プロフィール写真を変える(丹頂鶴)
2011年2月26日から27日まで、1泊2日で知床に流氷を見に行って来た。
昨日、やっとその旅行記を完成させたので、旅行記完成記念として、プロフィール写真をこれまでのペトラ遺跡のエル・ハズネから、JR釧網線芽沼駅近くで見ることができた、丹頂鶴の写真に変えることにした。
やはりこの姿は優美だと思う。
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2011年2月26日から27日まで、1泊2日で知床に流氷を見に行って来た。
昨日、やっとその旅行記を完成させたので、旅行記完成記念として、プロフィール写真をこれまでのペトラ遺跡のエル・ハズネから、JR釧網線芽沼駅近くで見ることができた、丹頂鶴の写真に変えることにした。
やはりこの姿は優美だと思う。
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ここは知床流氷旅行記への入口である。
以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。
この1泊2日の知床流氷旅行にかかった費用は、概算7万5千円だった。(この中には、ツアー代、羽田までの交通費、食費、おやつ代などは含まれているが、お土産代は含まれていない。)
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2011年2月27日(日曜日)
早朝、流氷ウォークのオプショナルを申し込んでいた。
4時30分に起き、持参したマドレーヌとコーヒーで軽く腹ごしらえをする。お腹が空いていたら寒いんじゃないかという気がする。
ホテルのロビーに5時30分集合だ。流氷ウォークが終わった後はとにかく手が冷たいと聞いたのでカイロを用意し、その他、タオル、カメラ(あまり高いものだと預かれませんと言われている)を持ち、帽子を被ると聞いたのでゴムとバレッタも用意する。
事前にもらった注意書きには「ズボンの裾を入れるために長めの靴下を用意してください」とも書いてあった。
ゴジラ岩観光のバンが迎えに来て、ホテル知床に向かった。
ホテル知床にも同じツアーの方が宿泊していて、ロビーで全員揃ってドライスーツを着る。前日に身長体重を申告してあり、サイズの合ったドライスーツ、帽子、手袋を渡される。
身長に合わせて渡されたドライスーツはぶかぶかで、「このままでは水が入ってくるから。」とスタッフの方に首回りをバンドで締めてもらった。キツイけれど、キツイくらいじゃないと水が入ってきてしまうので、これは仕方がない。
脱いだ靴と上着を持って、再びバンに乗り込んだ。
港に到着してから手袋をした。自分では嵌められず、スタッフの方に「力を入れてください。」と言われてぐっと押すようにして嵌めてもらう。
カメラをスタッフの方に預ける。
スタッフのほとんどは、夏は漁師、海に出られない冬の間だけ流氷ウォークなどのスタッフをしているそうだ。
この日は海岸沿いに少しだけ流氷が来ている(というよりも残っている)状態だった。
流氷ウォークというよりは、流氷に乗った、という感じである。
もっと沖合まで流氷が詰めてきているときは歩けるらしい。この日は厚さ5〜10cmくらいの氷が浮かんでいる感じで、とても歩くことはできない。歩こうとすれば氷が割れて海に落ちてしまう。
だから、どちらかというと流氷ウォークというよりは、氷が浮かぶ海に自分も浮かんで楽しむ、という感じになる。
友人に「流氷の音を聞いてきて!」と言われていたけれど、この状況で流氷同士がぶつかる筈もなく、波は穏やかで動いておらず、「音」を確認することはできなかった。
その知床の氷の下に、クリオネがいた。
スタッフの手の中で泳いでいる。「クリオネってつまるところ何なんですか?」と聞くと、あっさり「貝です。」というお返事である。貝がらはどこにも見えない。蛍光オレンジで、大きさが1cmくらいある。
「岩場に多いんですか?」と聞くと「そうではなくて、氷の下ならどこにでもいる。」と言われ、その後、かなり一生懸命海を覗き込んでクリオネを探したけれど、自分で見つけることはできなかった。
1時間くらい、流氷の上に立ったり、海に入ってぷかぷか浮かんだり、流氷の上に戻ろうとして腕力が足りずにバタバタしたり、スタッフの方に写真を撮ってもらったり、厳冬の海を楽しんだ。
そうして、海から上がると手袋の中に結構水が入っていた。
冷たい。
「手を振ると温かくなります。」とスタッフの方は言うけれど、温かくなったという感じがしない。ちゃぷちゃぷ言っている。
滑りそうな階段を上がってバンまで戻り、手伝ってもらってドライスーツと手袋を脱ぐと、途端に手がかじかむのが判った。
ホテルに戻ったのは7時過ぎだ。フロントで、朝食のおにぎり弁当をもらう。
出発まで50分あるから朝食はゆっくり食べられるなと思っていた。ところが、水筒にお茶を作ったりしていたら時間がなくなってしまい、おにぎり弁当は、お部屋で半分、バスに乗ってから半分を食べた。ここでも水筒が大活躍である。
10分も走ると、バスは、昨日の到着前にライトアップされた状態を見たオシンコシンの滝に到着した。
「滑りやすいですから気をつけてくださいね。」「恥ずかしながらここで転んで骨折したガイドがおります。」というバスガイドさんの注意を受け、バスを降りる。
滝の全景を見るには少し階段を上がる必要があり、そこが滑りやすい。
滝は中心部というか、岩に近い部分が凍結していて、その表面を水が流れ落ちているという感じである。
落差80mだ。滝の高さ半ばまで階段で上がれ、見た感じは「凄く高い」という印象はない。
途中から流れが二つに分かれていることから「双美の滝」とも呼ばれている。
もっとも、半ば凍結していたせいか、全体的に水も氷も雪も白いせいか、途中から二つに分かれているかどうかはよく判らなかった。
添乗員さんだったかガイドさんだったか忘れたけれど、とにかく「あそこにエゾシカがいます!」と教えてもらって滝の上を見ると、確かにそこにエゾシカがいた。
私にはそれがエゾシカか他のシカかシカですらないのか実は見分けがつかない。地元の方がエゾシカだといえばそれはエゾシカに違いない。
目一杯ズームを効かせて写真を撮る。黒目がちの大きな目とハート型に白い毛になっているお尻が可愛い。
すっかり満足してバスに戻った。
バスの車窓から、鉛色の空とぷかぷかと浮いている流氷を見ながら、流氷ノロッコ号に乗車する知床斜里駅に向かう。
8時55分発だ。自由席利用ということもあり、早めに駅に到着したようだ。
流氷ノロッコ号は、通常の客車と、テーブル席と海を眺められるよう窓に向いた席があって達磨ストーブが設置されている展望車がある。達磨ストーブでは、車内販売で買ったするめなどを焼くこともできる。
自由席とはいえ一人くらい何とかなるだろうとうろうろしていたら、朝ホテルのロビーで会ったご夫婦が「席を確保したから。」と招いてくださった。感謝である。
ノロッコ号で一番印象に残っているのは、とにかく寒かったことだ。
後で聞いたところでは、一番列車(私たちが乗った列車)は車庫から出てきたばかりで、ストーブを入れても冷え切った客車や座席を温めることはなかなかできず、かなり底冷えするのが常らしい。昨日のおーろら号で寒さ対策に履いていた綿入れのズボンを、ここでも履くべきだった。
流氷ノロッコ号は、名前のとおり「流氷を見ながら電車に揺られる」ことがでポイントだ。
残念ながら、知床斜里駅から離れるに従ってさらに海に浮かぶ流氷は減り、車窓から流氷を見ることはほとんどできなかった。
北浜駅で流氷ノロッコ号を下車した。
北浜駅にはノロッコ号も15分ほど停車し、駅のホームに作られた展望台に上って海を眺めたりすることができる。もっとも、展望台に上がっても、流氷の姿は全くと言っていいほど確認することはできなかった。そんな日もある。
空も相変わらず鉛色である。
バスで一駅戻って、JR浜小清水駅兼道の駅はなやか(葉菜野花)小清水でお手洗い休憩になった。
もちろん、ついでにお買い物もする。
株式会社北都という会社のカレー缶がめちゃくちゃ気になる。何しろ、「熊カレー」とか「エゾシカカレー」というラインアップだ。
ガイドさんのお話によると、ガイドさんが子どもの頃には普通に花咲かにカレーとか、ホッキ貝のカレーとかをお母さんが作ってくれてイヤというほど食べていたそうだ。お肉のカレーが食べたいと思っていたとおっしゃるのだから、こちらからしてみると贅沢な話である。
今でもホッキ貝のカレーは普通に作って食べるという。
妹夫婦が我が家に来たときに話の種に食べるにしても、熊カレーはインパクトがありすぎだろうと、蟹カレーを2缶買った。1缶二人分で1050円だから、「異様にお高い」というお値段ではないと思う。
バスは摩周湖に向かった。
「霧の摩周湖」というイメージだし、窓から見える景色はずっと一面の雪だったので、正直に言うと湖が見られるとは期待していなかった。
登り道にさしかかる前、うっすらと見えた山陰を確認したガイドさんは「この山が見えていれば、多分、湖も見えていると思います。」とおっしゃる。
確かに到着したときには、鉛色ながら湖面がくっきりと見えた。少し前まで霧がかかって見えなかったというから、不思議である。
11時15分から45分間の時間が確保されていて、気温0度で太陽も見えない中でそうそう摩周湖を眺めるだけで時間が過ぎるわけもない。ツアー参加者のほとんどはお土産物屋さんに入ってしまう。
ここのお土産物屋さんは、品揃えが豊富だ。おーろら号の乗船場で「オホーツクブルー」という名前で売られていたソーダ味のソフトクリームが、ここでは「摩周湖ブル−」という名前で売られている。可笑しい。
私もここでロイズのポテトチップチョコレートや、カルビーのジャガポックルなど、よく考えれば空港でも購入できる定番のお土産を購入した。
ジャガポックルは一時、あまりの人気に店頭から姿を消すほどだったらしい。「最近は戻って来ているけれど、ジャガポックルを見かけたらそこで買う方がいい。」とガイドさんのアドバイスがあった。
お土産を買っている間に少しだけ日射しが戻って来て、先ほどよりずっとブルーの濃い摩周湖を見ることができた。
満足である。
季節には川湯温泉から摩周湖にスターウォッチングのバスが出ているそうで、夏に来てみたいなと思った。
昼食は、レストハウス 摩周プラザというドライブインでいただいた。
昨日のうちに予約注文してあるので、用意されるのは早い。
私は豚丼(1050円)を食べた。正直に言うと、これで1050円は高いなと思った。そして、あるいは違いがあるのかも知れないけれど、店頭にあったメニューに「豚丼850円」と書いてあったのが何となく納得がゆかない。
13時30分になる前に、バスは標茶駅に到着した。
ここから終点の釧路まで、SL冬の湿原号に乗る。
標茶駅では、サービスで改札開始前にホームに入れてくれ、SLの写真を撮ることができた。今度は指定席なので席取りをする必要もないから、もちろん写真撮影に走る。
SLは盛んに蒸気を吹き上げている。
駅員のおじさんに「これは暖機運転をしているんですか?」と聞いてみると、「違うよ。こんなことはやらなくてもいいんだよ。サービスだよ。」という返事で、何だか笑ってしまった。
せっかくサービスしていただけるならと、勢いよく蒸気を出した瞬間を写真に撮る。
ホームには鉄道ファンらしい人が大勢いる。駅員さんと話していたら「写真を撮らないならどいてくれ。」と怒られてしまった。邪魔して申し訳ない。
SL冬の湿原号の車内もテーブル席になっていて、達磨ストーブの上で車内販売のするめなどを焼けることもノロッコ号と同様である。
席は4人掛けになっていて、私は家族3人で参加されていた方のテーブルにお邪魔する形になった。流石に何となく気詰まりだったことと、先頭から2両目に緩急車と呼ばれる昔ながらの車両が連結され、ネイチャーガイドの方の説明も聞けるということだったので、緩急車に居着いた。
決して乗り心地がいいわけではないし、何となく煤も入って来て全身に煤の匂いがついてしまったけれど、でもこれはなかなか楽しい。
同じツアーの方がするめを焼いていて、ご馳走してくださった。お酒も用意していて、準備がいい。
もうしばらく走ると右側に丹頂鶴がいるかもと言われ、窓の外を必死で探していると、畑のようなところに丹頂鶴がいた!
車もたくさん来ていたし、SLもわざわざ停まっていたのでそこは丹頂鶴のポイントなのかしらと思う。後で調べたところでは、芽沼駅の駅長さんが長年にわたって餌付けをしてきた場所だった。
この3羽の丹頂鶴は、親子である。
真ん中にいる羽の色の少し薄い一羽が子どもだ。この夫婦はまたこれから産卵の時期に入るので、子どもをイジメて親離れを促すようになる。だから、この一家の最後の家族団らんの様子を見られたとことになる。
丹頂鶴を初めて生で見たような気がする。優雅で優美である。
贅沢を言うと、飛ぶ姿が見たかったなぁと思う。
その後も、ネイチャーガイドの方に教えてもらい、かなり遠かったものの湖の岸辺に集まっているオオワシを見ることができた。
ガイドさん曰く「ごま粒ほどの大きさ」だ。
オオワシは世界中で北海道のこの地域にしか生息しておらず、ヨーロッパの人などが何十万もかけてオオワシを見に来るという。鷲のファンは、一生のうちの北海道のオオワシとアンデスのハゲワシをぜひ見たいと思うものらしい。
そろそろ食事どきだそうで、エゾジカの群れや、子連れのエゾジカが川岸に降りてきているところも見られた。一瞬で通り過ぎてしまい、写真を撮れなかったのが惜しい。可愛かったのに残念である。
また、川辺の水際ぎりぎりにミンクがいるかも知れないと教えられ、必死になって探す。見た目は狐に似ていて、黒っぽいのがいたらミンクである。この近くにあったミンクの飼育場から逃げ出して野生化したらしい。
ミンクは地元の特産で、ミンクを飼って、毛皮のコート等々に加工する工場があるという。コートを作るのにミンク何頭分もの毛皮が必要で、しかも色目や毛並みが揃っていないといけないので、とても大変な作業になるという。エサの食べ方なども同じに揃っていないと毛並みが揃わないそうだ。
そうして苦労して育てた後、毛皮をテープ状にして全て手作業で縫い合わせる。1着500万円くらいしても当然だ、とおっしゃる。
この辺り(といっても、そのお話を伺ったのがどの辺りだったのか、全く判っていない)は、海岸線から30kmほど離れているのに、標高が8mくらいしかない。高低差がないので川の流れはとても穏やかで、魚も結構いるから釣りをする人も多いらしい。
ミンクも泳げるということだし、魚目当てで川岸に降りてくるのだろう。
ミンクは見られなかったけれど、その後もエゾシカの群れは何度か目にすることができた。そうやって窓の外に目を凝らしていると全く飽きることはない。
15時過ぎに釧路駅に到着した。
少し時間があると言われ、SLの運転席の写真を撮りに走る。乗務員さんに「撮っていいですか?」と聞いたら、無理して身体を引いてくださったので、ばっちり運転席の様子を撮ることができた。
でも、これでは少し寂しいので、乗務員さんに入ってもらってもう一枚、撮らせてもらった。
旅の行程もこれでほぼ終了である。
釧路駅から再びバスに乗り込み、たんちょう釧路空港に向かう。
釧路の主な産業は製紙業であること、釧路湿原はもう使い道もないから潰してしまおうかというタイミングでラムサール条約で登録されたこと、たんちょう釧路空港の入口にはかなりデキのいい丹頂鶴などのオブジェが飾られていることなど、地元ということもあってガイドさんの説明にも熱が入る。
一番印象に残ったのは、北海道の家には雨戸がついていない、なぜなら戸袋に雨戸をしまうと凍り付いて出せなくなってしまうから、という話だ。
16時50分発のANA744便に乗るため、16時過ぎに釧路空港に到着した。
家に電話してみたら「六花亭のストロベリーチョコが食べたい」というリクエストがあり、空港の売店で購入する。
北海道最後の「食」として、添乗員さんお勧めの森高牧場のミルクソフトを食べ、1泊2日、超充実の知床流氷の旅を終えた。
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2011年2月26日(土曜日)
ツアーの集合は、羽田空港に11時だった。
北海道に到着したらずっとバス移動だし、座席に荷物を持ち込めた方が便利だと思い、レスポのボストンバッグで来たら、羽田空港に到着した時点ですでに荷物が重くて肩に食い込んでいた。キャリーケースで来た方が良かったかもと弱気になる。
ツアーの受付カウンターで搭乗券をもらい、参加人数を聞いたら「36名です。」という回答だった。
多い!
こんなに人数の多いツアーに参加するのは初めてかも知れない。
添乗員さんから電話で「お昼ごはんは食べてきてください。」と言われたので、飛行機の中で食べようとお弁当を探してうろうろする。
羽田空港第2ターミナルの端から端まで行きつ戻りつして、【北前船のカワモトブランド】永平寺みそ焼き鯖ずし(1365円)を購入した。
バスの中でもちょっとずつ温かい物が飲めるといいなと思っていたので、国際線じゃないから大丈夫でしょうと水筒にお茶を入れて持参した。セキュリティ・チェックでは、蓋を開けて係の人が匂いを確認していた。ちょっと不思議な光景だ。
セキュリティチェック前にある機械に搭乗券の2次元バーコードをかざしてチェックインする。国内線の飛行機に乗るのは本当に久しぶりで、その進化に驚いた。
搭乗口手前でマイルが登録できるか試してみたら、団体チケットのため登録できませんという表示が出た。海外旅行だとツアーのチケットでもマイルの登録ができるし、すっかりその気でいたのでびっくりした。
ANA837便は、理由は忘れたけれど遅れ、中標津空港に到着したのは13時30分をだいぶ回ってからだった。
羽田空港で10度だった気温は、中標津ではマイナス6度だ。ターミナルビルからバスまでという短い距離しか歩いていないせいか、思ったよりも寒さを感じない。
ツアー初日の最初の予定は、網走で砕氷船おーろら号に乗ることだ。
網走から車で2時間ほどかかる中標津空港到着が13時半過ぎだったから、飛行機が着陸した時点で、予定していた15時30分発のおーろら号に乗ることができないのは確定していたようだ。
空港を出発したバスの中で添乗員さんから、15時30分発のおーろら号には間に合わないので、16時30分発の船に変更するという案内があった。
今日の午前中は高波のためおーろら号が欠航しており、14時の便から運航再開しているけれど流氷帯に入れたのは5分ほど、もし15時30分の便を出して流氷がないようなら16時30分の便は欠航すると言う。
かなりチャレンジングな状況である。
色々な流氷ツアーの行程で、どれも予定が詰まっていなかった理由がよく判った。
また、16時30分発のおーろら号に乗ると、宿到着が20時近くになり、20時から始まる知床オーロラファンタジーの前に夕食を食べることができないし、知床オーロラファンタジーを見終わって宿に戻る頃には夕食時間が終わっているので通常の夕食を食べることはできない、という案内もあった。
このツアーでは宿が2カ所に分かれていて、私が泊まる宿の場合、オーロラファンタジーに参加すると夕食はラーメン+おにぎりになります、と言われる。
結構迷って、夕食を選んだ。私は相当に食い意地が張っているというべきだろう。
バスの中で、翌日のお昼ごはんの注文の受付があった
明日の昼食はドライブインのようなところで、予め注文をしていなくても食べるのはその場所になりますと言われ、豚丼・釜飯・鮭のちゃんちゃん焼きの三択で、豚丼を頼ぶ。
この雪景色の下は、ほとんどが牧場だそうだ。
風が強く、白く霞んでいるのは地吹雪である。
風で雪が飛ばされ、動物の足跡はほとんど消えてしまっている。エゾシカやキツネ、野ウサギの足跡はよく見ることができるらしい。
キツネはモデル歩きをするので足跡は一直線になっている、という話が可笑しかった。
道路の脇には「防雪柵」が延々と続いている。吹雪になったときに雪を遮り、視界を確保するためのものだ。夏になると畳まれたり枠だけになったりするので、冬の風物詩と言えるだろう。
防雪柵の他に、道路の道幅を示す矢印(見通しがとても悪いところでは、太陽光発電の装置もついていて、夜になると光る)と、防雪柵ではとても用が足りないときのためのトンネルがところどころに作られている。大吹雪のときなどは、トンネルの中に待避するそうだ。
カムイ・ポプニカ・アーホイヤというお呪いも教えてもらった。
神様・お天気・お願い、という意味である。
3回唱えてくださいねとガイドさんに言われた。雨女の私には旅行に必須のお呪いかも知れない。
オオワシとオジロワシの違いも教えてもらった。
オオワシは、体色は焦げ茶色で、くちばしは黄色で、翼を広げるとバスの幅ほどもある。
オジロワシは、体色が茶色で、その名のとおり尾は白く、くちばしはオレンジっぽい黄色だ。
バスは、15時30分くらいに海辺に出た。
北浜駅の辺りから、かなり沖の方に流氷が白く見えた。バスの中から歓声が上がる。
おーろら号も何とか流氷帯に入れるようだ。
2011年は、2010年に比べると流氷がよく来ているものの、厚さがないために風の影響を大きく受けるようになったという。1時間で流氷の状況が変わることもあるそうだ。
16時ころ、おーろら号が出航する道の駅に到着した。
お手洗いを済まし、バスの中では暖房が効いて軽装になっていたので防寒の身支度をする。
綿入りのズボンを上から履き、カイロを持ち、帽子とマフラーを装着し、ダウンジャケットを羽織る。準備万端である。
おーろら号は2隻で運行していて、先発の船が帰って来たらその船をバックに集合写真を撮りますと言われる。残念ながら運航状況の関係で船は戻って来ず、海をバックにした集合写真となった。
いよいよおーろら号に乗船というときになって、雪が舞い始めた。その雪は本当にサラサラのパウダースノーで、こうしてコートに雪の結晶の形のままくっつくほどだ。
雪の結晶をこんなにしげしげと見たのは、多分、初めてだ。
おーろら号に乗り込むと、悪天候のためか、サンセットクルーズはそもそも乗船する人が少ないのか、船内はガラガラだ。
船に乗り込んですぐ、窓越しに外が見られる席を確保したものの、せっかちな私はそこでのんびりできず、すぐにデッキに出た。
ツアーの中には、道の駅で買い込んだプリンやお焼き、網走ビールなどを席で堪能する方もいらしたから、私は相当に落ち着きがない。
出港して10分もすると、前方に白く細い帯が見えてきた。流氷帯である。
流氷が見えた後は、1階のデッキから3階のデッキまで行ったり来たりしながら、ひたすら流氷の写真を撮ったり動画を撮ったりしていた。
流氷は残念ながら詰まってはおらず、「ガリガリと砕く」という感じではない。
でも、間違いなくこれらの氷は遠くアムール河からはるばるやってきた兵どもである。
船は三日月型に残っている流氷帯を、そのカーブに沿って突っ切ってくれたらしい。
流氷帯の中にいたのは、正味25分ほどだ。
流氷が浮いている状態なので、船は「流氷を砕いて」というよりは「流氷をかき分けて」進む。
船が流氷帯を進んでいる間中、カイロを使っているヒマもなくずっとデッキで写真と動画を撮り続けていたら、最後の頃には手がすっかりかじかんでしまった。
氷を照らしている緑色のライトは、「ライトアップ」だという説明だった。
私はてっきり、船の運航に必要なライトなのだとばかり思っていて、「うー、あの緑色のライトは邪魔だわ」などとずっと思っていた。失礼な話である。
こうして、1時間ちょうどのおーらろ号サンセットクルーズは終了した。
17時30分に下船し、10分後、ウトロに向けてバスは出発した。
水筒で持ってきた温かいお茶が嬉しい。我ながら、なかなか賢い持ち物だったと思う。
もう既に辺りは暗くなっていて、ガイドさんも「盛りだくさんのツアーなので、ゆっくり休んでください。」とおっしゃる。
1時間と少し走ったところで、バスはウトロの街の少し手前にあるオシンコシンの滝の横を通りかかった。
ライトアップされている。
停まりはしないもののゆっくりと走ってくれ、窓からライトアップを鑑賞し、頑張って写真を撮った。
19時に今夜の宿である知床プリンスホテル風なみ季に到着した。
添乗員さんから、「バスが順調に走って早めに到着できたので、夕食を急いで食べてもらい、19時45分にバスが再び迎えに来たときにロビーで待っていてもらえれば知床オーロラファンタジーにお連れします。」という案内があった。
かなりぐらっと迷ったものの、「寒いところにはもう行かない」モードに入ってしまっていたし、やっぱり夕食をゆっくりいただくことにした。
この添乗員さんのプランに乗って、ご夫婦がお一組、知床オーロラファンタジーに行かれたようだ。
19時30分くらいから、バイキングの夕食をいただいた。
オーロラファンタジーを蹴ってまで食べようと決めた以上、これは堪能するしかない。知床地ビール(800円)も頼んで、まずは蟹からである。
このホテルのバイキングの売りは、蟹と、「勝手丼」と名付けられた、自分でごはんをよそって好きなお刺身を載せて海鮮丼を作れるというメニューである。
斜め前くらいのテーブルに数少ない女性一人旅らしい方がいらして、その人がもう本当に気持ちよく蟹を次々といただいている。何だか勝手に勇気が湧いてきて、私もかなりたくさんいただいた。
この写真はそのほんの一部である。
夕食後、ロビーのお土産物屋さんを見に行った。
おぼろ昆布の実演販売をやっていて、おじさんが「手作業で削るのがおぼろ昆布で、機械で削ったものはとろろ昆布というんだ。」と言う。
「やってみたいけど、手とか切りそう。」と言ったら、おじさんは「手を切る前に昆布を削れないで切っちゃうだろう。」と笑われた。
試食でおぼろ昆布の入ったお汁を飲ませてくれ、一つ630円のところを二つ買えば1000円にしてくれると言われて有り難く購入する。
お隣のアイヌの木彫りのお店のおじさんと、何故か流氷の話になった。
知床が世界遺産に登録されたのは2005年で、皮肉なことに、登録の次の冬くらいから流氷が減ってきているそうだ。接岸した後から後からさらに流氷が押し寄せて重なり合い、厚みを増し、少しくらいの風では動かないという冬は、それ以来一度も来ていないという。
「この数十年を考えて、確かに流氷が少ない年もあったけれど、いつもは2〜3年の周期でまた厚くて動かない流氷が来ていた。ここ5年来ていないとなると、この先再び一面の流氷で海が埋め尽くされる日が来るかどうか微妙だね。」とおっしゃる。
「今年は流氷が多いって聞いたんですけど。」と聞いてみたら、海氷情報センターなどの情報は、密度は判るけれど氷の厚みまでは判らない、ポイントは厚みなのだ、というお話だった。
流氷はウトロを支点に風で左右に振られる。そのため、ウトロに流氷がある確率が高いらしい。
10年くらい前までは、冬の間は一面の氷で海は真っ白、その氷が岸から離れる前に氷が割れて青い海がその間からのぞき、それはそれは美しかったという。
いいなぁ、と思う。
流氷が次から次へと岸に押し寄せ、重なり、海の底まで流氷で埋まってしまうと、氷が岸を離れた後も浜辺に氷が残る。青い氷は波に洗われてますます青くなり、溶け、きれいなオブジェが海岸に残されたという。
20年くらい前、紋別ではそうして残された氷が海岸線で高さ10mにもなっていたというから驚く。
「オーロラファンタジーも長い間ずっとやっているし、来年なくなるということもないだろう。またおいで。」と言われた
「レーザー光線なら、ホテルのお部屋から見えるんじゃないかと思ったんですけど。」と聞いてみると、オーロラファンタジーは、海に突き出た堤防のようなところから、陸側を向いて見るようになっているそうだ。
陸 藁を焼いた煙 会場
レーザー光線-> <-見る
位置関係としてはこうなっていて、だから、陸側(ホテルのある側)から見ることはできないし、ちょっと角度が違っても見ることはできないと言う。
ホテルの部屋の電気を消してくださいと言われた意味がやっと納得できた。
そんなお話を聞いていたら、あっという間に21時を回った。オーロラファンタジーに出かけた方が次々と帰って来て、ロビーでオニオンスープなどが振る舞われている。
お店にもお客さんが次々とやってきたので場所を譲った。
このお店の木彫りは他のどこで見たものよりもいい感じで、居座ってちゃんとお買い物をすればよかった! と後悔したのは翌日のことである。
きっとお風呂は混雑するだろうと、22時過ぎまで待ってから行った。
スリッパを特定できるようにクリップが用意されていたり、バイキングのときも「食事中」というカードが用意されていたり、一人旅に優しい配慮があって嬉しい。
温泉はその時間にはかなり人も引いていて、岩盤浴もあり、内風呂も露天風呂も上手く回って独り占めできて気持ちよかった。
露天風呂の方が源泉100%だったようで、少しぬるぬるとした湯触りで、大きく動いたときなどにふっと硫黄の香りが漂う。
1時間かけて堪能した。
明日は、オプショナルの流氷ウォークを申し込んでいるので朝が早い。
23時30分に就寝した。
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2011年2月26日(土曜日)から、1泊2日で知床まで流氷を見に行って来た。
計画したり手配したりが面倒で、ツアーに一人参加したところ、36名のツアーで一人参加していたのは私とあとお一方男性がいらしただけだった。
1日目は飛行機が遅れて、予定していたおーろら砕氷船には乗れず、でも一便の遅らせて何とか流氷帯に入ることができた。午前中は海が荒れて出港できなかったという話だから、ギリギリ、ラッキーである。
その代わり、ウトロの知床ファンタジーはパスしたので、次回以降の課題ということにしよう。
2日目は、早朝の流氷ウォークに参加した後、オシンコシンの滝に立ち寄ってから、流氷ノロッコ号に乗り、これまた「今、見えてきた」という摩周湖を眺め、お昼ごはんを食べて、最後のアクティビティとしてSL湿原号に乗って釧路空港から帰ってきた。
ちなみに、1泊2日、1人当たりの交通費、宿代、食事等の旅費(ここには、お土産代は含まれていない)は、約72000円だった。
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