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2011.04.17

ヨルダン・エジプト旅行記7日目その2

2010年9月24日(金曜日)


朝食 ホテルに戻ったのが9時少し前、10時30分に出発する予定だ。セント・カトリーヌ寺院の見学時間が限られているためらしい。
 少し迷って、そのままの格好で部屋にも寄らず、レストランに直行した。
 お腹は空いている筈なのに全然喉を通る気がしない。水気のあるものが食べたいのでトマトとキュウリ、パンは食べる気がしなかったので、パウンドケーキを食べる。
 酸っぱいカルカデのジュースが美味しい。ごくごく飲む。


 部屋に戻り、シャワーを浴び、髪を乾かす時間はないので水の要らないシャンプーを使ってサッパリさせる。
 着替え、荷造りをし、10時30分ギリギリに集合場所に行った。
 バスは先ほどの登山口に逆戻りである。セント・カトリーヌ寺院までは少し離れているし、暑いし、乗り合いタクシーは1人1ドルと言われる。かなり惹かれつつ、「どうしてここでタクシー?」という気分もあって歩く。暑い。せっかく着替えたのにまた汗だくになってしまった。
 今日、この後はほとんど観光はあるまいと踏んだ私の見込みはどうも間違っていたようだ。


セント・カトリーヌ寺院の壁 まだ開門時刻になっておらず、しばし、ガイドさんの説明を聞きつつ外で待機する。
 この日は金曜だったため、見学時間がいつもよりも短い。金曜日はイスラム教の安息日である。
 セント・カトリーヌ寺院は、紀元3世紀にヘレナ女王がキリスト教に入信してその原型となる修道院を建てたのが始まりだ。560年ころに外壁を追加し、外敵から身を守るためにエレベーターで出入りしていたという。このエレベータは内側で動物が引っ張る仕組みだったらしい。
 聖カトリーヌの父王はキリスト教を迫害した人物で、彼女の遺体を天使が山の上に運んだという伝説が残っている。


燃える柴 シナイ山とセント・カトリーヌ寺院が「聖地」と言われるのは、聖カトリーヌの存在故ではなく、モーセがシナイ山の麓で燃え尽きない柴を見、シナイ山に登って十戒を授かったためである。
 ここは、キリスト教の聖地であるだけでなく、イスラム教の聖地でもある。モーセが妻と出会った井戸もあり、燃える柴もある。
 この柴の木は、2010年8月までは側まで行くことができた。近づいて願いごとを書いた紙を結ぶ人が余りにも多かったため、今月からロープが張られて近づくことができなくなってしまったそうだ。僅かの差で残念なことである。


 セント・カトリーヌ寺院の中には19世紀にモスクが建てられたものの、メッカの方向を示す印が間違っていたためにその後使われなくなってしまっている。印くらい付け直せばいいのではと思ったけれど、きっとそういうものではないのだろう。
 この寺院の中には、聖カトリーヌの遺骨などが納められたイギリス正教会の教会もあって、内部は金が多用されてもの凄く豪奢だった。


 11時50分に出発し、一路、バスはカイロを目指した。高速道路ではシートベルトを付けてくださいと言われる。日本みたいだ。
 今日は金曜日だからいつもよりは道路が空いているだろうとガイドさんが言う。
 イスラム教徒のお祈りはどこでやってもいいけれど、金曜日の13時のお祈りだけは男性は全員集まらないといけないらしい。そこでは説教師が現代の問題(例えば結婚適齢期が上がっている問題など)について演説(説教)をすると聞いて、何だかヘンなの、と思う。


 セント・カトリーヌ村を出るときにパスポートチェックを受けた。何故ここでパスポートチェックがあったのかは不明である。
 13時過ぎに一度トイレ休憩を取り、14時30分過ぎにバスは「ファラオの温泉」に到着した。
 朝食が遅かったとはいえ、かなり控えめな量しか食べなかったので、何となくお腹が空いている。でも、見学が先である。
 バスの車内で簡単につまめるような、少しお腹に溜まるような副食を持って行くか現地で買うかした方が良かったようだ。


ファラオの温泉 ファラオの温泉は、紅海の海岸沿いにある崖の窪みの奥に温泉が湧き、サウナのようになっているらしい。
 誰とは特定できないけれど、歴代のファラオが利用していた場所だとガイドさんが言う。
 少し前まではすぐ近くまでバスで行けたらしい。今は途中の道路が崩れてしまっているので手前でバスを降りて歩いて行くしかない。
 今も現役で使われていて、少年が覗いているその奥に何人かがサウナを楽しんでいた。そこを代わる代わる覗き込むのだから、我々もかなり迷惑な観光客である。


昼食昼食


 かなりお腹がぺこぺこになった頃、15時くらいにバスは紅海沿いのリゾートホテル"Moon Beach”に到着した。このホテルのレストランで昼食である。
 冷たいものをごくごく飲みたくてレモンジュースを頼む。しかし、このレモンジュース(20エジプシャンポンド)の記憶が見事にない。写真も撮っていない。よっぽど喉が渇いていたらしい。
 ランチは、野菜サラダもパンもタヒーナも白身魚のフライも美味しかった。前に来たときも含めて、エジプトでごはんが美味しいと思ったのは初めてだ。
 ガイドさんに魚の種類を聞いたところ、「紅海で獲れた魚であることは確かですが、名前は私も知りません。すみません。」ということだった。残念である。
 デザートのスイカも瑞々しくて美味しかった。


 昼食後、このレストランでお土産のTシャツの説明があった。
 見本が用意され、ヒエログリフで名前を入れることができます、Tシャツとポロシャツがあります、注文は今日中にもらって明日お届けします、という話だ。
 前回来たときに買っていた私は適当に聞き流した。買おうという人はかなり多かったように思う。


モーセの泉 昼食後、バスは紅海沿いにひたすらスエズ運河を目指した。
 そのスエズ運河が見えてきたところで、モーセの泉に立ち寄った。
 モーセの泉といわれる場所はエジプト全体で12個あり、ここにそのうちの三つが集まっているという。
 嘘だよねと思いつつ、井戸を覗き込む。確かに水はまだある。かなり濁っていて、ここの水を飲みたいとは思わない。間違いなくお腹を壊すだろう。
 井戸としてはもう使われておらず、観光資源とするにはサービス精神が今ひとつで、観光地一歩手前という感じの場所だ。


スエズ運河


 しかし、ここからはスエズ運河が見える。スエズ運河は10年かけて紅海と地中海を結んだそうだ。2002年に日本の鹿島建設が水漏れの補修工事を行いましたと、どことなく誇らしげに説明するガイドさんが可笑しい。何かと思ったら、彼はアルジェリアで鹿島建設の通訳の仕事をしていたことがあって、随分と親しみを持っているようだ。
 スエズ運河には最近になって日本のODAにより橋もかかっている。今回はトンネルを抜けて行く。
 ガイドさんが言うには、アラビア語と日本語との通訳はエジプトにしかいないそうだ。エジプトとアルジェリアとの関係が悪化し、アルジェリアからエジプト人通訳がみな帰国してしまったので、工事は困っている筈だと彼は強調する。


 これまで走ってきたシナイ半島は、古代エジプト人にとっても非常に重要な場所だったらしい。
 一つは宝石をたくさん算出したこと、もう一つは交易路として発達していたことによる。キリスト教やイスラム教の聖地としての意味だけではなく、現実的な価値があったというのが何となく楽しい。


スエズトンネル入口 ガイドさんが、カイロ到着時刻として予告していた17時30分の少し前、バスはとうとうスエズトンネルに突入した。
 かなり長い。しかし、要するにトンネルである。通っている間はどうということもない。
 それよりも驚いたのは、高速道路を走っている間はドライバーの交代要員がバスに乗っている必要があるらしく、高速道路を降りてすぐの本当に何もないような交差点で彼が降りて行ったことである。
 こんなところで降ろされちゃってどうするの? と聞いたら、バスを待ちます、という返事だった。


 カイロとは、古代エジプト語で「勝利の街」という意味である。
 そして、カイロについて、イスラム教の街なので治安は非常にいいので出かけるのは簡単だけれど、交通事情が非常に悪いので、これはお願いだけれど道を横断しないで欲しいとガイドさんが言う。
 それは「出かけるな」と言っているのと同じではないかと思う。
 スエズトンネルからさらに2時間ほど走ってカイロに到着し、ホテルにチェックインする前に夕食のレストランに行った。


ビール ガイドさんは「中華料理です。」と言う。韓国料理と中華料理の合体という感じのレストランだった。名前も「KIM'S Restaurant」だから、どちらかというと韓国料理っぽい。別のツアーのグループが食事をしていて、そちらではビビンバを食べていらした。
 何だか久しぶりにアルコールのメニューを見た気がして、サッカラビール(35エジプトポンド)を頼んだ。
 同じテーブルの方が白ワインを注文したら、ガイドさんが首を振って「お勧めしません。」とキッパリと言う。頼んだ方は迷いつつ、初志貫徹で白ワインのオーダーのままで通すことにしたらしい。
 「どうですか?」と聞いたら、「うーん。」と苦笑いされていた。エジプトワインは赤ワインの方がいいようだ。


 このツアーにはナイル川クルーズや、ベリーダンスのショーなどは付いていない。
 添乗員さんは、ショーだけでも見に行ければと言っていたけれど、ガイドさんが「食事付きではないお店に行くことはできますが、お勧めできません。」と言い、残念ながら次の機会にということになった。


シェラトン この日、ホテルの部屋に入ったのは21時30分過ぎだった。
 カイロ・シェラトンホテルである。
 ナイル・ビュー確約で、バルコニーに出たら、そこには無駄に美しいカイロの夜景が広がっていた。ダブルベッドルームでこの眺望、一人で泊まるのは申し訳ない限りである。
 シェラトンホテルはナイル川西岸にあり、ナイル川西岸は「カイロ」ではなく「ギザ」なのだ、と言われて頭が混乱した。


<この日の服装>
 半袖Tシャツ、タオル地パーカ、ジーンズのスカート
 (登山で足が疲れ果てていたので、ほとんどずっとビーチサンダルで過ごした・・・。)


<歩数計>
 ヨルダン・エジプト時間9月23日18時から24日18時まで 25401歩


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