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2011.01.30

ヨルダン・エジプト旅行記4日目その2

2010年9月21日(火曜日)


お墓の並ぶ道 ペトラ遺跡のエル・ハズネを右に回り込むと、再びシークがあり、続いてそのシークを掘り抜いたようなお墓が並んでいる。考えてみたらかなり不気味だけれど、この明るさもあって、ヒュードロドロといった雰囲気は全くない。
 このお墓の並びは「17の墓」と呼ばれている。本によるとヘグラと呼ばれるお墓で、その正面はギリシア神殿を模しており、内部にはピラミッド型のネフェシュ(が何を指しているのかはよく判らない)が多く刻まれている。


 お墓の上部に刻まれた階段状のギザギザはこのお墓の象徴で、ナバテア人は、死者の魂がこの階段を上って天国に行くと信じていたという説明は覚えている。
 しかし、あとは、とにかくどんどん奥を目指して歩いていたという記憶しかない。知らないということは、何と勿体ないことかと思う。


犠牲祭壇への階段 岩を削って作られたような階段を上っていく人がいる。
 「ここを上れば犠牲祭壇に行ける。往復2時間かかる。」という説明をみんなが聞き流し、ガイドさんも足を向ける様子もなく通り過ぎる。
 我々が行かなかった犠牲祭壇は、2本のオベリスクがその入口に立ち、カナンの地の「犠牲祭壇」と同じ様式で作られ、しかも、カナンの地のそれは保存状態が非常に悪いのに対して、ほぼ完璧な状態で保存されているという。
 行ってみたかったけれど、体力も時間も足りない。
 ペトラ遺跡に丸1日では全く時間が足りなすぎる。


四重のお墓(正面から)四重のお墓(斜めから)


 四重になった建物群もお墓である。
 どちらがどちらだったか忘れているところがマヌケだけれど、多分、前者(17の墓)が貴族のお墓で、後者(四重のお墓)がナバテア式の一般の人のお墓だという説明を受けたような気がする。
 前者には入ることができない。後者には入ることができた。一般の人のお墓には、家族全員が埋葬してある。
 それにしても、正面から見た印象と、斜めから見た印象のこの違いは何なんだろう。同じ「お墓」だとはとても思えない。
 そして、実際に自分がその場、その中に立つと、これまた印象が違う。


 お墓の中に入ってみると、いきなり、赤い縞模様がくっきりと現れた。
 お土産を売っていた女性のお嬢さんなんだろう、そのお墓でかくれんぼでもしていたのか、ペトラ遺跡を完全に自分の遊び場としている感じがあった。


円形劇場 円形劇場は、元々ナバテア人がお墓を作っていたところ、後の人が劇場に作り替えたと言われている。
 劇場で音楽などが演奏され、観客席のお尻の下は元はお墓、というのはどうなんだろう。円形劇場に作り替えて利用していた人々は、そういうことは気にしなかったんだろうか。
 この劇場は4000〜5000人を収容できたという。
 階段状の客席などは浸食が激しいという説明で、「中に入ろうとした」という記憶もないので、恐らく今は内部には入れないと思う。


 円形劇場を通り過ぎると、お茶屋さんが並び、その上に岩窟墳墓群が現れる。
 しかし、お茶屋さんで10分ほど休憩した後、岩窟墳墓群も素通りした。
 王の墓が並んでいるコプタ山がペトラで一番高い山であることや、王の墓が並ぶこの辺りがネクロポリスと呼ばれていることなどを話しながらガイドさんは先を急ぐ。
 心の中で「勿体ない!」と呻きつつ、ガイドさんに付いて行く。


柱廊通り 柱廊通りの端に立ち、その正面に見える二つの丘は神だと考えられていたという説明があった。
 柱廊通りに沿って作られている水路は、ワディ・ムーサの街まで続いているという。
 この通りは昔からペトラの幹線道路だったらしい。重要な遺跡群もあるが、同時にこの辺りは6世紀の地震でほとんどの建物が崩れ落ちている。廃墟のように見えるのはそのせいだ。


 道路幅があり、両脇に崖が迫っておらず、この辺りに来ると「開けた」という感じがした。
 頭の上を覆うものがない。
 視界を遮るものもほとんどない。
 ペトラ遺跡って気持ちのいい場所だ。そう強く思ったのは、このほとんど残っているもののない荒涼とした景色を見たときだったような気がする。


青の教会モザイク画


 ガイドさんは、ここで柱廊通りを進まず、右側の丘に上り始めた。
 そこには、ペトラの中に三つある教会のうちの二つがある。三つめの教会は丘を越えた向こうにあると説明された。丘があり過ぎて一体どこにあるのかさっぱり見当がつかなかい。
 青く塗られた柱が4本ニュッと突き出しているところが、いわゆる「青の教会」である。ガイドさんは、「見たければ見てきてもいいよ」という言い方で、もしかすると「近くにあるので紹介してみました」という感じだったのかも知れない。


 その手前にあった発掘中の教会では、ガイドさんの説明も熱心だった。動物をテーマにした床面の大理石のモザイクがかなり綺麗に残っている。
 この教会では他にギリシャ語のパピルス文書が発見されており、修復と解読が行われている。
 教会からさらに南に進むと「翼のあるライオンの神殿(ただし、翼のあるライオンは博物館に収められている)」がある筈だけれど、12時30分を回って日射しも強いし、お腹も空いたし、どうも「見た」という記憶がない。


カスール・アル・ビント南神殿 「翼を持ったライオンの神殿」と、南神殿(写真左)と、カスール・アル・ビント(写真右)とが、ペトラに残る三つの神殿である。
 南神殿はナバテア人が建造した神殿で、三つの中では一番新しい。 
 その先にある、カスール・アル・ビントも神殿であるらしい。ビザンチン教会がある場所は小高くなっていて、景色が良かった。我々一行は足早に通り過ぎてしまったので、それが何なのかはペトラの本を見て初めて知った。


昼食 そのまま柱廊通りを突き当たりまで進み、右に折れたところのレストラン「バシン」で昼食をいただいた。
 このレストランはクラウン・プラザ・ホテルの経営で、ビュッフェ式のランチを食べられる。
 ホテルの経営だから味は保証付きだし、お腹は空いているし、身体も疲れているのに、何故かがつがつ食べることができない。とても混雑していて、建物の中に入ってもあまり冷房が効いていないからかも知れない。
 焼きトマトの水分や、オレンジジュース(4JD)の酸っぱさが嬉しかった。


隘路 暑さをしのぐ意味もあって1時間ほどレストランで休憩し、希望者でエド・ディルに向かった。ロバで行くこともできますという案内があったけれど、利用した人はいなかったようだ。
 レストランの前の道をそのまま奥に進むと、あっという間に細い階段の道が始まる。階段といっても岩に刻まれたものである。


 10分ほども歩いて振り返ると、こんな絶景を目にすることができる。
 すでに息が上がって、ガイドさんのペースで歩けずに最後尾に下がっていた私には何よりのご褒美である。
 ちょうどこの辺りに、ライオンのトリクリニウムと呼ばれるお墓に行く道があった筈だけれど、全く気がつかなかった。下ばかり見て歩いていたせいに違いない。


お茶屋さんからの眺め レストランを出発して30分くらいかけて、やっと途中のお茶屋さんに到着した。
 大汗のヘトヘトだったので冷たい水(1JD)を買い、見晴らし台のようになったお茶屋さんの椅子で一休みする。うん、美味しい。
 そして、眺めがいい。岩窟墳墓群がくっきりと見える。
 10分ほど休憩して何とか歩く気力を取り戻して出発すると、同じツアーの方が戻ってくるのと行き会った。お二人はこの後ハマムに行くので、17時30分までにホテルに戻って水着などの用意をしなくてはならないから急いでいるとおっしゃっていた。
 「あと少しだよ。」の声に励まされて歩くこと10分、エド・ディルに到着した。


エド・ディル デカイ。
 エル・ハズネに辿り着いたときには何故かあまり「デカイ」と思わなかった。そのエル・ハズネよりも大きいとはいえ、エド・ディルはとにかく「デカイ」という感じで迫ってくる。
 入口の辺りにいる人と比べればそのデカさが判ろうというものだ。
 800段近い階段をここまでがんばって歩いて来た甲斐もあった。来て良かった!


 エド・ディルは1世紀半ばにナバテア人によって建てられた神殿である。
 その後、この辺りに修道士が住み着いていたことから「修道院(エド・ディル)」と呼ばれるようになったという。
 装飾を完全に落とし、一回り大きくし、エル・ハズネの様式を写し取っている。
 資料によって若干の違いがあるけれど、エル・ハズネは幅28m、高さ40mあり、エド・ディルは幅47m、高さ40mある。


 しばらく呆然と眺めた後、エド・ディルの向かい側にあるお茶屋さんで小休止した。何だか休憩ばかり取っているようだけれど、とにかく暑いし、体力を消耗するので休憩は必須である。
 ここで、持ってきていたゼリー飲料を飲んで荷物を軽くし、栄養補給した。


展望台 お茶屋さんの背後に小高い丘があり、上ることができる。「VIEW POINT」の標識もあったので、再び疲れた身体にムチ打って上り始める。
 ここまでのことを考えればあっという間でも、やはり上がり始めるには勢いが必要だった。


 ここでもまた、上がった甲斐がある眺めを目にすることができた。
 眼下に見えるエド・ディルも見事だし、その向こうにはワディ・ムーサの街(だと思われる)までが一望だ。
 いい風に吹かれていると、笛の音が聞こえてきた。誰が吹いているのだろうときょろきょろしていると、「視力2.0」と言っていた添乗員さんが「あそこ!」と指さしたその先には、エドディルのてっぺんにある高さ9mの壺があった。
 目を凝らすと、壺のてっぺんに人が立っている。  何者だよ。何考えているんだよ。


 みんなしてしばらく目を凝らして見守る。
 後で知ったところでは、エド・ディルの左側に細い階段があり、事故があったため今は登坂禁止になっているものの、てっぺんの屋根まで上がることができるようになっているそうだ。
 それを知らなかったので「足場のないところをどうやって」「しかも、あの壺のてっぺんに立って笛まで吹いているよ」「あの服装はクラウンか?」などと妄想が頭の中をぐるぐると回る。


 未だに、彼が誰で、何を思ってそんなことをしたのかは不明だ。
 そして、この彼に気を取られて、白いドーム型をしたモーセの兄のアロンのお墓がジャバル・ハルーン頂上にあった筈なのにすっかり探すのを忘れてしまった。


エド・ディル内部からエド・ディル内部 エル・ハズネとは違い、エド・ディルは中に入ることができる。
 ただし、「どうぞお入りください」といった親切さはなく、入口は1mを超えるくらいの高さのところにあって、階段もない。荷物を先に上げ、半ばよじ登るようにして中に入った。
 エド・ディル内部は非常にシンプルな空間で、一番奥に、両脇に階段がついて上がアーチ方になった「窪み」があるだけだ。壁に見える文字は、恐らくは観光客のイタズラ書きだろう。心ないことをするものである。
 ガランとした空間に外から明るい光が差し込み、独り占めしているのはなかなかよい気分だった。


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