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2011.02.12

ヨルダン・エジプト旅行記5日目その1

2010年9月22日(水曜日)


 朝5時過ぎ、風の音とアザーンの声で目が覚めた。
 カーテンを少しだけ開けて窓の外を見ると、横殴りの雨が降っていた。ウソでしょ? と思う。
 ペトラ2日券を買おうかどうしようか迷い結局買わなかったものの、もし今から出かけたら、TBSの「THE 世界遺産」でやっていた情景を見られるチャンスかと一瞬考え、もちろん速攻で断念した。それくらい強くて横殴りの雨だ。
 しかし余りにもお腹が空いていたのでそのまま起き出し、お湯を沸かしてカフェオレを作り、クッキーをつまみ食いした。


朝食 7時過ぎにレストランに朝食を食べに行った。
 クラウン・プラザ・ホテルのレストランは一度プールサイドに出なければ入ることができない。
 この時点でもまだポツポツと雨が降っていた。
 添乗員さんによると、夜中には雷が鳴ってさらに大雨が降っていたらしい。そうしたら、シークを流れる水の様子が眺められたかも知れない。何しろ、ペトラ辺りの年間降雨量はわずか数十ミリだというから、無理してでも行くべきだったかもと思う。今思えば惜しいことをした。


ポスト ホテルの玄関先になかなか可愛いポストがあった。
 各国までの郵便料金が書いてある。「地球の歩き方」にハガキは0.5JDと書いてあり、昨日の郵便局のおじさんは1枚0.8JDの切手を売ってくれ、このポストには料金は1JDと書いてある。一瞬、投函を躊躇したけれど、私の手にその躊躇が伝わるのが遅く、ん?と思ったときには私の書いた絵はがき達はすでにポストの底に落ちていた。
 このとき投函した絵はがきは、このとおり2010年10月7日に届いた。日本までの正しい郵便料金がいくらだったのか、未だに不明である。


 9時過ぎに出発したとき、空はまだどんより曇っていた。
 添乗員さんは、ペトラの辺りはまだ涼しく、これから向かうワディ・ムサやアカバは最高気温39度の予報が出ていて相当に暑いと言う。
 それにしても、砂漠で雨に降られる己の雨女ぶりにしみじみと感心する。


モーセの泉ペトラの山


モーセの泉 一昨日にペトラの山に落ちる夕日を見たポイントからの景色も、黒い雲に覆われてしまっていた。
 この絶景ポイントの近くにある三つドームが並んだ建物の中に、「モーセが杖で岩を突くと泉が湧いた」と出エジプト記に書かれている泉(の候補地)がある。
 中に入ると、確かに綺麗な水が湧いている。こんなに近くまで来て、モーセはペトラに寄らなかったんだろうかと一瞬考え、そもそもモーセの時代の方が1000年以上前だと思い直す。
 湧いている水に触ってみたら結構冷たかった。ちょっと飲んでみたかったけれど、ここで生水を飲んでお腹を壊したらアホ過ぎる。


ベドウィン 窓の外は相変わらずの曇り空だ。
 ペトラの辺りはベドウィンの人たちが多く住んでいる地域で、羊を追って道路を悠々と横断しているベドウィンの姿なども見かけた。
 ベドウィンは、眼の周りにコヘラという天然のものから取れる目を保護する成分が入っている薬を塗っている。
 これは本当に目のためのもので、男女関係なく、ファッションとも護符とも関係なく、塗るそうだ。


 ペトラからアカバまでの間はほとんどが砂漠である。
 ヨルダンは、北海道の1.2倍の面積でその90%が砂漠だというから、いくら昔から隊商の道として栄えて来たキングス・ハイウエイを走っているとはいえ、見える景色がほとんど砂漠なのは当たり前である。
 昔はペトラの辺りも海で、だからこそ、今リン鉱石を産出することができる。しかし、現在のヨルダンは、アカバの街一点だけが海に接している。
 アカバの港から出て行く主なものは、リン、セメント、死海グッズ、そして旅行者である。旅行社の行き先は、エジプトかイスラエルかサウジアラビアだ。


鉄道七つの知恵の柱


 モーセの泉を出発して1時間半、ワディ・ラムが近づいてきた。
 近くを走る鉄道は、リン鉱石を運ぶためのものである。「アラビアのロレンス」たちが、リン鉱石を運ぶ鉄道を爆破していたことを思い出す。
 そこからさらに20〜30分くらい走って、ワディ・ラムのビジターセンターに到着した。
 ここで4WDの車に分乗し、いよいよ渓谷に入って行く。


 ビジターセンターに到着する直前、左前方に「七つの知恵の柱」と呼ばれる大きな岩山が見えるポイントがあった。
 見逃したと思っていたら、写真を見直したら、ビジターセンターの裏手にたくさんの4WDトラックが待っているスペースがあり、その様子を撮った写真の右端に七つの知恵の柱が写っていた。この写真の構図からして、「七つの柱が見えている」と全く意識していなかったらしい。我ながら、知らないとは恐ろしいことだ。
 この「七つの知恵の柱」は、「アラビアのロレンス」が書いた最初の著作のタイトルになっていて、それで有名になったそうだ。私はその著作の内容すら知らないのだから仕方がない。


ワディ・ラムの村 サングラスに、ホコリよけのマスクも装着し、11時過ぎ、ツアーメンバーが4台のトラックに分乗してワディ・ラム砂漠ツアーに出発した。
 ふと気がつくと、4台のうち私たちが乗ったトラックにだけ幌がない。紫外線を浴びまくりである。
 すぐにワディ・ラムの村に到着した。そして、何故かしばらくここでストップしていた。後で聞いたところでは、分乗したトラックのうちの1台が壊れたとか動かなくなったとかパンクしたとか、トラブルがあったようだ。ガイドさんと添乗員さんが別の車に乗ったので今ひとつ情報が伝わって来ず、そのときにはどうしてずっと出発しないのか不思議だった。
 屋根のないトラックに乗った私たちにはこの微妙に曇った空が有り難い。これでかんかん照りだったらきっと酷く日焼けしたことだろう。陽も出ていないから、それほど暑くも感じなかったような気がする。


砂の道 砂に覆われてしまった道を、幌のないトラックの荷台に乗って進む。
 同じトラックになった方が温度計をお持ちだったのでお聞きしたら、正午前後のこの時間帯で33度だった。やはり曇りがちな空のおかげでかなり涼しかったようだ。
 ところで、全く自慢ではないが、ワディ・ラムのこのドライブで自分がどこに行ったのか、未だに私には判っていない。おまけに、「到着した場所で何が見どころだったのか」ということも判っていない。
 分乗していたためか、見事にその辺りの案内がなかったように思う。


ロレンスの泉 余り自信はないけれど、恐らくここが「ロレンスの泉」である。
 「地球の歩き方」によると、崖の中腹に水が湧き出しているという。木が生えている辺りが湧水地点なのかも知れない。
 ガイドさんからこの辺りで食べられる草と食べてはいけない草の説明を受けたり、この近くに張られたテント(といっても、運動会で張ってあるような屋根だけのもの)の中のお土産物屋兼休憩所で乳香が売られていることに気付いて買うかどうか迷ったりしていた。


ロレンスの泉の文字ロレンスの泉の文字


 ロレンスの泉らしい場所の下に大きな岩があり、そこに文字が彫られていた。
 ネットでひたすら検索したところによると、この文字(写真左)は、ペトラが繁栄した頃のナバテア人が書いたものらしい。一方で、「南アラビア文字」に近いと言う方もいらした。
 一方、この右側の写真の文字は、8世紀頃にサムード人が書いたものらしい。しかし、そもサムード人という人々がどんな人々なのかさっぱり判らない。
 そんな昔の文字が刻まれた岩を、何の標識もなくガードもなく転がしておくその大らかさに脱帽である。それとも、こうした文字はあちらこちらにあるものなんだろうか。


ハザリ峡谷 正午過ぎ、ロレンスの泉を出発し、(恐らく)ハザリ峡谷に向かった。
 このハザリ峡谷の本体は、やたらと大きい岩山である。岩肌に縦に模様ができているのは、水による浸食が原因だという。浸食されるほどの水があったとも思えないのに、不思議な話だ。
 この岩山には、ペトラのシークのような亀裂が走っている。亀裂内部の壁には ナバテア人による絵が彫られていること、シークの奥に水を引いた跡が残っていることの説明を受けて、私たちは行列の最後に並んだ。


ナバテア人による絵ナバテア人による絵


 この行列が未だに謎で、皆してこの裂け目の一番奥を脇目もふらずに目指して突進していた。突進とはいっても、とても細い亀裂で足場も悪く、行く人と帰る人がすれ違えるポイントが限られており、遅々として進まない。
 その途中の岩肌のあちこちに絵が彫られていてかなり興味深いと思うのに、皆して素通りして行く。
 何故だ? この岩肌に彫られた絵はもしかして観光客のイタズラなのか? と思いつつ、たまに写真を撮りつつ進む。「地球の歩き方」にも「ナバタイ人の碑文が描かれている」と紹介されていたので、やはりこの「絵」がこの場所のポイントだと思う。
 私も皆のマネして一番奥の水たまりのような岩肌の縞模様の綺麗な場所で記念写真を撮ってもらい、引き返す。


 すっかり足もとの砂も赤くなったハザリ渓谷を後にし、次に向かったのは砂山である。砂山というよりは砂丘と言うべきかも知れない。。
 この砂丘(デューン)は、ワディ・ラムにある砂丘の「小さい方」らしい。遠くからも赤い砂が三角に高くなっている様子が見え、近づくとさらに美しい。サラサラの赤い砂である。


砂丘から 制限時間10分で、一歩上ると半歩下がるような砂を無理矢理に踏みしめて、砂丘の2/3くらいの高さのあたりまで上って座り込んだ。
 一番上まで行かないところが我ながら半端だ。
 しかし、この景色を独り占めした気分はなかなか爽快だった。
 段ボールでも持っていれば橇のようにして滑って下りるところだけれど、残念ながらそんな小道具は用意していない。それでも、この砂丘を駆け下りるのは楽しかった。靴の中が赤い砂だらけになったのはご愛敬である。


 13時過ぎ、砂丘を出発した。


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