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2011.05.02

ヨルダン・エジプト旅行記8日目その2

2010年9月25日(土曜日)


 14時過ぎにハン・ハリーリ市場に到着した。
 この日、バスのマイク設備の調子が悪く、車中での説明もずっとイヤホンガイドで行われていた。けれど、電波の状況なのか、調子が悪いなりにバスのマイク設備と干渉し合うのか、後方の席にいると雑音しか聞こえず、説明は聞こえなくてもいいかとイヤホンガイドを切ってしまっていた。
 ガイドさんにずっと同行してもらえるのはそれなりにお金のかかるツアーの特権で、その説明を聞くことを放棄するなんて勿体ないことをしたものである。


 最後にハン・ハリーリ市場での自由行動に当たっての注意事項を言ったらしかったので、添乗員さんとガイドさんに「注意事項のところだけ、もう1回教えて。」と声をかけた。
 簡単に言うと、横道に入るな、道に迷ったらガイドさんの携帯電話に電話するように、電話はその辺りのお店どこでも貸してもらえる、リュックなどは背中に背負わずに自分の目で見えるように持て、カードは使うな、といった内容だった。
 また、この後で考古学博物館に行くので、ミイラ室に入りたい人は100エジプトポンドを残しておくように、という話もあった。


ハン・ハリーリ市場 60分1本勝負の買い物ゲームが始まった。
 まずは、希望者だけ、ガイドさんに連れられてチョコレートやネフェルタリの石鹸などが買えるお店に向かった。そこは、ハン・ハリーリの中というよりは、その横にバラックといった感じのお店を作ってある。日本語も通じるし、日本語ガイドさんに連れられたツアー客を狙います、という感じのお店だ。


 職場土産だけは確保してハン・ハリーリ市場での自由行動を楽しもうと、デーツ入りのチョコレートを買い、5つ買うと1つオマケをくれるということだったので、数に合うようにハイビスカスティーも買った。
 結果的には、ティーバッグならハン・ハリーリ市場の他のお店で買った方が安く値切ることができるし、お土産用のチョコレートも空港で購入することができたので、ここで無理に買う必要もなかったようだ。


 職場土産を手に入れて安心し、とっとと散策に向かった。
 ガイドブックのどこかで蓮やパピルスを図案化したパッチワークのクッションカバーを紹介していて、それはちょっと欲しいと思っていた。
 適当にふらふら歩いていると、あっちでもこっちでも売られている。クッションカバーを見ていると、売場のお兄さんが色々と声をかけてくる。何枚買うからいくらにして、などと交渉しているうちに、クッションカバーだけではなくランチョンマットもあるのを発見した。
 「やっぱり、こっちが欲しい。」と言うと、クッションカバーよりもランチョンマットの方が高い。どうしてよ! と噛みつくと、ランチョンマットの方が裏側の処理が丁寧だし手間がかかると説明される。


ランチョンマット 「柄はこれで全部?」と聞くと、「こっちに来い。」と言って、そのおじさんはスイスイと脇道に入って行った。添乗員さんにダメって言われたんだよなと思いつつ、帰り道を間違えなければいいのよね、と曲がり角を必死で記憶しつつ後を追う。
 確かに小道の奥の方にパッチワーク商品だけを置いたお店があって、今度はそこにいた別のお兄さんと値段交渉をやり直す羽目に陥った。結構いい感じの4枚が買えたので満足だ。


 少し迷いつつ元のメインストリートに戻ることができたと思ったら、どうも元来た道ではなく、別のメインストリートに出てしまったようで、いくら「こっちから来た」と思う方向に歩いても見覚えのある景色が出てこない。
 かなり焦って汗だくになって道を探し、見覚えのある金製品のお店を見たときには本当にほっとした。
 ここで時間を使ってしまったので、あとは、黒胡椒(100g7エジプトポンドは高いのか安いのか)や、パッチワークのクッションカバー(急いでいたので、半値に下がらないなら要らないと集合場所に向かおうとしたら、半値でいいと言われた)を購入し、1時間のお買い物タイムを満喫した。


 本日最後の観光場所は、エジプト考古学博物館だ。
 15時40分に館内に入り、まずは大混雑の中、ガイドさんに連れ歩いてもらう。
 初っぱな、「これがこの博物館にある唯一の偽物です。」というロゼッタ・ストーンの説明が何だか可笑しい。そしてまた、フランス人が発見したロゼッタ・ストーンが大英博物館に所蔵されているのも何だか不思議な話である。
 ロゼッタ・ストーンには「お礼」が書いてあるそうだ。そんな、何というか普通のお手紙みたいなことが書いてあるとは知らなかった。中味はともかく、ヒエログリフが解読できるかも知れないと思わせたという意味で重要な「石」である。


 ジュセル王の座像は、紀元前4900年頃のもので、階段ピラミッドの中(というか裏)で見つかった。石灰岩製で、その握っている手は「力」を、開いている手は「平和」を象徴しているという。


 カフラー王の像は閃緑岩という非常に硬い石で作られており、また、王の頭をホルス神が守っているのは、珍しい意匠である。ロータスとパピルスが椅子の側面に彫られており、どっちかが上エジプトを、どっちかが下エジプトを象徴している。カフラー王の権力とその治世の発展振りを物語る像だと言っていい。
 カフラーというのは、「ラー神の日の出」という意味である。いかにも勢いのありそうな名前である。


 こうした「像」は、王のものは理想の姿で彫られ、王以外の像は写実的に彫られているという。カペルというカフラー王の神官の像は、確かに特に「格好いい」ようには造られていないように見える。
 4600年前に造られた木像が今も朽ち落ちずに残っているのは、エジプトが乾燥した土地だからだろうか。


 メンカウラー王の像もあるし、唯一と言われるクフ王の像もこの博物館に所蔵されている。
 クフ王の像は、あんなに大きなピラミッドを造った王なのに象牙製とはいえ僅か7cmという小ささだ。奥ゆかしい人柄なのか、目立とう精神旺盛な人なのか、判断に迷うところである。
 しかも、この像は最初に発見されたときには首がなく、首部分を見つけるのにそれから3年もかかったという。


 考古学博物館の所蔵品は数知れない。しかも、その一つ一つにあり過ぎるほどの価値があり、意味がある。
 一般に男の人の像は赤く女の人の像は白く塗られるとか、棺の内側には呪文を唱えると現実化するもの(死後の国で必要な食べ物などの絵)が描かれているとか、中王国時代は戦争ばかり行っていたために技術力が低下して棺も美しくなくなってきたとか、ハトシェプスト女王の頭像が茶色く塗られているのは男の振りをしていたからだとか、ハトシェプト女王は女性には禁じられていたスフィンクスをいくつも造っていてそのうちのいくつかが考古学博物館にも所蔵されているとか、本当にエピソードには事欠かない。


 しかし、考古学博物館最大のトピックといえば、ツタンカーメンだ。
 マラリアで亡くなった、あるいは足の障害が元で亡くなったなど諸説あり、19才の若さで亡くなったこの王の墓だけが、唯一、盗掘に遭わずに副葬品が全て現代に伝わっている。
 その「宝物」を納めた三重になった厨子の展示方法も洒落ていて、厨子を納めたガラスケースに、中に入るべき一回り小さな厨子の外観が写っている、という趣向である。
 この厨子は木製金箔で、それだけでも豪華だ。
 この中で、さらに三重の棺に守られてツタンカーメンのミイラが眠っていたのだ。


 一番外側の棺はルクソールの王家の谷、ツタンカーメンの墓の中にある。そして、ツタンカーメンのミイラも、現在は同じく自身のお墓の中にいる筈だ。
 考古学博物館に所蔵されている内側の棺だけでも相当に豪華だ。真ん中のものは木製金箔だけれど、一番内側の棺は純金製で110kgもある。
 有名な黄金のマスクは11kgだという。
 また、ツタンカーメンの棺の中からは、花束も発見されている。


 ツタンカーメンのお墓にあった宝物の数々は、本人が使っていたベッド、香水瓶、パピルスで座面が貼られた折りたたみ椅子などがある。王は屋内用と屋外用と、必ず二つの玉座を持っていたそうで,その両方が展示されている。足が悪かったことから杖も残っている。ツタンカーメンとアンケセナーメンの「仲むつまじい」姿が浮き彫りにされた椅子などもある。
 とにかく、豪華で豪奢だ。いくら見ていても見飽きるということはない。
 その後の自由時間(17時から18時までの1時間)も、私はミイラ室には行かず、ツタンカーメンのお宝のある一角をひたすらうっとりと歩き回った。
 希望者はガイドさんが博物館の近くにあるバザールにご案内しますと言われたけれど、もちろんパスである。
 可能な限りエジプトのお宝を堪能したい。


シャンポリオン像 この考古学博物館の庭には、初代館長であり、ロゼッタ・ストーン等からヒエログリフを解読したシャンポリオンの像が建っている。
 1年か2年か、とにかく今現在ギザに建設中の新しい博物館に移転する前にもう一度ここに来ようと思った目的の一つが、この像を見ることだった。
 ガイドさんに「とにかく急いで!」とせっつかれつつ走って見に行った
 前回のエジプト旅行で残していた宿題を片付けた気分だ。


 カイロ考古学博物館からシェラトンホテルまでは近い。
 ホテルに戻ったら、ギザのフィリップスの勧め上手のおじさんとすれ違った。彼が我々が購入した金製品をホテルに届けてくれたらしい。
 ロビーで購入したものを渡してもらい、ガイドさんはここまでというお話だったので別れを惜しみ、一旦部屋に戻って荷物を置いてくる。
 夕食のため19時にロビーに行くとガイドさんたちはまだ残ってくれており、ここで集合までの時間に記念撮影やメアドの交換などが行われた。


 夕食は、le chaletというレストランでいただいた。
 ステラのラガービール(31ポンド)を頼む。エジプト料理というよりは、ヨルダンで食べて来た料理に近い感じのメニューで、スパイスの利いたトマトスープも、ケバブも、アイスケーキも、全部が美味しい。
 ランチもそうだったし、エジプト料理はお米を付け合わせにすることが多いように思う。


メインディッシュアイスケーキ


 ツアー最後の夜ということもあって、おしゃべりが弾んだ。
 これまで行ったところの話、これから行きたいところの話、ハン・ハリーリでのお買い物の話、世界遺産検定の話など、やはり旅の話は尽きない。


 ホテルに着いたのはまだ21時前で、そのままツアーのお一人とカイロタワーの方に行ってみることにした。もっとも、夜は一層交通量が激しく、ちょっと道路を渡る気はしない。ふらふらと道路を渡らなくて済む範囲で歩いていると、交差点で見知らぬおじさんに捕まった。
 この近くでお土産物屋さんをやっているというおじさんは、オペラ座は日本の援助で建てられたという話をしたり、どこに行くのだと聞いて来たり、なかなか友好的である。


 友好的だけれど、一緒に歩いていたお嬢さんが目当てだということが段々判り始める。
 「僕と結婚してくれたら、店2軒とラクダ30頭をあげる。」に始まり、でも彼女とこのおじさんだと年齢倍くらい離れていそうなんですけど、とか、私たちはイスラム教徒じゃないんですけど、とか英語では言えないので、何となく話をはぐらかしていると、みるみるうちに話は店3軒とラクダ40頭にまでつり上がった。
 それ以上、つり上がらなかったのは、もしかして結構本気で口説いていたのかも知れない。


オペラ座とカイロタワー 彼女にカイロに残ってお土産物屋さんを仕切るつもりはなく、おじさんを振り切り、二人で散歩を続ける。
 しかし、ナイル川を渡ると、道はどんどん寂しくなる一方で、オペラ座の向こうでイルミネーションがきらきらしているカイロタワーをしばらく眺め、大人しくホテルに引き返した。
 なかなか冒険ってできないものである。


 いつもと違う入口からホテルに入ったら、今まで気がつかなかった本屋さんがあった。
 他店内には絵本や新聞などもあって結構楽しい。
 ツタンカーメンをテーマにしたイラストのミニカレンダーと、スフィンクスをテーマにしたイラストのミニカレンダーを見つけて購入する。
 レジのおじさんに「負けて。」と言ったら、「ここは政府公認のお店で、きちんとした定価をつけているから、値引きすることはできない。」という返事だった。本当かしらと思いつつ、言い値で購入する。


 本屋さんの向かいにあったカフェスタンドでマンゴジュース(23ポンド)を買い、お店のおじさんに「チップ込みの金額を払え。」と注意され、部屋に引き上げた。
 まだそれほど眠くなかったので、お風呂に熱めのお湯を入れつつ、マンゴジュースを持ってテラスに出る。
 カイロタワーは1時間に1回、15分ほどのイルミネーション・ショーをやる。その様子を、テラスからバッチリ見ることができた。色が変わったり模様が出たりするだけでなく、ピラミッドのような絵が描かれたり、なかなか高度で楽しい。
 何だかハマってしまい、22時の回を見て、お風呂に入り、もう一度23時の回を最初から最後まで見た。
 あのイルミネーションを最初から最後までばっちり見た人なんて、そうはいないに違いない。


<この日の服装>
 半袖Tシャツ、長袖シャツ、カーゴパンツ


<歩数計>
 ヨルダン・エジプト時間9月24日18時から25日18時まで 14486歩


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