持ち物リスト(中米3ヶ国編)を作る その2
2012年12月15日から24日まで、メキシコ・グアテマラ・ホンジュラスを10日間のツアーで旅行する。その持ち物リストである。
その2には、<洗面用具・化粧品><薬など><カメラ等><食べ物><その他>を載せた。
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2012年12月15日から24日まで、メキシコ・グアテマラ・ホンジュラスを10日間のツアーで旅行する。その持ち物リストである。
その2には、<洗面用具・化粧品><薬など><カメラ等><食べ物><その他>を載せた。
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2012年12月15日から24日まで、メキシコ・グアテマラ・ホンジュラスを10日間のツアーで旅行する。
今日(12月13日)、キャリーケースを空港宅配に託したので、ついでに持ち物リストを作成した。これでほぼ確定である。
連泊が1回もないというツアーなので、つい「洗濯ができないかも」などと考えてしまい、相変わらず多すぎる荷物である。判っているのに減らせないのが情けない。
キャリーケースが軽いのに、うちにあるヘルスメーターに乗せてみたら17.7kgだった。
一応、捨ててくるものや消耗品も入っているし、重量制限は23kgということなので、お土産を買っても何とかなる予定である。
持ち物リストのその1には、<必需品><バッグ><書籍等><着替え等>を載せた。
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旅行社の担当の方から「出発の数日前に添乗員からお電話させていただきます」という連絡があったけれど、メールで連絡をもらえるようにお願いしていたところ、今日(2012年12月12日)にメールが届いた。
かなり丁寧に注意事項を書いてもらってあって、一安心である。
一安心だけれど、逆に心配というかびっくりしたのがこの情報だ。
「参加人数 男性5名様、女性2名様、計7名様」
2日前にもらったメールでは参加者9名だった筈なのだけれど、更に2名減っている。
そして、ツアーメンバーで男性の方が多いというのは初めてだ。驚きである。前に旅行会社の方に「ツアーで男性の方が多いのは、シルクロード関係くらいです」と聞いたことがあったのだけれど、同じ程度にマニアックということだろうか。
添乗員さんが女性で良かった。
その他の注意事項は以下のとおりである。
・アエロメヒコのチェックインは混雑すること
また、個人チェックインで座席指定も個別に行うので早めのチェックインを推奨すること
・メキシコペソは出発前に予め両替しておいた方がいいこと
・スーツケースに鍵はかけられないのでガムテープで止めておいた方が安心なこと
・アエロメヒコはパーソナルテレビがないので、暇つぶしのネタを持参した方がいいこと
・到着日の夕食は個人で用意するか、空港で食べることになること
・現地は暑いが虫対策も兼ねて長袖長ズボンがよいこと
何だか、不安なのか楽しみなのか、判らなくなってきた。
そして、出発日の天気予報が雨であることがかなり気になっている。
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先日(2012年12月8日)、旅行会社に今回のツアーについての質問をいくつか送ったところ、週明け月曜日の10日に回答があった。
合わせて、添乗員さんからの電話は多分出られないので、メールで連絡をもらえるようお願いしたところ、了解の回答があった。
一問一答の抜粋は以下のとおりである。
・メキシコ入国後の国内線に、成田空港出国後に購入した液体物を持ち込めるか。
国内線に乗り継ぐ際にスーツケースを流し直すので、その際にスーツケースに入れることが可能。
・帰国時、メキシコシティで乗り継ぐ際、グアテマラの空港で出国後に購入した液体物を持ち込めるか。
メキシコシティの空港では、国際線から国際線に乗り継ぐ際にもスーツケースを長し直すので、その際にスーツケースに入れることが可能。
・帰国時のメキシコシティで乗り継ぎ時間が長いが、空港外に出ることが可能か。
渋滞もあるし、治安もあまり良くないので空港から出ることはお勧めしない。
・グアテマラでは入国時に2台目以降のカメラに税金がかかるということだが、米ドルでの支払いが可能か。
実際に今までツアー参加者でカメラ代を請求された人は出ていない。
但し、念の為、US$を少し多めに用意しておくと安心である。
・スポーツサンダルで支障ないか。
いずれの国も遺跡見学が中心で歩く場面も多い為、スニーカー等、歩きなれた靴を勧める。
・ツアー参加者とその構成を教えて欲しい。観光中、合流するツアーについても知りたい。
ツアー参加者は9名様で、一人参加者も複数名いる。
尚、合流するツアーの参加人数は5名。
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2012年12月6日、出発の10日前に旅行社から最終日程表が届いた。
お弁当の朝食が減った代わりに、昼食と夕食にお弁当が加わっているのが何となく釈然としない。
判っていたことだけれど、10日間のツアーで連泊なしという、かなりハードな内容である。
大抵はパンフレットの「利用予定ホテル」のトップに載せてあるホテルになることが多いと思うのだけれど、今回、フローレスだけは変更になっていた。2泊から1泊に減った影響かも知れない。しかし、フローレス島内のホテルになったのは嬉しい。
今回、旅行会社から送られて来た物は以下のとおりである。
・最終日程表 1冊
・自宅用最終日程表
・注意事項(3種)
・旅行業約款
・荷札
・空港宅配サービスの案内兼割引券
・現地情報提供の案内
・宿泊ホテルの案内(名称、住所、創業年、設備等)
・海外旅行保険の案内
・荷札・バッジ・ステッカー
・空港宅配サービスの案内兼割引券
・成田空港までの交通案内等
あとは、出発3〜4日前に添乗員さんから電話をいただけるということだったので、電話には出られないのでご遠慮申し上げる旨を伝えるのと合わせて、いくつか確認したいことがあるので質問メールを送ろうと思う。
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2012年11月23日、カードの特典で成田空港への宅配サービスを無料で使えるということで、サイトからリクエストを出した。
年間2回(行きと帰りと両方使うと、それで「2回」とカウントされる))までのサービスで、2回分を申し込んだつもりだったのだけれど、届いたのは1回分だけだった。不思議に思ったけれど、一緒に届いた伝票でも「1回分」となって
いたので、私の記憶違いか入力間違いだろうと思う。
それに、帰りは振り替え休日の早朝に成田空港着なので、スーツケースを持って帰るのもそれほど大変ではないし、その日のうちに洗濯等々を片付けてしまった方がいいと考え直した。
行きの分は、1週間前くらいまでに申し込もうと思う。
荷造りは全く進んでいないし、下調べも全然進んでいないのだけれど、こうした準備だけは少しずつ進めているところである。
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考えたら2012年12月15日の出発まで1ヶ月を切っているし、職場の上司には休暇の了承をもらえたし、できる準備から始めようと、海外旅行保険に加入した。
成田空港で加入することもできるけれど、そうするとセットプランしか用意されていなかったりするし、出発前に慌ただしいと私のようなタイプは失敗しやすいのだ。
クレジットカード付帯の保険もそれなりの金額が出るのだけれど、ここは安心料ということも考えて、通常の保険にバラ掛けで加入した。クレジットカード付帯の保険にプラスアルファする形の保険もあるけれど、それほど保険料に差がないようだった。私の調べ方が足りないのかも知れない。
メキシコ及び中南米地域に10日間、死亡保険金は無視して、その代わり、治療(疾病と傷害)・救援者費用はそれぞれ1000万円、携行品の補償が30万円、手荷物遅延が10万円出るように組んだところ、保険料は3800円だった。
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2012年11月14日(だったと思う)、旅行会社から、ツアー催行決定のお知らせと旅行の注意事項、ツアー日程変更のお知らせが届いた。
ツアー日程変更については、最終日、グアテマラシティからメキシコシティに向かう航空便の時刻が大幅に変更されたため、帰国便への乗り継ぎが不可能になったこと、そのため、最終泊をフローレスからグアテマラシティに変更するということだった。
観光内容等は変わらないということだけれど、この変更で一番痛いのは、メキシコシティでの待ち時間が7時間にも増えることだ。15時に着いて22時過ぎに発つというスケジュールなので、一旦、外に出て、観光は難しくとも、美味しいごはんくらい食べたいところだ。
また、ティカル観光を終えたその日の夜にグアテマラシティに移動となると、かなり忙しくなるだろう。
仕方のないこととはいえ、ちょっとショックである。
その他、A4両面コピー4枚に渡って現地情報及びツアー情報が書かれた紙が同封されていた。
うわ! と思ったのは、以下の点である。
・メキシコでは、アメリカドルの使用及びアメリカドルからペソへの両替が行えなくなってきていること
・行きの成田ーメキシコシティ間は約13時間、帰りのメキシコシティー(ティファナ経由)ー成田間は、19時間弱かかること
・ほとんどの行程で、別ツアーと同じバスで移動すること
・メキシコシティを通る場合、機内預入荷物の鍵はかけない方がよいこと
・グアテマラにカメラを持ち込む場合、2台目以降は課税の対象となること
色々と準備が必要なようだ。
あと1ヶ月、心して準備をしようと思う。
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かなり前に申し込んで、催行状況を見守ってきたマヤ遺跡を巡るツアーについて、2012年11月13日、旅行社のサイト上でやっと催行決定のマークがついた。
3ヶ月以上前から「残席僅か」「催行予定」が出ていたし、多分大丈夫だろうと思ってはいたものの、「決定」の文字が出てやっと安心できたという感じである。
追々、請求書が届くだろう。
このツアーは、マヤを専門とする大学教授が7日間同行し、カラクムル、パレンケ、ラ・ベンダ公園、キリグア、コパン、ティカルの各遺跡で解説してくれることと、マヤ長期暦の最後の日にティカル遺跡を訪問できるという点が売りのツアーである。
当初は19日間のツアーが1本、15日間のツアーが1本、10日間のツアーが3本企画されていたのだけれど、割と早いうちに、15日間のツアーが出発予定表から消え、メキシコ周遊(つまり、キリグア・コパン・ティカルには行かない)コースと、グアテマラ・ホンジュラス・ベリーズを周遊する(メキシコは行かない)コースも消え、2本に絞られた感があった。だからこそ逆に残った2コースはほぼ催行されるだろうと思っていた訳だ。
本格的に準備を開始しなくてはと思っているところである。
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グアテマラ・マヤ文化協会「ポポル・ヴフを探して」
第1部 マヤの神話のお話とマリンバの紹介
講演「マヤの聖典、ポポル・ヴフ」 講師 半田昌之(たばこと塩の博物館)
第2部 コンサートと朗読
出演 峰ゆうこ/川名千鶴子
演奏 青山道子(マリンバ)/フルート(後藤玲子)
菅原早由吏(ファゴット)/黒澤百合(パーカッション&マリンバ)
甲斐元子(パーカッション)
朗読監修 林屋永吉
講演日 2012年10月3日(水)午後7時
場所 文京シビックホール 小ホール
グアテマラ・マヤ文化協会主催の「ポポル・ヴフを探して」というイベントに行って来た。
グアテマラ・マヤ文化協会ってどんなところなんだろうと少々怪しんだりもしたのだけれど、グアテマラ駐日大使を名誉会長にいただき、協会の所在地もグアテマラ大使館内というかなりオフィシャルな存在らしい。
一方、法人会員は原則としておらず、個人会員のみ100人程度のアットホームな運営がされているようだ。
イベントの始めに、副会長さんが挨拶すると同時に協会への入会勧誘を兼ねて紹介していた。
副会長さんの挨拶、グアテマラ大使の挨拶に続いて、簡単なグアテマラの紹介が行われ、併せて、グアテマラで使われているというマリンバの紹介もあった。
グアテマラからマリンバを持ち出すには政府の許可が必要だという話で、それはマリンバという楽器一般についてそうなのか、それとも古いもの、伝統的な形のものだけのことなのか、その辺りはよく判らなかった。
とにかく、グアテマラからはるばるやってきたというそのマリンバは、その後のコンサートで使われたマリンバの2/3程度の長さである。通常は2mほど(だと思う)のそのマリンバを3人で演奏するというからかなりキチキチではなかろうか。そして、3人がそれぞれ演奏に使う場所は決まっており、その場所に併せてバチ(という名前で正しいかどうか不明だが)の種類も変わるのだそうだ。
また、通常のマリンバはピアノなどと同じように白鍵と白鍵の間に黒鍵があるものらしのだけれど、グアテマラのマリンバは白鍵の真上に黒鍵が配置されているという。
少しだけ演奏されたそのマリンバは、少しくぐもっており、この日は雨が降っていたこともあって調弦が難しいらしく、音が二重に聞こえてくるような状態だったのが惜しい。
その後、たばこと塩の博物館の半田昌之氏から、ポポリ・ヴフについての講演があった。
いわば、第2部の朗読のための解説編である。
このお話のなかで一番気になったのは、マヤ絵文書が世界で「3」点しか残っていないという説明があったところである。確か記憶では4点だったようなと思いつつ、芝崎みゆき著「マヤ・アステカ不思議大全」を見てみたところ、やはり「4」点となっている。
講演では、マヤ絵文書は、マドリード、パリ、ドレスデンにあるということだったので、残りの1つは存在しない、あるいは偽物であったとされたのかも知れない。
ちなみに、このマドリードのアメリカ博物館にあるマヤ絵文書に、タバコを吸っている人の絵が描かれていることから、「たばこと塩の博物館」の半田氏とマヤとの関わりが出ているらしい。
「それだけのことなんですけどね」というのがご本人の弁である。
マヤ絵文書は、皮あるいは植物から作られた紙に石膏を塗ったものに描かれていたのだそうだ。両面ぎっしり書かれているらしい。
世界には3(ないし4)しか残っていないのは、スペイン人が布教のために焚書してしまったからだそうだ。
しかし、そのような状態でも、マヤの神話である「ポポル・ヴフ」が残っていることには、理由というか経緯がある。
ポポル・ヴフは、キチェ族の創世神話で、スペインの侵攻後の1550年頃、アルファベット(ローマ字、という言い方もしていた)を学んだキチェの人が、マヤの言葉をアルファベットで書き留めたものだそうだ。
その後、しばらくこの文書は埋もれていたけれど、1700年頃、フランシスコ・ヒメネス神父がチチナステナンゴのサン・トマス大聖堂で発見し、写本を作成するとともにスペイン語訳を行ったという。
現在、残っているのはこのヒメネス神父が作成した写本のみで、ヒメネス神父が移した元の文書は失われてしまっているという。
1947年、グアテマラのアンドレアン・レシーノス博士が新たにスペイン語訳を行うと共に註釈を作成し、この新訳版を4年かけて日本語に訳したのが、グアテマラ・マヤ文化協会長でもある林屋永吉氏ということだ。
日本語版の出版には三島由紀夫らも支援を行い、1961年に中央公論から出版、1971年にはディエゴ・リベラが描いた挿絵も含んだ豪華版が再版され、現在普通に入手できる文庫にもこの挿絵のいくつかがモノクロではあるけれど収録されているという。
ロビーでこの文庫も売っていたのだけれど、ちょっと迷って買わなかった。
「ポポル・ヴフ」というのは、「共通の書」というくらいの意味らしい。
元本が書かれたのがスペイン侵攻後であることからキリスト教の影響がすでに入っているという説もあるし、ノアの洪水との類似性も窺えるが、全体としてはマヤ独自の宇宙観が感じられる内容になっているそうだ。
マヤ独自の宇宙観というのは、大雑把にいって、アニミズムであり、循環思想であり、人間も自然の一部であるという考え方であるといえるという。
その他、特徴的な考え方として、唯一神ではなく「神々」という考えであり、天と地・光と闇・生と死など二元性で語られていること、が挙げられるのだそうだ。
というよりも、そういう特徴があると頭の片隅に入れてこの後の朗読を聞くとよいでしょう、というお話だった。
また、マヤの神々は、神々を崇め奉る存在として、また、森の番人として人間を作ったとされているらしい。
最初は泥から作って失敗し、次に木から作って失敗し(そして、その失敗作の生き残りが猿となり)、最後にとうもろこしから作ってやっと成功したのだそうだ。
とうもろこしの地位の高さがよく判る。大地よりも森よりもとうもろこしである。
マヤでは森は四角くて、その四隅に柱が立っていると考えられているらしい。そして、東西南北にそれぞれ赤・黒・白・黄色の4色が当てはめられており、この4色はいずれも「とうもろこしの色」であるそうだ。
真ん中は緑とされていて、それは葉っぱの色ではなく、翡翠だろうということだった。
翡翠と並ぶとうもろこし、である。
話は少し戻って「循環思想」ということだけれど、マヤ暦がまさにこの「循環」の思想で作られているという。
主に儀式に使われた13日*20ヶ月の260日暦と、20日*18ヶ月+5日(凶月)の365日の暦を併用し、この2つを丁度干支のように組み合わせた長期暦が5125年ぶりに2012年12月12日に「一巡り」するということで、話題になっている。
ちょうど、今年、グアテマラ北部で長期暦で最古(8c頃)のものが発見されたそうなのだけれど、そのどこにも「世界は終わる」とは書いておらず、次の日になればまた次の暦が始まる、というのが正しいらしい。
概ね、こういう感じのお話だったと思う。
10分間の休憩後、ポポル・ヴフの冒頭から人間を作り出すまでの物語の朗読と、マリンバ・フルート・ファゴットの演奏のステージがあった。
これは、なかなか楽しかった。
ついうっかり、朗読の言葉を聞き流してしまったりもしたけれど、それはそれで、雰囲気を味わうというものである。
45分くらいのコンサートの最後には、林屋会長へのハッピーバースデーのプレゼントもあり(翌10月4日、御歳93歳になられるということだ)、至極和やかにイベントは終了したのだった。
あいにくのお天気だったけれど、会場には150〜200人くらいの人が集まり、盛況だったと言えると思う。私も、参加無料でかなり楽しませてもらった。
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