2012.01.16

大阪・京都旅行記の入口を作る

深呼吸する惑星 ここは大阪・京都旅行記への入口である。
 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。


 この1泊2日の旅行にかかった費用は、約4万円だった。ここには、交通費、宿泊費、拝観料、食事代が含まれているが、芝居のチケット代、お土産代、御朱印をいただいたお金は含まれていない。


1日目 2011年12月24日(土曜日)


2日目その1 2011年12月25日(日曜日)


2日目その2 2011年12月25日(日曜日)


 


 持ち物リスト(大阪・京都編)

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大阪・京都旅行記2日目その2

2011年12月25日(日曜日)


 9時30分ころに智積院を出発し、ぶらぶら歩いて10時前には東福寺の仁王門に到着した。
 「東福寺」バス停の辺りから左に入ればいいことは何となく判っていたし、実際に仁王門や北門にはすぐ到達できたけれど、その先が判らない。住宅街の横にある駐車場にぽつんと仁王門と北門があって、門をくぐってもその先はやはり住宅街という感じだ。
 しばらくウロウロし、ちょうど町内会でお餅つきをしている方々がいらしたので、「すみません、東福寺はどこですか?」とお聞きすると、「突き当たりを右に曲がってずっと行くとあるから。」と教えてくださった。


 教えてもらったとおりに歩いてもまだ住宅街っぽい。ただ、四本線の塀があったのでさっきよりはお寺らしい。うろうろきょろきょろしながら歩いて、臥霊橋に何とか辿り着くことができた。
 紅葉や雪の季節に、この橋から通天橋を見上げて撮った写真が東福寺のいわば「売り」の景色である。
 今は12月も末だからもみじなどほとんど落ちてしまっている。


通天橋 写真を撮っていると、地元の方らしい男性に声をかけられた。「まさか紅葉を撮りに来たんじゃないでしょう?」と半ば呆れた感じである。気持ちは判る。
 「天気予報を見て、雪景色が見られるかと思ったんです。」と答えると、この辺りで雪が積もるのは年に1日か2日だとおっしゃる。確かに、今日だって、天気予報は雪だと言っていたし、丹波地方には大雪警報が出ていたけれど、青空は望めないものの雨が降りそうな雲行きではない。
 あまりの私の間抜けさ加減に毒気を抜かれたのか、「この辺りから撮ればいいんだよ。」と教えてくださった。また、今年の紅葉はあまり綺麗にならなかったというお話も聞いた。赤く色づく前に枯れてしまったそうだ。


 あまりにも何も知らずに来てしまった私に、その方はそのまま東福寺を案内してくださるとおっしゃる。有り難く付いていくことにした。
 東福寺は、紅葉の時期はともかくとして、それ以外の時期に来るのは何らか目的がある人が多いという。何かなければ来ないお寺だとまでおっしゃる。それで、どうして東福寺に来たのかと問われ、お庭が見たかったからと答えると納得されたらしく、それなら方丈は最後に行こうと言ってくださった。


天井画 最初に向かったのは本堂である。中には入れないけれど、格子の間からご本尊をお釈迦様を拝むことができる。
 「あそこにご本尊があるでしょう?」、「はい。」、「そのまま上を見てみ。」、「おー!」
 思わず声を上げてしまった。本堂の天井には大きな龍の絵が描かれている。こうやって色々な方を驚かせて来たのだろう。格子を覗き込んだまま叫んだので、本堂内に私の叫びが響き渡った。
 この龍の絵は堂本印象氏の作だそうだ。私も誰かにこうやって紹介したいものである。


三門 本堂からぐるっと回って、三門の正面から本堂を望む場所に立った。
 「1分待てば人はいなくなる。写真を撮るなら待たなくちゃ。」と言われたのにその1分が待てず、シャッターを押してしまう。三門の見事な木組みが見える。そして、(負け惜しみだけれど)人と比べることで本堂や三門の大きさもよく判る。
 三門についてもっと教えていただいたことがあったのに、思い出せないのが悔しい。


東司 次に向かったのは、東司だった。「東司って何だか判る?」と聞かれた。これは永平寺に行ったときに覚えた。お手洗いである。
 東福寺の東司が重要文化財に指定されているのは、室町時代という古い時代のもので、この大きさだからだ。この大きさでこの古さで現在まで残っているものはそう多くはないらしい。
 100人からの用が足りたというお話で、禅宗のお寺は修業場所だから、修行中の小僧さんがそれくらい大勢いたということになる。そちらの方が驚きである。
 奥の方に使用法の解説というか、使用していた当時の様子を描いた絵があった。


偃月橋から即宗院 東福寺の一番奥に偃月橋という橋がある。通天橋、臥雲橋とともに東福寺三名橋と呼ばれている。
 本堂のさらにその奥だし、臥雲橋から見上げた通天橋があまりにも有名だし、この橋を渡っても龍吟院、即宗院という二つの塔頭があるだけで即宗院は現在後継者がいなくて閉められたままだということだし(写真は門の隙間から撮ったものである)、この辺りまでくると人気はほとんどない。
 紅葉の隠れスポットと言えるだろう。
 また、橋そのものもなかなか風情のある、屋根付きの橋である。


 「通天橋は、紅葉の時期じゃなければ渡っても楽しくない」とおっしゃる。つまりはお金を出してこの冬枯れの時期に渡ってもつまらない、というご忠告に従い、方丈に向かう。
 この方は「じゃ、拝観料を払ってここから入るんだよ。」とおっしゃって、そのまま行ってしまった。
 (ここで書いても伝わらないかも知れないけれど、改めまして、色々とご案内いただき、教えていただいてありがとうございました!)


 東福寺の方丈庭園は重森三玲の作庭で、四周に庭園をめぐらせた庭園はこの方丈庭園のみで、八相の庭と名付けられている。その意味するところは私には残念ながら判らない。


東庭北庭


 ただ、やはり昭和の時代に入ってからの作庭ということで、感覚は現代的だと思う。
 入ってすぐ、右側の東庭には東司で使っていたという柱石の余材を北斗七星に並べ、その回りを石庭が取り囲んでいる。というよりも、石庭の中に柱石で北斗七星を表現している。
 この北斗七星を持ってくる、余材を使うというのが現代っぽい気がする。
 また、後方の生け垣が天の川に見立てられているというところも、現代的だと思う。


 私が一番見たいと思っていたのは、石と苔で市松模様が造られた北庭である。
 これこそ現代的なデザインという感じがする。冬で苔(ウマスギゴケという苔である)の元気がなかったらイヤだなと思っていたら、とんでもなく元気な苔で、石を覆い隠さんとばかりに丈高くなっていた。
 イサム・ノグチは、この庭を「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評したそうだ。


 サツキの時期には濃いピンクとのコントラストが楽しめるし、もう盛りは過ぎているけれど紅葉の時期には赤く色づいた葉とのコントラストが楽しめる。
 また、そうした「盛り」の時期に来てみたいと思うけれど、そうするときっとこの方丈も大混雑しているだろうと思うと怯んでしまう。


 方丈の入口で御朱印がいただけるか聞いてみたところ、「和尚は24日までしかこちらにいらっしゃいません。」というお答えだった。つまり、東福寺では12月24日までの午前中に行けば、和尚自らがその場で御朱印を書いていただけるらしい。これってかなり良心的というか、珍しいことのように思う。
 和尚さんがいらっしゃらないときは、方丈ではなく、通天橋の入口で御朱印の受付をしており、ハンコを押す場合は300円、和尚手書きの御朱印に日付をいれていただくと500円だった。もちろん、手書きの方をお願いした。これはあとで御朱印帳に貼ればよい。


 御朱印には「大佛寶殿」と書かれている。
 東福寺の命名が元々「洪基を東大寺につぎ、盛業を興福寺にとる」より「東福寺」と称し、佛殿に約15mの高さのご本尊(釈迦如来)を安置したことから、「新大仏寺」とも称されたことによる、らしい。
 また、東福寺の藤色の紋は、「九條家下り藤」だということだ。
 書いていてもよく判らないけれど、そういう説明書きが御朱印とともに渡された。


 東福寺を後にしたのは11時前だった。
 さてこの後はどうしようかと思って歩いていると、「霊雲院」という塔頭でお庭を公開しているという立て看板を見かけ、何となく立ち寄った。


遺愛石 流石に人は少ない。
 この塔頭の最大の特徴というか売りは、お庭の真ん中に据えられた「遺愛石」らしい。
 「遺愛石」は、縁の和尚が霊雲院の住職となる際に、細川忠利(肥後藩主)から五百石の寺産を贈られたのに対して、それは参禅の邪魔になるので庭の貴石を賜りたいと申し出たところ贈られたものだという。
 素養に欠ける私には「だから何なんだろう?」という由来だ。とにかく、この遺愛石を須弥山に見立て、取り囲む白砂が九山八海を表しているそうだ。
 由来はともかく、人が少ないこともあって、ずっと座って眺めていられるお庭だった。


20111225_112547 こちらのお庭は「臥霊の庭」である。「臥霊橋」と関係があるのかないのか、そもそも臥霊の意味が判らない私には、推測のしようもない。
 赤い砂で砂紋が描かれているのは珍しいと思ったら、これは鞍馬の砂で、雲が太陽に照らされて赤く輝いた様を表しているらしい。
 それほど広い面積ではないけれど、インパクトのあるお庭だった。
 そうやってお庭を眺めていたら、どんどん手がかじかんできた。陽も差さなくなり、かなり冷える。30分くらいで切り上げた。


 再びバス停を探して歩いていたら、京阪東福寺駅にたどり着き、電車で京都駅に出た。
 北野天満宮まで行ってお昼にするか、京都駅でお昼にするか迷い、終い天神の日に北野天満宮の近くでごはんを食べようとしたらもの凄く混雑しているのではないかと待っていても寒くない駅ビルに入った。
 向かったのは、京のおばんざい 京百菜である。


豆腐メインのおばんざいセット 豆腐メインのおばんざいセット(1680円)を注文した。
 湯豆腐・お造り・おばんざいビュッフェ・ご飯・吸物のセットである。
 おばんざいビュッフェは、文字通り、京都のおばんざいが10種類くらい大皿に並べられていて取り放題だ。
 まだお腹が空いていないよと思いつつ、ぐじ南蛮漬けや青菜と京揚げの炊いたん、出し巻き玉子にゆず大根など色々と少しずついただいた。
 また、このビュッフェには、何故かかりんとうがあった。そして、美味しい。
 帰り際、レジに置いてあった平田製菓のかりんとう2種類のうち生姜かりんとう(380円)をお土産に買い求めた。


 13時30分過ぎのバスに乗り、北野天満宮に向かった。終い天神に行ってみたかったのである。
 バスも混んでいるし、北野天満宮に近づくにつれて道も混んできたし、30分ほどで到着した北野天満宮では京都駅方面に向かうバス停が大混雑していた。


終い天神 やはり終い天神はかなりの人出だった。
 いつもは駐車場になるだろう場所にも屋台が出ている。
 いわゆる骨董のようなものも多いし、注連飾りなどのお正月用品、どんこや干し柿、千枚漬けなど「京都らしい」食べ物も売られている。何故か射的が大人気なのが不思議な感じである。
 それでも「とても歩けない」というほどの混雑ではない。天満宮の境内自体も広いし、意外とすんなりお参りすることができた。
 祝い箸や大福梅、守護縄などもいただけて、とても嬉しい。


北野天満宮 お参りした後、終い天神の縁日をそぞろ歩きした。
 ラッカー等を使わずに仕上げたという木製の自動車のおもちゃを甥っ子へのお年玉代わりに買い求める。
 おじさんに「その車はドアが開くんだよ。「違う木を組み合わせてぴったりのカーブにするのがおじさんの技なんだよ。」という売り込まれ、あっさり陥落した。


 更にうろうろして、伏見稲荷の近くあるという「ちりめん山椒 庵 an」のちりめん山椒も購入した。うす口とこい口があって、こい口はうす口の3倍のお醤油を使っているというお話だったと思う。女将さんの「でも美味しいものって味が濃いものだったりするのよね。」という売り文句にはその通りだと思いつつ、試食をさせてもらってうす口を選んだ。
 冷蔵庫に入れて、そうすると乾燥してしまうのでジップロック等にしまってね、という注意もいただいた。


 そして、もう一つ、同じく伏見にあるという三源庵の丹波大納言抹茶ロールカステラを購入した。
 伏見に工場があり、通常は通信販売のみで、縁日等々に出店するという。北野天満宮には初出店だというお話で、だからなのか、通常は1470円だというロールカステラを1000円で販売しています、抹茶味はあと2本です、と売り込みが上手い。
 生地に白あんを練り込んであるのでしっとりしています、日持ちします、という更なる売り文句にとうとう負けて購入した。


 15時半過ぎに満員のバスに乗り込んだ。京都駅付近の渋滞で40分くらいかかったものの、思ったよりもスムーズに駅に戻ることができた。
 帰りの新幹線で夕食を食べようと思い、17時30分過ぎの新幹線の指定席を押さえた。来たときはガラガラだったのに、上りの新幹線は軒並み混雑していて、窓際の席を取ることはできなかった。


 伊勢丹の地下に移動し、まずお漬物を購入する。
 いつだったか、楽味京都の千枚漬けと半割大根ごまを購入してから、このお店のファンになった。今回もこの二つは外せない。
 夕食を探して更にうろつく。売り切れになっているお弁当も多い。昼過ぎに京都駅に戻ってきていたのだからそのときに予約してしまえば良かったと反省する。
 鯖寿司が食べたいけれど、いわゆる棒寿司になったものは滅法お高い。それもどうなのと逡巡した末、ケチケチ精神が発揮されて、鮮魚売場の鯖寿司を680円也で購入した。


 宿から駅に送っておいた荷物を受け取り、新幹線乗り場に向かう。
 ホームに上がる前に、「ここが最後」という感じでお土産物屋さんが並んでいる。その中に、伊勢丹地下では行列が出来ていて買えなかったけど鮮やかなグリーンが気になっていた京都北山 マールブランシュの「お濃茶ラングドシャ茶の菓」を発見し、「京都限定」の文字に釣られて購入した。
 あとで友人に教えてもらったところでは、JR京都伊勢丹の中にカフェもあって、なかなか良い感じだそうだ。次に京都に行く機会があったらぜひ行ってみようと思う。


 ほぼ満席の新幹線の車内でそそくさと鯖寿司を食べ、北野天満宮の前にあるとようけ茶屋でデザートにプリンを買ってくれば良かったなと思った。


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2012.01.15

大阪・京都旅行記2日目その1

2011年12月25日(日曜日)

 昨日チェックインしたとき、翌朝は6時30分からのお勤めに参加していただくので15分前にはロビーに集合してくださいとお話があった。
 目覚ましを5時30分にかけて、「寝坊したらどうしよう」と少し緊張していたら何のことはない、宿泊者は全員参加で、5時45分に起床を促す館内放送が入った。これなら寝過ごすことはあるまい。
 6時にはお寺の鐘も鳴らされていた。

 宿泊者全員20人弱が集合し、お坊さんの先導で金堂に向かう。「来たときの服装で参加できます。」という説明だったし、何しろまだ夜も明けきっていない暗い空である。コートを着込んだ。
 正面の階段を回り込んだ地下から金堂に入る。靴を脱ぎ、中の階段を上がると、いつもお参りするところから見える広い畳敷きの空間が広がっていた。正座がきつい方には椅子も用意してありますということで、宿泊者ではない、でも朝のお勤めに参加を希望したのだろうお嬢さん方が既に椅子に座って待っていらした。
 赤い毛氈に座り、ここでも「40分くらいありますし、足を崩して結構です。」と声かけがある。まあ大丈夫だろうと正座した。

 次々とお坊さんが現れて所定の位置に座って行く。その「座につく」際にもお作法があるようだ。
 何がきっかけだったか、先導役のお坊さんが決まっているようで、その方のリードで勤行が始まった。
 20人弱の僧侶が一斉にお経を唱える。ところどころ、「一斉」ではないように感じたけれど、それは、モンゴルのホーミーの影響も受けているという発声のためにそう聞こえたのかも知れない。
 全く素養のない私だけれど、しんと冷たい空気の中、朗々と響く声明を聞いていると、心地良いような厳粛なような、何ともいえない気持ちになる。思わず集中して、そのほんの少しの時間、無心になれたようにも思う。

 途中、先導してくださっている方から「順番にご焼香ください。」という案内があって、お焼香をした以外は、声明に聞き入った。
 お焼香の正しい作法がよく判らないので、私はかなりぞんざいにしてしまったように思う。せっかくの機会に教えていただけばよかったと思う。

 40分くらいの勤行の後、一度外に出てお隣の明王殿に移動すると、僧侶の方々はもう既に座についてお経をあげていらした。
 護摩の火が大きく焚かれている。室内で焚かれているのを見たのは初めてだ。
 火の存在のせいか、こちらは15分くらいと短い時間だったけれど(でも、やはりお焼香させていただく時間はあった)、また違った緊張感を味わえた。
 両方併せて1時間強がとても短く感じた。
 そして、朝のお勤めに参加させていただいて、とてもいい体験ができたと感じる。終わりに、護摩の火で**した(覚えていない・・・。清めた、ではなかったような・・・。)お守りをいただいて、こちらも嬉しかった。

庭園とお菓子 お勤めの後は、お庭と長谷川等伯の絵を案内していただける。7時30分にはなっていただろうか。
 残念だったのは、工事中でお庭の池の水が全て抜かれていたことだ。座敷でお庭に向いて並んで座り、お茶とお菓子をいただきながら説明をお聞きした。
 このお菓子は足が早くてすぐに湿気てしまうのでどうぞお食べください、と案内のお坊さんが言う。
 このお菓子が軽くて美味しかったので売っていたら買って帰ろうと思ったら、やはり「足が早い」ためか智積院会館の売店に見当たらなかったのが残念である。
 「記念」の封筒には、智積院の案内やお仏壇の拝み方の案内などが入っていた。

庭園 庭園は「利休好みの庭」と伝えられている。「利休好み」とは、「利休が好んだ」ということではなく「利休が好んだだろう」という意味だという。
 智積院の「元」は、幼くして亡くなった鶴松の菩提を弔うために豊臣秀吉が建立した祥雲禅寺である。だとするとこのお寺を利休が作った可能性もあるのかなと思ったけれど、そういう訳ではないらしい。
 お庭の一部は祥雲禅寺時代に造られたそうで、自然石と刈り込みによって造られている。
 橋のたもとにある石は、僧侶が手を合わせている形に見えることから羅漢石と言われている。

 お庭の山は中国の山を模しており、また、池も長江をイメージしている。
 水が抜かれてしまっているので判らないけれど、池の底は常に水が濁るようにしてあって、長江を思わせるのと同時に、濁った水に植え込みが映り込む工夫ともなっている。つつじの花の季節には綺麗だろうと思うし、実際、訪れる人も多いという。

桜図と楓図 お庭を望むお部屋には、元々は長谷川久蔵の「桜図」と長谷川等伯の「楓図」、「松に立葵図」などの障壁画があったそうだ。しかし、池の端にあるお部屋ということで湿気による傷みが激しく、今はそれらの絵は収蔵庫に移して保管しているという。
 その代わり、同じ位置にレプリカがあって、描かれた当時の様子が再現されている。「そうか、描かれたばかりの頃は、こんなに金ぴかだったのか」などと思う。「本物は後ほど見ていただきますので、よく覚えておいて見比べてみてください。」と促された。

大書院 お庭の後は、大書院の各お部屋にある襖絵などを拝見しつつ、収蔵庫に向かった。
 智積院の講堂には、東京芸術大学の副学長であった田渕俊夫画伯から奉納された襖絵がある。日本の春夏秋冬をテーマに描かれた墨絵で、本当に墨だけで描かれ、しかも、いわゆる輪郭線は一切描かれていない。
 そう聞くとやはり圧巻は「枝垂れ桜」の図でだ。
 案内のお坊さん曰く「こちらの絵も墨だけで描かれていますが、薄桃色に見えるとおっしゃる方がいらっしゃいます。田渕先生は、それは日本人にとって桜の色形のイメージが非常に強いことからそう見えてくるのではないかとおっしゃっていました。今、薄桃色に見えるという方は非常に想像力豊かな方ということになりましょう。」と笑いを誘っていた。
 また、杉林の朝と夕を描いて向かい合わせにその襖を置いたお部屋では、この二つの絵に描かれた杉林の枝振り等々は全く同じだという説明もあった。下絵をOHPで写して、それをなぞって描いたそうだ。

 最後に訪れたのは収蔵庫である。
 長谷川等伯・久蔵父子の描いた障壁画がここに収められている。
 壁一面、長谷川等伯・久蔵父子の描いた障壁画というのは圧巻である。
 松に立葵の図は、豊臣を象徴する松が、徳川を象徴する葵を従えている、見下ろしている、覆い被さるように圧倒しているという意味も込められていたのではないかというお話や、長谷川久蔵が若くして亡くなったのは当時ライバルだった狩野派による暗殺だったのではないかと言われるくらい等伯をしのぐ才能を謳われていた人だったというお話を聞くと、芸術と政治というのは、特に残るようなあるいは残された作品であればあるほど切り離せないものなのかも知れないと思う。
 宿泊者限定という(なので、これは内緒です、というお話があったので具体的には書かないことにする)幻想的な様も拝見させていただいた。いいものを見た、という気持ちになる。

朝食 8時15分過ぎ、全員が集まって朝食になった。
 寒い中を歩いたし、起き出してから3時間近く経つのでお腹はぺこぺこである。実は、お勤めに行く前にお茶を飲んで、お部屋にあったお菓子をいただいたけれど、それでもやっぱりお腹は空いていた。
 温かくて美味しい湯豆腐がとても嬉しい。
 あっという間にぺろりと全て平らげた。

 お部屋に戻って荷造りをし、9時過ぎにチェックアウトする。
 お支払いはチェックインのときに済んでいるので、鍵を返し、JR京都駅キャリーサービスの利用をお願いする。京都市内の宿泊施設で10時までに依頼すれば、14時から20時まで京都駅で荷物を受け取れるというサービスである。1個750円だ。
 考えてみたら、この日のうちに自宅に帰るのなら、京都駅までキャリーサービスで送らず、自宅に宅急便で送っても同じくらいのお値段(750円)だったんじゃないかと思うけれど、とにかく身軽に出発できるのが魅力だ。

智積院 朝はまだ暗くて智積院の外観を全く見ていなかったので、まずは一通り歩いた。
 天気予報は雪だったけれど、結構、青空が広がっている。
 入口近くに拝観受付所があって、そこで御朱印をいただく。私のご朱印帳は伊勢神宮で買い求めたもので、最初の方は内宮や外宮の御朱印が並んでいる。受付の方がぱらぱらとめくって、「印と日付しかない」とボソっとおっしゃっていたのが可笑しかった。
 やはり、お寺と神社では御朱印の意味するところが違うのかも知れない。

 ついでに、この辺りで「ぜひ行っておいた方がいいところ」がありますかと尋ねたところ、京都はあり過ぎてお勧めと漠然と言われてもとても挙げられないとおっしゃる。
 なるほど。
 この辺りは豊臣秀吉縁のお寺が多いし、来年の大河ドラマの主人公平清盛に関連するお寺なども京都には多いから、これからはそういうところが流行るのではないかという。
 「東福寺に行こうと思います。」と言うと、「それなら、この道を下って30分くらいで歩いて行けるよ。」と教えてくださった。

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2011.12.30

大阪・京都旅行記1日目

2011年12月24日(土曜日)


 東京駅でゆっくり駅弁を選ぼうと思っていたのに、ふと気がついたらあまり時間がない。
 目に付いたお弁当屋さんに入り、今日の夕食は精進料理だしと心の中で言い訳しつつ、極撰 炭火焼き牛たん弁当(1300円)を購入した。
 紐を引っ張って温めてください、というお弁当を購入したのは初めてだ。


牛たん弁当 9時20分発ののぞみ新大阪行きは、びっくりするくらいガラガラだった。
 車両にぽつぽつとしか人がいない。私の隣の席もずっと空いたままだった。楽ちんである。
 名古屋を過ぎた辺りでお弁当を広げる。シンプルだけれど、炭火で焼いた香りがしてなかなか美味しい。「まだお腹は空いていないよ」と思いつつ食べ始め、あっという間に完食した。
 関ヶ原にさしかかり、ふと外を見ると雪景色になっていた。降ってはいないようだけれど、うっすらと雪が積もっていて寒そうである。


 11時56分に新大阪に到着したとき、空は快晴だった。
 そのまま大阪駅に出て環状線に乗り換え、森ノ宮駅に向かう。この旅行の最大の目的は、森ノ宮ピロティホールで上演されている、第三舞台の「深呼吸する惑星」というお芝居を観ることだ。
 森ノ宮駅のコインロッカーに大きな荷物を預け、ほとんど迷わずにホールに着くことができた。方向音痴の私は道に迷うことを織り込んで早めに到着するように予定していたので、だいぶ余裕がある。
 (お芝居の感想は、こちらに書きました。)


 15時過ぎの終演後、環状線に乗って京橋に向かった。
 電車の中から大阪城が遠くにくっきりと見えた。森ノ宮駅を出たところの公園入口から真っ直ぐ、遮るものなく大阪城を見ることができるらしい。ちょっと寄り道すれば良かった!と後悔する。
 電車の中から一瞬見えた大阪城は、なかなか印象深い。じっくり眺めるのは、次の機会に取っておくこととしよう。
 JRはSUICAで乗れたけれど、京橋駅で乗り換えた京阪電車は乗れないようだ。改札で、ピンポンピンポンと鳴ってちょっと恥ずかしかった。


 京阪電車の特急で、大阪の京橋駅から京都の七条駅まで40分くらいだったと思う。あまりの近さにビックリする。
 そして、JRに乗ったときと同様、進行方向に向いた椅子の並びを見て、関西は東京圏ほどのラッシュはないんだろうなと思う。特急だったので流石に座れなかったけれど、快適な車内だった。


 「道に迷うかも」「電車の乗り換えを間違えるかも」と思って早め早めに動いたので、この日の宿である智積院会館に16時30分くらいにチェックインすることができた。
 フロントにいらっしゃるのは作務衣姿のお坊さんで、宿代は現金先払いの宿坊である。


 京阪七条駅から智積院会館までは真っ直ぐ一本道を10分くらい歩けば到着である。
 その徒歩10分の間にも、美味しそうな和菓子のお店があったり、陶器体験ができるお店があったり、残念ながら改装中で中には入れなかったけれど京都国立博物館があったり、中学のときの修学旅行で来た筈の(しかしその外観は全く記憶に残っていない)三十三間堂があったりする。
 流石、京都である。


三十三間堂 一休みすることもなく荷物だけ置いて外に出た。
 京都国立博物館は、ミュージアムショップとカフェは開店していた。ミュージアムショップには、特別展の図録の閲覧コーナー(30冊くらいは並んでいたと思う)があったりしてなかなか楽しい。閉店時間まで色々と見て楽しんだ。
 三十三間堂はとっくに閉門していたけれど、門の隙間からその外観を見ることができた。情けないことに、実際に目にしても全く何の記憶も蘇って来ない。


 三十三間堂の向かいには、淀殿が父母の菩提を弔うために建立したという養源院があった。大河ドラマの「江」でも出てきたな、今年は拝観者が多かったんだろうな、などと思う。
 こちらも閉門していたけれど、門の前に「伏見城の血天井」と書かれた木製の看板が立っていて、日も落ちた時間に見るとなかなかおどろおどろしい。
 伏見城の血天井は結構あちこちにあるような気がする。今年の2月に行った正伝寺にもあった筈だ。伏見城が落城したときに炎上はしなかったんだっけ、などと考えた。


トラットリアセッテ入口 今日はクリスマスイブだし、精進料理の早めの夕食でお腹が空くかもしれないと思い、ハイアットリージェンシーホテルのトラットリアに併設されたケーキショップに寄った。ロビーを通らなくても、直接外から入ることができる。
 クリスマスイブの夕方だし、ケーキはショーケースに4〜5個を残す飲みだった。そりゃそうである。
 少し迷って、モンブラン(420円)を購入する。
 17時30分過ぎに宿坊に戻ったら、夕焼けが結構綺麗に見えていた。雪の予報も出ている明日の天気はどうなんだろうと思う。


 夕食は18時から精進料理(1500円)をお願いしてあった。
 レストランに行くと、他にも何組かのお客さんがいる。そういえば、11室ある(らしい)お部屋は満室のようだった。部屋の扉の前に「**様」という紙がぶら下がっているのも懐かしい感じである。
 「精進料理」なので、こんにゃくとお豆腐がメインだ。冷たいものが多くなり、ちょっと寒々しい感じもある。お汁や味噌田楽が少しぬるかったのが残念だった。
 でも、美味しくいただいた。山盛りのごはんを全て食べてしまったくらいである。
 特に、汲み上げ豆腐は自家製だというお話で、濃い大豆の味がしてとても美味しかった。


精進料理の夕食 覚えている限りでこの日のメニューは、以下のとおりである。
 ごはん
 湯葉と柚子のお汁
 汲み上げ豆腐
 茄子の田楽
 ゴマ豆腐
 刺身コンニャク
 コンニャクの酢味噌和え
 卯の花
 大根とかぼちゃの炊き合わせ
 紅白なます。
 サツマイモの甘露煮
 番茶


智積院会館のお部屋 智積院会館は、私のイメージだと、やっぱり「宿坊」というよりは「会館」である。
 洗面台とお手洗いが部屋の外にあるくらいで、後は普通の旅館のようだ。お部屋にはテレビもあるし、個別空調もある。お布団を敷くのがセルフサービスなのが、宿坊らしいと言えば言えるだろうか。
 そして、宿全体がとても静かである。
 ここで仕上げようと持ってきた年賀状を黙々と書く。1泊2日の旅なのに荷物が重くなった一因はこの年賀状だ。


 21時くらいにお風呂に行くと、先客がお二人いらっしゃった。
 お二人とも九州の方で、私が大阪に芝居を見に来たと言うと、高千穂の神楽のお話などしてくださった。
 お二人とも、九州からより東京から来る方がずっと近いと思っていらっしゃったようで、私が「東京駅からは2時間半くらいで来ますが、東京駅までうちから1時間じゃ着きません。」と言ったら驚いていた。通勤に、ドアツードアで1時間40分かかると言ったらさらに驚いていた。
 宮崎からいらした方は、行きは九州新幹線と山陽新幹線で来たそうで、でも「特にいい眺めじゃなかったわ。」と笑っていらした。


モンブラン お風呂にゆっくり浸かってお腹も適度にこなれたところで、ケーキをいただいた。
 ちょっと変わった香りがして(お酒なのか、よく判らなかった)、ケーキの中にマロングラッセが入っていて、なかなか美味しい、個性的で贅沢なケーキだった。満足である。
 ケーキを食べてコーヒー(ドリップを持参した)を飲んでまったりしする。しかし、明日はおつとめに参加するため、6時15分にロビー集合である。
 年賀状は書き終わらなかったけれど、消灯時間を少しオーバーした22時30分過ぎ、早めに床についた。


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2011.12.26

持ち物リストを作成する(大阪・京都)

 以下が、2011年12月24日から1泊2日で大阪と京都に行ったときの持ち物リストである。

 芝居の感想を書いてしまおうとか、年賀状を仕上げてしまおうとか、余計なことを考えたせいで荷物が1泊2日とは思えないほど多くなってしまった。
 でも、この荷物の中で使わなかったのは折りたたみ傘だけなので、仕方がないと思うことにする。

 1日目は、劇場にクロークやコインロッカーがなさそうだったので最寄り駅のコインロッカーに預け、2日目は宿から京都駅までのキャリーサービス(750円)を利用しているので、実際にこの荷物を持ち歩いた時間は非常に少なかったので助かった。

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2011.12.25

無事、帰宅する(大阪・京都)

 2011年12月24日(土)から1泊2日で大阪と京都に行って来た。
 キッパリと一人旅である。

 1日目は、午前中の新幹線で大阪に向かい、森ノ宮ピロティホール13時開演の芝居を見てから京都に向かい、宿坊に泊まった。

 2日目は、朝のお勤めをした後で、庭園等々を案内していただき、9時過ぎにチェックアウト。東福寺を拝観し、京都駅でお昼ごはん、午後からは北野天満宮の終い天神に行った。
 これが意外にも楽しくて、1時間半くらいもウロウロしてしまった。

 もうちょっと調べてあったら、あるいはガイドブックを持っていたら、更に動いていたと思うのだけれど、天気予報が雪だったことに意気消沈してそこまでの下調べをしていなかったのだ。

 この1泊2日の旅行にかかった費用は、約4万円だった。ここには、交通費、宿泊費、拝観料、食事代が含まれているが、芝居のチケット代、お土産代、御朱印をいただいたお金は含まれていない。

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大阪・京都旅行記2日目その2(引っ越しました)

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 大阪・京都旅行記は引っ越しました。
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 1日目 2011年12月24日(土曜日)

 2日目その1 2011年12月25日(日曜日)

 2日目その2 2011年12月25日(日曜日)

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大阪・京都旅行記2日目その1(引っ越しました)

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