ウズベキスタン旅行記2日目その3
2012年9月18日(日曜日)
レギスタン広場観光はまだ続く。
新郎新婦の写真を撮らせてもらった後、レギスタン広場正面奥にあるティラカリ・メドレセに向かった。
ティラカリ・メドレセは17世紀に建てられている。ウルグベク・メドレセは15世紀だというから、意外と離れた時代に建てられている。レギスタン広場は最初から今のような姿だと思っていたのでちょっと驚いた。
ティラカリ・メドレセの内部に入って、度肝を抜かれた。
金!だ。
ドームの内側はもちろんのこと、その他の天井も壁も金細工と青いタイルで覆われている。ライトアップもされていて、華やかかつ豪奢なことこの上ない。さすが、ティラカリ(金箔された)という名前を持つだけのことはある。
迫力に負けて、写真を撮りまくっていた私に、ガイドさんが「ここがドームの真下だ」と教えてくれた。その場でカメラを構え、上を向いて写真を撮り続けていたら、首が痛くなった。
ティラカリ・メドレセのこの場所は、昔は礼拝所として使われていたそうだ。近くに大小のモスクはあるけれど、ここが礼拝所として使われていたという。
後で確認したら、レギスタン広場からほど近いビビハニム・モスクは17世紀にはすでに廃墟になっていたらしい。
本人も結構な写真小僧らしいガイドさんに入口から撮れと言われ、ほとんどしゃがみ込んでがんばって撮影した。周りから見たら、相当に変な観光客だったに違いない。
そろそろ夕日も沈む時刻になった。18時半近い。
再びタクシーを捕まえてもらい、ホテルに戻る。正味1時間半、ゆっくり見られたし、なかなか充実した時間だった。二人で口々に「楽しかった!」と言い合う。ガイドさんも喜ぶ私たちに喜んでくれた。
ホテルに戻ると、チャイハネでお昼寝していた方あり、ホテルの周りを散歩しているうちに子供達と友達になりそのお父さんとも記念写真をばっちり撮っていた方あり、ツアーメンバーはそれぞれに旅上手である。
ガイドさんに冗談半分、「ウズベキスタンは一夫多妻制? イスラム教はそうだよね?」と聞いてみると、あっさり「ダメです。」という返事だった。
19時に集合し、再びバスに乗り込んで食事に向かった。15時過ぎにお昼を食べたのに、結構お腹が空いている。不思議である。
民家というか、大きなお屋敷の中庭を開放してレストランにしました、という感じの建物だ。ウズベキスタンの伝統的な家屋には必ず中庭があるという。2階席もあって、いい雰囲気である。
テーブルには、果物や野菜(サラダではなく、野菜という感じで置いてある)、ヨーグルト、ナッツやナンなどがセッティングされていた。白っぽいものは、杏の種を焼いたものだ。殻を割って中味をいただく。これが後を引く味である。
ブルーと白のお皿は、ウズベキスタンのレストランではよく見かける綿花模様のものである。これがぽってりとして意外といい感じで、買って帰ろうかと随分と迷った。
野菜にたくさんの香菜が添えられていて、タイ語だとパクチーで、英語だとコリアンダー、中国語では香菜だけど、日本語では何だったろうという話になる。ウズベキスタンで香菜に会うとは思わなかった。
その他にも、噛みしめると酸っぱさが滲み出てくる野菜もあり、ハーブが豊富に使われている。
さらに、サモサやスープ、水餃子のようなお料理まで盛りだくさんのお食事である。
サモサの中に南瓜とタマネギが炒めたものが入っていた。おやきのようである。
とにかく、野菜が瑞々しくて勢いがあって、美味しい。サモサも、食べるとじわーっと肉汁が出てくる。
ウズベキスタンはイスラムの国とはいえ比較的戒律が緩やかなので、ビールもいただくことができた。SARBASTという銘柄だ。残念ながら味は覚えていない。
食事を楽しんでいると、楽団の人たちがやってきた。ガイドさんが呼んでくれたらしい。私たちのテーブルの目の前で演奏し、踊ってくれる。
何というか、郷愁を誘うゆったりしたリズムと歌声である。やはりイスラムの雰囲気というかイメージだ。ウズベキスタンの伝統的な音楽だという。
アクロバティックな打楽器の演奏もあって、思わずおぉ!と声をあげた。
レストランがあまり明るくなかったのと、片方はさらに動画から切り出した写真なのでボヤけてしまっているけれど、こぢんまりとしていながらもなかなか楽しい歌と踊りだった。夢中になって動画を撮り、拍手を送る。
誰か一人こちらにいらっしゃいと声がかかった。ガイドさんの説明によると花嫁衣装を着せてくれるらしい。ツアーメンバーの女の子がさっと立候補してくれて、早速着付けが始まった。
音楽に乗せ、歌に乗せ、先ほど踊っていたお嬢さんが助手になって、まずは帽子からだ。
袖のない、昼間のバザールで見たような裾の長い上着が着せられ、次に肘くらいから先に袖が嵌められる。袖口には華やかな飾りがついている。
大振りのネックレスをつけ、これまた華やかな飾りのついたベールが帽子の上からかけられる。
最後に大きな扇のような逆三角形の楯のような飾り(顔を隠すためのものらしい)を持って、花嫁さんが完成した。
この後、彼女は一緒に踊るように言われて、「衣装を着るだけかと思っていたのに!」としきりと恥ずかしがっていた。
後で聞いたら、この衣装は結構重かったらしい。結婚式は二日間かけて行われるそうだから、この衣装をずっと着ているとしたら大変である。
ガイドさんはその他にも色々と説明してくれたけれど、レストランは音楽と花嫁さんの登場に盛り上がっており、あまりちゃんと聴けなかったのが申し訳ない。
夕食もお腹いっぱいいただいて、歌と踊りと楽器演奏と花嫁さんに満足してレストランを後にした。
ワイン工房見学に参加したのは5人だった。
レストランから車で10分ほどの場所である。何というか、普通の住宅街のようなところだ。いわゆるワイナリーを想像していたら、どちらかというと醸造所という感じだ。
ここは、ウズベキスタンで一番古いワイン工房で、1868年創立だ。帝政ロシアに征服された1年後のことで、創立者はもちろんロシア人である。
21時前から見学がスタートした。
紀元前4世紀にアレクサンドロス大王が中央アジアを征服したとき、たくさんの葡萄が栽培されていることに驚いたそうだ。
その後、8世紀にアラブに侵略されるまでワインはたくさん造られていたけれど、侵略された際にワイン工房を壊され、ワイン用の葡萄も切り倒されてしまったというから徹底している。宗教的な理由だろうか。
元のサマルカンドのあった場所からは、干しぶどうも発掘されているという。
ウズベキスタンの葡萄は甘く、通常のワインは14%くらいの糖度、ウズベキスタンのワインは25〜30%の糖度があり、現在もたくさんのポートワインを造っている。
再びワインを造るようになったとき、中央アジアには甘い葡萄しかなかったので、ヨーロッパ(イタリア・ハンガリー・グルジア等)からワインに向いた葡萄を持ってきた。そうして、シャンパンやトカイ、ムスカテ、コニャック・・・、とヨーロッパのワインを造り始めたという。
色々な国のワインを集めて博物館まで建ててしまったというから、こちらも徹底している。そのワインは今もここで保存されているそうだ。中には結構なヴィンテージ・ワインが眠っていそうだ。
1917年のロシア革命以降、工場は全て国営になった。
国営にされる前、この工場の持ち主は深さ16mのところにワインをたくさん埋めて隠していた。後に、3700本のワインが発見されている。この3700本は、中央アジアで一番古いワインのコレクションである。
2006年にこのうちの10本を開けて飲んだそうだ。1本2000ドルからオークションを始めたという。最終的にはいくらになったのだろう。
一通りの説明を受けた後、試飲のお部屋に移動した。テーブルの上に10種類のワインがセッティングされ、私たちの到着を待っている。
順番に説明してもらい、試飲する。試飲は、糖度の低いものから始める。なかなか優雅な気分である。
写真の左手前から奥に、右側に移って奥から手前に向かって説明してもらいながら飲んだ。
最初に飲んだのは、グルジアの葡萄を使った2010年のワインで、名前は聞きそびれてしまった。アルコール度10%、「ドライ」という説明だけれど、そもそもウズベキスタンのワインは甘口ポートワインが基本なので、辛口という感じではない。むしろ、このワインはかなり酸っぱく感じた。
二つめはサビライ(この辺りの発音は、ガイドさんの説明を聞き取ってメモしているので間違えている可能性も高い)という赤ワインで、同じくグルジアの葡萄を使っており、品種名をそのままワインの名前にしている。2009年ものでアルコール度11%と言われた割に、最初に飲んだワインと比べて軽く感じた。
白ワインよりも赤ワイン、たった1年とはいえ新しいものより古いものの方を「軽い」と感じるとは、すでに私の舌はこの辺りで莫迦になっていたのかも知れない。
三つめの相当に濃い色の白ワインはバヤンシィという名前で、こちらもアルコール度11%。
「フルーティ」という説明の通り、やはりこの色に相応しく甘すぎるくらいの味だ。杏のお酒みたいだねと言い合い、つい「これってぶどうから造ったワインですよね?」と聞いてしまった。
四つめのワインはデザートワインで名前はカゴールという。こちらはロシア正教会で飲まれているワインで、「キリストの血」と言われている。アルコール度は16%と一気に上がった。
一つ前に飲んだワインも「甘い」と思ったけれど、こちらはもう甘いなどというそれこそ甘い表現では追いつかず、顔をしかめてしまうくらいの甘さだ。
日本大使館では、「おもてなし」のためにこちらのワインを購入している。そう言われるとぐっと価値があるような気分になるのが我ながら現金である。
続く三つはワインではなくてリキュールだった。同時に冬に収穫した葡萄を使ったワインだという説明もあったから、真相は不明である。
五つめ(左側一番奥)は、シリンという名前で、山で栽培した葡萄を使っているため、花の香りとフルーティな味を持つ。アルコール度は16%だ。私は飲むためというよりもケーキ作りに使おうと思っていたので、これまで飲んだ中ではこの「シリン」が一番香りがよくていいかもと思う。
シリンというのは「甘い」という意味で、糖度は22度である。
六つめは、イタリアの葡萄を使っているという「アリアチコ」である。こちらもアルコール度は16%で糖度は12度、味も匂いも、はちみつというよりは蜂蜜のど飴という感じとツアーの方に言われて納得した。
七つめは、カンドーフという名前で、試飲させてもらった中で唯一のウズベキスタンの葡萄から作ったお酒だという。そう言われるだけで美味しく感じる私の舌はやっぱり現金だ。
こちらは干しぶどうの味がした(と感じた)。ウズベキスタンの葡萄を使っているという付加価値のせいか、当時の私のメモには「五つめよりもこっち」という殴り書きがある。糖度は22度だから同じくらいだ。香りの違いだろうか。
次の二つはコニャックだ。
八つめはティラカリという名前で、確かに琥珀色というよりも金色だった。アルコール度40%、いい香りである。美味しく、強烈に喉を焼くコニャックだ。
九つめはサマルカンドと、観光客を狙っているようなネーミングで、77年保存していると言っていた。本当だろうか。意外とサラっとしているけれど、強烈なのは同じである。思わず咳き込んだ。
最後はサマルカンスキーという名前の薬草酒だ。
26種の薬草と、薔薇とレモンの精油が入っている。この薬草酒10000リットルを作るために400kgの蜂蜜を使うという。もはやイメージすることすらできない。味としては、ツアーのみなさんが言うには「養命酒」らしい。
アルコール度はこれまでで最高の48度。通常はお水で割って、風邪薬代わりに飲む。
1984年にはドイツで行われた何か(そこが肝心なところだけれど、私のメモには残っていない)で金メダルを獲得しているという。
欲しいものがあったら買えます、と言われた。
大体、左から右に行くにつれて高いワインになる。つまり、我々はお安い順に試飲したようだ。ワインは8000スムくらい、薬草酒は16000スムくらいだったと思う。
ロシア正教徒であるガイドさんは、とっととロシア正教会で飲まれているというお酒を抱えている。
迷った末、「ケーキ作りに使う」という点を最重要視して、コニャックのティラカリを2本購入した。1本11000スムだから、500〜600円というところだ。梱包もしてもらえた。
ツアーの方には「養命酒」と呼ばれていた薬草酒が人気だった。
このテイスティング代は20ドルだった。
事前に旅行社に聞いたお値段よりも高かったので確認したら、ガイドさんは「20ドルです。」としか言わない。帰国してから旅行社に確認したとこら、「現地のガイドが間違ったそうです。」とだけ言われ、現地ガイドのミスで規定の料金よりも多く徴収されたのに謝罪も返金もないのかと、何となく釈然としなかった。
「酔っ払った。」「いや、醒めちゃった。」「寝ちゃいそう。」と口々に言いつつ、帰りはタクシーを呼んでもらい、ホテルに戻ったのは22時近かった。
試飲の酔いが回っていたようで、手早くシャワーを浴びて、23時前には就寝した。
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