ヨルダン・エジプト旅行記8日目その1
2010年9月25日(土曜日)
6時に起きたら鼻声になっていた。空調が効いていたからかも知れない。
しかも、シナイ山登山の影響が出てきたのか、全身が筋肉痛である。
6時30分くらいに朝食を食べに行ったら、やはり朝早くから観光に出かける人が多いせいか、そもそもロビーに設けられた朝食スペースが狭いのか、大混雑で、空いたテーブルを探すにも手間取った。
うろうろしたお陰で、奥の方のスペースにこっそりとおかゆとお味噌汁があるのを発見する。
でも、やっぱり洋食が美味しそうだったので、グラノーラやフルーツ、ターメイヤコロッケなどを食べた。ストロベリージュースが美味しい。
時間に余裕があったのでホテル内にある銀行に行き、100ポンド札が崩れるかどうか聞いてみた。
「崩せるけれど1ポンド札はない」という返事だ。トイレチップのために1ポンド札が欲しかったので、それでは仕方がない。50ピアストル硬貨ならあると言われたけれど、そんなにジャラジャラさせるのも嫌だし、重いし、明日には出国だからどうにかなるだろうと両替は諦めた。
8時にホテルを出発し、45分くらいでギザのピラミッドに到着した。
喉が痛いせいか、筋肉痛のせいか、今日の観光予定場所が全て一度行ったことのある場所のせいか、どうもテンションが上がらない。よっぽど調子が悪そうに見えたらしく、添乗員さんに「大丈夫ですか?」と聞かれた。心配をかけてしまって申し訳ない。
クフ王のピラミッドに入る前に、ガイドさんの説明を聞く。
彼はピラミッドはお墓であるという説を支持しているようだ。
エジプトの天地創造の神話においては、ラー(という神様)は山の上にあって、陸地も人も造ったのであり、山はラーの象徴である。従って、山の形のお墓はラーによって守られると考えられており、ピラミッドが山の形をしているのはそのためだという。
ピラミッドは、きちんと作れるようになるまで何度も建造に失敗している。ジュセル王がサッカラに階段ピラミッドを造ったのが世界で最初のピラミッドといわれている。約4900年前のことだ。
クフ王の父であるセネフル王は、1回目のピラミッド建造に失敗し、2回目でいわゆる「屈折ピラミッド」を建造することができ、3回目の建造でやっと完璧な形のピラミッドとしては世界最古の「赤いピラミッド」を完成させることができた。
この赤いピラミッドは、ダハシュールにある。
ピラミッドはエジプト国内に現在82基あり、紀元前4900年から4200年に建造されている。それ以降は、盗掘を避けるために、王は王家の谷にこっそりひっそり埋葬されるようになったという。
クフ王のピラミッドは、元々の高さは146m、てっぺんの部分が壊れて現在は高さ137mである。第2ピラミッドといわれるカフラー王のピラミッドは現存する部分の高さが143mで、クフ王のピラミッドより高い。
ピラミッドのほとんどは石灰岩で造られ、内部は赤花崗岩が使われている。この赤花崗岩はアスワンに石切場があり、アスワンからナイル川を船で運んできたと考えられている。
クフ王のピラミッドは、正確に東西南北を向いて建造されている。また、地上部分に空洞があるピラミッドはクフ王のピラミッドだけだという。
私たちが観光でクフ王のピラミッド内部に入るときに使用するのは、盗掘に使われた入口である。
9世紀にマムール(と言っていたと思うけど自信はない)という人が強引に作った入口でだ。彼が盗みに入ったときにはクフ王のピラミッド内部は空っぽだったという。すでに盗掘されていたのか、そもそも最初から何も入っていなかったのか、どちらだろう。
クフ王のピラミッドに入ると、しばらくは下に向かって進む。クフ王のピラミッドには埋葬室が地上に一つ地下に二つ、計三つある。しかし、完成している埋葬室は一つだけである。
大回廊は長さが47m(これは太陽の船と同じ長さ)、高さが8mあって、幅は2mから1mへと段々狭くなって行く。
手すり部分にある穴の役割は未だに不明だ。
その後、水平通路があって、王の間に続いている。
王の間には壊れている棺が置かれているのみで、他には何もない。
王の間の壁に空いている穴は、従来は換気口だと考えられていたけれど、2003年の調査で外部に通じていないことが判明した。しかしまだその役割は判っていないらしい。
王の間の上にはいわゆる「重力低減の間」があり、その一番上の部屋にクフ王の名が刻まれている。
こういった説明を聞いてから、カメラを添乗員さんに預け、クフ王のピラミッドに突入した。
前回来たのは1月で、「夏には暑くて暑くて、途中で引き返してしまう人も多いです。」と言われた記憶があったし、ツアーの他の方で「ピラミッドは匂いがきつくて出てきてしまった。」とおっしゃる方もいらして、かなり戦々恐々として入る。戦々恐々としていたためか、思ったよりも大丈夫だ。
確かに汗はダラダラ流れるし、筋肉痛の全身にかがんで進まなければならない内部はかなりキツイ。それでも、さほど苦しい思いをせずに埋葬室に到着した。
前回ピラミッドに来たとき、私は通った通路以外の通路の存在に全く気がついていなかった。
ガイドブックなどにクフ王のピラミッドの断面図がよく載っていて、下降通路とか、女王の間に通じる通路とか、行けないし見られないのにどうして書いてあるんだ紛らわしい、と思っていたくらいだ。
それが、今回、下降通路と、女王の間に通じる通路と、両方の存在に気がついて、しげしげと眺めてくることができた。
女王の間に通じる通路は鉄格子で遮断されていたものの、明かりがついていて、じっくり見ることができる。
どうして前回は気がつかなかったのか、不思議なくらいである。
クフ王のピラミッドから出て、10時頃、3大ピラミッドが見渡せるビューポイントに到着した。
しかし、見えない。肉眼では、この写真よりも見にくかった。周りが明るすぎて、液晶では余計にピラミッドを確認できず、適当にシャッターを押す。
前回来たときにも砂が舞ってくっきりと見ることはできず、「きっと冬に行ったからに違いない、夏に行けば澄み渡った空の下のくっきりした三大ピラミッドが見られるに違いない」と思っていたのでショックだった。
ガイドさんに聞いてみると「季節によって違うというのではなく、日によります。運です。」という話だ。
ビューポイントから再びピラミッドの近くに戻り、フォトストップになった。
観光バスが何十台と駐車していて、どの位置に駐められたどのバスなのか、必死に覚えてから出かける。
クフ王のピラミッドに向かうツアーの方々から離れて、カフラー王のピラミッド方向に向かう。
カフラー王のピラミッドは、クフ王のピラミッドよりも地形的に少し高いところに建造されているし、一番上の部分も崩れず、逆に化粧岩が残っていて往時の姿を彷彿とさせ、格好いいと思う。
その格好いいカフラー王のピラミッドを従えているのか、カフラー王のピラミッドを守っているのか、どちらなのか今ひとつ判りにくいのがスフィンクスである。
スフィンクスは、カフラー王のピラミッドから50m手前、28m高いところに建造されている。
神殿の穴からはスフィンクスそっくりのカフラー王の座像が発見されている。カフラー王は相当にハンサムだったに違いない。
ガイドさんは、スフィンクスの鼻と額にあったコブラは、ナポレオンがエジプトを侮辱するために落としたのだと説明していた。
スフィンクスの前足の間にはドリーム・ステラと呼ばれる碑がある。
この碑文には、トトメス4世が砂に埋もれたスフィンクスを掘り出して救い、スフィンクスの助力によってファラオとなったと刻まれている。これは作り話だろうし、トトメス4世は、こうした神懸かり的な話を必要とするほど、尋常ではない即位の仕方をしたんだろうなと思う。
こうした説明を聞いてから、スフィンクス周辺で自由行動となった。
結構な混雑だ。
スフィンクスはケンタッキーフライドチキンを見つめているというのは有名な話だ。実際にスフィンクスの視線の先を見極めようとしたところ、スフィンクスのお尻の方まで行ってしまうと、私の視力ではケンタッキーフライドチキンは確認できなかった。
河岸神殿を通り抜け、特設ステージが造られている辺りを抜けた木陰に集合する。
特設ステージの手間で振り返ると、三大ピラミッドとスフィンクスを一望することができた。
この後、ツアーとしてはパピルスのお店に行くことになっていた。私も含め、金製品のお店に寄って欲しいとリクエストした人が結構いたらしく、希望者のみ金製品のお店に行くことになった。
フィリップスというそのお店は、どのガイドブックにも載っている有名店である。
ここで購入したものは、夕方にホテルに届けてくれるという。
私は、この旅行中に母が誕生日を迎えるということもあって、「ヒエログリフで名前を入れたカルトゥーシュのペンダントトップをお土産兼誕生日プレゼントに買って帰ろう」と決めていた。
だから、お買い物は早い。大きさと文字のデザイン(ときどき、二つのヒエログリフを持つアルファベットがある)を決めれば完了だ。
若い女性が多いツアーだけあって、買い物はかなり盛り上がっている。手持ちぶさたでショーケースを覗いていたら、お店の、割と偉そうなおじさんが色々と私に勧め始めた。
アンクを示されて「それはもう持ってる。」と答えると、「だったらスカラベのペンダントトップを買いなさい。そうしたらお守りが全部揃う。」、「(最初に買ったカルトゥーシュのペンダントと)二つ買うなら、**%値引きする。これは、他の人には内緒だ。」、「このペンダントトップを見ろ。他のものとは色が違う。これがベストだ。」などなどと上手い。
スカラベってふんころがしじゃんと思いつつ購入した私も相当に脇が甘い。
値引率を**にしてあるのは、お店のおじさんに「内緒だよ。」と言われたからではなく、単純に覚えていないからだ。
金製品のお店にいたのは40分くらいだったろうか。
次にパピルスのお店に行くと、金製品のお店に行かなかった方がすでに到着して、大きなお買い物をされていた。
ちょっと心惹かれるものの、飾る場所がない。前回来たときにパピルスのしおりをお土産にしているので、同じものを買って帰るのも芸のない話である。
パピルスの作り方の説明を楽しんで、20分ほどでお店を出た。
お買い物も終え、12時30分くらいからピラミッドビューのレストランで昼食をいただいた。
結構美味しかったし、お料理の写真を撮ろうとしたら「まだあるからちょっと待て。」と教えてくれた。お皿が先に来て、お料理を持ったウエイターさんたちが次々によそいに来てくれる、というサーブの仕方だったのだ。
お店のお手洗いを借りたときに小銭がなかったので「お釣り頂戴。」と言ったらちゃんとお釣りをくれたし、カメラを忘れかけたら追ってきて教えてくれたし、雰囲気の良い、いいお店だった。お店の名前をチェックしそびれたのが残念だ。
ずっと飲みたかったマンゴージュース(20ポンド)も、絞ったというか崩しただけという感じの濃厚さで美味しかったし、スズキのフライも美味しかったし、お腹いっぱい食べて満足した。
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