感じである。
 私は苦手なので使わなかったけれど、ミストサウナもあった。


 足を痛めているお姉さんに聞いたら、やはり、段差があるのが一番怖いという。
 ここの内湯がまた、不必要なくらいに小さい段差があちこちにある設計だ。
 湯船に出入りするために手すりが据え付けてあるものの、出入りするときだけではなくて、お湯に浸かっているときも手すりがないと不安があり、もっとたくさん手すりがあると安心できるのに、というお話だった。
 特に寝湯は浮力に負けないように自分の体を押さえることが難しいそうだ。


 バスタオルとタオルはお部屋から持って来ている。
 化粧水などはPOLA化粧品のものが備え付けられていて、もちろんたっぷりと使わせてもらった。
 9階のリラクゼーションフロアも、ソファがかなりゆったりと置かれていて、パウダーコーナーもたくさんあり、のんびりできそうな感じである。
 露天の寝湯の隣がデッキフロアのようになっていて、そこにはデッキチェアが置かれていた。


 夕食は19時30分からでお願いしてあった。
 「このまま行きたいよねー。」と言い合いながら、パジャマから服に着替える。スリッパも禁止なので靴を履いて、3階のレストランに向かった。


カクテル


 ちょうど初夏のスパークリングカクテルフェアが開催されていて、3人ともそこから食前酒を選んだ。
 私が選んだこのカクテルは、ジリャオ という名前がついていて、桂花陳酒とライチリキュールにレモングラスが入っている。
 見た目どおり、さっぱりとした味で美味しい。


 そして、いただいたお料理はこんな感じである。


前菜


 前菜は、左から、
  大福豆もフラン・バジルとブロッコリーのクーリ 2種の味わい
  5種類の魚介のモザイク仕立て
  ホワイトアスパラガスと紫花豆のアンサンブル


 真ん中のサーモンには透明なゼリーがかかっていて、トマトエキスが入っている。
 大福豆のフランは「茶碗蒸しです。」という説明だった。冷たくしてある。
 どちらも美味しい。


スープ


 スープは、
  5種類の豆のヘルシーなビーフコンソメ


 お姉様方に呆れられつつ、サーブされるや否やカメラを取り出す。
 こんなに美味しいお料理を記録に残さずに何としよう。かなりしっかりとしたコンソメスープでとても美味しい。
 莢隠元があしらってあるのを見て「そうだ、莢隠元も豆だったんだ。」と改めて変なことに感心した。
 お皿の左上にちらっと写っているのは、パンと一緒に出されたオリーブオイルで、これまた美味しい。


お魚料理


 お魚料理は、
  本日の鮮魚 大葉・大納言のリゾットとご一緒に バルサミコでアクセント


 本日の鮮魚が何だったか記憶が曖昧だ。確か真鯛だったと思う。
 このリゾットが絶品で、こんなにバルサミコが使ってあるのに全然くどくない。豆の甘さもあって、ちょうどいい味加減である。


お肉料理


 お肉料理は、
  静岡産 牛サーロインのローストビーフ 種類の野菜の菜園風 自家製橙ポン酢と共に


 そしてもう、このローストビーフがとにかく絶品だった。
 こんなに柔らかく美味しく焼けたローストビーフを食べたのは初めてだ。
 このローストビーフが食べられるのなら、またこちらに泊まりたいと3人で言い合った。


デザート


 デザートは、チーズケーキと紅茶のアイスクリーム、クレープにマカロンだったと思う。
 コーヒーをいただいた。


 こうして2時間かけて、本日のディナーを美味しく完食した。


夜景 お部屋に戻り、もう1回温泉に行きたいと思いつつ、お腹がいっぱいすぎてそれどころではない。
 窓から外を見ると、砂浜をブルーにライトアップしているのが見える。
 そういえば、どこかで「砂浜のライトアップは世界初」と書いてあったのを読んだように思う。確かに綺麗だ。砂浜では花火を楽しむグループがいくつか見える。
 駅前のファミリーマートでも花火をもう売っていたのを思い出した。


お部屋の照明 部屋の窓から見える夜景の他に、私たちの心を捕らえたのがこの照明だった。
 何だかやっぱり東南アジアのリゾートという気配が漂う。
 部屋の電気を消し、3人でデジカメを構え、あーでもないこーでもないと言い合いながら、何故か真剣に「芸術写真」撮影に邁進した。


 もちろん、その間にも、新潟のお土産に持ってきてくださった柚子胡椒味のおせんべいなどをいただきながら、ワインを飲む。
 「熱海に来て小樽ワイン?」と思いつつも、これがなかなか美味しい。口当たりもよくて、危ない感じである。


 そうして翌1時過ぎまでしゃべり倒した。


 熱海旅行記2日目はこちら。

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2010.05.09

無事、帰宅する(箱根)

 2010年5月8日(土曜日)から、1泊2日で箱根で女4人「親父ではない箱根」の旅としゃれ込んできた。

 ロマンスカーに集合して小田原で美味しい点心のランチをいただき、箱根の宿に直行した。
 遊覧船で芦ノ湖を一周し、早めの夕食をいただく。
 温泉の露天風呂にもゆっくりと浸かって、1日目は終了した。

 2日目の今日は、チェックアウトぎりぎりまでゆっくりした後、駒ヶ岳ロープウエイに乗り、ギリギリ頭だけ見せていた富士山を拝み、その後は、ポーラ美術館へ向かった。
 初めて行ったけれど、なかなか雰囲気の良い、所蔵品も私好みの美術館だった。また行きたい。
 美術館のレストランでランチをいただいた後は、箱根湯本駅に戻り、新しくなった駅ビルでお買い物をした後、東京メトロに直通運転する青いロマンスカーに乗って帰った。

 今回は、熱海以上にお買い物をしない旅になった。

 ちなみに、1泊2日、1人当たりの交通費、宿代、食事等の旅費(ここには、遊覧船代や美術館入館料は含まれているが、お土産代は含まれていない)は、約28000円だった。

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箱根旅行記(2010)2日目(引っ越しました)

*****

 箱根旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

*****

 1日目 2010年5月8日(土曜日)

 2日目 2010年5月9日(日曜日)

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2010.05.08

箱根旅行に出発する

 つい3日前に熱海から帰ってきたばかりだというのに、今日はこれから箱根に1泊で行く。
 5連休(しかも、その最後の2日に熱海に行った)の後、2日出勤した週末に、1泊2日の箱根とはいえ旅行するというのがこんなにキツいものだとは思わなかった。
 体がだるい。

 今回は、職場のお姉様方との4人旅である。
 昨日確認したところによると、今回の旅の目的は、温泉とポーラ美術館ということだった。

 熱海旅行から帰ってきて、洗濯が必要なもの以外はそのまま部屋にバッグ等々を放っておいたので、ほぼそのまま(面倒くさいので洋服等も同じにしようかと今思っている)持って行けばよいというのは有り難い。
 熱海でもこれで何も困らなかったので、今回もこれで大丈夫だろう。
 そう思って、昨日の夜も荷造りを全くせずに寝てしまったのだ。

 そんなわけで、今、荷造りしつつ作った持ち物リストは以下のとおりである。

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2010.05.05

無事、帰宅する(熱海)

 2010年5月4日(火曜日)から、1泊2日で熱海で女3人「癒し」の旅としゃれ込んできた。

 集合もゆっくり、熱海に到着して駅前で少しお土産屋さんを眺めてタクシーでホテルに直行、温泉に入り夕食をいただき温泉に入りワインなど飲みつつおしゃべり。
 次の日も、温泉に入り朝食をいただきおしゃべりし、うだうだとお部屋でごろ寝を決め込んだりといった、私には珍しく「全く動かない旅」になった。

 これはこれでいいものである。
 私にもこんなにのんびりできる、という自信ができた。

 「癒し」「自分ご褒美」とお姉様方には何度も言われたので、かなりホテルを奮発しすぎたかなぁと反省していたのだけれど、でも「また来たい」とも言って貰えたのでよしとしよう。

 ちなみに、かなりいいお宿のいいお部屋に泊まったこともあって、1泊2日、1人で交通費、宿代、食事等の費用(ここにはお土産代は含まれていない)を足して、約36000円だった。

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2010.05.04

熱海旅行に出発する

 先週は荒天と桜の開花状況により山形旅行を断念したところなのだけれど、今日明日と打って変わっての好天が見込まれる。
 青い海を眺めることができそうで、とても嬉しい。

 熊野古道ツアーでご一緒したお姉様方と熱海の温泉で癒されよう! 旅に出発である。

 何しろ疲労回復のリフレッシュが目的なので、出発もゆっくりめである。
 横浜に集合してお昼ごはんを食べてから行きましょう、ということにした。
 というわけで、今現在、荷造りが終わっていない。というよりも、始めていない。

 今の心配は、明日の帰りの足である。
 今朝のニュースでは、2010年のゴールデンウィークは、明日の5月5日にJRの上り電車の混雑のピークを迎えるのだそうだ。
 新幹線のこだまよりは、熱海始発のアクティーのグリーン車を狙った方が楽かも知れない。

 それはともかくとして、今、荷造りと同時進行で作成した持ち物リストは以下のとおりである。

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2010.05.03

永平寺・京都旅行記の入口を作る

金閣寺 ここは永平寺・京都旅行記への入口である。
 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

 この2泊3日の永平寺・京都旅行にかかった費用は、概算7万2千円だった。自分で計画・実行しておいて何だけれどかなり高い。この中には、交通費、宿泊費、食費、拝観料(御朱印含む)などは含まれているが、お土産代は含まれていない。

 1日目 2010年2月11日(木曜日)

 2日目 2010年2月12日(金曜日)その1

 2日目 2010年2月12日(金曜日)その2

 3日目 2010年2月13日(土曜日)その1

 3日目 2010年2月13日(土曜日)その2

 

 持ち物リスト(永平寺・京都編)

 

 出発前に旅行計画を立てるときに利用した主なサイトには、旅行記本文中にリンクを張ってある。

 また、利用したガイドブックは、以下のとおりである。
 京都編の旅計画に一番影響を与えた本といえば、やはりこちらの北村薫著「冬のオペラ」だった。

 永平寺編
 「道元禅師の寺を歩く」

 京都編
 「タビリエ 京都」

 「京都のお庭」

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永平寺・京都旅行記3日目その2

2010年2月13日(土曜日)


経蔵 蟠桃院を出て、妙心寺の経蔵に向かった。
 経蔵は、「びるぞう」ともいい、「びるしゃなというのは全てのものという意味で、そこから来た名称です。」という。しかし、疎い私には字面すら浮かばない。
 帰って来てからネットで調べたら、どうやら、「びるしゃな」は「毘盧遮那」という字が当たるらしい。


 妙心寺の経蔵の中には、「輪蔵」という蔵があって、その中に1000本以上の経本が収められている。この経本は、建仁寺の経本を写経したという。
 輪蔵は、文字が読めない人もお経を読んで得られる功徳を得るにはどうすればいいかと考えた傅大士という人が考案したもので、この輪蔵を1周回すと、納められた全てのお経を読んだことになるという。
 輪蔵の正面には大抵この傅大士がお祀りされている。和尚さんが傅大士ではなく「ふだいさん」と知り合いのように呼ぶのが何となく楽しい。


輪蔵 輪蔵はかなり傷みが来ているので回すことはせず、左回りに1周して代えることになった。
 正面から順番に、広目天、梵天、多聞天、持国天、帝釈天、増長天、金剛力士によって支えられている。
 「これはどこから回るんですか?」と案内の和尚さんに尋ねたら、一番下から全部動くという。一番下のところの板が1枚外れていて、実際に回すときにはそこから人が入り、芯になる柱の根本が一番摩擦が大きくなるので、そこに油を差しながら回すというお話だった。


 書院での和尚さんのお話という本日最後のプランに向かった。
 案内してくれていた和尚さんのお話を聞くのではなく、別の和尚さんが現れ、岡山のお寺の副住職だと自己紹介があった。
 「堅苦しくないお話をしてくださいと言われています。」と言い、「昨年の秋に試験に受かって、人前で演奏をしても良いというお許しをいただいたので。」と尺八を演奏してくださった。


 大正12年に作曲された「木枯らし」という曲で、関東大震災後の東京の様子を見て作曲されたという。
 「寂寥」がテーマの曲のようで、「そのときの寂寞とした気持ちが伝わりましたでしょうか。」とおっしゃる。
 尺八の音を尺八だけで聞いたのは多分初めてで、随分と哀しい調子が似合う音なのだなと思った。
 尺八はお父さんがずっとやっていらして、それで自分もやるようになったというお話だった。随分とつやの出てきた尺八だったので「古いものなのですか?」と聞いたら、「父親から譲ってもらいました、作者の方は存命なのでそう古いものではありません。」というお答えだった。


 尺八の演奏に加えて、松尾芭蕉の言葉だという「不易流行」についてもお話があった。どうやら私はお茶をお菓子をいただくのに夢中になっていたらしく、何故かメモにこの言葉しか書いていない。
 流行を追うばかりで基本を知らないというのではいけない、しかし、変化をただ恐れて遠ざけるのもまた間違いである、という趣旨のお話だったと思うけれど、あまり自信がない。


 アンケートが配られ、名古屋で開催された妙心寺展のDVDをお土産にいただいて、「閑寂の禅」プランは終了となった。
 2010年で終わるという理由をお聞きしたら、毎年違う、普段は公開されていない塔頭を案内するというコンセプトのプランで、公開に応じてくれる塔頭寺院が段々なくなってきたことと、企画として黒字になっていないことが大きいらしい。
 そういえば、ずっと付いてくれていた若者に「いつもこれくらいの人数なんですか?」と聞いたら、「今日は多い方です。」という回答だった。
 別の形の企画を考えていく予定です、というお話で、私はこの半日をかなり楽しく興味深く過ごさせてもらったし、ぜひ新企画を待ちたいと思う。


 そんなお話を聞いていたら私が最後になってしまい、案内の和尚さんに正座でお見送りしていただいて恐縮してしまった。
 緊張するから見ていないでくださいとお願いしたけれど、そういう訳には行かないらしい。


臨祥院 12時近かったので、お昼ごはんを食べようと北総門に向かった。
 途中、臨祥院という塔頭寺院があり、公開はされていないようだったけれど、春日局の墓所という案内の札が立っていた。家光が春日局の追福を願って香華所として建立し、明治時代になって現在の場所に移築されたという。
 枯山水庭園があり、その奥には小堀遠州の手によって二条城から移築された釣殿が御霊屋(貴人の霊をまつる殿堂)として整えられていたり、狩野探幽筆の春日局の肖像が伝えられたりしているらしい。
 「閑寂の禅」に参加した方の中に、ここの話をしていた方がいらっしゃったのを思い出した。


日替わりランチ 北総門を出て左手に少し歩いたところで、おからはうすという、一見して喫茶店っぽいお店を見つけ、一人でも入りやすそうな雰囲気だったので、ここでお昼ごはんを食べることにした。
 ランチメニューは日替わりランチ(1000円)1種類だったと思う。
 健康的なメニューが受けているらしく、座敷に二人連れが2組と、カウンターにひとり旅らしい女性が3人くらいと、結構お客が入っていた。


 市バスのカードも買ってあるし、13時近くになってしまったし、仁和寺の前から金閣寺道までバスに乗った。
 仁和寺から金閣寺に向かう道は緩い上り坂で、バスに乗って正解だった。


 金閣寺は、この時期、方丈の特別公開がされていたけれど、この日に限って法要のために拝観停止になっていた。残念である。
 拝観料500円を支払うと、拝観券の代わりにお札をいただけた。ちょっと嬉しい。
 順路に従って進むと、まず、「金閣寺」と聞いて誰もがイメージするだろう、池の向こうにある金箔の貼られた舎利殿を拝むことのできる場所に誘導された。


金閣寺


 人生初の生金閣寺である。
 北村薫の「冬のオペラ」でも主人公のあゆみが訪ねていたし、まだ見たことがないし、雪の金閣も期待して来た。
 残念ながら雪はないものの、光の角度の関係で午後に来た方がいいという話に納得できた。青空が見えるのも嬉しい。
 内心あまりにもベタでちょっと莫迦にしていたけれど、やはりフォトジェニックな建物である。
 底冷えのする冬の京都だというのに、結構な人出だ。


美人の角度 年配の男性3人に年配のガイドさんがついているグループにつかず離れずで歩いていたら、池の横の道を少し歩いた辺りで、「舎利殿はこの角度が一番美人だと言われています。」という説明が聞こえてきた。
 なるほどと思い、「一番美人に見える舎利殿」の写真をパシャパシャと撮る。
 この建物は、一層は寝殿造、二層は武家造、三層は中国風の禅宗仏殿造になっている。下の二層は長方形、三層だけは正方形になっているため、角度によって姿形が変わって見える。


私的美人の角度 私が一番美人だと思った舎利殿は、この角度だ。
 この金閣を擁する鹿苑寺というお寺が臨済宗のお寺だというのは合点がゆかない。
 1987年に漆の塗り替えや金箔の張り替えをしたというニュースは何となく遠い記憶に残っていて、その当時、「さらに金色に光り輝くようになった金閣」と話題になり、そのときも、それってお寺としてどうなんだろうと漠然と思ったものだ。
 今回初めて見たこの舎利殿は、思ったよりも「金ぴか」という感じではなく、却って渋さを感じさせるようなところもあったのが意外だった。


陸舟の松 金閣寺は拝観のコースがあり、それに従って進む。
 陸舟の松と呼ばれる松のところで、ガイドさんがイタリア人観光客に「さて、この松の木は何を象ったものと言われているでしょう、クイズです。」「ヒントは、この方向は西だということです。」などと言っているのが聞こえてきて楽しかった。
 しかし、「西向きの松」というヒントから、西方浄土へ向かう舟という正しい答えを導き出すのは相当に難度が高いと思う。


 舎利殿の後ろ姿を少し高いところから眺めた後、突然現れる不動堂にお参りし、鹿苑寺と不動堂と両方の御朱印をいただいて(各300円)、概ねコースタイムどおりの40分で見学を終えて金閣寺を後にした。
 これは私にしては異例のスピードで、この後で正伝寺に行く予定がなかったら、もっと時間を使って、もっとたくさんの写真を撮っていたと思う。
 お寺にお参りしたという感じは全くしない。流石に京都有数の観光スポットだと納得した。


正伝寺入口 京都での最後の目的地は、北村薫の「冬のオペラ」で主人公のあゆみが椿さんという京都在住の女性に連れられて行った「正伝寺」である。
 北大路堀川というバス停でバスの乗り換えが必要で、最寄りのバス停「神光院前」から徒歩15分かかる。しかも普通の住宅街を抜けたその奥にあるのでほとんど道案内などはない。
 方向音痴の私は案の定道に迷い、前から歩いて来た人に教えてもらい、それでも間違えて、後ろから追いかけて来てもらって間違いを正してもらってやっと辿り着いた。


正伝寺参道 参道をゆっくり上って行くこと3分弱、前方に建物らしきものが見えてきた。
 すれ違う人がいるとほっとする。
 正伝寺は、臨済宗南禅寺派のお寺で、正式には「吉祥山正伝護国禅寺」という。
 鎌倉時代に東厳慧安禅師が創建したお寺である。
 方丈に到着したときには辺りに誰もおらず、でも2階から工事をしている音がしていて、声をかけると年配の作務衣姿の方(和尚さんだと思われる)が出てきてくださった。拝観料は300円である。


 中に入ると畳のお部屋が二間(三間だったかも知れない)があり、その前の縁側に緋毛氈が敷かれ、座布団がいくつか置かれていた。
 先客が3人ほどいらっしゃった。
 まずはその座布団に座って、ぼーっとお庭を眺める。


正伝寺枯山水のお庭


 このお庭は、江戸初期に小堀遠州によって作られたお庭である。
 「獅子の児渡しの庭」とも呼ばれていて、岩はひとつも使われておらず、サツキの刈り込みによって七五三調を表現し、そして何よりの特徴ははるか遠くの比叡山を借景としていることだと思う。
 1週間ほど前に雪が降ったそうで、雪の積もったこのお庭も見てみたかったなと思う。
 何とも、ぼーっとできるいい場所である。
 そのうち、先客の方々はお帰りになり、私の貸し切り状態となった。嬉しい。こんな贅沢なこともそうはあるまい。


 広縁には、正伝寺が特集された旅行雑誌などが置かれていた。中秋の名月のときだけ夜間の拝観ができるようで、「比叡山と満月とお庭」の写真が大きく載せられていた。
 いいなぁ、自分の目で見てみたいなぁ、と思う。
 雪も見てみたいし、サツキの花がピンクに咲きそろった頃にも来てみたい。


広縁から お庭が目的で来たのでお庭ばかり眺めてしまったけれど、今自分が広縁に座っているこの方丈も重要文化財である。元は伏見桃山城にあった遺構で、この場所に移されて本堂になったという。
 それにしても、お寺には「元は**の**でした」という建物が多いなと思う。その昔に権力者と強いつながりがあったからかしらと思う。
 また、この広縁の天井は、いわゆる「血天井」だ。伏見城に立てこもった徳川方の鳥居元忠以下1200名が落城の際に切腹して果てた廊下の板を天井にしている。
 恐ろしい。そんなものが頭上にあるなんて、しかもここはお寺なのに、何とも背筋が寒くなる話である。


 15時30分前に帰ろうかと立ち上がったところに、次の拝観者がやってきた。
 女性二人連れで、私とは違ってお庭ではなく狩野山楽筆というふすま絵(重要文化財に指定されている)が目当てでいらっしゃったらしい。
 先ほどの方とは別の和尚さんが出ていらして、広縁とを隔てる板戸を開け放ってくれたので、私も一緒になって拝見させてもらった。
 もっとも、私には「中国っぽい風景だなー」といくらいの感想しか浮かばない
 襖絵よりも、先代の和尚さん作だという、線の代わりにお経で(つまり小さな文字で)描かれた涅槃図の方にしげしげと見入った。ある意味、執念の賜である。


 1時間半以上も滞在し、正伝寺を後にした。
 16時前に神光院前のバス停からバスに乗り、京都駅に向かう。少し道が混んでいたこともあって1時間弱かかった。
 再び伊勢丹の地下に行き、新幹線で食べようと夕食代わりのおにぎりと、中村藤吉本店の抹茶ゼリィを買い込んだ。
 また、「日本で一番小さい漬け物屋」とお兄さんが呼ばわっていた声につられ、お土産に楽味京都で半割だいこん(ごま)と千枚漬けを買う。


 お買い物を終え、17時42分発ののぞみの自由席に空きを見つけて座り、永平寺・京都旅行を終えた。


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2010.05.02

永平寺・京都旅行記3日目その1

2010年2月13日(土曜日)

朝食 朝7時に目が覚めた。何故かお腹が空いている。
 待ちかねたようにして、7時30分に朝食を食べに行った。昨夜の観察の結果、スリッパの方も浴衣の方もいらっしゃったので、スリッパでペタペタと行く。
 パッと見は少なめと思ったら、食べ終わったときにはお腹が一杯になっていた。
 荷造りをしてチェックアウトし、キャリーケースを宅配便で送ってもらうようお願いする。

 今回の旅行にはポメラを持参していたのに、荷造りをするまで1回も電源を入れることはなく、今日1日ショルダーバッグに入れて持ち歩くのは嫌だったので、キャリーケースに入れて送ってしまった。
 メモを書くのはよくてポメラは開かなかった理由は、ポメラで打ってしまうとそこで「確定」という感じがしてしまい、書かなかったことの印象が薄れてしまうように思えたからだ。
 メモ帳に書いている分には、ガイドさんの説明をメモした部分も、夜に宿で色々と思い出しつつ書いた部分も、等しく「メモ」で「間に合わせのもの」という感じがする。
 これは慣れの問題だろうか。

 今回私が利用した、花園会館が主催する「閑寂の禅」という宿泊プランでは、宿泊した翌日の午前中、妙心寺内の普段は公開されていない場所を和尚さんの案内で訪ねることができることが売りになっている。
 これまで何年かに渡って毎年2月に開催されており、2010年の内容は、蟠桃院と経蔵の見学と、和尚さんのお話だった。
 「閑寂の禅」の集合は9時50分で、その前に「コースどおりの妙心寺」を巡るべく、一足先に妙心寺をお散歩した。

妙心寺 南総門を入るとまっすぐに参道が伸びていて、突き当たりに大方丈がある。
 参道の左側に、三門、仏殿、法堂と並んでいる。この三門の手前には池があり、さらにその手前に外へ通じる勅使門がある。きっとこの勅使門は滅多なことでは開かれないのだろう。

 ふらふらと歩いて行くと法堂の奥に受付らしいところがあった。受付が開くのは9時だという。
 9時に受付が開いたら御朱印をお願いしようと待ち構えていたら、作務衣姿の女性が通りかかって、これから朝のお勤めがあるので、よかったらどうぞとおっしゃる。
 有り難くそのまま上がらせてもらい、他に二人くらいの方と一緒に、広い畳のお部屋にそっと座らせていただいた。

 作務衣姿の女性の他、「お坊さん」という格好をした方が何人か並び、お経があげられる。
 今日の予定を読み上げる方がいて、多分「決まりごと」の日々の心得のようなお話があり、壁に掛けられていた短冊に書かれた「一日一回、静かに座り、呼吸と心と体を調えましょう」という文句を唱和して終了となった。
 その間、5分くらいだったろうか。
 「朝礼」という感じである。

 そのまま窓口で御朱印(300円)をお願いし、9時10分からの拝観(法堂・天井の雲龍図、国宝の梵鐘、浴室(明智風呂)を案内していただける。500円)が所要30分くらいだという説明を受けて参加した。
 作務衣姿のお姉さんに案内してもらう。

 妙心寺は3400の末寺を持つ、臨済宗妙心寺派の大本山である。
 元々は花園天皇の離宮だったところをお寺とした開祖が無相大師だ。
 妙心寺全体で甲子園七〜八つ分の広さを持つというから驚く。もっとも、妙心寺の中にはたくさんのお寺(塔頭)があって、それら全てを合わせれば、ということである。

 最初に案内された法堂(「はっとう」と読みます、と念を押された)は、350年前に建てられており、床は半瓦式である。ここも雲水さんの修業のための場だということなんだなと思う。
 法堂は住持(いわゆる住職のことらしい)がお話をされたり座禅をしたりする場所で、須弥壇は住職の説法用に置かれている。普段は空っぽだ。
 法堂は全部で44本の欅の柱で支えられており、こちらもまた富士山から運んできた大きな欅の木の中心を除き、1本の木から4本の柱を切り出しているという。
 お寺というのは権力とお金があったのだなと思う。

 天井には狩野探幽が描いた龍の絵があり、重要文化財に指定されている。
 ここは写真撮影禁止である。
 雲龍図は八方睨みの龍とも言われ、様々な動物がモデルになり、描き込まれているそうだ。
 口は鰐から、角は鹿から、爪は鷲から、髭は鯰から、身体は蛇から、鱗は鯉から、そして一番肝心な目は「牛」から取られているという。

 また、この雲龍図の彩色に使われているのは、白は貝殻(恐らく胡粉のことだろう)、黒は墨、青は岩から、赤と緑は植物から取られた絵の具である。
 直径が12mもあり、構想に3年、実際に描くのに5年かかったというから、大作だ。
 天井に向かって描いたのではなく、描き終わってから天井に吊ったのだという。一体、どうやって吊ったのだろう。
 須弥壇に向かって左から見ると下り龍に、向かって右から見ると昇り龍に、須弥壇を正面にして見上げると非常に優しい表情に見えると言われて、そのとおり見上げてみる。優しい表情と言われたって龍は龍だよと思う。

 いつもならば法堂には梵鐘も保管されている。現在は九州に出張中で、その場所には実物大の写真パネルが置かれていた。
 ひびが入ってしまったため二代目に主役の座を譲ったけれど、年号の入った鐘としては日本最古のもので、長い間、NHKが大晦日に放送している「ゆく年くる年」の最初の鐘の音として活躍していたそうだ。
 黄鐘調(おうじきちょう)の鐘とも呼ばれているのは、正しく黄鐘調(「ラ」)の音がするからだという。
 「テープでお聞かせしましょう。」とその先代の鐘の音を聞かせてもらった。今ひとつ、その素晴らしさが私には判らなかった。きっとテープで聞いたからに違いない。
 2代目かつ現役の鐘も、同じ高さの音で鳴るように作られているというお話だった。

明智風呂 法堂での見学を一通り終えて、明智風呂に移動した。
 「明智風呂」と呼ばれているのでいかにも明智光秀が使った浴室のようだ。しかし、説明によると、明智光秀が信長を本能寺で討った後で自害しようと妙心寺に来たことから、明智風呂は明智光秀の菩提を弔うために亡くなった5年後に建てられたという。明智光秀がこの浴室を使った訳ではない。
 それにしても、どうして菩提を弔うためにお風呂を造るのか、よく判らない。

 浴室といっても広く、脱衣所として使っていたという畳の部屋だって9畳(半端な数なのは、畳が3×3という風に並べられていたからである)もあった。
 「お風呂に敷く布」から「風呂敷」という言葉が生まれたという説明もあった。

風呂釜 「浴室」「風呂」というけれど、実際はサウナに近い仕組みである。
 すのこの下に窯があって、そこから蒸気が送られるようになっている。
 浴室自体は三段構造になっていて、一番上の窓は明かり取り、真ん中の窓は温度調節に使い、一番下の窓(というか隙間)から出入りをしていたようだ。
 中に入って、すのこの上でお線香1本分(約20分)座禅をしたという。

 ここまで説明を聞いたら9時45分近くになってしまい、慌てて花園会館ロビーまで戻った。
 集合時間には間に合ったようだ。参加者は15人弱である。
 10時になって、和尚さんに引率され、花園会館の職員らしい若い男の子が最後尾について、まずは駐車場横にあった妙心寺の全景図を見ながら説明を受けた。

 妙心寺は大本山正法山妙心寺(「正法山」というのは山号である)が正式な名前で、3400の寺院の本山である。
 南総門から北総門まで600m、西端の大法院から東端の東林院までが550mで、京都で2番目に広い場所だという。ちなみに、1番広いのは京都御所だ。
 私は今回の旅行で1番目と2番目を図らずも制したことになる。

 妙心寺の境内に37、外部に10の塔頭寺院があり、龍安寺もこの「外部の塔頭寺院」に当たると聞いて驚いた。どちらかというと、龍安寺の方が有名なような気がする。
 妙心寺の中に「妙心寺」という塔頭寺院があるのではなく、あえて言えば、「妙心寺」は勅使門から七堂伽藍までということになるそうだ。
 この勅使門は管長猊下が4年に1回交代するとき、その出入りの際にしか開かないという。
 一般的にお寺の「本堂」と言われる部分に当たるのが、禅宗寺院の場合は仏殿(ご本尊がお祀りされているところ)と法堂(説法を説く場所)と大方丈(和尚さんが普段いるところ)の3ヶ所になる。

蟠桃院へ梅 一通りの説明をしてもらって、和尚さんはやっぱり声のいい人が多いななどと不謹慎なことを考えつつ、塔頭寺院の間をくねくねと迷路のようになっている道を進み、蟠桃院に向かった。
 妙心寺内の道路は生活道路として使われており、当然のことながら、24時間いつでも通行することが可能で、この道も普通に車が通ったりしていた。

開山堂 歩いている途中、玉鳳院と開山堂とが並んでいるところを通りかかったとき、案内の和尚さんが足を止めて一礼し合掌していた。
 説明によると、玉鳳院はこのお寺を建立した花園法皇がお祀りされており、また開山堂にはこのお寺に最初に入った和尚さんである無相大師がお祀りされている、とのことだった。
 確かに、築地塀にも五本線が入っていて、格式の高い場所であることが判る。

 蟠桃院に到着した。
 「蟠桃」とは、孫悟空が食べて不老不死を手に入れた実の名前である。
 前田玄衣によって建てられた塔頭寺院で、でも当然のことながら前田玄衣が和尚として寺に入ったわけではない。
 大抵のお寺は、建立した人と最初に寺に入った和尚とは別人である。

石段 蟠桃院入口の石段は、豊国廟(豊臣秀吉のお墓)から持ってきたもので、石に○や×が付いているのは(この写真では、石に×印がついている)、納めた人が付けた「自分の印」である。

 蟠桃院の和尚さんはお留守で(御朱印をいただけなくて残念だった。しかし、留守中にぞろぞろと私たち観光客を入れてくれるのだから太っ腹である)、中に入り、まずは全員で渡された紙を見ながら、案内の和尚さんの先導で般若心経をあげた。
 私はもの凄く不信心だし、我が家はお葬式や法事のときしか意識しないとはいえ真言宗なので、般若心経を真面目に読んだのは初めてである。
 「色即是空」という言葉くらいは聞いたことがあって、つまり「色即是空」しか知らない。
 それでも、和尚さんの声に合わせようとしていると、何だかスっとした気持ちになった。

蟠桃院玄関 蟠桃院は、玄衣の没後、開祖である一宙和尚の後を継いだ雲居希膺(私の耳には「うんごきよう」と聞こえた)和尚が、伊達政宗を子供の頃に教えていた和尚さんからの紹介で瑞巌寺九十九世になった縁で、伊達家の庇護を受けるようになった。
 この雲居希膺和尚という人は、谷底に投げた払子が手元に戻って来たら悟りを開いたことにしようと決めてえいやっと投げたら、その辺りに住んでいる子供が持ってきてくれたというエピソードや、襲ってきた山賊に一度は「お金なんか持っていない。」と答えたものの、改心して(?)ふんどしに縫い付けていた一両を差し出したら山賊に「こんな正直な奴なんて!」と次の村まで護衛してもらったというエピソードの持ち主である。
 こういうエピソードが伝えられているのだから、破天荒で有名な人だったのだろう。

 蟠桃院では、伊達家との縁から、建物に伊達家の家紋が入っていたり、伊達政宗の肖像画が飾られたりしていた。
 伊達政宗は「独眼竜」で有名だけれど、残っている肖像画は両目を見開いて描かれていることが多いらしい。

 案内してくれた和尚さんは、「和尚」の資格を取得するために(という話を聞くまで、「和尚」が資格であるとは知らなかった)試験を受ける際、この蟠桃院に泊まったそうで、そのときのお部屋なども見せていただいた。
 その部屋のふすま絵を示して「これは誰かが勝手に描いたふすま絵です。」などとジョークなのか判らない説明をしてくれるのが可笑しい。

 お茶室も見学した。元々、妙心寺はお茶と禅は相応しくないという考えを持っていたそうだ。当初、お茶室は造らなかったらしい。
 それにも関わらず、蟠桃院にかくれ茶室が造られているのは、豊臣家再興のための隠れ家として建立されたためではないかと言われている。しかし、蟠桃院の建立は関ヶ原の戦いの翌年で、まだ豊臣家は潰れていない筈だ。よく判らない。

左甚五郎 この蟠桃院の玄関は聚楽第から移築されたと言われている。ただし、何度も改築を重ねているし、聚楽第にあったという証拠はない。
 また、玄関上の彫り物は左甚五郎が彫ったと言われている。
 和尚さんの話によると、お寺はどこも貧しかったので、果敢な和尚さんは、次々と躊躇なく美術品やふすま絵などを売り払ってお寺維持のための経費に充てることも多かったそうだ。けれど、この蟠桃院のように(ということだと思う)、優柔不断な和尚さんは美術品などを売り払う決心がつかないまま来てしまったお寺も多い。
 今になってみると、優柔不断な和尚さんがいたからこそ、そのお寺が重要文化財に指定されていることになり、長い目で見れば、早い決断が必ずしもいい結果を生むという訳ではない、というお話だった。
 このお話が、「閑寂の禅」の中で一番印象に残った。

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