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2011.02.27

無事、帰宅する(知床流氷)

 2011年2月26日(土曜日)から、1泊2日で知床まで流氷を見に行って来た。
 計画したり手配したりが面倒で、ツアーに一人参加したところ、36名のツアーで一人参加していたのは私とあとお一方男性がいらしただけだった。

 1日目は飛行機が遅れて、予定していたおーろら砕氷船には乗れず、でも一便の遅らせて何とか流氷帯に入ることができた。午前中は海が荒れて出港できなかったという話だから、ギリギリ、ラッキーである。
 その代わり、ウトロの知床ファンタジーはパスしたので、次回以降の課題ということにしよう。

 2日目は、早朝の流氷ウォークに参加した後、オシンコシンの滝に立ち寄ってから、流氷ノロッコ号に乗り、これまた「今、見えてきた」という摩周湖を眺め、お昼ごはんを食べて、最後のアクティビティとしてSL湿原号に乗って釧路空港から帰ってきた。

 ちなみに、1泊2日、1人当たりの交通費、宿代、食事等の旅費(ここには、お土産代は含まれていない)は、約72000円だった。

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知床流氷旅行記2日目(引っ越しました)

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 知床流氷旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目 2011年2月26日(土曜日)

 2日目 2011年2月27日(日曜日)

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2011.02.26

知床流氷旅行記1日目(引っ越しました)

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 知床流氷旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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 1日目 2011年2月26日(土曜日)

 2日目 2011年2月27日(日曜日)

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知床流氷旅行に出発する

 今日から1泊2日で北海道に流氷を見に行ってくる。
 というよりも、ぜひ見たい。見られるといいなぁ、というところである。

 国内旅行のツアーに一人参加するのは初めてだし、国内線の飛行機に乗るのはもしかして10年ぶりくらいではなかろうか。新装なった羽田空港に行くのも初めてである。
 まあ、どうにかなるだろう。

 とりあえず、行って来ます。

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2011.02.25

持ち物リスト(知床流氷編)を作る

 明日(2011年2月26日)から1泊2日で北海道に流氷を見に行ってくる。
 見に行ってくるのだけれど、ここ数日の暖かさで、網走近辺からすっかり流氷が姿を消してしまったのが悲しい。
 しかも、天気もかなり微妙な感じである。

 ところで、今日、添乗員さんから電話が入ったのだそうだ。国内旅行のツアーでも事前に電話をいただけるとは知らなかった。
 0〜4度くらいの予報だけれど、室内は非常に暖かいので調節のできる服装で来てください、流氷ウォークは実施の予定です、ということだった。

 そんないただいた情報も加味しつつ、珍しく前日に荷造り&持ち物リスト作りを終えた。

続きを読む "持ち物リスト(知床流氷編)を作る"

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2011.02.20

ヨルダン・エジプト旅行記6日目

2010年9月23日(木曜日)

ホテルの窓から 6時に目覚まし時計の音で起きた。旅行に出ると早寝早起きになる私にしては、目覚ましが鳴るまで爆睡というのはかなり珍しい。
 バゲージダウンは10時だ。グラスボート(7JD)のオプションに申し込んだので、その出発の9時前には荷造りが出来ている必要がある。エジプトに出国する船の乗り降りは自分でキャリーケースを運ぶ必要があり、大量に買ったバスソルトが恨めしい。
 7時前に朝食を食べに行った。
 どうしても部屋の冷房が切れずに寒いので、バルコニーに出て暖まる。朝のこの時間なら、結構、快適である。

グラスボート グラスボートに申し込んだのは10人くらいだった。昨日、夕食後に添乗員さん、ガイドさん、母娘3人組で飲みに繰り出したと言いつつ、5人とも眠そうにも見えない。流石、元気である。
 バスでアカバ要塞と考古学博物館の近くにある乗り場に向かった。
 ガイドさんは乗り場まで付いて来たのに、乗り込もうとしない。添乗員さん曰く「船が怖くて乗れないんですって。」ということだ。確かに揺れそうだし、あまり頑丈そうではない船である。

グラスボートの底 船の底はガラス張りになっていて、海の中が結構よく見える。
 10人でこのガラスの回りを囲み、覗き込む。
 季節が良くなかったのか、時間が良くなかったのか、はたまたグラスボートの性能なのか、それほど遠くまで見通せるわけではないし、「おぉ!」というような色鮮やかな大きなお魚がいたり、「紅海」の名前の元となったという赤い珊瑚が見えるということもない。
 一番「おぉ!」と思ったのは、沈んだ戦車の上を通ったときだ。

 参加者の中に船が少し苦手だという方がいらした。この小さい船の中でずっと下を向いているのは辛いだろうと思う。途中から完全に遊覧船に乗った感じで回りの景色を楽しんでいらっしゃった。
 船長のサービスだったのか、グラスボートはかなり沖の方まで出てくれた。流石にそこまで水深が深くなると青い波の動きが見えるだけだ。全員で、近くなった対岸のイスラエルやエジプトの街の様子を眺める。
 やっぱり、どう見てもヨルダン側よりイスラエル側の方が栄えている感じがする。

イスラエルの街幽霊船

 紅海にはタンカーが何隻も停泊していた。
 グラスボートの船長さんはそのうちの一隻に近づき、このタンカーはガス欠で置き去りにされてしまい、ずっとここに停泊しているのだと言う。
 そうなんだー、とみんなしてタンカーを見上げていると、ふいっとドアが開いて、痩せた男の人が顔を出した。「うわっ。」「きゃっ。」とグラスボートは悲鳴の嵐である。
 無人船だと聞いていたのにドアが開いて人が顔を覗かせたら、それは驚く。
 この一幕が船長さんの茶目っ気だったのかどうか、未だに謎である。
 結構楽しく1時間15分くらいのグラスボートの遊覧を満喫した。 

ヨルダン国旗 ガイドさんに「博物館に寄る?」と言われてちょっと心が動いたけれど、あまり時間もなかったので次の機会にと考えることにして、そのまま再びバスでホテルに戻った。
 ホテルに残った方々は、お部屋でゆっくりしたり、再びスークに出かけてお買い物をしたりされたそうだ。そんなお話を伺っているときに、お部屋の冷房を切るには主電源になっているカードキーを外せばいいと聞き、気がつかなかった自分の阿呆さ加減に頭を抱えた。
 今日の昼食は船内で頂く。ホテルのロビーでランチボックスを受け取り、11時に港に向けて出発した。

港 20分くらいバスで走って港に到着した。
 もしかして撮影禁止かしらと思いつつ、構内に入る許可を得るためにしばらくバスが駐まっていたので、港の写真を撮った。
 あまり人の姿もなく、「国際港」「ここから出国」というイメージではない。

 荷物は船の側まで運んでもらえるという話でバスに置いたまま、出国審査のためにターミナルビルに入った。出国審査は空港での審査とほとんど変わらず、窓口にパスポートを出してスタンプをもらって終了だ。
 たまたま両替所が開いていたので、みんなでエジプトポンドに両替をする。ヨルダンディナールからの両替も出来るという。絶対にまたヨルダンに来ると決めているのでヨルダンディナールは残すことにし、ドルから両替してもらった。
 100ドルが500エジプシャンポンドになった。小銭をちょうだいと頼んだら「ない。」とキッパリした答えだった。前回エジプトに来たときに余ったエジプシャンポンドを持ってくれば良かったと思う。

 少し自由行動にしましょうと言われても、見るべきところがあるわけではない。
 スタンドカフェがあり、1軒だけあったお店では電化製品やおもちゃなどが売られていて観光客向けのものは売られていない。
 お手洗いに行こうとした方は、「真っ暗で電気のスイッチが見つからないわ。」と戻っていらっしゃった。

船倉 ここにいても仕方がないと思ったのか、それとも乗船開始のアナウンスがあったのか、12時前にバスに戻って船に向かった。
 バスからキャリーケースを降ろしてもらい、それぞれ引きずってカーフェリーの車を駐めるのだろうところにまとめて荷物を置く。「きっとびっくりされますよ。」と昨日、添乗員さんに言われていた通り、確かにびっくりである。
 別に荷物置き場があるわけではなく、その辺の道に放置するようなものである。鍵をしっかりかけてくださいと注意される訳だと納得した。

 狭い階段の上がり口でガイドさんとはお別れである。
 みんなで口々にお礼を言ったり握手してもらったりして別れを惜しみ、バスを降りるときにガイドさんにもらったミシン目入りの紙を渡して半分にちぎってもらう。添乗員さんに「これだけは失くさないでください。」と強く注意される。
 客席の入口でエジプトの入国カードをもらい、ラウンジのようになっている席に陣取って早速記入する。
 添乗員さんによると、いつもはエジプト人で大混雑しているけれど、今日はかなり空いている上、観光客を船尾、エジプト人を船の前方に集めているらしい。

 いつもはここから出入国の手続きのため船内の窓口に並ぶらしい。今回はまとめて続きしてもらえるという。ヨルダンの出国カードとパスポートが集められ、添乗員さんの手によってどこかに運ばれて行った。
 個人旅行だったらめちゃくちゃ不安だろうなと思う。
 このツアーを選んだ理由の一つが「船での国境越え」なのだ。楽しみである。

ランチボックス それにしても、船内は寒い。
 ちょうど私が座った席の後ろにエアコンがあり、かなり強力な冷風が吹き付けてくる。「寒いかも知れません。」と言われて持ち込んでいたフリースを着込む。寒いかもしれませんどころではない寒さだ。
 お腹が空いているせいかも知れないと、ホテルでもらったランチボックスを開ける。サンドイッチが二つ、お水とオレンジジュース、トマトとキュウリが丸のまま入っていいて驚く。パウンドケーキとバナナがついてかなり立派なランチボックスだ。
 そして、このサンドイッチが意外なことにかなり美味しかった。

 ランチボックスの中味もおおかた食べ終わった13時10分に船は出航した。
 汽笛が鳴るわけでもなく、大きく揺れるわけでもなく、ラウンジからは外が見えず、とても静かな出発だったので気がつかず、外を眺めていた方が「動き出したわよ」と声を掛けてくださって出航を知った。

船内の様子 外が眺められるわけでもないのでヒマだし、エアコンの風は寒いし、船内を探検する。
 とは言っても、探検できるほどの広さはない。そもそも、甲板に出られるようなドアは見当たらないし、窓はあってもかなり曇っているので外は眺められない。
 お手洗いに行った方から「なかなか凄い。」という話を聞いてパスすることにし、エジプト人が多く乗っているという客席を眺め、ヨルダンの港にあったのと同じようなお店(出稼ぎに出ている人がお土産に買いそうなものを集めたお店)を眺めて、10分くらいで探検は終了である。
 船内の売店で2Lのお水とクッキー(合わせて2JD)、温かいコーヒー(1JD)を買って席に戻った。

 15時くらいにはエジプトのヌエバに到着していたと思う。しかし、何故かそこからの動きが全くない。船は停泊しているのに人が動き出す気配がない。
 「どうしたんだろうね。」「いつ下りられるんだろうね。」「ガイドブックに相当に乗下船の手際が悪いって書いてあったよ。」などとしゃべっているうちに、バタバタと人の動きがあって、添乗員さんに「下りますよ!」と声をかけられた。
 多分、45分くらいは待機したと思う。

 ついに、エジプトに上陸である。
 キャリーケースを転がして船の外に出て、そこに来ていたバスに乗り込んだ。
 バスが少し走って停まったところは、トタンの屋根だけで壁がない。ここで荷物をX線に通しますと言われ、再びがんばって自力でキャリーケースを転がして列に並ぶ。
 もの凄い大荷物を大きな荷車に乗せた一家がいて、前に入られそうになったのをガイドさんが助けてくれる。弱気になっていると、いつまで立ってもX線検査を通り抜けられない。
 ヨルダン出国のときにはX線検査なんてなかったなと思う。

半券 X線検査を抜けたところに再びバスが待っていてくれた。
 バスの中に軍人とおぼしき人が乗り込んできて、パスポートをチェックする。別に悪いことはしていないけれど、何だか緊張してしまう。
 絶対に失くすなと言われていた半券の出番はついにないまま、私たちは無事にエジプトに入国した。

 エジプト入国税(15USD)をどこかで払った筈なのに、どこで払ったのか覚えていない。確か直接自分で支払ったのではなく、ガイドさんがまとめて支払ってくれて、後で集金されたように思う。
 本当にツアーでよかった。間違いなく、自力ではこの出入国はできなかったと思う。
 エジプトでのガイドさんはマナさんという若い男性だった。日本語は日本大使館の図書室で独学で身に付けましたと言う。そんなの嘘でしょと言いたいくらい、とんでもなく日本語が上手い。日本語検定の1級を受けるつもりです、と言っていた。
 マナさんとは、この港からエジプト出国までのお付き合いである。

 明日のシナイ山登山の説明がまず最初にあった。
 出発は明日2時頃、気温は10度くらいになるらしい。山頂は2度くらいだと聞いてくらくらする。マナさんは「雪がないので滑らずに安全です」とこともなげに言う。暑くもなく寒くもなくベストシーズンだそうだ。
 今の気温は25度くらいだそうだ。もっと暑く感じる。

 シナイ山には3700段の急な階段もあるけれど使う人は滅多におらず、ラクダで途中まで上れる道を使います、こちらの道を使っても700段くらいの階段を最後に上ります、と言う。
 何だか戦々恐々としてしまう。シナイ山登山は、私にとって、今回のツアーで最大の難所だ。

 シナイ半島の名前は、エジプトの月の神である「シナ」に由来する。
 また、昔からアジアとの交易の先端地でもあったという。そもそも、シナイ半島はアジア大陸に属すると言われて目から鱗だった。
 キリスト教やユダヤ教にとっても出エジプト記の関係から「聖地」「巡礼地」である。
 さらに、現在はダイビング・スポットとして人気があり、観光業の中心にもなりつつある。リゾートがいくつも出来ていて、「聖地」としてよりもダイビングの街として人気だという。

電線 驚いたといえば、この電線がアスワンから延々と電気を送ってきていると聞いたときにも驚いた。
 エジプトの発電はアスワン・ハイ・ダムがそのほとんど(あるいは、すべて)を担っていて、この電線が切られたらエジプト全土が停電するとガイドさんは言う。まさに生命線である。
 これだけ空は晴れているにも関わらず、この後、パラパラと雨が降ったのが意外だった。エジプトの降雨量は年間300mmくらいだというから、相当に珍しかった筈である。

 ガイドさんの話は、エジプトを「支配した」大統領4人でそのうちもっともエジプト人に愛されているのはナセル大統領であるとか、第三次中東戦争でシナイ半島をイスラエルに奪われたとか、エジプトの軍隊は中東地域で2番目に強いとか(1番目はイスラエルだと言っていた)、徴兵制の話もあったし、ベドウィンの人たちの生活の糧は麻薬であるとか、何だか複雑な気持ちになる話が多い。

 セント・カタリーナ村の入口にはゲートがあり、ガイドさんは「チケットを買う。」と言って降りて行った。村に入るのにチケットが必要というのが今ひとつピンと来ない。何らかの保護区になっているということだと思う。
 そのゲートから10分ほど走り、セント・カタリーナ・ツーリスト・ヴィレッジというホテルに18時30分くらいに到着した。
 コテージ式のなかなか雰囲気のよいところである。
 しかし、明日は1時30分にモーニングコールが入る。滞在時間がごく短いのが残念だ。

リビングルームベッドルーム

 セントカタリーナ・ツーリスト・ヴィレッジのお部屋は全室スィートルームのようだ。
 リビングとベッドルームがある。バスルームにはバスタブがあったけれど、お湯がタンク式なので貯めるには多分足りないだろうという案内があった。
 可愛い。
 私はこういう雰囲気が好きだし、今回のツアーの中で一番このホテルが好きだ。一方、ツアーの方々にはあまり評判が良くなかったようだ。
 鍵がどうしても閉まらずにスタッフを呼んできたら、ドアノブを回さずにドアを引っ張って「鍵はちゃんとかかるじゃないか。」と言われたと女の子二人が嘆いていたときには、思わず笑いつつも気の毒に思った。

夕食 「明日は早いので今日は少しでもとにかく休んでください。」と言われ、夕食は早めの19時からだった。
 ここでもビュッフェ式だ。正直に言うと、ごはんはヨルダンの方が美味しかったと思う。
 アルコールは一切出てこない。他に甘い飲み物しかなかったので、今回もノンアルコールビール(3USD)を頼んだ。昨日、アカバで飲んだノンアルコールビールは泡がなかったけれど、今日のノンアルコールビールは泡がちゃんとある。優秀だ。
 エジプシャンポンドで支払ってお釣りに細かいお金をもらおうと思ったら、とても困った顔のウエイターのおじさんに「お釣りがないよ。」と言われ、諦めてUSDで支払った。

テラスから 夕食の途中、満月があまりにも綺麗に上って来ていたので、テラスに出て写真を撮った。
 食事を終えた方から、みなさん明日のことを考えて次々とお部屋に戻って行く。
 お一人参加の方と「私たちは、お風呂の時間が半分でいいから大丈夫。」などと言い合いながら、コテージに帰る道すがら、コテージと満月の写真を撮った。

 それでも20時30分ころには部屋に戻り、お水になっちゃうよりはと持参していた水のいらないシャンプーで髪をさっぱりさせ、シャワーを浴びて明日の用意をし、21時には就寝した。

<この日の服装>
 タンクトップ、長袖シャツ、カプリパンツ、スパッツ
 (船内では、上にフリースシャツ)

<歩数計>
 ヨルダン・エジプト時間9月22日18時から23日18時まで 10852歩
 (ただし、このうち7018歩は、前日のスーク散策時の歩数である。)

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2011.02.19

ツアー代金の支払いをする(知床流氷)

 一昨日(2011年2月17日)、旅行会社から「砕氷船おーろら・流氷ノロッコ号 SL冬の湿原号と知床・摩周」ツアーの詳細が決まり、クーポンが発券できるので受け取りに来てください、という電話連絡があった。

 そういえば、ツアーの催行決定を確認してすっかり安心していたのだけれど、申込金は支払ったものの、代金の支払いがまだである。
 昨日、早速、旅行会社に行って残金を支払い、旅程表とクーポンをもらった。
 しかし、対応してくれたカウンターの方は、航空券は羽田空港でお渡しします、帰りはどうでしたっけ、添乗員が付いているツアーだったら・・・、と言うことがどうも頼りない。
 いくつか質問しようかと思っていたこともあったのだけれど、自分で調べた方が早そうだし、海外の秘境に行くわけでもないし、1泊2日だしということで、それは止めておいた。

 あとは、私が行くまで流氷が残っていてくれるよう祈るだけである。
 今週から暖かくなるという天気予報に一抹の不安を覚えている。

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2011.02.17

「マイルの有効期限廃止」のメールが届く

 2011年2月17日、デルタ航空のマイレージプログラムである「スカイマイル」から、「マイルの有効期限を廃止いたしました。」というお知らせメールが届いた。

 有効期限をなくすための条件などもなく、米国大手航空会社の中で、マイルに有効期限を設けていないのはデルタ航空だけだという。
 ノースウエスト航空のワールドパークスはマイルの有効期限がなかったので、デルタ航空に吸収される際にマイレージクラブも統合されてマイルに有効期限が設けられたときには「やられた!」と思ったものだった。
 恐らく、私の熱意と注意力が足りないせいだと思うのだけれど、マイルを使って飛行機に乗るというのはなかなか難しいのだ。実は今までに一度も実行できたことがない。

 条件が良くなったのだから、スカイマイルは絶対に無駄にしないようにしようと改めて決心したところである。

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2011.02.13

ヨルダン・エジプト旅行記5日目その2

2010年9月22日(水曜日)


ワディ・ラムの帰り道 13時10分くらいにデューンを出発した。これにてワディ・ラムのツアーは終了である。
 後で地図を見たら、ハザリ峡谷からそう遠くないところに「ワダック石橋」があった。自然にできたアーチ型の岩はぜひ上ってみたかったので、残念だ。やはり、ワディ・ラムにももう一度来なければと思う。
 ビジターセンターに戻り、そこで売っていたナバテア人の描いた絵をデザインしたペンダントトップを買おうかどうか迷う間もなく、昼食に出発となった。今思えば、迷わずに買ってしまえば良かった。


テント内部 バスで少し走り、デザートキャンプ兼レストランでランチになった。14時を回り、お腹はぺこぺこである。
 ランチは、広場を囲んで天幕を張ってあるような感じのところでいただいた。
 その広場を囲んで昼食を摂っている人の中には日本人らしい若い二人連れもいて、「きっとあの人達はここのキャンプに泊まっているんですね。」というのが添乗員さんの見立てだった。羨ましい。


 目の前の長テーブルに前菜の大きなお皿がいくつも並べられ、バーベキューのお肉が運ばれるという、ヨルダン定番のお昼ごはんである。
 美味しい。
 特にラムは、臭みもなく柔らかい。ガイドさんによると「きっと裏の広場で今朝絞めたんだ。」ということだった。考えてみたら相当に生々しい話だけれど、美味しさの前にはそういう想像は全く働かない。


ランチデザート


 デザートは多分「ハリーサ」だったと思う。
 ココナツがたくさん入って表面はカリっと焼いてあり、全体にシロップがしみ込ませてある。この大きさで十分すぎるほど甘い。舌がしびれそうなくらいだ。
 ここのキャンプではウエイターさんが全員ベドウィンの正装のような制服を着ていて格好良かった。働いている人のほとんどはエジプト人だそうだ。エジプトよりヨルダンの方がお給料がいいのかしらと思う。


 ワディ・ラムからさらに1時間ちょっと走り、16時30分くらいにアカバのホテルDays Inn Hotel & Suites Aqabaに到着した。見えてから到着までぐるぐるとバスが走ったのは、どうも、一方通行の道があるせいだ。
 ロビーでウエルカムドリンク(オレンジジュース)のサービスがあり、喉が渇いていて2杯もらって立て続けに飲んだ。
 希望者は18時30分ロビー集合でガイドさんがスークを案内してくれるという。ランチが遅かったため、当初は20時からと案内されていた夕食は21時からに変更される。


デイズインホテルの部屋 お部屋に入って、一息つく。私の部屋はちょうど入口の上に当たっているようだ。カーテンを開けると、道路の反対側の建物から見えるかどうか微妙な感じだ。
 死海とペトラのホテルのお部屋に湯沸かしポットが付いていたので、てっきりそれが標準なのかと油断していたらそうではないらしい。アカバのこのホテルの部屋には湯沸かしはなかった。
 また、死海とペトラのホテルのレストランではアルコールが飲めたけれど、このホテルではアルコールはなしだ。どちらかというと、こちらがイスラムの国では標準だろうと思う。


 一休みしてから散歩に出た。
 フロントで地図をもらってホテルの場所に印をつけてもらったし、アカバはリゾート地でもあるので特に危険は感じない。
 海を目指して歩いていると、ちょうどビジターセンターの前を通りかかった。パンフレットでもあればいいなと近づいたらドアが閉まっている。諦めて再び海を目指そうと歩き出したら、「何かご用ですか?」と尋ねられた。今思えば、帰宅しようという職員だったんだろう。「海に行きたいの。」と答えたら「うん、そこを真っすく行けばいいんです。」と言われた。親切な人である。


海水浴 海岸沿いは公園になっている。昼間は暑すぎて海水浴に向かないのだろう。今くらい(18時くらい)になってから海に繰り出すようだ。かなりの人出である。
 死海の辺りを走っていたときに、アンマンの人たちは夕方になって涼しくなるのを待って死海沿岸にピクニックに来ると説明を受けたことを思い出した。


 死海も暑かったけれど、アカバもじわっと湿度のある暑さである。今日の最高気温は39度だったらしい。日本みたいだ。
 そんな暑いところだからアラブの女性も海に来る。しかし、海に来てもみな上から下まできっちり覆い、海に入るときも服を着たままである。帰りはどうするんだろうと心配になる。


アイスクリーム 余りの蒸し暑さに早々に音を上げてホテル近くまで戻り、アイスクリームを食べた。「Jelato Uno」というお店である。お客が一人もいないのが不安だけれど、まあ大丈夫だろう。
 かなりの種類のアイスクリームがあって、「お勧めはどれ?」と聞いたら「これ全部か?」と聞き返される。その返しはおかしいだろうと思いつつ頷いたら、お店のお兄さんはウンザリした顔をしつつ、全部のアイスクリームの名前を唱えてくれた。
 書いてあるから判るよと思っても、訂正する英語が出てこない。ごめんね、と思いつつ最後まで聞き、「ARABESQUE」というそれっぽい名前のついたアイスクリームを選んだ。聞いてみたら、ミルクアイスにピスタチオが入っているという。0.75JDである。


夕焼け 18時30分にロビーに集合したのはツアーメンバーの2/3くらいの人数だった。
 暑さのあまり、足もとをビーチサンダルに変更している。
 夕食の開始時刻に合わせ、ガイドさんは散策をロングコースに計画を練り直したらしい。海の方に向かって歩き出した。途中で立ち止まって写真を撮っていると、あっという間に置いて行かれそうになる。イヤホンガイドも外してしまっているので、見失なったら迷子である。


イーラ遺跡 最初にイーラ遺跡に行った。
 ここは柵はあるものの入場無料の遺跡である。イーラというのは、7〜8世紀のイスラム朝の名前らしい。その都市跡が地下に埋まっている。
 説明板を読んでいるヒマもなくぐるっと一周する。イヤホンガイドをつけていたら説明が聞けたかも知れない。
 イヤホンガイドは、もう少し外れにくく、サングラスをしていても邪魔にならない作りだと嬉しい。


 イーラ遺跡を出ると、ガイドさんはそのまま海岸沿いを南に向かった。
 さっき来た海岸も大分日が暮れて、ライトアップがされている。
 相変わらず人出が多いし、女性もいる。椰子の葉っぱを葺いたようなビーチパラソルが立っていて、そこにカップルがいたりする。女性がリゾートファッションならともかく、件のスカーフのようなものを被っている「敬虔な」といった感じの女性だったのでちょっと驚いた。


アカバ要塞 アンマンと同じように、アカバにも非常に高いポールが立っていて、てっぺんで大きなヨルダン国旗がはためいていた。夜になったら降ろすという習慣はないようで、真っ暗な中で風に泳いでいる。
 そのポールの辺りで海岸を離れ、考古学博物館、アカバ要塞の脇を抜けて、スークに入った。
 19時を過ぎても、スークは灯りを煌々とつけてかき入れ時の様相を呈している。
 あの敬虔なお洋服の下に着ているとはとても思えないスケスケのドレスがずらっとショーウィンドウに並んでいたり、スナック菓子の屋台が出ていたりする。


ジューススタンド あと1時間半くらいで夕食なんだけどと思いつつ、ジューススタンドで休憩した。歩道に大きなテーブルが出されていて座って飲むことができる。
 前にエジプトに行ったときに飲みそびれたコクテール(2JD)がメニューにあるのを見て、迷わずそれを選んだ。ビールジョッキに入って出てきたコクテールには、ミルク、バナナ、オレンジ、メロン、りんご、桃が入っており、飾りにグラスの縁からグレナデンシロップが垂らされている。
 美味しい。大阪のミックスジュースの味だ。これに砂糖が入っていると聞いたときにはショックだった。
 ガイドさんによると、フレッシュジュースを飲むときは自分は必ずオレンジジュースを選ぶ、オレンジジュースには絶対に砂糖は入っていないから、ということだ。先に教えてくれればいいのにと思う。


ナッツ屋 ジューススタンドの隣にあったコーヒー豆屋さんのコーヒーに未練を残しつつ、ジュースで元気回復して出発である。
 次に行ったのは、「地球の歩き方」にも載っているナッツ屋だった。「地球の歩き方」には、「1kg7.5JDのものが香ばしくて美味しい」と書いてあり、試食させてもらったら、確かに美味しい。
 カレーっぽい香辛料がまぶされていて、カリっとしている。


 ツアーのみなさんが100gとか200gとか買う中、ヨルダンディナールの小銭が増えても困ると思った私は、添乗員さんに「新しい買い方だ。」と笑われつつ、「1JD分ちょうだい。」と言ってみた。1JD分よりもちょっとだけ多く入れてくれて、でもお会計は1JDだった。いいお店である。
 真空パックまでは行かないけれど密封してくれる。帰国後に食べたところ、しっかりとカリッとしたままで美味しかった。


アラック その後もヘンナのお店、香辛料のお店、お肉屋さん、八百屋さん、香水屋さん、お土産物屋さん、CDショップ、リカーショップなどを巡って、20時50分にホテルに帰った。
 アカバは自由港だから税金がかからず、またホテルではアルコールは供されないので、ここでお酒を買い求めた人も多かった。私も、話のタネにとアラックと呼ばれる強いお酒の小瓶(50ml)を買い求めた。


 21時から夕食をいただいた。甘いソフトドリンクしかなかったのでノンアルコールビールを頼んだ。初ノンアルコールビールである。決して美味しいものではない、泡はすぐ消えてしまうものだ、と学習した。
 お風呂に入ったら、排水溝から水が逆流して驚いた。ビーチサンダルを履けばその水に触らずに済む程度で助かった。
 洗濯し、お部屋の冷房がどうしても切れなかったので窓を少しだけ開け、0時くらいに就寝した。


<この日の服装>
 Tシャツ、長袖シャツ、ジーンズのスカート


<歩数計>
 ヨルダン時間9月21日18時から22日18時まで 11296歩


 ヨルダン・エジプト旅行記5日目その1 <- -> ヨルダン・エジプト旅行記6日目

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2011.02.12

ヨルダン・エジプト旅行記5日目その1

2010年9月22日(水曜日)


 朝5時過ぎ、風の音とアザーンの声で目が覚めた。
 カーテンを少しだけ開けて窓の外を見ると、横殴りの雨が降っていた。ウソでしょ? と思う。
 ペトラ2日券を買おうかどうしようか迷い結局買わなかったものの、もし今から出かけたら、TBSの「THE 世界遺産」でやっていた情景を見られるチャンスかと一瞬考え、もちろん速攻で断念した。それくらい強くて横殴りの雨だ。
 しかし余りにもお腹が空いていたのでそのまま起き出し、お湯を沸かしてカフェオレを作り、クッキーをつまみ食いした。


朝食 7時過ぎにレストランに朝食を食べに行った。
 クラウン・プラザ・ホテルのレストランは一度プールサイドに出なければ入ることができない。
 この時点でもまだポツポツと雨が降っていた。
 添乗員さんによると、夜中には雷が鳴ってさらに大雨が降っていたらしい。そうしたら、シークを流れる水の様子が眺められたかも知れない。何しろ、ペトラ辺りの年間降雨量はわずか数十ミリだというから、無理してでも行くべきだったかもと思う。今思えば惜しいことをした。


ポスト ホテルの玄関先になかなか可愛いポストがあった。
 各国までの郵便料金が書いてある。「地球の歩き方」にハガキは0.5JDと書いてあり、昨日の郵便局のおじさんは1枚0.8JDの切手を売ってくれ、このポストには料金は1JDと書いてある。一瞬、投函を躊躇したけれど、私の手にその躊躇が伝わるのが遅く、ん?と思ったときには私の書いた絵はがき達はすでにポストの底に落ちていた。
 このとき投函した絵はがきは、このとおり2010年10月7日に届いた。日本までの正しい郵便料金がいくらだったのか、未だに不明である。


 9時過ぎに出発したとき、空はまだどんより曇っていた。
 添乗員さんは、ペトラの辺りはまだ涼しく、これから向かうワディ・ムサやアカバは最高気温39度の予報が出ていて相当に暑いと言う。
 それにしても、砂漠で雨に降られる己の雨女ぶりにしみじみと感心する。


モーセの泉ペトラの山


モーセの泉 一昨日にペトラの山に落ちる夕日を見たポイントからの景色も、黒い雲に覆われてしまっていた。
 この絶景ポイントの近くにある三つドームが並んだ建物の中に、「モーセが杖で岩を突くと泉が湧いた」と出エジプト記に書かれている泉(の候補地)がある。
 中に入ると、確かに綺麗な水が湧いている。こんなに近くまで来て、モーセはペトラに寄らなかったんだろうかと一瞬考え、そもそもモーセの時代の方が1000年以上前だと思い直す。
 湧いている水に触ってみたら結構冷たかった。ちょっと飲んでみたかったけれど、ここで生水を飲んでお腹を壊したらアホ過ぎる。


ベドウィン 窓の外は相変わらずの曇り空だ。
 ペトラの辺りはベドウィンの人たちが多く住んでいる地域で、羊を追って道路を悠々と横断しているベドウィンの姿なども見かけた。
 ベドウィンは、眼の周りにコヘラという天然のものから取れる目を保護する成分が入っている薬を塗っている。
 これは本当に目のためのもので、男女関係なく、ファッションとも護符とも関係なく、塗るそうだ。


 ペトラからアカバまでの間はほとんどが砂漠である。
 ヨルダンは、北海道の1.2倍の面積でその90%が砂漠だというから、いくら昔から隊商の道として栄えて来たキングス・ハイウエイを走っているとはいえ、見える景色がほとんど砂漠なのは当たり前である。
 昔はペトラの辺りも海で、だからこそ、今リン鉱石を産出することができる。しかし、現在のヨルダンは、アカバの街一点だけが海に接している。
 アカバの港から出て行く主なものは、リン、セメント、死海グッズ、そして旅行者である。旅行社の行き先は、エジプトかイスラエルかサウジアラビアだ。


鉄道七つの知恵の柱


 モーセの泉を出発して1時間半、ワディ・ラムが近づいてきた。
 近くを走る鉄道は、リン鉱石を運ぶためのものである。「アラビアのロレンス」たちが、リン鉱石を運ぶ鉄道を爆破していたことを思い出す。
 そこからさらに20〜30分くらい走って、ワディ・ラムのビジターセンターに到着した。
 ここで4WDの車に分乗し、いよいよ渓谷に入って行く。


 ビジターセンターに到着する直前、左前方に「七つの知恵の柱」と呼ばれる大きな岩山が見えるポイントがあった。
 見逃したと思っていたら、写真を見直したら、ビジターセンターの裏手にたくさんの4WDトラックが待っているスペースがあり、その様子を撮った写真の右端に七つの知恵の柱が写っていた。この写真の構図からして、「七つの柱が見えている」と全く意識していなかったらしい。我ながら、知らないとは恐ろしいことだ。
 この「七つの知恵の柱」は、「アラビアのロレンス」が書いた最初の著作のタイトルになっていて、それで有名になったそうだ。私はその著作の内容すら知らないのだから仕方がない。


ワディ・ラムの村 サングラスに、ホコリよけのマスクも装着し、11時過ぎ、ツアーメンバーが4台のトラックに分乗してワディ・ラム砂漠ツアーに出発した。
 ふと気がつくと、4台のうち私たちが乗ったトラックにだけ幌がない。紫外線を浴びまくりである。
 すぐにワディ・ラムの村に到着した。そして、何故かしばらくここでストップしていた。後で聞いたところでは、分乗したトラックのうちの1台が壊れたとか動かなくなったとかパンクしたとか、トラブルがあったようだ。ガイドさんと添乗員さんが別の車に乗ったので今ひとつ情報が伝わって来ず、そのときにはどうしてずっと出発しないのか不思議だった。
 屋根のないトラックに乗った私たちにはこの微妙に曇った空が有り難い。これでかんかん照りだったらきっと酷く日焼けしたことだろう。陽も出ていないから、それほど暑くも感じなかったような気がする。


砂の道 砂に覆われてしまった道を、幌のないトラックの荷台に乗って進む。
 同じトラックになった方が温度計をお持ちだったのでお聞きしたら、正午前後のこの時間帯で33度だった。やはり曇りがちな空のおかげでかなり涼しかったようだ。
 ところで、全く自慢ではないが、ワディ・ラムのこのドライブで自分がどこに行ったのか、未だに私には判っていない。おまけに、「到着した場所で何が見どころだったのか」ということも判っていない。
 分乗していたためか、見事にその辺りの案内がなかったように思う。


ロレンスの泉 余り自信はないけれど、恐らくここが「ロレンスの泉」である。
 「地球の歩き方」によると、崖の中腹に水が湧き出しているという。木が生えている辺りが湧水地点なのかも知れない。
 ガイドさんからこの辺りで食べられる草と食べてはいけない草の説明を受けたり、この近くに張られたテント(といっても、運動会で張ってあるような屋根だけのもの)の中のお土産物屋兼休憩所で乳香が売られていることに気付いて買うかどうか迷ったりしていた。


ロレンスの泉の文字ロレンスの泉の文字


 ロレンスの泉らしい場所の下に大きな岩があり、そこに文字が彫られていた。
 ネットでひたすら検索したところによると、この文字(写真左)は、ペトラが繁栄した頃のナバテア人が書いたものらしい。一方で、「南アラビア文字」に近いと言う方もいらした。
 一方、この右側の写真の文字は、8世紀頃にサムード人が書いたものらしい。しかし、そもサムード人という人々がどんな人々なのかさっぱり判らない。
 そんな昔の文字が刻まれた岩を、何の標識もなくガードもなく転がしておくその大らかさに脱帽である。それとも、こうした文字はあちらこちらにあるものなんだろうか。


ハザリ峡谷 正午過ぎ、ロレンスの泉を出発し、(恐らく)ハザリ峡谷に向かった。
 このハザリ峡谷の本体は、やたらと大きい岩山である。岩肌に縦に模様ができているのは、水による浸食が原因だという。浸食されるほどの水があったとも思えないのに、不思議な話だ。
 この岩山には、ペトラのシークのような亀裂が走っている。亀裂内部の壁には ナバテア人による絵が彫られていること、シークの奥に水を引いた跡が残っていることの説明を受けて、私たちは行列の最後に並んだ。


ナバテア人による絵ナバテア人による絵


 この行列が未だに謎で、皆してこの裂け目の一番奥を脇目もふらずに目指して突進していた。突進とはいっても、とても細い亀裂で足場も悪く、行く人と帰る人がすれ違えるポイントが限られており、遅々として進まない。
 その途中の岩肌のあちこちに絵が彫られていてかなり興味深いと思うのに、皆して素通りして行く。
 何故だ? この岩肌に彫られた絵はもしかして観光客のイタズラなのか? と思いつつ、たまに写真を撮りつつ進む。「地球の歩き方」にも「ナバタイ人の碑文が描かれている」と紹介されていたので、やはりこの「絵」がこの場所のポイントだと思う。
 私も皆のマネして一番奥の水たまりのような岩肌の縞模様の綺麗な場所で記念写真を撮ってもらい、引き返す。


 すっかり足もとの砂も赤くなったハザリ渓谷を後にし、次に向かったのは砂山である。砂山というよりは砂丘と言うべきかも知れない。。
 この砂丘(デューン)は、ワディ・ラムにある砂丘の「小さい方」らしい。遠くからも赤い砂が三角に高くなっている様子が見え、近づくとさらに美しい。サラサラの赤い砂である。


砂丘から 制限時間10分で、一歩上ると半歩下がるような砂を無理矢理に踏みしめて、砂丘の2/3くらいの高さのあたりまで上って座り込んだ。
 一番上まで行かないところが我ながら半端だ。
 しかし、この景色を独り占めした気分はなかなか爽快だった。
 段ボールでも持っていれば橇のようにして滑って下りるところだけれど、残念ながらそんな小道具は用意していない。それでも、この砂丘を駆け下りるのは楽しかった。靴の中が赤い砂だらけになったのはご愛敬である。


 13時過ぎ、砂丘を出発した。


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2011.02.10

「白い海、凍る海―オホーツク海のふしぎ」を読む

 今回の旅行はツアーだし、ガイドブックを買うこともしていないのだけれど、その代わり、「白い海、凍る海―オホーツク海のふしぎ」というこの本を購入して流氷について予習することにした。

 いわゆる絵本のような大きさで、漢字にはすべてふりがなを振って子どもでも読めるようになっているのだけれど、ここに書かれていることは実はかなり専門的なのではなかろうか。
 私は、2・3回読んだだけでは、内容を把握することができなかった。
 というよりも、未だにちゃんとこの本に書かれていることを理解したという感じはしない。

 とりあえず判ったことは、オホーツク海は流氷が残る最南端の海であること、オホーツク海が閉じた海では水深50mくらいのところで海水の濃度が変わっており、そのために水深50mまでの範囲でしか対流が起こらないので表面が冷えるまでの時間が早いこと、の2点が判った。

 なかなか、ためになる、面白い、理系でない私にはちょっと読むのに難儀した本だった。

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2011.02.06

ヨルダン・エジプト旅行記4日目その3

2010年9月21日(火曜日)


エドディルからの帰り道 16時前に帰途についた。
 帰り道はロバに乗りたいとおっしゃる方もいらしたけれど、エド・ディル周辺に客引きをしているロバはいないようだった。こんな風に岩壁に繋がれて、岩に向いて哲学的な顔をしているロバを何頭か見ただけだ。
 私も、帰りにアーンの墓まで寄り道しようと思っていたし、添乗員さんに「少し急げば間に合うと思いますよ。」と言ってもらったけれど、気力体力ともに枯渇状態で、「体力の限界を感じるので、ゆっくり戻ります。」と答えた。


エドディルからの帰り道 ゆっくり戻る分、周りの景色を楽しまなくてはと思う。
 そういえば、最初の頃は折りたたみ傘を「黒だし多少は効果があるかも」と思って日傘代わりに差していたけれど、この頃にはすっかり忘れ果ててリュックにしまい込んでいた。流石に直射日光を浴びるのはよろしくなかろうと帽子を被ったものの、こちらも頭が蒸れるような気がして、この頃にはリュックにぶら下げて歩いていたような気がする。
 日の光はすでに夕方の色の濃い斜めの光になっていて、行きに見たよりも岩肌の色をくっきりと赤く見せている。


赤い壁 40分余りで博物館の辺りまで下りてくることができた。写真を撮っては止まっていた割りになかなかいいペースだったと思う。
 岩をくりぬいて鉄の扉をつけたようなところがあり、「これって何だろう?」「誰か住んでるのかな?」などととぼけた会話をしていたら、添乗員さんに「これは博物館ですよ。」と呆れられてしまった。どうやら行きの道中で説明してもらっていたようだ。私は完全に本体から遅れていたし、大汗をかいてイヤホンガイドが邪魔になって外してしまったので、説明を聞きそびれてしまったのだ。申し訳ない。


 ペトラ考古学博物館の辺りの壁は一際赤く縞模様になっていて美しい。
 閉まっているように見えたので入ってみようとは思いもしなかったけれど、地球の歩き方によると冬以外は17時まで開館しているらしい。惜しいことをした。
 美しいといえば、この辺りから道を左に逸れてしばらく行くと、トゥルクマニヤの墓がある。そこも岩肌が一際赤く、美しいナバテア文字が見られるという。
 もちろん、疲れ果てていて、そこへ行ってみようというアイデアすら浮かばなかった私である。 


凱旋門 行きにはくぐらなかった凱旋門を帰りにはしっかり通って帰った。
 しかし、何故か凱旋門全体の写真を撮っていない。よほど疲れていたんだろうと思う。
 これは凱旋門に三つある開口部の一つである。中央の開口部はローマ風の装飾が施され、両脇の開口部はナバテア様式である。この写真がそのうちのどの開口部なのか、判らない自分が情けない。
 多分、遠くの岩肌に見えるアーンの墓等々に気を取られていたのだと思う。昼間に見たときよりも、はるかに赤く濃くなっていて美しい。


南神殿入り口 南神殿に至る階段の下に立って写真を撮る。
 ここまで来てどうして階段を上がって南新田を近くて見てみようとしなかったのか、我ながら謎である。
 ナバテア人が1世紀に建造したという新しい(ペトラの中ではそうなる)神殿はどこまで発掘がされていたのだろう。


 南神殿の奥辺りに「ファラオの柱」があり、そのファラオの柱からさらに東に向かって曲がりくねった道を行くと、「南の壁」にぶつかり、南の壁に沿って行くと、犠牲祭壇まで続く枯れ谷の入口にたどり着けるようになっているらしい。
 標識は、ローマ劇場近くの階段から歩き出すように立てられているけれど、逆コースを辿った方が楽だとガイドブックに書いてあった。
 もっとも、楽だと言っても3時間かかると書いてあったから、とても行ってみることはできなかっただろう。


 下が砂地で歩きにくい柱廊通りを今度は端から端まで歩き、岩窟墳墓群のところまで戻って来た。
 やっと半分は戻って来た、というのが実感である。


岩窟墳墓群 向かって右から、壺の墓、シルクの墓、コリントの墓、宮殿の墓だ。
 壺の墓は、紀元前1世紀半ばに建設され、マリコス1世の墓ではないかと言われている。また、5世紀には改造工事が行われ、現在のような「岩窟教会」としての体裁が整えられたという。街の中心にあり、広場があったことがその理由だそうだ。
 壺の墓の右側にある階段を上がると、エル・ハズネを上から眺めることのできるポイントに行けるらしい。これも、ペトラ遺跡でやりたかったのにできなかったことの一つである。


 シルクの墓は、ファサードに非常に細かい縞模様があることで有名である。
 もっとも、遠くから眺めただけの私には、そのような美しい縞模様など見た記憶はない。自分で撮った写真を拡大しても、鮮明さが失われているような気がする。
 その隣のコリントの墓はかなり傷みが激しい。
 一番左のお墓は、ペトラでもっとも壮大であるため「宮殿の墓」と呼ばれている。
 このお墓の3階に当たる部分は、岩を掘ったのではなく建設されているそうだ。だから「階のある墓」とも呼ばれているという。


住居跡 岩窟墳墓群を下から見上げ、ローマ劇場まで戻る間に撮ったこの写真が何なのか、全く思い出せない。
 岩の縞模様がくっきりと綺麗なのが嬉しくて撮ったのは間違いないものの、さて、これは何なのだろう。恐らく、洞窟住居群の一部なのではないかと思う。
 行きには気がつかなかったのか、太陽の光の加減なのか、本当に綺麗だった。


 ファサードの道まで戻って来てしまえば、あと少しである。
 後で聞いたところによると、帰り道にサンド・ボトルのお店に寄った方がいらして、夕方に買うと名前を入れてもらうことはできない代わりに、生鮮食品でもないのに大幅にディスカウントしてくれたらしい。


 17時くらいにとうとうエル・ハズネに戻ってくることができた。


平らなエルハズネエルハズネ内部 この辺りまで、ツアーメンバーの方々と一緒に戻って来た。
 後で聞いたところによると、みなさんは、写真を撮りに走り出した私を見て「**さん(私のこと)は砂に埋もれてしまった」と先にお戻りになったそうだ。
 そんなこととは露知らず、陽は当たっていないけれどピンク色に沈んだエル・ハズネを見た瞬間、あまりのフォトジェニックさに我を忘れてしまった。
 エル・ハズネの内部も午前中よりもよく見えたように思う。
 しばらく駆け回ってついに体力の限界に達し、そういえばこれからシークの入口までさらに歩かなくてはいけなかったんだわと、一人ふらふらと帰途についた。


シーク シークを歩いていると、向こうからやってくる馬車と結構頻繁にすれ違った。
 馬車には欧米人と思われるお客さんが多かったように思う。
 ペトラ遺跡は18時までの筈で、今から入ってどうするのだろう、エル・ハズネだけ見て帰って来てしまうんだろうか、何て勿体ない! と余計なことを心配しながら歩いた。
 シークの岩の肌模様は、帰りよりも行きの方が綺麗に見えていたような気がする。


シーク入口 歩くこと20分弱、頭の上が開けてきたなぁと思ったら、そこがシークの入口だった。
 ツアーで配られたペトラ入場券には遺跡入口からシーク入口まで往復の馬券が付いている。馬を探していると、ツアーの方が「チップを高いこと言うの。」とおっしゃる。ちょっと迷ったけれど、何とかなるだろうとそのまま馬乗り場に行った。


 馬車の場合は行きに乗ったのと同じ馬車に乗ることになっていて、馬車番号を覚えておく必要があるらしい。馬の場合は、特にそういう決まりはないようだ。
 馬を引くお兄さんは「楽しいか?」「この馬で良かっただろう(確かに格好いい馬だった)。」とか話しかけて来ていたし、馬から下りるときに2JDをチップとして渡したら、「チップを倍くれ。」「これは自分用のチップで、馬用のチップをもらっていない。」などなどと言われたけれど、これが決まりでしょ、の一言であっさり諦めてくれた。
 後で聞いた話では、18時近くになるとシーク入口にいた馬は一斉に引き上げてしまうらしい。私より、15〜20分後に戻っていらした方が「もう仕事を終えて繋がれた馬しかいなくて、帰り道は歩いた。」とおっしゃっていた。
 散々歩いて疲れた体に、帰りの砂地の緩やかな上り坂道は結構きつかったのではなかろうか。


マンゴーアイス 持っていたお水を全部飲み干して少し元気回復してから、ホテルに戻る前にモーベンピック・リゾート・ペトラに向かった。
 「地球の歩き方」でここのアイスクリームがべた褒めされていて、ぜひ食べてみたい。
 ホテルの外に向かって開いているという窓口を探してペトラ遺跡入口から右の方に回ると、壁に「swiss premium icecream」と書かれ、テーブルと椅子がいくつか置かれていて、すぐに判った。


 スイスと言われるとやっぱりチョコレート味かしらと迷い、しかし暑くてさっぱり系の味を食べたかったのでマンゴーアイス(2JD)を選んだ。
 美味しい。
 テラスの椅子に座ってぼんやり食べていたら、同じツアーに母娘3人で参加されている方がいらした。お目当ては同じくアイスクリームのようだ。特にお嬢さん二人が本当にアクティブで、岩窟墳墓群にも行って来たとおっしゃっていた。この後、街を散歩して、ケーヴ・バーにも行かれたらしい。


 のんびりアイスクリームを味わってから、ビジターセンターに行って絵はがきを買った。10枚で2JDである。ホテル内の売店で7枚1JDで売っていたから、適正価格というわけではないような気がする。
 同じ建物にあったPOST OFFICEに寄って切手を買う。はがきを見せて「これを日本まで送りたい。」と言ったら、10通分の切手を8JDで売ってくれた。


夕食 ホテルに戻ったのは、18時30分だった。まずはシャワーを浴びてさっぱりする。
 夕食前、ロビーでは、昨日お願いしたガイドブック(私の買ったペトラ版は12JD)を渡され、馬に乗った写真を見せてもらって「買いたい人はどうぞ〜。」とやっていた。
 夕食は19時半から、昨日と同じホテルのレストランだ。添乗員さんが雰囲気を変えて外のテラス席を用意してくれていた。ろうそくの光で、なかなかいい雰囲気である。


 今日はあと寝るだけだし、赤ワインを頼む。この旅行で初めてのアルコールだ。20USDを支払ったら3.25JDのおつりが来たから、1200円くらいである。ヨルダン・ワインだったかどうかは覚えていない。疲れた体に久々のアルコールはかなり効いた。
 ハンマムから帰って来た方も20時過ぎくらいに合流し、何だかんだおしゃべりしつつ2時間くらいのんびりした。


 お部屋に戻って、湯沸かし器があったのでコーヒーを淹れて飲みつつ絵はがきを書いた。
 じんじんと熱を持っているような感じがする上に、ぷっくりと膨れて水の溜まりきった足の小指におののく。これは破いて水を出してしまった方がいいんじゃないかと思うけれど、間違って膿んでしまったらなどと思うと今ひとつ踏ん切りが付かない。
 今日のペトラの気温は36度くらいだったそうで、日射しは強かったけれど日陰に入れば涼しいと感じた。
 念のため、持ってきたシートパックを使ったところ、ヒリヒリするようなことはなかったのでほっとした。そんなに酷く日焼けをした訳ではなさそうだ。前半は一応真面目に差していた傘のおかげだろうか。
 23時30分くらいに就寝した。


<この日の服装>
 タンクトップ、長袖シャツ、カーゴパンツ


<歩数計>
 ヨルダン時間9月20日18時から21日18時まで 30213歩
 (この歩数には、ペトラ・バイ・ナイトで歩いた分が含まれている)


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