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2011.04.03

ヨルダン・エジプト旅行記7日目その1

2010年9月24日(金曜日)


 これを朝と言っていいか迷う。この日の起床は1時10分だった。
 1時30分にモーニングコールと言われたものの、30分で身支度をして出発するのはちょっと厳しい。
 下は10度くらい、上は2〜3度の予報を聞いていたので、フリースと雨具の上下をリュックに詰め込む。ガイドさんに、山道にお手洗いはない(あっても使うのにかなり勇気が必要な)ので、出発前にあまり食べない方がいいと言われていたので、エネルギー補給に昨日のランチバッグの中にあったバナナだけ食べる。
 添乗員さんは逆に「お腹が空いたとおっしゃるお客様が多い。」と言っていたので、飴とゼリー飲料をリュックに入れる。


 ここで、最後まで迷ったのがストックである。熊野古道に行ったときに「ストックがあるとないのとでは疲労度が全く違う。特にダブルストックにすればとても楽だ。」と聞いていたし、どうしても歩いて登りたいと思っていたし、それならばストックの力を借りようとわざわざこのために購入して持参していた。果たして持って行くべきか否か。
 そんなものを持っていたらちょっと恥ずかしいんじゃないかなどと余計な見栄も出てきたけれど、体力のない私には必要な助っ人である。葛藤の末、結局、1本だけ持って行くことにした。


 2時にレストラン前に集合し、バスに乗ってセント・カタリーナ修道院まで運んでもらい、まずはラクダ乗り場(?)まで歩いた。
 このときのガイドさんの足取りがとにかく速かった。体力のない私からすると「ほとんど小走り」という感じで息が切れる。ラクダ乗り場に着いたときに、ラクダに乗ると言った人が半分弱ほどもいたのは、このガイドさんの足取りに恐れをなしたからという理由もあったに違いない。
 ガイドさんは、兵役のときに暑い夏の日中にシナイ山に登る訓練があったとも言っていたし、まだ20代の若者(男性)である。


 添乗員さんを含め、ラクダ組は次々とラクダに乗せられて出発して行く。乗らないつもりで確認しなかったけれど、いくらだったのだろう?
 何しろ月明かりしかないのでメモを書くどころではなく、少しでも荷物を軽くしたかったのでICレコーダーも持っておらず、ガイドさんに「カメラはしまってください。」と言われて大人しくポケットにしまったので、シナイ山登山中については全く記録を残していない。
 ガイドさんに、登山中は写真を撮るな、遅れずについて来い、遅れずについて来られないなら登るのを諦めろ、と言われたことを覚えている。


 しかし、私が遅れずに登れるわけがない。体力のなさには自信がある。
 歩き組は、ガイドさんと現地の高校生らしい男の子のアルバイト君との二人に連れられ、2時30分過ぎに出発した。そして、私は、あっという間に遅れた。
 カーブで少し広くなったところに集まって水を飲んだりした最初の休憩のときに、上着を脱ぎつつ「もっとゆっくり行こうよ〜。」とガイドさんに訴えたら、「これでも相当にゆっくりですよ。」とあっさり言われてしまった。かなり遅れることになるだろうと覚悟する。
 若い女の子達は足もとがクロックスの子も含め、普通にガイドさんと同じペースで登っている。私が「遅すぎる」のだ。


 満月に近い月が出ていて、道筋は明るい。月ってこんなに明るかったのだなと思う。持参したヘッドランプもすぐにリュックにしまった。途中で1カ所だけ、月が山の向こうに回ってしまって道が暗くなったときは、ちょっと困った。
 タオルを手に持って汗を拭き、ストックに思いっきり全体重をかけ、息を切らせつつ登る。
 テレビで「歌を歌いながら登ると疲れない」とやっていたけれど、声を出す余裕はない。喉が絞められる感じがする。
 それでも、30分弱かかった3時5分過ぎ、第1の休憩所に到着した。休憩時ならいいだろうと、タイムスタンプ代わりにシャッターを切る。ブレブレだけれど仕方がない。
 毛布が敷かれた石に座らせてもらい、なるべくゆっくりと水を飲んで休憩する。


 ここまで歩いて登ってきたお嬢さんの一人が「私はここで待っています。」と言い出した。相当に疲労してしまったらしい。富士山に登ったばかりだと言っていたから、体力不足というよりも、旅行の疲れや睡眠不足が原因だろう。
 ガイドさんは「ここで待つとなると、待ち時間が相当に長くなるし、人通りも少なくなる。」としばらく考え込んだ。最終的に、ここからもラクダに乗せてもらえるのでとにかく上の休憩所まで行きましょう、そこまでで元気を取り戻せたら山頂を目指したらいいし、もし難しいなら上の休憩所で休めば人もいるし待ち時間も短い、という話になった。


 「あまり長く休むと却って疲れる」というガイドさんの方針で、5分もしないうちに出発となった。ここからラクダに乗ることになったお嬢さんは、アルバイト君と一緒にラクダ乗り場を目指して下って行く。
 この辺りからはもう、とにかく苦しかったということと、ストックが曲がるんじゃないかと思うくらいに体重をかけていたことくらいしか覚えていない。
 写真のタイムスタンプを見ると、第2の休憩所に到着したのは3時25分くらいで、この間15分くらいしか歩いていない。「そんな筈はない」としか思えない。


第3休憩所 第3の休憩所であり、ラクダの終点でもあるお茶屋さんに到着したのは、3時40分くらいだった。
 休憩時間を考えると10分強しか歩いていない。おかしい、そんな筈はないとしか言えない。
 登っている間、ラクダが来れば道を譲っていた。しかし、それほど多く道を譲ったという記憶がない。ツアーの方が乗っているラクダを見かけた記憶もない。
 その通り、合流地点の休憩所に着いてみれば、ラクダ組はほとんど到着していなかった。結構、がんばって歩いたらしい。


 ラクダ組を待って、しばし休憩である。
 ここで相当長時間の休憩を取った記憶なのに、写真のタイムスタンプを見ると実際は20分程度のものだったらしい。段々寒くなってきたので、建物の中に入って座らせてもらう。眠いな−、このまま寝ちゃうと死んじゃうか? と思っていたら、ツアーの方が飴をくださった。「何だかもの凄く疲れて眠そうですよ。」とおっしゃる。バレバレだったようだ。
 荷物を軽くする意味もあり、元気回復のために、ゼリー飲料を一つ飲む。
 この休憩所にはペットボトルの飲み物や、カップラーメンなども売られていた。コーラを買った方が、一言「温い。」と言って笑っていた。


 ラクダ組の最後のお一人がなかなか現れない。添乗員さんがここで待つことになり、また、ここまでラクダで登ってきたお一方が「ここで待つことにします。」とおっしゃり、逆に途中の休憩所からラクダに乗ったお嬢さんは「行けそう。」ということになって、山頂を目指すグループは4時くらいに休憩所を出発した。
 ここからは全員が歩きである。


 これまでは、一段一段が長めの階段や道を歩いて来た。ここから先は普通の階段を登って行く。
 これがまた、キツイ。とにかく、後ろから来た人には次々と「お先にどうぞ。」と道を譲る。
 ロシア正教を信仰しているというおばあさんが一歩一歩荒い息をついて登っており、こちらもがんばらねばと思う。
 途中で、「来ない来ない。」と探していたツアーの方がいらっしゃった。落ち合う場所を勘違いされて、少し上がったところで待っていたそうだ。「僕が添乗員さんに知らせて来ますよ。」と登って来た道を走って引き返して行かれたツアー参加者の方を、心の底から尊敬した。


最後の休憩所 休み休み1時間ほども登り、最後の休憩所に到着した。ここは結構広くなっていて、山頂まであともう少しという地点である。上に行ってしまうと吹きさらしで寒いし、場所も狭いので、ここで時間調整を兼ねて休憩している人も多い。
 ツアーの方が2〜3人いらしたので何となく一緒に15分くらいもおしゃべりしていたら、ツアーのしんがりである添乗員さんたちが到着した。聞いたところによると、添乗員さんはほぼ完徹で山登りをしてきたらしい。前半はラクダに乗ったとはいえ、そのラクダも決して楽ではないらしく、本当にお疲れのようだった。


 ここからは、ひたすら階段を真っ直ぐ上るイメージだ。周りが暗いので、実際はどういうところを登っているのか、全く判らない。
 20分ほど休憩を取ったのが良かったのか、この後は比較的楽に山頂までたどり着けたような気がする。15分ほど登り、5時35分に山頂に到着した。


 山頂からは月がきれいに見えた。
 風が強くて寒い。東の空が見える位置を探して座り込み、持ってきた服を全部着込む。
 人がどんどん増えてくる。
 こう言っては何だけど、特別に宗教的な何かとか敬虔な気持ちにはならなかった。
 とにかく寒くて、人が多くて、早く太陽が昇って欲しい。それだけである。


夜明け 6時過ぎ、空はピンクに明るくなった。
 山の端辺りにかなり厚い雲があるようで、日の出の瞬間は拝めそうにない。もはや、すでに日は昇っているのではなかろうか。
 それでもしばらくは、ぱーっと明るい日の光が山々を照らして赤く輝くように見えるのではないかと待っていた。
 仕方がない。
 6時30分くらいにとうとう諦め、ツアーメンバーは三々五々、山を降り始めた。


シナイ山頂の教会 シナイ山頂には教会がある。この教会の陰で風に当たらないように守ってもらえるような位置に自分がいたことは、日が昇って周りが明るくなってから気がついた。
 この教会は「聖三位のチャペル」という名前で、元々は6世紀に建てられ、21世紀に入って建て直されている。そう言われると、折角なら古いままのものを見たかったなと思う。もっとも、シナイ山頂にいたときは「自分の足で登った」ことと「日の出を見られなかった」ことで頭がいっぱいで、それどころではなかった。


 それどころではないと言えば、シナイ山は、モーゼが十戒を授かった地と言われている。
 正確には、モーゼが十戒を授かったシナイ山は多分この山だろうと言われている。
 出発前に「出エジプト記」を読み映画「十戒」を見て、心の準備を万端に整えたつもりだったのに、シナイ山を登っているときも下っているときも、そんなことはつゆほども思い出さなかった。


朝の月 シナイ山頂からの眺めは茫漠としている。
 空がピンクに染まった、日が昇るだろう方向とはちょうど逆向きの、月が沈みかけている空だ。
 お天気が良ければ、この山々は朝日に照らされてオレンジや赤に輝くだろう。その景色は拝めなかったけれど、それでも、この景色はなかなかいいものだと思う。
 未練がましく後ろを振り返り振り返りしながら、ツアーのしんがりになって下山を始めたところ、添乗員さんが大きく声を上げるのが聞こえた。
 何かと思ってそちらを見てみると、随分高く昇った太陽が、オレンジに染まった雲の向こうから白い姿を透かして見せてくれていた。


 これが、私の、シナイ山から見た日の出である。
 この太陽を見たとき、「朝日のような夕日をつれて」という言葉が浮かんだ。
 よく考えると逆の光景である。でも、何故だか浮かんだ。


山道 思う存分太陽の写真を撮り、6時45分頃、再び下山を始めた。
 その山道を振り返ると、岩がゴツゴツとしていて足下が悪い。
 しみじみと、登るときは暗くて良かった、下るときは明るくて良かった、と思う。
 登っているときにこんなに急で危なっかしい道だと判っていたら、挫折する可能性が200%くらいアップしていたと思う。何しろ、私は根性なしだ。
 山の端にあった厚い雲を通り過ぎて姿を見せた太陽に照らされた山々は、やっぱり見応えがあった。


 ガイドさんはとっくの昔に下山を開始していたらしく、下山途中に姿を見ることはなかった。ストックの長さを伸ばしてその力を借り、でも片手にカメラをぶら下げて下山する。
 ガイドさんがいないのをいいことに、写真も撮りまくる。
 それでも、ラクダ組との合流地点だった第3の休憩所まで、日の出の写真を撮りまくった地点から30分強で戻ることができた。
 登りと違って下りは早い。


 第3の休憩所から10分くらい下った場所で、シナイ山全景を振り仰ぐことができた。
 多分、これが私が初めて自分の目で見たシナイ山の姿である。
 左端の建物がある辺りが山頂だ。
 思えば随分と遠く高いところまで登り、そして下りてきたものだ。


シナイ山頂 8時くらいにやっと出発地点となったセント・カタリーナ寺院を目にすることができた。ほっとする。
 そして、この辺りからもシナイ山頂を目にすることができた。
 左側に写っているのが登山道で、ずっと上の方に見える山がシナイ山である。


 セント・カタリーナ寺院にはこの後で観光のために戻って来る。今は素通りだ。
 ガイドさんがやきもきしながら待つバスに辿り着いたのは、8時30分を過ぎた頃だったと思う。添乗員さんと私ともうお一方の女性3人がしんがりだった。
 そこからバスに乗って、9時前に、セント・カタリーナ・ツーリスト・ヴィレッジに帰り着いた。
 ホテル発着の時刻を基準にすると往復7時間、セント・カタリーナ寺院発着の時刻を基準にすると往復6時間の登山は、無事、完了した。


<シナイ山登山の服装>
 タンクトップ、長袖スポーツシャツ、タオル地パーカ、スパッツ、カーキパンツ
 (山頂では、上はフリースシャツとパーカを重ね、下はレインパンツを重ねた)


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