オーロラ(イエローナイフ)旅行記4日目
2012年3月23日(金曜日)
この日は前日とは打って変わって、目覚まし時計をかけた10時30分まで爆睡した。
起き出して鏡を見ると、目が腫れぼったいのが判る。これはかなり恥ずかしいと冷たい水で何度も顔を洗ったけれど、あまり効果はなかったかも知れない。
朝食兼昼食は、昨日と同じ、ホテルに隣接するセンタースクエアモール内にあるレストランである。メニューは、シーザーズサラダとアラブ風の牛肉のサンドイッチ、チョコレートケーキにこの日は紅茶を頼んだ。
ここのサンドイッチは美味しい。
前日に時間を延長して残ったのは全体の1/3というところで、やはり「その後」の話で盛り上がっている。私がカメラが不調だと騒いでいたので、心配してくださる方もいらっしゃって有り難い。
カメラに関していえば、やはりレンズの明るさが必要だとか、魚眼レンズ(私の場合はフィルタだ)は広く写せるけれどトリミングがしにくそうだとか、反省点がてんこ盛りだ。その反省の元は要するに「ちゃんと予習と準備を怠らずに!」ということに尽きる。
でも、何だか満足しているし、この日ももっとすごいオーロラが見えそうな気がしていた。
もっとすごいオーロラが出たら、やはり延長するしかない。寒い中にずっと外に出ている必要がある。
この日からイエローナイフのお祭りが始まって、氷の像なども作られている、会場はオールドタウンだという案内も添乗員さんからあったけれど、ここは体力温存が必要だと断じて、食事後、私は部屋に戻ってお昼寝をした。
ツアーのみなさんは、結構、そのお祭りに行かれたようだ。氷の像はまだ作成途中だったものの、お城が作られてその中でコンサートが行われていたり、力自慢大会が開かれたり、屋台が出たりしていて、車で次々と人がやってきて、結構盛大なお祭りだったらしい。
この日は、初めて昼間に青空が広がっていたこともあって、行けば良かったかもと思った。
昼寝から目が覚めたのは16時30分くらいだった。集合まで2時間くらいある。今朝もオーロラ鑑賞から帰ってきて、冷えた体を温めるのに湯船に浸かったけれど、髪を洗って乾かすには眠すぎた。
この時間を利用してシャワーを浴びて髪を洗い、よくよく乾かした。
この日の夕食はオーロラビレッジでいただくことになっており、オーロラ鑑賞の準備も済ませて、18時30分にロビー集合である。
この時間だとまだまだ明るく、初めてオーロラビレッジに向かう道筋の景色を見ることができた。針葉樹林が続き、たまに金鉱山の跡地などがある。
現在、金鉱山の跡地は次々と埋められていて、そもそもオーロラビレッジ自体がそうだし、あるいは、イエローナイフ空港近くの金鉱山跡地はスノーボードのハーフパイプの会場として整備されている。
イエローナイフの町の説明などもあった。私がメモした唯一の話は、この辺りで暮らしていた人々が銅製のナイフを持っていたことから、この地にやってきた白人が「イエローナイフ」と彼らのことを呼び、それがそのまま地名になったというものだ。
もう一つ覚えているのが、ゴールドラッシュは終わり金鉱山も閉山しているけれど、代わりに今のイエローナイフは、北方300kmくらいのところにあるダイヤモンド鉱山のための基地として機能しているという話である。
品質を表す刻印として、ポーラーベアと、あと二ついかにも極北らしいものがあるという話が印象に残っているけれど、「あと二つが何か」については忘れている。情けない。
この日は明るいうちに到着するため、ダイニングホール前までバスが乗り付けてくれた。いつもの時間にそんなことをしたら、オーロラ鑑賞の邪魔になる。この時間なら全く問題がない。
オプショナルを楽しんだ方は昼間のオーロラビレッジに来ているけれど、私は初めてである。ダイニングホールのデッキに立って「こういうところだったのか・・・。」と眺める。もっとも、オーロラビレッジの広さや設備、景色よりも、この雲の広がりまくった空が気がかりである。
風が雲を飛ばしてくれることを祈りつつ、ダイニングホールに入った。
テーブルクロスもかけられてきちんとセットされたダイニングホールでの夕食には、乾杯の飲み物もついてかなり豪華である。19時過ぎから夕食となった。
メニューは、まず前菜として、チーズとソーセージとクラッカーのプレート、野菜サラダ(スティックサラダに近い感じで、ほうれん草のディップと、パプリカのディップが用意されている)から始まる。
メインは、ホワイトフィッシュのソテーとバッファローのローストビーフ(マッシュポテトと温野菜がつく)だ。
デザートのチーズケーキと、コーヒーまたは紅茶がいただける。
このメニューなら赤ワインでしょうと思ったけれど、白ワインはカナダ産、赤ワインはチリ産(と言ったと思う。要するに、カナダ産ではない)と言われたら、白ワインを選ぶしかない。
これまでの夕食ではやはり後のことを考えてアルコールを飲む人は少なかったけれど、このときは半数以上のメンバーが飲んでいたと思う。
ツアーに明日がお誕生日という方がいらっしゃって、乾杯のときに、添乗員さんから「明日のお夕食のレストランはがやがやしているので。」と、一日早いお誕生日プレゼントが手渡された。
ご挨拶によると、オーロラをもう何回も見に行っている方で、最初に北欧で素晴らしいオーロラを目にして以来はまっているそうだ。今回も、昨年末に1回行ったけれど、お誕生日をオーロラを見ながら迎えたいとこのツアーに申込みをされたらしい。
そうした方に相応しく、お誕生日プレゼントを見せていただいたら、オーロラの写真集だった。
包みを解いた途端に添乗員さんが「あっ!」と叫ぶので何かと思ったら、値段のシールが貼ったままだったらしい。慌てて剥がそうとしていたけれど「剥がしても書いてありました。」と笑ってその場が収まった。
お料理はビュッフェ式で、メインのお料理はお皿を持っていくとサーブしてくれる形である。その盛りがダイナミックで、手にした瞬間「これは無理でしょう」と思う。
美味しかったので残すのはもったいない&申し訳なかったけれど、残念ながら完食できなかった。
デザートをいただきながら、DVD鑑賞になった。
私たちが滞在した3日間(もっとも、1日目は雲がかかってほとんど見えなかったので、実質2日間)のオーロラ写真と、何と言っていたかもうすでに忘れてしまった、町の光が反射して天に向かって行く筋も伸びる現象を写真に納めたものがスライドショーになってDVDに収められている。
その画面を写真に撮る人が続出したのがおかしい。つられて私も挑戦したけれど、あまり上手く撮れなかった。
このDVDを40ドルで販売しますという。「画面を撮ったもので満足。」という人あり、購入する人あり、様々である。
そういえば、お誕生日プレゼントの写真集をお借りして写真を撮っている方もいらっしゃった。ちょっと、びっくりである。
21時過ぎにティーピーに移動して、本日のオーロラ鑑賞が始まった。
割と早い時間帯に、湖の向こうにオーロラが見えますという話があって、確かに雲の切れ間から星が見え、オーロラが光っているのが見えた。結構強い光のようだ。
さらに雲が切れたら大きく揺らめくオーロラが見られそうなところ、その前にオーロラは薄く弱くなってしまった。惜しいところである。
その後も、雲の上にはオーロラが出ていたらしく、写真に撮ったら緑色に写ったという話もお聞きしたけれど、いかんせん、雲が切れる気配がない。星も見えない。
昨日もその前の日も、割と遅い時間にオーロラが見えているので、この辺りまでは割と余裕の感じで、昨日見られていることもあって、ほとんどの人がティーピーでくつろいでいる。
今から思えば、22時45分から極寒実験を行いますというアナウンスがあったところで「今日は見えそうもないってことだな」と察するべきだった。でも、このくらいの時間はまだまだという感じもあって、「見えないかも」とは全く思い及ばなかった。
極寒実験では、まずタオルを凍らすところから始まった。水に濡らしたタオルをぐるぐると振り回す。そのタオルが凍ることよりも、タオルを振り回しているスタッフの方が素手であることの方が驚異である。ご本人は「今日はマイナス10度くらいなので、素手でも回せます。」などとあっさりと言っている。
そうしてしばらくぐるぐる振り回されていたタオルは、本当にカチンコチンに固まった。板のようだ。
また、「豆腐で釘が打てます」実験や、「バケツの水を撒くと一瞬にして氷の結晶になります」実験なども行われる。町から水を運んできているオーロラビレッジだから、この水まき実験は限定2名(3名だったかも)である。
定番の、カップヌードルをフォークで持ち上げた状態で凍っているものも「展示」されている。スタッフの方曰く「とてももろいので気をつけてくださいね。スタッフが4時間近くフォークを持ったままがんばって作ったので。」ということだった。
ずっとティーピーで座ったままなのも何だしと思って行っただけだったけれど、結構、楽しめた。
0時過ぎ、本日の夜食を食べに行った。そんなにお腹も空いていなかったけれど、何だか食べなくてはならないような気がする。
ちょうどスープがなくなったところだったらしく、出来たてが運ばれてくるのを少し待ち、熱々をいただくことができた。この4日間で、熱々のスープを食べたのはこれが初めてだったと思う。小さくラッキーだ。
極寒体験を見に行ったときにショップに立ち寄り、ドリームキャッチャーを見つけてずっと気になっていた。
イエローナイフ近くに住む方(ラリーさんというらしい)の手作りで、完成後にスマッジ(お浄め)も施されているという。確かに燻されたような甘い香りがする。ドリームキャッチャーは「念を込める」のではなく、「無の境地で作る」ことが必要とされているものだ。
そういう説明に弱い私はあっさりと陥落し、「結構いいお値段だな」と思いつつ購入した。ここでトラベラーズチェックでの支払いが簡単に可能だったことも、私の財布の紐を緩ませた一因である。
1時を過ぎる頃には「今日はもうダメだ」という雰囲気が辺りに漂い、ティーピーの中も完全に弛緩しきっていた。カメラをしまう人も多い。
何だか名残惜しい感じがして、ティーピーの中の強力ストーブの写真を撮ったり、外に出てティーピーの写真を撮ったりする。デジイチはピントを無限大に合わせてテープで固定してあったのでコンパクトカメラを持ち出す。このコンパクトカメラは、タフな造りになっていることが売りだけれど、流石にマイナス10度は想定外だったのか、あっという間に電池がなくなってしまった。
オーロラビレッジのスタッフの方が外に出て空を見上げている。無線で交信して、オーロラが出るとすぐさま教えてくれる。
お話を伺ったらワーキングホリデーで来ていて、このオーロラのシーズンが終わったら旅行して帰国予定だという。「日本に帰る前に、メキシコでリゾートです!」と嬉しそうに言っていた。
この日は延長する人は出ず、2時過ぎにオーロラビレッジを出てホテルに向かった。
この日が最終日で、ホテルに着いたら防寒着一式を返却することになるので、バスの中でその説明を聞く。このとき初めて防寒マスクがプレゼントされることを知った。なかなか便利なマスクだったので、次に活躍することがあるかどうかは微妙だけれど、嬉しい。
ホテルに戻って防寒着一式を返却し、お風呂に入る。
興奮していたのか、オーロラに備えて昼間に爆睡していたのにオーロラの出る気配がなくてティーピーにこもって体力を消耗しなかったせいか、眠気が差さずに困って文庫本を読んでしまい、寝たのは6時近かった。
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