2012年3月21日(水曜日)
10時に目覚ましが鳴るまで爆睡した。寝るときは「あまり役に立たないかも」と思った耳栓が結構威力を発揮したらしい。
何もかも荷物を出しっぱなしで寝てしまったので、片づけと着替えに忙しい。10時20分くらいに電話が鳴って、何も考えずに日本語で「もしもし」と出たら添乗員さんだった。昨日バタバタだったので、不安だったのだろう。念のためにモーニングコールしましたということだった。
ヒートテックのシャツは乾いていたけれど、さすがに靴下は無理だったので、加湿器代わりにそのまま干しておく。空気が乾燥していて、何かにさわるとバチっと静電気が飛ぶのが痛い。
11時ロビー集合でホテル外で昼食、その後、希望者は街の散策に行くという予定で、少し厚めに着込む。レンタルの防寒着は重いので、上はシャツ2枚にセーター、フリースを念のため腰に巻いてダウンジャケット、下はタイツとGパンと綿入りのパンツ、毛の靴下、手袋を2枚重ねるという私にしてはかなりの重装備である。
これでも上半身は寒かった。そして、何よりも寒いのは顔である。ニットの帽子をかぶると邪魔なので、ストールをぐるぐる巻いて、ダウンジャケットの襟を立てる。
昼食は、徒歩10分ほどのところにある(雪道をおっかなびっくり歩いたせいで、距離的にはもっと近いと思う)、エクスプローラーホテルのレストランである。
東南アジア風のワンプレートで、サラダとヌードルと牛肉を揚げてオイスターソースで炒めたものというメニューだった。これにパンと飲み物がつく。運ばれてきたパンが温かく、水があらかじめセットしてあるのは嬉しいけれど、お水に氷を入れる必要はないと思う。
味がちょっと濃いなぁと思いつつ、結構美味しく食べた。
外は雪がちらほら舞っていて、ショッピングモールの温度計はマイナス14度とある。添乗員さんが「昼間は曇っていても夜晴れてくることが多いですから、シュンとならずに。」と言っているのがおかしい。
12時20分発で、市内観光に向かった。半数くらいの人が参加したと思う。
割とすぐ、観光案内所に到着した。ピンバッチが配られる。オーロラビレッジで昨日もらったものとは違うようだ。
北緯60度越えの証明書が3ドルで、作ってもらう。担当の上品そうなおばさまが、証明書よりも一回り大きな冊子等で挟んで曲がらないようにしようとしてくれるけれど、どれもこれも一回り小さいサイズらしい。最後には、「ごめんなさい、これが私にできるベストだから。」とそのまま渡してくれた。
大きなダイヤモンドなども展示されていて、ツアーにご参加のおばさま方と競うように写真を撮りまくったけれど、当然のことながら偽物である。
動物の剥製も展示されていて、中にやたらと大きなバッファローの頭部が飾られていた。
「これは本物ですか?」と尋ねたら、添乗員さんが「判りませんが、これくらいの大きさのアメリカン・バッファローはいます。」と言う。
観光案内所から10分くらい歩いたところに、州の議事堂がある。
年間5回開催されるという議会が今は開かれておらず、見学することができた。
もっとも、ここで心惹かれたのは議事堂内部のシロクマの剥製やアザラシの皮を張った州知事の椅子よりも、外に展示してある(もちろんケースの中に厳重に保管されている)錫杖である。
頭には2カラットのダイヤモンドが付いているという話で、よく見えるようにとケースの中には鏡まで配置されている。
次に、議事堂からすぐのノーザン・ヘリテージ・センターに行った。極北の文化を学ぶ施設といったところだ。
入り口横にコートを置く場所が完備されている。そういえば、ホテルのレストランもそうだった。
添乗員さんの案内は何故か野生動物に重点が置かれている。
ジャコウウシ(目の下から出る分泌液がジャコウの香りらしい)は、非常に毛皮が暖かいので乱獲されてしまい、数が少なくなっている。春に抜けた毛を集め、細い毛のためすべて手作業で作られたセーター等々はとても軽くて暖かい。カシミアの8倍と言っていたと思う。イエローナイフでは売られていないけれど、アラスカで買ったというマフラーを添乗員さんがしていた。200ドルくらいしたらしい。
地球温暖化のため、北極熊もアザラシも減っている。
北極熊は泳ぎが上手いけれど、狩りは地上(というよりも氷上)で行い、氷が薄くなって割れてしまうと食べ物を確保できなくなってしまう。
北極熊の餌となるアザラシも、アザラシは氷のドームをこしらえて暮らしており、そのドームが作れないほど暖かくなると、ドームの中の温度が必要な子供が生き延びられなくなってしまい、成獣も減ってしまう。
次に見たイルカも、この北極熊も、エスキモーの人々は狩りをして、生肉を食べている。
カリブーには雄も雌も角がある。雌と子供の剥製があった。
雄と雌とでは角が生え変わる時期が違っていて、雌は出産(通常は3〜4月)後に子供と暮らす時期が一番襲われやすく危ないので6月に生え変わり、雄は繁殖期(8〜9月)前に雌を巡って争うことになるので、その後の10〜11月に生え変わる。
自然の摂理だ。
ビーバーは、添乗員さん曰く「人間以外で唯一自然環境を変えて暮らす動物」である。
川をせき止めてダムを造り、その真ん中に家を造る。家の中は暖かいので冬眠はしない。また、水上に入り口を作ると他の動物に襲われてしまうので入り口は水中で、2階建てになっている。
よくできている。
白い動物が集まっているコーナーでは、その中にはいないカンジキウサギの話になった。昨日、オーロラヴィレッジにもいたらしい。気が付かなかった。
白い雪の中に白いウサギなので、なかなか人間は気が付かないけれど、ウサギの方は人間の存在に気が付いている。もしウサギに気が付いて逃げられても、そのままカメラを構えていれば、逃げるときに必ず振り返るのでそのときがシャッターチャンスだという。
オーロラを探して上ばっかり見ているだろうし、なかなか撮影チャンスはなさそうだ。
セスナ機は野生動物以外で唯一添乗員さんが足を止めた展示物で、最近は減ったけれどそれでもこの辺りの人々は数人に一人がセスナの免許を持ってい。
実際、20万円くらいで免許が取れるらしいし、中古のセスナ機なら200万円くらいから買えるそうだ。ほとんど車と同じ感覚である。
実際にセスナ機で買い物に行ってしまう(セスナ機でしか買い物に行けない)地ならではの話だろう。
ゴールドラッシュで内陸に人がどんどん入り込む過程では、やはりセスナ機が唯一の交通手段で、車輪とスキーとフロートと、どれでも離着陸できるそうだ。
最近日本語バージョンができたという、ノースウエスト準州の紹介映像を見て、ムースの剥製を作っているところにおじゃまする。
ムースの場合はカリブーと違って角は雄にしかなく、毎年生え変わることもない。
最後に見た、この辺りの人が使っていたというボート(といってもかなり大きい)は、白樺や唐檜の木を骨組みにムースやカリブーの皮を張って作られている。
これがもっと北の方だと、木がなくなるので、鯨の骨を骨組みにアザラシの皮を張ったもう少し小さいボートになるという。
今ではエスキモーの人々も金属製のボートも使っているけれど、その金属と氷とが触れたときの音を鯨が嫌って逃げてしまうので、捕鯨には昔ながらのボートが使われている。
15分ほどのフリータイムの後、スーパーマーケットExtra Foodsで解散になった。
うろうろ見て回り、イチゴとバナナで迷ってバナナを買う。また、100%だけどスパークリングという謎のジュースを発見して、250ml4本で2ドル弱ならと購入する。合わせて3.51ドルだ。
また、スーパーマーケットのYK Centreというショッピングモールの地下に入っているチョコレートショップThe Chocolatierで、メープルサンドクッキーにチョコレートがけしたものが個包装になって一つ3.15ドルで売っていて、こちらも味見に購入する。購入しようとしたらレジに試食用のチョコが置いてあったので1カケいただく。パフ入りで、甘すぎずにおいしかった。
カナダのお店は外税らしい。クッキーの値段表示は3ドルで、5%の何とか税がついた。
同じくYK Centreに入っている本屋The Book Cellerでオーロラの写真や絵本などを眺め、向かい側にある(お土産物屋さんというよりは)イヌイットの伝統工芸を集めたようなお店Northern Imagesに入った。
イヌイットの文化を継承した(とまでは書いていなかったかも知れない)というハーブティーが売っていた。20個入りで10ドルは高いけれど、これを配って職場土産にしてしまおうと決める。いつまでも「探さなくちゃ」「買わなくちゃ」と気にしていると意外と疲れてしまう。
試しにトラベラーズチェックを出してみたら受け取れないと言われ、現金で支払う。
この時点で残金40ドルだったけれど、特に買い物の予定もないし、オプショナルに申し込む予定もないし、スーパー等々ではカードが使えるようだし、バンクーバーに戻ればトラベラーズチェックも使えるだろうから、何とかなるだろう。
ホテルに戻ったら15時30分だった。
三脚の練習やカメラの設定確認をしていたら16時になり、昨日頼んでおいたレンタル防寒着のズボンの交換に行く。オーロラヴィレッジのツアーデスクがイエローナイフ・インのロビーに毎日2時間やってくるから便利だ。
LサイズをMサイズに交換したら、ちょうどいい大きさだった。
買ってきたメープルクッキーの味見を兼ねて紅茶を飲み(挟んであるチョコもコーティングのチョコも甘すぎず、美味しいクッキーだ)、お腹が膨れたら眠くなって1時間くらい昼寝をする。
起きればもう夕食の時間である。
18時にロビー集合で、夕食はホテルに隣接するセンタースクエアモール内のラティテュードというレストランだった。
香辛料の効いたスープ、北極イワナ(見た目はピンクでサーモンみたい、身はさっぱりしていて、皮が固い)のソテー、ケーキ、コーヒーというコースで、なかなか美味しい。イワナの付け合わせのライスが何かの香りがして気になりそれは残してしまった。でも、パンを一つ食べているので、十分である。
お腹がいっぱいになった。
一人参加の女性が私以外に3人いらっしゃり、みなさん年上、海外旅行も相当あちこちに行かれているらしい。何となくこの4人で集まって、19時過ぎまで食べ終わった後もおしゃべりに興じた。
この時間だと、センタースクエアモール内のお店は軒並み閉まっている。
20時45分に集合で、再びオーロラビレッジに向かった。
昨日の反省と経験を元に、今日の方が断然オーロラ鑑賞の時間が長いことも考慮して、上は長袖の山用の防寒シャツにタートルネック、セーターを重ね、下はタイツに綿入りのパンツを履いた。靴下はウールの厚手のもの1枚である。
結論からいうと、これでオーロラ鑑賞中は特に寒さを感じなかった。つま先も大丈夫である。指先が痛かったり、右手が真っ赤になったりしたのは、カメラを操作するために薄手の手袋一枚になっていたためだから仕方がない。
21時30分くらいにオーロラビレッジに到着し、今日の待機場所はティーピーだと案内される。中は会議用みたいなテーブルが6台あり、その周りに折り畳みイスがおかれ、強力なストーブが焚かれている。でも、マイナス30度、40度になるとこの強力なストーブですら全く役に立たなくなるそうだ。
今日はオーロラこたつ使用可能日だったので、支払い済みの証明にリボンが配られる。明日の予定の説明を聞いた後、オーロラこたつの設置場所に行って使用説明を受けた。
ティーピーに戻って、添乗員さんのオーロラ解説を聞きつつ(スケッチブックに絵まで用意されていた)、出入りしてオーロラを観察する。薄い筋状のオーロラは出たり消えたり少し大きくなったりしている。
ガイドさんに「今日は湿度が高い。」と言われてイヤな予感はしていたけれど、薄曇りの感じで、星は見えているけれど雪も降っている。はっきりしたオーロラにはなかなかならない。
お部屋のテレビで天気予報を見た方によると、明日、明後日が晴れの予報だそうだ。確か、昨日の段階でダイニングに出ていた天気予報では今日が晴れの予報だったけれど、天気だけでなく天気予報もくるくると変わるらしい。
オーロラ解説では、オーロラと名付けたのはガリレオ・ガリレイだと言われているという話が印象的だった。地動説を唱えた学者がオーロラにも注目していたということなんだろうか。
ガリレオ・ガリレイはイタリア人だったと思う。彼は一体どこでオーロラを見たのだろう。その頃は、オーロラを見られる場所も今とは違っていたんだろうか。
また、オーロラの周期は11年と言われているけれど、それは実は「平均値」だという。今回の周期については、米国かどこかの研究期間が12年7ヶ月であると最近発表したそうで、そうすると、2012年末から13年にかけてが極大期になるらしい。
添乗員さんは、各旅行社はこの冬が極大期であると宣伝してきて、あと1年延びたのはいいとして、その後はどうするんだろう、全くお客さんがいなくなってしまうんじゃないかと言っていた。
確かに、この話を聞いて「そうしたらこの冬はウユニに行けばよかった。」とちらっと思ったから、逆に今後のお客さんが減ることは間違いないだろう。
また、オーロラが見える地域の人たちはあまりオーロラにいいイメージを持っていないという。
夜に口笛を吹くとオーロラが現れてその人を死後の世界に連れて行ってしまうという話もあるし、赤いオーロラが出ると争いごとが起こって人がたくさん死ぬとも言われている。
また、大きなオーロラが出ると地震が起きると言われており、添乗員さんも昨年、大きなオーロラを見たその帰国日が2012年3月11日で、着陸直前に東日本大震災の地震が起きたという。当然のことながら成田空港には着陸できず、その日はそのまま横田基地に飛行機が降りだそうだ。
横田基地に降りても入国していないので家に帰るどころか基地から出ることもできず、翌日に成田空港に着陸し直して、電車が動かない中を何とか帰ったとおっしゃっていた。
せっかくだからオーロラこたつを体験しようと22時30分すぎくらいに行ってみる。利用者はほとんどいないようだ。
こたつというよりは、遊園地などのライドもののイメージに近い。カバーを外して潜り込んでみる。角度的には楽だし、風が当たらない分楽だけれど、それほど暖かいという感じでもない。足下から温風が出ているという話だけれど、手袋を外して探ってみても特に風も暖かさも感じない。
それに写真を撮ろうとすると結構不便だったので、30分くらい体験し、ティーピーに戻った。
ティーピーでは、何人かの方が待機していた。ガイドさんもストーブに燃料を足したり、ストーブで沸かしたお湯をポットに入れたりしている。
ガイドさんは無線を装着していて、オーロラが出ると連絡が回って知らせてくれるようになっている。その無線も何も言わないし、お腹が空いてきたし、ダイニングの夜食サービスは0時30分までという話だったので、食べに行った。23時過ぎのことである。
今日のスープは牛肉とマカロニのスープで、昨日のスープほどスパイシーではなく、飲みやすかった。
その後、何回か筋状のオーロラが出て、それが太くなり、渦を巻き、ということがあった。慣れてくるとオーロラの発見も素早くなってくる。
オーロラが大きくなってくると、スタッフがフラッシュ使用禁止の案内や、写真撮影の勧誘を日本語で叫ぶ。もしかして、ここには日本人しかいないんだろうか。多分、英語やその他の言語でこれらの注意事項が叫ばれることはなかったような気がする。
オーロラの写真を撮ろうと努力したし、だからこそ右手だけ霜焼け一歩手前のようになったけれど(ティーピーでストーブに当たったら、右手だけが真っ赤になった)、オーロラが写真に写ってくれない。
ISO感度を上げたり、露出時間を延ばしたり、ティーピーを撮って写真自体が撮れることを確認したり(撮れているのだ、これが)、いくつか試してみたけれど、改善されない。
この日のオーロラも、自分を入れた記念写真を撮ろうという人が列を作るくらいの大きさにはなっていたし、サーリセルカでオーロラを見て写真を撮ったときよりも断然大きいし、サーリセルカのときはコンデジで緑色に撮れていたのだから撮れないはずはないのに、だ。
2時20分集合だったので、2時過ぎにカメラをしまうまで何度か試したけれど、やっぱり撮ることはできなかった。
何回もオーロラを撮りに来ているという方や、添乗員さんにも相談してみたけれど、お二人とも首を傾げている。
自分でも不思議だけれど、写真が撮れなければショックを受けそうなものなのに、意外と平気である。「見られた!」ということもあるし、明日と明後日とあと二晩ある、また絶対に見られるという確信が何故かどこかにある。今日はまだ準備だ、明日に間に合えば大丈夫、みたいな気がする。
一度長く外に出てからはカメラはずっと外に出しっぱなしにしていたら、フリースと梱包材(もっとも、こちらはいつかどこかで落としたらしく、カメラをしまおうとしたときには失くなっていた)で包んでいたためか、電池はギリギリ帰る時間までは保った。三脚につけたままでは電池交換できないので、これは有り難い。
あと1時間の延長を25ドル(15ドルだったかも)で承りますというガイドさんの案内もあったけれど、それに申し込む人はおらず、空がクリアになってきてまた太めのオーロラが現れてきたので、何となくみんなで外にでて鑑賞し、2時20分に出発して3時前にホテルに到着した。
それまでは全く大丈夫だったのに、バスに乗った途端に手足の指先が冷たくなり、何となく寒くなった。これはマズイと、お風呂にお湯をため、お腹が空いたせいかもしれないとお湯を沸かしてカップラーメンを食べる。
お風呂にゆっくり浸かったらまだお腹が空いていたので、スーパーで買ってきたバナナも食べて、4時30分くらいにベッドに入った。
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