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2011.04.24

「47都道府県女ひとりで行ってみよう」を読む

 益田ミリの著作は「すーちゃん」のシリーズも読んだことはなく、でも、「すーちゃん」のシリーズのことは知っていて、かつ、恐らく読めば近しいものを感じるのだろうなとは思っていた。

 そこへ、「47都道府県女ひとりで行ってみよう」などというタイトルの文庫本を見つければ、それは即買して読むに決まっている。

 この本は、文字通り、益田ミリが1ヶ月に1度、1県ずつ、4年をかけて47都道府県を旅した記録である。
 ちなみに、日帰り旅行も「旅行」に含め、今まで行ったことのある都道府県も改めて再訪し、でも、行ったときには長野県だった馬籠宿が岐阜県になってしまった後、彼女が出かけたのは長野県ではなく岐阜県だった。
 そういうルールにしたんだ、と思えばいいのだろう。

 旅を重ねるに従って、ふれあいなんて求めなくてもいい、無理に地元の名産を食べなくてもいい、と旅が自由になっていくのがいい感じである。
 もっとも、私は前者はともかくとして、後者はぜひ食べたいと思うタイプではある。

 あとがきだったかで、「こういうことを(やろうと思えば)やれる人生を自分は選んだのだ」という趣旨のことが書かれていたけれど、それは私も同じだなぁ、というのが、この本を読んで一番強く思ったことだった。
 私も、やろうと思えば、毎月1県ずつ旅することは可能だ。できる。
 でも私はその企画はちょっと無茶だなと思うし、ちょっと無茶なことは多分やらない。
 でも、ぜひ、一生のうちに全都道府県制覇を成し遂げたいと思ったのだった。

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2011.04.17

ヨルダン・エジプト旅行記7日目その2

2010年9月24日(金曜日)


朝食 ホテルに戻ったのが9時少し前、10時30分に出発する予定だ。セント・カトリーヌ寺院の見学時間が限られているためらしい。
 少し迷って、そのままの格好で部屋にも寄らず、レストランに直行した。
 お腹は空いている筈なのに全然喉を通る気がしない。水気のあるものが食べたいのでトマトとキュウリ、パンは食べる気がしなかったので、パウンドケーキを食べる。
 酸っぱいカルカデのジュースが美味しい。ごくごく飲む。


 部屋に戻り、シャワーを浴び、髪を乾かす時間はないので水の要らないシャンプーを使ってサッパリさせる。
 着替え、荷造りをし、10時30分ギリギリに集合場所に行った。
 バスは先ほどの登山口に逆戻りである。セント・カトリーヌ寺院までは少し離れているし、暑いし、乗り合いタクシーは1人1ドルと言われる。かなり惹かれつつ、「どうしてここでタクシー?」という気分もあって歩く。暑い。せっかく着替えたのにまた汗だくになってしまった。
 今日、この後はほとんど観光はあるまいと踏んだ私の見込みはどうも間違っていたようだ。


セント・カトリーヌ寺院の壁 まだ開門時刻になっておらず、しばし、ガイドさんの説明を聞きつつ外で待機する。
 この日は金曜だったため、見学時間がいつもよりも短い。金曜日はイスラム教の安息日である。
 セント・カトリーヌ寺院は、紀元3世紀にヘレナ女王がキリスト教に入信してその原型となる修道院を建てたのが始まりだ。560年ころに外壁を追加し、外敵から身を守るためにエレベーターで出入りしていたという。このエレベータは内側で動物が引っ張る仕組みだったらしい。
 聖カトリーヌの父王はキリスト教を迫害した人物で、彼女の遺体を天使が山の上に運んだという伝説が残っている。


燃える柴 シナイ山とセント・カトリーヌ寺院が「聖地」と言われるのは、聖カトリーヌの存在故ではなく、モーセがシナイ山の麓で燃え尽きない柴を見、シナイ山に登って十戒を授かったためである。
 ここは、キリスト教の聖地であるだけでなく、イスラム教の聖地でもある。モーセが妻と出会った井戸もあり、燃える柴もある。
 この柴の木は、2010年8月までは側まで行くことができた。近づいて願いごとを書いた紙を結ぶ人が余りにも多かったため、今月からロープが張られて近づくことができなくなってしまったそうだ。僅かの差で残念なことである。


 セント・カトリーヌ寺院の中には19世紀にモスクが建てられたものの、メッカの方向を示す印が間違っていたためにその後使われなくなってしまっている。印くらい付け直せばいいのではと思ったけれど、きっとそういうものではないのだろう。
 この寺院の中には、聖カトリーヌの遺骨などが納められたイギリス正教会の教会もあって、内部は金が多用されてもの凄く豪奢だった。


 11時50分に出発し、一路、バスはカイロを目指した。高速道路ではシートベルトを付けてくださいと言われる。日本みたいだ。
 今日は金曜日だからいつもよりは道路が空いているだろうとガイドさんが言う。
 イスラム教徒のお祈りはどこでやってもいいけれど、金曜日の13時のお祈りだけは男性は全員集まらないといけないらしい。そこでは説教師が現代の問題(例えば結婚適齢期が上がっている問題など)について演説(説教)をすると聞いて、何だかヘンなの、と思う。


 セント・カトリーヌ村を出るときにパスポートチェックを受けた。何故ここでパスポートチェックがあったのかは不明である。
 13時過ぎに一度トイレ休憩を取り、14時30分過ぎにバスは「ファラオの温泉」に到着した。
 朝食が遅かったとはいえ、かなり控えめな量しか食べなかったので、何となくお腹が空いている。でも、見学が先である。
 バスの車内で簡単につまめるような、少しお腹に溜まるような副食を持って行くか現地で買うかした方が良かったようだ。


ファラオの温泉 ファラオの温泉は、紅海の海岸沿いにある崖の窪みの奥に温泉が湧き、サウナのようになっているらしい。
 誰とは特定できないけれど、歴代のファラオが利用していた場所だとガイドさんが言う。
 少し前まではすぐ近くまでバスで行けたらしい。今は途中の道路が崩れてしまっているので手前でバスを降りて歩いて行くしかない。
 今も現役で使われていて、少年が覗いているその奥に何人かがサウナを楽しんでいた。そこを代わる代わる覗き込むのだから、我々もかなり迷惑な観光客である。


昼食昼食


 かなりお腹がぺこぺこになった頃、15時くらいにバスは紅海沿いのリゾートホテル"Moon Beach”に到着した。このホテルのレストランで昼食である。
 冷たいものをごくごく飲みたくてレモンジュースを頼む。しかし、このレモンジュース(20エジプシャンポンド)の記憶が見事にない。写真も撮っていない。よっぽど喉が渇いていたらしい。
 ランチは、野菜サラダもパンもタヒーナも白身魚のフライも美味しかった。前に来たときも含めて、エジプトでごはんが美味しいと思ったのは初めてだ。
 ガイドさんに魚の種類を聞いたところ、「紅海で獲れた魚であることは確かですが、名前は私も知りません。すみません。」ということだった。残念である。
 デザートのスイカも瑞々しくて美味しかった。


 昼食後、このレストランでお土産のTシャツの説明があった。
 見本が用意され、ヒエログリフで名前を入れることができます、Tシャツとポロシャツがあります、注文は今日中にもらって明日お届けします、という話だ。
 前回来たときに買っていた私は適当に聞き流した。買おうという人はかなり多かったように思う。


モーセの泉 昼食後、バスは紅海沿いにひたすらスエズ運河を目指した。
 そのスエズ運河が見えてきたところで、モーセの泉に立ち寄った。
 モーセの泉といわれる場所はエジプト全体で12個あり、ここにそのうちの三つが集まっているという。
 嘘だよねと思いつつ、井戸を覗き込む。確かに水はまだある。かなり濁っていて、ここの水を飲みたいとは思わない。間違いなくお腹を壊すだろう。
 井戸としてはもう使われておらず、観光資源とするにはサービス精神が今ひとつで、観光地一歩手前という感じの場所だ。


スエズ運河


 しかし、ここからはスエズ運河が見える。スエズ運河は10年かけて紅海と地中海を結んだそうだ。2002年に日本の鹿島建設が水漏れの補修工事を行いましたと、どことなく誇らしげに説明するガイドさんが可笑しい。何かと思ったら、彼はアルジェリアで鹿島建設の通訳の仕事をしていたことがあって、随分と親しみを持っているようだ。
 スエズ運河には最近になって日本のODAにより橋もかかっている。今回はトンネルを抜けて行く。
 ガイドさんが言うには、アラビア語と日本語との通訳はエジプトにしかいないそうだ。エジプトとアルジェリアとの関係が悪化し、アルジェリアからエジプト人通訳がみな帰国してしまったので、工事は困っている筈だと彼は強調する。


 これまで走ってきたシナイ半島は、古代エジプト人にとっても非常に重要な場所だったらしい。
 一つは宝石をたくさん算出したこと、もう一つは交易路として発達していたことによる。キリスト教やイスラム教の聖地としての意味だけではなく、現実的な価値があったというのが何となく楽しい。


スエズトンネル入口 ガイドさんが、カイロ到着時刻として予告していた17時30分の少し前、バスはとうとうスエズトンネルに突入した。
 かなり長い。しかし、要するにトンネルである。通っている間はどうということもない。
 それよりも驚いたのは、高速道路を走っている間はドライバーの交代要員がバスに乗っている必要があるらしく、高速道路を降りてすぐの本当に何もないような交差点で彼が降りて行ったことである。
 こんなところで降ろされちゃってどうするの? と聞いたら、バスを待ちます、という返事だった。


 カイロとは、古代エジプト語で「勝利の街」という意味である。
 そして、カイロについて、イスラム教の街なので治安は非常にいいので出かけるのは簡単だけれど、交通事情が非常に悪いので、これはお願いだけれど道を横断しないで欲しいとガイドさんが言う。
 それは「出かけるな」と言っているのと同じではないかと思う。
 スエズトンネルからさらに2時間ほど走ってカイロに到着し、ホテルにチェックインする前に夕食のレストランに行った。


ビール ガイドさんは「中華料理です。」と言う。韓国料理と中華料理の合体という感じのレストランだった。名前も「KIM'S Restaurant」だから、どちらかというと韓国料理っぽい。別のツアーのグループが食事をしていて、そちらではビビンバを食べていらした。
 何だか久しぶりにアルコールのメニューを見た気がして、サッカラビール(35エジプトポンド)を頼んだ。
 同じテーブルの方が白ワインを注文したら、ガイドさんが首を振って「お勧めしません。」とキッパリと言う。頼んだ方は迷いつつ、初志貫徹で白ワインのオーダーのままで通すことにしたらしい。
 「どうですか?」と聞いたら、「うーん。」と苦笑いされていた。エジプトワインは赤ワインの方がいいようだ。


 このツアーにはナイル川クルーズや、ベリーダンスのショーなどは付いていない。
 添乗員さんは、ショーだけでも見に行ければと言っていたけれど、ガイドさんが「食事付きではないお店に行くことはできますが、お勧めできません。」と言い、残念ながら次の機会にということになった。


シェラトン この日、ホテルの部屋に入ったのは21時30分過ぎだった。
 カイロ・シェラトンホテルである。
 ナイル・ビュー確約で、バルコニーに出たら、そこには無駄に美しいカイロの夜景が広がっていた。ダブルベッドルームでこの眺望、一人で泊まるのは申し訳ない限りである。
 シェラトンホテルはナイル川西岸にあり、ナイル川西岸は「カイロ」ではなく「ギザ」なのだ、と言われて頭が混乱した。


<この日の服装>
 半袖Tシャツ、タオル地パーカ、ジーンズのスカート
 (登山で足が疲れ果てていたので、ほとんどずっとビーチサンダルで過ごした・・・。)


<歩数計>
 ヨルダン・エジプト時間9月23日18時から24日18時まで 25401歩


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2011.04.03

ヨルダン・エジプト旅行記7日目その1

2010年9月24日(金曜日)


 これを朝と言っていいか迷う。この日の起床は1時10分だった。
 1時30分にモーニングコールと言われたものの、30分で身支度をして出発するのはちょっと厳しい。
 下は10度くらい、上は2〜3度の予報を聞いていたので、フリースと雨具の上下をリュックに詰め込む。ガイドさんに、山道にお手洗いはない(あっても使うのにかなり勇気が必要な)ので、出発前にあまり食べない方がいいと言われていたので、エネルギー補給に昨日のランチバッグの中にあったバナナだけ食べる。
 添乗員さんは逆に「お腹が空いたとおっしゃるお客様が多い。」と言っていたので、飴とゼリー飲料をリュックに入れる。


 ここで、最後まで迷ったのがストックである。熊野古道に行ったときに「ストックがあるとないのとでは疲労度が全く違う。特にダブルストックにすればとても楽だ。」と聞いていたし、どうしても歩いて登りたいと思っていたし、それならばストックの力を借りようとわざわざこのために購入して持参していた。果たして持って行くべきか否か。
 そんなものを持っていたらちょっと恥ずかしいんじゃないかなどと余計な見栄も出てきたけれど、体力のない私には必要な助っ人である。葛藤の末、結局、1本だけ持って行くことにした。


 2時にレストラン前に集合し、バスに乗ってセント・カタリーナ修道院まで運んでもらい、まずはラクダ乗り場(?)まで歩いた。
 このときのガイドさんの足取りがとにかく速かった。体力のない私からすると「ほとんど小走り」という感じで息が切れる。ラクダ乗り場に着いたときに、ラクダに乗ると言った人が半分弱ほどもいたのは、このガイドさんの足取りに恐れをなしたからという理由もあったに違いない。
 ガイドさんは、兵役のときに暑い夏の日中にシナイ山に登る訓練があったとも言っていたし、まだ20代の若者(男性)である。


 添乗員さんを含め、ラクダ組は次々とラクダに乗せられて出発して行く。乗らないつもりで確認しなかったけれど、いくらだったのだろう?
 何しろ月明かりしかないのでメモを書くどころではなく、少しでも荷物を軽くしたかったのでICレコーダーも持っておらず、ガイドさんに「カメラはしまってください。」と言われて大人しくポケットにしまったので、シナイ山登山中については全く記録を残していない。
 ガイドさんに、登山中は写真を撮るな、遅れずについて来い、遅れずについて来られないなら登るのを諦めろ、と言われたことを覚えている。


 しかし、私が遅れずに登れるわけがない。体力のなさには自信がある。
 歩き組は、ガイドさんと現地の高校生らしい男の子のアルバイト君との二人に連れられ、2時30分過ぎに出発した。そして、私は、あっという間に遅れた。
 カーブで少し広くなったところに集まって水を飲んだりした最初の休憩のときに、上着を脱ぎつつ「もっとゆっくり行こうよ〜。」とガイドさんに訴えたら、「これでも相当にゆっくりですよ。」とあっさり言われてしまった。かなり遅れることになるだろうと覚悟する。
 若い女の子達は足もとがクロックスの子も含め、普通にガイドさんと同じペースで登っている。私が「遅すぎる」のだ。


 満月に近い月が出ていて、道筋は明るい。月ってこんなに明るかったのだなと思う。持参したヘッドランプもすぐにリュックにしまった。途中で1カ所だけ、月が山の向こうに回ってしまって道が暗くなったときは、ちょっと困った。
 タオルを手に持って汗を拭き、ストックに思いっきり全体重をかけ、息を切らせつつ登る。
 テレビで「歌を歌いながら登ると疲れない」とやっていたけれど、声を出す余裕はない。喉が絞められる感じがする。
 それでも、30分弱かかった3時5分過ぎ、第1の休憩所に到着した。休憩時ならいいだろうと、タイムスタンプ代わりにシャッターを切る。ブレブレだけれど仕方がない。
 毛布が敷かれた石に座らせてもらい、なるべくゆっくりと水を飲んで休憩する。


 ここまで歩いて登ってきたお嬢さんの一人が「私はここで待っています。」と言い出した。相当に疲労してしまったらしい。富士山に登ったばかりだと言っていたから、体力不足というよりも、旅行の疲れや睡眠不足が原因だろう。
 ガイドさんは「ここで待つとなると、待ち時間が相当に長くなるし、人通りも少なくなる。」としばらく考え込んだ。最終的に、ここからもラクダに乗せてもらえるのでとにかく上の休憩所まで行きましょう、そこまでで元気を取り戻せたら山頂を目指したらいいし、もし難しいなら上の休憩所で休めば人もいるし待ち時間も短い、という話になった。


 「あまり長く休むと却って疲れる」というガイドさんの方針で、5分もしないうちに出発となった。ここからラクダに乗ることになったお嬢さんは、アルバイト君と一緒にラクダ乗り場を目指して下って行く。
 この辺りからはもう、とにかく苦しかったということと、ストックが曲がるんじゃないかと思うくらいに体重をかけていたことくらいしか覚えていない。
 写真のタイムスタンプを見ると、第2の休憩所に到着したのは3時25分くらいで、この間15分くらいしか歩いていない。「そんな筈はない」としか思えない。


第3休憩所 第3の休憩所であり、ラクダの終点でもあるお茶屋さんに到着したのは、3時40分くらいだった。
 休憩時間を考えると10分強しか歩いていない。おかしい、そんな筈はないとしか言えない。
 登っている間、ラクダが来れば道を譲っていた。しかし、それほど多く道を譲ったという記憶がない。ツアーの方が乗っているラクダを見かけた記憶もない。
 その通り、合流地点の休憩所に着いてみれば、ラクダ組はほとんど到着していなかった。結構、がんばって歩いたらしい。


 ラクダ組を待って、しばし休憩である。
 ここで相当長時間の休憩を取った記憶なのに、写真のタイムスタンプを見ると実際は20分程度のものだったらしい。段々寒くなってきたので、建物の中に入って座らせてもらう。眠いな−、このまま寝ちゃうと死んじゃうか? と思っていたら、ツアーの方が飴をくださった。「何だかもの凄く疲れて眠そうですよ。」とおっしゃる。バレバレだったようだ。
 荷物を軽くする意味もあり、元気回復のために、ゼリー飲料を一つ飲む。
 この休憩所にはペットボトルの飲み物や、カップラーメンなども売られていた。コーラを買った方が、一言「温い。」と言って笑っていた。


 ラクダ組の最後のお一人がなかなか現れない。添乗員さんがここで待つことになり、また、ここまでラクダで登ってきたお一方が「ここで待つことにします。」とおっしゃり、逆に途中の休憩所からラクダに乗ったお嬢さんは「行けそう。」ということになって、山頂を目指すグループは4時くらいに休憩所を出発した。
 ここからは全員が歩きである。


 これまでは、一段一段が長めの階段や道を歩いて来た。ここから先は普通の階段を登って行く。
 これがまた、キツイ。とにかく、後ろから来た人には次々と「お先にどうぞ。」と道を譲る。
 ロシア正教を信仰しているというおばあさんが一歩一歩荒い息をついて登っており、こちらもがんばらねばと思う。
 途中で、「来ない来ない。」と探していたツアーの方がいらっしゃった。落ち合う場所を勘違いされて、少し上がったところで待っていたそうだ。「僕が添乗員さんに知らせて来ますよ。」と登って来た道を走って引き返して行かれたツアー参加者の方を、心の底から尊敬した。


最後の休憩所 休み休み1時間ほども登り、最後の休憩所に到着した。ここは結構広くなっていて、山頂まであともう少しという地点である。上に行ってしまうと吹きさらしで寒いし、場所も狭いので、ここで時間調整を兼ねて休憩している人も多い。
 ツアーの方が2〜3人いらしたので何となく一緒に15分くらいもおしゃべりしていたら、ツアーのしんがりである添乗員さんたちが到着した。聞いたところによると、添乗員さんはほぼ完徹で山登りをしてきたらしい。前半はラクダに乗ったとはいえ、そのラクダも決して楽ではないらしく、本当にお疲れのようだった。


 ここからは、ひたすら階段を真っ直ぐ上るイメージだ。周りが暗いので、実際はどういうところを登っているのか、全く判らない。
 20分ほど休憩を取ったのが良かったのか、この後は比較的楽に山頂までたどり着けたような気がする。15分ほど登り、5時35分に山頂に到着した。


 山頂からは月がきれいに見えた。
 風が強くて寒い。東の空が見える位置を探して座り込み、持ってきた服を全部着込む。
 人がどんどん増えてくる。
 こう言っては何だけど、特別に宗教的な何かとか敬虔な気持ちにはならなかった。
 とにかく寒くて、人が多くて、早く太陽が昇って欲しい。それだけである。


夜明け 6時過ぎ、空はピンクに明るくなった。
 山の端辺りにかなり厚い雲があるようで、日の出の瞬間は拝めそうにない。もはや、すでに日は昇っているのではなかろうか。
 それでもしばらくは、ぱーっと明るい日の光が山々を照らして赤く輝くように見えるのではないかと待っていた。
 仕方がない。
 6時30分くらいにとうとう諦め、ツアーメンバーは三々五々、山を降り始めた。


シナイ山頂の教会 シナイ山頂には教会がある。この教会の陰で風に当たらないように守ってもらえるような位置に自分がいたことは、日が昇って周りが明るくなってから気がついた。
 この教会は「聖三位のチャペル」という名前で、元々は6世紀に建てられ、21世紀に入って建て直されている。そう言われると、折角なら古いままのものを見たかったなと思う。もっとも、シナイ山頂にいたときは「自分の足で登った」ことと「日の出を見られなかった」ことで頭がいっぱいで、それどころではなかった。


 それどころではないと言えば、シナイ山は、モーゼが十戒を授かった地と言われている。
 正確には、モーゼが十戒を授かったシナイ山は多分この山だろうと言われている。
 出発前に「出エジプト記」を読み映画「十戒」を見て、心の準備を万端に整えたつもりだったのに、シナイ山を登っているときも下っているときも、そんなことはつゆほども思い出さなかった。


朝の月 シナイ山頂からの眺めは茫漠としている。
 空がピンクに染まった、日が昇るだろう方向とはちょうど逆向きの、月が沈みかけている空だ。
 お天気が良ければ、この山々は朝日に照らされてオレンジや赤に輝くだろう。その景色は拝めなかったけれど、それでも、この景色はなかなかいいものだと思う。
 未練がましく後ろを振り返り振り返りしながら、ツアーのしんがりになって下山を始めたところ、添乗員さんが大きく声を上げるのが聞こえた。
 何かと思ってそちらを見てみると、随分高く昇った太陽が、オレンジに染まった雲の向こうから白い姿を透かして見せてくれていた。


 これが、私の、シナイ山から見た日の出である。
 この太陽を見たとき、「朝日のような夕日をつれて」という言葉が浮かんだ。
 よく考えると逆の光景である。でも、何故だか浮かんだ。


山道 思う存分太陽の写真を撮り、6時45分頃、再び下山を始めた。
 その山道を振り返ると、岩がゴツゴツとしていて足下が悪い。
 しみじみと、登るときは暗くて良かった、下るときは明るくて良かった、と思う。
 登っているときにこんなに急で危なっかしい道だと判っていたら、挫折する可能性が200%くらいアップしていたと思う。何しろ、私は根性なしだ。
 山の端にあった厚い雲を通り過ぎて姿を見せた太陽に照らされた山々は、やっぱり見応えがあった。


 ガイドさんはとっくの昔に下山を開始していたらしく、下山途中に姿を見ることはなかった。ストックの長さを伸ばしてその力を借り、でも片手にカメラをぶら下げて下山する。
 ガイドさんがいないのをいいことに、写真も撮りまくる。
 それでも、ラクダ組との合流地点だった第3の休憩所まで、日の出の写真を撮りまくった地点から30分強で戻ることができた。
 登りと違って下りは早い。


 第3の休憩所から10分くらい下った場所で、シナイ山全景を振り仰ぐことができた。
 多分、これが私が初めて自分の目で見たシナイ山の姿である。
 左端の建物がある辺りが山頂だ。
 思えば随分と遠く高いところまで登り、そして下りてきたものだ。


シナイ山頂 8時くらいにやっと出発地点となったセント・カタリーナ寺院を目にすることができた。ほっとする。
 そして、この辺りからもシナイ山頂を目にすることができた。
 左側に写っているのが登山道で、ずっと上の方に見える山がシナイ山である。


 セント・カタリーナ寺院にはこの後で観光のために戻って来る。今は素通りだ。
 ガイドさんがやきもきしながら待つバスに辿り着いたのは、8時30分を過ぎた頃だったと思う。添乗員さんと私ともうお一方の女性3人がしんがりだった。
 そこからバスに乗って、9時前に、セント・カタリーナ・ツーリスト・ヴィレッジに帰り着いた。
 ホテル発着の時刻を基準にすると往復7時間、セント・カタリーナ寺院発着の時刻を基準にすると往復6時間の登山は、無事、完了した。


<シナイ山登山の服装>
 タンクトップ、長袖スポーツシャツ、タオル地パーカ、スパッツ、カーキパンツ
 (山頂では、上はフリースシャツとパーカを重ね、下はレインパンツを重ねた)


 ヨルダン・エジプト旅行記6日目 <- -> ヨルダン・エジプト旅行記7日目その2

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2011.04.01

次の旅計画(国内編 覚え書き その6)を考える

 次の旅計画(海外編)を更新したので、併せて、国内編も更新することにした。

 「宿泊した=行った」と考えると、私が今現在で行ったことのある都道府県は以下のとおりである。
 それにしても、日本地図にもvisited countryのようなサービスがあればいいのにと思ったりする。

 北海道(2011冬、知床流氷 リベンジを誓う)
 宮城県(2007夏、山寺へ行って作並温泉泊)
 福島県(2009夏、裏磐梯へ)
 茨城県(高校の合宿で高萩へ)
 栃木県(2010夏、奥日光へ)
 群馬県(草津温泉に行った記憶がある)
 千葉県(2001秋、ディズニーランドとディズニーシーをはしご)
 東京都(2010秋、汐留のホテルでレディースプラン)
 神奈川県(2010GW、職場のお姉さん達と箱根へ)
 新潟県(大学のゼミ合宿で)
 富山県(2007秋、立山黒部アルペンルート)
 石川県(金沢にバスツアーで行った)
 福井県(2010冬、福井駅前に泊まって永平寺の冬の燈籠まつりへ)
 山梨県(2010冬、富士山を眺めに河口湖に)
 長野県(長野オリンピック直後に白馬へ)
 岐阜県(高山って岐阜県だったのか・・・)
 静岡県(2010GW、熱海でのんびり)
 三重県(2008冬、伊勢神宮へ)
 京都府(2010冬、宿坊体験はお預け)
 大阪府(海遊館目当てで)
 兵庫県(城崎温泉って兵庫県だったのか・・・)
 奈良県(中学の修学旅行で泊まったかな?)
 和歌山県(2006GW、熊野古道)
 岡山県(倉敷の大原美術館へ)
 広島県(高校の修学旅行以来)
 熊本県(阿蘇山へ)
 大分県(別府温泉は大分県だった・・・)
 宮崎県(高千穂へ)

 やっと過半数を超えたところらしい。先は長い。
 ところで、今現在行ってみたいところはこのとおりである。

・白神山地(世界遺産のブナの森を歩きたい)
・屋久島(世界遺産だし。美味しい水を飲みたい)
・沖縄(できれば、八重山に)
・西伊豆(海に沈む夕陽を見る)
・川原湯温泉(ダムの底に沈む前に)
・比叡山延暦寺(響きだけで行ってみたい)
・なるべく歴史の古そうな宿坊に泊まる
・四万十川を見る(実は四国に行ったことがない)
・出雲大社(縁結びの神様は実はお隣にいらっしゃるらしい)
・満開の吉野の桜を見る

・大阪の国立文楽劇場(どうせ文楽を見るのなら専用劇場で)
・イサム・ノグチ庭園美術館(香川県にあるらしく、しかも事前予約制であるらしい)
・高知県立美術館(シャガールのコレクションが1300点!)
・萩・津和野・秋吉洞(高校生の頃新井素子の「あなたにここにいてほしい」を読んで行きたいと思ったことを思い出した)
・青春18きっぷの旅をする

・羽島に行って円空仏を見る(北森鴻の小説の影響である)
・平泉で芭蕉を偲ぶ(そういえば中尊寺に行っていない)
・どんぴしゃりのタイミングで紅葉を見る(京都か奥入瀬か)

・山形県の一本桜を巡る旅(母の希望)
・ひたち海浜公園でネモフィラと海と空の3つの青を見る(地震の影響が心配である)
・高野山で宿坊に泊まる

 また思いついたら(思い出したら)追加しようと思う。

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