鹿児島旅行記2日目
2011年11月28日(月曜日)
今日の出発は結構早いので6時に起きた。
母が「もう一つのお風呂に行きたい。」」と言い、一緒に本館にある貸切風呂に行く。
そして、母は、「昨日、あんなに疲れたのは、30分も歩いたからだ」と再び宣う。もちろん私も「だから、どうする? バスでも行けるよって言ったじゃん。」と同じ返事をする。ほとんどコドモである。
7時過ぎから朝食をいただいた。
食事会場に行くために、一度、外に出なければならないところがちょっと面倒くさい。
ホテルではなく温泉宿だと、やはり朝食は和食メニューの方が充実している。そうと判っていてもやっぱり洋食を選んでしまうのは母も私も同じである。
ゆっくり朝食をいただいた後、併設されている売店も覗いたけれど、「これ!」というものが見つからなかった。
9時前にチェックアウトし、送迎車で霧島温泉駅に送っていただいた。結構大人数の男性グループに便乗させてもらう形になり、ワンボックスバンは満員である。
駅に向かってずっと車は坂を下って行く。運転手さんは「下りの方が早いんですよ、30分かからないで到着します。」とおっしゃる。車窓は「いかにも」な田園風景と、並木に植えられたもみじが綺麗である。
9時25分に到着し、駅舎がお宮を模していたので写真を撮っていたら、運転手さんが母と2人の写真を撮ってくださった。
鹿児島中央駅まではここから特急きりしまに乗る。駅の窓口で「自由席で座れますか?」と尋ねたら、「自由席が150席あります。」というお返事だった。
乗ってみたら、限りなくガラガラな乗車状況で、駅員さんの回答にえらく納得した。
友人に「霧島から鹿児島に向かう途中で桜島が見えたりするんだよね。」と言われていたとおり、隼人駅手前で田園風景の向こうに桜島が見え始め、そのうち特急が海沿いを走り出すと桜島をずっと車窓から眺めることができた。
しかし、キッパリと曇りである。
そして、恐らくは雲だけでなく、噴煙も上がっていて、それで全体に「何か」に覆われている感じになっているらしい。さて、今日の予定をどうしようかと再び真剣に考え始める。
10時半前に鹿児島中央駅に到着した。大きな荷物をコインロッカーに預け、桜島フェリーのよりみちクルーズに向かう。
よりみちクルーズは、通常15分で鹿児島港と桜島港を結んでいるフェリーが、よりみちというよりも遠回りして大正溶岩原の方まで行って50分の船旅を楽しめるというもので、毎日11時5分に出発している。
鹿児島中央駅からフェリー乗り場まで、市バスでも行けるし市電でも行ける。フェリー乗り場近くまで行くバスは多すぎてどれに乗ればいいのかさっぱり判らず、大人しく市電に乗ることにした。
結構時間がギリギリで焦っていたからか、市電というのはは遅いというかのんびりした乗り物である。そして、鹿児島市内は、信号の間隔が短い気がする。
かなりやきもきしながら市電で水族館口駅まで行き、そこから早めの早足でフェリー乗り場に向かった。セーフである。
この写真が「よく見えた方」の写真なので、桜島がいかに雲に覆われていたか、いかに噴煙を上げていたか、判ろうというものである。
どうも風向きもあるようで、桜島が雲なのか噴煙なのかとにかく白い霧の様なものの中に完全に姿を隠してしまうこともある。
溶岩原は広く、黒く、ここまで流れてきたのかと思うとぞっとする。母などは現在も桜島は「島」だと勘違いしていたらしい。島を陸続きにしてしまうほどの噴火がどれほどのものだったのか、やはり考えてみるとぞっとする。
クルーズの間、基本的にはずっと桜島を眺めていた。
唯一、桜島と反対方向を見たのが、開聞岳が見えたときである。
本当にギリギリで遠くに小さくちらっと見えただけだけれど、その端正な姿を見て満足した。
きっと私たち二人はこのときフェリーに乗っていた人の中で(といっても、平日だし、それほど多くの人が乗っていた訳ではない)一番このフェリー旅を満喫していたと思う。
桜島港に到着後、道の駅 桜島に行ってお昼ごはんを食べて桜島小みかんを買おうと提案したところ、母がきっぱりと「お腹は空いていない。」と言う。確かに朝食を食べてからやったことは全て「乗り物に乗る」だけで、12時を回ったとはいえお腹が空く筈もない。
足湯に浸かろうかと歩いていると、桜島ビジターセンターがあった。ふらふらと入ると、スタッフの方がもの凄く強力に「どうぞどうぞ。」と映像ルームに導くので、これまたふらふらと入る。
この映像が結構楽しかったし、「おぉ、そうだったのか」みたいな内容も多かった。それなのに、具体的な内容をどうも思い出せない。メモしておかなかったのがしみじみと悔やまれる。
ビジターセンターの横から、溶岩なぎさ遊歩道が3km延びていて、烏島展望所や赤水展望広場(長渕剛がオールナイトのコンサートをここで行ったそうだ)まで行くことができる。私たちはよりみちクルーズでそこは見たということにして、15分の超小回りコースを歩いた。
それでも、溶岩越しに桜島を仰ぐこともできるし、火山灰でお化粧されてしまった植物を見ることもできる。溶岩の隙間から生えて茂っている緑には驚いた。そして、その木々の葉っぱが灰色になってしまっているのを見ると、何ともいえない気持ちになる。
もちろん、歩道自体にも火山灰が積もっている。友人のアドバイスで持参したマスクが大活躍である。
道ばたで5個100円で売っていたみかん(残念ながら「小みかん」ではなかった)を食べつつ、13時桜島港発のフェリーで鹿児島港に戻った。
そのまま鹿児島中央駅に戻り、14時1分発の特急「いぶすきの玉手箱」で指宿に向かい、車中のお弁当で昼食にしようと目論んだけれど、窓口に行って聞いてみると「満席です」とのこと。全車指定席だから、乗車することもできない。
快速を待って駅周辺でお昼ごはんを食べようかとも思ったけれど、実は特急も快速も普通電車と比べて格段に早いわけではない。14時13分発の普通電車に乗ることにして、当初予定通りお弁当を買い込んだ。
が、しかし、である。
この普通電車ももの凄く混雑していた。電車を待つ人でホームは溢れ、乗り込んでみれば満席かつ乗車率(推定)150%という感じだ。
何とか辛うじて席を見つけ、もの凄く混雑した電車で(それでもボックスシートだったことが僅かな救いである)、こそこそとお弁当を食べる羽目になった。
この大混雑の謎は、指宿駅から乗ったタクシーの運転手さんの話で解けた。
指宿は九州新幹線開通の影響で観光客がドカっと増えているそうだ。霧島温泉は激減しているらしいのに、この辺りの違いはきっとちょっとしたことから来ているんだろうなと思う。
指宿温泉は現在かなりの活況を見せていて、ホテルは軒並み満室、地元の人がホテルで忘年会・新年会を開こうとしても全く予約ができない状況らしい。それでは、2両編成の全席指定特急の席が取れないのも当然である。
タクシーで走る街並みからはそれほどの活況感は感じられないけれど、霧島よりも指宿の方が宿が取りにくかったのは確かである。
そんなお話を聞いているうちに、今夜の宿である指宿白水館に到着した。かなりの大型ホテルで(なので、駅からの送迎を希望!)、そして、かなりの大混雑である。チェックインのためディズニーランドのようにうねうねと順番を待つことになった。
この宿は母のリクエストである。「テレビで安住さんと泉ピン子が泊まっていたから。」という理由であるところが何とも言えない。しかし、「泊まりたい。」と言うのだからそれは実現しようではないかと奮発した。立ち寄り湯を好まない母と砂蒸し風呂を体験するには、ホテル内に施設がある方が有り難い。
最初は、バレーボールが見たいと18時30分で食事をお願いしたけれど、部屋でお茶を飲んでいたら、敷地内にある薩摩伝承館の割引チケットがあることに気づき、これは行かずばなるまいと、夕食の時間を19時30分に変更してもらった。
薩摩伝承館も、友人のお勧めスポットである。
16時30分に入館して、1時間弱見学したから、もしたしたらは母と私は閉館時間を無視していたのかも知れない。係の方々に申し訳ないかぎりである。
それにしても、凄い。
「金襴の間」と名付けられた一角は、その名のとおりきらびやかで華やかである。
1階のほとんどを占める「維新の間」はかなり広い空間で、大きな壺がいくつも展示されている。ここでコンサートが開かれることもあれば、結婚式が行われることもあるらしい。
「これ欲しいけど、買えるお値段じゃないよね」。などと話していたところ、スタッフの方が、書籍というのか資料を並べた棚に飾られたガラスの花瓶を指さして、「これは現代の作家が作った物ですが、これ一つで何百万円もしますよ。」とおっしゃった。
歴史のある、いわれのある、他の展示物についての説明はもちろん省略されていたけれど、確実に伝わって来るというものだ。
2階は、官窯の間、民窯の間、薩摩の間と名付けられた三つのコーナーで構成され、「薩摩の間」には、西郷隆盛が着たというコート(だったと思う)のレプリカが「どうぞ着てみてください」。と置いてあったりして楽しい。
またお金の話になって申し訳ないけれど、入口でスタッフの方に「上には一つ5億円の器がある。」と言われ、さてどれだろうと母と目を皿のようにして見て回る。
母と私と一致して、青磁のおちょこよりは大きいけれど湯吞み茶碗よりは小さい、シンプルな器だと見たけれど、これは不正解だ。
出しなに正解をお聞きしたところ、「チキンカップ」と呼ばれている鶏とひよこが描かれたやはり同じくらいの大きさの器だというお話だった。この意匠の茶碗は日本に三つしかないと言う。
その三つのうちの一つがあるのだから、ここのコレクションは相当な目利きの方かセンスのよい方が集めたものなのだろう。
お部屋に戻ってさらに一休みした後、18時近くになってからお風呂に向かった。
まずは、何はともあれ、砂蒸し温泉を体験せねばならない。受付で浴衣とタオルを借り、更衣室で浴衣1枚に着替え、大浴場の一番奥にある砂蒸し温泉に向かう。
かなり広い。
少し待つとすぐ順番が来た。タオルを頭に巻いて砂場に横になると、係の方がスコップで砂を全身にかけてくださる。
重い。
すぐ隣に結構年配のスタッフの方を「お兄さん」と呼ぶ男性がいてとても気になったけれど、頭を動かすこともできないので見ることはできない。曰く、「パンフレットの写真で、砂蒸し温泉をしながら傘を差し掛けていたのはここだけだった。どうして傘がないのか。」と駄々をこねている。スタッフの方も「あれは写真撮影のときか、昼間に日射しがまぶしいときにやるんです。」と説明していたけれど、何回も繰り返されて「そしたら、持ってきましょうか。」とおっしゃっていた。
可笑しい。
この男性が実は100歳近い年齢の方だと判ると、微笑ましさ(?)倍増である。
せっかくだからなるべく長く粘ってやろうと思っていたけれど、重さと暑さに耐えかねて、20分くらいでギブアップした
その後、白水館ご自慢の「元禄風呂」を満喫する。
もう夕食の時間になった方が多いのか、ガラガラである。「写真を撮りたい!」という気持ちがむくむくと湧くけれど、それは禁止する旨の張り紙があるのでガマンする。
湯船も様々な種類があるし、「元禄風呂」と銘打ったきらびやかでフォトジェニックな大浴場だ。
露天風呂も広くて気持ちが良かった。
そして、夕食である。
松のお庭に面した食事処でいただく。まずこのロケーションがご馳走である。
献立は、こんな感じだ。
先付
パパイヤ・しめじの味噌掛け
前菜(写真左)
本鮟肝、身巻き唐寿身、柚子柿、柿サーモン、胡桃松風、大葉百合根、めかぶ、子持ち公魚有馬煮
先椀
蟹真薯、丘ひじき、菊花、柚子
造り
四種盛り
炊き合わせ(写真右)
(何故か献立に記載がない・・・。)
焼き物
鯛酒盗焼き、海老素焼き、青味大根唐寿身和え
蒸し物
蟹味噌玉蒸し 銀餡かけ強肴
黒毛和牛の味しゃぶ
酢の物
御飯
止椀
果物
甘味
安納芋のアイス
お店の方にお勧めをお聞きして、「森伊蔵」の焼酎をいただく。力強く「特別です。」と言われると、焼酎は苦手で普段は飲まない私でもちょっと飲んでみようかという気持ちになる。
美味しい。
焼酎もお料理も、全てが美味しい。
実は、この献立の他に「サービスです。」とお芋の天ぷらが出され、お隣のテーブルになった方から「こちらもどうぞ。」と果物をいただいた。私はそんなにひもじそうに、あるいは大食漢に見えたのだろうか・・・。
2時間かけて完食した。
部屋に戻る途中で売店を覗いた。かなりの広さで品揃えだ。
いわゆる「お土産」は明日買うことにして、ふらふらと見て歩き、母が大島紬の財布を購入した。母と私では、こういうものの趣味はかなり異なるというか正反対に近いところにあるけれど、珍しく今回は二人の意見が一致した。
伝統的な柄に赤が入って華やかになった模様の長財布である。
22時過ぎから再度、「小さい方」と宿の方に案内された、でも十分に大きな温泉に浸かる。こちらもまたかなり空いていてゆっくりできた。
そのまま23時くらいに就寝した。
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