ヨルダン・エジプト旅行記4日目その3
2010年9月21日(火曜日)
16時前に帰途についた。
帰り道はロバに乗りたいとおっしゃる方もいらしたけれど、エド・ディル周辺に客引きをしているロバはいないようだった。こんな風に岩壁に繋がれて、岩に向いて哲学的な顔をしているロバを何頭か見ただけだ。
私も、帰りにアーンの墓まで寄り道しようと思っていたし、添乗員さんに「少し急げば間に合うと思いますよ。」と言ってもらったけれど、気力体力ともに枯渇状態で、「体力の限界を感じるので、ゆっくり戻ります。」と答えた。
ゆっくり戻る分、周りの景色を楽しまなくてはと思う。
そういえば、最初の頃は折りたたみ傘を「黒だし多少は効果があるかも」と思って日傘代わりに差していたけれど、この頃にはすっかり忘れ果ててリュックにしまい込んでいた。流石に直射日光を浴びるのはよろしくなかろうと帽子を被ったものの、こちらも頭が蒸れるような気がして、この頃にはリュックにぶら下げて歩いていたような気がする。
日の光はすでに夕方の色の濃い斜めの光になっていて、行きに見たよりも岩肌の色をくっきりと赤く見せている。
40分余りで博物館の辺りまで下りてくることができた。写真を撮っては止まっていた割りになかなかいいペースだったと思う。
岩をくりぬいて鉄の扉をつけたようなところがあり、「これって何だろう?」「誰か住んでるのかな?」などととぼけた会話をしていたら、添乗員さんに「これは博物館ですよ。」と呆れられてしまった。どうやら行きの道中で説明してもらっていたようだ。私は完全に本体から遅れていたし、大汗をかいてイヤホンガイドが邪魔になって外してしまったので、説明を聞きそびれてしまったのだ。申し訳ない。
ペトラ考古学博物館の辺りの壁は一際赤く縞模様になっていて美しい。
閉まっているように見えたので入ってみようとは思いもしなかったけれど、地球の歩き方によると冬以外は17時まで開館しているらしい。惜しいことをした。
美しいといえば、この辺りから道を左に逸れてしばらく行くと、トゥルクマニヤの墓がある。そこも岩肌が一際赤く、美しいナバテア文字が見られるという。
もちろん、疲れ果てていて、そこへ行ってみようというアイデアすら浮かばなかった私である。
行きにはくぐらなかった凱旋門を帰りにはしっかり通って帰った。
しかし、何故か凱旋門全体の写真を撮っていない。よほど疲れていたんだろうと思う。
これは凱旋門に三つある開口部の一つである。中央の開口部はローマ風の装飾が施され、両脇の開口部はナバテア様式である。この写真がそのうちのどの開口部なのか、判らない自分が情けない。
多分、遠くの岩肌に見えるアーンの墓等々に気を取られていたのだと思う。昼間に見たときよりも、はるかに赤く濃くなっていて美しい。
南神殿に至る階段の下に立って写真を撮る。
ここまで来てどうして階段を上がって南新田を近くて見てみようとしなかったのか、我ながら謎である。
ナバテア人が1世紀に建造したという新しい(ペトラの中ではそうなる)神殿はどこまで発掘がされていたのだろう。
南神殿の奥辺りに「ファラオの柱」があり、そのファラオの柱からさらに東に向かって曲がりくねった道を行くと、「南の壁」にぶつかり、南の壁に沿って行くと、犠牲祭壇まで続く枯れ谷の入口にたどり着けるようになっているらしい。
標識は、ローマ劇場近くの階段から歩き出すように立てられているけれど、逆コースを辿った方が楽だとガイドブックに書いてあった。
もっとも、楽だと言っても3時間かかると書いてあったから、とても行ってみることはできなかっただろう。
下が砂地で歩きにくい柱廊通りを今度は端から端まで歩き、岩窟墳墓群のところまで戻って来た。
やっと半分は戻って来た、というのが実感である。
向かって右から、壺の墓、シルクの墓、コリントの墓、宮殿の墓だ。
壺の墓は、紀元前1世紀半ばに建設され、マリコス1世の墓ではないかと言われている。また、5世紀には改造工事が行われ、現在のような「岩窟教会」としての体裁が整えられたという。街の中心にあり、広場があったことがその理由だそうだ。
壺の墓の右側にある階段を上がると、エル・ハズネを上から眺めることのできるポイントに行けるらしい。これも、ペトラ遺跡でやりたかったのにできなかったことの一つである。
シルクの墓は、ファサードに非常に細かい縞模様があることで有名である。
もっとも、遠くから眺めただけの私には、そのような美しい縞模様など見た記憶はない。自分で撮った写真を拡大しても、鮮明さが失われているような気がする。
その隣のコリントの墓はかなり傷みが激しい。
一番左のお墓は、ペトラでもっとも壮大であるため「宮殿の墓」と呼ばれている。
このお墓の3階に当たる部分は、岩を掘ったのではなく建設されているそうだ。だから「階のある墓」とも呼ばれているという。
岩窟墳墓群を下から見上げ、ローマ劇場まで戻る間に撮ったこの写真が何なのか、全く思い出せない。
岩の縞模様がくっきりと綺麗なのが嬉しくて撮ったのは間違いないものの、さて、これは何なのだろう。恐らく、洞窟住居群の一部なのではないかと思う。
行きには気がつかなかったのか、太陽の光の加減なのか、本当に綺麗だった。
ファサードの道まで戻って来てしまえば、あと少しである。
後で聞いたところによると、帰り道にサンド・ボトルのお店に寄った方がいらして、夕方に買うと名前を入れてもらうことはできない代わりに、生鮮食品でもないのに大幅にディスカウントしてくれたらしい。
17時くらいにとうとうエル・ハズネに戻ってくることができた。
この辺りまで、ツアーメンバーの方々と一緒に戻って来た。
後で聞いたところによると、みなさんは、写真を撮りに走り出した私を見て「**さん(私のこと)は砂に埋もれてしまった」と先にお戻りになったそうだ。
そんなこととは露知らず、陽は当たっていないけれどピンク色に沈んだエル・ハズネを見た瞬間、あまりのフォトジェニックさに我を忘れてしまった。
エル・ハズネの内部も午前中よりもよく見えたように思う。
しばらく駆け回ってついに体力の限界に達し、そういえばこれからシークの入口までさらに歩かなくてはいけなかったんだわと、一人ふらふらと帰途についた。
シークを歩いていると、向こうからやってくる馬車と結構頻繁にすれ違った。
馬車には欧米人と思われるお客さんが多かったように思う。
ペトラ遺跡は18時までの筈で、今から入ってどうするのだろう、エル・ハズネだけ見て帰って来てしまうんだろうか、何て勿体ない! と余計なことを心配しながら歩いた。
シークの岩の肌模様は、帰りよりも行きの方が綺麗に見えていたような気がする。
歩くこと20分弱、頭の上が開けてきたなぁと思ったら、そこがシークの入口だった。
ツアーで配られたペトラ入場券には遺跡入口からシーク入口まで往復の馬券が付いている。馬を探していると、ツアーの方が「チップを高いこと言うの。」とおっしゃる。ちょっと迷ったけれど、何とかなるだろうとそのまま馬乗り場に行った。
馬車の場合は行きに乗ったのと同じ馬車に乗ることになっていて、馬車番号を覚えておく必要があるらしい。馬の場合は、特にそういう決まりはないようだ。
馬を引くお兄さんは「楽しいか?」「この馬で良かっただろう(確かに格好いい馬だった)。」とか話しかけて来ていたし、馬から下りるときに2JDをチップとして渡したら、「チップを倍くれ。」「これは自分用のチップで、馬用のチップをもらっていない。」などなどと言われたけれど、これが決まりでしょ、の一言であっさり諦めてくれた。
後で聞いた話では、18時近くになるとシーク入口にいた馬は一斉に引き上げてしまうらしい。私より、15〜20分後に戻っていらした方が「もう仕事を終えて繋がれた馬しかいなくて、帰り道は歩いた。」とおっしゃっていた。
散々歩いて疲れた体に、帰りの砂地の緩やかな上り坂道は結構きつかったのではなかろうか。
持っていたお水を全部飲み干して少し元気回復してから、ホテルに戻る前にモーベンピック・リゾート・ペトラに向かった。
「地球の歩き方」でここのアイスクリームがべた褒めされていて、ぜひ食べてみたい。
ホテルの外に向かって開いているという窓口を探してペトラ遺跡入口から右の方に回ると、壁に「swiss premium icecream」と書かれ、テーブルと椅子がいくつか置かれていて、すぐに判った。
スイスと言われるとやっぱりチョコレート味かしらと迷い、しかし暑くてさっぱり系の味を食べたかったのでマンゴーアイス(2JD)を選んだ。
美味しい。
テラスの椅子に座ってぼんやり食べていたら、同じツアーに母娘3人で参加されている方がいらした。お目当ては同じくアイスクリームのようだ。特にお嬢さん二人が本当にアクティブで、岩窟墳墓群にも行って来たとおっしゃっていた。この後、街を散歩して、ケーヴ・バーにも行かれたらしい。
のんびりアイスクリームを味わってから、ビジターセンターに行って絵はがきを買った。10枚で2JDである。ホテル内の売店で7枚1JDで売っていたから、適正価格というわけではないような気がする。
同じ建物にあったPOST OFFICEに寄って切手を買う。はがきを見せて「これを日本まで送りたい。」と言ったら、10通分の切手を8JDで売ってくれた。
ホテルに戻ったのは、18時30分だった。まずはシャワーを浴びてさっぱりする。
夕食前、ロビーでは、昨日お願いしたガイドブック(私の買ったペトラ版は12JD)を渡され、馬に乗った写真を見せてもらって「買いたい人はどうぞ〜。」とやっていた。
夕食は19時半から、昨日と同じホテルのレストランだ。添乗員さんが雰囲気を変えて外のテラス席を用意してくれていた。ろうそくの光で、なかなかいい雰囲気である。
今日はあと寝るだけだし、赤ワインを頼む。この旅行で初めてのアルコールだ。20USDを支払ったら3.25JDのおつりが来たから、1200円くらいである。ヨルダン・ワインだったかどうかは覚えていない。疲れた体に久々のアルコールはかなり効いた。
ハンマムから帰って来た方も20時過ぎくらいに合流し、何だかんだおしゃべりしつつ2時間くらいのんびりした。
お部屋に戻って、湯沸かし器があったのでコーヒーを淹れて飲みつつ絵はがきを書いた。
じんじんと熱を持っているような感じがする上に、ぷっくりと膨れて水の溜まりきった足の小指におののく。これは破いて水を出してしまった方がいいんじゃないかと思うけれど、間違って膿んでしまったらなどと思うと今ひとつ踏ん切りが付かない。
今日のペトラの気温は36度くらいだったそうで、日射しは強かったけれど日陰に入れば涼しいと感じた。
念のため、持ってきたシートパックを使ったところ、ヒリヒリするようなことはなかったのでほっとした。そんなに酷く日焼けをした訳ではなさそうだ。前半は一応真面目に差していた傘のおかげだろうか。
23時30分くらいに就寝した。
<この日の服装>
タンクトップ、長袖シャツ、カーゴパンツ
<歩数計>
ヨルダン時間9月20日18時から21日18時まで 30213歩
(この歩数には、ペトラ・バイ・ナイトで歩いた分が含まれている)
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