2010年2月11日(木曜日)
今週に入ったくらいから天気予報を見ては、どうも2泊3日全部が雨という可能性もありそうだと凹んでいた。
8時30分くらいに最寄り駅を出発したとき、雨は降っていなかった。小さいキャリーケースを転がしていたから、出発時点で雨が落ちていないのは有り難い。
雨は降っていなくても寒さはかなりのもので、「これから山中の永平寺に行くのだし」と、上半身は山用のアンダーシャツにハイネックのシャツ、さらに丸首のセーターを重ね、ウールの厚手のシャツにアウトドア用のダウンコートという完全フル装備である。
もちろん、下半身もタイツにハイソックスを履き、Gパン、オーロラを見に行く際に買った寒冷地仕様の靴と準備万端だ。
9時33分発のひかりは、昨日、窓際指定をしたら「満席」と言われたものの、自由席車両は1両に5人も乗っていないくらいガラガラだった。
わざわざ指定席にする必要はなかったかもと思いつつ、3席並んだ通路側の指定席に座る。
小田原辺りでほぼ満席になった一方、私の隣の席は米原までずっと空いていて、ラッキーだった。
11時49分に米原に到着し、しらさぎに乗り換える。
この10分間で「湖北のおはなし(1100円)」という駅弁を購入する予定でちょっと焦ったけれど、乗り換えの通路で、テーブルを出したおばさんが駅弁を売っており「湖北のおはなしもありますよ〜。」と呼ばわっていて、無事に購入することができた。
昨日、JR東日本のえきねっとで見たら10時59分発のしらさぎの指定席が満席だったので当初予定から1本遅らせたところ、私の乗った「しらさぎ」は指定席も自由席もガラガラだった。
10時59分発のしらさぎには団体客が乗っていたのかも知れないと思う。
新幹線に乗っているときからお腹が空いていたし、このお弁当を楽しみにしていたし、座席に落ち着いてすぐにお弁当を開いた。
「湖北のおはなし」は丁寧に作られたお弁当で、季節によって変わるというごはんは、豆ごはんだった。何だかいい香りがすると思ったら、ごはんの底に桜の葉が敷いてあって、その芸の細かさに感動する。
何より、美味しい。
完食した。
米原を出て10分も走ると、窓の外は雪景色になった。
この「しらさぎ」は何だか揺れ方が激しい。
天気が気になって、目を凝らして雨が降っているか雪が降っているかと見ていたせいか、まず電車では酔わない私が「ちょっとくらくらするかも。」と思ったくらいの揺れだった。
13時2分に福井駅に到着した。外は、結構な雨降りである。
時間があれば宿泊する駅前のホテルに荷物を預けてしまおうと思って西口に出てみたところ、ホテルの看板等が目に入らなかったので諦めた。
屋根付きの通路で結ばれているえちぜん鉄道の福井駅まで歩き、待合室にあったコインロッカー(400円)にキャリーケースを預けた。一番小さいコインロッカーに入らないのが悔しい。
えちぜん鉄道の窓口で1日フリー切符(800円)を購入する。
えちぜん鉄道はなかなか可愛い電車で、この時間は1両編成らしい。
永平寺に行くための観光電車というよりは、地元の高校生の足になっているという感じだ。
若い女性の車掌さん(とスチュワーデスを足して3で割ったような感じの役割の人)が乗り込んでいて、長閑な感じが嬉しい。
永平寺口駅は割と近く、13時50分に到着した。
永平寺行きのバスは、20分くらい待たなければならない。バスの待合室もあって椅子が並んでいたものの、椅子が並んでいるだけで火の気もないし寒い。寒さで頭が痛くなってくるくらいだ。
駅員さんに声をかけ、ちゃっかり駅の待合室で待たせてもらった。こちらにはストーブもあるし、バス停も見える。バスの待合室でバスを待っている人も5〜6人いるから、ダッシュすれば間に合うだろう。
永平寺口駅から永平寺方面に行くバスは、大抵は「永平寺」という永平寺から徒歩7〜8分のところにあるバス停までしか行かない。しかし、あわら温泉から来る私が乗ったバスは、「永平寺門前」という、本当に門前のバス停まで連れて行ってくれた(410円)。
雨が降っているときには有り難い。
周辺のお土産物屋さんでは、「荷物預かります。」「傘お貸しします。」という声が溢れている。
雨はかなりの降りになっていて、唐門に続く階段に設置された柵の手前まで行って写真を撮り、参拝者入口に戻る頃にはびしょびしょになってしまった。
参拝料500円を支払い、傘立てに傘を預け、靴は持参してくださいと書かれていて、もらったビニル袋に入れて持つ。
お守りなどが売られており、昔父が寄付したという瓦の修繕のための寄付を募っているのも見える。
お手洗いをお借りし、ご朱印帳を預けてお願いしてから、大きな畳のお部屋で雲水さんから永平寺の説明を受けた。
・永平寺は760年前に道元禅師が開山した禅宗のお寺で、座禅の修業をするためのお寺であること
・現在は約200名の僧が修業をしていること
・観光ではなく参拝の心で巡ってもらいたいこと
・禅寺の「七堂伽藍」は座禅をしている人の形を象っていると言われていること
・山門をくぐることができるのは住職だけであり、その他の僧は入山と下山のときのみ通れること
・仏殿は心臓部に当たり、現在の釈迦仏、過去の阿弥陀仏、未来の弥勒仏の三体がお祀りされていること
・法堂は420畳と永平寺で一番広い部屋であり、かつ一番高いところにあること
・庫院というのは台所のことであること
・浴室と東司(お手洗い)では私語厳禁であること
・七堂伽藍の他に、承陽殿(道元禅師がお祀りされているところ)には是非行ってもらいたいこと
・祠堂殿(一般の人の法要を行う場所)には、全長18mの大数珠があること
説明の最初と最後は合掌し、所要10分くらいの説明だった。
まず、傘松閣に向かう。
ここは、大学の頃に永平寺に来たとき、天井に飾られた230枚の花鳥画の中から5枚だけあるお花でも鳥でもない絵を探し出せたら幸せになれると言われ、結構必死に探したにも関わらず4枚しか見つけられなかったという因縁の(?)場所である。
今度こそ、「詰めの甘い女」を卒業したい!
一緒に説明を聞いていた方々がどんどんいなくなっても、とにかく探す。
156畳敷きの和室の端から端まで上を向いたまま目を凝らして探すのは、なかなか大変な作業である。
端から端まで一通り見ただけでは、4枚しか見つけられなかった。どうも私は「詰めの甘い女」のままであるようだ。
しかし、今回は一人旅だし、時間もたっぷりとある。
もう一度、端から端までじっくりと探し、とうとう5枚の「花鳥画ではない絵」を探し出すことができた。
周りに誰もいなくなったのをいいことに、ほとんど寝そべるようにして、写真も撮る。
永平寺では、雲水さんにカメラを向けなければ写真撮影は基本的にOKで、この傘松閣はフラッシュ禁止である。
感度を1600まで上げて撮ったので粒子は粗いし、相当に手ぶれしたけれど、証拠代わりにその5枚を載せておく。
なかなか見つけられなかった最後の1枚がこれである。
この5枚を探し出すまでにかかった時間は11分だった。
私が探したり写真を撮ったりしている間にも、何人も雲水さんが忙しげに廊下を通り過ぎていた。
順路はあってないようなものなので、とにかく歩き回る。
七堂伽藍は人体にたとえられる。永平寺の場合、頭に当たる法堂は本当に高いところにあり、仏殿は中程に、山門は一番低いところにある。
すべて建物でつながっていて、屋根があって、雨に濡れずに拝観できるのは有り難い。
しかし、開口部をプラスチックの半透明の板でふさいであるものの基本的には「外と一緒」なので、寒い。
我々はスリッパを借りたけれど、そこを裸足で歩き回る雲水さんたちは相当に冷たいと思う。法衣だって決して暖かそうには見えない。
一番上にある法堂は、最初に行ったときに「これからお掃除をします。」と戸を閉めているところで、その後、「そろそろお掃除が終わったかしら」と何度か通った。
つまり、何度も階段を上り下りした。
法堂からの眺めはなかなかいい。永平寺の七堂伽藍を見渡すことができる。
もし雪がない季節だったら、さらにはっきり全体像が分かると思う。
何度か通ううちにお掃除も終わったようで、中に入ることができた。
中央には聖観世音菩薩がお祀りされており、朝のお勤めや法要などを行う場所になっているという。
ちょうど雲水さんが、住職の座を素早くかつしきたりどおりに作る練習を何度も何度も繰り返していた。
そういう自主練習をしているときは、雲水さんも笑顔を見せるし、普通の若者に見える。
大庫院の横には、「大すりこぎ棒」の張り紙つきで、大きなすりこぎが吊されていた。
長さ4mのこの木は、明治時代に仏殿を建立する際に地つき棒として使われたもので、捨てるには惜しいとすりこぎの形に仕立てられた。
永平寺といえばゴマ豆腐、ゴマ豆腐といえばすりごま、すりごまといえばすりこぎ、という判りやすい連想の産物なのかも知れない。
「このすりこぎを3回撫でると料理の腕が上達する」と言われているそうで、もちろん丁寧に3回撫でた。
雲水さんに勧められたし、何度行っても閉まっていた法堂から近かったので、承陽殿にも何度か足を運んだ。
こちらも、最初に行ったときはお掃除中だったと思う。
何度目かに行ったとき、お掃除の人も減り、奥の方から読経の声が響いてきて、何とも改まった気持ちになった。
奥に写っている「承陽」という額は明治天皇のお手蹟である。
何度行っても閉まっていたのは、僧堂も同じである。
僧堂は、修行僧が座禅し、食事し、睡眠も取る、最も大切な道場である。
夕方の拝観終了時刻も迫った頃、あちこちから鐘なのか鳴り物が叩かれる音がして、雲水さんが集まってきた頃になって、やっと引き戸が開いた。
ちょっと覗き込んで、龍頭魚身の形をしたほう(という名前らしい。木偏に邦を書くようだ)を見られたのはちょっと嬉しかった。
もうすでに記憶も定かではないけれど、仏殿は、多分、その扉が開いているところを一度も見られなかったような気がする。
そもそも、仏殿の入口を見たという記憶がない。
ただ、大庫院前の開いていた引き戸から、こういう感じで仏殿の外観を見たという記憶がある。
それも、写真によって後から作られた記憶かも知れない。
山門に1本だけ礎石のない柱があるというので一生懸命に探したものの、そもそも礎石なのか木なのか全部の柱について見分けがつかなかった。
山門から外を覗くと、夜のライトアップの準備が始まっており、燈籠を並べている方がいる。
確か16時30分が拝観終了時刻で、しかし拝観終了の放送があるわけでもない。16時30分近くになっても下から上がってくる方がいた。
ミーハーな私としては、全長18mの大数珠があると聞けばそれは見ないわけには行かない。
最後に祠堂殿に向かった。
この大数珠に目を奪われてしまうけれど、本来は全国各地の信徒の方のお位牌を納め、納骨している場所である。
きらびやかに飾られていると同時に、何故だかシンとしている場所のように感じられた。
入口に戻ったら16時40分になっていた。
お守りなどを売っていたお店も全て閉まっている。来たときに見ておくべきだったとかなり後悔した。
御朱印の窓口には雲水さんがいらっしゃって、待ち構えていてくださった。
ご朱印帳を返していただき(300円)、外に出ようとしたら宝物殿がまだ開いていることに気がついた。
せっかくだからと中に入ると、道元禅師の肖像画や直筆の文、宋に行ったときに担いでいた行李などが展示されていた。
中でも一番びっくりしたのは、本当に大きい1枚の和紙に描かれた永平寺の全体図だった。その巨大な和紙をどうやって漉いたのか、本当に不思議である。
16時55分に「そろそろ閉館です。」と案内があり、永平寺を後にした。
外はとうとうみぞれになっている。ずっと持ち歩いていたユニクロのナイロンパンツをGパンの上から履いて雨よけ兼防寒対策とし、靴の中に入れて使うカイロも装着する。
和紙の絵を見たし、越前和紙のお店に行こうとしたら、途中で道が判らなくなってしまい、諦めて引き返した。
帰りのためにバス停の位置をチェックした後、寒いしお腹も空いたし、早めの夕食を食べることにした。
永平寺まで戻り、「手打ちそば」の文字につられて、門前すぐのところにある「てらぐち」というお店に入った。
まだ新しい感じの店内で、割と半端な時間帯にもかかわらず結構混んでいる。
先に食券を買うスタイルで、おろしそばとゴマ豆腐を頼んだ。
手がかじかんでいて温かいお茶が嬉しい。おそばも温かいものにしようか迷いつつ、「名物」というおろしそばをいただいた。
夕食を食べている間に18時を回った。永平寺のライトアップ「冬の燈籠まつり」に向かう。
みぞれが雨に変わったようで、その分、暖かい。その雨も小降りになって、ショルダーバッグごとポンチョを着たら折りたたみ傘は必要ないくらいだ。
写真のことを考えると、ただでさえ光量の少ないところで撮影しているし、傘を持っているとどうしても手ぶれしやすくなるので、傘はささない方が良かったかも知れない。
入口で赤、黄色、青と派手に色をつけられたねはん団子をいただき、参拝口に入ると、強いお香の香りが漂ってきた。
漂ってきたというよりも襲ってきた、というくらいの勢いである。
そして、鐘楼の鐘の音が聞こえてくる。
「ライトアップ」という文字面に反する、荘厳な雰囲気に放り込まれた感じだ。
2010年の冬の燈籠まつりは2月11日から13日まで行われる。
この間、永平寺は特別に開放され、外観を自由に見ることができる。拝観料は必要ない。
雨だというのに意外なくらい人が多い。
そういえば、来るときのえちぜん鉄道でも隣にいかにもメディアの人らしい若い女性が乗っていたし、新聞社の腕章をした人も見かけたように思う。
山門の前では、ろうそくが1個100円で販売されていた。係の人が火を灯してくれたろうそくを、おそるおそる手で火を庇うようにして運んで置かせてもらう。
そこには「希望の灯」という看板が出ていた。
ろうそくの火が暖かい色で、何だかほっとする。
ライトアップされていた建物は、境内最古の建物である山門、瑠璃聖宝閣、唐門、報恩塔、鐘楼である。
やはり、山門の壮大さが印象に残った。
この唐門の写真は、昼間に撮った写真とは反対側から撮っていることになる。
この門のどちら側が外側で、どちら側が内側なんだろう、などと阿呆なことを考える。
この唐門を通りすぎて少し歩いたところで生姜湯のサービスをしていて、ドラム缶に火が焚かれていた。有り難くいただき、火にも当たらせてもらう。
雨は強くなったり弱くなったりしている。
参道に置かれた燈籠は、雨に濡れた道に映って倍の明るさになり、これは却っていいものを見られたと満足した反面、後になって写真を見て、こんな大雨の中を1時間半近くも歩き回ったのかと我ながら感心した。
19時35分発の臨時バスの乗客は私だけだった。車で来た人が多かったのだろうと思う。あるいは門前に泊まった方もいらしたのかも知れない。
バスチケットを買いに入ったお店で、団助の胡麻っとごまどうふ(650円)を購入する。
この「胡麻っとごまどうふ」は新製品で、これまでのものよりも多くゴマが練り込まれているという売り文句に惹かれた。
バスが永平寺口駅に到着したのは電車の時間ギリギリで、慌てて飛び乗った。
20時過ぎに福井駅に到着し、コインロッカーから荷物を取り出す。
福井駅のみどりの窓口が開いていたので、明日の京都まで、明後日の京都から東京までの切符を購入する。窓口の方の「乗り継ぎ切符にした方が安くなるよ。」というお勧めに従い、経路がだぶってしまう山城ー京都間の切符も別に発券してもらう。
駅のコンビニで、おやつ兼夜食用に「地産地消」とポップに書かれていたスイートポテト(300円)を購入し、ホテルに向かった。
今夜の宿は、福井駅前のユアーズホテル・フクイである。
ロビーが豪華な雰囲気で、防寒対策バッチリで山に行くみたいな格好の私は少し気後れした。
チェックイン時に「女性のお客様限定」でコスメやバスソルトなどカゴの中から一つ選ばせてくれた。朝刊も選べ、地元紙の福井新聞をお願いする。
ロビーの公衆電話で家に連絡を入れ、21時前に部屋に落ち着いた。この頃になって寒さのためか頭痛がしてきたのでお風呂でゆっくり温まる。
いくつか持参したティーバッグの中からダージリンティを淹れてスィートポテトと一緒にいただき、テレビの天気予報が「京都では雪が舞うでしょう。」と言っているのに文句を言いつつ、早めに就寝した。
-> 永平寺・京都旅行記2日目その1