大阪・京都旅行記2日目その2
2011年12月25日(日曜日)
9時30分ころに智積院を出発し、ぶらぶら歩いて10時前には東福寺の仁王門に到着した。
「東福寺」バス停の辺りから左に入ればいいことは何となく判っていたし、実際に仁王門や北門にはすぐ到達できたけれど、その先が判らない。住宅街の横にある駐車場にぽつんと仁王門と北門があって、門をくぐってもその先はやはり住宅街という感じだ。
しばらくウロウロし、ちょうど町内会でお餅つきをしている方々がいらしたので、「すみません、東福寺はどこですか?」とお聞きすると、「突き当たりを右に曲がってずっと行くとあるから。」と教えてくださった。
教えてもらったとおりに歩いてもまだ住宅街っぽい。ただ、四本線の塀があったのでさっきよりはお寺らしい。うろうろきょろきょろしながら歩いて、臥霊橋に何とか辿り着くことができた。
紅葉や雪の季節に、この橋から通天橋を見上げて撮った写真が東福寺のいわば「売り」の景色である。
今は12月も末だからもみじなどほとんど落ちてしまっている。
写真を撮っていると、地元の方らしい男性に声をかけられた。「まさか紅葉を撮りに来たんじゃないでしょう?」と半ば呆れた感じである。気持ちは判る。
「天気予報を見て、雪景色が見られるかと思ったんです。」と答えると、この辺りで雪が積もるのは年に1日か2日だとおっしゃる。確かに、今日だって、天気予報は雪だと言っていたし、丹波地方には大雪警報が出ていたけれど、青空は望めないものの雨が降りそうな雲行きではない。
あまりの私の間抜けさ加減に毒気を抜かれたのか、「この辺りから撮ればいいんだよ。」と教えてくださった。また、今年の紅葉はあまり綺麗にならなかったというお話も聞いた。赤く色づく前に枯れてしまったそうだ。
あまりにも何も知らずに来てしまった私に、その方はそのまま東福寺を案内してくださるとおっしゃる。有り難く付いていくことにした。
東福寺は、紅葉の時期はともかくとして、それ以外の時期に来るのは何らか目的がある人が多いという。何かなければ来ないお寺だとまでおっしゃる。それで、どうして東福寺に来たのかと問われ、お庭が見たかったからと答えると納得されたらしく、それなら方丈は最後に行こうと言ってくださった。
最初に向かったのは本堂である。中には入れないけれど、格子の間からご本尊をお釈迦様を拝むことができる。
「あそこにご本尊があるでしょう?」、「はい。」、「そのまま上を見てみ。」、「おー!」
思わず声を上げてしまった。本堂の天井には大きな龍の絵が描かれている。こうやって色々な方を驚かせて来たのだろう。格子を覗き込んだまま叫んだので、本堂内に私の叫びが響き渡った。
この龍の絵は堂本印象氏の作だそうだ。私も誰かにこうやって紹介したいものである。
本堂からぐるっと回って、三門の正面から本堂を望む場所に立った。
「1分待てば人はいなくなる。写真を撮るなら待たなくちゃ。」と言われたのにその1分が待てず、シャッターを押してしまう。三門の見事な木組みが見える。そして、(負け惜しみだけれど)人と比べることで本堂や三門の大きさもよく判る。
三門についてもっと教えていただいたことがあったのに、思い出せないのが悔しい。
次に向かったのは、東司だった。「東司って何だか判る?」と聞かれた。これは永平寺に行ったときに覚えた。お手洗いである。
東福寺の東司が重要文化財に指定されているのは、室町時代という古い時代のもので、この大きさだからだ。この大きさでこの古さで現在まで残っているものはそう多くはないらしい。
100人からの用が足りたというお話で、禅宗のお寺は修業場所だから、修行中の小僧さんがそれくらい大勢いたということになる。そちらの方が驚きである。
奥の方に使用法の解説というか、使用していた当時の様子を描いた絵があった。
東福寺の一番奥に偃月橋という橋がある。通天橋、臥雲橋とともに東福寺三名橋と呼ばれている。
本堂のさらにその奥だし、臥雲橋から見上げた通天橋があまりにも有名だし、この橋を渡っても龍吟院、即宗院という二つの塔頭があるだけで即宗院は現在後継者がいなくて閉められたままだということだし(写真は門の隙間から撮ったものである)、この辺りまでくると人気はほとんどない。
紅葉の隠れスポットと言えるだろう。
また、橋そのものもなかなか風情のある、屋根付きの橋である。
「通天橋は、紅葉の時期じゃなければ渡っても楽しくない」とおっしゃる。つまりはお金を出してこの冬枯れの時期に渡ってもつまらない、というご忠告に従い、方丈に向かう。
この方は「じゃ、拝観料を払ってここから入るんだよ。」とおっしゃって、そのまま行ってしまった。
(ここで書いても伝わらないかも知れないけれど、改めまして、色々とご案内いただき、教えていただいてありがとうございました!)
東福寺の方丈庭園は重森三玲の作庭で、四周に庭園をめぐらせた庭園はこの方丈庭園のみで、八相の庭と名付けられている。その意味するところは私には残念ながら判らない。
ただ、やはり昭和の時代に入ってからの作庭ということで、感覚は現代的だと思う。
入ってすぐ、右側の東庭には東司で使っていたという柱石の余材を北斗七星に並べ、その回りを石庭が取り囲んでいる。というよりも、石庭の中に柱石で北斗七星を表現している。
この北斗七星を持ってくる、余材を使うというのが現代っぽい気がする。
また、後方の生け垣が天の川に見立てられているというところも、現代的だと思う。
私が一番見たいと思っていたのは、石と苔で市松模様が造られた北庭である。
これこそ現代的なデザインという感じがする。冬で苔(ウマスギゴケという苔である)の元気がなかったらイヤだなと思っていたら、とんでもなく元気な苔で、石を覆い隠さんとばかりに丈高くなっていた。
イサム・ノグチは、この庭を「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評したそうだ。
サツキの時期には濃いピンクとのコントラストが楽しめるし、もう盛りは過ぎているけれど紅葉の時期には赤く色づいた葉とのコントラストが楽しめる。
また、そうした「盛り」の時期に来てみたいと思うけれど、そうするときっとこの方丈も大混雑しているだろうと思うと怯んでしまう。
方丈の入口で御朱印がいただけるか聞いてみたところ、「和尚は24日までしかこちらにいらっしゃいません。」というお答えだった。つまり、東福寺では12月24日までの午前中に行けば、和尚自らがその場で御朱印を書いていただけるらしい。これってかなり良心的というか、珍しいことのように思う。
和尚さんがいらっしゃらないときは、方丈ではなく、通天橋の入口で御朱印の受付をしており、ハンコを押す場合は300円、和尚手書きの御朱印に日付をいれていただくと500円だった。もちろん、手書きの方をお願いした。これはあとで御朱印帳に貼ればよい。
御朱印には「大佛寶殿」と書かれている。
東福寺の命名が元々「洪基を東大寺につぎ、盛業を興福寺にとる」より「東福寺」と称し、佛殿に約15mの高さのご本尊(釈迦如来)を安置したことから、「新大仏寺」とも称されたことによる、らしい。
また、東福寺の藤色の紋は、「九條家下り藤」だということだ。
書いていてもよく判らないけれど、そういう説明書きが御朱印とともに渡された。
東福寺を後にしたのは11時前だった。
さてこの後はどうしようかと思って歩いていると、「霊雲院」という塔頭でお庭を公開しているという立て看板を見かけ、何となく立ち寄った。
流石に人は少ない。
この塔頭の最大の特徴というか売りは、お庭の真ん中に据えられた「遺愛石」らしい。
「遺愛石」は、縁の和尚が霊雲院の住職となる際に、細川忠利(肥後藩主)から五百石の寺産を贈られたのに対して、それは参禅の邪魔になるので庭の貴石を賜りたいと申し出たところ贈られたものだという。
素養に欠ける私には「だから何なんだろう?」という由来だ。とにかく、この遺愛石を須弥山に見立て、取り囲む白砂が九山八海を表しているそうだ。
由来はともかく、人が少ないこともあって、ずっと座って眺めていられるお庭だった。
こちらのお庭は「臥霊の庭」である。「臥霊橋」と関係があるのかないのか、そもそも臥霊の意味が判らない私には、推測のしようもない。
赤い砂で砂紋が描かれているのは珍しいと思ったら、これは鞍馬の砂で、雲が太陽に照らされて赤く輝いた様を表しているらしい。
それほど広い面積ではないけれど、インパクトのあるお庭だった。
そうやってお庭を眺めていたら、どんどん手がかじかんできた。陽も差さなくなり、かなり冷える。30分くらいで切り上げた。
再びバス停を探して歩いていたら、京阪東福寺駅にたどり着き、電車で京都駅に出た。
北野天満宮まで行ってお昼にするか、京都駅でお昼にするか迷い、終い天神の日に北野天満宮の近くでごはんを食べようとしたらもの凄く混雑しているのではないかと待っていても寒くない駅ビルに入った。
向かったのは、京のおばんざい 京百菜である。
豆腐メインのおばんざいセット(1680円)を注文した。
湯豆腐・お造り・おばんざいビュッフェ・ご飯・吸物のセットである。
おばんざいビュッフェは、文字通り、京都のおばんざいが10種類くらい大皿に並べられていて取り放題だ。
まだお腹が空いていないよと思いつつ、ぐじ南蛮漬けや青菜と京揚げの炊いたん、出し巻き玉子にゆず大根など色々と少しずついただいた。
また、このビュッフェには、何故かかりんとうがあった。そして、美味しい。
帰り際、レジに置いてあった平田製菓のかりんとう2種類のうち生姜かりんとう(380円)をお土産に買い求めた。
13時30分過ぎのバスに乗り、北野天満宮に向かった。終い天神に行ってみたかったのである。
バスも混んでいるし、北野天満宮に近づくにつれて道も混んできたし、30分ほどで到着した北野天満宮では京都駅方面に向かうバス停が大混雑していた。
やはり終い天神はかなりの人出だった。
いつもは駐車場になるだろう場所にも屋台が出ている。
いわゆる骨董のようなものも多いし、注連飾りなどのお正月用品、どんこや干し柿、千枚漬けなど「京都らしい」食べ物も売られている。何故か射的が大人気なのが不思議な感じである。
それでも「とても歩けない」というほどの混雑ではない。天満宮の境内自体も広いし、意外とすんなりお参りすることができた。
祝い箸や大福梅、守護縄などもいただけて、とても嬉しい。
お参りした後、終い天神の縁日をそぞろ歩きした。
ラッカー等を使わずに仕上げたという木製の自動車のおもちゃを甥っ子へのお年玉代わりに買い求める。
おじさんに「その車はドアが開くんだよ。「違う木を組み合わせてぴったりのカーブにするのがおじさんの技なんだよ。」という売り込まれ、あっさり陥落した。
更にうろうろして、伏見稲荷の近くあるという「ちりめん山椒 庵 an」のちりめん山椒も購入した。うす口とこい口があって、こい口はうす口の3倍のお醤油を使っているというお話だったと思う。女将さんの「でも美味しいものって味が濃いものだったりするのよね。」という売り文句にはその通りだと思いつつ、試食をさせてもらってうす口を選んだ。
冷蔵庫に入れて、そうすると乾燥してしまうのでジップロック等にしまってね、という注意もいただいた。
そして、もう一つ、同じく伏見にあるという三源庵の丹波大納言抹茶ロールカステラを購入した。
伏見に工場があり、通常は通信販売のみで、縁日等々に出店するという。北野天満宮には初出店だというお話で、だからなのか、通常は1470円だというロールカステラを1000円で販売しています、抹茶味はあと2本です、と売り込みが上手い。
生地に白あんを練り込んであるのでしっとりしています、日持ちします、という更なる売り文句にとうとう負けて購入した。
15時半過ぎに満員のバスに乗り込んだ。京都駅付近の渋滞で40分くらいかかったものの、思ったよりもスムーズに駅に戻ることができた。
帰りの新幹線で夕食を食べようと思い、17時30分過ぎの新幹線の指定席を押さえた。来たときはガラガラだったのに、上りの新幹線は軒並み混雑していて、窓際の席を取ることはできなかった。
伊勢丹の地下に移動し、まずお漬物を購入する。
いつだったか、楽味京都の千枚漬けと半割大根ごまを購入してから、このお店のファンになった。今回もこの二つは外せない。
夕食を探して更にうろつく。売り切れになっているお弁当も多い。昼過ぎに京都駅に戻ってきていたのだからそのときに予約してしまえば良かったと反省する。
鯖寿司が食べたいけれど、いわゆる棒寿司になったものは滅法お高い。それもどうなのと逡巡した末、ケチケチ精神が発揮されて、鮮魚売場の鯖寿司を680円也で購入した。
宿から駅に送っておいた荷物を受け取り、新幹線乗り場に向かう。
ホームに上がる前に、「ここが最後」という感じでお土産物屋さんが並んでいる。その中に、伊勢丹地下では行列が出来ていて買えなかったけど鮮やかなグリーンが気になっていた京都北山 マールブランシュの「お濃茶ラングドシャ茶の菓」を発見し、「京都限定」の文字に釣られて購入した。
あとで友人に教えてもらったところでは、JR京都伊勢丹の中にカフェもあって、なかなか良い感じだそうだ。次に京都に行く機会があったらぜひ行ってみようと思う。
ほぼ満席の新幹線の車内でそそくさと鯖寿司を食べ、北野天満宮の前にあるとようけ茶屋でデザートにプリンを買ってくれば良かったなと思った。
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