知床流氷旅行記1日目
2011年2月26日(土曜日)
ツアーの集合は、羽田空港に11時だった。
北海道に到着したらずっとバス移動だし、座席に荷物を持ち込めた方が便利だと思い、レスポのボストンバッグで来たら、羽田空港に到着した時点ですでに荷物が重くて肩に食い込んでいた。キャリーケースで来た方が良かったかもと弱気になる。
ツアーの受付カウンターで搭乗券をもらい、参加人数を聞いたら「36名です。」という回答だった。
多い!
こんなに人数の多いツアーに参加するのは初めてかも知れない。
添乗員さんから電話で「お昼ごはんは食べてきてください。」と言われたので、飛行機の中で食べようとお弁当を探してうろうろする。
羽田空港第2ターミナルの端から端まで行きつ戻りつして、【北前船のカワモトブランド】永平寺みそ焼き鯖ずし(1365円)を購入した。
バスの中でもちょっとずつ温かい物が飲めるといいなと思っていたので、国際線じゃないから大丈夫でしょうと水筒にお茶を入れて持参した。セキュリティ・チェックでは、蓋を開けて係の人が匂いを確認していた。ちょっと不思議な光景だ。
セキュリティチェック前にある機械に搭乗券の2次元バーコードをかざしてチェックインする。国内線の飛行機に乗るのは本当に久しぶりで、その進化に驚いた。
搭乗口手前でマイルが登録できるか試してみたら、団体チケットのため登録できませんという表示が出た。海外旅行だとツアーのチケットでもマイルの登録ができるし、すっかりその気でいたのでびっくりした。
ANA837便は、理由は忘れたけれど遅れ、中標津空港に到着したのは13時30分をだいぶ回ってからだった。
羽田空港で10度だった気温は、中標津ではマイナス6度だ。ターミナルビルからバスまでという短い距離しか歩いていないせいか、思ったよりも寒さを感じない。
ツアー初日の最初の予定は、網走で砕氷船おーろら号に乗ることだ。
網走から車で2時間ほどかかる中標津空港到着が13時半過ぎだったから、飛行機が着陸した時点で、予定していた15時30分発のおーろら号に乗ることができないのは確定していたようだ。
空港を出発したバスの中で添乗員さんから、15時30分発のおーろら号には間に合わないので、16時30分発の船に変更するという案内があった。
今日の午前中は高波のためおーろら号が欠航しており、14時の便から運航再開しているけれど流氷帯に入れたのは5分ほど、もし15時30分の便を出して流氷がないようなら16時30分の便は欠航すると言う。
かなりチャレンジングな状況である。
色々な流氷ツアーの行程で、どれも予定が詰まっていなかった理由がよく判った。
また、16時30分発のおーろら号に乗ると、宿到着が20時近くになり、20時から始まる知床オーロラファンタジーの前に夕食を食べることができないし、知床オーロラファンタジーを見終わって宿に戻る頃には夕食時間が終わっているので通常の夕食を食べることはできない、という案内もあった。
このツアーでは宿が2カ所に分かれていて、私が泊まる宿の場合、オーロラファンタジーに参加すると夕食はラーメン+おにぎりになります、と言われる。
結構迷って、夕食を選んだ。私は相当に食い意地が張っているというべきだろう。
バスの中で、翌日のお昼ごはんの注文の受付があった
明日の昼食はドライブインのようなところで、予め注文をしていなくても食べるのはその場所になりますと言われ、豚丼・釜飯・鮭のちゃんちゃん焼きの三択で、豚丼を頼ぶ。
この雪景色の下は、ほとんどが牧場だそうだ。
風が強く、白く霞んでいるのは地吹雪である。
風で雪が飛ばされ、動物の足跡はほとんど消えてしまっている。エゾシカやキツネ、野ウサギの足跡はよく見ることができるらしい。
キツネはモデル歩きをするので足跡は一直線になっている、という話が可笑しかった。
道路の脇には「防雪柵」が延々と続いている。吹雪になったときに雪を遮り、視界を確保するためのものだ。夏になると畳まれたり枠だけになったりするので、冬の風物詩と言えるだろう。
防雪柵の他に、道路の道幅を示す矢印(見通しがとても悪いところでは、太陽光発電の装置もついていて、夜になると光る)と、防雪柵ではとても用が足りないときのためのトンネルがところどころに作られている。大吹雪のときなどは、トンネルの中に待避するそうだ。
カムイ・ポプニカ・アーホイヤというお呪いも教えてもらった。
神様・お天気・お願い、という意味である。
3回唱えてくださいねとガイドさんに言われた。雨女の私には旅行に必須のお呪いかも知れない。
オオワシとオジロワシの違いも教えてもらった。
オオワシは、体色は焦げ茶色で、くちばしは黄色で、翼を広げるとバスの幅ほどもある。
オジロワシは、体色が茶色で、その名のとおり尾は白く、くちばしはオレンジっぽい黄色だ。
バスは、15時30分くらいに海辺に出た。
北浜駅の辺りから、かなり沖の方に流氷が白く見えた。バスの中から歓声が上がる。
おーろら号も何とか流氷帯に入れるようだ。
2011年は、2010年に比べると流氷がよく来ているものの、厚さがないために風の影響を大きく受けるようになったという。1時間で流氷の状況が変わることもあるそうだ。
16時ころ、おーろら号が出航する道の駅に到着した。
お手洗いを済まし、バスの中では暖房が効いて軽装になっていたので防寒の身支度をする。
綿入りのズボンを上から履き、カイロを持ち、帽子とマフラーを装着し、ダウンジャケットを羽織る。準備万端である。
おーろら号は2隻で運行していて、先発の船が帰って来たらその船をバックに集合写真を撮りますと言われる。残念ながら運航状況の関係で船は戻って来ず、海をバックにした集合写真となった。
いよいよおーろら号に乗船というときになって、雪が舞い始めた。その雪は本当にサラサラのパウダースノーで、こうしてコートに雪の結晶の形のままくっつくほどだ。
雪の結晶をこんなにしげしげと見たのは、多分、初めてだ。
おーろら号に乗り込むと、悪天候のためか、サンセットクルーズはそもそも乗船する人が少ないのか、船内はガラガラだ。
船に乗り込んですぐ、窓越しに外が見られる席を確保したものの、せっかちな私はそこでのんびりできず、すぐにデッキに出た。
ツアーの中には、道の駅で買い込んだプリンやお焼き、網走ビールなどを席で堪能する方もいらしたから、私は相当に落ち着きがない。
出港して10分もすると、前方に白く細い帯が見えてきた。流氷帯である。
流氷が見えた後は、1階のデッキから3階のデッキまで行ったり来たりしながら、ひたすら流氷の写真を撮ったり動画を撮ったりしていた。
流氷は残念ながら詰まってはおらず、「ガリガリと砕く」という感じではない。
でも、間違いなくこれらの氷は遠くアムール河からはるばるやってきた兵どもである。
船は三日月型に残っている流氷帯を、そのカーブに沿って突っ切ってくれたらしい。
流氷帯の中にいたのは、正味25分ほどだ。
流氷が浮いている状態なので、船は「流氷を砕いて」というよりは「流氷をかき分けて」進む。
船が流氷帯を進んでいる間中、カイロを使っているヒマもなくずっとデッキで写真と動画を撮り続けていたら、最後の頃には手がすっかりかじかんでしまった。
氷を照らしている緑色のライトは、「ライトアップ」だという説明だった。
私はてっきり、船の運航に必要なライトなのだとばかり思っていて、「うー、あの緑色のライトは邪魔だわ」などとずっと思っていた。失礼な話である。
こうして、1時間ちょうどのおーらろ号サンセットクルーズは終了した。
17時30分に下船し、10分後、ウトロに向けてバスは出発した。
水筒で持ってきた温かいお茶が嬉しい。我ながら、なかなか賢い持ち物だったと思う。
もう既に辺りは暗くなっていて、ガイドさんも「盛りだくさんのツアーなので、ゆっくり休んでください。」とおっしゃる。
1時間と少し走ったところで、バスはウトロの街の少し手前にあるオシンコシンの滝の横を通りかかった。
ライトアップされている。
停まりはしないもののゆっくりと走ってくれ、窓からライトアップを鑑賞し、頑張って写真を撮った。
19時に今夜の宿である知床プリンスホテル風なみ季に到着した。
添乗員さんから、「バスが順調に走って早めに到着できたので、夕食を急いで食べてもらい、19時45分にバスが再び迎えに来たときにロビーで待っていてもらえれば知床オーロラファンタジーにお連れします。」という案内があった。
かなりぐらっと迷ったものの、「寒いところにはもう行かない」モードに入ってしまっていたし、やっぱり夕食をゆっくりいただくことにした。
この添乗員さんのプランに乗って、ご夫婦がお一組、知床オーロラファンタジーに行かれたようだ。
19時30分くらいから、バイキングの夕食をいただいた。
オーロラファンタジーを蹴ってまで食べようと決めた以上、これは堪能するしかない。知床地ビール(800円)も頼んで、まずは蟹からである。
このホテルのバイキングの売りは、蟹と、「勝手丼」と名付けられた、自分でごはんをよそって好きなお刺身を載せて海鮮丼を作れるというメニューである。
斜め前くらいのテーブルに数少ない女性一人旅らしい方がいらして、その人がもう本当に気持ちよく蟹を次々といただいている。何だか勝手に勇気が湧いてきて、私もかなりたくさんいただいた。
この写真はそのほんの一部である。
夕食後、ロビーのお土産物屋さんを見に行った。
おぼろ昆布の実演販売をやっていて、おじさんが「手作業で削るのがおぼろ昆布で、機械で削ったものはとろろ昆布というんだ。」と言う。
「やってみたいけど、手とか切りそう。」と言ったら、おじさんは「手を切る前に昆布を削れないで切っちゃうだろう。」と笑われた。
試食でおぼろ昆布の入ったお汁を飲ませてくれ、一つ630円のところを二つ買えば1000円にしてくれると言われて有り難く購入する。
お隣のアイヌの木彫りのお店のおじさんと、何故か流氷の話になった。
知床が世界遺産に登録されたのは2005年で、皮肉なことに、登録の次の冬くらいから流氷が減ってきているそうだ。接岸した後から後からさらに流氷が押し寄せて重なり合い、厚みを増し、少しくらいの風では動かないという冬は、それ以来一度も来ていないという。
「この数十年を考えて、確かに流氷が少ない年もあったけれど、いつもは2〜3年の周期でまた厚くて動かない流氷が来ていた。ここ5年来ていないとなると、この先再び一面の流氷で海が埋め尽くされる日が来るかどうか微妙だね。」とおっしゃる。
「今年は流氷が多いって聞いたんですけど。」と聞いてみたら、海氷情報センターなどの情報は、密度は判るけれど氷の厚みまでは判らない、ポイントは厚みなのだ、というお話だった。
流氷はウトロを支点に風で左右に振られる。そのため、ウトロに流氷がある確率が高いらしい。
10年くらい前までは、冬の間は一面の氷で海は真っ白、その氷が岸から離れる前に氷が割れて青い海がその間からのぞき、それはそれは美しかったという。
いいなぁ、と思う。
流氷が次から次へと岸に押し寄せ、重なり、海の底まで流氷で埋まってしまうと、氷が岸を離れた後も浜辺に氷が残る。青い氷は波に洗われてますます青くなり、溶け、きれいなオブジェが海岸に残されたという。
20年くらい前、紋別ではそうして残された氷が海岸線で高さ10mにもなっていたというから驚く。
「オーロラファンタジーも長い間ずっとやっているし、来年なくなるということもないだろう。またおいで。」と言われた
「レーザー光線なら、ホテルのお部屋から見えるんじゃないかと思ったんですけど。」と聞いてみると、オーロラファンタジーは、海に突き出た堤防のようなところから、陸側を向いて見るようになっているそうだ。
陸 藁を焼いた煙 会場
レーザー光線-> <-見る
位置関係としてはこうなっていて、だから、陸側(ホテルのある側)から見ることはできないし、ちょっと角度が違っても見ることはできないと言う。
ホテルの部屋の電気を消してくださいと言われた意味がやっと納得できた。
そんなお話を聞いていたら、あっという間に21時を回った。オーロラファンタジーに出かけた方が次々と帰って来て、ロビーでオニオンスープなどが振る舞われている。
お店にもお客さんが次々とやってきたので場所を譲った。
このお店の木彫りは他のどこで見たものよりもいい感じで、居座ってちゃんとお買い物をすればよかった! と後悔したのは翌日のことである。
きっとお風呂は混雑するだろうと、22時過ぎまで待ってから行った。
スリッパを特定できるようにクリップが用意されていたり、バイキングのときも「食事中」というカードが用意されていたり、一人旅に優しい配慮があって嬉しい。
温泉はその時間にはかなり人も引いていて、岩盤浴もあり、内風呂も露天風呂も上手く回って独り占めできて気持ちよかった。
露天風呂の方が源泉100%だったようで、少しぬるぬるとした湯触りで、大きく動いたときなどにふっと硫黄の香りが漂う。
1時間かけて堪能した。
明日は、オプショナルの流氷ウォークを申し込んでいるので朝が早い。
23時30分に就寝した。
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