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2011.01.24

ヨルダン・エジプト旅行記3日目その2

2010年9月20日(月曜日)


 素晴らしいものを見てもお腹は一杯にならない。
 セントジョージ教会から歩いて5分くらいのところにあるHaret Jdoudnaというレストランでランチになった。
 オープンエアのレストランでなかなか感じがいい。レモンジュース(3.5JD)を注文する。ここではミント入りではなかったのが残念だ。


前菜カバブ


 昨日の昼食よりもさらに前菜が豪華だった。
 一番人気だったトマトソースの前菜の他に、サラダやピクルス、ひよこ豆のペーストなどの定番の前菜も次々と出てくる。サモサのような料理も美味しかったし、テーブルをご一緒した方と協議した結果「多分ヨーグルトだろう」という結論になったペースト状の前菜も美味しい。
 地元の方の集まりらしいテーブルで赤い炭酸飲料を飲んでいる男の人がたくさんいて、添乗員さんに聞いてもらったら、グレナデンシロップをスプライトで割ったものだということだった。お酒を飲まない(飲めない)分、炭酸飲料がかなり飲まれている印象だ。


 そして、メインのお肉たちが香ばしくて柔らかく、特にミンチにしたお肉に香辛料を混ぜて串に刺して焼かれたものがとても美味しかった。私のいたテーブルは全員揃って健啖家で、他のテーブルで食が進んでいないのを見ては「何て勿体ない!」「お皿、交換しちゃいましょうか。」などと騒いだし、ガイドさんにアラビア語で「美味しい」は何と言うのか教えてもらった。
 アラビア語での美味しい」は「ラジーズ」と「ラディーズ」の間くらいの発音のように聞こえた。
 デザートのスイカを食べ終わるまで1時間30分という、ゆったりした時間を過ごした。


 15時くらいにマタバの街を出発し、一路、ペトラに向かった。
 今日の死海の最高気温は41度くらいだそうで、聞いた途端にクラクラした。そして、昨日は45度あったらしい。


車窓風景(オリーブ) ネボ山に行く途中で「この辺りはベドウィンが多い」という説明を聞いた。マタバの街からペトラに向かう道筋にもやはりベドウィンが多く、かつ、畑が多いという。
 オリーブ畑もあって、ヨルダンではオリーブオイルが1kg6JDくらいで売られているらしい。マタバの街で見たお肉(牛かラムかどちらか)が1kg10JDだったから、お肉が高いと言うべきか、オリーブオイルが安いと言うべきか、どちらだろう。


 クィーン・アリア国際空港が見えた辺りで、竜巻が現れ始めた。遠いとはいえ、何本も立っている。凄い。
 竜巻は気温と風の状態によって起こり、大きいものは直径100m、高さ1kmにもなるそうだ。巻き込まれたくないものである。
 この辺りは、地盤が軟らかく、砂が細かく、竜巻が上がりやすいという。ただし、それほど強力ではなく、大きな被害が出ることはまずないと聞いて安心した。


ヨルダンの男の子 パレスチナキャンプの街に通りかかったところでバスが止まり、ガイドさんが水を調達しに行った。バスの中で、500ml入りを2本1ドルで販売してくれていたミネラルウォーターだ。
 外を眺めていたら、大きなリュックに引っ張られるように歩いているやたらと可愛い男の子がいたので、つい隠し撮りした。
 随分長く駐まっているなぁと思っていたら、ガイドさんが、ミネラルウォーターだけではなく、フレッシュ・デーツといちじくも調達し、みんなに配ってくれた。添乗員さんが早速かぶりつき、いちじくは「甘い。」、フレッシュ・デーツは「少し渋いけど、りんごのような歯触りで甘い。」と評していた。


 デーツを700g、いちじくを1.3kgくらい買って、併せて6JDだそうだ。
 ヨルダン国内では、国内産のお肉はマタバの街で聞いたとおり1kg10JDくらい、ニュージーランドなどから輸入したお肉はそれよりも安く、1kg6JDくらいで買える。
 ガイドさんの言う「お肉」というのは牛や羊を指していたようだ。鶏肉はまた事情が違っていて、一切輸入しておらず、1kg2JDで買える。
 ヨルダンに来て初めて物価が安いと思ったような気がする。


リンを掘った跡 16時30分ころにお土産物屋さんでトイレ休憩を取り、バスは再びペトラに向けてデザートハイウエイを飛ばした。
 リンはヨルダンでは観光業に次ぐ主要産業で、世界でも3番目の産出量を誇っており、主にアカバから船で輸出している。
 車窓からリン鉱石を掘った跡が見える。砂が積み上げられているのは、リンを掘る際にはダイナマイトを使うためだ。。


 このリンをアカバの港から輸出するために、アカバまで鉄道が敷かれている。その鉄道がイスタンブールまで延びているというから驚く。
 そして、この鉄道敷設のためにもの凄い量の木が伐採されたらしい。
 ちなみに、ヨルダンは中東の砂漠の国には珍しく石油も天然ガスもなく、両方とも輸入に頼っている。


夕日と月 18時30分頃には、周りの景色がかなり夕日に照らされて赤くなり、空には月も出た。今頃のヨルダンは日の出も日没も6時30分ころである。
 この後、昼の時間がどんどん短くなる代わりに気温が下がり、ベストシーズンはこれからだ。


 バスの中で「ペトラ・バイ・ナイト」の説明があった。これは完全なオプションである。
 料金は12JDまたは18USDで、20時にホテルロビーに集合し、ガイドさんや添乗員さんの同行なしでペトラ遺跡入口に行き、その他のツアーの人々と一緒に参加する。所要約2時間である。
 エル・ハズネまで片道約2kmを歩き、音楽を聴いて帰って来るという感じになるそうだ。
 気温が、22〜23度になると聞いて、砂漠地帯の割に下がらないのだなと思う。
 明日の出発時間が9時と遅めだし、参加を決めた。ツアーメンバーの4分の3くらいの方が参加を表明していたと思う。


 夕日と月が本格的に競演を始めた頃、ペトラの山々が見え始めた。
 ペトラ遺跡の玄関口となっているワディ・ムサという街に入り、モーセが杖でついたら水が湧き出たという伝説のある「モーセの泉」を通り過ぎ、5分くらい走ったところで写真ストップとなった。
 眼下にベイト・ザマンという、村を丸ごとホテルに改造した超高級ホテルが見える。
 夕日が沈もうとしている山々の向こうにペトラ遺跡がある。
 夕日が落ちきるまで、たっぷり堪能した。


夕食 ホテル到着が19時少し前、ペトラ・バイ・ナイトの集合が20時だからなかなか忙しい。
 19時15分に夕食となった。
 このホテルに2連泊するし、これから歩くのにお酒というのもどうかと思い、2Lくらいのお水を買った。
 ビュッフェ形式なので待ち時間がないのは有り難い。それでもかなり慌ただしい夕食になった。


 20時にホテルのロビーに集合し、ガイドさんに連れられてペトラ遺跡の入口に向かった。
 今回ツアーで宿泊したクラウン・プラザ・ホテルは遺跡の入口から徒歩5分という好立地のホテルで、あっという間に到着する。
 「ここでしばらく待っていれば案内があるからまたね。」と言い残してガイドさんは去って行った。10分か15分か待つと、行列が一斉に一方向に動き始めた。開門したらしい。
 こんなにたくさんの人が押し寄せてどうやってチケットを確認するんだろうと思っていたら、回収されて納得した。なるほど。記念にチケットが欲しかったけれど、これは仕方があるまい。


 砂地の道の両脇にろうそくがカバー付きで置かれている。
 2kmくらいと言われたものの、暗いし、等間隔に灯りがあると逆に距離感が掴みにくい。写真を撮ろうと立ち止まってチャレンジしたものの、どうにもブレるか真っ暗になるかのどちらかで、早々に諦めた。
 一眼レフを持っていらした方は随分と粘っていて、後で見せてもらったらかなり格好いい写真を撮っていらっしゃった。羨ましい。
 写真撮影などで立ち止まっていたら、あっという間にツアーメンバーのほとんどの方を見失ってしまった。


 一緒にツアーに参加したお友達が今日はホテルに残っているというお嬢さんと一緒にエル・ハズネに向かう。
 ところどころに係の人が立っていて「No Flash!」と注意しても、一向にフラッシュの光が消える様子はない。恐らくフラッシュを焚いてしまっている人は、フラッシュの止め方を知らないのだと思う。
 「ろうそくの灯りのみ」という幻想的な雰囲気が売りなので、懐中電灯なども使用禁止である。月が明るいこともあって、足もとに不安はない。


シーク シークに入ると、かなり暗くなったように感じた。
 「間に合うように行ってくださいね。」と言われていたことを思い出し、何となく足早に歩く。
 シークの割れ目から月が照らしているのを見たときには我慢できずに立ち止まり、しばらく時間をかけて写真撮影にチャレンジした。かなり粘ったけれど、私のカメラで三脚もなしだとこれくらいが限界だ。


 前方が明るくなってきたなと思ったら、そこがエル・ハズネだった。
 おぉ! と声を上げたくなる大きさである。
 エル・ハズネの前は広場のようになっており、ろうそくの灯りがたくさん置かれている。その周りに毛布のようなものを敷いて客席が作られており、係の人に順番に座るように誘導された。まだ始まっていないようだ。
 アウトドア用のクッションを荷物に入れていたことを思い出し、「持ってくればよかった!」と心の中で叫んだ。


ろうそく灯りのエル・ハズネ 熱い紅茶の紙コップが配られ、甘いそれを飲んだ頃に音楽が始まった。
 ろうそくの光だけではシルエットしか判らない。出発前のガイドさんに聞いたところでは、ベドウィンの音楽が演奏されるという話だったと思う。
 男の人の歌声がかなり響く。岩で囲まれたこの広場は天然のコンサートホールのようなものだ。何となくアブダビを思い出す抑揚だ。
 高音の笛が印象的な曲も続いた。こちらは、絵としてアラビアン・ナイトっぽい気がする。


 最後に比較的若い声の男の人が出てきて、何やら物語を語り始めた。
 英語である。何を言っているのかはさっぱり判らない。
 「目覚めよ、我が息子よ。」という台詞を繰り返していることは判る。ベドウィンに伝わっている物語なのかも知れない。


 最後に彼は「みんな、カメラを構えて!」と声を上げた。
 「一斉に、フラッシュの光でエル・ハズネを照らすぞ。」と言う。
 フラッシュの光に対応できるように設定変更するの大変なんだよなとぼんやり思っているうちに、あっさりと彼はかけ声をかけ、その場にいたたくさんの人が持つたくさんのカメラが一斉にフラッシュを焚き、エル・ハズネが一瞬、昼間のような明るい光に包まれた。
 カメラを構えなかったことを後悔しなかったくらい、それは、思わず息を呑んでしまったほど不思議で美しい光景だった。


 そして、「ペトラ・バイ・ナイト」は終わった。


 エル・ハズネに近づくと、ちょうど真上辺りに月がかかっていた。
 何とかこのエル・ハズネと月のツーショット写真をものにしようと、参加者がどんどんシークに吸い込まれていく中、必死で急角度を見上げるようにしてカメラと格闘する。
 ここで写真撮影を粘った結果、エル・ハズネを出発したのは22時を過ぎ、同じツアーの方3人で戻ってホテルの部屋に入ったのは23時近かった。


 それからお風呂に入り、連泊なので洗濯し、どうしてもクーラーの温度調節ができなかったので寒さのあまりクーラーを切った。
 今日はそれほど歩いていないのに左足の小指の水ぶくれがどんどん酷くなっている。元々の指の部分と水ぶくれで膨らんだ部分がほとんど同じ大きさに見える。
 明日は1日中ペトラ遺跡を歩くのに、この小指で大丈夫なのか心配だ。


 部屋の冷蔵庫の扉がプラスチックの紐のようなもので縛られていて開けられないようになっている。
 後になって、そのプラスチックの紐は使用禁止という趣旨ではなく、冷蔵庫を使いたいときにはを切ってしまえばいいと教えてもらったけれど、この日は「けちー! どうして使わせてくれないんだよー!」と思ってぷんぷんしていた。
 ペットボトルの水とティーバッグで水出しのルイボスティーを用意する。大体、一晩常温の水に入れておけば飲み頃のお茶ができる。
 さらに、折りたたみ傘やウィダーインゼリーなど明日の遺跡見学に持って行くものを整理して、0時頃に就寝した。


<この日の服装>
 半袖Tシャツ、長袖シャツ、カプリパンツ


<歩数計>
 ヨルダン時間9月19日18時から20日18時まで 6582歩
 (この歩数には、ペトラ・バイ・ナイトで歩いた分は含まれていない)


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