旅行説明会に参加する(中米3ヶ国)
2012年7月29日、今年がマヤ暦最後の年に当たる(実際のところ、この理解がそもそも間違っているということは後で判るのだけれど)ことから開催された、旅行説明会兼講演会に行って来た。
説明会の方は、ガイドブックを見れば書いてあるような情報が多く、もっと具体的な説明があって、質疑応答の時間もあると思っていたので少し残念だった。
旅行説明会で気になったのは、グアテマラ入国の際2台目以降のカメラには10%の税がかかる(しかし、そもそもカメラの値段は自己申告か、担当官の目分量らしい)ということと、冬に中米に行く予定がある人は今から虫除けや虫さされの薬の準備をしておきましょう(冬では売っているお店を探すのが大変)という2点だった。
一方、マヤ長期暦を中心とした講演会は面白かった。
講演会の内容は(私の聞き間違い、メモの取り間違いもあると思うけれど)、大体こんな感じである。
<マヤ文明概観>
・マヤ文明は、現在のメキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ベリーズの5カ国にまたがる地域で発展した文明である。
(ちなみに、英語圏のベリーズを除く4カ国はスペイン語圏)
・いわゆる「西洋」との最初の邂逅は、1502年にコロンブスが4回目の航海において、ホンジュラス沖合いで先住民のカヌーと遭遇したことといわれている。
このときに、彼らが自分たちの起源地を「マイア(マヤ)」と言ったことから、「マヤ文明」といわれるようになった。
・マヤ文明は紀元前4世紀から16世紀にかけて栄え(ピラミッドが築かれたり、王族と一般の人の居住区が分けられた都市が作られたりした)、その最盛期は3世紀から10世紀である。マヤ文明は、学術的に3期に分けられており、この最盛期は「古典期」に当たる。
・マヤ文明では、いわゆる統一王朝はない。
最盛期には60〜70といわれる都市国家が築かれていた。
・例えば、グアテマラには5000を越すマヤ文明の遺跡がある(らしい)が、発掘調査が行われているのはその僅か1%程度に過ぎない。
・マヤ文明は、今後、さらに研究が進む要素が多くある。
・インカ文明とは異なり)文字体系がしっかりしている。近年は間や文字の解読も進んできた。
・征服者であるスペインが、当時の記録を相当に詳しく残している。
・マヤ人が現在も800万人いる。
・マヤ文明の遺跡のうち8箇所が世界遺産に登録されている。
複合遺産であるティカル以外の7箇所は文化遺産である。
これらは全て「古典期」に属する遺跡である。
メキシコ
古代都市パレンケと国立公園(1987)
古代都市チチェン-イッツァ(1988)
古代都市ウシュマル(1996)
カンペチェ州、カラクムールの古代マヤ都市(2002)
グアテマラ
ティカル国立公園(1979)
キリグアの遺跡公園と遺跡群(1981)
ホンジュラス
コパンのマヤ遺跡(1980)
エルサルバドル
ホヤ・デ・セレンの古代遺跡(1993)
・今から60年前にパレンケの碑銘の神殿から、初めて王墓が発見された。
コパン遺跡でも、約10年前に王墓が発見されている。
・マヤ文明は鉄器や青銅器を知らない。
石で石を加工していた。
コパン遺跡では、凝灰岩に彫刻されているため、ほとんどその碑文が残っていない。他遺跡は石灰岩が使われている。
<マヤ文明の暦>
・マヤ暦は5125年(13バクトゥン)で一巡する「長期暦」を持っている。
その「長期暦」は、2012年12月21日で終了する。現地でも、この「暦の一巡」に向けてかなり盛り上がってきている。
・古代マヤの人は、天体観測に長けていた。
ex.ワシャクトゥンの太陽の観測
天体観測に長けているということは、算術にも長けていたということである。
そして、算術に長けているためには、「数字」を持っている必要がある。
・マヤでは20進法が使われていた。
・マヤには数字の表記法がいくつもあった。
ex. 点と棒によるもの、頭字体、全身像
・マヤの人々は「ゼロ」も知っていた。
マヤの「ゼロ」は、完了を表すのと同時に「始まり」を表している。
例えば、新年は「ゼロ」から始まる。
・マヤは暦をたくさん持っていた。
太陽暦 1ヶ月は20日、1年は18ヶ月と5日
余った5日をワィエブと呼び、精進潔斎の日としていた
260日暦 1ヶ月20日と13の数字を組み合わせた暦
今も使われていて、例えばテレビのニュースでも、今日は260日暦で何日です、というアナウンスをする。
太陽暦と260日暦を組み合わせたものがカレンダーラウンドと言われ、52年で1周する(十干十二支と似ている?)
<マヤ長期暦>
・紀元前3114年8月11日から始まっている。
<-何の日かは不明だけれど、マヤの人々が「この世が生まれた日」と考えた日なのではないか。
・2012年12月12日で終了する。
5カ国がそれぞれ別々に「新年」を祝う準備を進めている。
どのようなイベントが行われているのかは不明だけれど、グアテマラではティカルでもっとも大きなイベントを開催すると政府が発表しており、大統領も行くらしい。
・石碑等には「大きな単位」ほど上に彫られる。
バクトゥン(20カトゥン、144000キン)
カトゥン(20トゥン、7200キン)
トゥン(18ウィナル、360キン)
ウィナル(20キン)
キン(1日)
・恐らく紙にもたくさん書かれていたと思われるが、スペインの征服時に「焚書」が行われたため、マヤ後の書籍は世界で4冊しか現存していない。
・長期暦は古典期に使われていた(スペインの征服時にはすでに使われていなかった)。
ティカルで、292年頃に刻まれた長期暦がある。
トンナーで、909年に刻まれた長期暦がある。
この292年から909年にかけて長期暦が使われていたのは確か。その後は260年暦が使われるようになった。
・長期暦の「始まり」がキリグアの石碑に刻まれている。
・長期暦が一巡することに、マヤの人々は「新しいカレンダーにしよう」という感覚。
長期暦で使われている最大の単位「バクトゥン」の更に上の単位がコパンの石碑に刻まれている。
「長期暦一巡=この世の終わり」ではなく、「長期暦一巡=新しい時代の始まり」である。
・マヤの循環思想
「始まりのない終わり 再生のない破壊を語るマヤの神話はない」
<コパン遺跡>
・ホンジュラス西部の山間にある
・「一番美しいマヤ遺跡」の座をパレンケと争っている。
「ティカルがニューヨークなら、コパンはパリである」と言った人がいた、らしい。
・16世紀に発見されていたが、調査が始まったのは19世紀に入ってから。
・石碑彫刻が一番多く、また、三次元的な彫刻(浮き彫りとか透かし彫りとか)が美しい。
・刻まれているマヤ文字も一番多いが、凝灰岩が使われ、雨ざらしであるため、どんどん傷んできている。解読が進むにつれて歴史も解明されつつある。
最近、石碑保存のための石彫博物館も作られた。
コパン遺跡で屋根がかけられているのは、ほぼ中村教授の仕事とのこと。
・中村教授が発掘したのはコパン第4代か第5代の王であろうといわれている。
コパンの最盛期は第13代の王の時代
・マヤでは重層建築が基本。
それまでの建物に被せるように建て増しする感じで建物を大きくしていっている。
石彫博物館では、その「遺跡を掘っていったらその中に神殿が発見された」様子を再現したり、遺跡の現場では禁じられている「推測による復元」で神殿の元の姿を再現したりしている。
<ティカル遺跡>
・ジャングルのど真ん中にある。
・面積は100平方キロメートル(山の手線内の約1.6倍)の面積を持つが、現在、発掘されているのは僅か16平方キロの範囲に過ぎないが、その僅かな中に3000以上の建造物が確認された。。
・33人の王が君臨。
・ティカルのピラミッドも重層建築だが、中身はほとんど残っていない。
しかし、4号神殿の内部にさらにピラミッドが発見されている(見学はできない)
・「北のアクロポリス」と呼ばれる場所で、2012年8月から金沢大学のチームが発掘調査を始める。
それに先立って、2012年7月6日、遺跡発掘のための研究センターティカル遺跡内にオープンした。
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