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2011.05.26

300000アクセス達成!

 今日(2011年5月26日)の0時台に、どなたかが300000アクセス目を踏んでくださった。
 3月11日の東日本大震災以降、アクセスが減っていて、290000アクセスからの10000アクセスに2ヶ月半強かかっている。

 これまでの経過は以下のとおり。
 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 20000アクセス 2005年11月16日
 30000アクセス 2006年3月30日
 40000アクセス 2006年8月1日
 50000アクセス 2006年11月22日
 60000アクセス 2007年5月16日
 70000アクセス 2007年9月6日
 80000アクセス 2007年12月28日
 90000アクセス 2008年3月14日
100000アクセス 2008年6月15日
110000アクセス 2008年8月12日
120000アクセス 2008年9月23日
130000アクセス 2008年11月9日
140000アクセス 2008年12月27日
150000アクセス 2009年2月21日
160000アクセス 2009年5月5日
170000アクセス 2009年7月13日
180000アクセス 2009年8月29日
190000アクセス 2009年10月11日
200000アクセス 2009年11月30日
210000アクセス 2010年1月27日
220000アクセス 2010年3月31日
230000アクセス 2010年6月3日
240000アクセス 2010年8月6日
250000アクセス 2010年9月16日
260000アクセス 2010年10月31日
270000アクセス 2010年12月14日
280000アクセス 2011年1月20日
290000アクセス 2011年3月7日
300000アクセス 2011年5月26日

 こうして続けていられるのは、遊びに来て、読んでくださる方のおかげです。
 ありがとうございます。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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2011.05.09

プロフィール写真を変える(丹頂鶴)

 2011年2月26日から27日まで、1泊2日で知床に流氷を見に行って来た。

 昨日、やっとその旅行記を完成させたので、旅行記完成記念として、プロフィール写真をこれまでのペトラ遺跡のエル・ハズネから、JR釧網線芽沼駅近くで見ることができた、丹頂鶴の写真に変えることにした。

 やはりこの姿は優美だと思う。

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2011.05.08

知床流氷旅行記の入口を作る

流氷クルーズ ここは知床流氷旅行記への入口である。
 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。


 この1泊2日の知床流氷旅行にかかった費用は、概算7万5千円だった。(この中には、ツアー代、羽田までの交通費、食費、おやつ代などは含まれているが、お土産代は含まれていない。)


 1日目 2011年2月26日(土曜日)


 2日目 2011年2月27日(日曜日)


 


 持ち物リスト(知床流氷編)

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知床流氷旅行記2日目

2011年2月27日(日曜日)


 早朝、流氷ウォークのオプショナルを申し込んでいた。
 4時30分に起き、持参したマドレーヌとコーヒーで軽く腹ごしらえをする。お腹が空いていたら寒いんじゃないかという気がする。
 ホテルのロビーに5時30分集合だ。流氷ウォークが終わった後はとにかく手が冷たいと聞いたのでカイロを用意し、その他、タオル、カメラ(あまり高いものだと預かれませんと言われている)を持ち、帽子を被ると聞いたのでゴムとバレッタも用意する。
 事前にもらった注意書きには「ズボンの裾を入れるために長めの靴下を用意してください」とも書いてあった。


ドライスーツ着用 ゴジラ岩観光のバンが迎えに来て、ホテル知床に向かった。
 ホテル知床にも同じツアーの方が宿泊していて、ロビーで全員揃ってドライスーツを着る。前日に身長体重を申告してあり、サイズの合ったドライスーツ、帽子、手袋を渡される。
 身長に合わせて渡されたドライスーツはぶかぶかで、「このままでは水が入ってくるから。」とスタッフの方に首回りをバンドで締めてもらった。キツイけれど、キツイくらいじゃないと水が入ってきてしまうので、これは仕方がない。
 脱いだ靴と上着を持って、再びバンに乗り込んだ。


 港に到着してから手袋をした。自分では嵌められず、スタッフの方に「力を入れてください。」と言われてぐっと押すようにして嵌めてもらう。
 カメラをスタッフの方に預ける。
 スタッフのほとんどは、夏は漁師、海に出られない冬の間だけ流氷ウォークなどのスタッフをしているそうだ。


流氷ウォーク この日は海岸沿いに少しだけ流氷が来ている(というよりも残っている)状態だった。
 流氷ウォークというよりは、流氷に乗った、という感じである。
 もっと沖合まで流氷が詰めてきているときは歩けるらしい。この日は厚さ5〜10cmくらいの氷が浮かんでいる感じで、とても歩くことはできない。歩こうとすれば氷が割れて海に落ちてしまう。
 だから、どちらかというと流氷ウォークというよりは、氷が浮かぶ海に自分も浮かんで楽しむ、という感じになる。
 友人に「流氷の音を聞いてきて!」と言われていたけれど、この状況で流氷同士がぶつかる筈もなく、波は穏やかで動いておらず、「音」を確認することはできなかった。


 その知床の氷の下に、クリオネがいた。
 スタッフの手の中で泳いでいる。「クリオネってつまるところ何なんですか?」と聞くと、あっさり「貝です。」というお返事である。貝がらはどこにも見えない。蛍光オレンジで、大きさが1cmくらいある。
 「岩場に多いんですか?」と聞くと「そうではなくて、氷の下ならどこにでもいる。」と言われ、その後、かなり一生懸命海を覗き込んでクリオネを探したけれど、自分で見つけることはできなかった。


 1時間くらい、流氷の上に立ったり、海に入ってぷかぷか浮かんだり、流氷の上に戻ろうとして腕力が足りずにバタバタしたり、スタッフの方に写真を撮ってもらったり、厳冬の海を楽しんだ。
 そうして、海から上がると手袋の中に結構水が入っていた。
 冷たい。
 「手を振ると温かくなります。」とスタッフの方は言うけれど、温かくなったという感じがしない。ちゃぷちゃぷ言っている。
 滑りそうな階段を上がってバンまで戻り、手伝ってもらってドライスーツと手袋を脱ぐと、途端に手がかじかむのが判った。


おにぎり弁当 ホテルに戻ったのは7時過ぎだ。フロントで、朝食のおにぎり弁当をもらう。
 出発まで50分あるから朝食はゆっくり食べられるなと思っていた。ところが、水筒にお茶を作ったりしていたら時間がなくなってしまい、おにぎり弁当は、お部屋で半分、バスに乗ってから半分を食べた。ここでも水筒が大活躍である。


 10分も走ると、バスは、昨日の到着前にライトアップされた状態を見たオシンコシンの滝に到着した。
 「滑りやすいですから気をつけてくださいね。」「恥ずかしながらここで転んで骨折したガイドがおります。」というバスガイドさんの注意を受け、バスを降りる。
 滝の全景を見るには少し階段を上がる必要があり、そこが滑りやすい。


オシンコシンの滝 滝は中心部というか、岩に近い部分が凍結していて、その表面を水が流れ落ちているという感じである。
 落差80mだ。滝の高さ半ばまで階段で上がれ、見た感じは「凄く高い」という印象はない。
 途中から流れが二つに分かれていることから「双美の滝」とも呼ばれている。
 もっとも、半ば凍結していたせいか、全体的に水も氷も雪も白いせいか、途中から二つに分かれているかどうかはよく判らなかった。


エゾシカ 添乗員さんだったかガイドさんだったか忘れたけれど、とにかく「あそこにエゾシカがいます!」と教えてもらって滝の上を見ると、確かにそこにエゾシカがいた。
 私にはそれがエゾシカか他のシカかシカですらないのか実は見分けがつかない。地元の方がエゾシカだといえばそれはエゾシカに違いない。
 目一杯ズームを効かせて写真を撮る。黒目がちの大きな目とハート型に白い毛になっているお尻が可愛い。
 すっかり満足してバスに戻った。


鉛色の空 バスの車窓から、鉛色の空とぷかぷかと浮いている流氷を見ながら、流氷ノロッコ号に乗車する知床斜里駅に向かう。
 8時55分発だ。自由席利用ということもあり、早めに駅に到着したようだ。
 流氷ノロッコ号は、通常の客車と、テーブル席と海を眺められるよう窓に向いた席があって達磨ストーブが設置されている展望車がある。達磨ストーブでは、車内販売で買ったするめなどを焼くこともできる。
 自由席とはいえ一人くらい何とかなるだろうとうろうろしていたら、朝ホテルのロビーで会ったご夫婦が「席を確保したから。」と招いてくださった。感謝である。


 ノロッコ号で一番印象に残っているのは、とにかく寒かったことだ。
 後で聞いたところでは、一番列車(私たちが乗った列車)は車庫から出てきたばかりで、ストーブを入れても冷え切った客車や座席を温めることはなかなかできず、かなり底冷えするのが常らしい。昨日のおーろら号で寒さ対策に履いていた綿入れのズボンを、ここでも履くべきだった。
 流氷ノロッコ号は、名前のとおり「流氷を見ながら電車に揺られる」ことがでポイントだ。
 残念ながら、知床斜里駅から離れるに従ってさらに海に浮かぶ流氷は減り、車窓から流氷を見ることはほとんどできなかった。


流氷ノロッコ号 北浜駅で流氷ノロッコ号を下車した。
 北浜駅にはノロッコ号も15分ほど停車し、駅のホームに作られた展望台に上って海を眺めたりすることができる。もっとも、展望台に上がっても、流氷の姿は全くと言っていいほど確認することはできなかった。そんな日もある。
 空も相変わらず鉛色である。


 バスで一駅戻って、JR浜小清水駅兼道の駅はなやか(葉菜野花)小清水でお手洗い休憩になった。
 もちろん、ついでにお買い物もする。
 株式会社北都という会社のカレー缶がめちゃくちゃ気になる。何しろ、「熊カレー」とか「エゾシカカレー」というラインアップだ。
 ガイドさんのお話によると、ガイドさんが子どもの頃には普通に花咲かにカレーとか、ホッキ貝のカレーとかをお母さんが作ってくれてイヤというほど食べていたそうだ。お肉のカレーが食べたいと思っていたとおっしゃるのだから、こちらからしてみると贅沢な話である。
 今でもホッキ貝のカレーは普通に作って食べるという。
 妹夫婦が我が家に来たときに話の種に食べるにしても、熊カレーはインパクトがありすぎだろうと、蟹カレーを2缶買った。1缶二人分で1050円だから、「異様にお高い」というお値段ではないと思う。


摩周湖手前 バスは摩周湖に向かった。
 「霧の摩周湖」というイメージだし、窓から見える景色はずっと一面の雪だったので、正直に言うと湖が見られるとは期待していなかった。
 登り道にさしかかる前、うっすらと見えた山陰を確認したガイドさんは「この山が見えていれば、多分、湖も見えていると思います。」とおっしゃる。
 確かに到着したときには、鉛色ながら湖面がくっきりと見えた。少し前まで霧がかかって見えなかったというから、不思議である。


 11時15分から45分間の時間が確保されていて、気温0度で太陽も見えない中でそうそう摩周湖を眺めるだけで時間が過ぎるわけもない。ツアー参加者のほとんどはお土産物屋さんに入ってしまう。
 ここのお土産物屋さんは、品揃えが豊富だ。おーろら号の乗船場で「オホーツクブルー」という名前で売られていたソーダ味のソフトクリームが、ここでは「摩周湖ブル−」という名前で売られている。可笑しい。
 私もここでロイズのポテトチップチョコレートや、カルビーのジャガポックルなど、よく考えれば空港でも購入できる定番のお土産を購入した。
 ジャガポックルは一時、あまりの人気に店頭から姿を消すほどだったらしい。「最近は戻って来ているけれど、ジャガポックルを見かけたらそこで買う方がいい。」とガイドさんのアドバイスがあった。


摩周湖


 お土産を買っている間に少しだけ日射しが戻って来て、先ほどよりずっとブルーの濃い摩周湖を見ることができた。
 満足である。
 季節には川湯温泉から摩周湖にスターウォッチングのバスが出ているそうで、夏に来てみたいなと思った。


昼食 昼食は、レストハウス 摩周プラザというドライブインでいただいた。
 昨日のうちに予約注文してあるので、用意されるのは早い。
 私は豚丼(1050円)を食べた。正直に言うと、これで1050円は高いなと思った。そして、あるいは違いがあるのかも知れないけれど、店頭にあったメニューに「豚丼850円」と書いてあったのが何となく納得がゆかない。


 13時30分になる前に、バスは標茶駅に到着した。
 ここから終点の釧路まで、SL冬の湿原号に乗る。
 標茶駅では、サービスで改札開始前にホームに入れてくれ、SLの写真を撮ることができた。今度は指定席なので席取りをする必要もないから、もちろん写真撮影に走る。


SL冬の湿原号 SLは盛んに蒸気を吹き上げている。
 駅員のおじさんに「これは暖機運転をしているんですか?」と聞いてみると、「違うよ。こんなことはやらなくてもいいんだよ。サービスだよ。」という返事で、何だか笑ってしまった。
 せっかくサービスしていただけるならと、勢いよく蒸気を出した瞬間を写真に撮る。
 ホームには鉄道ファンらしい人が大勢いる。駅員さんと話していたら「写真を撮らないならどいてくれ。」と怒られてしまった。邪魔して申し訳ない。


緩急車 SL冬の湿原号の車内もテーブル席になっていて、達磨ストーブの上で車内販売のするめなどを焼けることもノロッコ号と同様である。
 席は4人掛けになっていて、私は家族3人で参加されていた方のテーブルにお邪魔する形になった。流石に何となく気詰まりだったことと、先頭から2両目に緩急車と呼ばれる昔ながらの車両が連結され、ネイチャーガイドの方の説明も聞けるということだったので、緩急車に居着いた。
 決して乗り心地がいいわけではないし、何となく煤も入って来て全身に煤の匂いがついてしまったけれど、でもこれはなかなか楽しい。


 同じツアーの方がするめを焼いていて、ご馳走してくださった。お酒も用意していて、準備がいい。
 もうしばらく走ると右側に丹頂鶴がいるかもと言われ、窓の外を必死で探していると、畑のようなところに丹頂鶴がいた!
 車もたくさん来ていたし、SLもわざわざ停まっていたのでそこは丹頂鶴のポイントなのかしらと思う。後で調べたところでは、芽沼駅の駅長さんが長年にわたって餌付けをしてきた場所だった。


丹頂鶴 この3羽の丹頂鶴は、親子である。
 真ん中にいる羽の色の少し薄い一羽が子どもだ。この夫婦はまたこれから産卵の時期に入るので、子どもをイジメて親離れを促すようになる。だから、この一家の最後の家族団らんの様子を見られたとことになる。
 丹頂鶴を初めて生で見たような気がする。優雅で優美である。
 贅沢を言うと、飛ぶ姿が見たかったなぁと思う。


 その後も、ネイチャーガイドの方に教えてもらい、かなり遠かったものの湖の岸辺に集まっているオオワシを見ることができた。
 ガイドさん曰く「ごま粒ほどの大きさ」だ。
 オオワシは世界中で北海道のこの地域にしか生息しておらず、ヨーロッパの人などが何十万もかけてオオワシを見に来るという。鷲のファンは、一生のうちの北海道のオオワシとアンデスのハゲワシをぜひ見たいと思うものらしい。


 そろそろ食事どきだそうで、エゾジカの群れや、子連れのエゾジカが川岸に降りてきているところも見られた。一瞬で通り過ぎてしまい、写真を撮れなかったのが惜しい。可愛かったのに残念である。
 また、川辺の水際ぎりぎりにミンクがいるかも知れないと教えられ、必死になって探す。見た目は狐に似ていて、黒っぽいのがいたらミンクである。この近くにあったミンクの飼育場から逃げ出して野生化したらしい。
 ミンクは地元の特産で、ミンクを飼って、毛皮のコート等々に加工する工場があるという。コートを作るのにミンク何頭分もの毛皮が必要で、しかも色目や毛並みが揃っていないといけないので、とても大変な作業になるという。エサの食べ方なども同じに揃っていないと毛並みが揃わないそうだ。
 そうして苦労して育てた後、毛皮をテープ状にして全て手作業で縫い合わせる。1着500万円くらいしても当然だ、とおっしゃる。


 この辺り(といっても、そのお話を伺ったのがどの辺りだったのか、全く判っていない)は、海岸線から30kmほど離れているのに、標高が8mくらいしかない。高低差がないので川の流れはとても穏やかで、魚も結構いるから釣りをする人も多いらしい。
 ミンクも泳げるということだし、魚目当てで川岸に降りてくるのだろう。
 ミンクは見られなかったけれど、その後もエゾシカの群れは何度か目にすることができた。そうやって窓の外に目を凝らしていると全く飽きることはない。


SL運転席 15時過ぎに釧路駅に到着した。
 少し時間があると言われ、SLの運転席の写真を撮りに走る。乗務員さんに「撮っていいですか?」と聞いたら、無理して身体を引いてくださったので、ばっちり運転席の様子を撮ることができた。
 でも、これでは少し寂しいので、乗務員さんに入ってもらってもう一枚、撮らせてもらった。


 旅の行程もこれでほぼ終了である。
 釧路駅から再びバスに乗り込み、たんちょう釧路空港に向かう。
 釧路の主な産業は製紙業であること、釧路湿原はもう使い道もないから潰してしまおうかというタイミングでラムサール条約で登録されたこと、たんちょう釧路空港の入口にはかなりデキのいい丹頂鶴などのオブジェが飾られていることなど、地元ということもあってガイドさんの説明にも熱が入る。
 一番印象に残ったのは、北海道の家には雨戸がついていない、なぜなら戸袋に雨戸をしまうと凍り付いて出せなくなってしまうから、という話だ。


ソフトクリーム 16時50分発のANA744便に乗るため、16時過ぎに釧路空港に到着した。
 家に電話してみたら「六花亭のストロベリーチョコが食べたい」というリクエストがあり、空港の売店で購入する。
 北海道最後の「食」として、添乗員さんお勧めの森高牧場のミルクソフトを食べ、1泊2日、超充実の知床流氷の旅を終えた。


 知床流氷旅行記1日目はこちら。

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2011.05.05

知床流氷旅行記1日目

2011年2月26日(土曜日)


 ツアーの集合は、羽田空港に11時だった。
 北海道に到着したらずっとバス移動だし、座席に荷物を持ち込めた方が便利だと思い、レスポのボストンバッグで来たら、羽田空港に到着した時点ですでに荷物が重くて肩に食い込んでいた。キャリーケースで来た方が良かったかもと弱気になる。
 ツアーの受付カウンターで搭乗券をもらい、参加人数を聞いたら「36名です。」という回答だった。
 多い!
 こんなに人数の多いツアーに参加するのは初めてかも知れない。


 添乗員さんから電話で「お昼ごはんは食べてきてください。」と言われたので、飛行機の中で食べようとお弁当を探してうろうろする。
 羽田空港第2ターミナルの端から端まで行きつ戻りつして、【北前船のカワモトブランド】永平寺みそ焼き鯖ずし(1365円)を購入した。
 バスの中でもちょっとずつ温かい物が飲めるといいなと思っていたので、国際線じゃないから大丈夫でしょうと水筒にお茶を入れて持参した。セキュリティ・チェックでは、蓋を開けて係の人が匂いを確認していた。ちょっと不思議な光景だ。


中標津空港 セキュリティチェック前にある機械に搭乗券の2次元バーコードをかざしてチェックインする。国内線の飛行機に乗るのは本当に久しぶりで、その進化に驚いた。
 搭乗口手前でマイルが登録できるか試してみたら、団体チケットのため登録できませんという表示が出た。海外旅行だとツアーのチケットでもマイルの登録ができるし、すっかりその気でいたのでびっくりした。
 ANA837便は、理由は忘れたけれど遅れ、中標津空港に到着したのは13時30分をだいぶ回ってからだった。


 羽田空港で10度だった気温は、中標津ではマイナス6度だ。ターミナルビルからバスまでという短い距離しか歩いていないせいか、思ったよりも寒さを感じない。
 ツアー初日の最初の予定は、網走で砕氷船おーろら号に乗ることだ。
 網走から車で2時間ほどかかる中標津空港到着が13時半過ぎだったから、飛行機が着陸した時点で、予定していた15時30分発のおーろら号に乗ることができないのは確定していたようだ。


 空港を出発したバスの中で添乗員さんから、15時30分発のおーろら号には間に合わないので、16時30分発の船に変更するという案内があった。
 今日の午前中は高波のためおーろら号が欠航しており、14時の便から運航再開しているけれど流氷帯に入れたのは5分ほど、もし15時30分の便を出して流氷がないようなら16時30分の便は欠航すると言う。
 かなりチャレンジングな状況である。
 色々な流氷ツアーの行程で、どれも予定が詰まっていなかった理由がよく判った。


 また、16時30分発のおーろら号に乗ると、宿到着が20時近くになり、20時から始まる知床オーロラファンタジーの前に夕食を食べることができないし、知床オーロラファンタジーを見終わって宿に戻る頃には夕食時間が終わっているので通常の夕食を食べることはできない、という案内もあった。
 このツアーでは宿が2カ所に分かれていて、私が泊まる宿の場合、オーロラファンタジーに参加すると夕食はラーメン+おにぎりになります、と言われる。
 結構迷って、夕食を選んだ。私は相当に食い意地が張っているというべきだろう。


 バスの中で、翌日のお昼ごはんの注文の受付があった
 明日の昼食はドライブインのようなところで、予め注文をしていなくても食べるのはその場所になりますと言われ、豚丼・釜飯・鮭のちゃんちゃん焼きの三択で、豚丼を頼ぶ。


雪景色 この雪景色の下は、ほとんどが牧場だそうだ。
 風が強く、白く霞んでいるのは地吹雪である。
 風で雪が飛ばされ、動物の足跡はほとんど消えてしまっている。エゾシカやキツネ、野ウサギの足跡はよく見ることができるらしい。
 キツネはモデル歩きをするので足跡は一直線になっている、という話が可笑しかった。


 道路の脇には「防雪柵」が延々と続いている。吹雪になったときに雪を遮り、視界を確保するためのものだ。夏になると畳まれたり枠だけになったりするので、冬の風物詩と言えるだろう。
 防雪柵の他に、道路の道幅を示す矢印(見通しがとても悪いところでは、太陽光発電の装置もついていて、夜になると光る)と、防雪柵ではとても用が足りないときのためのトンネルがところどころに作られている。大吹雪のときなどは、トンネルの中に待避するそうだ。


 カムイ・ポプニカ・アーホイヤというお呪いも教えてもらった。
 神様・お天気・お願い、という意味である。
 3回唱えてくださいねとガイドさんに言われた。雨女の私には旅行に必須のお呪いかも知れない。


 オオワシとオジロワシの違いも教えてもらった。
 オオワシは、体色は焦げ茶色で、くちばしは黄色で、翼を広げるとバスの幅ほどもある。
 オジロワシは、体色が茶色で、その名のとおり尾は白く、くちばしはオレンジっぽい黄色だ。


流氷 バスは、15時30分くらいに海辺に出た。
 北浜駅の辺りから、かなり沖の方に流氷が白く見えた。バスの中から歓声が上がる。
 おーろら号も何とか流氷帯に入れるようだ。
 2011年は、2010年に比べると流氷がよく来ているものの、厚さがないために風の影響を大きく受けるようになったという。1時間で流氷の状況が変わることもあるそうだ。


 16時ころ、おーろら号が出航する道の駅に到着した。
 お手洗いを済まし、バスの中では暖房が効いて軽装になっていたので防寒の身支度をする。
 綿入りのズボンを上から履き、カイロを持ち、帽子とマフラーを装着し、ダウンジャケットを羽織る。準備万端である。
 おーろら号は2隻で運行していて、先発の船が帰って来たらその船をバックに集合写真を撮りますと言われる。残念ながら運航状況の関係で船は戻って来ず、海をバックにした集合写真となった。


雪の結晶 いよいよおーろら号に乗船というときになって、雪が舞い始めた。その雪は本当にサラサラのパウダースノーで、こうしてコートに雪の結晶の形のままくっつくほどだ。
 雪の結晶をこんなにしげしげと見たのは、多分、初めてだ。
 おーろら号に乗り込むと、悪天候のためか、サンセットクルーズはそもそも乗船する人が少ないのか、船内はガラガラだ。


流氷帯が見えた! 船に乗り込んですぐ、窓越しに外が見られる席を確保したものの、せっかちな私はそこでのんびりできず、すぐにデッキに出た。
 ツアーの中には、道の駅で買い込んだプリンやお焼き、網走ビールなどを席で堪能する方もいらしたから、私は相当に落ち着きがない。
 出港して10分もすると、前方に白く細い帯が見えてきた。流氷帯である。


 流氷が見えた後は、1階のデッキから3階のデッキまで行ったり来たりしながら、ひたすら流氷の写真を撮ったり動画を撮ったりしていた。
 流氷は残念ながら詰まってはおらず、「ガリガリと砕く」という感じではない。
 でも、間違いなくこれらの氷は遠くアムール河からはるばるやってきた兵どもである。


流氷流氷


流氷流氷


流氷流氷


 船は三日月型に残っている流氷帯を、そのカーブに沿って突っ切ってくれたらしい。
 流氷帯の中にいたのは、正味25分ほどだ。
 流氷が浮いている状態なので、船は「流氷を砕いて」というよりは「流氷をかき分けて」進む。
 船が流氷帯を進んでいる間中、カイロを使っているヒマもなくずっとデッキで写真と動画を撮り続けていたら、最後の頃には手がすっかりかじかんでしまった。


 氷を照らしている緑色のライトは、「ライトアップ」だという説明だった。
 私はてっきり、船の運航に必要なライトなのだとばかり思っていて、「うー、あの緑色のライトは邪魔だわ」などとずっと思っていた。失礼な話である。
 こうして、1時間ちょうどのおーらろ号サンセットクルーズは終了した。


 17時30分に下船し、10分後、ウトロに向けてバスは出発した。
 水筒で持ってきた温かいお茶が嬉しい。我ながら、なかなか賢い持ち物だったと思う。
 もう既に辺りは暗くなっていて、ガイドさんも「盛りだくさんのツアーなので、ゆっくり休んでください。」とおっしゃる。


オシンコシンの滝ライトアップ 1時間と少し走ったところで、バスはウトロの街の少し手前にあるオシンコシンの滝の横を通りかかった。
 ライトアップされている。
 停まりはしないもののゆっくりと走ってくれ、窓からライトアップを鑑賞し、頑張って写真を撮った。


 19時に今夜の宿である知床プリンスホテル風なみ季に到着した。
 添乗員さんから、「バスが順調に走って早めに到着できたので、夕食を急いで食べてもらい、19時45分にバスが再び迎えに来たときにロビーで待っていてもらえれば知床オーロラファンタジーにお連れします。」という案内があった。
 かなりぐらっと迷ったものの、「寒いところにはもう行かない」モードに入ってしまっていたし、やっぱり夕食をゆっくりいただくことにした。
 この添乗員さんのプランに乗って、ご夫婦がお一組、知床オーロラファンタジーに行かれたようだ。


 19時30分くらいから、バイキングの夕食をいただいた。
 オーロラファンタジーを蹴ってまで食べようと決めた以上、これは堪能するしかない。知床地ビール(800円)も頼んで、まずは蟹からである。
 このホテルのバイキングの売りは、蟹と、「勝手丼」と名付けられた、自分でごはんをよそって好きなお刺身を載せて海鮮丼を作れるというメニューである。
 斜め前くらいのテーブルに数少ない女性一人旅らしい方がいらして、その人がもう本当に気持ちよく蟹を次々といただいている。何だか勝手に勇気が湧いてきて、私もかなりたくさんいただいた。
 この写真はそのほんの一部である。


夕食夕食


 夕食後、ロビーのお土産物屋さんを見に行った。
 おぼろ昆布の実演販売をやっていて、おじさんが「手作業で削るのがおぼろ昆布で、機械で削ったものはとろろ昆布というんだ。」と言う。
 「やってみたいけど、手とか切りそう。」と言ったら、おじさんは「手を切る前に昆布を削れないで切っちゃうだろう。」と笑われた。
 試食でおぼろ昆布の入ったお汁を飲ませてくれ、一つ630円のところを二つ買えば1000円にしてくれると言われて有り難く購入する。


 お隣のアイヌの木彫りのお店のおじさんと、何故か流氷の話になった。
 知床が世界遺産に登録されたのは2005年で、皮肉なことに、登録の次の冬くらいから流氷が減ってきているそうだ。接岸した後から後からさらに流氷が押し寄せて重なり合い、厚みを増し、少しくらいの風では動かないという冬は、それ以来一度も来ていないという。
 「この数十年を考えて、確かに流氷が少ない年もあったけれど、いつもは2〜3年の周期でまた厚くて動かない流氷が来ていた。ここ5年来ていないとなると、この先再び一面の流氷で海が埋め尽くされる日が来るかどうか微妙だね。」とおっしゃる。
 「今年は流氷が多いって聞いたんですけど。」と聞いてみたら、海氷情報センターなどの情報は、密度は判るけれど氷の厚みまでは判らない、ポイントは厚みなのだ、というお話だった。


 流氷はウトロを支点に風で左右に振られる。そのため、ウトロに流氷がある確率が高いらしい。
 10年くらい前までは、冬の間は一面の氷で海は真っ白、その氷が岸から離れる前に氷が割れて青い海がその間からのぞき、それはそれは美しかったという。
 いいなぁ、と思う。
 流氷が次から次へと岸に押し寄せ、重なり、海の底まで流氷で埋まってしまうと、氷が岸を離れた後も浜辺に氷が残る。青い氷は波に洗われてますます青くなり、溶け、きれいなオブジェが海岸に残されたという。
 20年くらい前、紋別ではそうして残された氷が海岸線で高さ10mにもなっていたというから驚く。


 「オーロラファンタジーも長い間ずっとやっているし、来年なくなるということもないだろう。またおいで。」と言われた
 「レーザー光線なら、ホテルのお部屋から見えるんじゃないかと思ったんですけど。」と聞いてみると、オーロラファンタジーは、海に突き出た堤防のようなところから、陸側を向いて見るようになっているそうだ。


 陸         藁を焼いた煙      会場
   レーザー光線->         <-見る


 位置関係としてはこうなっていて、だから、陸側(ホテルのある側)から見ることはできないし、ちょっと角度が違っても見ることはできないと言う。
 ホテルの部屋の電気を消してくださいと言われた意味がやっと納得できた。


 そんなお話を聞いていたら、あっという間に21時を回った。オーロラファンタジーに出かけた方が次々と帰って来て、ロビーでオニオンスープなどが振る舞われている。
 お店にもお客さんが次々とやってきたので場所を譲った。
 このお店の木彫りは他のどこで見たものよりもいい感じで、居座ってちゃんとお買い物をすればよかった! と後悔したのは翌日のことである。


 きっとお風呂は混雑するだろうと、22時過ぎまで待ってから行った。
 スリッパを特定できるようにクリップが用意されていたり、バイキングのときも「食事中」というカードが用意されていたり、一人旅に優しい配慮があって嬉しい。
 温泉はその時間にはかなり人も引いていて、岩盤浴もあり、内風呂も露天風呂も上手く回って独り占めできて気持ちよかった。
 露天風呂の方が源泉100%だったようで、少しぬるぬるとした湯触りで、大きく動いたときなどにふっと硫黄の香りが漂う。
 1時間かけて堪能した。


 明日は、オプショナルの流氷ウォークを申し込んでいるので朝が早い。
 23時30分に就寝した。


 知床流氷旅行記2日目はこちら。

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2011.05.03

ヨルダン・エジプト旅行記の入口を作る

ペトラのエル・ハズネ ここは2010年9月に旅した、ヨルダン・エジプト旅行記への入口である。
 
 ペトラ遺跡には以前から行きたかった。しかし、シリアとヨルダンを一緒に行くと何だか全てがごっちゃになりそうだし、ヨルダン一国だけのツアーはなかなか見つからない。
 そんなこんなでヨルダンとエジプトを、出エジプト記をちょうど逆に辿るようなこのツアーに参加した。

 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

1日目 2010年9月18日 成田 -> アブダビ ->

2日目 2010年9月19日その1 アブダビ -> (ジュラシュ遺跡) ->

2日目 2010年9月19日その2  -> (アンマン市内) -> 死海(泊)

3日目 2010年9月20日その1 死海 -> (ネボ山) -> (マタバ) ->

3日目 2010年9月20日その2 -> ペトラ(泊)

4日目 2010年9月21日その1 ペトラ

4日目 2010年9月21日その2 ペトラ

4日目 2010年9月21日その3 ペトラ(泊)

5日目 2010年9月22日その1 ペトラ -> (ワディ・ラム) ->

5日目 2010年9月22日その2 (ワディ・ラム) -> アカバ(泊)

6日目 2010年9月23日 アカバ -> (ヨルダンからエジプトへ船で国境越え) -> セント・カタリーナ(泊) 

7日目 2010年9月24日その1 (シナイ山登山)

7日目 2010年9月24日その2 セント・カタリーナ -> (モーセの泉) -> (スエズ運河) -> カイロ(泊)

8日目 2010年9月25日その1 (ギザ)

8日目 2010年9月25日その2 カイロ(泊)

9・10日目 2010年9月25日・26日 カイロ -> 成田

 

その国の旅を終えて 100の質問 (ヨルダン編)

その国の旅を終えて 100の質問 (エジプト編)

持ち物リスト (ヨルダン・エジプト編)

2010年9月 「ヨルダンとエジプト 出エジプト記を遡る旅」の写真

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ヨルダン・エジプト旅行記9・10日目

2010年9月26日(日曜日)

カイロの朝焼け 旅行9日目は本当に帰るだけだ。10時出発で朝寝坊もできたけれど、旅行中の習慣で6時過ぎには目が覚めた。
 テラスに出ると、ナイル川の向こう側の空がオレンジ色に変わりつつあった。きれいな朝焼けである。
 そして、しばらくぼーっと眺めていると、ついに日の出を迎えた。
 本当に申し訳ないくらいに無駄にナイルビューのお部屋である。
 おかげでいい夜景を眺め、いい朝を迎えることができた。

 シェラトンホテルの朝食ラウンジはこの日も混雑していて、一人でテーブルを使っていたためか、おかわりを取りに席を立って戻ると、すっかり片付けられてしまっていた。ちょっと悲しい。
 そのまま取ってきたデニッシュをお皿ごと部屋に持ち帰り、部屋で朝食の続きをいただいた。
 ツアーの方には、朝の時間を利用してスーパーマーケットにお買い物に行った方もいらしたようだ。私は交差点の交通量の多さと信号がないという事実に恐れをなして、お部屋で出発までのんびり過ごした。

 これまで散々酷使してきたウォーキングシューズは、とうとう穴が開いてしまっていた。荷造りをしながら最後まで逡巡し、ここまで履きつぶせば悔いはないと自分に言い聞かせ捨てて行くことにした。
 正直に言うと、荷物のあまりの多さに「もう捨てちゃって軽くしよう」と思ったということもある。
 靴を捨ててしまうと、私が持っている履き物はバレエシューズかビーチサンダルだけだ。飛行機に乗って帰るのにどちらが相応しいか、こちらも散々迷った挙げ句、ビーチサンダルで帰ることにした。

 11時過ぎに空港に到着した。
 あとは帰るだけというのが淋しい。
 ツアー客の特権でチェックインと出国審査が同時に行われ、いわゆる出国審査のブースは素通りである。
 出国審査を抜けてしまうとあとはボーディングタイムまでフリーで、お土産物屋などを冷やかす。前回の「空港でお土産を買うのは無謀」というイメージから、今回は「空港でお土産を買うことも可能」というイメージに修正された。

 流石に空港のお値段で、私がハン・ハリーリ市場で1枚50ポンドで購入したクッションカバーと同じものが、空港では18ドルで売られていた。かなり差が激しい。
 最後に余っていた10エジプトポンドでミントグリーンティーのティーバッグを購入した。
 時間を持て余し、14時過ぎに出発する便ではお腹が空くだろうと持って来たデニッシュをお昼ごはん代わりに食べたり、日記をつけたり、椅子に座ってぼーっとしたりしていた。

 空港のどこかのテレビで世界の天気予報が流れていて、東京の天気予報は雨、最高気温は19度と出ていた。
 いきなり凄い温度差だ、そして雨が降っているということは湿度も相当に高いんだろうな、などと思ってツアーの方にお伝えしたところ、「部下からメールが入りました。私の地元はさらに寒いそうです。」とおっしゃる方がいらした。旅行中もメールで仕事の指示を出したり、ずっと連絡を取り合っていらしたらしい。
 やっぱり私は携帯電話は持たないことにしよう、と改めて決心する。

エティハド航空 13時20分に搭乗が開始され、エティハド航空0654便は、私が寝ているうちに(恐らく定刻通り)離陸した。
 15時30分くらいに機内食が出された。お腹が空いていたこともあり、なかなか美味しい。
 私たちの乗った飛行機は、ほぼ定刻のアブダビ時間18時40分に到着した。

 間違いなく飛行機は定刻に着陸したにも関わらず、その後が大変だった。
 着陸後、飛行機はその場に停止してしまい、遙か向こうに見えるターミナルビルに向かおうとしない。
 英語のアナウンスをかなり適当に聞き取ったところでは、着陸の衝撃で**の調子がおかしくなってしまったためメカニックを呼んでいて、メカニックが来るまでに15分かかるらしい。
 もちろん、15分が経過しても、メカニックが到着したり、作業が行われたり、飛行機が動き出したりする気配はかけらもなかった。

 19時30分を回った頃、ようやく、空港の「はたらくくるま」に引っ張られ、我々の乗った飛行機はターミナルビルに向かって移動を開始した。
 外を眺めていると、移動速度は自転車並みのゆっくりさだったような気がする。
 離陸する飛行機を通すために時々停止し、そのたびに、機長から「このJourneyはまだまだ続くので、シートベルトを締めて座席に座っていてください。」とアナウンスが入る。Journeyって何だよとウンザリする。

 飛行機がターミナルビルに辿り着き、ドアが開けられたのは20時20分だった。成田行きのEY0878便の離陸まで2時間強しかない。
 行きに乗り継いだターミナルビルにはお店がほとんどなかったけれど、帰りに乗り継いだターミナルビルは免税店もお菓子などを売っているお店もたくさんあって、再び「お買い物60分一本勝負」に突入した。
 「ここでラクダのミルク入りチョコレートを買えるなら、ハン・ハリーリ市場で必死になって買うことはなかったな」などと思いつつ、あちこちを冷やかしていたら、あっという間に搭乗時刻となった。

 アブダビ空港を、予定の22時45分より少し遅れて離陸したエティハド航空は順調に飛行し、翌9月27日の13時25分、無事に成田空港に到着した。

 行きにキャリーケースをごろごろ転がしながら空港にやってくるのが意外に大変だったので、明日職場に持って行くお土産などを手荷物に移し、重いものは全てキャリーケースに詰め込んで空港宅配を依頼し、身軽になって成田空港を後にした。

<この日の服装>
 半袖Tシャツ、タオル地パーカ、ジーンズのスカート

 ヨルダン・エジプト旅行記8日目その2 <- 

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2011.05.02

ヨルダン・エジプト旅行記8日目その2

2010年9月25日(土曜日)


 14時過ぎにハン・ハリーリ市場に到着した。
 この日、バスのマイク設備の調子が悪く、車中での説明もずっとイヤホンガイドで行われていた。けれど、電波の状況なのか、調子が悪いなりにバスのマイク設備と干渉し合うのか、後方の席にいると雑音しか聞こえず、説明は聞こえなくてもいいかとイヤホンガイドを切ってしまっていた。
 ガイドさんにずっと同行してもらえるのはそれなりにお金のかかるツアーの特権で、その説明を聞くことを放棄するなんて勿体ないことをしたものである。


 最後にハン・ハリーリ市場での自由行動に当たっての注意事項を言ったらしかったので、添乗員さんとガイドさんに「注意事項のところだけ、もう1回教えて。」と声をかけた。
 簡単に言うと、横道に入るな、道に迷ったらガイドさんの携帯電話に電話するように、電話はその辺りのお店どこでも貸してもらえる、リュックなどは背中に背負わずに自分の目で見えるように持て、カードは使うな、といった内容だった。
 また、この後で考古学博物館に行くので、ミイラ室に入りたい人は100エジプトポンドを残しておくように、という話もあった。


ハン・ハリーリ市場 60分1本勝負の買い物ゲームが始まった。
 まずは、希望者だけ、ガイドさんに連れられてチョコレートやネフェルタリの石鹸などが買えるお店に向かった。そこは、ハン・ハリーリの中というよりは、その横にバラックといった感じのお店を作ってある。日本語も通じるし、日本語ガイドさんに連れられたツアー客を狙います、という感じのお店だ。


 職場土産だけは確保してハン・ハリーリ市場での自由行動を楽しもうと、デーツ入りのチョコレートを買い、5つ買うと1つオマケをくれるということだったので、数に合うようにハイビスカスティーも買った。
 結果的には、ティーバッグならハン・ハリーリ市場の他のお店で買った方が安く値切ることができるし、お土産用のチョコレートも空港で購入することができたので、ここで無理に買う必要もなかったようだ。


 職場土産を手に入れて安心し、とっとと散策に向かった。
 ガイドブックのどこかで蓮やパピルスを図案化したパッチワークのクッションカバーを紹介していて、それはちょっと欲しいと思っていた。
 適当にふらふら歩いていると、あっちでもこっちでも売られている。クッションカバーを見ていると、売場のお兄さんが色々と声をかけてくる。何枚買うからいくらにして、などと交渉しているうちに、クッションカバーだけではなくランチョンマットもあるのを発見した。
 「やっぱり、こっちが欲しい。」と言うと、クッションカバーよりもランチョンマットの方が高い。どうしてよ! と噛みつくと、ランチョンマットの方が裏側の処理が丁寧だし手間がかかると説明される。


ランチョンマット 「柄はこれで全部?」と聞くと、「こっちに来い。」と言って、そのおじさんはスイスイと脇道に入って行った。添乗員さんにダメって言われたんだよなと思いつつ、帰り道を間違えなければいいのよね、と曲がり角を必死で記憶しつつ後を追う。
 確かに小道の奥の方にパッチワーク商品だけを置いたお店があって、今度はそこにいた別のお兄さんと値段交渉をやり直す羽目に陥った。結構いい感じの4枚が買えたので満足だ。


 少し迷いつつ元のメインストリートに戻ることができたと思ったら、どうも元来た道ではなく、別のメインストリートに出てしまったようで、いくら「こっちから来た」と思う方向に歩いても見覚えのある景色が出てこない。
 かなり焦って汗だくになって道を探し、見覚えのある金製品のお店を見たときには本当にほっとした。
 ここで時間を使ってしまったので、あとは、黒胡椒(100g7エジプトポンドは高いのか安いのか)や、パッチワークのクッションカバー(急いでいたので、半値に下がらないなら要らないと集合場所に向かおうとしたら、半値でいいと言われた)を購入し、1時間のお買い物タイムを満喫した。


 本日最後の観光場所は、エジプト考古学博物館だ。
 15時40分に館内に入り、まずは大混雑の中、ガイドさんに連れ歩いてもらう。
 初っぱな、「これがこの博物館にある唯一の偽物です。」というロゼッタ・ストーンの説明が何だか可笑しい。そしてまた、フランス人が発見したロゼッタ・ストーンが大英博物館に所蔵されているのも何だか不思議な話である。
 ロゼッタ・ストーンには「お礼」が書いてあるそうだ。そんな、何というか普通のお手紙みたいなことが書いてあるとは知らなかった。中味はともかく、ヒエログリフが解読できるかも知れないと思わせたという意味で重要な「石」である。


 ジュセル王の座像は、紀元前4900年頃のもので、階段ピラミッドの中(というか裏)で見つかった。石灰岩製で、その握っている手は「力」を、開いている手は「平和」を象徴しているという。


 カフラー王の像は閃緑岩という非常に硬い石で作られており、また、王の頭をホルス神が守っているのは、珍しい意匠である。ロータスとパピルスが椅子の側面に彫られており、どっちかが上エジプトを、どっちかが下エジプトを象徴している。カフラー王の権力とその治世の発展振りを物語る像だと言っていい。
 カフラーというのは、「ラー神の日の出」という意味である。いかにも勢いのありそうな名前である。


 こうした「像」は、王のものは理想の姿で彫られ、王以外の像は写実的に彫られているという。カペルというカフラー王の神官の像は、確かに特に「格好いい」ようには造られていないように見える。
 4600年前に造られた木像が今も朽ち落ちずに残っているのは、エジプトが乾燥した土地だからだろうか。


 メンカウラー王の像もあるし、唯一と言われるクフ王の像もこの博物館に所蔵されている。
 クフ王の像は、あんなに大きなピラミッドを造った王なのに象牙製とはいえ僅か7cmという小ささだ。奥ゆかしい人柄なのか、目立とう精神旺盛な人なのか、判断に迷うところである。
 しかも、この像は最初に発見されたときには首がなく、首部分を見つけるのにそれから3年もかかったという。


 考古学博物館の所蔵品は数知れない。しかも、その一つ一つにあり過ぎるほどの価値があり、意味がある。
 一般に男の人の像は赤く女の人の像は白く塗られるとか、棺の内側には呪文を唱えると現実化するもの(死後の国で必要な食べ物などの絵)が描かれているとか、中王国時代は戦争ばかり行っていたために技術力が低下して棺も美しくなくなってきたとか、ハトシェプスト女王の頭像が茶色く塗られているのは男の振りをしていたからだとか、ハトシェプト女王は女性には禁じられていたスフィンクスをいくつも造っていてそのうちのいくつかが考古学博物館にも所蔵されているとか、本当にエピソードには事欠かない。


 しかし、考古学博物館最大のトピックといえば、ツタンカーメンだ。
 マラリアで亡くなった、あるいは足の障害が元で亡くなったなど諸説あり、19才の若さで亡くなったこの王の墓だけが、唯一、盗掘に遭わずに副葬品が全て現代に伝わっている。
 その「宝物」を納めた三重になった厨子の展示方法も洒落ていて、厨子を納めたガラスケースに、中に入るべき一回り小さな厨子の外観が写っている、という趣向である。
 この厨子は木製金箔で、それだけでも豪華だ。
 この中で、さらに三重の棺に守られてツタンカーメンのミイラが眠っていたのだ。


 一番外側の棺はルクソールの王家の谷、ツタンカーメンの墓の中にある。そして、ツタンカーメンのミイラも、現在は同じく自身のお墓の中にいる筈だ。
 考古学博物館に所蔵されている内側の棺だけでも相当に豪華だ。真ん中のものは木製金箔だけれど、一番内側の棺は純金製で110kgもある。
 有名な黄金のマスクは11kgだという。
 また、ツタンカーメンの棺の中からは、花束も発見されている。


 ツタンカーメンのお墓にあった宝物の数々は、本人が使っていたベッド、香水瓶、パピルスで座面が貼られた折りたたみ椅子などがある。王は屋内用と屋外用と、必ず二つの玉座を持っていたそうで,その両方が展示されている。足が悪かったことから杖も残っている。ツタンカーメンとアンケセナーメンの「仲むつまじい」姿が浮き彫りにされた椅子などもある。
 とにかく、豪華で豪奢だ。いくら見ていても見飽きるということはない。
 その後の自由時間(17時から18時までの1時間)も、私はミイラ室には行かず、ツタンカーメンのお宝のある一角をひたすらうっとりと歩き回った。
 希望者はガイドさんが博物館の近くにあるバザールにご案内しますと言われたけれど、もちろんパスである。
 可能な限りエジプトのお宝を堪能したい。


シャンポリオン像 この考古学博物館の庭には、初代館長であり、ロゼッタ・ストーン等からヒエログリフを解読したシャンポリオンの像が建っている。
 1年か2年か、とにかく今現在ギザに建設中の新しい博物館に移転する前にもう一度ここに来ようと思った目的の一つが、この像を見ることだった。
 ガイドさんに「とにかく急いで!」とせっつかれつつ走って見に行った
 前回のエジプト旅行で残していた宿題を片付けた気分だ。


 カイロ考古学博物館からシェラトンホテルまでは近い。
 ホテルに戻ったら、ギザのフィリップスの勧め上手のおじさんとすれ違った。彼が我々が購入した金製品をホテルに届けてくれたらしい。
 ロビーで購入したものを渡してもらい、ガイドさんはここまでというお話だったので別れを惜しみ、一旦部屋に戻って荷物を置いてくる。
 夕食のため19時にロビーに行くとガイドさんたちはまだ残ってくれており、ここで集合までの時間に記念撮影やメアドの交換などが行われた。


 夕食は、le chaletというレストランでいただいた。
 ステラのラガービール(31ポンド)を頼む。エジプト料理というよりは、ヨルダンで食べて来た料理に近い感じのメニューで、スパイスの利いたトマトスープも、ケバブも、アイスケーキも、全部が美味しい。
 ランチもそうだったし、エジプト料理はお米を付け合わせにすることが多いように思う。


メインディッシュアイスケーキ


 ツアー最後の夜ということもあって、おしゃべりが弾んだ。
 これまで行ったところの話、これから行きたいところの話、ハン・ハリーリでのお買い物の話、世界遺産検定の話など、やはり旅の話は尽きない。


 ホテルに着いたのはまだ21時前で、そのままツアーのお一人とカイロタワーの方に行ってみることにした。もっとも、夜は一層交通量が激しく、ちょっと道路を渡る気はしない。ふらふらと道路を渡らなくて済む範囲で歩いていると、交差点で見知らぬおじさんに捕まった。
 この近くでお土産物屋さんをやっているというおじさんは、オペラ座は日本の援助で建てられたという話をしたり、どこに行くのだと聞いて来たり、なかなか友好的である。


 友好的だけれど、一緒に歩いていたお嬢さんが目当てだということが段々判り始める。
 「僕と結婚してくれたら、店2軒とラクダ30頭をあげる。」に始まり、でも彼女とこのおじさんだと年齢倍くらい離れていそうなんですけど、とか、私たちはイスラム教徒じゃないんですけど、とか英語では言えないので、何となく話をはぐらかしていると、みるみるうちに話は店3軒とラクダ40頭にまでつり上がった。
 それ以上、つり上がらなかったのは、もしかして結構本気で口説いていたのかも知れない。


オペラ座とカイロタワー 彼女にカイロに残ってお土産物屋さんを仕切るつもりはなく、おじさんを振り切り、二人で散歩を続ける。
 しかし、ナイル川を渡ると、道はどんどん寂しくなる一方で、オペラ座の向こうでイルミネーションがきらきらしているカイロタワーをしばらく眺め、大人しくホテルに引き返した。
 なかなか冒険ってできないものである。


 いつもと違う入口からホテルに入ったら、今まで気がつかなかった本屋さんがあった。
 他店内には絵本や新聞などもあって結構楽しい。
 ツタンカーメンをテーマにしたイラストのミニカレンダーと、スフィンクスをテーマにしたイラストのミニカレンダーを見つけて購入する。
 レジのおじさんに「負けて。」と言ったら、「ここは政府公認のお店で、きちんとした定価をつけているから、値引きすることはできない。」という返事だった。本当かしらと思いつつ、言い値で購入する。


 本屋さんの向かいにあったカフェスタンドでマンゴジュース(23ポンド)を買い、お店のおじさんに「チップ込みの金額を払え。」と注意され、部屋に引き上げた。
 まだそれほど眠くなかったので、お風呂に熱めのお湯を入れつつ、マンゴジュースを持ってテラスに出る。
 カイロタワーは1時間に1回、15分ほどのイルミネーション・ショーをやる。その様子を、テラスからバッチリ見ることができた。色が変わったり模様が出たりするだけでなく、ピラミッドのような絵が描かれたり、なかなか高度で楽しい。
 何だかハマってしまい、22時の回を見て、お風呂に入り、もう一度23時の回を最初から最後まで見た。
 あのイルミネーションを最初から最後までばっちり見た人なんて、そうはいないに違いない。


<この日の服装>
 半袖Tシャツ、長袖シャツ、カーゴパンツ


<歩数計>
 ヨルダン・エジプト時間9月24日18時から25日18時まで 14486歩


 ヨルダン・エジプト旅行記8日目その1 <- -> ヨルダン・エジプト旅行記9・10日目

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2011.05.01

ヨルダン・エジプト旅行記8日目その1

2010年9月25日(土曜日)


シェラトンの朝食 6時に起きたら鼻声になっていた。空調が効いていたからかも知れない。
 しかも、シナイ山登山の影響が出てきたのか、全身が筋肉痛である。
 6時30分くらいに朝食を食べに行ったら、やはり朝早くから観光に出かける人が多いせいか、そもそもロビーに設けられた朝食スペースが狭いのか、大混雑で、空いたテーブルを探すにも手間取った。
 うろうろしたお陰で、奥の方のスペースにこっそりとおかゆとお味噌汁があるのを発見する。
 でも、やっぱり洋食が美味しそうだったので、グラノーラやフルーツ、ターメイヤコロッケなどを食べた。ストロベリージュースが美味しい。


 時間に余裕があったのでホテル内にある銀行に行き、100ポンド札が崩れるかどうか聞いてみた。
 「崩せるけれど1ポンド札はない」という返事だ。トイレチップのために1ポンド札が欲しかったので、それでは仕方がない。50ピアストル硬貨ならあると言われたけれど、そんなにジャラジャラさせるのも嫌だし、重いし、明日には出国だからどうにかなるだろうと両替は諦めた。


 8時にホテルを出発し、45分くらいでギザのピラミッドに到着した。
 喉が痛いせいか、筋肉痛のせいか、今日の観光予定場所が全て一度行ったことのある場所のせいか、どうもテンションが上がらない。よっぽど調子が悪そうに見えたらしく、添乗員さんに「大丈夫ですか?」と聞かれた。心配をかけてしまって申し訳ない。


クフ王のピラミッド クフ王のピラミッドに入る前に、ガイドさんの説明を聞く。
 彼はピラミッドはお墓であるという説を支持しているようだ。
 エジプトの天地創造の神話においては、ラー(という神様)は山の上にあって、陸地も人も造ったのであり、山はラーの象徴である。従って、山の形のお墓はラーによって守られると考えられており、ピラミッドが山の形をしているのはそのためだという。


 ピラミッドは、きちんと作れるようになるまで何度も建造に失敗している。ジュセル王がサッカラに階段ピラミッドを造ったのが世界で最初のピラミッドといわれている。約4900年前のことだ。
 クフ王の父であるセネフル王は、1回目のピラミッド建造に失敗し、2回目でいわゆる「屈折ピラミッド」を建造することができ、3回目の建造でやっと完璧な形のピラミッドとしては世界最古の「赤いピラミッド」を完成させることができた。
 この赤いピラミッドは、ダハシュールにある。


 ピラミッドはエジプト国内に現在82基あり、紀元前4900年から4200年に建造されている。それ以降は、盗掘を避けるために、王は王家の谷にこっそりひっそり埋葬されるようになったという。
 クフ王のピラミッドは、元々の高さは146m、てっぺんの部分が壊れて現在は高さ137mである。第2ピラミッドといわれるカフラー王のピラミッドは現存する部分の高さが143mで、クフ王のピラミッドより高い。
 ピラミッドのほとんどは石灰岩で造られ、内部は赤花崗岩が使われている。この赤花崗岩はアスワンに石切場があり、アスワンからナイル川を船で運んできたと考えられている。


 クフ王のピラミッドは、正確に東西南北を向いて建造されている。また、地上部分に空洞があるピラミッドはクフ王のピラミッドだけだという。
 私たちが観光でクフ王のピラミッド内部に入るときに使用するのは、盗掘に使われた入口である。
 9世紀にマムール(と言っていたと思うけど自信はない)という人が強引に作った入口でだ。彼が盗みに入ったときにはクフ王のピラミッド内部は空っぽだったという。すでに盗掘されていたのか、そもそも最初から何も入っていなかったのか、どちらだろう。


 クフ王のピラミッドに入ると、しばらくは下に向かって進む。クフ王のピラミッドには埋葬室が地上に一つ地下に二つ、計三つある。しかし、完成している埋葬室は一つだけである。
 大回廊は長さが47m(これは太陽の船と同じ長さ)、高さが8mあって、幅は2mから1mへと段々狭くなって行く。
 手すり部分にある穴の役割は未だに不明だ。


 その後、水平通路があって、王の間に続いている。
 王の間には壊れている棺が置かれているのみで、他には何もない。
 王の間の壁に空いている穴は、従来は換気口だと考えられていたけれど、2003年の調査で外部に通じていないことが判明した。しかしまだその役割は判っていないらしい。
 王の間の上にはいわゆる「重力低減の間」があり、その一番上の部屋にクフ王の名が刻まれている。


 こういった説明を聞いてから、カメラを添乗員さんに預け、クフ王のピラミッドに突入した。
 前回来たのは1月で、「夏には暑くて暑くて、途中で引き返してしまう人も多いです。」と言われた記憶があったし、ツアーの他の方で「ピラミッドは匂いがきつくて出てきてしまった。」とおっしゃる方もいらして、かなり戦々恐々として入る。戦々恐々としていたためか、思ったよりも大丈夫だ。
 確かに汗はダラダラ流れるし、筋肉痛の全身にかがんで進まなければならない内部はかなりキツイ。それでも、さほど苦しい思いをせずに埋葬室に到着した。


 前回ピラミッドに来たとき、私は通った通路以外の通路の存在に全く気がついていなかった。
 ガイドブックなどにクフ王のピラミッドの断面図がよく載っていて、下降通路とか、女王の間に通じる通路とか、行けないし見られないのにどうして書いてあるんだ紛らわしい、と思っていたくらいだ。
 それが、今回、下降通路と、女王の間に通じる通路と、両方の存在に気がついて、しげしげと眺めてくることができた。
 女王の間に通じる通路は鉄格子で遮断されていたものの、明かりがついていて、じっくり見ることができる。
 どうして前回は気がつかなかったのか、不思議なくらいである。


三大ピラミッド クフ王のピラミッドから出て、10時頃、3大ピラミッドが見渡せるビューポイントに到着した。
 しかし、見えない。肉眼では、この写真よりも見にくかった。周りが明るすぎて、液晶では余計にピラミッドを確認できず、適当にシャッターを押す。
 前回来たときにも砂が舞ってくっきりと見ることはできず、「きっと冬に行ったからに違いない、夏に行けば澄み渡った空の下のくっきりした三大ピラミッドが見られるに違いない」と思っていたのでショックだった。
 ガイドさんに聞いてみると「季節によって違うというのではなく、日によります。運です。」という話だ。


カフラー王のピラミッド ビューポイントから再びピラミッドの近くに戻り、フォトストップになった。
 観光バスが何十台と駐車していて、どの位置に駐められたどのバスなのか、必死に覚えてから出かける。
 クフ王のピラミッドに向かうツアーの方々から離れて、カフラー王のピラミッド方向に向かう。
 カフラー王のピラミッドは、クフ王のピラミッドよりも地形的に少し高いところに建造されているし、一番上の部分も崩れず、逆に化粧岩が残っていて往時の姿を彷彿とさせ、格好いいと思う。


ピラミッドとスフィンクス その格好いいカフラー王のピラミッドを従えているのか、カフラー王のピラミッドを守っているのか、どちらなのか今ひとつ判りにくいのがスフィンクスである。
 スフィンクスは、カフラー王のピラミッドから50m手前、28m高いところに建造されている。
 神殿の穴からはスフィンクスそっくりのカフラー王の座像が発見されている。カフラー王は相当にハンサムだったに違いない。
 ガイドさんは、スフィンクスの鼻と額にあったコブラは、ナポレオンがエジプトを侮辱するために落としたのだと説明していた。


 スフィンクスの前足の間にはドリーム・ステラと呼ばれる碑がある。
 この碑文には、トトメス4世が砂に埋もれたスフィンクスを掘り出して救い、スフィンクスの助力によってファラオとなったと刻まれている。これは作り話だろうし、トトメス4世は、こうした神懸かり的な話を必要とするほど、尋常ではない即位の仕方をしたんだろうなと思う。


スフィンクスの後ろ姿 こうした説明を聞いてから、スフィンクス周辺で自由行動となった。
 結構な混雑だ。
 スフィンクスはケンタッキーフライドチキンを見つめているというのは有名な話だ。実際にスフィンクスの視線の先を見極めようとしたところ、スフィンクスのお尻の方まで行ってしまうと、私の視力ではケンタッキーフライドチキンは確認できなかった。


 河岸神殿を通り抜け、特設ステージが造られている辺りを抜けた木陰に集合する。
 特設ステージの手間で振り返ると、三大ピラミッドとスフィンクスを一望することができた。


 この後、ツアーとしてはパピルスのお店に行くことになっていた。私も含め、金製品のお店に寄って欲しいとリクエストした人が結構いたらしく、希望者のみ金製品のお店に行くことになった。
 フィリップスというそのお店は、どのガイドブックにも載っている有名店である。
 ここで購入したものは、夕方にホテルに届けてくれるという。
 私は、この旅行中に母が誕生日を迎えるということもあって、「ヒエログリフで名前を入れたカルトゥーシュのペンダントトップをお土産兼誕生日プレゼントに買って帰ろう」と決めていた。
 だから、お買い物は早い。大きさと文字のデザイン(ときどき、二つのヒエログリフを持つアルファベットがある)を決めれば完了だ。


スカラベのペンダントトップ 若い女性が多いツアーだけあって、買い物はかなり盛り上がっている。手持ちぶさたでショーケースを覗いていたら、お店の、割と偉そうなおじさんが色々と私に勧め始めた。
 アンクを示されて「それはもう持ってる。」と答えると、「だったらスカラベのペンダントトップを買いなさい。そうしたらお守りが全部揃う。」、「(最初に買ったカルトゥーシュのペンダントと)二つ買うなら、**%値引きする。これは、他の人には内緒だ。」、「このペンダントトップを見ろ。他のものとは色が違う。これがベストだ。」などなどと上手い。
 スカラベってふんころがしじゃんと思いつつ購入した私も相当に脇が甘い。
 値引率を**にしてあるのは、お店のおじさんに「内緒だよ。」と言われたからではなく、単純に覚えていないからだ。


 金製品のお店にいたのは40分くらいだったろうか。
 次にパピルスのお店に行くと、金製品のお店に行かなかった方がすでに到着して、大きなお買い物をされていた。
 ちょっと心惹かれるものの、飾る場所がない。前回来たときにパピルスのしおりをお土産にしているので、同じものを買って帰るのも芸のない話である。
 パピルスの作り方の説明を楽しんで、20分ほどでお店を出た。


ピラミッドビュー お買い物も終え、12時30分くらいからピラミッドビューのレストランで昼食をいただいた。
 結構美味しかったし、お料理の写真を撮ろうとしたら「まだあるからちょっと待て。」と教えてくれた。お皿が先に来て、お料理を持ったウエイターさんたちが次々によそいに来てくれる、というサーブの仕方だったのだ。
 お店のお手洗いを借りたときに小銭がなかったので「お釣り頂戴。」と言ったらちゃんとお釣りをくれたし、カメラを忘れかけたら追ってきて教えてくれたし、雰囲気の良い、いいお店だった。お店の名前をチェックしそびれたのが残念だ。


前菜メインディッシュ


 ずっと飲みたかったマンゴージュース(20ポンド)も、絞ったというか崩しただけという感じの濃厚さで美味しかったし、スズキのフライも美味しかったし、お腹いっぱい食べて満足した。


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