河津旅行記1日目その1
2013年2月17日(日曜日)
2月18日の天気予報がどんどん悪くなってきて、どうやら1日中雨になりそうだったので、出発を当初予定より早めた。といっても、自宅を出たのは8時少し前である。
東京駅から新幹線に乗ってしまえば熱海は本当にすぐで、あっという間に到着した。
熱海駅前はバスターミナルの工事中で、少し離れたところに臨時のバス乗り場が作られている。熱海梅園行きのバスに次々と人が乗り込んで行くのを見ながら、11時発のMOA美術館行きのバス停に並んだ。
美術館は雨の翌日に行くことにしようかとも思ったけれど、母の「せっかく見晴らしがいい美術館なんだから、天気のいい日に行きたい。」という提案に乗った。
よっぽど尋ねられることが多いらしく、160円也のバスの運賃箱には大きく「PASMO SUICAは使用できません」と書いてあった。
急勾配のくねくね道を走ること10分弱で、MOA美術館に到着した。
バスを降りてすぐのところにあるコインロッカーに荷物を預け、予め購入しておいたチケット(2人で2500円)を記念入館券に替えてもらって、MOA美術館名物(?)のエスカレーターに乗った。
節電のためにこのエスカレーターを止めたというニュースをどこかで読んだ記憶がある。今は再開したらしい。何年ぶりで来たか覚えていないけれども懐かしい。
MOA美術館では「国宝”紅白梅図屏風”と所蔵琳派展」が開催されており、タイトルにも歌われている「紅白梅図屏風」が母のお目当てである。
その前に、能舞台を拝見し、金の茶室を見る。母は「金ぴかということなら、やっぱり平泉の金色堂よ。」と言う。
説明書きによると、現在、茶室は修復中で、今展示されている茶室は屋外持ち出し用の折りたたみ式の茶室だという。
それにしたって、金箔を張り巡らせてあって侘びさびとは無縁な印象だし、ここでお茶をいただいても落ち着けなさそうだ。
後日、テレビを見ていたら、黄金の茶室は今の照明の下では金ピカだけれど、安土桃山時代にはそもそも日本の家屋は全体に暗かったし、その中でさらに赤い紗を通して入ってくる弱い陽の光に浮かび上がる様は十分にわびさびの風情があったのではないかという話をしていて、なるほどと思った。
そして、「国宝「紅白梅図屏風」と所蔵琳派展」である。
本阿弥光悦光悦と俵屋宗達、尾形光琳と尾形乾山の兄弟、酒井抱一らと、三つの時代に分けて、それぞれの代表作が展示されている。
琳派は、他の流派が主に家系で受け継がれたのとは異なり、作風に対する共感をベースに受け継がれている。琳派の始まりとその隆盛、そして再生を象徴する人々にフューチャーした構成になっている。
これが、意外と楽しい。
創始者の片割れである本阿弥光悦は、私には刀の鑑定をした人というイメージが強い。
非常に美術センスの優れていて、制作もして、プロデューサーとしての才能も発揮した人だったらしい。刀剣の鑑定も、当時は美術品の鑑定に近かったのかも知れない。
重要文化財である「樵夫蒔絵硯箱」は、「伝」本阿弥光悦、とされている。「何故硯箱に樵夫?」と思う。どうやら、その題材や構図の大胆さ、それを表す技法の選び方や組み合わせ方が、この硯箱の「味」であるらしい。
俵屋宗達と聞いて「商売人?」と思う私は一体何に影響されているのだろう。単純に「**屋」という名字からの連想かも知れない。
俵屋宗達の「軍鶏図」は、たらし込みという技法を用いた名品である。滲みだったりぼかしだったり、近づいて見ると単なる濃淡にしか見えないのに、離れたところから見ると羽の毛羽立った様子や艶に見えてくるから不思議である。輪郭線がない描き方も不思議だ。
全面に虎の全身を描いた大きな掛け軸(タイトルを忘れた)も迫力があって、でも顔の表情などに親しみを感じられる絵で、楽しい。猫なんだか虎なんだかよく判らない、でも大画面の迫力に押される。
家系ではなく「いいな」と思ったから継承したという「派」の性格か、単純に個人的親交があったということか、本阿弥光悦と俵屋宗達のコラボレーション作品も展示されていた。
俵屋宗達が線画で鹿(に見えた)などを描き、その紙に本阿弥光悦が和歌を書き散らしている。流麗というよりは味のある文字で、配置も独特な感じである。巻物のような紙に書かれていて、何に用いるための紙なのかは謎だ。
琳派の「琳」は尾形光琳の「琳」なのだろうし、この特別展の白眉はもちろん、尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」である。
その白眉を、展覧会の割と最初の頃に持ってくるのが潔く、好感が持てる。
パッと見て、「意外と小さい」というのが第一印象だ。
もっと丈が高いと思っていたら、左右それぞれの屏風はほぼ正方形に近いように見える。そして、非常に美しい状態を保っている。
最近の調査の結果、中央の川に銀箔を張り、金地には金箔を張り、銀を硫化させて黒い川の流水模様を作ったと考えられるという。
その調査結果に基いてCGで制作当時の状態を再現した作品が別途展示されていて、流水模様の銀色が美しく黒い川の水面に映えている。
逆に言うと、その流水模様の色の違いが際立つくらいで、全体の色調はほぼ遜色なく残っているのが凄い。せっかくなので、その再現された屏風と記念撮影をした。
屏風は左右一対で、左側には幹の一部だけを見せた大振りな白梅が描かれ、右側には紅梅が1本完全な姿で描かれている。そのど真ん中を黒い太い川が流れている。
梅の花は、花弁を区切らない独特の描き方がされている。花びらの形とめしべの様子だけで、梅の花が咲いているように見える。
母も私も左右どちらかと言われれば白梅の方に軍配を上げる。サイトに載っている屏風図の写真で見るよりも、本物の屏風図で見た紅梅の方が貧相な印象だった。
梅といえば、尾形光琳の弟である尾形乾山が焼いた「銹絵梅花文蓋物」もなかなか可愛らしかった。四角い蓋物に、様々な色(と恐らくは素材)で梅の花がたくさん型抜きされているような、貼られているような感じに造形されている。
尾形光琳と乾山の兄弟も、コラボレーションした作品を多く残しているらしい。家系による継承ではなく、共感による継承であるならば、もしかして、ご当人たちには「自分は琳派である」という意識はなかったのかもと思う。
MOA美術館には、私も知っているくらい超有名な野々村仁清の色絵藤花文茶壺がある。尾形乾山はこの野々村仁清の弟子だ。
「琳派再興」を為したという酒井抱一らはきっと「自分たちは琳派である」「琳派を再興したい」という意識を強く持っていたんだろう。
雪月花図は、松に雪、おぼろ月、桜と3枚の絵がセットになっている。
並び順も左から、雪・月・花で、描かれている位置も雪は上の方、月は真ん中、桜は下の方と並んでいる。私だったら、月を上の方にして、松を中央、桜を下方にして、オリンピックの表彰台みたいな感じにするなと思う。不遜の限りである。
この朧月もやはり輪郭はなく、雲のかかっていないところを残すことで月を表していて、墨の色だけで月のかすむ感じを出していて格好良かった。
この特別展でかなりお腹いっぱいだったし、特別展の印象をそのまま持ち帰りたかったので、常設展示は割とさっさと見てしまった。
ミュージアムショップに立ち寄って、お香とクリアファイル、紅白梅図の絵はがき、紅茶飴などを購入し、少しだけ晴れ間が見えてきた熱海の海を眺める。天気予報では寒くなると言っていたけれど、日射しがあるせいか、ぽかぽか陽気とは言わないまでも、結構暖かい。
帰りのエスカレーターを乗り換える途中、子供達の絵が飾られている一角があった。何かのコンクールの入選作品のようだ。
母が「あなた達が子供の頃は、こんなに鮮やかな色は使わなかった。」としきりと言っていた。絵心の全くない私は本当に自分でもイヤになるくらい下手でセンスがなかったけれど、上手い子は同じくらい上手く色鮮やかに描いていたと思う。
入口まで戻るとバスが来るまで少し時間があったので、すぐそこの梅園で僅かに咲いている梅を眺めた。
コインロッカーから荷物を取り出して(100円が戻って来た)、熱海駅に戻るバスに乗る。
1時間もかからずに見て回れるだろうと思っていたら、1時間半くらいのんびり過ごしていた。
駅に戻ったら13時近かった。
熱海桜を見がてら友人に教えてもらった来宮駅近くのお店に食べに行くか、あるいはお魚尽くしの夕食の予定なので、少し歩いてイタリアンか中華を食べに行こうかと思っていた。
母が今ひとつ桜に乗り気でなかったし、何よりお腹が空いていたので、駅前の平和通り沿いにある海蔵というお店の列に並んだ。日曜日のこの時間、駅前のお店はどこも行列である。
階段で並んでいると、通りから見上げた人達が何組も「こんなに並んでるよ。」と言いながら別のお店を探しに行っていた。私たちは3組目で、20分くらいで入れたと思う。
かさごの煮付け定食と、鯵の刺身定食を頼んだ。「ごはん1杯まで無料でお代わりできます。」と言われたのが何だか可笑しい。かさごも鯵も2尾ずつあったので、途中で母とお皿を交換して両方を味わった。
我が家では鯵のお刺身はしょうが醤油で頂く。こちらではわさびだったのが意外だ。
鯵も新鮮だし、かさごもつやつやした煮汁の割りにあっさりした味わいで美味しい。
ふと、腕時計とプリントアウトしてあった伊豆急の時刻表を見てみたら、ぎりぎりで14時14分発の電車に間に合いそうである。
母を急かしてお勘定し(2人で2680円だった)、急ぎ足で駅に戻ってsuicaで改札を入った。
乗った電車は、海際の座席はボックスシート、山側の座席は海に向いたロングシートになっていて、なかなか心憎い演出である。
また少し晴れ間が覗いてきて、伊豆大島がかなり近く大きく見える。
各駅停車なので、上り電車とのすれ違い待ちや、特急電車の通過待ちで、待ち時間が多いのが難点だけれど、桜やアロエのお花が咲いていたり、みかんが実っていたり、温泉の湯気が上がっていたり、車窓を眺めているだけでも楽しい。
割とあっという間に1時間半の乗車時間が過ぎて行った。
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