鹿児島旅行記の入口を作る
ここは母と出かけた鹿児島旅行記への入口である。
以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。
この2泊3日の旅行にかかった費用は、1人分が7万円弱だった。ここには、交通費、宿泊費、入館料、食事代が含まれているが、お土産代は含まれていない。
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2011年11月29日(火曜日)
今日も6時に目が覚めた。昨日よりもぐっすり眠れたような気がする。
母と二人で元禄風呂に行くとき、部屋から到着するまでの時間を計ったら、8分だった。広い宿である。お風呂は昨夜とは打って変わった混雑具合だ。
一通りの内風呂は昨日試したので、露天風呂でゆっくりする。元禄風呂は確かにフォトジェニックだけれど、きらびやかすぎてちょっと落ち着かない気もする。
お部屋に戻って日の出を待つ。水平線近くを雲が覆っていて、くっきりした日の出を見ることはできない。それでも、海がどんどん明るく青くなっていって、雲が切れたところから日が差すのを眺めているのはなかなか楽しい。
時々、鳶が待ってきて、「ぴーひょろろ」と鳴いている。本当に「ぴーひょろろ」と聞こえた。
海をのんびり眺めてから、7時30分頃に朝食をいただいた。昨日とは別のテーブル席で、そういえば久しぶりのビュッフェではない朝食である。
和朝食のお膳が運ばれてきて、いつもは洋食の朝ごはんを選ぶ私だけれど、こういう朝ごはんもいいなぁと思う。
シンプルで贅沢な朝食だ。しっかり完食した。
朝食から部屋に戻る途中でホテルの売店に立ち寄り、お土産をいくつか購入する。
お部屋に置いてあった「雅の宿」というお菓子が美味しかったので、これを職場のお土産にしようと買い求める。指宿白水館オリジナルのお芋のお菓子で、紫いもと普通のお芋の練り切りを少し焼いた感じの上品なお菓子である。2.5cm角くらいの大きさで、一口サイズなのもよい。
母は妹のところに、義弟の実家の分も含めてお土産を送ることにしたようで、何やらたくさん買い込んでいた。
再び、お部屋からの海の眺めを堪能する。
どうした加減なのか、明るい光が一筋だけ海を照らしていて、それが何だか異様なくらいに綺麗だった。
9時にチェックアウトしてタクシーで駅に向かう。タクシーの運転手さんに「鹿児島市内でお昼ごはんを食べるとしたらどこがいいですか。」と聞いてみる。運転手さんは鹿児島市内の観光名所を巡るお仕事も多いそうで、「連れて行って喜ばれなかったことはない。」という太鼓判とともに、天文館の熊襲亭を紹介してくれた。「指宿の**タクシーの人に紹介してもらったって言えば、悪いようにはされないよ。」とのことだった。有り難い。
9時31分発の快速電車は始発だ。ホームには電車を待つ人が結構たくさんいて、10分前から並んで何とか座ることができた、ラッキーだった、という感じの混み具合だ。
やはり、指宿のお客さんが相当に増えているということだろう。
鹿児島中央駅で大きな荷物をコインロッカーに預け、シティビューバスで仙巌園に向かった。友人から桜島ビューポイントとしてお勧めしてもらった場所である。友人は「磯庭園」という呼び名で呼んでいたように思う。
薩摩藩島津家の別邸として造園された仙巌園は、その中に「磯御殿」と呼ばれる屋敷があり、見学することができる。しかし、もうすでに11時半を過ぎていたし、私たちは磯御殿なしのチケットを購入した。庭園コースは1000円、御殿コースは建物内部の案内と抹茶とお菓子がついて1500円である。次の機会にはぜひこちらを選びたい。
仙巌園では一昨日まで菊まつりが開催されていて、菊の鉢植えや菊人形が少しだけ残されていた。ちょっと嬉しい。
この仙巌園で大河ドラマ「篤姫」のロケも行われていて、やはり主役は島津斉彬と篤姫の父子である。
入口でもらったパンフレットに載っていた「庭園1時間コース」を巡ろうと、紹介されている順路通りに進み始める。1時間後のシティビューバスで天文館に戻ろうと思っているので、かなり早足である。
正門を見て、まずは高いところで桜島を眺めようと、松風亭のあるところを目指して上がり、ふと振り返って驚いた。
桜島から黒い噴煙が上がっている!
音は聞こえなかったし、振動もなかったと思う。
母は妹に見せようと、携帯カメラで苦心しながら写真を撮っている。
そして二人で「今日のこの時間に桜島にいなくて良かったね。」と言い合う。ここ仙巌園ではまだとりあえず「凄い! 噴煙が上がってる。」と騒いでいればいいけれど、その足もとにいたら相当大変だったのではないだろうか。
じっくりと桜島の様子を堪能した後は、散策コースに戻った。その昔は藩主とその嫡男しかくぐれなかったという錫門を通り、磯御殿の庭先にちょっとだけお邪魔する。見た感じ、簡素な建物のようだ。きっと内部に贅をこらしてあるのだろう。
ここまで来ると曲水の庭も見てみたいと先を急いだけれど、やはり曲水の宴は夏のものだし、当然のことながらお庭も夏に華やかなように造られている。秋も遅い時期だと寂しい印象の方がずっと強くなると判った。
そのまま千尋巌という3文字(3文字の全長が11mあるそうだ)が刻まれた大岩を見上げるポイントや、大河ドラマ「篤姫」のロケが行われたという小さな川に渡された石の橋を通り、汗だくになりながら歩いた。
やはり、母と私の組み合わせだと、コースタイムの1.5〜2倍の時間を見込んでおく必要がある。
仙巌園にはザ・仙巌園ギャラリーという薩摩切り子のお店があって、最後にそこを覗いた。
黒い背景にスポットを浴びて浮かぶ切り子はやはり綺麗である。確かガラスで赤い色を出すには金を混ぜると聞いたことがある。その真偽はともかく、確かに同じデザインで色違いのものを見てみると、赤いものが他よりもお高くなっている。
こんなお猪口でお酒を飲めば美味しいだろうと思うけれど、我が家は家でお酒を飲むこともないし、かなりいいお値段だったので、断腸の思いで諦めた。
尚古集成館を見学する時間はなかったので外観だけを見てバス亭に戻った。指宿のタクシーの運転手さんのお勧めに従い、熊襲亭でお昼をいただくべく、天文館に行く。
シティビューバスが、同じ道を往復しているだろうに、行きと帰りで所要時間が全く違って驚いた。
タクシーの運転手さんにはコースをおすすめして貰ったけれど、朝ごはんをあれだけたっぷりゆっくり食べてしまうと、13時になってもさすがにそこまでお腹は空いていない。
私は少しでも軽くと思って、鶏飯定食をお願いした。キビナゴのお刺身、黒豚味噌、さつま揚げ、鶏飯、香の物、二色の芋羊羹という内容だ。
母は「熊コース」という、きびなごの刺身、さつま揚げ、ムカゴ、ゴーヤの炒め物、黒豚のトンコツ、御飯、さつま汁 、香の物、二色の芋羊羹という鹿児島の郷土料理揃い踏みのコースを頼んでいた。
鶏飯は初めてだったので、食べ方を教わった。御飯の上に具を載せて、お鍋で出てきたお出汁をかけていただく。美味しい。
母が食べていた黒豚のトンコツもらって食べたら、とろとろで美味しい。こちらはお土産も売っていたので、思わず買い求める。帰宅後、空港で買い求めた鹿児島ラーメンに乗せ、鹿児島尽くしにして美味しくいただいた。
「こんなに灰が降っていたんですね。」と驚くお店の方に送られ、天文館のバス停までの道を教えていただいて、店を出た。
14時近い。
市電を利用するよりもバスを利用する方が早く駅に戻ることができた。
駅では、鹿児島空港に行くバスの時間まで余裕があったので、お土産を色々と買い込んだ。
さつま揚げや知覧茶、鹿児島ラーメンなど、冷静に考えればどうしても今ここで買わなくてはいけないものではないけれど、やっぱり旅の終わりには買いたくなる。
コインロッカーから荷物を出し、どうがんばっても一つのバッグに収められないくらいに増えた荷物に悪戦苦闘しつつ、鹿児島空港に向かった。
15時15分過ぎくらいに鹿児島空港に到着した。帰りのJAL1874便まで1時間以上ある。母に聞くと、空港の目の前にある西郷公園には行ったことがあるし、足湯は面倒だとおっしゃる。
それならばと、カフェというかファミリーレストランっぽいお店に入って、シロクマをいただいた。これも友人が授けてくれた「旅の知恵」である。
11月の鹿児島は、かき氷を食べるのに抵抗がないくらい暖かく、そしてこのシロクマは、他のかき氷を食べるときとは違って、何故かキーンとならない。
母にもシロクマを勧めてみたところ、「そんなに冷たい物は食べられない。」と言い、紫いもアイスを食べていた。味見させてもらったら、こちらも美味しかった。
帰りの飛行機の窓から、最後にもう一度、桜島を見ることができた。
相変わらず、噴煙を上げている。
こうして、2泊3日、超駆け足で桜島尽くしの鹿児島旅行は終了した。
心残りといえば、黒豚のとんかつを食べ損ねたことくらいである。
鹿児島旅行記2日目 <-
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2011年11月28日(月曜日)
今日の出発は結構早いので6時に起きた。
母が「もう一つのお風呂に行きたい。」」と言い、一緒に本館にある貸切風呂に行く。
そして、母は、「昨日、あんなに疲れたのは、30分も歩いたからだ」と再び宣う。もちろん私も「だから、どうする? バスでも行けるよって言ったじゃん。」と同じ返事をする。ほとんどコドモである。
7時過ぎから朝食をいただいた。
食事会場に行くために、一度、外に出なければならないところがちょっと面倒くさい。
ホテルではなく温泉宿だと、やはり朝食は和食メニューの方が充実している。そうと判っていてもやっぱり洋食を選んでしまうのは母も私も同じである。
ゆっくり朝食をいただいた後、併設されている売店も覗いたけれど、「これ!」というものが見つからなかった。
9時前にチェックアウトし、送迎車で霧島温泉駅に送っていただいた。結構大人数の男性グループに便乗させてもらう形になり、ワンボックスバンは満員である。
駅に向かってずっと車は坂を下って行く。運転手さんは「下りの方が早いんですよ、30分かからないで到着します。」とおっしゃる。車窓は「いかにも」な田園風景と、並木に植えられたもみじが綺麗である。
9時25分に到着し、駅舎がお宮を模していたので写真を撮っていたら、運転手さんが母と2人の写真を撮ってくださった。
鹿児島中央駅まではここから特急きりしまに乗る。駅の窓口で「自由席で座れますか?」と尋ねたら、「自由席が150席あります。」というお返事だった。
乗ってみたら、限りなくガラガラな乗車状況で、駅員さんの回答にえらく納得した。
友人に「霧島から鹿児島に向かう途中で桜島が見えたりするんだよね。」と言われていたとおり、隼人駅手前で田園風景の向こうに桜島が見え始め、そのうち特急が海沿いを走り出すと桜島をずっと車窓から眺めることができた。
しかし、キッパリと曇りである。
そして、恐らくは雲だけでなく、噴煙も上がっていて、それで全体に「何か」に覆われている感じになっているらしい。さて、今日の予定をどうしようかと再び真剣に考え始める。
10時半前に鹿児島中央駅に到着した。大きな荷物をコインロッカーに預け、桜島フェリーのよりみちクルーズに向かう。
よりみちクルーズは、通常15分で鹿児島港と桜島港を結んでいるフェリーが、よりみちというよりも遠回りして大正溶岩原の方まで行って50分の船旅を楽しめるというもので、毎日11時5分に出発している。
鹿児島中央駅からフェリー乗り場まで、市バスでも行けるし市電でも行ける。フェリー乗り場近くまで行くバスは多すぎてどれに乗ればいいのかさっぱり判らず、大人しく市電に乗ることにした。
結構時間がギリギリで焦っていたからか、市電というのはは遅いというかのんびりした乗り物である。そして、鹿児島市内は、信号の間隔が短い気がする。
かなりやきもきしながら市電で水族館口駅まで行き、そこから早めの早足でフェリー乗り場に向かった。セーフである。
この写真が「よく見えた方」の写真なので、桜島がいかに雲に覆われていたか、いかに噴煙を上げていたか、判ろうというものである。
どうも風向きもあるようで、桜島が雲なのか噴煙なのかとにかく白い霧の様なものの中に完全に姿を隠してしまうこともある。
溶岩原は広く、黒く、ここまで流れてきたのかと思うとぞっとする。母などは現在も桜島は「島」だと勘違いしていたらしい。島を陸続きにしてしまうほどの噴火がどれほどのものだったのか、やはり考えてみるとぞっとする。
クルーズの間、基本的にはずっと桜島を眺めていた。
唯一、桜島と反対方向を見たのが、開聞岳が見えたときである。
本当にギリギリで遠くに小さくちらっと見えただけだけれど、その端正な姿を見て満足した。
きっと私たち二人はこのときフェリーに乗っていた人の中で(といっても、平日だし、それほど多くの人が乗っていた訳ではない)一番このフェリー旅を満喫していたと思う。
桜島港に到着後、道の駅 桜島に行ってお昼ごはんを食べて桜島小みかんを買おうと提案したところ、母がきっぱりと「お腹は空いていない。」と言う。確かに朝食を食べてからやったことは全て「乗り物に乗る」だけで、12時を回ったとはいえお腹が空く筈もない。
足湯に浸かろうかと歩いていると、桜島ビジターセンターがあった。ふらふらと入ると、スタッフの方がもの凄く強力に「どうぞどうぞ。」と映像ルームに導くので、これまたふらふらと入る。
この映像が結構楽しかったし、「おぉ、そうだったのか」みたいな内容も多かった。それなのに、具体的な内容をどうも思い出せない。メモしておかなかったのがしみじみと悔やまれる。
ビジターセンターの横から、溶岩なぎさ遊歩道が3km延びていて、烏島展望所や赤水展望広場(長渕剛がオールナイトのコンサートをここで行ったそうだ)まで行くことができる。私たちはよりみちクルーズでそこは見たということにして、15分の超小回りコースを歩いた。
それでも、溶岩越しに桜島を仰ぐこともできるし、火山灰でお化粧されてしまった植物を見ることもできる。溶岩の隙間から生えて茂っている緑には驚いた。そして、その木々の葉っぱが灰色になってしまっているのを見ると、何ともいえない気持ちになる。
もちろん、歩道自体にも火山灰が積もっている。友人のアドバイスで持参したマスクが大活躍である。
道ばたで5個100円で売っていたみかん(残念ながら「小みかん」ではなかった)を食べつつ、13時桜島港発のフェリーで鹿児島港に戻った。
そのまま鹿児島中央駅に戻り、14時1分発の特急「いぶすきの玉手箱」で指宿に向かい、車中のお弁当で昼食にしようと目論んだけれど、窓口に行って聞いてみると「満席です」とのこと。全車指定席だから、乗車することもできない。
快速を待って駅周辺でお昼ごはんを食べようかとも思ったけれど、実は特急も快速も普通電車と比べて格段に早いわけではない。14時13分発の普通電車に乗ることにして、当初予定通りお弁当を買い込んだ。
が、しかし、である。
この普通電車ももの凄く混雑していた。電車を待つ人でホームは溢れ、乗り込んでみれば満席かつ乗車率(推定)150%という感じだ。
何とか辛うじて席を見つけ、もの凄く混雑した電車で(それでもボックスシートだったことが僅かな救いである)、こそこそとお弁当を食べる羽目になった。
この大混雑の謎は、指宿駅から乗ったタクシーの運転手さんの話で解けた。
指宿は九州新幹線開通の影響で観光客がドカっと増えているそうだ。霧島温泉は激減しているらしいのに、この辺りの違いはきっとちょっとしたことから来ているんだろうなと思う。
指宿温泉は現在かなりの活況を見せていて、ホテルは軒並み満室、地元の人がホテルで忘年会・新年会を開こうとしても全く予約ができない状況らしい。それでは、2両編成の全席指定特急の席が取れないのも当然である。
タクシーで走る街並みからはそれほどの活況感は感じられないけれど、霧島よりも指宿の方が宿が取りにくかったのは確かである。
そんなお話を聞いているうちに、今夜の宿である指宿白水館に到着した。かなりの大型ホテルで(なので、駅からの送迎を希望!)、そして、かなりの大混雑である。チェックインのためディズニーランドのようにうねうねと順番を待つことになった。
この宿は母のリクエストである。「テレビで安住さんと泉ピン子が泊まっていたから。」という理由であるところが何とも言えない。しかし、「泊まりたい。」と言うのだからそれは実現しようではないかと奮発した。立ち寄り湯を好まない母と砂蒸し風呂を体験するには、ホテル内に施設がある方が有り難い。
最初は、バレーボールが見たいと18時30分で食事をお願いしたけれど、部屋でお茶を飲んでいたら、敷地内にある薩摩伝承館の割引チケットがあることに気づき、これは行かずばなるまいと、夕食の時間を19時30分に変更してもらった。
薩摩伝承館も、友人のお勧めスポットである。
16時30分に入館して、1時間弱見学したから、もしたしたらは母と私は閉館時間を無視していたのかも知れない。係の方々に申し訳ないかぎりである。
それにしても、凄い。
「金襴の間」と名付けられた一角は、その名のとおりきらびやかで華やかである。
1階のほとんどを占める「維新の間」はかなり広い空間で、大きな壺がいくつも展示されている。ここでコンサートが開かれることもあれば、結婚式が行われることもあるらしい。
「これ欲しいけど、買えるお値段じゃないよね」。などと話していたところ、スタッフの方が、書籍というのか資料を並べた棚に飾られたガラスの花瓶を指さして、「これは現代の作家が作った物ですが、これ一つで何百万円もしますよ。」とおっしゃった。
歴史のある、いわれのある、他の展示物についての説明はもちろん省略されていたけれど、確実に伝わって来るというものだ。
2階は、官窯の間、民窯の間、薩摩の間と名付けられた三つのコーナーで構成され、「薩摩の間」には、西郷隆盛が着たというコート(だったと思う)のレプリカが「どうぞ着てみてください」。と置いてあったりして楽しい。
またお金の話になって申し訳ないけれど、入口でスタッフの方に「上には一つ5億円の器がある。」と言われ、さてどれだろうと母と目を皿のようにして見て回る。
母と私と一致して、青磁のおちょこよりは大きいけれど湯吞み茶碗よりは小さい、シンプルな器だと見たけれど、これは不正解だ。
出しなに正解をお聞きしたところ、「チキンカップ」と呼ばれている鶏とひよこが描かれたやはり同じくらいの大きさの器だというお話だった。この意匠の茶碗は日本に三つしかないと言う。
その三つのうちの一つがあるのだから、ここのコレクションは相当な目利きの方かセンスのよい方が集めたものなのだろう。
お部屋に戻ってさらに一休みした後、18時近くになってからお風呂に向かった。
まずは、何はともあれ、砂蒸し温泉を体験せねばならない。受付で浴衣とタオルを借り、更衣室で浴衣1枚に着替え、大浴場の一番奥にある砂蒸し温泉に向かう。
かなり広い。
少し待つとすぐ順番が来た。タオルを頭に巻いて砂場に横になると、係の方がスコップで砂を全身にかけてくださる。
重い。
すぐ隣に結構年配のスタッフの方を「お兄さん」と呼ぶ男性がいてとても気になったけれど、頭を動かすこともできないので見ることはできない。曰く、「パンフレットの写真で、砂蒸し温泉をしながら傘を差し掛けていたのはここだけだった。どうして傘がないのか。」と駄々をこねている。スタッフの方も「あれは写真撮影のときか、昼間に日射しがまぶしいときにやるんです。」と説明していたけれど、何回も繰り返されて「そしたら、持ってきましょうか。」とおっしゃっていた。
可笑しい。
この男性が実は100歳近い年齢の方だと判ると、微笑ましさ(?)倍増である。
せっかくだからなるべく長く粘ってやろうと思っていたけれど、重さと暑さに耐えかねて、20分くらいでギブアップした
その後、白水館ご自慢の「元禄風呂」を満喫する。
もう夕食の時間になった方が多いのか、ガラガラである。「写真を撮りたい!」という気持ちがむくむくと湧くけれど、それは禁止する旨の張り紙があるのでガマンする。
湯船も様々な種類があるし、「元禄風呂」と銘打ったきらびやかでフォトジェニックな大浴場だ。
露天風呂も広くて気持ちが良かった。
そして、夕食である。
松のお庭に面した食事処でいただく。まずこのロケーションがご馳走である。
献立は、こんな感じだ。
先付
パパイヤ・しめじの味噌掛け
前菜(写真左)
本鮟肝、身巻き唐寿身、柚子柿、柿サーモン、胡桃松風、大葉百合根、めかぶ、子持ち公魚有馬煮
先椀
蟹真薯、丘ひじき、菊花、柚子
造り
四種盛り
炊き合わせ(写真右)
(何故か献立に記載がない・・・。)
焼き物
鯛酒盗焼き、海老素焼き、青味大根唐寿身和え
蒸し物
蟹味噌玉蒸し 銀餡かけ
強肴
黒毛和牛の味しゃぶ
酢の物
御飯
止椀
果物
甘味
安納芋のアイス
お店の方にお勧めをお聞きして、「森伊蔵」の焼酎をいただく。力強く「特別です。」と言われると、焼酎は苦手で普段は飲まない私でもちょっと飲んでみようかという気持ちになる。
美味しい。
焼酎もお料理も、全てが美味しい。
実は、この献立の他に「サービスです。」とお芋の天ぷらが出され、お隣のテーブルになった方から「こちらもどうぞ。」と果物をいただいた。私はそんなにひもじそうに、あるいは大食漢に見えたのだろうか・・・。
2時間かけて完食した。
部屋に戻る途中で売店を覗いた。かなりの広さで品揃えだ。
いわゆる「お土産」は明日買うことにして、ふらふらと見て歩き、母が大島紬の財布を購入した。母と私では、こういうものの趣味はかなり異なるというか正反対に近いところにあるけれど、珍しく今回は二人の意見が一致した。
伝統的な柄に赤が入って華やかになった模様の長財布である。
22時過ぎから再度、「小さい方」と宿の方に案内された、でも十分に大きな温泉に浸かる。こちらもまたかなり空いていてゆっくりできた。
そのまま23時くらいに就寝した。
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2011年11月27日(日曜日)
国内線の飛行機にeチケットで搭乗するのは初めてだったような気がする。
チェックインは必要ないと言われ、それなら離陸の30分前に着くように家を出れば十分だろうと踏んだのが間違いだった。
最寄り駅までのバスが遅れた。その結果、最寄り駅で狙っていた電車に乗れなかった。線路に転落した人がいたということで乗り換えた山手線がしばし停車した。
結果、モノレールが第2ターミナルに到着したとき、母と私が乗るはずの飛行機の表示が「最終受付」から「締切」に変わった。
まずい! と母を急かし、もの凄い早足で出発ロビーに向かう。荷物検査の手前でバーコードを機械にかざしたのが9時25分、70番ゲートに到着したら「最終案内」のアナウンスが響き、飛行機に乗り込んでシートベルトを締めたら「扉を閉めました。」のアナウンスが流れる。
何とかギリギリで、羽田空港9時40分発ANA621便に間に合った。
もちろん、その後しばらく、母から苦情の嵐だったことは言うまでもない。
離陸した直後から富士山の青い姿が見えていた。飛行機は姿勢をかなり頻繁に変えており、何とかこの1枚だけ富士山の写真を撮ることができた。
偏西風が強かったらしく、ANA621便は、鹿児島空港11時35分着予定が5分くらい遅れた。
できれば11時40分発の霧島行きのバスに乗りたかったし、空港ビルはそれほど大きくないから外に出るのはすぐだという友人からの情報もあったのでダメ元でダッシュしたけれど、空港ビルの外には、バスの影も形もなかった。
次のバスまで1時間あるので、空港でお昼ごはんを食べることにした。予定変更である。
レストランのあるフロアまで上がり、母の希望を聞いてお鮨屋さんに入る。「少し時間がかかります。」と言われたけれど、全く問題ない。母は握りのセット、私は背まぐろのセットを頼んだ。
この「背まぐろ」とはどんなものなのか、鹿児島名物なのかどうか、未だによく判らない。かなり脂が乗っていて美味しかった。
12時40分発のバスで霧島温泉に向かい、30分強で丸尾に到着した。
道中、ところどころ真っ赤に色づいて陽の光を浴びたもみじがきれいだった。観光客誘致のため、街路樹としてもみじを採用しているようだ。
丸尾でバスを乗り換え、本日の宿であるさくらさくら温泉に向かいたかったけれど、ちょうどいい時間のバスがない。近辺のホテルで日帰り湯を楽しむことも考えたけれど、うちの母は何故か「宿以外の場所で温泉に浸かる」ということを非常に面倒くさがる人である。
宿にはタクシーで向かうことにし、その前にちょっと寄り道をしようと、丸尾滝を目指した。
丸尾滝は、丸尾のバス停から霧島神宮方面に10分弱歩いたところにある。
歩道のない車道を少々おっかなびっくり歩いて行くと、唐突にカーブの奥に滝が現れた。滝見台のような四阿がしつらえられているものの駐車場がなく、カーブの縁に何台かの車が駐まっていた。ちょっと危ない感じである。
丸尾滝は、温泉が落ちているという珍しい滝だ。11月末に行った感じだと、特に湯煙が立つ訳でもなく、普通の滝に見える。残念ながら「紅葉に彩られている」という時期には少し早かったようだ。
丸尾に戻ってタクシーに乗り、さくらさくら温泉を目指した。
タクシーの運転手さんによると、霧島温泉は新燃岳噴火の影響で客足が鈍っているそうだ。新燃岳の火山灰が降るとか噴煙が流れて来ることは滅多にないそうで、私たちがいたときにもそんな気配は全くなかったけれど、やはり風評というものはあるようだ。
今年は紅葉があまり綺麗ではない(綺麗に色づく前に枯れてしまったらしい)とも言っていたから、その辺りも客足が鈍い理由の一つなのかも知れない。
神話の里公園の辺りから見えた桜島に「おぉ!」と歓声を上げているうちに、宿に到着した。
14時とまだチェックイン時間になっていなかったので、荷物だけ預かってもらい、せっかくだからと霧島神宮にお参りすることにした。20分強待てばバスが来るので、それまで一つバス停を戻って桜島をもう一回眺めに行く? と尋ねたら「歩いて霧島神宮に行く。」と自ら言ったのに、歩き出してすぐ、母は「歩いている人なんていないね。」と文句を言う。だから、バスを待つかって聞いたじゃん! と言い返す私も私である。
確かに歩いている人なんて一人もいない。歩道も整備されているし、下り坂だから歩きやすい。道の先には山が見えて、なかなか歩くに気持ちのいい道のりなのに勿体ない気もする。
天狗の顔がいくつも付いた橋を渡ると、霧島神宮の入口が見えた。
結構な急階段の上に見える赤い鳥居が二の鳥居である。
二の鳥居から真っ直ぐに伸びた表参道を抜けたところが広場のようになっており、そこの展望所から桜島を見ることができる。写真だと水平線上に桜島の稜線がぼんやりあるようにしか撮れない。
肉眼でも、じーっと目を凝らしているうちに何とか空との境が判るようになってくる、くらいのぼんやりさで見ることができた。
「桜島を見るならもっと寒くなってから」という友人のアドバイスどおりである。
霧島神宮の三の鳥居の手前には、「君が代」に歌われている、「さざれ石」がある。
さざれ石って何? と思って説明を読んでみたところ、小さな石灰石が地中で集まって固まり、大きくなって地表に現れたものだった。国歌発祥の地である岐阜県春日村で発見され、霧島神宮に奉納されたといういわれを持つそうだ。
こういう「いわれ」のものがあると、ついお賽銭(しかも五円玉率高し)を投げたくなるのは、日本人の性なんだろうか。そう思いつつ、お参りするのもどうかという感じがして、写真だけ撮って奥に進んだ。
残念ながら本殿は工事中で、そのためかお参りにも結構長い列が出来ている。霧島神宮は「西の日光」とも称されており、確かに東照宮ほどではないけれど、明るい派手な装飾が施されている。
列がゆっくりと進むのでそうした装飾などもじっくり眺め、粛々とお参りする。戻って来ておみくじを引くと、風のままに身を任せましょう、といった、実に私向きの文言が書いてあって、一気に好感度が高くなるところが我ながらゲンキンだ。
御朱印もいただいて、帰りは裏参道を下った。
裏参道は林の中の階段だった。その階段の両脇に、今は風を感じられなくなった「風穴」や、亀石などがある。
この亀石には「神様との約束を破った亀が石にされた」といういわれがある。一体どんな約束をして、どうしてその約束を破ったのか、その説明は残念ながら見つからなかった。
15時30分過ぎのバスにちょうど間に合い、桜島の眺めを期待して、霧島神話の里公園まで行った。
しかし、桜島はすっかり雲の中というか、ぼんやり霞んでしまっていた。休憩がてら展望レストランでブルーベリーのジュース(というよりドリンク。あんまりブルーベリーを感じられなかったのが残念)を飲みつつ桜島の出現を待ったけれど、どうも姿を現してくれる様子がない。
バス停1個分を歩いて戻り、改めて宿にチェックインした。
私たちが泊まったのは本館の和室である。ちょっと古びているのと、「浴衣を交換します。」と言いつつこちらから催促するまで代わりの浴衣を持ってきてもらえなかったのが減点ポイントだ。
しかし、「さくらさくら温泉」の売りは、何といってもお風呂である。各宿泊棟に貸切のお風呂があるけれど、別棟になっている「大露天風呂 さくら湯」がいい。
天然の泥湯温泉で、露天風呂ではその泥をパックのようにして温泉を満喫することができる。お湯自体もかなり泥の混ざったお湯で、自分の動きに合わせてお湯の中で泥が舞っているのが判る。
そして広い。露天風呂には4〜5個もお風呂があったと思う。
17時過ぎに行ったら、泥パックのできる露天はかなり涼しく、当たり前のことながら泥もどんどん冷えてきて冷たい。10〜15分待って乾いてから洗い流してくださいと説明書きがあったけれど、寒くて、とてもではないけれどそんなに長い時間お湯にも浸からずに外にいることはできない。
多分、3分くらいでガマンできなくなってシャワーで洗い流し、改めて顔にだけ塗ってそのまま温泉に浸かった。もっとも、この「洗い流す」というのも簡単ではない。全身に塗りたくった泥パックは、シャワーをかけたくらいでは落ちきらず、母とお互い背中をタオルでごしごしと擦りあった。
泥パックをしなくとも、温泉に浸かっているだけでも成分が浸透してくる感じがして、気持ちのいいお湯だった。
夕食は、さくら湯と同じ建物の中にあるお食事処で、18時半過ぎからいただいた。
湯上がりでもあり二人とも生ビールを頼む。イカの岩のり和えや鶏肉のお刺身などの前菜の後は、ひたすら「さくら鍋」をいただく。
鶏つくね、豚しゃぶ、皮を炙った鶏肉(あまりにもシコシコと歯ごたえが良かったので最初は鴨かと思った)、お豆腐、キャベツ、白菜、ニラ、牛蒡、にんじん、エノキダケ、もやし、ネギ、くずきり、うどんと具だくさんで、この具だくさんの鍋を玉子か柚子胡椒と青ネギのタレでいただく。
美味しい!
この後、雑炊にできると言っていただいたけれど、とても食べきれず、「雑炊はパスしてデザートお願いします。」とお願いしたら、「おにぎりにしましょうか。」と言ってくださった。とても朝までお腹が空くとも思えず、やっぱりパスしたのが心残りである。
それでも、メロンと紫いものケーキというデザートはしっかりいただいた。甘いものは別腹だ。
食事後、明日の朝の霧島神宮駅までの送りをお願いし、部屋に戻ったらテレビでバレーボールをやっていた。男子バレーボール、日本対エジプト戦である。
母はテレビを見ながら眠ってしまい、やっとお腹も落ち着いた21時30分頃、一人で本館にあるお風呂に行った。
こちらも泥湯だけれど、「さくら湯」よりはさらっとしていて、湯船の底にうっすら泥が広がっている。さくら湯は、日帰り温泉も可能な時間帯に行ったのでわさわさしていたけれど、こちらは宿泊者だけだし、小さいし、泥パックもできないし、逆にゆっくり温泉に浸かることができた。
部屋に戻ると母が目を覚ましていた。眠くて寝てしまい、お風呂に1回しか入っていないことが不満らしい。「明日は早く起きて朝風呂に入る。」と宣言して自分の携帯で6時に目覚ましをセットしている。
その母に付き合い、22時半前には明かりを消して寝入った。
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2011年11月27日から29日まで鹿児島旅行に行った際、往復は飛行機を利用した。
行きはANA、帰りはJALである。
そもそもマイルを加算するという発想がなかったのでカードも持っておらず、しかも特に行きの飛行機などは本当にギリギリに駆け込んだのでとてもそんなことをしている余裕はなかった。
JALとANAのそれぞれのマイレージプログラムのサイトに行ってみたところ、直接の会員であれば(何というのか、例えばANAのマイレージプログラムに登録していて、実際に乗ったのもANAだった場合は)、ネットで簡単に事後加算できることが判った。
2社とも、搭乗日と便名、座席番号が判れば即座に登録することができる。
うっかりeチケットの控えの紙を捨てなくてよかったと思った。
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昨日は何となく疲れてここに書きそびれてしまったのだけれど、2011年11月27日(日曜日)から、2泊3日で母と鹿児島旅行に行って来た。
前回の奥鬼怒旅行で天気運を使い果たしたのか、あるいは、やはり私の雨女伝説は続くのか、今回、雨には降られなかったものの青空はほとんど望めず、雨の代わりに灰に降られた旅行になった。
傘とマスクを持って行くべしという友人のアドバイスは本当に正しかった。感謝である。
1日目は午前中の飛行機で鹿児島に飛んで、1分差でバスに乗れなかったので空港で昼食、1時間後のバスで霧島に向かった。宿に荷物を置いて霧島神宮まで歩き(!)お参りし、神話の里公園でお茶をして、16時30分くらいに宿に入った。
2日目は、11時5分発の桜島よりみちクルーズに乗るべく、霧島神宮駅から特急きりしまで鹿児島中央駅に向かい、駅のコインロッカーに荷物を預けて桜島に向かった。14時1分発の「指宿のたまてばこ」号で指宿に向かおうと駅に急いだけれどあえなく「満席です」と言われ、次の普通電車で指宿に向かった。
薩摩伝承館を見学し、砂蒸し温泉も体験し、たらふく夕食をいただく。
3日目は、なのはなDXという快速電車で鹿児島中央駅に戻り、またまた駅のコインロッカーに荷物を預けて、磯庭園へ。庭園に着いたか着かないかくらいで桜島から結構大きく黒い噴煙が上がってびっくり。
汗だくになるくらいの早足で、それでも1時間くらいかけて磯庭園を見学した後は、天文館に行き、鹿児島づくりのランチをいただく。
行きの飛行機がギリギリで焦ったので、帰りは余裕を持って空港に向かい、余裕ができすぎたのでくうこうでシロクマを食べて、帰ってきた。
あちこちで旅計画にほころびを見せつつも、結構いい感じで2泊3日の旅行を終えたのだった。
母は足が痛いと言っていて、もう少し、というか、大幅に余裕を持って旅計画を作る必要があったと反省したのだった。
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